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木から落ちた猿

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『スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ上演におけるスマルの役割』その2

ワヤンの演目でのスマルの護持者としての役割

 ジャワのワヤン・クリ・プルウォで上演される殆ど全ての演目にゴロゴロの場面はある。大戦争バラタユダを扱う一連のシリーズでは、ゴロゴロは通常短くされ、観客と関わるユーモアある対話
もなくなる。これは、通常の演目とは異なる。通常の上演では、現在のゴロゴロは急速な発展を遂げており、観客との即興的対話を散りばめ、芸人を舞台にあげ、さまざまな歌を採り上げる。
 ゴロゴロに、時として観客を満足させるために一時間以上も時間をかけることもある。スマルが、主役を含む重要な役割を担う演目でも、ゴロゴロの場面は上演される。スマルを中心に採り上げる演目として、『キラット・ブウォノ』、『タリ・ロソ、ロソ・タリとタリ・ブウォノ』『ガトコチョ・スンギン』、『スマル・グガ』、『スマル・ミンタ・バグス』、『バトロ・ウィスヌ・クロモ』、『スマル・タムバ』、『マヌモヨソ・ラビ』、『パンドゥ・ラヒル』、『パンドゥ・クロモ』、『ミントロゴ』、『スマル・クニン/バドロヨノ』、『スマル・ムバングン・クランピス・イルン』、『スマル・ムバングン・カヤンガン』、『スマル・ムバラン・ジャントゥル』などがある。これら以外の演目でも、スマルは主要な役割を担うが、ユーモラスな部分に比べてポピュラーではない傾向がある。
 しばしば上演される演目での民衆に対するスマルの役割は次のように分類することができよう。(1)スマルは、マニクモヨつまりグル・デウォ、ワヤンではしばしばバトロ・グルと呼ばれる神を含む神々よりも力を持つ。スマルは見識無く、過った行為をした彼らに怒る。(2)スマルはクサトリアたちが重要なものを見失った時、方向を真直ぐに直し良い方向へ仕向けるために、高位の場としてのカラン・ケドゥムプル Karang Kedempel へ去る。そして三つ目として、スマルは召使い/師として、重要な導き手たる人物なのである。
 これに関わる演目は次のようなものである。

ラコン(演目)『キラット・ブウォノ Kilat Bhuana 』
 このラコンでは、バトロ・グル(グル・デウォ)が、アスティノ国で、キラット・ブウォノという名のパンディト(僧)となる。グル・デウォは、バラタユダを失敗させようと画策する。アスティノへ来たキラット・ブウォノはドゥルユドノと会い、パンダワを招待する。キラット・ブウォノの言うには、二つの兄弟たちの争いは、みっともない、両者は和解すべきであるというのだ。平和を達成するために、キラット・ブウォノはボゴ・サムピル Baga sampir (生贄)を捧げ、犠牲とする必要があると説く。ボゴ・サムピルとなるのは、スマルに他ならなかった。アルジュノに、スマルの犠牲を用意する役が与えられた。スマルはグル・デウォの悪意を知って怒り、イスモヨの化身たる、チャハヤ・ブウォノという美しい武将に変身した。スマル殺害は果たされず、キラット・ブウォノは正体(badar ujudnya)を表し、グル・デウォとなったが、チャハヤ・ブウォノ(スマル)に敗れた。

ラコン『ガトコチョ・スンギン Gatotkaca Sungging 』
 ラコン『ガトコチョ・スンギン』において、ブトロ・グルは、ガトコチョがカヤンガンにそっくりなプリンゴダニという国を建国したことに怒った。怒りをはらすために、グル・デウォはブガワン・ニロヤクソ Nilayaksa というラクササ姿のプンデトに変身した。グル・デウォはガトコチョを殺そうとして、マンドロ・ユド Mandala Yudha という武道会を催した。超能力のガトコチョは彼を殺しうる武器が無いことで恐れられていた。グル・デウォは、ガトコチョを助けるスマルも殺そうとした。
 戦いにおいてはほとんどのパンダワたちも彼に勝てなかった。状況は緊迫したが、幸いクレスノは何がおこったのか理解し、スマルに戦いへの参加を命じた。スマルはグル・デウォがバラタユダでコラワ側に味方しようとしていることに大いに怒り、彼と戦い勝利した。コラワに組するニロヤクソはスマル相手に戦い、スマル・バドロヨノに敗れ、ついに仮面を剥がされたグル・デウォとなった。

ラコン『タリ・ロソ、ロソ・タリとタリ・ブウォノ Tali Rasa-Rasa Tali dan Tali Buana 』
 このラコンでグル・デウォとナロドは、地上でロソ・タリとタリ・ロソという者になる。ふたりのクサトリアはサムボ Samba のように美しかった。ふたりは、アスティノ国へ向かい、レスモノワティ Lesmanawati をからかった。コラワは怒り、二人に対したが、倒すことができなかった。スンクニは、策略を用いて、アルジュノがアスティノでレスモノワティと関係したという報告をパンダワに送った。アルジュノはスンクニの報告を聞き、それがスンクニによるものであるから、知らぬふりしていた。スマルはアルジュノにクサトリアの使命を認識させようとしたが、スマルはアルジュノによってガレン、ペトルと共に追放されてしまった。
 ある洞穴で、ガレンとペトルはグル・デウォとナロドの衣類を見つけた。ガレンとペトルは、神に変装した。スマルはふたりの神の服を見て(真相に)気付き、美しい武将、タリ・ブウォノに変身した。タリ・ブウォノは懸命に(ngrame)苦行し、困窮にある者への助けを求めた。己の過ちを感じたアルジュノだったが、ロソ・タリとタリ・ロソを撃退することはできなかった。二人は、スマルが変じたタリ・ブウォノに敗れ、グル・デウォとナロドの正体を現した。過ちを認めたグル・デウォはスマルに謝罪し、二人はカヤンガンへ帰るよう命じられた。天界に戻ったグル・デウォは驚いた。というのも、すでに偽のグル・デウォとナロドがいたからである。スマルの助けで、二人の神は敗れ、ガレンとペトルの正体を現した。

ラコン『マクト・ロモ Mahuta Rama 』
 このラコンでは、ブトロ・グルはアルジュノを殺そうとする。ブトロ・グルは、ブガワン・キソウォデシから、アルジュノにワフユ・マクト・ロモ(ロモの王位の天啓)が降りることを妨害しようとする。このブトロ・グルの善からぬ企みはスマルの知るところとなり、ブトロ・グルは叱責され、敗れる。

『スマル・ミンタ・バグス』
 この物語で、スマルはアマルト国を去る。アルジュノによって軽んじられ、侮蔑されたからである。アルジュノは無謀にも彼の訪問に唾したのである。アルジュノはその行為がスマルの心を傷つけるとは自覚していなかった。
 なんと、傷心したことであろう。スマルは、親として幼少からアルジュノを育て上げ、不足のないサトリヨとなれるように導いて来た。それが今や価値の無い奴隷として扱われたのだ。スマルはすぐさまサプトアルゴのブガワン・アビヨソに不満をぶちまけた。ブガワン・アビヨソも悲しみ、アルジュノの過ちを許してくれるよう頼んでみた。スマルはまだ屈辱を感じたままで、彼がクサトリアたちを超える力を持つことを証明し返そうと望んだ。アビヨソはスマルがアマルト国から出奔することを恐れていた。スマルの導き無しでは、アマルト国は崩壊してしまうからである。スマルの出発を止めようとするアビヨソの努力は不成功に終わった。
 怒りに満ちたスマルは、直ちにかやんがんへ向かい、地上で経験した運命に不服を申し立てた。スマルは昔のように立派な姿に戻してほしいと、グル・デウォに訴えた。グルや他の神々はスマルの心を目覚めさせることが出来なかった。無理も無いことだったからである。それ故、スマルの心を満足させようにも、一時しのぎにしかならなかった。
 スマルはかくて美しく、立派な武将に変身し、バムバン・デウォ・ルノロと名乗った。一方、息子のバゴンはバムバン・ルンコロとなった。バムバン・デウォ・ルノロとバムバン・ルンコロはすぐさま地上に戻り、プラブ・スティヨウィジョヨを征服してプダ・セテグル国の王となり、プラブ・スティヨウィジョヨと宰相のドソポドに、スラット・ジマット・カリモソドを盗むように命じた。
 その超能力で、パティ・ドソポドはスリ・クレスノに変身してジマット・カリモソドを盗むことに成功した。しかしその詐術はスリ・クレスノの知るところとなった。スリ・クレスノに教えられて、パンダワたちはプダ・セテゲル国へ向かい、スマル自身に他ならない、バムバン・デウォ・ルロノに対面し、ジマット・カリモソドの返還を願った。
 バムバン・デウォ・ルノロはスマルに戻り、喜んでジマット・カリモソドをパンダワたちに返した。パンダワたちは、スマルの庇護がなければアマルト国が崩壊するであろうことを自覚した。

『スマル・ポポ』
 演目『スマル・ポポ』で、アビマニュは偽のアビヨソから、アマルト国が災厄(マラ・プタカ)から免れるため、スマルを殺すよう命じられる。パンダワたちはアビヨソの命令を聞き、困惑し悲しんだ。そうするしか選択の余地がないからである。命令はオンコウィジョヨ(アビマニュ)によって実行されることとなった。
 オンコウィジョヨは自身の師を殺すことを悲しんだ。スマルは神の化身であり、スマルはサン・ヒワン・イスモヨである。スマルはすべてのことに迷いも疑いも持たなかった。涼しげに笑ってスマルはオンコウィジョヨに、自身を焼いて殺すように、と命じた。
 スマルを焼くと同時に、パンダワはサプト・アルゴの祀堂がセトロゴンドマイトのラクササたちに破壊されたという知らせを受けた。パンダワたちは直ちにサプトアルゴを救うために赴いた。パンダワの武将は全員失敗した。勇猛で知られるビモは、ラクササ・シルマン(目に見えないラクササ=セトロゴンドマイトのラクササ)のコロ・ジョロメアとジュルメアの変身したチャントリック(僧の従者)と戦い、敗れた。ビモは泥の沼に投げ込まれ、溺れかけた。ビモはうめき声を上げた。スマルの超能力がビモを死の淵から救った。その時、サプトアルゴから駆けつけたパンダワたちも、ビモを助けたスマルと出会った。彼らは、スマルがまだ生きていたことをひじょうに喜んだ。スマルはパンダワの武将たちと共に、サプトアルゴをラクササ・シルマンから解放するために向かった。
 スマルの助けでシルマンたちは敗れた。アビヨソの偽者はスマルに敗れ、正体を現し、ドゥルゴとなった。にせのブガワンの正体はドゥルゴだったのである。この演目の一連の物語は、クサトリアたちに警告と注意を思い起こさせる。召使いでありながら師であるスマルは、クサトリアに必須の知恵と英知を持っているのである。

演目『スマル・ムングガ』
 アスティノ国は、ルシ・ウィスノとデウォ・ウィスノという貪欲な二人の支配者の到来で混乱した。スマルはカラン・クドゥペウルへ去り、パンダワの武将たちは不安をおぼえていた。スマルはカヤンガンへ赴き、サンヒワン・ウェナンに訴えた。無謀にもアスティノに害を為すのは何者なのか、と。サンヒワン・ウェナンは、アスティノを安寧たらしめ得る者はスマルである、と教えた。明かならぬ妨害に備えて、スマルはブガワン・モヨルントというプンデトに変身した。モヨルントは、助けを求めるクサトリアたちを救うため、激しい苦行(tapa ngrame )をしなければならなかった。
 途中で、モヨルントはアビヨソ、ガレン、ペトル、クレスノと出会った。クレスノは、災厄の中にあるパンダワたちを助けてくれるようにモヨルントに頼んだ。パンダワたちは説教を受ける前に森の中で自身の血でマンディ(沐浴)するよう命じられたのであった。マンディが終わってすぐに、ルシ・ウィスノはトゥリスロ(武器)を突き付けようとしている。トゥリスロが刺さる前に、スマルは戻り、ルシ・ウィスノとデウォ・ウィスノに挑戦した。ルシ・ウィスノは正体を現し、グル・デウォに、デウォ・ウィスノはジョロメヨになった。グル・デウォがモヨルントにトゥリスロを打ちつけると、正体が現れスマルとなった。スマルとグル・デウォの戦いはサンヒワン・ウェナンによって引き離された。グル・デウォはスマルに許しを乞うた。この演目において、スマルは正しい行為の規範となるべきグル・デウォが、ルール違反を為したことを訴えるのである。

演目『スマル・ムバラン・ジャントゥル』
 スマル・ムバラン・ジャントゥル(スマル大道芸をする)は、歌手(芸人)としてのスマルを描く。この演目の中でスマルは歌手になる。モンドロコ国のプラブ・サルヨの娘、デウィ・イロワティ Irawati がティルトカンダサン国の王、カルトピヨゴに誘拐されたのである。
 若かりしアルジュノはポノカワン、スマル、ガレン、ペトルと共に、イロワティ捜索を手助けしようとする。しかし、プラブ・サルヨによって催されたサユムボロ(花嫁獲得競技)には参加するつもりはなかった。アルジュノはバヌワティの美しさを見て、デウィ・イロワティ捜索の途中であるにもかかわらず、心を動かされ、誘惑された。アルジュノの恋煩いは、バヌワティの姉スルティカンティからバヌワティのことを教えられたからであった。彼の行動に苦しめられたスルティカンティに、アルジュノは呪いを受けた。アルジュノはあとで堪え難い空腹と喉の渇きを覚えるだろう、と。
 アルジュノが森の中で倒れた時、それがスルティカンティの呪いにようものだと解った。アルジュノの餓えを満たすため、スマル、ガレン、ペトルはウィドロカンダン村へジャントゥル/大道芸をしにいくよう頼まれた。ウィドロカンダンには、ワシ・ジョロドロという名のプンデトが、妹のブロトウィジョヨと共に住んでいた。
 大道芸のおひねりとして、スマル、パエトル、ガレンは、ナシ・トゥムペン(ご飯を円錐状に固めたもの)と市場の軽食を求めた。おひねりが用意され、スマル、ガレン、ペトルは芸を披露した。上演が終わり、スマルは報酬を持ち帰るために、ナシ・トゥムペンと市場の軽食を一つにまとめて持っていった。おひねりはアルジュノに与えられた。空腹のあまりアルジュノはすぐさまおひねりの包みを開けた。アルジュノは怒ってウィドロカンダンへ向かったが、ワシ・ジョロドロに会い、おとなしくなった。互いに名乗り合い、兄弟であることが解ったからである。すべてはスマルの思惑どおりであった。
 この演目では、スマルは後で説明する。まず、彼(アルジュノ)の行為の過ちについて。第二にアルジュノにイロワティ捜索の仕事を思い出させ、あたりかまわず食事をとることは許されない、と教える。第三に、バヌワティは彼の妻となるべき人ではないことを。かくてアルジュノはワシ・ジョロドロに、盗人にさらわれたデウィ・イロワテイの捜索の手助けを願う。その超能力でワシ・ジョロドロは再び現れた盗人を捕らえた。ジョロドロはカルトピヨゴを殺す。この演目においてスマルはクサトリアにその職務を想起させ、魅惑的な女性の誘惑に惑わされないようにする役割を持つ。

演目『スマル・クニン』
 演目『スマル・クニン』では、スマルはティダルの丘で苦行し、黄色の光(チャハヤ・クニン)を放つ。物語の始めはこのようである。スマルはクサトリアたちや神々が『トゥハンの徳 paugeraning (pangeranin) keutaaan 』をないがしろにしている様を見て、傷心した。スマルはアビマニュが、彼のクンチュンガン(冠毛)を握って侮蔑したことに、心が傷ついたのである。スバドゥラ(スムボドロ)は、ガレン、ペトル、バゴンと共に、アルディ・アルジュノ山に苦行に赴きアルジュノ・ジャルルと名乗った。間もなくクレスノがやって来て、ガトゥコチョに頼んだ。アスティノを支配するグントゥル・ワセソ、グントゥル・ダホノ、グントゥル・マルトを撃退するように、と。ウジュン・ティリス国の大王アジ・ギヌンと大臣クンディトミマンの支援によって彼らはアスティノに現れたのである。アスティノの全軍は敗れ、追い出されてしまった。この戦いで、アルジュノ・ジャルルは敗れ、スバドゥラの正体を明かした。クレスノは困惑し、ついにティダル山へ赴き、スマル・クニンに助けを求めた。スマルはすぐアスティノへは向かわず、ティリス国へ赴いた。その支配者アジギヌンとテジョラクの正体はナロドであった。スマル・クニンはかくてアスティの国へ向かい、グントゥル・ワセソ、グントゥル・ダホノ、グントゥル・マルトを撃退した。すべて神々の化身であったのだ。グントゥル・ワセソはインドロ、グントゥル・ダホノはブロモ、グントゥル・マルトはバユ、そしてグントゥル・クトゥックはサムブであった。スマル・クニンは最後にスマルとなった。スマルは世界を破壊から守る守護者なのである。

結論
 スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ上演における、マハバラタ演目群でのスマルは、重要な役割を担っている。スマルの役割はクサトリアたちの召使い/師(abdi/pamomong)であり、徳の胚芽を育て、人間と神々の全世界との関係のあり方を調和させ、統合し、調整する監視者でもある。スマルは混乱、困惑の状況たるゴロゴロ(騒動)の事態や世界を破壊しようとする地上の人物による世界の動揺に対して行動を起こす人物であると言える。スマルの関与によって、演目は正常に戻り、良好な終演に向かうのである。ワヤンにおいて、スマルは(世界を)維持する重要なキャラクターとしての役割を担っている。スマルがいなければ安寧は無く、災厄が起こるのである。スマルは全てが謎に包まれている。彼は自身の利益を求めない。クサトリアとしてのスマルは真に重要で、幸福をもたらし、誠実さと自己犠牲の人である。スマルが怒れば、グル・デウォを含むすべての人物はスマルに敗れる。スマルの怒りは世界を正常に回復させるためにある。スマルは演目のすべての時代に生き、観衆に多大な影響を与える人物なのである。

参考文献
Bastomi, Sueaji. 1995. Gemar Wayang.
Semarang: Dahara Prize.
Branen, Julia. 2002. Memadu Metode
Penelitian Kualitatif dan Kuantitatif.
Yogyakarta: PustakaPelajar.
Budi Prasetya, Hanggar. 2005. Konsep
Badar dalam lakon Carangan
Pewayangan Tradisi Yogyakarta
dalam Harmonia Jurnal Pengetahuan
dan Pemikiran Seni.
Semarang: UNNES.
Kodiron, 1967. Serat Pakem Pedalangan.
Solo: Pelajar.
Padmosoekotjo. 1986. Silsilah Wayang
Purwa Mawa Carita. Surabaya: BP
Balai Pustaka.
Masinambow, E.K.M dan Rahayu S.
Hidayat. 2001. Semiotik Mengkaji
Tanda dalam Artifak. Jakarta:
Balai Pustaka.
Mulyono, Sri. 1982. Apa dan Siapa Semar.
Jakarta: Gunung Agung.
1979. Simbiolisme dan
Mistikisme dalam Wayang. Jakarta:
Gunung Agung.
Santosa. 2004. Mencermati Seni Pertunjukan
II Perspektif Pariwisata,
Lingkungan dan kajian Seni
Pertunjukkan. Surakarta: The Ford
Foundation dan Program Pasca
Sarjana STSI.

