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木から落ちた猿

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ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 第7章

7. 欲望にとらわれてすべてを失ったハルジュノ・ソスロバウ

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スマントリ(左)とハルジュノ・ソスロバウ(右)

 かつてハルジュノ・ソスロバウは、グマ・リパ、ロ・ジナウィ、トト・トゥントゥルム、カルト・ラハルジョなるマエスパティ国の偉大な王であった〈gema ripah, loh jinawi, tata tentrem, karta raharja=ワヤン上演の際、ダランの最初の地語りで語られる国の栄光を讃える言葉。グマ・リパは商業が盛んで街が賑わっていること、ロ・ジナウィとは作物豊かで物価の安いこと、トト・トゥントゥルムとは秩序が整い安寧であること、カルト・ラハルジョとは人々が熱心に働き法が守られていることを意味する〉。しかし後にそのすべては滅んでしまった。彼自身の誤った行為の繰り返しによってである。彼はマゴド国 Magada の王女、チトロワティへの愛に溺れ、彼女の願いを聞き入れた。彼女は王妃となる条件として800人の同じ姿、同じ美しさ、同じ声の娘たちを侍女として与えてくれるよう望んだ。望みは叶えられたが、彼女はまだ満足しなかった。彼女は天界カヤンガン Kahyangan の庭園と同様の美しさをもつ庭園、タマン・スリウェダリ taman Sriwedari を欲しがった。この無理難題も聞き入れられた。ハルジュノ・ソスロバウはすぐに愛する家臣、スマントリに命令書を送った。タマン・スリウェダリの建設費をどこから捻出したらよいのか、スマントリは途方にくれた。そこへラクササ raksasa 〈羅刹〉姿の彼の弟、スコスロノ Sukasrana が現れ助けてくれた。スコスロノは易々とタマン・スリウェダリを建て、チトロワティの欲望を満たしたのである。
 スマントリは王の一族すべてを喜ばせることに成功したのだ。それ以来彼らは贅沢にくらし、毎日タマン・スリウェダリでおしゃべりし、宴を催すようになってしまった。
 ある日、チトロワティはまたおねだりをした。『側妾 maru 』や女官たちと共にマンディ〈mandi=沐浴〉し、遊泳したいというのである。しかし彼女はがっかりしていた。タマン・スリウェダリの池は干上がり、水がなくなっていたからである。
 ハルジュノ・ソスロバウは愛する人のために、トゥリウィクロモして巨大なラクササに変身した。そして河に横たわって眠り、水を塞き止めたのである。水が塞き止められて湖ができた。それは青く美しく、大地に空があるかのようであった。チトロワティと側妾、愛人たちはおおいに喜んだ。りんご、ぶどう、ドリアン、ドゥクといったあらゆる果物が水浴場へ運ばれた。宴が催されたのである。いっぽうスマントリは遠くに宿営し、王を脅かす危険を見張っていた。スマントリの勘がはたらいたのである。まもなくラウォノが現れた。薄布にかくされたチトロワティの身体を見て、ラウォノは堪えきれなくなり、すぐさま彼女をさらおうとした。しかしラウォノの目論みは妨げられた。スマントリがラウォノの十の頭を叩き潰したのだ〈魔王ラウォノは十の頭を持つ〉。アジ・ポンチョソノ aji Poncasona 〈大地に触れると生き返るという呪文〉に守られたラウォノをスマントリは殺すことかなわず、ぎゃくにラウォノの牙に引き裂かれてしまった。
 スマントリの死を聞いて、プラブ・ハルジュノ・ソスロバウは激怒した。眠りから起き上がると、ラウォノを叩きのめしたのである。ラウォノは馬車につながれて、マエスパティ国の広場で『引き回し seret 』の刑に処された。ラウォノはハルジュノ・ソスロバウによって死にいたることはなかった。なぜか?ハルジュノ・ソスロバウはもはやウィスヌ神ではなかったからである。ウィスヌはすでに彼の身体から去っていた。サン・プラブの心持ちの結果である。マエスパティ国に災いが近づいていた。大切にされていたデウィ・チトロワティも、ラウォノの参謀、マリチョの謀略にだまされ、自殺してしまった。妃の死を聞いて、ハルジュノ・ソスロバウは力萎え、心は砕けた。彼は神を呪った。
 さらに愚かにもハルジュノ・ソスロバウはマエスパティ国を捨てて死を求めて彷徨い出た。マエスパティの人々は打ち捨てられ、放っておかれて苦しむこととなったのである。かくて国は彼の意志によって滅びることとなったのである。旅の途中で彼は真のウィスヌの化身たるロモパラスと出会った。ハルジュノ・ソスロバウの身体は罪の救済として、ロモパラスの斧で砕かれたのである。
 この物語には興味深い教えがこめられている。完全なる千としてのハルジュノ・ソスロバウは、その邪な欲望もまた千であったということだ。つまり、邪な欲望を追う人間はつねに、遅かれ早かれ必ずすべてを失うことになるのである。また霊的な視点で見れば、王位、王冠を捨てて死を求めたハルジュノ・ソスロバウの決意は、人間が決意をもって世俗の生活を捨て(禁欲−苦行)、ニルワナ〈Nirwana=涅槃〉、生の完全性を切望することを象徴している。
 このラコンではハルジュノ・ソスロバウがウィスヌ神を探し求めることが描かれている。ハルジュノ・ソスロバウはウィスヌと出会う。そして何が起こったのか?物語は続く。

1976年5月2日 ブアナ・ミング
by gatotkaca | 2013-04-04 13:21 | 影絵・ワヤン
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