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木から落ちた猿

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ワヤンの女たち 第18章

18. アリムビ、ラスクシの彼女がビモの妻となったことは象徴的意味を持つ

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〈デウィ・アリムビ Dewi Arimbi (rakseksi)〉

 太陽は西の地平線に沈み始め、森は薄暗くなってきた。風に吹かれて樹々がゆっくりと揺れるさまは、ラクササ〈羅刹〉たちが喜びの踊りを踊っているかのようだ。〈木々の葉が〉さらさらと音をたて、夕暮れのダンスに色を添える。明日の日の出に力を蓄えるため、太陽サン・スルヨが姿を隠したゆえ、夕暮れのダンスは終わりを告げる。森は次第に静まり返り、聞こえるのは小動物たちの声だけとなり、時おり餓えた狼が獲物を探す荒々しい物音が聞こえる。
 パンダワたちは生い茂った樹の下で一休みする。辺りは真っ暗でもはや見通しが利かなくなっている。強者として知られたビモといえど、疲れ果て、眠りに抗することはできない。クンティだけが、うつらうつらしながらも、まだ目を開いていた。暗闇の夜のなか、パンダワたちはぐっすりと眠っているように見えた。彼女は輝かしかった頃を思っていた。愛し敬っていたサン・プラブ・パンドゥはもういない。そして今や、子どもたちは悲惨な境遇におかれている。
 「おお……、世界を統べる偉大なる神よ。私の罪をお示しください。なぜ私たちにこれほどひどい『罰』をお与えになるのでしょうか。」クンティは心の内で嘆いた。とつぜんクンティの夢想は四散した。枝を分け、枯れ葉を踏みしめる足音が聞こえたのである。クンティは注意深く起き上がった。この苦しみの上にさらなる苦しみがあるというのだろうか。
 薮の中から気味の悪いラスクシ〈女羅刹〉の顔が現れた。叫び声をあげそうになったが、疲れきって眠る息子たちを思ってひかえた。眼前の出来事に心を固めた。そのラスクシはゆっくりとクンティに近寄り、跪いた。クンティが恐ろしくなってますます身をすくめると、ラスクシは目的を話しはじめた。
 「ああサン・デウィ、奥様。私はプリンゴダニ Pringgadani 国のプラブ・トルムボコ Trembaka の娘、アリムビ Arimbi と申します。」
 雷に打たれたようにビックリして、クンティの鼓動は激しくなり、不安が深まった。というのも、クンティは知っていたからである。プラブ・トルムボコはかつて天界カヤンガンのビダダリ〈妖精〉を妻にしようとして、夫(プラブ・パンドゥ)に殺されたのだ。
 「あなたが父の敵を討とうとして来たのなら、殺すのは私だけにして。あなたの恨みを息子たちに向けないでください。あの子たちは何も知らないのです。」不安でクンティの声はふるえていた。
 「おお、サン・デウィ。ちがいます。そうではありません。私は父の死に復讐しようという気はないのです。おおサン・デウィ、私は神の思し召しに寄りここに参ったのです。私はサン・デウィの息子のひとり、ビモの妻となるよう運命づけられているのです。」
 ふたりの気付かぬうちにビモは目覚めていて、すべてを聞いていた。そしてアリムビのぶしつけな言葉に大いに怒っていた。
 「まさしく己を知らん奴だ。」ビモがいきなり口をはさんだので、ふたりはとても驚いた。「女よ、顔はラクササ、髪は乱れ放題で櫛を入れたこともない。頬には紅をつけたこともないお前が、俺の妻になりたいだと。俺も落ちぶれたものだ。なぜ俺がお前の夫にならねばならぬのだ。前は蛇で、今度はラスクシか。次は多分サソリと結婚するはめになるんだろうよ!明日はどうなるかな?」ビモは素っ気なく言った。「俺はいやだ。これは悪だくみに違いない。パンダワを殺そうとする敵が、騙そうとしているのだ。」
 ビモの言葉が終わらぬうちに、とつぜん森を揺るがす声が響きわたり、眠っていた鳥たちがあちらこちらへ飛び去った。アリムビの兄アリムボ Arimba が父の死に復讐しようとやって来たのである。
 「わあ、俺の思っていた通りだ。この女はスパイだったのだ。こっちへ来い、その頭を叩き割ってやる。」

 かくて激しい戦いがおこった。むろんアリムボは超能力のラクササである。ビモといえども押され気味であったが、アリムビの助言でついに斃すことができた。アリムビは苦しんだ。妹として、兄の死を望んだわけではないからである。ジャワの諺に言う。「痛みは耐えることができても、死は耐えられない tega larane ora tega patine 」と。
 アリムビはアリムボの亡骸を抱いて嘆き悲しんだ。クンティのやさしい慰めのおかげでアリムビの心もようやく晴れ、兄の死を受け入れたのである。かくてビモの二度目の結婚の式がささやかに行われた。神のお力により、アリムビの姿は美少女に変わった。
 結婚に立ち会ったのは家族だけであったが、神々の祝福の証としてかぐわしい風が吹きそそいだ。結婚の証人たちが彼らをとりまいた。ムンジャンガン鹿 Kidang menjangan 〈ノロジカ〉、虎、バナスパティ banaspati 〈火の妖精〉、テクテカン thekthekan 〈語意不明〉、ガンダルウォ Gandruwo 〈魔物の一種〉、クンティラナク Kuntilanak 〈女の姿をした幽霊〉たち。そう、森中の生き物たちが証人となったのだ。今や強欲のラクササ・アリムボがパンダワによって滅ぼされ、この先穏やかに暮らしていけるのだ。
 そしてこれはパンダワが目的を果たすうえで、大きな戦略的意味を持つことになる。そう、バラタユダ〈パンダワとクロウォの最終戦争〉の勝利のために。
 これが人生である。苦難も時として有用なのだ。すべてのことに神の英知が宿っている。「 blessing in disguise 〈不幸中の幸い〉」である。
 始めのうちは悪しきことと看做されたことが、実はやさしく、なめらかな中身を持っていることもあるのだ。逆に上品で心をとろかし、きらびやかで優しげな「レッケル lekker 〈口当たりの良い〉」ことであったも、しばしば、その実は災厄を運ぶものであることも多いのだ。
 表面的に見れば、ビモとノゴギニ、アリムビの結婚は、大戦争バラタユダに向けての味方の国との同盟を意味する。
 しかし、霊的観点から見れば、ビモが悪しき欲望を支配下に治めることを象徴しているのだ。蛇とラクササは、ワヤンにおいてはアディガン・アディグン・アディグノ adigan adigung adiguna 〈果てしない欲望〉や強欲、「羨望、無知、悪だくみ methakil 、buta buteng betah nganiya 〈不機嫌なラクササのように他を害することを好む〉」の性質を象徴する存在なのである。ご存知のようにワヤンのサト・コタ satu kotak〈人形の箱〉の中でビモこそが「真実」(デウォ・ルチ Dewa Ruci )と出会い、一体化したただ一人の者である。それゆえ、彼は「 hangekes dur hangkara, kawawa nahan hawa 〈強欲を抑え、悪の欲望を滅する〉」人なのだ。つまりビモは欲望を制御し得た者なのである。この物語は人は必ずしも『彼〈神〉』と出会うことができるわけではない、ということを描いているのである。
 パンダワをめぐる物語の続きがどうなるのか?次週をお待ちください。
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〈デウィ・アリムビ Dewi Arimbi (cantik)〉

1977年1月23日 ユダ・ミング
by gatotkaca | 2013-07-19 08:59 | 影絵・ワヤン
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