(おわり)
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by gatotkaca | 2012-02-20 04:19 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

『スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ上演におけるスマルの役割』その1

 ネット上で見つけた論文?。2009年付けになっているもので、『PERAN SEMAR DALAM PERTUNJUKAN KULIT JAWA GAYA SURAKARTA / Randyo
/ Institut Seni Indonesia Surakarta 』と題されている。新しめの情報だと思って訳してみた(わたしは訳さないと内容がわからないので)。学生さんの論文なんでしょうか?文章表現もわかりにくいし、内容もいまひとつ、というかムルヨノ氏の見解をそのまま踏襲したものである。選定したラコンもムルヨノ本と殆どだぶっているし。やや損をした気分だが、多少新しい情報も入っているので、せっかくだから紹介しておく。nstitut Seni Indonesia Surakartaでは評価されたのだろうか。一定の評価をうけているのであれば、ムルヨノ見解は、20年以上経た現在でもアドバンテージがある、ということになる。
 最後に付いている参考文献は研究者にとっては情報になるかもしれない。

スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ上演におけるスマルの役割

ランディヨ
インドネシア・スラカルタ藝術学院(Harmonia Volume 9 No 2 2009)


要約(原文英語)
 スマルは謎めいた人形のキャラクターであり、曖昧な存在である。スマルは影絵芝居のあらゆるヴァージョンに現れる。影絵芝居の物語において、スマルは主に二つの役割を持って現れる。ひとつは、上演における最重要の役割を担う人物たちの基盤を支え得る人物として、つまり物語の進行を決定する素因よりも、彼の存在が先行するということである。二つ目は、物語自体に直接的利害関係を持つ場合である。例えば、『キラット・ブウォノ』『スマル・クニン』、『スマル・ポポ』、『スマル・ムバラン・ジャントゥル』などである。スマルはスードラ階級(カーストにおける第三階級)の人物であり、一般人として表される。人生哲学を『含む lebet 』影絵芝居において、スマルの存在は(物語の中の)事件よりも先行する、いわば、特別な事件なのである。影絵芝居の中でのゴロゴロは、人形のキャラクターの多様さによって、宇宙の出来事の主要なものとして注目される。それは、スマルの出現によって鎮められる。調和の雰囲気がスマルの所作によって醸し出され、彼の説く様々な説明で威厳を備えるのである。スマルはその意図に基づいて、物語に『調和 mulih 』を達成させ、物語の調和を回復するのである。全てが通常に戻ると、スマルは時として、他のポノカワンたちと共に新鮮な息吹とユーモラスな味付けを運び込む。それは観衆との信頼関係を確立する。スマルは世界の調和を生み出す戦いへの純正なる魂を持つ、騎士たるキャラクターを象徴するのである。

前書き(以下原文インドネシア語)

 スマルという名称は、いくつかの地域で、ジャワの民衆の生活におけるシムボルの対象として見出すことが出来る。スラカルタでは、スマルはバティック・スマルというバティック製作所の名前にもなっている。ウォノギリにはワヤンのスマルの姿と似た丸い形の丘が、スマルという名で多くの人々に知られている。カランガニャルにも瞑想の場としてスマルの像が立てられている。スマルという人物からお恵み/アンサル angsar のあるようにと、スマルの名を用いるのである。ジャワ社会に伝わる文献が少ないため、スマルという名(の由来)を追うことは困難である。ジャワの伝承は通常、口承伝承であり、口から口へと伝えられるうちに、メッセージの受け手の印象で、たやすく変化してしまう。スマルという名称の意味の混乱は、多くの変容と、さまざまな見解を生み出し、哲学的文脈において、より詳細なレパートリーと意味の広がりを増加させることを止めなかった。ジャワのワヤン・クリ上演において、スマルという人物の名は時代を超えて存在し、生き残ってきた。ジャワのワヤンにおけるスマルは、ジャワ文学に採り上げられたスマルでもあると言えよう。ジャワのワヤン・クリでのアルジュノ・ソスロの物語でも、スマルはスマントリの守護者として付き従う。スマントリは、国への忠誠によって、後にマエスパティ国で大臣スウォンドとなる。スマルはスウォンドに最後まで付き従うのである。
 ラマヤナの演目では、スマルはいつも、超能力を持ち、賢いセノパティ(司令官)、アンジャニの息子のアノマンに従う。アノマンは、最後までスリ・ロモウィジョヨに仕えた。
 マハバラタの演目では、スマルはウィロトの子孫、マヌモヨソに仕えた。マヌモヨソの亡くなった後、スマルはアスティノ王、パンデゥデウォノトに仕えた。パンドゥが亡くなった後は彼の子孫、アルジュノに、そしてその子のオンコウィジョヨ、またの名アビマニュ、そしてパリクナンまで仕えた。
 スマルの仕えた系譜を見ると、すべての演目に渡る。スマルはつねに公正なるサトリヨに仕えることを望み、献身に満ちて、地上の調和を見張り続けるのである。スマルの人物像にはいくつかの変容と謎めいた造形を見出せる。ワヤンの演目のいくつかのヴァージョンから、スマルの人物像の、より完全で的確な意味を探ってみたい。インド起源の文学作品としてのマハバラタの物語には、実際スマルという人物像は存在しない。であるから、スマルはジャワ文化に起源を有する人物であると解釈できるだろう。

スマルの起源とワヤンのウォンド wondo

ジャワのワヤン・クリ・プルウォ上演におけるスマルの起源

 ワヤンのスマル像もまたその誕生については不確定である。文学作品におけるスマル像の誕生はワヤンにおけるスマルの起源とは異なる。同様に、アルジュノソスロ、ラマヤナ演目ヴァージョンのワヤンでのスマルの起源もまたマハバラタの演目での起源とは異なる。
 2003年、ダヤン・マヤクを讃える儀式のためのスラン suran としてのワヤン・クリ上演が、スラカルタのゲムプラク Ngemplak 市場で催された。演目は『トゥリマディヨ・ドヨの天啓 Turunnya Wahyu Trimadya Daya 』で、ドゥブガン・モジョソゴ Debegan Mojosongo のキ・ジョコ・サントサ Ki Joko Santosa によって上演された。スマルとハヌマンの間の会話で、ハヌマンはスマルに、その誕生について質問した。スマルは答えた。彼自身は、ジャワ島がまだ形を成す前に生まれた。スマルは黍の時代以前、つまりヌサンタラの島々よりも前からいたという。スマルは『ジャルモ・タン・クノ・ゴポ Jalma tan kena ngapa 』、つまり考えようのないもの、謎である。
 2009年3月、スラカルタの宮廷(クラトン)でキ・プルボ・アスモロ Ki Purba Asmara によって上演された、スマル誕生の演目では、スマルはサンヒワン・トゥンガルとレコトワティの結婚で生まれ、それは卵であった。サンヒワン・トゥンガルによって卵は親であるサン・ヒワン・ウェナンに託された。サン・ヒワン・ウェナンの前での、サンヒワン・トゥンガルの祈りによって、卵は割れて三つの部分、殻、白身、黄身となった。
 三つの部分から、トゥジョマントリ Tejamantri/アントゴ Antaga、イスモヨ Ismaya 、そしてマニクモヨ Manikmaya が生まれた。三人は世界の支配者となるために争った。サンヒワン・ウェナンは三人の孫に競技させることにした。マハメル Mahameru 山を呑込み、再び吐き出すことが出来た者が、トリロコ Triloka(三界)の支配者として承認される、というのである。トリロコとは、人間界アルチョポド arcapada 、ジン(精霊)の世界モヨポド mayapada 、そしてカヤンガンkahyangan(天界)である。卵の殻から生まれたトゥジョマントリは、最初にマハメル山を呑込もうとした。アントゴは口に入れたが、無理だった。口は裂けて大きく開いたままとなった。二番目の挑戦者、イスモヨはマハメル山を呑込むことに成功したが、吐き出せなかった。彼の身体は山のようになってしまった。
最後のマニクモヨはマハメル山を呑込み、吐き出すことができた。だから彼のワヤンの姿は頭から足まですっきりしているのである。マニクモヨはトリロコ、つまり、アルチョポド、モヨポド、そしてカヤンガンの支配者となった。カルトスロ Katasura のダラン、キ・スラトノ Ki Suratna によればスマルは、大地のシムボルである卵の殻から生まれたという。スマルは世界の秩序が乱れた時、調和を回復させる。世界は彼に呑込まれてひとつになるのである。( 2009年4月21日、インタビュー)
 ワヤンのスマルには神秘主義的要素が含まれている。彼の精神はイスモヨ神であり、クサトリアたちを支援するために地上に降り、ウィロト国の召使い、バドロヨノ Badrayana の身体を借りていると言われる。
 スマルの登場は、ウィロトの始祖 cikal bakal 、マヌモヨソと同時である。演目『スマルの結婚』において、スマル・バドロヨノはある時、二頭の白虎に追いかけられる。恐ろしさで、超能力の苦行者マヌモヨソに助けを求めるのである。矢を射かけられた二頭の白虎は、二人のビダダリに姿を変えた。カニララス Kaniraras とカネストリ Kanestri またの名をカネストレン Kanestren である。デウィ・カネストレンはかくてスマルの妻となり、カニララスはマニモヨソの妻となった。それ以来、スマル・バドロヨノはマヌモヨソ一族の末代までのポノカワンとなったのである(1999:1171)。

スマル人形のウォンド

 通常ワヤンの一箱(ワンセット)には二、三体のスマルのワヤンが用意されている。二つ目、また三つ目のワヤンはふつうワヤンが壊れた時、あるいは『クムバル kembar(そっくりさん)』ものの演目に使われる。たとえば、三人のスマルが登場する『スマル・クニン Semar Kuning 』などである。複数のスマル人形は時折、キャラクターの印象にわずかな相違を持つ。異なるスマル人形はしばしばスマル人形のウォンド wondo と称される。
 ワヤン界ではスマルは多くのウォンドを持つ。いくつかのウォンドとしては、スマル・ウォンド・ギヌ wondo Ginuk 、ドゥム Dumuk 、ブルブス Brebes 、ミリン Miing がスラカルタ・スタイルにある(エンシクロペディ・ワヤン3巻 1999:1176)。これら四つのウォンドの他、ヨグヤカルタ形式においてはウォンド・ドゥクン wondo dukun がある。ウォンド・ミリン、ブルブスは通常ジェジェル(会議の場面)に、ウォンド・ドゥクンはウェジャンガン Wejangan (説教)の場に、ドゥム Dumuk はスマルが敵と戦う時に使用される。ウォンドの特性はダランの意図に依って使い分けられ、ウォンドの作成はワヤンが壊れた時や、古いデザイン対して、新しいスマル人形の変更/型を加えたいという要望があった時、また印象を少し変えたいという注文に応じてなされる。

ゴロゴロにおけるスマルの役割

 ゴロゴロとは騒動、動揺、混乱を意味する(Poerwadarminta, 1968:289)。ワヤン上演におけるゴロゴロでは場面転換の印として、通常パテット・ソゴとなる。徹夜のワヤン上演は七時間以上となり、普通は夜九時から始まり、朝四時までを要する。ゴロゴロは演目の真ん中、夜中の一時頃から三時間ほどで、これが終わると演目は終焉に向かい、後三時間ほどで終わる。一晩の上演は三つの部分に分けられる。パテット・ヌム(6)、パテット・ソゴ(9)、パテット・マニュロである。ゴロゴロはパテット・ソゴの終わりにある。ゴロゴロは演目が核心に向かう変化を示す。それまでの導入部から、パテット・ソゴで核心となる展開を、パテット・マニュロで演目の終焉を迎えるのである。これは人間の一生の展開と本質のアナロジーであり、誕生、成長、死を表す。ゴロゴロは人生の成人の時期に当たるのである。その時期の人生においては、しばしば通過儀礼と呼ばれる出来事が起こる。干渉を受け易く、定まった方向付けが必要とされるのである。
ゴロゴロの始まる前には、特別な合図がある。カヨン(グヌンガン)がバナナの幹のグドボの中央に立てられ、かくてダランはゴロゴロをポチョパン(地語り)を話し始めるのである。ポチョパンが終わると、カヨンが抜かれ、ひっくり返されて、赤く塗られた面がダラン側に向けられる。通常、伴奏のグンディン(ガムランの曲)はよりダイナミックニなり、ポノカワンたち、ガレン、ペトル、バゴンが現れる。三人の人物たちは観衆に自分たちを紹介し、体験談、清談、社会批判などを繰り広げる(Anom Sukatno 1996:24-31)。この時ワヤンの人物と観衆の間に会話が成立する。ダランと観衆のコミュニケーションと相互作用が起こるのである。通常ここでの対話は啓蒙、社会批判、お気に入りの歌についてなどである。
 ゴロゴロはスマルの登場で止まる。スリ・ムルヨノの引用ではこのようである。(1982:89-91)
 『ワヤンでは、スマルが現れたなら、真夜中であると言うことができる。キヤイ・ルラ・スマルは、本当は人間に変身した神である。スマルはヒワン・イスモヨなのだ。またヒワン・アスモロソントともいう。人間の姿をした神は、この地上でブラフマンとウィスヌの子孫たちの師となる。スマルは見た目は醜く、形を成さないが、ほんとうは神を超える。スマルはまさしく師であり、その内面で世界の全てを守護する。正しいクサトリアを守護する。公正と誠実さと自己犠牲で。』
 スマルの登場でゴロゴロは止み、演目は再び調和を目指して進行する。真実、公正の勝利へ。そして自己犠牲を伴って。スラカルタ・スタイルでのワヤン・クリ上演において、スマルはアマルトの武将たちに仕える。

(つづく)
一回で全部載せてしまいたかったのだが、エキサイト・ブログに文字数制限が出来たらしく、入りきらなかった。あと1682文字減らせというメッセージが出た!不本意ながら二回に分けて載せます。というわけで、次回につづく。
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by gatotkaca | 2012-02-18 21:36 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 補遺 ホ・リン、フイ・ニン、ジナノバドロ、サン・ヒワン・コモハヤニカン

