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木から落ちた猿

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ワヤン・クリの歴史 デマク〜現代 その3(最終)

Ⅸ.カルトスロのマンクラットⅢ世(1703-1704年/1620-1629年)とパンゲラン・プグルまたはパク・ブウォノⅠ世(1704-1719年/1629-1644年)時代

 ワヤン造形の発展
a. ワヤン・サブランガン(海外の武将・王)、リイェパンの目で腕にバジュ、クリスを持つ。
b. クニョワンドゥの製作
c. パンゲラン・プグルの命でワヤン・マタラムが製作される。特に下記のウォンドが重要。
 1.スユドノ(ドゥルユドノ)、ウォンド・ジョコ Jaka
 2.プントデウォ、ウォンド・パヌクスモ Panuksma
 3.ガトゥコチョ、ウォンド・キラット Kilat

クニョ・ワンドゥにチョンドロ・スンコロが銘うたれる。
ブト・ヌムバ・ワヤンギ・サトリア Buta(ラクササ)=5 Nembah(拝跪)=2 Wayang(影)=6 Satria(クシャトリア)=1 →サカ歴1625年

Ⅹ.カルトスロのPB(パク・ブウォノ)Ⅱ世時代

 プロムコニョ Pramukanya と名付けられたワヤンが製作された。これは今もワヤン・プソコ(宝物)としてスラカルタの宮殿に保存されており、ワヤン・インドゥク induk(親)(babon=雌鶏)とされている。

 PB Ⅱ世自身によって製作されたワヤンがある。
a. チュルマングラウィット cermangrawit
b. チュルモゴンド Cermaganda である。

 ワヤンのウォンドは
1.ボロデウォ、ウォンド・パリプクソ Paripeksa (激しい/冷酷な)
2.スティアキ、ウォンド・ウィスノ Wisna(穏やかでない気分)
3.ビモ、ウォンド・リンタン Lntang
4.スバドゥロ(スムボドロ)、ウォンド・ランチェン Lanceng
5.スマル、ウォンド・ギヌック Ginuk
6.スマル、ウォンド・ムンドゥン Mendung
7.ペトル、ウォンド・ジャムブラン Jamblang (バティック・スタイルの名)
8.バゴン、ウォンド・グムボル Gembor
9.ラクササ、ウォンド・マチャン Macan(虎)
10.ドソムコ(ラウォノ)、ウォンド・ブンギス Bengis
11.ソムボ、ウォンド・スムボド Sembada
12.ノロヨノ、ウォンド・グブラッグ Geblag
13.コクロソノ、ウォンド・キラット kilat
14.ガトゥコチョ,ウォンド・タティット Tathit
15.バムバンガン(アルジュノの子ども役の若い武将の人形)、ウォンド・パダシ Padasih (慈しみを表す)
16.アビマニュ、ウォンド・ランクン Rangkung

 PB Ⅱ世時代、プロムコニョと名付けられたワヤンが200体作られ、ブト・テロンの人形にチョンドロ・スンコロが記された。
ブト・リモ・モンサ・ジャンマ Buta(ラクササ)=5 Lima=5 Mongsa(食べる)=6 Janma(人)=1 →サカ歴1655年

Ⅺ. PB Ⅲ世時代

 1745年、PB Ⅱ世は王国の首都をカルトスロからスラカルタへ移した。1749年、PB Ⅱ世はVOC(オランダ東インド会社)に強制されてPB Ⅲ世に王位を移譲した。以来、オランダによる植民地化が始まったのである。

 PB Ⅲ世は、息子のアディパティ・アノムに、ワヤン・プロムコニョを規範としたワヤンの製作を命じた。それにはいくつかの変更が加えられた。
a. いくつかのワヤン・ウォンドの製作。
b. 目が一つのラクササと猿。
c. 200体のワヤンに、主役ではないものを追加した。このワヤンはキヤイ・マング Kiyai Mangu と名付けられ、下記の銘が打たれた。
ーゴンドタルノ Gandataruna
ーチュルモパングラウィト Cermapangrawit

 アディパティ・アノムもまた、プロムコニョを手本としたワヤンの製作を命じた。
a. ビモがギリンウェシの王となった時の人形、トゥグ・ワセソ Tugu Wasesa が加えられた。
b. ドソムコの、目が一つのウォンド・ブリス Belis(悪魔)の製作。
c. クムボカルノ、目が一つのウォンド・ムンドゥン Mendung (黒雲)
d. ロロイルン(若い日のスムボドロ)、ウォンド・ランチュン Lanceng

