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木から落ちた猿

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「トリポモ、サトリヨ精神の神髄、そしてサストロ・ジェンドロ」 その18

読者の意見

17.スマントリ、クムボカルノ、そしてバスカルノの比較(上)

プジャ・W・A博士 Drs. Pudja W.A.

 人間性と関連づけてワヤンを深く知るためには臨床心理学的プロセス、また哲学的考察、そして軍事的戦術に関する考察を用いるのがより近道となるであろう。
 心理学的アプローチ(を用いること)で、動機、内心の葛藤、本能、人物像を形成する行動から『人生の紆余曲折の本質』にいたるまで理解することがでる。しかしこのアプローチ(人物それぞれの精神的プロセスを理解する)は実際には困難を伴う。というのもその人物の客観的で確定的な、信頼性の高い伝記的資料に関する情報が不十分であるからだ。
 通常、ワヤン(ババッド babad=歴史)の物語はフィクションの性格を持つ『文学』であり、『政治的』要請やキ・ダランの主観が加味され、さまざまな変容を生み出し、『スムラウット semrawut 混沌』としてばらばらなものとなっている。とはいえ、美しく、完璧で、特別な興味深い高度のテクニック(アディルフン adiluhung )を有するワヤンの物語が提示されるシシテムは人生そのものの問題を中心に据えている。であるからワヤンの中の観念論にはそれぞれの人が『メル・ハンダルブニ melu handarbeni 〈内に持っている感性に沿うこと〉』(内面化)を感じ、人生と同時に社会の概念を容易に理解できるのだ。
 それゆえ、ワヤンの中の人物たちが、社会を導く手本(模範)としてアイデンティファイ identification されることも不思議ではないのだ。たとえばトリポモのように。
 スラット・トリポモの中の理念は我々を熱狂させるものがある。なにゆえか?スラット・トリポモ(スラカルタのスリ・マンクヌゴロ四世が著したとされている)には、大衆の心をつかむ力がある(本来は士官候補生たちへのアドバイスとして予定されていたものであるにもかかわらず)。二世紀にも渡って人々を魅了し続けていることがその証である。
 これは、トリポモが普遍的な若い世代、特に将官になりたいという野心を持つ者たちにとって精神的思想の基礎(原理)となり得るからだと考えられる。最終的にトリポモは国家の支柱たる戦士の候補たちに対して掲げられ(Yogyaniro kang para prajurit:おお、すべての兵士たちよ)、ワヤン世界のサトリヨから三人を挙げて手本と看做している。すなわちスマントリ、クムボカルノ、そしてバスカルノである。
 各戦士はトリポコロ Triprokara と呼ばれる教義を指針とするよう求められる。すなわち『グノ guna 、コヨ kaya 、プルネ・カン・デン・アントゥビ purune kang den antebi 』、意訳すれば『(祖国・民への)献身、(職務の)達成、そして(公職における成功をなすための自身への)修練』である。
 トリポモによれば、三人の人物たちはその性質・条件を持ち、それぞれの出来事(ラコン)において、全力で目的を達成し得たということになる。ただ社会的背景、役割、人生が異なるため、各々の人物は異なる『格〈kadar〉』を持つ事となる。

スマントリの人物像

 スマントリの人物像は一般的には高慢で、野心家として描かれる。あるヴァージョンの伝記ではスマントリは『トライン・クスモ・ルムブシン・マドゥ trahing kusma rembesing madu 〈trahing kusma=貴族の子孫、rembesing madu=貴族の血を引く〉』の種を持っているとされている〈貴族の後裔であるということ〉。しかし山の麓に留まり、苦行に励む運命となった。とはいえ、都会の喧噪から離れて、若きスマントリは平静な環境で、超能力のパンディト〈僧〉である父バガワン・スウォンドグニ Bagawan Suwandagni から政治学、内面の統制、超能力、そして自己抑制の教えを個人レッスンで受けることができた。手短に言えば、スマントリは強さと重責を担う『資格』を持った若者となったのだ。
 自身の能力と血筋に自負を持つ若者が、いつまでも『山の小僧』に甘んじていられるはずもない。仕事も地位も持たない者をジャワ人は『タンパ・ベベ tanpa bebet(子孫を持てないやつ)』という。
 確かに山の中の生活は『未開発』(遅れて)で、自尊心を『萎縮させる』ものであった。つねに『俺は山の小僧だ、けれど』と心の声がささやき、高邁な理想と大きな夢が心の中一杯に広がる。現在の状況、状態を鋭く分析したおかげで、『偉い人』になるという理想を達成するため、彼は兵隊としてのキャリアを身に付ける道を選んだ。父の前に膝をつき、昂る心を抑え、感情を込めてたどたどしく、王の司令官として都会で働きたい、彼の仕える王は彼以上の超能力の人である、と話すのである。その『声明』は苦行所に『驚き』をもたらす。賢明なる『サン・パンディトからのサスミト〈sasmita=比喩を用いて告げること〉を受けて』、彼はマエスパティ国王、プラブ・ハルジュノ・ソスロバウに仕えるための『説明』を与えられる……そして……。