 第2章の『スマルはジナノバドロであるが、ジナノバドロはスマルではない』の項に出て来る、歴史的背景と固有名詞に関して、N・J・クロム、『インドネシア古代史』(有吉巌 編訳 天理教道友社刊 1985年)での記載を引用しまとめておく。(先の試訳段階では、〈N.J. Krom 博士の「ジャワ・ヒンドゥーの歴史 Hindoe Javaansche Seschiedenis 」〉としておいたが、日本語訳が出ていたのでこちらで参照する。ちなみに、編集、訳、注も含めて日本版が大変優れた版になっている。インドネシア語板よりずっと親切、良心的である。ヒンドゥー・ブッダ期のインドネシア史を勉強したい人は必携であろう。)
 まず、ホ・リン(Ho-ling)というのは、『新唐書』(支那の唐王朝の史書である)にある『訶陵』と記載された国名であり、クロムの推察では七世紀頃、中部ジャワにあった王国の名である。クロムはこのホ・リンをアレキサンドリアの地理学者プロテマエウス Claudius Ptolemaeus の著した『地理学 Geographike Hyphegesis 』(165年以前の成立)に記載のあるカリン Kaling カリンガ Kalinga に同定している。『アパ・ダン・シアパ・スマル』に引くダマイスによる反論とは、このホリン、カリンの同定に対する批判であるようだ(私はダマイス説に関しては、まだ資料を入手していないので詳細は不明)。
 フイ・ニンジナノバドロに関しては、義浄(七世紀末の巡礼僧)の『大唐西域求法高僧伝』にある記録として、下記のような記載がある。
 「最初はある仏僧が偶然の機会に、(中略)法顕の如く暴風のためジャワと考えられる島に漂着しているが、その後においては自らの意思をもってこの地に来訪している。その中でも会寧(Hwui-ning)の如きは六六四ー五年から三年間滞在し、その後においても中国僧の来訪が続き、この地で病死した僧もいる[Chavannes 1894:29]。会寧は滞在中、サンスクリット名をジュニャーナバドラ(Jnanabhadra)という訶陵の高僧若那跋陀羅の強力のもとに、ブッダのニルヴァーナ(nirvana)[涅槃]およびその遺体の火葬と遺灰についてのサンスクリット語のアーガマ経典の涅槃経の一部(小乗仏教の経典)を中国語に翻訳している。この作業を終えた後会寧はこの訳書を一人の青年僧、運期(Yun-k'i)に託して中国に送った。この青年僧がジュニャーナバドラに謝意を表し、会寧に合流するためこの地に再び来訪した時、会寧は既に西に向かって旅立っていた。しかしこの後義浄はこの仏僧の行方を見失っている[Chavannes 1894:60-62]。こうしたことから、当時のジャワが小乗仏教の中心地であったことが明らかである。」
 クロムはこのジュニャーナバドラを実在の人物としているが、ムルヨノ氏の考察では、この人物の実在性は疑わしいということになる。まあ、実在の人物がその後伝説化したにせよ、始めから伝説上の人物であったにせよ、論説展開に支障はないように思えるが。
 なお、試訳段階では、Jinanabhadra をジナノバドロと現代ジャワ語風の発音にしたが、サンスクリット音を重視すれば、当然ジュナーナバドラとする方がよかろうと思う。ただ、現代普通のインドネシア人であれば、このつづりは、ジナナバダラと読むであろう。またSang Hyang Kamahayanikan についてもサン・ヒワン・コモハヤニカンとしたが、サンスクリット音で読めば、サンヒャン・カマハーヤーニカンとなるだろう(『インドネシア古代史』有吉巌 編訳 天理教道友社刊 1985年 ではこの表記である)。
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by gatotkaca | 2012-02-16 00:30 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 補遺 ボチャ・アンゴンその3

 引き続いてボチャ・アンゴン。もとネタはここ。『MENELUSURI BOCAH ANGON (SANG PENGGEMBALA) CIKAL BAKAL NARAYANA PEMIMPIN-PEMIMPIN NUSANTARA JAYA』
 『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』に記された暗喩を解読しようと言う論考である。途中にでてくるジョヨボヨ王の詩は、関連する161と169だけ載せておきます。

ジョヨボヨの最後の預言詩 Bait Terakhir Ramalan Jayabaya

161
dunungane ana sikil redi Lawu sisih wetan

wetane bengawan banyu

andhedukuh pindha Raden Gatotkaca

arupa pagupon dara tundha tiga

kaya manungsa angleledha

生まれは、東のかたラウ山のふもと
川の東がわ
ラデン・ガトコチョのような家を持つ
それは三階建ての鳩小屋のよう
侮られる人に似て

169
sirik den wenehi

ati malati bisa kesiku

senenge anggodha anjejaluk cara nistha

ngertiyo yen iku coba

aja kaino

ana beja-bejane sing den pundhuti

ateges jantrane kaemong sira sebrayat

禁止が与えられた時
死んだ心が呪いをうける
からかいを好み、屈辱をもとめる
それはただの試練にすぎないと知っている
侮蔑してはならない
求められるものには利益がある
それは、そなたの一族が守られていることを意味する


祖国の勝利(ヌサンタラ・ジャヤ)の指導者、ノロヨノ(ナーラーヤナ)の祖先、ボチャ・アンゴン(羊飼い)

ボチャ・アンゴン/聖なる羊飼いの概念


 スナン・カリジョゴの『リル・イリル Lir-Ilir 』の詩において比喩的に表現されているボチャ・アンゴンは、国の民を育て、指導する役割を担った、『国に仕える者・アブディ・ネガラ Abdi Negara 』である。それは一定の機関と結びつくこと無く、しかし様々な機関と横断的に関わりを持っている。このことはLINMAS『民衆の庇護者』という言葉にも見ることができる。どういうわけか、今日、毎週火曜日を対象としていたLINMASの着物はもう着られていないが。ドドトのことは、単に陰部を覆う衣類であるから問題ないが……民衆の聖なる師たる魂は、いまだ『アブディ・ヌガラ』の魂に植え付けられている。
この国にはボチャ・アンゴンについての予言がたくさんある。様々な視点からそれらの違いを比較し、見てみよう。
ワンシット・シリワンギの視点から。

ーー助けを求める声
ウゴ・ワンシット・シリワンギにおいて『いつの日か、真夜中にハリムン Halimun 山から助けを求める声が聞こえる。ああ、それが合図だ。すべての子孫たちが、結婚をのぞむ者に、チャウェネ Cawenw の谷へ呼ばれているのだ。』『助けを求める声』はウンカパン・ジョヨボヨ(ジョボヨ王の予言詩)の169番の詩句で詠われているのと同じであった。『からかいを好み、屈辱をもとめる/それはただの試練にすぎないと知っている/侮蔑してはならない/求められるものには利益がある/それは、そなたの一族が守られていることを意味する』

ボチャ・アンゴンは現れるとすぐに、彼が来たことを知らせるために、あることをする。そのひとつが、ハリムン山のまわりの人々に助けを求めることだ。彼が他の人に助けを求めたのは、困っていたのか必要があったのか、なぜかははっきり解らない。たしかなのは、彼が現れた印としてそのようなことをするということである。

ジョヨボヨの予言の169詩句に関連して、ボチャ・アンゴンは言う。『試練として、侮蔑を好む』。この章句の示しているところは、助けをもとめることは、助けを求められた者に限った試練であるということだ。何の試練か?ボチャ・アンゴンが人に何をしようとしているのかは、まだ分からない。何が起こるのか待つしかない。

ーー戦いながら探し、笑いながら戦う
ウゴ・ワンシット・シリワンギでは『すぐにたくさんのことに出会うことになる。ばらばらに。交代した指導者は、禁じるだろうから!勇気をもって探し続け、禁じられてることなど忘れて、戦いながら探し、笑いながら戦う。彼こそアナ・グムバラ(羊飼いの少年)だ。』何が禁止されているのか?事実を明らかにすることか、歴史に従うことか?解釈は色々ある。

ボチャ・アンゴンはたしかに、指導者の禁止を気にかけない。禁止を守らないだけでなく、ボチャ・アンゴンは、禁止する指導者と笑いながら敵対する。笑いながら対抗されたときの指導者の気持ちは想像できない。ボチャ・アンゴンはいつも交代したリーダーに対抗して働くので、危険に曝されるばあいもある。

ーー彼は枯れた葉のついた木の枝や、切り取った樹の杖を持つ羊飼いである
ウゴ・ワンシット・シリワンギは言う。『彼は何の番人なのか?水牛ではない。羊でもない。虎でもなく、牛でもない。しかし枯れ葉のついた枝と、切りとった木を持っている。彼は探し続ける。そして出会ったものすべてを集める。たくさんの歴史/出来事と遭遇する。ひとつの時代が終わり、新しい歴史/出来事が訪れる。それぞれの時代が歴史を紡いでいく。それが繰り返されていくのだ。』

ボチャ・アンゴンは葉っぱや小枝を集めるのをつねとしている。葉っぱ(daun)と小枝(ranting)の語は、ウゴ・ワンシット・シリワンギによれば、スンダ語『カラカイ・ジェウン・トゥトゥングル Kalakay jeung Tutunggul』に起源を持つ。カラカイとは古代の人々が記録用にそのシートを用いた、ロンタル椰子の葉である。トゥトゥングルとは古代において記載用のペンとして使用された小枝のことである。であるから、カラカイとトゥトゥングルは紙とペンを意味する。

シ・ボチャ・アンゴンは紙とペンで羊飼いをするのを好む。彼はずっと集め続けていた二つの品で羊飼いをする。彼がなぜ紙とペンで羊飼いをするのかは分かっていない。紙とペンはひとつではなく、好むままにたくさんあり、集めているとしか言いようが無い。

続けて言う。『彼は探し、出会ったものすべてを集め続ける。たくさんの歴史/出来事と出会うのだ。』これらの章句の意味するのは、ボチャ・アンゴンは、歴史と出来事に出会うために、紙とペンで羊飼いをするということである。彼が集めたものが歴史と出来事であるかどうか。だが、ヌサンタラの歴史の多くが変容されたものであり、それらが合理化された歴史と関連がある可能性がある。

彼は主要な歴史と出来事を集め続け、ヌサンタラの問題を解決しようとしているのだ。歴史の公正さを探すのは、問題を解決するためであるから、歴史の原因を知ることは必要ない。紙とペンを注ぎ込んで歴史と出来事を検索することに熱中し、かくてヌサンタラの問題は簡単に対処されるであろう。そう願う。

ーー彼の家は川のほとりにあり、その戸は石の高さである
ウゴ・ワンシット・シリワンギは言う。『かくて彼らは羊飼いの少年を探した。その家は川のほとりにあり、戸は石の高さであった。』川のほとり(終わり)とは、ボチャ・アンゴンの家は川の源泉にあったことを示している。シリワンギは家と川の間の距離については記していない。川から数メートルかもしれないし、数十メートルかもしれない。

シリワンギも、川の名については言及しなかったから、川の位置の決定は困難である。ジャワでは多くの川が北から南へと伸びている。そして平均して川のほとりには住民たちの家がたくさん建っている。これではシリワンギの言う川の位置を定めるのは、たしかにむずかしい。とはいえ、ボチャ・アンゴンの家は川の近くであり、ボチャ・アンゴンとおぼしき者がいても、その家が川から遠ければ、ウゴ・ワンシット・シリワンギには合っていないといえる。

それから、石の高さの扉という言葉には疑問がある。家の屋根が石で作られているということなのか?それとも家の扉が石で作られているということなのか?昔の我々の祖先たちの家のように。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

この章句は、ボチャ・アンゴンの家の床はひとつだけの平屋なのだと解釈するべきなのか。これはウンカパン・ジョヨボヨの161番の詩によって補える。『ラデン・ガトコチョのような家。三階建ての鳩の家』。ウンカパン・ジョヨボヨでは、ボチャ・アンゴンの家は三階建てと記されている。たしかに普通の家ではない。中流家庭の家なのか、ボチャ・アンゴンは裕福な一族の出身なのか?まだ確定はできない。

固い石になるセメント製の二階建ての家を建てているということか。それなら、石の高さの扉というのも理解できる(セメントキャスト製の二階の床の高さ)。確かに上流階級の家の多くは、扉が二階の床まで届いている。先の石というのはセメントのことなのだ。というわけで、ボチャ・アンゴンの家は二階まで届く扉のある、家であると結論づけることができる。

ーーハンデウレウムとハンジュアンの木で覆われている
ウゴ・ワンシット・シリワンギには『川のほとりに彼の家はあり、扉は石の高さ、ハンデレウムとハンジュアンの木で青々としている』とある。ハンデレウムとハンジュアンの木で青々としているという言葉は、ボチャ・アンゴンの家の前には二本の木があることを意味し、とても豊で彼の家の特徴になっているということである。ここでは二本の木についてだけ語られている。家の前に二本の木があるということで他の家と区別できるのである。

その二種類の木はインドネシア語ではまだ名前がないものである。二つの単語はシリワンギのいたスンダ地方の古語である。今日では、その木の種類を知っている者はいない。スンダ出身の人々も二種類の木については知らないという。解るときを待つしかない。

シムボルとしてのハンデウレウムとハンジュアンという語の意味するものを解釈してみよう。二つの木は本当に地面に生えている木のことなのか、それとも単なるシムボルなのか?シリワンギの言う「若き牧者」についての『彼は何の牧者なのか?水牛ではなく、羊でもなく、虎でもなく、牛でもない。しかし枯れ葉のついた枝と木切れを持っている』をもう一度見てみよう。

若き牧者はシリワンギではシムボルとされている。この後、動物を放牧するのではないが、葉っぱと枝を持つ、ということのシムボルは明らかにされている。一方ハンデウレウムとハンジュアンの語は、章句に説明が無い。二つの語は地面に生える二本の木ではあるのだが、シリワンギで示されているのが、シムボルであることは確かである。

ーーあご髭をはやした若者と共に行く
ウゴ・ワンシット・シリワンギは言う。『皆が生贄を探しているが、若き牧者はもういない。あご髭をはやした若者と一緒にもう行ってしまった。チャウェネの谷で新しい土地を開拓しに行ってしまった!』あご髭の若者とは誰か?このあご髭の若者というのはまだ解っていない。その若者はシ・ボチャ・アンゴンの親戚なのか、家族なのか、はたまた乳母や爺やなのか?いまだ明らかになってはいない。というのもウゴ・ワンシット・シリワンギにはこれに関する言及が無いからである。

他の古書写本では、ラトゥ・アディルにはサブド・パロンというお付きの者がいる、と言う。あご髭の若者とはサブド・パロンなのか?どうやら違うようだ。というのもサブド・パロンというのはジン(精霊)の人物なのだが、あご髭の若者というのは人間である。だから、あご髭の若者はサブド・パロンではない。

この謎は真実をあきらかにすることは難しい。ボチャ・アンゴンは今だ謎の人物であり、同様にあご髭の若者の正体も謎のままである。とはいえ、その若者があご髭をはやしているのが確かなら、いつの日かボチャ・アンゴンが現れた時には知ることができるだろう。

チャウェネの谷へ新しい土地を開拓に行く
ウゴ・ワンシット・シリワンギに言う。『皆が生贄を探しているが、若き牧者はもういない。あご髭をはやした若者と一緒にもう行ってしまった。チャウェネの谷で新しい土地を開拓しに行ってしまった!』ボチャ・アンゴンは、彼が現れるまでは見つけられない。人々が川のほとりに彼の家を見つけた時には、彼はすでにあご髭の若者と一緒にチャウェネの谷へ行ってしまっていた。

シリワンギは、人々が家で彼を見つけることができなかった後、チャウェネ渓谷でボチャ・アンゴンを見つけられたかどうかは言及していない。ウゴ・ワンシット・シリワンギにはその章句はない。それについて触れていないのは、家とチャウェネ渓谷は近くなく、多分遠く離れているからだと結論付けられるだろう。

シリワンギはチャウェネ渓谷へ行ったあと、ボチャ・アンゴンが家へ帰ったかどうかも触れていない。川のほとりの家を捨てて、ボチャ・アンゴンはチャウェネ渓谷を新しい住処としたという章句も無いからである。川のほとりの家に帰ったなら、シリワンギは彼の家で会うことができたはずである。確かなのは、彼の家を見つけたら、帰ってくるまで待っているだろうということだ。しかしウゴ・ワンシット・シリワンギにはそんな章句は無い。

今日に至るまで、チャウェネ渓谷がどこにあるのかは解っていない。ジャワの地図さらにインドネシアの地図においても、チャウェネ渓谷と名付けられた地域は存在しない。それゆえ、海外であると言う説も含めてさまざまな解釈が試みられている。

ーー枯れ枝に止まって鳴く鴉
ウゴ・ワンシット・シリワンギに言う。『皆は生贄を探すが、もういない。髭の若者と一緒に行ってしまったチャウェネ渓谷へ新しい土地を開拓しに行ってしまったのだ!見つけたのは枯れ枝に止まって鳴く鴉だけだった』鳴く鴉、という語は、むろん歌うのが好きな鴉鳥というだけでなく、シムボルをも表している。

鳴く鴉については多様な解釈ができよう。ロンゴワルシトやジョヨボヨといった写本では、ラトゥ・アディルとなる以前のボチャ・アンゴンは、しばしば人から馬鹿にされる。これと関連して、鴉とはボチャ・アンゴンを侮蔑する人々を意味するとも考えられよう。

いつも人から馬鹿にされて生きていたから、ついにボチャ・アンゴンはその家を捨てて行ってしまったのである。それから彼はあご髭の若者と共に、新しい土地を開拓するためにチャウェネ渓谷を目指した。皆は生贄を探し、情報を探したが、すでにボチャ・アンゴンはいなかった。鳴いている鴉たちから情報を得ることもできなかったのである。

ーー真のラトゥ・アディル
ウゴ・ワンシット・シリワンギに言う。『全ては再び良くなる。国はまたひとつになる。祖国は再び勝利する。ラトゥ・アディルが立ち上がるから。本物のラトゥ・アディルが。だがその王は誰か?サン・ラトゥの出身は?いつの日かそなたらは知るだろう。今は、若き牧者を探せ。』シリワンギは命ずる。ボチャ・アンゴンを探せ、と。いつの日か、彼こそが真のラトゥ・アディルとなるだろうから。

そのようにシリワンギは言い、ボチャ・アンゴンを探すには、注意を払えと命じた。ジャワの地にボチャ・アンゴンの偽物が横行するからである。他の人の支援で、むりやりボチャ・アンゴンに仕立て上げられた者もあるかもしれないが、追い立てられているうちに自分でもボチャ・アンゴンだと思い込むようになるから、偽ボチャ・アンゴンが現れるのである。