 これらのワヤンは1708年(サカ歴)に揃えられた。チョンドロ・スンコロは与えられなかった。しかし、人形の足の間(大地を表す)に、ワヤンの名と年が記されている。
 このワヤンは、キヤイ・カニュット Kanyut と名付けられた。
 キヤイ・マングとキヤイ・カヌットの違いは
1. キヤイ・マング  プロムコニョを引き継いだものである。
  キヤイ・カニュット プロムコニョとは系統が異なるが、造形は類似する。
2. 装飾
 キヤイ・マングの装飾(花飾り)は大きく、グムパラン(gempal=破裂する)やパテカン(Patek=くさび)の装飾法による。
 キヤイ・カニュットの花飾りは小さく、ブルディラン(bludir=金糸で綴られた花)の装飾法による。

Ⅻ. 1710年

 アディパティ・アノムがワヤン製作を命じた。これはカルトスロのワヤンよりも大きく、背の高い(ジュジュット jujut)ものであった。

 このワヤン・ジュジュタンで注目すべきは
1.プルマディ、ウォンド・キナンティ Kinanthi。
2.プルマディ,ウォンド・カドゥンKadung。
3.アビマニュ、ウォンド・ボンティット Bontit.
4.ビモ、ウォンド・グルナット Gurnat。
5.コクロソノ、ウォンド・カゲット Kaget。
6.ペトル、ウォンド・ムスム Mesem(驚愕する)。
7.バゴン、ウォンド・ゲンケル Ngenker またロティ Roti(敗北しても負けをみとめない)。

 ワヤンの形態は
ーラクササと猿の目が一つになる。
ーラクササ・サブランガン sabrangan(海外の)はバジュ(上着)を着けている。
アルンコ国の王子たちはボコンガンではなくドドタン・クンチョを着ける。
キヤイ・プロムコニョ・カディパテン Kiya Pramukanya Kadipatenと名付けられる。
印は
1.チュルモ・パングロウィット Crema Pangrawit
2.ゴンドタルノ Gandataruna
3.チュルモナタス Cremanatas
4.チュルモドゥロノ Cremadrana
5.チュルモタルノ Cremataruna
6.チュルモジョヨ Cremajaya

 この年以降(1710-1784年)ワヤンの二本の足の間(大地)に黒を塗ることは禁止された。

ⅩⅢ.PB Ⅳ世時代

 1755年に、王国はスラカルタとヨグヤカルタに分裂した(HB=ハマンク・ブウォノⅠ世)。間もなくRM・サイド Said の抵抗で、スラカルタはカスナナンとマンクヌガランに分裂、RM・サイドはマンクヌゴロⅠ世となる(1757年前後)。

 1788-1820年、スラカルタはPB Ⅳ世が治めた。PB Ⅳ世時代に作られたワヤンは
1.キヤイ・ジマット Jiamt
 キヤイ・ジマットはキヤイ・マングを手本とし、2〜5cmほど丈が高い。1タナ tanah (1ルマ lemah=ワヤンの足の間の幅)
 その他の変化
ーすべての王は、トポン・マフコタ(帽子型の王冠)を着ける。
ーいくつかのウォンドが追加された。
ーワヤン・リチカンが追加され、独立して作られた(ricikan=人物でないワヤン)
 このワヤンにはチュルモ・パングラウィト Crema Pangrawit またキヤイ・ゴンド Kiyai Gandaの銘が付された。キヤイ・ジマット製作後のことである。

2.キヤイ・カドゥン Kadung
 PB Ⅳ世はキヤイ・カニュットを手本としたワヤンも製作した。これらは1タナ(3-5cm前後)大きいサイズである。
 その他の発展としては
ーいくつかのワヤン・ウォンドの追加。
ーワヤンの小道具,着衣がキヤイ・ジマットのパターンから多く作られた。
ー女性もキヤイ・ジマットを手本に、サイズが大きくなった。
この時、PB Ⅳ世は、パラル・クラテンからサドンサ Sadonsa というダランを召した。彼は宮廷外でワヤンの作り手として著名であった。サドンサはウォンド・クレノ Krena (クレスノ)のバトロ・グルのサイズを拡大するよう注文された。
 キヤイ・カドゥンは、サカ歴1721年(西暦1795年)に完成した。総数はリチカンを除いて202体である。サドンサ製作のものも含めて、チュルモ・パングラウィト・Cs Crema Pangrawit Cs の銘が与えられた。
 PB Ⅳ世は、ワヤン・ゲドグの作成も命じ、キヤイ・デウォ・カトン Dewa Katong と名付けられた。

