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木から落ちた猿

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ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 第25章

25. 敵の力を測る戦略として捕まり、火あぶりになったアノマン

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 シントのもとに訪れたアノマンはアンソコ Angsoka の園で捕らえられたが、実は戦略/策略であった。敵の計画・力を探るには、果敢に敵の中に飛び込み、じかに敵(ラウォノ)の力や性格を見定める必要があったからである。
 すべてはアノマンの計画通りだったのだ。インドラジトに捕らえられたアノマンは、処刑の決定のためプラブ・ラウォノの眼前に引っ立てられた。刑は重く、彼は『火あぶり』に処せられることとなった。アノマンは進んでその刑を受け入れた。スパイにとって身の危険は当然のことだからである。火刑場へ連れられ、彼は自身の仕事が完了したと判断した。そこで彼は渾身の気を発して空に飛び上がり、スリ・ロモのもとに伺候し、報告するためにマンリアワンへ戻ったのである。
 ロモ・ウィジョヨ Rama Wijaya 〈スリ・ロモ〉はアノマンの報告を聞いて『lega』/満足した。ルパティ・スグリウォも『うなずき manthuk 』ながら聞き、問題を理解していることを示した。司令官である彼はすぐさま軍にアルンコ上陸と攻撃の準備を命じようとした。しかしスグリウォの指令はすぐに実行には移されなかった。というのも、ロモ・ウィジョヨは、アルンコとの和平/交渉の最後の使節としてアンゴドを送ることにしたからである。
 戦闘指揮官であるアンゴドもまた戦略家であった。彼はラウォノの『glembuk』/説得に失敗し、さらに使者として帰る前にラウォノの王冠と『ブランコン blangkon 〈バティック生地の帽子〉』を持ち去った。ラウォノの逆立った髪は、カールしたまま絡み合って不格好なさまになった。『クリーム風呂』も使い果たしてしまっていたのだった。アンゴドの手土産、ラウォノの『ブランコン』と王冠は単に物としてだけでなく、諜報活動としても重要な意味のあるものであった。というのも、ラウォノの頭の大きさを知ることで、スリ・ロモはラウォノの身体の大きさ、力、能力を測ることが出来たからである。これらの情報は、後にロモとラウォノの最終決戦の行方を決定するのである。
 ラウォノに対する和平交渉、つまりデウィ・シントの返還を求めたアンゴドへの指令は失敗に終わり、アルンコへ上陸しての軍事攻撃が開始されようとしていた。最初の上陸作戦はラウォノの実弟グナワン・ウィビソノの作った橋を使う計画であり、これはロモ・ウィジョヨの思惑であった。しかしアノマンは信用せず、その強度を試そうとして『叩いた genjot 』。アノマンの思った通り天に架かかる橋は強度が足りず、壊れてしまったのであった。こうして天の橋での上陸は却下され、海を渡る計画は刷新された。アルンコの海に猿の兵士たちが突堤を築くことになったのである。ポンチョワティ軍が定めた上陸地点はスウゥロギリ山の麓であった。
 ポンチョワティ軍の上陸は成功し、さしたる抵抗も無く、空からサルポクノコ〈ラウォノの妹〉による攻撃があっただけだった。夜明けに目覚めたラウォノが見たものは、目の前に広がる敵軍であった。ポンチョワティの上陸作戦は、2千以下の犠牲者にとどまったノルマンディや硫黄島上陸作戦に比べても大成功であったと言える。
 このアルンコ国ポンチョワティ海岸へのロモ・ウィジョヨ上陸の輝かしい成果は、アノマンの諜報活動による予測と評価のおかげであったといえよう。
 戦争論から見たアルンコ戦はマキャヴェリ Machiavelli 、ジョミニ Jomini 、クラウゼヴィッツ Clausewitz 、マハン・ドーチェット Mahan Douchet 、そしてトロツキー Trotsky といった戦略家たちの本質/仮説に比することができる。
 それは
a. 外交後の実戦は不成功に終わる。
b. 上陸作戦は諜報戦略で得た予測と評価に基づいて行われなければならない。
c. 上陸前にアノマンによる空からの焼き打ちがあった(アノマン・オボン Anoman Obong )。これにより、敵の重要なオブジェクトと士気が失われていた。
d. アルンコ戦役、スリ・ロモの戦略は、古典的な大陸戦争のセオリーと一致していた。
  ーー敵地への奇襲
  ーー敵戦力の破壊、そして
  ーー敵の士気を挫く

 これこそワヤンにおける諜報戦略のパターンの典型である。
by gatotkaca | 2013-04-17 00:04 | 影絵・ワヤン
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