今まで、ジャワの西から東まで、ラトゥ・アディルと信じられた人々が現れたという話はたくさん聞かれる。自分こそラトゥ・アディルだという者が、そこかしこで現れたのである。それらの人々は、証拠を求められると、人を説得するために、写本と自分を合わせるようにする。実際全てが適合することはないが。

真実のラトゥ・アディルを探すように、とシリワンギは命じた。たくさんいる偽のラトゥ・アディルの中で、真実のラトゥ・アディルはただ一人であるから。とはいえ、偽のラトゥアディルは本物の出現を変えることはできない。本物が現れたときは、どれが本物でどれが偽物か皆に証明されるだろう。シリワンギの言葉と合わせて。『だがその王は誰か?サン・ラトゥの出身は?いつの日かそなたらは知るだろう。今は、若き牧者を探せ』

ウゴ・ワンシット・シリワンギ写本において述べられているボチャ・アンゴンに関することはこのようである。シリワンギはその写本の中で、意図的にボチャ・アンゴンをはっきり説明しないから、彼を見つけるのは容易ではない。さまざまな理由でラトゥ・アディルの出現を妨げようとする者たちも多いからである。

シリワンギからは得られないボチャ・アンゴンの明確な描写がある。同時にボチャ・アンゴンを探すことを命じられた我々は、皆が探偵となり、インテリにならなければならない。いつの日かきっと、彼が現れた時には、偽のラトゥ・アディルと、真実のラトゥ・アディルを見分けなければならないのだから。待って、探すのが良い。できるかできないか。時はすぐにやって来る。

さて今再びカンジェン・スナン・カリジョゴのキドウン『リル・イリル』の詩句を研究してみよう。
ボチャ・アンゴンの種は今日もたくさんいて、ヌサンタラの若者たちの鋭く革新的思想として現れ始めた。また負けず劣らず、教育機関からも生まれて来ている。チャンダラディムカ(Akabri=Akademi Angkatan Bersenjata Republik Indonesia インドネシア共和国軍アカデミー、アアウ、AAL、AKMIL、AAKPOL)から生まれたパラ・サトリア・ムダ・ヌガラもまた王朝に関わる軍事的教育施設であり、財政、その他の技術(STAN、STP、BPLP、その他)分野の良民も採り上げ、大学いじょうの可能性を広げ、軍事的のみならず半軍事的教育システムにより開かれ、透明性の高い教育をめざす。この教育機関は二つの異なる側面をもち、ひとつはボチャ・アンゴンの育成であり、教育を終えてすぐさま国家公務員(アブディ・ヌガラ)として国に仕えることの出来る者を供給することと、永続的に戦闘を続けるため、勝利のために1000の訴えを1となす国家公務員となる者の育成であり、また、資本と権力をつないで、全面的な戦闘を容易にするという目的もある。ここでは基本として、真実のボチャ・アンゴンが大勢、毎年国家、州政府、地方自治体から揚げられるCPNSとして存在する。真正のボチャ・アンゴンとは、純粋な力で戦うか、特定の資本と権力を連携してすべての敵と戦う者である。

アブディ・ヌガラとなった後も、ボチャ・アンゴンは国家の奉仕者としてさまざまな試練に会い、奉仕に置けるさまざまな性質の課題を負う。:大志を抱き、研究心旺盛で、有能な人材で、愚かな者もいる。それがアブディ・ヌガラたる人の重要な資質である。世界は自身の法則を持っている。ボチャ・アンゴンを探す努力は、実際にはさほど他の状況ほど、気にすることは無いのである。民衆は変化を切望している……。

Sepenggal Bait “Lir-Ilir” dariSunan Kalijaga

Lir-ilir, lir-ilir
tandure wis sumilir
Tak ijo royo-royo tak senggo temanten anyar
Cah angon-cah angon penekno blimbing kuwi
Lunyu-lunyu yo penekno kanggo mbasuh dodotiro
Dodotiro-dodotiro kumitir bedhah ing pinggir
Dondomono jlumatono kanggo sebo mengko sore
Mumpung padhang rembulane mumpung jembar kalangane
Yo surako… surak hiyo… 
 
『リル・イリル』 スナン・カリジョゴ

(眠りから)ゆっくり、ゆっくり目を覚ませ
木は花をつけ始めている
青々として、結婚したての夫婦のように情熱的だ
羊飼いの子どもよ、ブリムビンの木に祈ってくれないか?
滑りやすくて(難しいけれど)登りつづけておくれ、着物を洗うために
破れた(傷んだ)服はわきに除けて
縫い付け、直しておくれ、夕方までに
今は明るい月の下、今は自由な時間がたくさんある
さあ叫ぼう、アヨー……

 ラトゥ・アディル問題は、深入りすると切りがなさそうであるし、私もまだ知らないことが多いので、一旦ここまでで、ボチャ・アンゴンについては終わりにする。
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by gatotkaca | 2012-02-15 00:11 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 補遺 ボチャ・アンゴンその2

 前回に引き続いてボチャ・アンゴンである。ネット上で『Satrio Piningit Uga Wangsit Siliwangi  /mbah subowo bin sukaris』という論考を見つけたので、紹介しておく。
 『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』のシリワンギ王の国、パジャジャランは、現在のジャワ島スンダあたりにあった国であり、ヒンドゥー教国家であった。なお、記事の中にあるブバット事件のあらましは、N・J・クロムの『インドネシア古代史』(有吉巌 編訳 天理教道友社刊 1985年)によればこのようなものである。『パララトン』等の伝えるところでは、1357年、モジョパイト王国アヤム・ウルク治世下、アヤム・ウルク王はスンダの王女と結婚を望んだ。パティ・マドゥ(宰相ガジャマダ)の交渉により、スンダ側はこの結婚に同意。スンダ王マハーラージャは一族を従え、結婚に列席するため、モジョパイトへ向かった。花嫁と国王一行は、モジョパイト北部の港街ブバットに上陸した。ここで両国に紛争が起こり、交渉は決裂、スンダ側とモジョパイトの間に戦闘が起こり、奮戦むなしくスンダ国王も花嫁も殺されたのである。その後もパジャジャランは独立を保ち続け、両国は対立関係にあったようだ。16世紀頃の状況では、モジョパイト王国はすでに無く、『インドネシア古代史』によるとパジャジャランの後裔がスンダ王国と名乗って存続していた形跡が濃いけれど、その王国の終焉の状況に関しては、歴史的資料に乏しく、不明とされている。
 『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』はこのスンダ(パジャジャラン)王国最後の王の予言書、という体裁で成立したもののようである。


サトリオ・ピニンギト、ウゴ・ワンシット・シリワンギ

バ・スボノ・ビン・スカリス

プラブ・シリワンギは16世紀(1500年代)パスンダン地域を支配していたヒンドゥー王国、スンダ・ガル Sunda-Galuh 、パクアン・パジャジャラン Pakuan-Pajajaran の大王で、後の時代の民にいくつかの予言を残した。16世紀はヨーロッパの白人がヌサンタラへの到達に成功していた時代であった。イスラム国家とヨーロッパ民族との確執は、ヒンドゥーであるパジャジャラン王国の立場を困難なものにしていた。両者の敵対関係の中で、賢明なプラブ・シリワンギはデマク・バンテンを支配したポルトガルに組することを選んだのである。ヌサンタラにおける基地を探していたポルトガルは、パジャジャランの友好的援助を歓迎し、資本提携が達成され、1527年、ポルトガルは全艦隊をスンダ・クラパに上陸させようとしていた。しかし不運にも艦隊はスンダ・クラパを目指す航海の途中で、サイクロンに襲われた。この混乱でポルトガル艦隊はパジャジャラン王国との友好を交わす約束を守れなかった。先の失敗に懲りたポルトガル艦隊はスンダ・クラパへの上陸は望まず、友好的であれば良し、必要とあらば西ヨーロッパ艦隊の脅威にによる強制で、友好関係をよぎなくされた他のヌサンタラの地域の港を探し、モルッカ諸島のスパイス島々への航路を制する礎を確立した。
 パジャジャランは、強力な防衛力を持った内陸国であり、モジョパイトの海軍のみでは、多数のパジャジャラン軍に対抗できないことが宰相ガジャマダには解っていた。最初は海路、そして数日をかけて陸路のからのものを合わせた大量のモジョパイト軍を配備するには、時間もコストも掛かり過ぎると思えた。パジャジャランにとっては逆に、海から他の地域を侵略するための艦隊を持っていないのであった。パジャジャランにとっての唯一の選択は、つねに敵の侵略に備えて地上部隊を強化することであった。プラブ・シリワンギによって実行された戦略は、地理・地形を鑑みて、主に山と台地からなり、涼しく、東南アジアで最も美しいと人々に知られるパンスンダンの地で相見えることであった。当然のことながら、西ジャワへの政治的影響力の拡大に努めるモジョパイトによってなされるべく最も重要な戦略は、王国間の結婚であった。しかしこの試みは失敗した。というのも同盟国とパジャジャラン国の一族の花嫁、花婿を殺害したブバットBubat 戦争の帰結としてこの段階に至ったのであるからだ。
 ブバット戦争の後、パジャジャランの王位に就いたプラブ・シリワンギは、非ヒンドゥー王国への侵略によってその基盤を築いた。王が王位に就く数十年前にモジョパイトはすでに崩壊していた。モジョパイト王国の崩潰で、スンダ・ガルの首都へつながるデマクとバンテン王国を標的としたのである。モジョパイトのあとのヒンドゥー王国最後の砦として、王は、歴史の運命とは、新しきものに味方し、古きものを壊すのだと感じていた。ヒンドゥー王国の崩潰とイスラム王国の台頭は歴史の望んだことなのだと。
 宮殿の北方向から来訪者たちがやって来た。その中には厄介な連中も多数ふくまれていた。オランダ領東インド総督によるボゴール宮殿占領に始まり、チパナス宮殿とボゴール宮殿の二城を建設したスカルの大統領まで。双方とも北からジャカルタヘやって来た。現在ジャカルタに住む人たちは、個人の車でボゴール山頂へ来て休暇をとるので、休日には交通渋滞となるのがつねである。プラブ・シリワンギに呼び出された者たちこそ、地域住民の中でも厄介な連中であった。
 バトゥトゥリス宮殿の東からは、16世紀マタラムのスルタン・アグンの治世時に、オランダ軍に占領されたバタヴィアに侵攻する軍の結集をパジャジャランの民に命じた。軍の侵攻に加え、チリウン川を塞き止め、パスンダン出身の副官ディパティ・ウクルに率いられたマタラム軍はオランダ軍の追放に失敗した。
 パジャジャラン宮殿の西方には、プラブ・シリワンギに従って渓谷地域に退いた者たちがいた。彼らは規律に守られて安全であり、王国の領域を見張っていた。彼らは決して火を使用しなかった。煙で遠くの敵に見つけられないようにするためであった。プラブ・シリワンギの時代、パジャジャランの民の末裔であるスク・バドゥイの人々は、この日まで、ハリムン山の方角からくる、夜中に助けを求める声の合図を待ち続けていた。それは賢者たる指導者の到来のしるしであった。スク・バドゥイたちはとりわけ電気などの近代機器、自動車などの使用を自らに禁じていた。火災の原因ともなるからである(敵に所在を知らせることになるからである)。
 プラブ・シリワンギによって選定された方角へ民は従っていった。そこは渓谷と高原で、混乱無く防衛するには最適の地であった。なにより涼しく、土地は肥沃で、60年代インドネシアのイスラム軍・ダルル・イスラム Darul-Islam の基盤となったところである。また、インドネシアの共産党の最高指導部は、ソ連と中華人民共和国のような集団農場システムの農業基地として秘密の実験のための西ジャワ州の特定の領域を利用していた。
 また60年代から第三ミレニアムの初めまで、その肥沃な山岳地域は、インドネシア・イスラム国家、HTI、またアフマディー派の拠点でもあった。独立革命時、中部ジャワに移ったシリワンギ軍は、スカルノ・ハッタ政府に反対する共産主義勢力やその他の勢力を打倒するモハムマド・ハッタ内閣の大黒柱となった。1965年の紛争において、ブン・カルノに忠実なシリワンギ軍は、その一部がスハルト新体制を支援した。それらを鑑みれば、開発され自然破壊が進んだジャワ中央及び他の地域に比較して、パスンダンの地に自然や森林が残されているのも驚くに値しない。
 そしてまた、プラブ・シリワンギによれば、シ・ボチャ・アンゴン(歴史の記述者)がいつかやって来るという。彼はサトリオ・ピニンギトであり、サトリオ・ピニンギトはラトゥ・アディル(救世主)の秘密を知る者である。シ・ボチャ・アンゴンとは、川のほとりの家に住み、その家は三階建てであり、扉は石の高さ、二階の床で、ハンデウレウム handeuleum の木の鉢植えを世話する。それは痔の治療に効く、栗色の葉の木である。そしてもう一本はハンジュアン hanjuang その葉は赤い心臓の色、小豆色の葉である。ボチャ・アンゴンは生贄にされるが、いつも逃げ出し、西に向かう。髪で顔を隠し、全身真っ黒な服を着て、前に政府に投獄されて、もはや安全な者とみなされている者の格好で別人に成り済まして姿を消す。彼らは両方できる。『笑いながら、権力と闘う』。ラトゥ・アディルの秘密を握っているサトリオ・ピニンギト、またサトリオ・ピニンギトと従者は、真実プラブ・シリワンギの宮殿近く、南の方角の七つの山ともうひとつの山が噴火するという、自然災害の起こった後に現れる。サン・ラトゥ・アディルが現れれば、何世紀もの間民衆が待ちこがれていたヌサンタラの栄光が達成されるのである。西部ジャワ、パスンダン地域の人々、特にパクアン・パジャジャランの人々にとっての、ウゴ・ワンシット・シリワンギの核となる部分はこのようである。
 ブン・カルノはその治世の終わりにボゴール宮殿を選び(バトゥトゥリス周辺のパジャジャラン宮殿からそう遠くない)、彼を選んだ民衆を犠牲にしてでも、バトゥトゥリス、ボゴールの近く(木陰の美しい渓谷と山を臨む場所)に埋葬されたいと願った。(美しい渓谷や山々の景色を眺めながら)ランチャマヤに埋葬されたプラブ・シリワンギもまた、同様の犠牲を払ってでもお金を好んだ。神々の島(バリ島)出身の母を持つブン・カルノという人物もまた、ウゴ・ワンシット・シリワンギに含まれている。そしてもちろんブン・カルノ自身もそのことを知っていた。おそらく彼が永遠の休息場所としてバトゥトゥリスを選んだのも、ウゴ・ワンシット・シリワンギを見たからであろう。

次回は、『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』の読解を試みた論考を紹介する。
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by gatotkaca | 2012-02-14 04:40 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 補遺 ボチャ・アンゴンその1

 「スマルとは何者か? Apa dan Siapa Semar 」、第2章中のボチャ・アンゴン Bocah Angon (若き羊飼い)というのが、何のことやらわからなかったので、調べてみました。
 スンダのパジャジャラン王国最後の王シリワンギが残したとされる予言書『ウゴ・ワンシット・シリワンギ Uga(Ugo) Wansit Siliwangi 』の中に出て来る人物で、いわゆるラトゥ・アディルのことらしい。
 ラトゥ・アディル Ratu Adil (正義王)とは、インドネシアの民間伝承における救世主としての人物像で、ヨーロッパにおけるアーサー王のような存在である。彼はヌサンタラ・ジャヤ(祖国の勝利/栄光)を達成する人物を考えられており、とこしえの平和と正義を地上にもたらすと信じられている。クディリ王国(1050〜1222年、東部ジャワにあった王朝)のジョヨボヨ王(1135以前〜1157以後)の予言書に最初の記載があるとされている。
 予言によれば、ラトゥ・アディルは最初は誰にも知られぬような存在で、貧しく、人々から侮られている、とある。また支配者層たる貴族/上流階級の没落にも触れている。これらのイメージは、初期のインドネシア民族闘争の指導者たちに大いに利用された。ラトゥ・アデイル思想の対流は、1825年のジャワ戦争の首謀者、パンゲラン・ディポネゴロ(ジョクジャカルタ王国の王子で、スルタンになり損ねて、オランダに対し武装蜂起した。)、ハマンクブウォノ九世(Hamengku Buwono IX 、1912年〜1988年。インドネシア独立戦争に貢献し、スハルトの治世下のジョクジャカルタ特別州知事、ジョクジャカルタの9代目スルタンおよびインドネシア共和国建国後2番目の副大統領)、スカルノ大統領らにアダプトされ、彼らはラトゥ・アディルのイメージを大いに活用して民衆をコントロールしようとした、と言えるだろう。
 ラトゥ・アディルはいつの日かインドネシアにヌサンタラ・ジャヤをもたらす英雄なのである。

 以下ネット上で見つけた『ウゴ・ワンシット・シリワンギ 』とそれに関する論考を紹介する。まずは『ウゴ・ワンシット・シリワンギ 』の本文から。(もとネタは『JALAN SETAPAK MENUJU NUSANTARA JAYA』というサイトです。)

