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木から落ちた猿

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ワヤンの女たち 第5章

5. デーヴァヤーニー、愛を拒まれたのち、溝に落とされる

 カチャはまさしく頭脳明晰な諜報員であった。彼は機知に富んだ方法でその仕事を成功させた。ルシ・シュクラの体内に入ることで、彼の求めるアジ・「サンジウィニ」を手に入れたのである。これこそワヤン時代の情報戦略であった。
 カチャはアジ・「サンジウィニ」を手に入れ、すぐさまルシ・シュクラの体内から出た。カチャが出ると、ルシ・シュクラはばらばらになって死んだ。カチャは心正しい弟子であったから、彼のせいで師が死んだのを見てすぐさま師の遺骸に跪いた。カチャがアジ・「サンジウィニ」を唱えると、ルシ・シュクラは生き返ったのである。それでこそ己を知る弟子たる者といえよう。彼は巧言令色の輩ではなかった。裏切りや名誉を傷つけるような行為はカチャの心中にはまったくなかったのだ。
 「カチャよ、なぜそなたは私を生き返らせたのだ?もう欲しいものは手に入れたのであろう。」
 「おお、マハグル・シュクラさま。」カチャは拝跪した。「聖なる教えによれば、人は五つの敬意を知らねばなりません。
 marang mara tua lanang wadon, kaping tri ya marang sadulur tua, kaping pate ya marang guru sejati, sembah kaping lima marang Gusti sejati.
 五つの敬意とは、第一に父と母への敬意。第二に義父、義母への敬意。第三に年上のきょうだいへの敬意。第四は真の師への敬意。そして第五の敬意は神に対する敬意です。
 この敬意は信仰ともいうべきものです。最終的な敬意は神〈トゥハン〉に向けられるべきものとはいえ、〈他の四つの〉敬意はその価値、劣るものではありません。すべての敬意がトゥハン・ヤン・マハ・エサへの敬意と同じものなのです。
 ひるがえって言い換えれば、すべての人間は、第一に我らの創造主たるトゥハンへの敬意を、第二にこの世に存在することを仲介してくださった母と父への敬意を、第三に年長者の代表としての年上のきょうだいへの敬意を、第四に教えを与えてくださり、この世に生きる手本を示される師への敬意を、第五に世俗の喜びと子孫を繋ぐ機会を与えて下さる義父・義母への敬意を忘れてはならないのです!」
 カチャの言葉は教義に精通しているルシ・シュクラの琴線に触れた。会話を聞いていたデーヴァヤーニーもますますカチャに対する敬意を深めたのである。ルシ・シュクラの美しき娘は穏やかに言った。
 「ああ、カチャ。私はずっと心を押し隠してまいりました。ずっとあなたの偉大にして清らかな心を見てきたのです。もう我慢できません。私の心はあなたの気高く誠実なお心のとりこです。どうか私をお受け入れ下さいますよう。」
 「おお、美しく心気高い娘、デーヴァヤーニー。あなたのお言葉をお受けすることはできないでしょう。というのも、あなたは我がおおいなる師の娘。師とは高き目標であり、従うべき人生の船頭たる人。わたしはあなたの夫にふさわしくない。わたしもまたあなたの父の子であるからです。私は死んであなたの父上の身体の中から生き返りました。ゆえに、今や私はあなたのきょうだいなのです。神の教えによれば、きょうだいは夫婦になりえない。」カチャはおだやかに断った。
 「ああカチャ。そうはいっても私たちは本当のきょうだいではないわ。あなたは父上の息子ではないもの。父上は望んであなたを生き返らせたわけではないのよ。あなたは私の願いで生き返れたのです。」デーヴァヤーニーはなおも懇願した。
 「いいえ。デーヴァヤーニーよ。私を迷わせようとしてはなりません。私ははじめからブラフマチャーリヤ(不婚の修行者)なのです。誰とも結婚できません。わかってください。あなたは美しい娘だ。きっと立派なサトリアを見つけられます。あなたの人生を全うし、幸せになってください。今一度、お許しを乞う。私はもといたところ、神々の世界へ帰ります。」
 ふたたびカチャはマハ・グル・シャクラに拝跪し、祝福の祈りを受けるとすぐさま神々の世界へ戻って行った。カチャがあっというまに姿を消してしまうと、デーヴァヤーニーはぐったりとくずれ落ちた。心を捧げた愛する人に取り残されたからである。これを失恋と言う。娘の苦しむ姿を見てルシ・シュクラの心は萎えた。すべての運命はねじ曲がってしまったが、すべてを見透すルシたるシュクラにはわかっていたことだった。娘の心を癒す術はただひとつ。時がたてばデーヴァヤーニーとカチャの愛も北風が吹き飛ばしてくれるだろう。『風と共に去りぬ』である。
 さて、幾月かがたってデーヴァヤーニーとルシ・シュクラの生活もいつもの平和を取り戻していた。その時、デーヴァヤーニーは明るい顔で父の前に現れた。
 「父上、私、シャルミシュター Sarmista (王女)と一緒に湖で沐浴するの。」
 ルシ・シュクラが答える間も無く、苦行所の前に轟く音を立てて黄金の馬車が到着した。それから笑い声と共にシャルミシュター(王女)が、仲間たちを連れてやって来た。ルシ・シュクラの答えも聞かずに、デーヴヤーニーは王女を迎えに走って行った。そしてすぐに彼女たちは湖に向けて出発したのだった。美しい娘たちがひとかたまりになってヴリシャパルヴァン Wriswaparwa 国近くの湖で沐浴し、泳いだ。
 運悪くとつぜん気まぐれな風が楽しんでいる娘たちの衣服のひとつを盗り、吹き飛ばしてしまった。皆が服を着ようとすると、一着だけ足りない。王女の服だけが見当たらないのだ。どうしたことか、王女の服をデーヴァヤーニーが着てしまった。彼女はひどく怒った。
 「デーヴァヤーニーさん、私の服を着るなんて、いい度胸ね。」シャルミシュターは罵った。「あんたはただのルシ〈僧〉の娘、私は王女よ。私の服を着るなんて生意気よ。私の父上は毎日拝跪され、皆が僕として跪くのよ。父上から米を恵んでもらって生きているだけの乞食とは違うの。私の服を返して。あなたってほんとに礼儀知らずね。ブラフマンの娘が、王の娘の服を着るなんて生意気よ。」デウィ・シャルミシュターが激しくデーヴァヤーニーの顔を平手打ちしたので、デーヴァヤーニーはよろめき、溝の中につき落とされてしまった。それを見て王女と仲間たちは彼女を笑い者にした。デーヴァヤーニーは溝の中で気絶していた。
 目を覚ますと、体中が痛い。起き上がろうとしても力がでなかった。節々も骨もひどく痛い。彼女は痛みにうめき声を上げた。天は曇っていた。
 愛する者に捨てられてしまったデーヴァヤーニーの物語はこのようなものである。彼女は落ちてしまったが、また階段を上っていかなくてはならない。人は無知で、貪欲で、あれもこれもと求める存在でしかない。
 シャルミシュターは美しく、裕福で、さらに王の娘でもある。それでも羨望と嫉妬の心につけ込まれてしまった。嫉妬深く卑しい人の罪とは何か?RRI〈Radio Republik Indonesia インドネシア国営ラジオ局〉で始まったドクトル・ワニタDoktor Wanita 〈女博士〉を聞くか、この話の続きをどうぞ。
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1977年2月13日 ユダ・ミング

(つづく)
by gatotkaca | 2013-07-04 18:30 | 影絵・ワヤン
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