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木から落ちた猿

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ジャワ・ワヤンの図像変容要因 その1

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 これは今日のジャワ、スラカルタ(ソロ)・スタイルのワヤン人形である。
(左からユディスティロ、アルジュノ、クレスノ。いずれもマハーバーラタの主役たち)
 人形というには、やや人間ばなれした造形で、特に狐のように尖った顔はジャワのワヤンに特有のものである。バリ島のワヤン・クリは、こちら↓
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(左からユディスティロ、アルジュノ、ビモ。)
 こちらは、ずっと普通の人間に近い造形である。バリの造形は、15世紀のチャンディ・スクのレリーフに見られるものと、大きな差異はない。
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アルジュノ
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ビモ

 ヒンドゥー時代のワヤンの造形は、より自然な造形であったと思われる(ワヤン・クリであったかどうかは不明だが)。ジャワのワヤン図像が、今日のようなデフォルメを受けたのは、一般的には、「モジョパイト王国からイスラム教を奉ずるデマク王国(1478〜1528年)に移り、しだいに登場人物たちの顔貌がはげしく変えられる。それまで人間の自然な顔に似せていたものが、ワリ・ソゴたちにより、偶像否定のイスラムの理念に則り、イスラム神秘主義であることから人形否定にまではいたらないながら、その顔は鼻先長く、人間の顔には違いなかったが解剖学的には異様な面貌へと変質していったのである。(『ワヤン・ジャワ、語り集成』松本亮 2009年 P.869)」と説明される。つまり、イスラム・イコノクラスム(偶像破壊)の結果であるということだ。
 これら、バリ(ヒンドゥー時代の造形)とジャワ(イスラム以後の造形)の中間的図像として今日目にすることのできる資料は、ワヤン・ベベルである。
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 上に揚げたのは東部ジャワ、パチタンのグドムポル村に伝わるワヤン・ベベルの一場面である。これはモジョパイト王国末期に村に伝えられたといわれるが、実際はもう少し後の時代のものであろう。であっても16世紀初頭ころの造形を伝えるものであるとは考えられる。ここでの造形はすでにバリよりもジャワのそれに近くなっている。というより、あと一歩でジャワの造形といえる。ジャワのワヤンの造形は、15世紀末から16世紀初頭にかけて成立したといえるだろう。このわずか100年ほどの間の造形的ジャンプが、イコノクラスムによって生じたという従来の説は、バリとジャワの間にある造形的なジャンプを説明するにはやや説明不足な気がする。この間にもう一段階何か、造形変化を促すファクターがあったのではないだろうか?
(つづく)
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by gatotkaca | 2011-08-09 18:16 | 影絵・ワヤン | Comments(0)
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