…………
ウゴ・ワンシット・シリワンギ
(訳)
プラブ・シリワンギは、彼がいなくなる前に、民にパジャジャランから退くことを命じた。
『皆の忠誠によって、我らの旅は今日ここに至った。しかし資金の不足と餓えによって、これ以上そなたらとあることは困難となった。明日、また明後日、後の日に生き、豊かになり、パジャジャランを再興する日がくるであろう!今のパジャジャランではなく、新しいパジャジャランへ時を旅するのだ!選ぶが良い!我は止めないだろう。餓え、貧しき民の王たるには、我はふさわしくないから。』
聞かれよ!我に従う者は、南へ行くのだ。捨てて来た都へ戻りたい者は北へ、権力を握った王の元へ仕えたいのなら、東へ行くのだ!何者にも従わぬという者は、西へ行け!
聞かれよ!東に向かう者、汝と汝の子孫、兄弟ら他の者たちは権力者に仕えよ。しかし心せよ、後の日に彼らはそなたらを思いのままに支配するだろう。報復の機会を待つ者は、行くが良い!そなたらは西方へ向かうのだ!キ・サンタンを探せ!そうすれば、そなたらの子孫は、そなたらの兄弟や他のものを忘れないだろう。その地の良き心を持ち、志を共にする兄弟たちのもとへ行け。後の日に、真夜中、ハリマン山から助けを求める声が聞こえるだろう。それが合図だ。そなたらの子孫たちはチャウェネの谷で結婚を求める者によって呼び出される。耐え忍ぶのだ。いつの日か湖は溢れ出す!行くがよい!忘れるな!振り返ってはならぬ!
北へ行く者たちよ!聞かれよ!そなたらは街を知らぬ。目の前にあることに専念せよ。そなたらの子孫たちの多くは普通の民となるだろう。いかなる権力者といえども、権力を持ち続けることはできない。いつの日か来訪者たちが、遠くから、厄介な来訪者たちがやって来る。気を付けるのだ!
そなたらの子孫たちが訪問してくるだろう。しかし、決まった時、必要なだけにとどめるのだ。我は彼等が善き心を保ち続けていれば、助けを必要とする時また帰って来る。その時我は、目には見えぬ、そして我の言葉も聞くことはできない。彼らが良き心を持っている時だけ、彼らがひとつの志をもち、それを理解している時、それは真直ぐで良識ある行動をもつ真実の香りを理解するということであり、そうであれば我は帰って来る。我が姿無く、声も無く返って来たとき、芳香があるであろう。この日からパジャジャランは世界から消え去るのだ。街が消え、国が消える。パジャジャランは継ぐ者を残さない。受け継ぐ者たちの名のみが残るのだ。
仕える者の中にも心から服していない者が多いことの証に。しかし、いつの日かいなくなった者たちが再び集うことの出来るように。それは単なる礎にしかなれないかもしれない。さらに言うなら、多くの者たちは、利口者のふりをしている傲慢な者たちである。
これからたくさんのことに出会うだろう。ばらばらなかたちで。指導者は交替し、彼らが禁じるから。勇気をもって続けるのだ。禁じられたということは気にせず、闘いながら探し、笑いながら闘え。彼こそが子どもの牧者、アナ・グムバラ〈ボチャ・アンゴン〉である。その家は川のほとりにあり、その扉は石の高さ、ハンデウレウムの木とハンジュアンの木に閉ざされている。彼の率いるのは何か?水牛ではなく、羊でもなく、虎でもなく、牛でもない。しかし枯れ葉のついた枝、切った木の杖をもっている。彼は探し続ける。そして出会ったものすべてを集めるのだ。歴史・事件でいっぱいになる。ひとつの時代が過ぎ去り、また時代が訪れる。そして歴史・事件となる。各々の時代が歴史を作る。毎回それが繰り返されるのだ。
聞かれよ!我々の敵は、しばらくは栄えるだろう。チバンタエウン川の岸辺は乾き、牛小屋はからになる。おお、それこそ、白い水牛によって、国は破壊され、彼らは高みに立って都を支配し、そして王たちは鎖に繋がれる。白い水牛が支配権を握り、我々の子孫たちは使役される。しかしその支配は、多くの選択肢と贅沢に満ちているから、支配とは感じられないだろう。それからは、操られる猿の生き方となる。いつの日か我々の子孫たちは意識をもたげるときが来る。しかしそれは、夢から覚めるようなものだ。多くのものが失われ、さらに多くのものが壊される。たくさんのものが歴史に埋もれ、たくさんのものが盗まれ、売られてしまう!子孫たちの多くは、時代が変えられてしまったことを知らないだろう!そのとき、国中で騒動が起こる。扉は、指導者に率いられた彼らによって壊される。しかしその指導者は誤った方向を向いているのだ!
政をする者は隠れ、都は空となり、白い水牛は逃げ去る。国は猿に侵され破壊される!子孫たちよ笑ってよい。しかし笑いは断ち切られる。というのも、市場は病で物が無くなり、田は病で枯れ果て、稲は病で尽き、庭は病で荒れ果て、女たちは病で妊娠する。すべてが病に冒される。子孫たちは病の臭いにおびえる。どんどんひどくなる病に、あらゆる道具が使われる。為すのは我らの民族自身である。多くが餓えで死ぬ。それから我々の子孫たちは、作物を栽培しようと、土地を開拓する。彼らは時代が、また物語を変えたことに気付かない。かくて北の海から、かすかなうなりが聞こえて来る。鳥たちは、卵を孵す。大地は騒々しい!そこから?戦いが頻発し、仲間同士が傷つけ合う。そこここで病が猖獗し、かくて子孫たちは暴れ回る。定めなく大暴れし、多くの者が罪無くして死ぬ。明らかに敵であった者が友となり、明らかに友であった者が敵となる。突然、銘々勝手に指導者が乱立する。混乱に混乱が増し、多くの幼子がすでに父となっている。力ある者が台頭し、無差別に暴れ回る。白い者は破壊され、黒い者は追いやられる。多くの者が暴れ回り、島々はますます混乱し、巣を壊された蜂と変わらない。故郷は破壊され、追いやられる。しかし……止める者がいる。それは抗う者である。
かくてまた、ふつうの人の中から支配者が立ち上がる。しかしそれは古の支配者の子孫であり、神々の島の娘がその母である。あきらかに支配者の後裔であるがゆえに、新しき支配者は激しく迫害される!かくてまた時代は変わる。時代は変わり、物語は変わる!いつなのか?長くはない。夕刻に月が現れた後、続いて明るく輝く彗星が通り過ぎる。我らの旧き国に、またひとつの国が建てられる。国の中の国、そして指導者はパジャジャランの後裔ではない。
かくて支配者が現れる。しかし城を建てた支配者ではなく、彼は開くことを許されない。扉を建てた者は閉めることを許されない。道の半ばに水が溢れ出て、ブリンギンの木で鷲を飼う。まさしく支配者は盲目だ!盲目を強いられたわけではないが、目が見えない。すべての病と苦しみ、悪しき者と盗人が困難に陥った民衆を損ねる。ひとたび、勇気ある者は思い出すであろう。追われる者はその全てが苦しむものではなく、彼を思い出した人である。ますます多くの支配者が盲目となり聾者となる。偶像に礼拝して支配する。かくて子どもたちは容易く誤った団結をし、会話をもとにして規則を作る。自身が理解できない規則を作る。当然のことながらすべての池は干上がり、農作物のすべてが枯れ果て、たくさんの米粒が変になる。なぜなら、約束するのはたくさんの詐欺師であり、ただの約束に銃を突き付ける。賢いが高慢な者が多すぎる。
そのとき、髭をはやした若者がやってくる。やって来た者は全身黒い服を着て、古ぼけたサロン(腰巻き)をひらひらさせている。すべての過ちを目覚めさせ、忘れたことを思い出させるが、採り上げられない。それゆえに、自分だけが勝つことを望む高慢な者たちは気付かない。火に渦巻く煙で、空が既に赤いことに。採り上げられるどころか、髭をはやした若者は獄に入れられる。かくて彼らは他人の土地をかき乱し、敵を捜す。しかし実はわざと的を作っているのだ。
気をつけろ!彼らはパジャジャランの物語を禁じるから。彼らはこの間に騒動が起こることを知るのを恐れているから。盲目の支配者は、白い水牛によりますます支配され、彼らは動物の行いによって人間が支配されている時代に気付かない。奇跡の到来を期待する民衆があまりに悲惨に扱われたので、盲目の支配者の支配は長く続かない。支配者は犠牲に供される。自身の行いのために。その時はいつか?アナ・グムバラが現れた時だ!そこではたくさんの騒動が起こるだろう。それはひとつの地域からどんどん長く、どんどん大きく、国の全土に広がっていくだろう。狂ったことを知らず、従う者は掴み取り、戦う。太った若者に率いられて!戦う理由は?土地を手に入れるためだ。持っているが更に求める者、一部を求める権利を持つ者。静かに覚醒した者だけが、見るだけで持ち続ける。
戦う者はかくて静まり、はっきりと意識する。彼らは空っぽの命令を受ける。金を持った者たちによって、土地は尽きていたから。支配者たちは戦う者たちを恐れ、国を失うことを恐れて隠れる。そして彼らはアナ・グムバラを探す。その者の家は川のほとりにあり、扉は石の高さ、ハンデウレウムとハンジュアンの木で青々としている。皆は生贄を探すが、もういない。髭の若者と一緒に行ってしまった。チャウェネ渓谷へ新しい土地を開拓しに行ってしまったのだ!
見つけたのは枯れ枝に止まって鳴く鴉だけだった。聞かれよ!時代は変わるだろう。しかし後の日に、セテラ・グヌン・ゲデ山が噴火し、七つの山もそれにつづく。全ての地が再び騒乱となる。スンダ人が呼び出され、スンダ人は許される。全ては再び良くなる。国はまたひとつになる。祖国に栄光が戻る Nusa jaya labi 。ラトゥ・アディル(公正の王=救世主)が立ち上がるから。本物のラトゥ・アディルが。
だがその王は誰か?サン・ラトゥの出身は?いつの日かそなたらは知るだろう。今は、若き牧者(グムバラ)を探せ。
さあ、行くのだ!忘れるな。振り返ってはならぬ!

…………

次回は別サイトでの、『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』の論考を紹介します。
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by gatotkaca | 2012-02-13 04:27 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 第4章・脚注

第4章
結論と結び

スマルの実態

ヌサンタラ起源の神話としてのスマル


 迷路のように『混沌 semrawut 』としていた、スマルのキャラクターに関する専門家たちの意見を眺め、比較するなかで、意見と意見を組み合わせ、紡ぎ、一本の金の絹糸が立ち現れて来た。さあ、このスマルの愛すべき神話という、金の絹糸を引いて、ひとつの結論へと縫い上げよう。
a. スマルとは、その名と、表すものはインド起源ではなく、インドネシア起源である。
b. スマルとは、祖先(インドネシア起源の民族から生まれた祖先)の名であり、その『影 bayangan 』は、宗教的機能を担って、今に比べればとても簡易な形式であったにせよ、三千五百年前後の有史以前より影絵芝居として演じられて来た。
c. スマルとは、有史以前、紀元前千五百年前から、1978年の現在に至るまで、重要かつ敬意を払われる、それを育んで来た者たちにとって最も重要な、インドネシア起源の神話的人物として維持され続けている。
d. ワヤンにおけるスマルは、高貴なる心を持ち善意の人物であるサトリヨたちのポノカワンとして表現された。彼は利益を求めず奉仕する。彼は前面にありながら、支配しない。彼は手本と教えを与えるが、それに言葉は用いない。彼は傍らにあるが、同化しない。彼は背後にいるが、支配されない。彼は激励し、祝福する。彼はまた、ポノカワンとして様々な役割を持つ。
・サトリヨが困難、困惑、暗澹の内にある時は、助言者・導きの光。
・サトリヨが絶望にある時は、励ます者。
・サトリヨが危険に陥った時は、救う者。
・サトリヨが欲望に捕われた(感情に流された)時は、抑える者。
・サトリヨが淋しさのうちにある時は、その友。
・サトリヨが病にある時は治療する者。
・サトリヨが困難に直面しているときは、〈楽しみを与える〉芸人。
e. スマルとは敬意を払われる師でありながら、まわりに敬意を払い、誠実で、中庸、何事にも対応し、行動できるが、穏やかで(利益を求めず)、スウン、スニャ、コソン、ハムパ、トヨ〈すべて空を意味する〉であり、自身の利益を求めない。その無私、無欲はモヨの超越性と役割に依っている。
・座っていると思えば、彼は立っている。イ・ルラ(yi lurah=キヤイ・ルラ)は座るように立っている。朝日のような姿で、彼からは光が溢れ出ているが、死体のように青白くもある。モヨとは明らかに超越したもの、サトリヨに仕えるが、支配は受けない。以前は神だったが、人になった。国の民にあまねく恵みを与え、聖なる王も彼を敬する。貴族も異ならない。両親(yayahrena)も無く、子もいない。神(jawata)も彼に敬意を払う。プラメスティ pramesti(最高神)もまたしかり。彼が誰であるのか推し量るのは難しい。彼の存在を完全に知ることは暗中模索である。

概念の象徴的意味におけるスマル

1. ワヤンのスマルは、偶像としての『神(トゥハン)の肖像』ではない。ワヤンのスマルは言語化されたシムボルであり、概念の形象化の依り代としての皮にすぎまい。
2. ガイブ gaib(神秘)、サマル samar(朧げ)、サル sar(光)、スマル、ウィセソ、トゥンガル、ヌルチャフヤ Nurcahya 、ヌルロソ Nurrasa 、トヨ Taya 、愛/アスモロ・ソント、チャハヤ、ジナノバドロの語は、『ク・トゥハン・アン(神性)』の各側面を表象する。そのシムボル、側面、性質はパクリラン(影絵芝居上演)において一個のものとして現れる。それこそがスマルである。それ(スマル)は『神(トゥハン)の肖像』ではないが、『唯一なる神性 ke-Tuhan-an Yang Maha Esa 』の言語化されたシムボルであり、概念の表象としての機能を担う。36)
 限りある言語と、五感の性質で人間は、トゥハンの本質と存在を描き出すことしか出来ない。ゆえにトゥハンは『タンクノ・キノヨ・ゴポ tankena kinaya ngapa (何ともどういうものとも言い表せない)』である。つまり、トゥハンは何をもってしても、どのようにしても同じものは無く、描きようも無い。トゥハンとはトランスセンデント Transendent(超越者)であり、その意味は人間の精神に収まりきれないということであり、彼は形をもたず、それゆえ、描くことは出来ない。無限の存在を描くことなど不可能なのである。神のすべての力と偉大さを見るには、人間は有限であり、はなはだ貧しく、その命も短かすぎる。人間はただ、トゥハン=神が世界を創世し、あまねく世界にある、ということを知るのみである。
3. ゆえにスマルは、有史以前からのヌサンタラの神話における愛すべきキャラクターとして存在し、その時代(有史以前/新石器時代)のインドネシア民族が完全なる『神性 ke-Tuhan-an 』の各側面、つまり、エサ(トゥンガル=唯一性)、ウィセソ(クアサ=力)、ウェナン(サクティ=超越性)、プンガシ pengasih (アスモロ=愛)、ガイブ=神秘、サマル=朧げ、ミステリアス(トラセンデント=超越性)、そしてインマネント Immanent (普遍的内在)、スチ(ソント=聖性)といったすべての実態(付帯性)を統合したトゥンガルとして理解され、概念化されたものである。
 であるから、ヌサンタラの民が読み書きを身に着ける以前から、ヤン・ウィセソ(サン・ヒワン・ウィセソ)の各側面についての理解を知覚し、表現するに十分なシムボル、肖像として持っていたものである。
 サン・ヒワン・ウィセソの子であると考えるなら、それは生物学的な子どもではなく、シムボル化され概念化された、意味の派生体、細分化、継承者という意味における子である。ゆえにその実態はひとつでありながら、トゥンガル(総合体)なのである。

