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木から落ちた猿

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「アルジュノ・ウィウォホ」の前後 2

 ワヤンにおいては「カンディホウォ」を通じてその出生が語られるニウォトカウォチョであるが、どんな人物として認識されているのかを知るために、「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」のニウォトカウォチョの項を掲げる。

 「ニウォトカウォチョは、ニルウォト・カウォチョ Nirwata Kawaca またニルビト Nirbita とも呼ばれる。プラブ・ニウォトカウォチョ Niwatakawaca はマニマントコ Manimantaka 国の王である。この国はワヤンでは時々イマニマントコ Imanimantaka とも呼ばれる。このラクササ姿の王はエムプ・カンワ Empu Kanwa 作の「カカウィン Kakawin 」の書、『アルジュナ・ヴィヴァーハ Arjuna Wiwaha 』の主役のひとりである。この書はカウリパン Kauripan 国王、プラブ・アイルランガ Prabu Airkangga の治世(1019〜1042年)の時代に成立した。
 ワヤンでは「アルジュノ・ウィウォホ」の物語はラコン「ミントロゴ Mintaraga 」あるいは「ブガワン・チプトニン Begawan Ciptanig 」として知られている。インド版マハーバーラタでもニウォトカウォチョの物語が語られている。エムプ・カンワの書、またワヤンでの物語とマハーバーラタでは、その物語が大いに異なる。
 プラブ・ニウォトカウォチョには、すでにビダダリである妻、プロボシニ Prabasini がいたが、彼は満足せず、デウィ・スプロボ Dewi Supraba をも妻にしたいと欲した。彼は神々にデウィ・スプロボを要求し、叶えられなければカヤンガンを攻撃すると脅した。神々ははっきりと答えることができなかった。というのもこのラクササ王に対抗し得る者がいなかったからである。
 一方、他のパンダワたちと共に12年間の追放中であったアルジュノは、ウィトロゴの洞窟に赴いた。苦行中、アルジュノはブガワン・ミントロゴ、またブガワン・チプトニンと称した。七人のビダダリたちが神の命令でアルジュノを誘惑したが、その苦行を妨げることは出来なかった。試練に耐えたアルジュノは褒美として、 パソパティ Pasopati という名の超能力の矢を授けられた。
 アルジュノはデウィ・スプロボを伴ってマニマントコの宮殿に向かった。この美しいビダダリをプラブ・ニウォトカウォチョの第二夫人として差し出し、ニウォトカウォチョの弱点を聞き出そうとしたのである。王は始めのうちは断ったが、誘導と阿諛の末、ついにニウォトカウォチョは、その弱点が舌の根元にあることを明かした。
 アルジュノは呪文、アジ・パングリムナン Aji Panglimunan を使ってデウィ・スプロボの近くにいて、その秘密を聞いていた。その呪文は、姿を消すことのできるものであった。
 敵の弱点を知ったアルジュノは姿を現し、プラブ・ニウォトカウォチョと戦った。アルジュノは負けたふりをして、めった打ちされた。勝利を確信して満足したプラブ・ニウォトカウォチョは高らかに哄笑した。その時、アルジュノは彼の舌の根に狙い定めて超能力の矢、パソパティを放った。ニウォトカウォチョはたちまちのうちに斃れたのである。
 プラブ・ニウォトカウォチョはデウィ・プロボシニとの間に三人の子をもうけた。
 長子のブミロコ Bumiloka は、後にマニマントコの王位を継承した。二番目はデウィ・ムストコウェニで、美しい娘として生まれ、後にアルジュノの息子の一人、バムバン・プリアンボド Priambada と結婚した。末子のブミサンゴロ Bumisangara はマニマントコの大臣となった。
 ニウォトカウォチョはラクササ姿であるが、母のデウィ・ドゥルニティ Durniti は美しい女性で、父のバムバン・カンディホウォ Kandihawa も美丈夫のクサトリアであった。
 それはこういうわけである。バムバン・カンディホウォはスリカンディ Srikandi の変身であり、デウィ・ドゥルニティと結婚に際して、ラクササ姿のブガワン・アミントゥノ Amintuna と性器を交換したのである。
 ニウォトカウォチョは片目である。彼が青年の頃、天界のデウィ・スプロボを覗き見したことがあった。覗かれていることに気付いたデウィ・スプロボは、髪留めピンで彼の目を突き刺したのである。」

 ニウォトカウォチョが片目である、という設定はジョクジャ・スタイルで成立したようで、ソロ・スタイルの人形では特に表現されていないが、ジョクジャ・スタイルのニウォトカウォチョは確かに片目で造形されている。

ソロ・スタイルのニウォトカウォチョ
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ジョクジャ・スタイルのニウォトカウォチョ
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 彼が片目になった由来を語る物語には異説があり、同じ「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」のラコン〈演目〉解説の項目には「ニルビト Nirbita 」というラコンが紹介されている。

 
 「歳を経たプラブ・ディケは、王位を孫のニルビトに譲る事にした。しかし王として立つ前に、(ニルビトは)その父、アマルトのカンディホウォよりの祝福を受けなければならなかった。そこでニルビトはすぐさまアマルトに向った。途中、ナロドと出会い、サブラン(海の彼方の国)の王として承認され、旅を続けた。
 アマルトに到着し、彼はアルジュノの娘と、ドロワティの皇太子ソムボの結婚の準備に追われるパンダワたちと、その息子たちに会った。ニルビトは客として遇されず、来たばかりなのにアビマニュ、ガトゥコチョ、スミトロたちに追い出されようとした。しかし、ニルビトは力強い大丈夫であったので、パンダワの息子たちは、彼を追い返すことができなかった。ビモですら彼を追い立てることができなかった。アルジュノが出て対峙した。クレスノの進言によりニルビトは片方の目に矢を受けた。
 アルジュノは(クレスノの)忠告に従ってすぐさま敵に矢を放った。傷を受けたニルビトは激怒して、アルジュノに向って叫んだ。後の日にニウォトカウォチョ(ニルビト)が報復を為すだろう、と。ニルビトはマニマントコ国へ戻り、来るべき戦いに備えて、超能力を得られるよう、罪を清める為に苦行に入った。
 このラコンはラコン・チャランガンに含まれ、ポピュラーではないが、よく上演される。」

 ニルビト=ニウォトカウォチョが片目になることの意味は、現時点では不明としか言いようがないが、彼が「アルジュノ・ウィウォホ」単発の敵役に止まらず、ニウォトカウォチョ説話群ともいえる一連のラコンが生じたことには、何らかの意味があるように思える。
by gatotkaca | 2012-05-29 16:23 | 影絵・ワヤン
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