3.PB Ⅳ世の時代、カルトスロ・プロムコニョまたパンゲラン・シンゴサリⅠ世 Pangeran Singasariのプロムコニョ・カディパテンを手本としたワヤンも作られた。
 このワヤンはラクササと猿の目は二つであり、(カセプハンの)老ダランたちに採用された。
 ワヤン製作時にはプロムコニョを手本とするのが一般的であった。一方、若いダランはキヤイ・マングかキヤイ・カニュットを採用した。
 ワヤン上演でダランが使用するのは、サイズの大きくなる以前のワヤンであった。キヤイ・プロモコニョ、キヤイ・マング、キヤイ・カニュットを手本とするサイズのものである。
 この時代のワヤン業は、ワヤン制作時にはサドンサを師とした。

4.ワヤン・ロモ
 PB Ⅳ世はワヤン・ロモ Rama も製作した。このワヤンはラマヤナ専用で、アルジュノサスロ・バウ、ロコポロ、ロモの物語に用いる。このワヤンは猿とラクササがたくさんある。
 ワヤン・ロモの形状は
a. ドソムコ、クムボカルノ、アルンコの兵といった全てのラクササはひとつの目で、腕は二本であった。
b. ロモとレクスモノはサムプルを着ける。
c. 王はマフコタを冠る。
d. 王になったスグリウォはマフコタをつける。
e. 王になる前のスグリウォとスバリは、グルン(の髪型)である。
f. すべての猿の目はひとつである。
g. スマル、ガレン、ペトルはロモとレスモノに従う。
h. ワヤン・ロモのウォンドはワヤン・プルウォ・マハバラタを手本とする。

 ロモのウォンドはクレスノを、レスモノはアルジュノのパターンを採用した。
 サカ歴1728年(1804年)に完成。

ⅩⅣ. PB Ⅴ世時代

 1820-1823年、スラカルタはPB Ⅴ世の統治下にあった。
 この時代にワヤンはひじょうに普及し、ジャワ全土に広まった。民衆の間で、各々に名の無いワヤンが製作された。
 ワヤンは大衆のものとなり、すみずみまで広がり花開いたのである。

ⅩⅤ.マンクヌゴロ時代

 1850-1860年前後にマンクヌガランでワヤン・プルウォが製作された。キヤイ・サブ Kiyai Sabetと呼ばれる。
 ワヤン・クリは独立時代までも生き残り、形状は今日も変わらない。

ⅩⅥ.独立後の時代

 独立後、ワヤン・クリ・プルウォは、保存されなければならない国家的文化遺産として認識された。
 形状は固定され、今日まで維持され、全インドネシア民族のものとなった。

 インドネシアのワヤン、特にワヤン・クリ・プルウォが注目され、今日も議論され開拓されている。こうしてワヤン・クリ・プルウォという国家的文化はすべてのインドネシアの民衆の心の中にあるものとなったのである。

(了)
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by gatotkaca | 2011-09-02 23:45 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤン・クリの歴史 デマク〜現代 その2

Ⅵ.スルタン・アグンの時代(1613-1645年/1538-1570年)

 ワヤンの目の形状・種類に発展があった。リイェパン liyepan 、ドンドンガン dondongan 、テレンガン Thelengan その他。サストロ・グンディン Sastra Gending の名で知られる哲学作品による。

 ワヤンのウォンドが作成された。
1.ボロデウォ、ウォンド・ゲゲル (geger=騒動)。
2.クレスノ、ウォンド・グンドゥレ(gendreh=気高い行為)
3.アルジュノ、ウォンド・マング(mangu=ためらい)
4.スムボドロ、ウォンド・ランクン(rangkung=スリム、タイトなボディ)
5.バヌワティ、ウォンド・ゴレ(golek=人形)
6.スマル、ウォンド・ブルブス(berbus=涙が出る、泣く)
7.バゴン、ウォンド・ギルット(gilut=追求する、歯がない=権力をもたない)
8.スマル、ウォンド・ドゥクン(dukun=医師)
9.ペトル、ウォンド・ジュレゴン(jlegong=胸が小さい、腹が大きい)

 炎の髪のラクササ=ブト・ラムブット・グニにチョンドロ・スンコロ candra sengkala が与えられる。
ウルビン・ワヤン・グムニン・トゥンガル Urubing(urub=炎)=3 Wayang=6 Gumuling(転がる)=5 Tunggal(一)=1 →サカ暦1563年
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Ⅶ.アマンクラット・トゥガル・アルムの時代