哲学的意味におけるスマル

 イラヒ Illahi (神性)の性質的各側面の理念、概念の表象(シムボル化)であるスマルの肖像を読み込んだ際、多少とも言えることは、次のようなものである。
 ワヤンとは皮にすぎない。皮は実態ではない。『彼』と同じではないのだ。それは『彼』の名と本質のシムボルにすぎない。シムボルの中にあるのはトヨ(空)である。そしてトヨ(空)の中に『彼』はある。
 いまだスニ、スニャップ、スニャ、スニャタ、アワン・ウワン、トヨ〈すべて空〉であり、触れ得ず、感じ得ず、自覚し得ず、名も無く、方向も無く、時も無く、場も無く、しかし確かに存在する。『彼』はマハ・ウィセソ、ウェナン・ウェニン Wenang-Weing 。彼は見えず、しかし存在する。この存在は一番最初の存在であり、それ以前には何も存在しない。
 トゥンガル(全てを統合した)である存在。絶対的存在。彼は唯一の現実である。目に見えず、神秘で、謎に満ちて、朧げなる存在。現れるものが存在であり、存在は相対的で多様であり、多様性は本質ではなく、ゆえにトゥンガル(総合性)こそが絶対的存在である。
 トゥンガルは真理であり、真理は絶対である。ゆえに真理は二つと分けることのできない存在である。タン・オノ・ダルモ・マングルウォ Tan Hana Dharma Mangrwa (分割不可能な一つの真理)なのだ。であるから、サン・ヒワン・トゥンガルは真理であり、同時にサン・ヒワン・トゥンガルはサマル(朧げ)である。サマルとはザット(神の本質)である。サマルとは本質と名の側面である。
『彼』はトゥンガル(総合体)であり、トゥンガルはエサ(唯一のもの)である。
『彼』はトヨ、スウン、ハムパ、正確なる空であり、超越性、幻影、力、目的性を備えている。
 彼はバドロBhadra である。彼は満月のような姿である。しかしナヤントコ nayantaka でもあり、彼は死体のように青白い。
 彼はチャハヤ・ブウォノ(世界の光)であり、光の源、知の光、ジナノバドロ、英知の光であり、手短かに言えば、全ての光、ヌルチャハヤNurcahya と呼ばれるものである。
 彼はスモロ(愛)である。しかし、ソント、スチ(聖性)でもある。ゆえに彼はアスモロ・ソント・チンタ・スチ Asmara santa cinta suci である。彼は聖なるものを愛し、見返りを求めない。
 彼はマナン・ムヌンmanang-munung である。場を持たず、しかし全ての場に存在する。水に溶けた塩が、塩味として水のすべての部分にあるように。
 彼はサマル(朧げ)であり、ガイブ(神秘)であり、目に見えず、見つめることも出来ず、形を定めることができず、並ぶ者無く、この世界に見えるものの何ものとも同じではない。合理的思考によっては彼にたどり着けない。手短に言えば、彼はトランスセンデント(超越者)であり、理によって近づくことはできないが、それをも含んだ存在である。因であり、すべての始まりにして終わりである
 彼は対峙するすべてのものを内包し、まとめ、調整し、調和させ、溶かし込む。彼は何ものとも衝突することを知らず、いかなる衝突も相違も持たない。『彼』にとって、暗闇と光は同じであり、高いことと低いこと、広いことと狭いこと、男と女、神と人、右と左、良きことと悪しきこと、奇数と偶数、静止と運動、歪みと直線は同じことなのである。
 彼は天空にあり、海岸に打ち寄せる大海の高潮の中にあり、なりを潜める穏やかな風の中にもあり、美しい娘の笑顔の中にも、くすぶる炎の熱の中にも、満月の涼しさの中、芥子粒の中、そして魂の内にいる。彼はインマネント immanent (普遍的内在)であり、世界のすべての『anglimputi 』を内包する。彼は全ての命(kumelip )を知っているのである。
 彼は養育者であり、糧を与える者であり、任命し、まとめあげ、導き、守護し、受け取り、与え、貢献し、愛し、行う。すべての者のために。見返りを期待せずに。何も要求せず。彼は『ムマユ・ハユニン・ブウォノ、スピ・イン・パムリ・ラメ・イン・ガウェ memayu hayuning bhuana, sepi ing pamrih rame ing gawe (世界の安寧を願い、平穏を求めて立ち働く師)』なのである。
 その意味は、彼が世界が調和するよう、天と地、世界のすべてのものが、各々の役割を合わせて、世界の平穏をもたらすように監視する、ということである。何も、誰も拒否せず、力に頼らず、控えめに、そして奉仕する。彼は養育し、教育し、熟成させ、発展させ、保護する。すべてのものが、その性質に応じ、同じ道筋の中で調和し合うことができるため。

結び

神聖と神聖なるもの


 これまでの解説にさらに加えるものはもう無いと著者には思えるが、我々の祖先の才は賞賛に値するといえる。その時、彼らは既に完全なる神性の理念と概念を持っていたのである。そしてこの意見には同意が得られると思うが、パンチャシラ(第一原則、唯一神への信仰)は、国とインドネシア民族の人生哲学の基礎とされるものであり、個人各々の人格の上に堅固なそびえ立つ『神聖・超越的』理念である。
 上の解説はひとつの哲学的洞察ではあるが、『トゥハン=神』とは単に哲学的カテゴリーの用語ではない。インドネシアの民族にとって、有史以前の時代から、トゥハンは前・哲学的文脈で、長い間語られて来た。民族、また宗教を持つ人々にとって、神を崇めることは、人間の心の底からの本質であり、実質であった。
 プロテスタントの神学者のひとり、ルドルフ・オットー教授(1869〜1937年 ドイツの哲学・宗教哲学者)は言う。宗教の核心的事項は合理的概念だけでは捉えきれない。他の方法、つまり物象を超えた命、言い換えれば『不合理なるもの』(思考の及ばぬ外)を用いることが必要である。それは感覚によって近づき、触れることの出来るものである。
 宗教を信仰する人生には、ある徴候、外観がある。それは態度、行動のことごとくで、聖(suci)なるものと俗なるもの(聖性の外にあるもの、また聖なるものでないもの)を区別するということである。
 宗教を信仰する者は、認識、理念、前提を持ち、世界はヒエロファニ(hierofani=神聖な啓示)に満ちている。その意味は、『聖なるもの yang kudus 』は、世界、時間、空間の事象を自ずから明確にするのである。さらにK・バートン K.Berten 博士はミルチャ・エリアーデ Mircea Eliade を引用して言う。「イエス・キリストは神の生まれ変わりであるというキリスト教では、天啓(ヒエロファニ)は最高のものとされる。」(神の哲学 Filsafat Ketuhanan 9頁)

タウヒード Tauhid 〈原文 Tauchid〉(イスラム一神教思想)

人があるものを、聖なるものとして仮定する時、石や樹、といった『物』は、石や樹という『物』として崇拝されることには意味が無い。中心となるのはメッカや啓示の表象である。宗教者はつねに世界がヘトロジニアス(不均質)であり、すべてに差異があることを指摘する。世界には聖なるものと俗なるものがあるのである。しかし、『現代の成熟した』人間の一部には世界を均質に捉える者がいる。世界は単なる世界であり、聖なるものは世界から失われ、世界には聖なるものはない。このような思想をもつ者は、冒涜的で陽気で世俗的であり、世界に聖なるものを見出さない。すべての者がこの歴史過程を辿り始めている。たとえば、かつて月は聖なるものであったが、時移り、今や月はただの衛星〈原文 planit〉という物にすぎない。
 ヌサンタラ(ジャワ)は天啓に満ちていた。聖なる、恐ろしい、重要な、超越的といった聖性を担う時間、空間、場所があった。たとえば、ムスジット(イスラム寺院)の礼拝堂、教会、寺院、チャンディ、山、湖、洞窟等々。理解することができるようになっていた。ディエンにおいてスマルがアスモロソント(聖性を愛するもの)と名付けられたその時を。ワヤンのスマルを歴史的事実として見ようとすれば、それはちがう。神話として、神性のシムボルとして捉えなければならない。つまり、ひとつのしるし、象徴を概念化されたイラヒ(神)に対する表現、認識として捉え、観ることである。この理解の仕方は、インドネシアの民族が、有史以前から宗教とトゥハン・ヤン・マハ・エサを抱いていた民族であることの確かな証拠になるだろう。
 我々にとっての唯一神の理念は、(アル・クルアーン)純正章(Al Ikhlas アル・エヘラース)の中に述べられているタウヒードである。
ーー言え、『彼こそが唯一なるアラーである。』(112章:1)
ーーアラーはすべてを統べる自身にのみ依存する神である。(112章:2)
ーー彼は子を持たず子とされることもない。(112章:3)
ーー『彼』と並び得るものは誰もいない。(112章:4)
 ハムカ Hamka 博士は言う。『アル・クルアーン』聖典は思考と感覚の扉を開く、と。

ダワー Da'wah (イスラム伝道)

 それゆえ、その思考は行き過ぎのないようにしなければならない。ワヤン・クリ上演の本質は、プラトン的デア世界の顕現、提供の表出にとどまらず、ダワーと倫理教育へと至る役割をも担っている。それはマーリファット ma'rifat (自己を知ること)の教えへと至るのである。
 ワヤンにおけるマーリファットへ至る努力は、容易に理解できよう。それはラコン「デウォ・ルチ」の中に述べられているようなものである。人間は、ビモのようであらねばならない。スマル・バドロノヨ(神秘なる光)に付き従われたビモはサン・ヒワン・アチンティヤ Sang Hyang Acintya (ヒワン・ガイブ Hyang Gaib )と出会い、『マルディクン・ブディ Mardikeng Budi (強く、賢明なる魂)』、スフィー、アリフ・ワスキタ Arif waskita (千里眼の賢者)(マーリファット)となる。
 マーリファットの境地に達するためには、内省的思考と自身の情報を知る必要がある。慈善とビモのような男らしさ、つまりルクソムコ山を壊し、ルクマコロとルクムコをルワット(魔除け)することを承知しなければならない。我々は自分自身に起こる四つの欲望を、捨て去り、取り除き、控えることができなければならない。大海に飛び込み、大蛇ヌムブルノウォ Numburnawa と出会い、これを殲滅することができなければならないのだ。
 哲学者やスーフィー(イスラム神秘主義)たちによってラコン「デウォ・ルチ」は神秘主義を解き明かし、マーリファット(自己を知ること)の境地に至る行動、またハーディス(ムハンマッド言行録)にある『誰あろうと己を明らかに(しっかりと)知る者は、神を知るであろう』という言葉の実践、の象徴としての意味を与えられた。
 スフィーにとってハーディスは長い間堅持されて来た。友人に答えた預言者もあった。それもまたスフィーたちに保持され、誇りとされている。
 「愛とは、人間が最初のものにして至高なるアラーを愛することである。それは彼らがある家族の子孫であるからではなく、また彼らの間に与えるべき財産があるからでもない。アラーは彼らの顔に『光 Nur 』を放ち、彼らはその『光』を延ばす。人は恐怖するものだとはいえ、彼らが恐れる必要はない。人は悲しむものとはいえ、彼らが悲しむ必要はない。」
 そして預言者は続けて言った。
 「アラーの伝道者たち(ワリ)は恐れることも、悲しむこともない。」

ひとつにつなぐものは何か?

 以上の教えのすべてを心に留めれば、トゥハンを目指す道が普遍的であり本質的であることは明らかであろう。とはいえ、もうひとつ知っておくことがある。それは『ひとつにする、また統合する』ということである。何が全てを統合するのか?答えは、神の意志が、神の力が、光の導き(バドロノヨ)が、そして神の光(デウォ・ルチ)が。そして『神の本質 Zat 』が、ではない。なぜなら、人間は有限であり、無限なるものには対応できないからである。一杯の茶には大海を入れることは出来ない。
 とはいえ、その導き/バドロノヨの光は、人間を賢者とし、超越者、力あるものにしてくれる。しかし、偉大なる力=マハ・クアサにはなれない。であるから人間は被造物であり、神はアル・カリク (Al-Khaliq=神アラーの名)なのである。
 ここにこそ、外面と内面、理論と感性を交配させ得る霊性、神秘主義(タサウフ tasawuf )、哲学の意味がある。そして無比なる幸福、悦楽、魂の豊かさを生み出すことができるのである。藝術は、人生の宝石であり、伴奏である。哲学は人生を解き明かす。神秘主義(タサウフ)は人生を要約し、礼拝は人生を包み込み、英知(イルム)は人生の乗り物なのである。

結び

 ワヤンに関する説明はこのようなものである。複雑にして優美なワヤンの哲学的価値を観て行くことをこれで終わりにするのはいささか気が引けるが、遠き学びの道を、ひとまずここで停めることとしよう。どんなに長い話にも、終わりがなければならないから。
 結びの言葉として、この凡庸なる筆者が、より深く、より広い比較を望む人のために、何事かをなし得たであろうことを期待するのみである。
 世に益することのありますように。

脚注
1)パリヤフトモ Prof.Dr.Priyahutama 「ナワルチ Nawaruci 」32頁
2)プルボチャロコ Prf.Dr.Purbacaraka 「ジャワ文学 Kepustakaan Jawa 」29頁
3)コエス Dr.Koes 論文「ジャワ文化におけるボチャ・アンゴン De Bocah Angon In De Javaanse Culutur 」18頁
4)GAJ・ハゼウ Prf.Dr.GAJ.Hazeu 14頁
5)GAJ・ハゼウ Prf.Dr.GAJ.Hazeu 42頁 「スマル、それは古来からの宗教的幻想として表された霊であり、真正のジャワの先祖の誰かの名である。」
6)コエス Dr.Koes 論文 19頁
7)コエス Dr.Koes 論文 20頁
8)ピゴー Dr.Pigeaud Jav.Wdb. 519頁 スマット Semat=バナナの葉で包む際の小さな止め釘。
9)コエス Dr.Koes 論文 20頁
10)ハルン・ハディウィジョノ Dr. Harun Hadiwijana 論文第四章 『現代ジャワのクバティナンにおける人間』1967年アムステルダムキリスト教大学に提出された。
11)セノ・サストロアミジョヨ Dr.Seno Sastraamijaya 「ワヤン・クリ上演についての考察」69頁(日本版『ワヤンの基礎』松本亮・竹内弘道・疋田弘子/訳 1982年 めこん刊」67頁)
12)「ジャワ文学」157頁
13)「サンヒワン・コモハヤニカン Sanghyan Kamahayanikan 」133頁
14)「サンヒワン・コモハヤニカン Sanghyan Kamahayanikan 」135頁
15)エドワード・ミード・ワール Edward Mead Warle 『新戦略の創始者 Makers of Modern Strategy 』317頁、「世界の中心を制する者は、世界を制す。」
16)マジャラ・ルラキ Majalah Lelaki No.12 1977年Ⅰ
17)「このときダランはすぐさまニヨゴ niaga (伴奏ガムラン)にサムパ sampak (ワヤンの伴奏曲で、戦いや緊張した場面で奏される)を奏するよう指示し、サン・ダランはグヌンガンを場面から外すか、あるいは左右に振り、裏面に返す。するとそこには赤色のゆらめく炎があらわれる。それは炎の猛威に曝されるゴロ・ゴロの混乱を描いているのである。」
18、19)ガレンとペトルはスマルの子ではなく、ガンダルウォ王バウサスロの子である。(スラット・トゥムルニン・ワフユ・モヨ serat tumuruning wahyu Maya 5頁)
20)パクリラン pakeliran (ワヤン上演)におけるポノカワンはひじょうに広く大きい役割をもち、特に日常用語や聴衆・観客のわかる言葉での解説、説明を担う。パクリラン以外の役割では、ポノカワンを介して民衆の生活に関係する事象について自由に情報を提供できることにある。それはダランによって規律や礼儀に関する事柄と結びつけられる。
21)ブリタニカ百科事典 1962年 ここでのアジュダンは現在のアジュダン ajudan (補佐官)の語とは別のものであり、意味や機能が大きく異なる。
22)コエス Dr.Koes 論文 86頁
23)コエス Dr.Koes 論文 87頁
24)マックフォールド Prf.Ki.M.A.Machfoeld 219頁
25)マックフォールド Prf.Ki.M.A.Machfoeld 224頁
26)プジョスブロト R.Poedjosoebroro 「イスラム教義を象徴するワヤン Wayang Lambang Ajaran Islam 」3頁
27)プジョウィヤトノ Prof.I.R.Pujawiyatna 「彼岸・此岸の哲学 Filsafat Sana-Sini 」54頁
28)プジョウィヤトノ Prof.I.R.Pujawiyatna 55頁
29)プジョウィヤトノ Prof.I.R.Pujawiyatna 「彼岸・此岸の哲学 Filsafat Sana-Sini 」56頁
30)デデン Dr.D.Deden.S.C.J. 「アラーの愛 Cinta Kasih Allah 」102頁
31)
32)ハディウィノヨ Dr. Harun Hadiwiyono 「インド哲学の花粉 Sari Filsafat India 」35頁の解説。「イスヴァラあるいはプルソータマ Purusotama を因として世界の本質は生まれ、この生成は、イシュヴァラ、またアートマヴィブティ Atmawibhuti とも呼ばれるものの力の源であるマーヤ、つまりシャクティに由来する。それは個を形成するための力である。」
33)プルボチャロコ Prof.Dr.Purbacaraka 70頁、150頁。「ヒンドゥーの影響が減少した時、『真正のジャワ人の神』がまた現れブトロ・グルの上位に立った。この章句は、ヒンドゥー到来以前(有史以前)に、ヌサンタラ人がすでに『唯一神の概念』を持っていたことを意味する。いっぽう、エサ、トゥンガル、タヤの語は神そのものではなく、『神の一性質』にすぎなかった。またこれらの語は、インドネシア民族によってその時期の神の名称として用いられた。ワヤンにおけるブトロ・グルは、ヒンドゥー教からの神(イシュヴァラ、ブラフマン、プルソタマ、パラマートマン)と同じではなく、エサなるものは超越者(Transendent)であり、普遍的内在(Immanent)な存在なのである。
34)ムクティ・アリ Prof.Dr.H.A.Mukti Ali 「イズムの中の唯一神への信仰 Ketuhanan Yang Maha Esa Dalam Isme 」 6頁
35)サン・ヒワン・コモハヤニカン129
36)ジョウィヤトノ Prof.I.R.Pujawiyatna 「彼岸・此岸の哲学 Filsafat Sana-Sini 」556頁

(Apa dan Siapa Semar 終わり)
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by gatotkaca | 2012-02-12 01:07 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 第3章 その2