a. 上記の事柄以外に、心理学的にスマントリは社会との関係が阻害され、自分の価値に不足を感じていた(劣等感)とも言える。自身の立ち位置を確保するための『補償』を求め、それが過剰なもの『過剰補償〈 Overcompensation ;過補償とも言う。心理学用語で、劣等感・罪の意識などを克服しようとして過度な行動をとること〉』となってしまったとも言える。
 別の世界で高い成功を成し遂げることで、自身のおかれた境遇の不足を補おうとしのだ。『俺は山の小僧だ、けれど……』という言葉には、そのような意味が隠されている。『高慢で野心家』という態度を取ることは、スマントリのもつ隠された一面の表れとして理解できるだろう。
b. 『権力への奮闘』(〈出世への〉もがき)の過程において、スマントリは確固たる実際的原理『言行一致』を身につける。彼が『赤は赤、白は白』という時、そこに意志はない。『ジョボ・プティ、ジェロ・クニン njobo puti njero kuning 』(外は白、中は黄)なのだ。このような者は『先進的』な若者と言えるだろうし、さらに言えば彼は現代でも生きていると言える。彼がサン・プラブ・ハルジュノ・ソスロバウの能力を『評価』しなければならなかった『反乱』は単なる政治的野心を動機とするものではない。この『ダルマ(運命)』は、かつてサン・バガワン〈父〉の前で言った誓いの論理的帰結なのである。スマントリは模擬の一致打ちを行う事に成功し、サン・プラブの卓越性を確認したのである。そうとはいえ、彼は王にとって『ペルソナ・ノン・グラータ〈原文:dipersona non gratakan: persona non grata=不要の者〉』では無い。かくてさらなる仕事が与えられる。それは妃のレクリエーションの場として、タマン・スリウェダリの園を建設することであった。それはカヤンガン(天界)にあるものと素材も見た目も正確に同じであることが求められた。自身の『引き分け』というスキャンダルに対して、サン・デウィ・チトロワティに『力不足〈milik nggendonlali〉』と思われないために。また政治状況とサン・プラブの反応を促す戦略として。サン・デウィに対する真心の証として、生涯誰も妻とする事の無い『不婚』の誓いも立てた。
c. 『利口ぶったリスが飛び上がれば、すぐにひっくり返る〈sepandai-pandai tupai meloncat, sekali terpelanting juga〉』と諺に言う。スマントリにも限界と手落ちは生じた。『偉丈夫〈資格を持つ者〉』として知られたスマントリといえども不可能はある。その庭園を作るという仕事の困難に板挟みになった時、スコスロノという名の弟が現れ、仕事の成功を手助けしてくれる。ここでミスが生じる。スマントリは弟を苦行所へ追い返そうとする(彼の『姿』を恥じて)が、王妃がタマン・スリウェダリで彼と会ってしまい、『気絶〈mental schok down〉』する。かくてスコスロノは彼に殺されるのである。スコスロノの魂は『ギパ・イパ ngipat-ipat〈呪う〉』(重要な忠告を与える)。後の日に十の顔を持つ王がマエスパティ国を奪うであろう、と。

 道徳的コンセンサスと照らし合わせれば、スコスロノとは哲学的には「公正な性質」のシムボルを形成する(彼は実際、スマントリ自身の『アリ・アリ(ari-ari 胎盤)』すなわちプラセンタ(胎盤)である)。スコスロノは姿は醜いが正直者である。であるから、『スマントリ、スコスロノを殺害』の事件は、自意識発展のプロセス、また騎士道としての誠実さが、崇高な規範としての誠実さを忘却する(殺す)こと、と鑑定することができよう。……『sabarang polah kang nora jujur, yen kabanjur sayekti kojur tanbecik, (みんなが不誠実なわけではない、恨みつづけるのは、善くないことだ)』、というウランレー〈スラット・ウラン・レー serat Wulang reh〉の一節が想い起こされる。不誠実なる者は破滅する。かくてスマントリはラウォノロジョの牙に斃れるのだ。スマントリが『不幸』に見舞われるのは、彼の行為を原因とする、『既定〈kebanjur=terlanjur〉』のこと……『過剰補償』の犠牲であったのだ。


(つづく)
by gatotkaca | 2012-10-16 00:09 | 影絵・ワヤン
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