 ワヤンの進展は以下の通り。
1.プノカワンにバゴンが使われる(1680年前後)。
 に種類の物語(ラコン)が存在する。
a. ラコン・カセプハン kasepuhanは、キヤイ・パンジャン・マス Kiya Panjang Masに集められた。この物語は王宮で上演された(カセプハン/西)。プノカワンはスマル、ガレン、ペトルである。
b. ラコン・カノマン kanoman は、ニャイ・アンジャン・マス(カノマン/東)に集められた。この物語はカディパテン Kadipatenn (公国)で上演された。ポノカワンはスマル、ガレン、ペトル、バゴンである。

2.変化
a. 神々はスレンダン(肩掛け)を着け、クリスを持つ。チュラナ(ズボン)は着けず、バジュ(上着)を着て靴をはく。
b. プンデト(僧侶)はバジュと靴を身に着ける。

3.ワヤン・ウォンドの製作
a. ビモ、ウォンド・リンドゥ・パノン(lindu=振動、panon=ヴィジョン→激情や怒り、また激情にかられた憤怒)
b. アルジュノ、ウォンド・カニュット(kanyut=心惹かれる)
c. アルジュノ、ウォンド・パンガウェ(pangawe=手を振って呼ぶ)
d. ガトゥコチョ、ウォンド・グントゥル(guntur=雷=とんでもない強さ)
e. バヌワティ、ウォンド・ベロック(berok=髭が長いヤギ、大胆で挑戦的な態度をとることの多いもの)

 チス(鉤竿)を持ち、ルムブ・アンディニに乗ったバトロ・グルに、チョンドロ・スンコロが与えられる。
エスティニン・パンディト・マルガニン・デウォ Esthi(思考)=8 pandita(僧侶)=7 marga(道)=5 デウォ(神)=1 →サカ歴1578年
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Ⅷ.マンクラットⅡ世時代

 ワヤン製作で特記すべきは
a. アルジュノ、ウォンド・マング mangu(疑い)
b. クレスノ、ウォンド・ランドンrandon(葉)
c. ボロデウォ、ウォンド・カゲット kaget(驚愕する)

 アルジュノ・ジマット、カニュットそしてマングの製作にはタブーがあった。それで、ダランたちはアルジュノのワヤンにウォンド・キナンティ kinanthi を作った。
 マンクラット・カルトスロのワヤンが完成した後、記念のチョンドロ・スンコロが与えられた。
ラクササ・エンドグ Endog(卵)に
マルゴ・スルノ・ワヤンギン・ジャンマ Marga(道)=5 Sirna(滅する)=0 Wayang=6 Janma(公け)=1 →サカ歴1605年
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 このマンクラットⅡ世時代に王国が、プレレット(ジョクジャ、バントゥル地域)からカルトスロへ、オランダによって移された。以来、ジャワ王国の王の戴冠はオランダの入植者によって行われた。

(つづく)
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by gatotkaca | 2011-09-01 22:43 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤン・クリの歴史 デマク〜現代 その1

 ワヤンの歴史は千年というのですが、影絵芝居ワヤン・クリそのもので現在確認できるものは、1478年に成立したデマク王国の時代以降のものです。それ以前のモジョパイト時代は多分、絵巻物のワヤン・ベベルであっただろうと思われます。以前載せたH・グリトノの論文よりもやや、細かい説明のある、「Mengnal Wayang Kulit Purwa oleh Soekatno,B.A. Aneka Ilmu ,Semarang 1992」の記載に基づいて、影絵芝居人形として成立したワヤン・クリ・プルウォの歴史を概括します。

ワヤン・クリ・プルウォの歴史

Ⅰ.デマク王国時代

 「現在」の形状の、中部ジャワ・スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ・プルウォの歴史は、デマク時代から始まる。

 1478年、モジョパイトが滅亡する。デマクが立国し、ラデン・パタが初代の王となった。その治世は1478年-1518年である。その後1520年-1521年にパンゲラン・サブランガンが代って王となった。

 ジャワ島の王やワリ(宗教指導者)たちは、この地の藝術を愛し、ワヤンも愛した。彼らは積極的にワヤンの完成度を高めた。チャンディのレリーフの中に描かれたワヤン・プルウォは、ワヤン・ベベルの形態をとり、形を変え、より完成度を高めた。この変化は、その形状、デザイン、そして上演形式、道具類、そして意味合いもモジョパイトのものから変化した。むろんイスラム教と衝突しないようにである。