モヨとはブラフマンのサクティ(聖性)である

 我々は、モヨ(マーヤ)とはヒンドゥー教のバーガバットギーター Bhagawatgita の教義ではシャクティ(宇宙・現象のあらゆるものの背後にある〈女性的〉エネルギー)の意味を持っていることを想起する。また老子の道教思想における空とサクティ(徳 te)の教義も思い起こされるだろう。
 ヒンドゥー教におけるザット Zat (神の本質)で最高のものはブラフマンである。ブラフマンは超越的(存在の理由を不要とする)ものであり、全ての関係性から離れて内在する。即ち『 anglimputi 』であり、どこにでも存在する。宇宙にある全てのものの内奥にあり、人間自身の内にもある。ブラフマンは神格でもなく、個でもない。しかし最高のザットとして静謐にして永遠である。人は、サッチダナンダ satcidananda という表現以外に、ブラフマンに対して何かを認識することはできない。サッチナダンダとはサット Sat (状態)、チット Cit(認識)、そしてアナンダ Ananda (平穏・歓喜・恩恵)の語からなる。
 この説で明らかとなるのは、ブラフマンこそが存在そのものであるということである。彼は霊的にすべてのものの内に存在し、すべてのものを統括する。ブラフマンとは唯一絶対の霊的存在である。すべてのものは真実ブラフマンから浮かび上がる。ブラフマンとはすべての存在の源である。
 ヒンドゥー教においては、イシュヴァラ Iswara またパラマ・アートマン Parama -atman 、プルソッタマ Purusottama 、永遠なる神( Tuhan yang Kekal )という概念も存在する。これらはブラフマンとは異なる。ブラフマンとは永遠、寂黙であり、プラソッタマとは既に述べたマーヤまたシャクティの内なるエネルギー、つまり個たるイシュヴァラの力である。であるから、キタブ・マニク・モヨにおけるモヨ(マーヤ)とは、ブラフマンの一側面であるということだ。

スウン(suwung=混沌)とは真理である

 一方、スーニャ sunya 、コソン(アワン・ウウン) kosong(awang-uwung)、またスニャタ Sunyata 〈すべて空を意味する〉は、仏教において次のように説明される。
 「真理とは静寂、空、スニャタであり、知識によっては近づくことができない。そしてスニャタとは、永遠なる存在の、ひとつの実態化である。
 であるから、真理とは空・タヤ Taya (suwung)である。」
 この説に則るとマーヤとはスウン(混沌)、スニャタ、サン・ヒワン・ウィセソまたブラフマンのひとつの側面であると知ることができる。
 であるなら、スドモロにおけるスマルの登場とは、ひとつの確認であり、キタブ・タントゥ・パンゲラランに表明されたところの具体化ということになる。
 キタブ・クプスタカアン・ジャワ Kepustakaan Jawa における、プルボチャロコ教授の意見はこうである。
 『キタブ・クロウォクロモ Kurawakrama は、キタブ・タントゥ・パンゲラランよりも新しいものである。キタブ・クロウォクロモでは、サン・ヒワン・パラメスウォロ Parameswara (ブトロ・グル)の高位にサン・ヒワン・トヨ Taya がおかれている。トヨはジャワ起源の語であり、『不存在』を意味し、スンダ語の " teu aya " 、即ち真正ジャワ人のトゥハンを指す名である。サン・ヒワン・ウェナン、サン・ヒワン・トゥンガルの名称もまたそのようである。両者とも、意味の明らかなジャワ起源の語であり、まさしくヤン・クアサ(偉大なる力)の呼び名である。おそらくジャワ・ヒンドゥー最盛期には、真正のジャワ人のトゥハンはヒンドゥーの人々の、後にブトロ・グルとなった、ブトロ・マハデウォ、パラメスワラ Parameswara 、その他の名のトゥハンによって劣勢となり、サン・ヒワン・トゥンガルまたサン・ヒワン・ウェナンはナビ・アダムのもと(人間界)におかれた。かくて時は過ぎ、ジャワ人が成熟したとき、ワヤンの神々とサン・ヒワン・ウェナン、トヨ、その他の名をもつ神が現れたのである。

スマルはトゥハンではない

 ここでひとつの疑問がうかぶ。ダラン界では、ワヤンのスマルはトゥハンであるのか?答えは決まっている。『否、ワヤンのスマルはトゥハンではない』。ワヤンでのスマルという人物像はポノカワン、つまり『ムマユ・ハユニン・ジャガド memayu hayuning jagad (世界が平穏・麗しくあるように)』そして『パモン・ヤン・スピ・イン・パムリ・ラメ・イン・ガウェ pamong yang sepi ing pamrih rame ing gawe (平穏を求めて立ち働く師)』なのである。ワヤンでのスマルは、神、つまりブトロ・グルの権力を敗る『ク・トゥハン・アン ke-Tuhan-an ・イラーヒIllahi・デウォ dewa 〈神〉=神格』を与えられたワヤン・クリのキャラクターである。
 誤解を避けるため、この問題をさらに明確化できるよう、ここである神学者による定義を引用しておこう。それはハルン・ハディウィジョノ Harun Hadiwijono博士のものである。
 「……ここでのトゥハンの真理に対する理解は、曖昧になる。プラトンの『神性 tabiat ilahi』また『神格 ke-Tuhan-an 』に関する説で、神は言葉であると理解される。その意は、性質を表す名の示すもの、ということである。
 神とは『クトゥハナン ketuhanan (神の概念)』また『ヤン・イラヒ yang ilahi (神なるもの)』となる。
 『神はイラヒ ilahi である』とは定理でなく、『イラヒなるものは神である』となる。(二つの定理は大きく異なる。比較するため、言い換えてみよう。『鶏は動物である』と『動物は鶏である』。)プラトンにとって重要なのは、『神なるもの』であり、後に『神なるもの』が神であるとされる。」
 いまや問題は明確になったであろう。『神格 ketuhanan 』を備えたものが必須、また確定的に神となるのではない。たとえば、神は光である。しかし各々の光がすなわち神というわけではない。またこうも言える。神とは神秘である。しかし神秘なるものすべてが(スマルも)神であるわけではない、と。
 であるから、ワヤン・クリのスマルというキャラクターは『神格 ketuhanan』を与えられてはいるが、トゥハン(神)そのものである必要はない。つまり『ワヤンのスマルはトゥハンではない』のである。であるなら、ワヤン・クリ・プルウォのダラン界におけるキヤイ・ルラ・スマルの役割と機能とは何か?
 ワヤンのスマルのキャラクターはダラン界においては、誰にも敗ることのできないひとつのキャラクターであることはもう解っている。すべての神々が『カカン Kakang (兄)またウウォ Uwa (大いなる父)』と呼び、王たちもつねにカカンまたキヤイ・スマルと彼を呼ぶ。
 以上の解析から『ワヤンのスマルというキャラクターは、トゥハン・ヤン・マハ・エサ(唯一絶対の神)そのものではないが、その概念 konsepsi の表出である』ということができるだろう。
 文字が読めないからといって、その者たちが、何も理解できないということはない。彼らも神秘なるものであれ、何であれ理解することはできるのである。彼らは五感、思考、感覚、意志で理解する。つまり言葉で書かれたものを読むのではなく、たとえば動作、画像、絵画、シムボルで表現されたもので理解するのである。画像やシムボルがあれば、彼らはその表されたものを読み、理解する。たとえば、ワヤンの表現するものを。
 さて、これから、ワヤン・クリのスマルが表す概念とシムボルを読んでみよう。

唯一なる神格 Ketuhanan yang Maha Esa

 有史以前のインドネシアの祖先たちが、完成したク・トゥハン・アン(絶対的神格)に対する理念と概念を持っていたことは、すでにたびたび確認してきた。それゆえ、パンチャシラ Pancasila の第一原則、『唯一神への信仰は真に有史以前からの独自の個性を打ち立てたものである。』にも明記されている。この唯一神への信仰の原則ゆえに、インドネシアに存在するすべての宗教と信仰は束ねられ得るのである。それは『ビネカ・トゥンガル・イカ・タン・オノ・ダルモ・マングルウォ BHINEKA TUNGGAL IKA TAN HANA DHARMA MANGRWA 、すなわち、様々な色は、二つとわけることの出来ない『真実』(神)があって、ひとつにすることができる』ということである。
 タントゥラル Tantlar のモットーでは、トゥハン(神)という言葉に黙示されているものについて、次のように言われている。
 「あなたはキタブの専門家たちと議論してはならない。よほど独善的な人を除けば、彼らを言い負かすことなど出来ないからだ。彼らは言う。「私たちは、私たち、そしてあなたにも、降された(書)に忠実なだけなのです。『我らの神とあなたの神は一つです。』私たちは『それ』のみに身を捧げます。(Al Ankabut 29:46)」
 この言葉に基づくと、ガルーダ・パンチャシラ Garuda Pancasila のモットーは、ひとつのシムボルが、存在を強固に、堅固に、強力にひとつにまとめあげる、ということだと言えるかもしれない。
 成熟した思考は、トゥハンを探し、知り、そして愛することを困難としない。ゆえに政府も個人も、ヴェーダ、キタブ・スチ Kitab Suci 、その他の宗教哲学を翻訳し、出版して来た。
・アル・クルアーンとその翻訳
・アル・キタブ
・マーナヴァ・ダルマシャーストラやヴェーダ・スムルティ
・バガバット・ギーター
・サン・ヒワン・コモハヤニカン(サン・ヒャン・カーマハーヤニカン=聖大乗論)
・主、アラーとは何ものか? Apa dan siapa Tuhan Allah itu?
・アラーの愛 Cinta Kasih Allah
・神学、哲学そして神秘主義/イスラム神秘主義における
・主をもとめて Aku mencari Tuhan
・チェンティニその他
〈スラット・チュンティニ:スロ・タムバンララス Sulik Tambanglaras またスロ・タムバンララス・アモンロゴ Suluk Yambangraras-Amongraga とも呼ばれる。16世紀に成立した。ジャワ文化・教義の集大成ともいえる書。トゥムバン(詩形式の一種)形式で書かれている。〉
 何処から我々はトゥハン探し、愛すればよいのか?それは明らかである。トゥハン・ヤン・マハ・エサを愛するために、まず我々は、『偉大さ ke-Agungan 』、『超越性 ke-Mahakuasaan 』、そして『創造者 karya ciptaan-Nya 』たるその本質を知る必要がある。そして忘れてはならない重要なことは、『自ら知る』ということである。
 このク・エサ・アンについて、元IAIN. (Institut agama Islam negeri 国立イスラム学院)・スナン・カリジョゴの比較宗教学部長、インドネシア共和国宗教大臣ムクティ・アリ Mukti Ali 教授は、プルグルアン・ティンギ・テオロギ・ドゥト・ワチョノ・ヨグヤカルタPerguruan Tinggi Theologi Duta Wacana Yogyakarta 〈ヨグヤカルタ大学会議?〉での講演で、イスラムはク・エサ・アンを真摯に重視する、と述べた。
 ク・エサ・アン・トゥハンとは我々にとってはアル・イクラスの書に説かれているタウヒード Tauhid (一化の理念)に他ならない。
 「曰く、彼は唯一なるアラーなり。アラーとはそれ自身のみによってある存在である。子を持たず、子として扱われることもない。何者も彼と同じ年齢のものはない。」(アル・イクラス)
 「唯一にして偉大なる力、アラーの他に神はいない。」(Shad,5)
これらの章句の他にも神の唯一性を強調するものはたくさんある。34)
 さらに彼は、唯一性の拡張概念は、科学においても、宗教においても基本的な世界の法則として現れているとも述べた。この点についてアル・クルアーンにはひじょうに簡潔な論証が示されている。『天と地の間にアラー以外の神があったなら、ふたつとも崩壊するであろう(Al Anbiya 予言者章 22)』、と。
 アラー以外の神がいたならば、間違いなく世界の秩序は、不安定な状態となり、自然の法則も道を失うこととなる。
 科学においても同様に、世界の法則はひとつであり、様々な多様性は、それぞれの法則によって束ねられ、最後にはすべてをカバーする、ただひとつの法則に収斂される。科学ではこの仮説が、経験則によって実証されるが、科学の扱うのは感覚的事象〈物理的存在〉のみである。
 一方、聖書(Bijble)において神の唯一性は、次のような章句において強調されている。
 「そのようにして、地上のすべての民は主が神であり、また主の他に神はないことを知るであろう。(列王記第八章60)」
 「悪魔よ退け!『そなたはそなたの神、主を敬いただ彼のみに礼拝することを望め』と記されている。(マタイ伝第四章10)〈原文 Mateus 4:35〉」
 「汝の前にいるものこそ目指されるもの、神は主であり、唯一なる神は他にいない。(申命記第四章35)〈原文 Ulamgan 4:10〉」
 一方、キタブ・サン・ヒワン・コモハヤニカン〈聖大乗論〉では次のように説明される。
 「仏教における、真理に関しての伝統的教義と、キタブ・サン・ヒワン・コモハヤニカンにおける秘教の本質、そして秘教的教義には、後に大乗仏教の宗派の形成を見ることとなる様々な定理が現れている。その分析法のシステムは異なるが、この教義に明らかなのは、これが一神教的印象を与えるということである。」
 世界に生きるすべての命の因となるサン・ヒワン・アディ・ブッダ(仏陀)に関して、記事が89段落に説かれている。
 「パラナグヒヤ Paranaguhya=大いなる秘、秘中の秘、即ちトゥハン・ヤン・マハ・エサ・バトロ・ウィセソの実態。
トゥハン・ヤン・マハ・エサ・バトロ・ウィセソ=ヤン・マハ・クアサ(トゥハン)またこの書ではサン・ヒワン・アディ・ブッダと呼ばれるものの一相。 35)
 人間はトゥハンを理解し、近づき、愛することが可能とはいえ、それは無限の知識のほんの一部でしかない。このようにして、ク・エサ・アン・トゥハン(唯一至高の神)は神学上の問題として残っている。それゆえ、人間は初めから、自分自身が有限の被造物にすぎないことを意識する必要があったのである。そして有限なるものは永遠なるものを理解し内なるものにすることができる可能性があるのだ。一杯の茶が大海を呑み干す。神とは絶対的存在であり、人間とは相対的存在なのである。
 しかし、人間がひじょうに高い段階の英知に到達しても、人間は言葉にし、描くことしかできない。我々は永遠なる神の存在と本質を描く。しかしそれは、空間、時間、場所、そして人間そのものとその五感によって制限されたものにすぎない。それゆえ、それは不可能であり、正確なものではない。時として人間は、神の唯一性のすべてを感覚で理解し、内なるものとすることができるにすぎないのである。そこにこそ、人間の困難がある。しかし重要なのは、我々は『感得 merasa dapat 』することはできないが、反対に我々自身を『感じることはできる dapat merasa 』し、理解しなければならないのである。なぜそうなのか?それは「感得」することは、横柄さや傲慢さに陥ることを意味してもいるからである。
 もしそうなら、我々はもはや神を理解し、知り、そして愛することが出来ないと、ここに至って絶望しなければならないのだろうか?もちろん違う。我々には神を理解し、知り、そして愛する努力を続ける義務がある。我々は自らが有限であり、相対的な存在であることの自覚からはじめて、ニヒリズムやネガティヴ主義に落ちること無く、また擬人化(anthropomorphisme )や擬神化(anthropopantheisme)的理解に逸れることもないように努めなければならない。
 もう一度強調しておこう。我々が神の名と本質を描くことにおいて、実際に為し得ることは、人間性とその五感の性質である言葉を、仮のものとし、それから定理をしっかりと掴み取ることとなる。
a. 『我の神と汝の神はひとつである(第29章蜘蛛 al-'Ankabut 46)』
b. 『……神のみが、迷える者と、真実なる者とを知っている(第16章蜜蜂 An-Nahl 125)』
c. 『「ビネカ・トゥンガル・イカ Buneka Tunggal Ika 」(スタソマ Sutasoma )の意味。様々で、異なっている(と言われる)が、しかしそれにもかかわらず、その本質はひとつ=Tunggal である。』
 そうして、我々は異なる意見と緊張関係を緩和させることができるのである。

(第3章 終わり 第4章へつづく)
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by gatotkaca | 2012-02-11 05:20 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 第3章 その1

第3章
分析(kupasan=皮を剥ぐこと)