 チャンディのレリーフに見られるワヤン・プルウォの形状の規範は、バリ島に受け継がれ、今に至っている。デマクのイスラムの人々、特に王やワリたちは下記のような変化を与えた。
1. 1520年以前、ワヤンは絵で描かれ(2次元)たが、斜めに描かれ、チャンディのレリーフとは異なる。
2. 材料はなめらかな水牛の皮で、上品な装飾が施されている。
3. ワヤンは二つの色で描かれている。それは、
 ー基本としての白,白色は焼いたりなめらかに砕いたりした骨から作られる。
 ー黒色で部分を描く、黒はオヤンOyan (ランプのすす)から作られる。
4. 斜めの顔で描かれ、胴体に付く手はまだ一本である。握りとしてのガピットが付き、穴の開いた木に刺すようになっていた。
5. 図像の規範は通常モジョパイトのワヤン・ベベルから採られている。各々の独自のパーソナリティが作られ、ダランの左右に並べられる。

Ⅱ.1521年

 ワヤンの形状は、ラマヤナ、マハバラタの物語の上演に合わせて人物の数が増やされた。上演は徹夜で行われた。ワヤン人形の人物は追加されていった。

 追加されたワヤンの種類は
1.ワヤン・リチカン、たとえばグヌンガン、プラムポガン、動物,猿。
2.上演用の道具・設備類も増えた。カイン(布)からクリル(スクリーン)が創られ、ワヤンの保管用にコタック(箱)が、人形を立てたり並べたりするためにはバナナの幹が使われるようになった。照明はブレンチョンが使われるようになった。ワヤンはクリルに、ダランの左右に並べられた。スロ(ダランの朗唱)やパテット(ガムランの旋法)も定められた。楽器はスレンドロ調のガムランが用いられた。
3.さらにデマク王国時代には、ワヤンに彩色と金箔が施された。

Ⅲ.パジャン王国時代
 1546年、ジョコ・ティンキルがパジャン王国のスルタンに即位した。崩潰しかかっていたデマクは征服された。ジョコ・ティンキルは1546-1586年(40年間)の間、王位にあった。
 1556年、芸術家たちを集めて、スルタン・パジャンはワヤンを製作した。それは、当時の他のワヤンよりも小ぶりのサイズのものであった。このワヤンには「ワヤン・キダン・クンチョノ wayang Kidang Kencana (黄金の鹿)」の名が与えられた。

 このワヤンには、以下のような発展がみられる。
1.王の人形たちはマフコタ(トポン・マフコタ 王冠)を着けている。
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2.クサトリア(武将)はその髪型がグルン gelung またンゴレ ngore で、ドドトとチェラナを着ける。(訳注:グルンはアルジュノのように巻き上げた髪型、ドドトは足下に靡かせたカイン、チュラナはズボン)a0203553_7314929.jpg
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3.矢やゴド(棍棒)、クリス(短剣)などの武器が作られた。

Ⅳ.マタラム(ストウィジョヨ)時代

 1582-1586年、マタラムのアディパティ(領主)・ストウィジョヨ Sutawijaya とスルタン・パジャンの間に戦いが起こり、ストウィジョヨが勝利した。ストウィジョヨはパヌンバハン・セノパティ Panembahan Senopati と名乗り、マタラムの王となった。1586-1601年(サカ暦1511-1526年)のことである。

 ワヤンの発展は
1.象やガルダといった、動物の人形が加えられた。
2.髪の透かし彫りが、細かい細工になった。

Ⅴ.マス・ジョラン(パンゲラン・セド・クラピヤ)統治時代

 1526-1838年/1601-1613年マタラムで、ワヤン・キダン・クンチョノを拡大するワヤンの製作があり、ウォンドも創られた。創られたウォンドは
a.アルジュノ、ウォンド・ジマット(jimat=azimat 聖性)。
b.ビモ、ウォンド・ミミス(mimis=弾丸=ハンサム=器用)
c.スユドノ(ドゥルユドノ)、ウォンド・ジャンクン(jangkung=守る)。
d.ラクササ・ラトン、ウォンド・バロン(barong=毛の長い獅子・バロン)。
e.ガピット(支え棒)の改良。
f.武器類の製作、矢、クリス、チョクロ、ゴドその他。

 製作後,記念のスンカラン Sengkalan がブト・チャキルの人形に与えられた。
タンガン・ヤクソ・タタニン・ジャルモ Tngan yaksa tataning jalma (ヤクソ=ラクササの手が人間を制する) tangan (手)=2 yaksa(ラクササ)=5 tataning(制御)=5 jalma(人間)=1 →サカ暦1552年。
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(つづく)
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by gatotkaca | 2011-08-31 07:35 | 影絵・ワヤン | Comments(1)