ワヤンのスマルはトゥハンの肖像ではない

『混沌とした(semrawut) 』スマルの文学的表現

 先に記した専門家たちの説、意見に基づいてワヤンの書にあたると、混乱・混濁の度が増すように思える。海外三組の学者に加えて、インドネシアの一部の専門家たちのスマルに関する分析は、いまだ(満足し得る)統一された見解に至っていないと言える。『混沌とした semrawut 』解釈は、各人それぞれのヴァージョンと見解が混在し、混乱を増している。
 スマルに関する専門家たちの多くの説は、いまだ統一されていない。ある印象を浮かべ、インクを費やして、この世に書簡、詩句をしたためても、謎に満ちたスマルの含意される要素とその根拠を描き出すことには不十分であった。それでも彼は関連する全てのものを溶かし込むと同時に調和させてきたのである。手短に言えば『 tan kena kinaya ngapa(=何ものにも例えようがない)』のである。
 しかし実際、騒々しく乱雑に見える『混沌』・混乱もスマル自身にかかれば、明確なものとなるのである。
 スマルに授けられた名に『スニャ・サマル (sunya=空 samar=朧げ)』がある。それゆえ彼を知るには、明確な道具立て、根拠、精神を用いなければならない。まずはじめに彼を理解しようとするなら、見た目は混乱しているが、それに慣れたら、その意味するものを知り、そこにある哲学的意味(スマル)を錯綜の中から正確に見つけ出すのである。恐らく哲学の特性とはそのようなものであろう。
 FSUI(Fakultas Sastra Universitas Indonesia=インドネシア大学文学部)哲学科講師/学部長のスルヤント Suryant 博士が書いた哲学入門に次のようにある。
 「科学の規律(disiplin)とは異なり、哲学は学べば学ぶほど混乱していくように思える。我々は哲学が決定・明確化した理解を与えてくれることを期待するが、哲学の分野とその世界に入り込むと、すぐにある混乱を見ることになる。ホセ・フェラテール・モラ Jose Ferrater Mora はその著『今日の哲学 Philosophy Today 』で、哲学とはアナーキー(無秩序)なるものだ、と述べている。ギリシャ哲学をその思想の原点としながらも、人生を俯瞰的に捉えるインド哲学があり、強固な伝統を持つ支那哲学があり、激しく入り組んだ思考を用いるイスラム哲学、その他種々の哲学がある。」
 こうした哲学の特性はスマルの哲学にも含まれている。むろんスマルは、その対峙するもの全てをカバーし、調和させている。スマルにとって眼前のものは何ほどのこともないのである。
 さあ、ダヤン・スマルに関する専門家の意見を策定する試みを続けよう。

移行する神の地位

 ラコン・スドモロ、そこでブトリ・ウモ、ブトロ・チトロセノそしてチトロゴンドは、(人間である)サデウォと、彼に付き従うダヤン・スマルによって魔除け(ルワット)される。ここで明らかなのは、人間に対する神の地位の移行である。スドモロにおけるスマルの登場は、明らかに、二千五百年前後の間、抑圧され、潜在化していた『ク・トゥハン・アン Ke-Tuhan-an 〈土着信仰における総合的神の概念〉』の確認と顕在化である。
 ワヤン世界におけるブトロ・グルは、はじめのうちはマハデウォ(最高神)であり『マハ・クアサ(最高権力)』であったが、のちにそのクサクティアン(超越性)は『スマル』に移行していった。ワヤン界におけるスマルのキャラクターは『超越者(yang maha sakti )』たる人物となった。一揃い(satu kota )のワヤンでスマルに敬意を払わず、勝利することのできるものはひとつもない。スマルは負かすことも、彼に何かすることもなく、彼を恣意的に使うこともできない超越者なのである。スマルは積極的に支配力を行使することは無い。言葉ではなく、積み上げ、愛をもって指導する。彼は比較はせず、魂を与える。彼は背後にいるが、支配されることはない。心の支えであり、糧を与える者であり、心を読み取る者であり、手助けする者であり、癒す者であり、また育成し、祝福する者である。手短に言えば、彼は養育者であり、糧を与える者であり、任命するものである。彼は、大地と天とそこにある全てのものが、普通に平穏であるために機能するように、世界のバランスを見張る。彼は何をも、また、誰をも拒絶することが無い。出しゃばることなく奉仕する。文句を言わず、力に訴えず、糧を与え、教育し、成熟させ、発展させ、保護し、彼の役割に従って完璧にまとめあげるのである。

スマルはサン・ヒワン・ウィセソの一側面である

 さてここで、I・R・プジャウィヤトノ Pujawiyatna 博士の昔の分析を見てみよう。彼を選んだ理由は?彼は哲学の大家であり、インドネシア大学文学部と新理学部また、IKIP ジャカルタ(ジャカルタ師範学校:現在のYayasan Pembina Universitas Negeri Jakarta)の学部長でもあるからだ。さらに彼はスマルの実態の分析において、論理学/イルムを用い、哲学に造詣が深く、神学との比較もできる専門家である。
 哲学の教義とは、精神、理論、思想に基づいて、既存のもの、また存在する可能性のあるものすべてを統一する根拠を探索し、深淵な解明を知識化することである、ということを我々は知っている。さらに彼が用いた分析は哲学的意味においてスマルを理解する、ということであった。
 一部の人によれば、トゥハンの実態を探すことは、無益な時間の浪費であり、頭を悩ますだけだ、と言う。無論、トゥハンとは、何ものにも仮定し得ず、描くことのできないものではある。またトゥハンとは超越性そのものでもある。科学は真理に近づくことが出来るだけで、その距離は埋められない。人間のみがその精神によって掴み得るのである。
 人がトゥハンを求めることは、逃し易く、困難なことであるが("lunyu-lunyu peneken blimbing kuwi, kanggo masuh dodotira, kanggo seba mengko sore" 〈ブリムビン(スターフルーツ)はすべる、すべる お前のドドト(足の間から出た腰布の裾部分)を洗うのだ ドドトを夕日にあてるのだ〉)、宗教はいつもトゥハンを探し、愛することを助けてくれる。イザベラ・クーン Isobel Kuhn 〈1901〜1957年 カナダ人宣教師、雲南省、中国、そしてタイ北部で布教活動を行った。9冊の書籍を執筆している。〉も、彼女の著書『主を求めて Aku mencari Tuhan 』でこう言っている。
 「さあ、まっすぐ進もう、心にあるトゥハン〈主〉の偉大さと良識を求め知ることを続けよう。トゥハン〈主〉はおっしゃった。
ーー『汝は私を見出すだろう。汝の心の内すべてで、私を探すならば。』(Jep 29:13)
ーー『私は道であり、真理であり、命である。私をのぞいて父の御元へ至る者はない。』(Yhya 14:6)
ーー『トゥハン〈主〉は、愛である。すべての人が愛の中にあり、アッラーの内に彼もあり、そこにアッラーもおわす 31)』(Ⅰjoh. 4,16)
 イザベル・クーンの引用するキリスト聖書の段は、アル・クルアーン(コーラン)で語られることと殆ど同じである。
ーー『汝トゥハンを愛するなら、我に従え、アッラーは汝を愛するだろう』(Ali 'Imran. 3:31)
ーー『我が僕(しもべ)よ、行いをもって、つねに我に自身を近づけよ。さすれば、我はそれを愛する。我の愛する者は、我の耳となり、目となり、手となるだろう。 31)』
ーー『おお、人間よ、汝が真摯に努め、汝のトゥハンを求めるなら、必ずやそれに出会うであろう』(ALInsyqaaq. 84:6)

世界の創世

 上記の言葉に基づき、トゥハンの偉大さと愛を知るよう努めよう。プルボチャロコ教授は『キタブ・マニク・モヨ Manik Maya 』の初めの部分で、世界の創世について記している。
 「……大地も天もいまだ無く、アワン・アウン awang-awung (空=トヨ Taya)であった時。しかし静寂なる世界の中心にはすでにヒワン・ワセソがおわし、静止したままその心の内に(トゥハンを)求めた。
 自ら御身を成し、心の求めるものの他は(自分自身も含めて)何も無かった。間もなく声が聞かれ(まだ)視覚は無く、鈴の音のような音であった。と同時に衝撃が起こり、空にぶら下がった卵が現れた。それがすぐさま手に取られ、こねられると(性質を備えた)三つのものとなった。
a. ひとつは大地と天になった。
b. もうひとつは熱と光になった。
c. 三つ目はマニク・モヨとなり、二つのもの(マニクとモヨ)はサン・マハムニ(muni=賢者・聖者、寂黙)の足下にに平伏した。
 サン・ヒワン・ウィセソはヒワン・グルに言った。『おお、マニク、知られよ、そなたは我が一相(Ingsun=我)なり。我はまたそなたの一相なり。』
 以上の説で解るのは、マニク・モヨとはサン・ヒワン・ウィセソの一側面であるということである。

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-02-10 02:49 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 第2章 その14

スマルは唯一性(ke-Esaan)の概念である

 スマルとその他の者たちは外来の神々以前にあった、インドネシア人の神に起源を持つ、と考える専門家もいる。ワヤンに登場する王や国の名は通常、サンスクリット語のものであるが、スマル、ペトル、そしてガレンはサンスクリット語ではない。物語においても、ワヤンの世界はヒンドゥーの書を母体とするが、そこにはスマルの名も、スマルのような役割を持つ者も存在しない。であるから、名前のみならず、スマルとはインドネシア起源の人物なのではないか。
 起源、そして世界にあるすべてのものの庇護者としての機能を持つスマルは、クトゥハナン・ヤン・マハ・エサ(唯一至高の神)と近しい概念の形象化ではないのか?そうであるならば、我々の祖先はすでに古代以来、高貴なるもの、トゥハンに対する概念、エサ(唯一)、スムプルナ Sempurna (完全)、マハ・クアサ Maha Kuasa (偉大なる力)、マハ・プチンタ Maha Pecinta (大いなる愛)、奉仕者(Abdi)としての主 29)、を持っていたということになる。守護者たる者の友は、時間と空間にかかわらず、良き信仰をもち、自分だけの利益を追い求め、探すことをしない、ということを条件にすべて守護されるのである。
 なぜなのか?エサとはロ roh 〈精神〉(形の無いもの)だからである。完全なる精神であり、特定の場所をもたないがどこにでも存在し、人間と一体であるが別のものであり、人間から生じるがその目的ともなる。それは外在的なものでなく、善き行いを伴う献身によって内在的に生じるものである。
 それは高貴なる唯一性の概念である。映し身として用いることもできる。トゥハン・ヤン・マハ・エサの性質は、悪行を覆い隠すための、また安寧を求めるための仮面の類いではない。また自身を守るための盾の類いでもないが、尊ばれなければならず、目に見えないとはいえ、行動を導き、誠実なる信仰に最も近い。神のイメージを象ったものが人間であり、一定の形を与えようとすれば、調和した人間と同じものになるだろう。それが唯一神というものである。人間の間の亀裂や不統一は『唯一』神の映し身とはなりえない!
 ヨグヤカルタ哲学院大学院の知識人、哲学の専門家であり、インドネシア大学文学部理学人間哲学の碩学は、『唯一神』の概念としてのスマルに関してこのような見解を示している。
 スマルに関しての文化人、宗教関係者の見解は以上のようなものであるが、著者としてはぜひ紹介したい見解がもうひとつある。それは1970年の元シンガポールのインドネシア大使、ジャーナリストであると同時に政治家でもある、ヤン・ムルヤ・リー・クーン・チョイ Yang Mulya Lee Khoon Choy の見解である。

スマルはヌサンタラの守護霊(Baureksa)である

 1970年のシンガポールのインドネシア大使、Y・M・リー・クーン・チョイは『インドネシア、神話と現実のあいだ Indonesia Between Myth and Reality 〈日本語版:「インドネシアの民俗ー民族精神をさぐる旅」伊藤雄次訳 サイマル出版 1979年〉』という著書の第十章『スマルはジャワの守護霊である Semar is the spiritual Guardian of Jawa 』で次のように述べている。
 「ワヤンのあらゆる人物たちで、スマルほど興味深い人物はないだろう。それは彼の見た目がおもしろおかしく、醜いからではなく、また、彼が著名な道化だからでもない。私がスマルに惹かれるのは、この人物が唯一無比(オリジナル)だからである。ワヤンの中で、ただ一人ラーマーヤナ、マハーバーラタといったインド叙事詩には見出せない人物であり、彼こそは真実、インドネシア(ジャワ)起源の創作物(子ども〈土着のもの〉)だからである。」
 彼の認識、見解は事前の調査に基づくものではないが、怪しい、危険な、また重要な場所、さまざまな場所へと赴き、スマルの奇跡の物語について、このスピリチュアルな(魂・精神・内面)人物像に対する真摯な努力と実地調査が行われている。彼は、ディエン高原のグア(洞窟)・スマル Gua Semar と、中部ジャワのスレンダン Serendang 山のグア・ラトゥ Gua Ratu の二つの洞窟へも赴いている。谷から始まり、急斜面の丘陵へ、滑り易く、ひとけが無く、危険な場所へ。彼は燃え上がる精神力で、ニョマン Nyoman という名のシャーマンでもある案内人と共に、ついにグア・ラトゥを探し出したのである。
 自分の姿も見えないほど真っ暗なグア・ラトゥの中で、膝を曲げて20分も座り続け、彼は奇妙な言葉と音を聞き、録音した。それはかつてワヤンで聞いたスマルの声であった。そこで彼はまた、ニャイ・ロロ・キドゥル Nyai Loro Kidul 、ノヨゲンゴン noyogenggong 、そしてキ・ボンドユド Bandayuda の声を聞いた(the four voices spoke for about twenty minutes, and all the time I was recording them on my tape recorder)。さらに彼は言う。
 「それは本当に、豊穣なる経験であった。忘れ難い経験だった。それは私にジャワ人の精神世界について、より深い理解をあたえてくれたのであるから。」
 それから彼はまた、インドネシアのクバティナン kebatinan〈精神世界・スピリチュアルな土俗信仰〉の人物たちと会った。ヨグヤカルタのクバティナンの人物、ロモ・ブディ Romo Budi は彼に説明する。スマルはインドネシアの民族の祖先であり、それは四千年近く続いてきたものである。ヒンドゥー教、仏教、イスラム教のはるか以前からである。ロモ・ブディもまた、スマルの奇跡の写真を撮っていた。彼はそれが真実と断定するのに躊躇があったが、作り物とも思えなかったのである。
 この類いのロモ・ブディの解説は1975年に著者のもとへも届けられた。それは著者が『ワヤンの起源、哲学、その未来 Wayang, asal-usul, filsafat dan masa depannya 』と題するシリーズ本の第一巻を出したときであり、ロモ・ブディに、ある所(クバヨラン Kebayoran )で面会した。私はその本の第十章と十一章で、スマルとは何者か、またその起源を分析した。スピリチュアルな観点からの彼の見解は、著者自身の分析とさほど隔たったものではなかった。スマルの起源を含むワヤンの起源は、少なくとも紀元前1500年、つまり3500年前ということであった。
 この出会いを、Y・M・リー・クーン・チョイは次のように語っている。「ロモ・ブディと私の出会いは、有意義な会であった。というのも彼は私に、スピリチュアルな意味を持つ、スマルの写真/絵をくれた。それは私の心を惹き、私の心に応えてくれるものであった。」
 彼はまたひじょうに敬われている霊的(kerohanian )人物の一人、バパ・ダルヤトモ Bapak Daryatmo にも会い、バパ・ダルヤトモからY・M・リー・クーン・チョイは、スマルに関して説得力のある見解を得ている。それは、 Semar, the Gaurdian Spirit of Java. (スマルとは精神的指導者/師、つまりジャワ/ヌサンタラの守護霊である)ということである。

スマルはバリのトワラン(トワレン) Twalan である

 バリでもスマルはブトロ・グル、つまりシワ Siwa の兄である。多くの人々の信仰において、ブトロ・シワは、インドで魂(roh)の導き手・師となるため、降下した(世界に表明した)。いっぽうスマルは魂(roh)の導き手・師となり、ヌサンタラの守護霊となるために降下した(世界に表明した)。バリ島でスマルはトワランと名付けられ、そう呼ばれている。ジャワにおけるのと同じように、トワランもトゴの名を持つ兄弟がいる。バリでのトゴはデラム(ダレム) Delam という。トワランはティンティヤの子である(Twalan is the son of Tintiya, the original God )。彼ら二人は立派な姿をしていたが、超能力を競い合い、山を呑込む勝負をした。トワランは山を呑込んだが、吐き出せなかった。かくて山はトワランの腹の中に残った。いっぽうトゴ、つまりデラムは山を呑込めなかった。無理に呑込もうとして、口が裂けてしまった。それで山を呑込むことに失敗したのである。その傲岸不遜さがヒワン・トゥンガルに呪われ、今日我々が見るような、醜い姿で地上に落とされたのである。

スマルには理解されるべき価値がある

 スマルについての海外からのいちジャーナリスト、いち政治家として認識と見解はこのようなものであった。さらにY・M・リー・クーン・チョイはマンクヌガラン王宮へも赴き、観ている。スリ・マンクヌゴロ八世から彼は、いくつかのアラブ文字のカリグラフィーによるスマルの木彫を見せてもらっている。
 さまざまな所での見聞から、ワヤンの愛好者はもちろん、素人の人でも(ジャワ人なら)スマルを知らない人はひとりもないといっても過言ではない、という結論に達した。であるから、誰であろうと、スマルが仕え、手助けしてしてくれなければ、力を失い、勝利することも、成功することもできないのである。それゆえスマルには、魂の導き手・師、またヌサンタラの守護霊という呼び名がふさわしいのである。
 以上の説明で、スマルという人物像が真に、慎重に、深く学ぶ価値をもつということが、説得力をもって証明され得たと思う。
 スマルに関する著者自身の体験はどうであったか?とお尋ねになる読者があるかもしれない。
 この本は、著者のスマルについての見解と理解がどのようなものであるかの答えである。すべては、著者が、なじみ深いワヤンと特別なスマルと親しく交わり、長年の格闘をしてきたことへの感謝と経験に基づいて書かれているのである。
 洋の東西の専門家たちのスマルに対する説がすべて紹介できたわけではないが、大まかなものは出そろっているはずである。しかしその考えは神話学、哲学の分析で精緻に進展させなければならない。我々の結論を見出すために、スマルが真実何者で、誰なのかということの実態と意味を探ってみよう。

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-02-09 02:43 | 影絵・ワヤン | Comments(0)