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木から落ちた猿

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インドネシア文化圏におけるアルジュノの原型

 引き続き「チュムポロ アルジュノ特集号」からシンギ・ウィビソノ博士の論説を紹介する。

インドネシア文化圏におけるアルジュノの原型
Prototipe Arjuna dalam budaya Nusantara

シンギ・ウィビソノ(ジャワ言語学者)
Oleh Drs. Singgih Wibisono (Ahli linguistik Jawa)

Cempala : Edisi Arjuna ; Januari 1997, Humas PEPADI Pusat

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ソロ・スタイルのアルジュノ Arjuna

 ヒンドゥー教の書「マハーバーラタ」を源泉とする古来の文学作品は、パンダワとコラワの物語がその大部分を占めている。それはジャワ古語 Jawa Kuna のみならず新ジャワ語によるもの、またマレー語の作品においてもそのようである。そしてパンダワのサトリア〈クシャトリア〉たちの中で突出しているのは、アルジュノ〈アルジュナ〉とビモ〈ビーマ〉である。この二人の人物は、敵方の強欲から世界を守護し、平定するという神への献身 darma bakti の道を体現するサトリアなのだ。二人は類い稀なる超能力と戦闘能力を持ち、アルジュノとビモは幾百幾千の物語において勝者として立ち現れる。
 しかし、この両者の外見は大きく異なって描かれる。ビモは上背高い剛力の者とされる。その力は千の象に匹敵する。七本のナイフの鋭さと切れ味を備えたポンチョノコ Pancanaka の爪を持ち、その爪の破壊力は無双である。話し方はぶっきらぼうで、丁寧な言葉づかいを知らない。その性格は剛直である。その歩みは速く、遮るものあらば、一飛びで三つの河を越え、つねに烈風を身に纏う。
 対してアルジュノは中背でスリム、言葉づかいは上品である。その容貌は美しく、あらゆる女の心を奪う。服装は質素で、装飾品も身に着けていない。だが、ひとたび敵と対峙すれば、その動きは目にも止まらず、一撃で相手を死にいたらしめる。苦行所に行き苦行すること、ブラフマン〈僧侶〉に師事してさまざまなイルム〈ilmu=教訓・教義・英知〉を学ぶことを好む。
 アルジュノという人物の優秀さは、立派な体格、勇猛な身体に依拠するものではなく、戦略・戦術を知悉すること、そして内面的強靭さに支えられているのである。さまざまなイルムに通暁する彼は、あらゆる災いから身を守ることができる。その穏やかな物腰は、如何なる状況をも切り抜けることのできる自身の能力への自負の反映なのである。自らを高め、正しく高貴なる行動を信念とし、つねにサン・マハ・プンチプタ Sang Maha Pencipta 〈創造神〉からの守護と手助けを得ることができるのだ。
 ワヤンの造形美術においてアルジュノは『バムバンガン・ルルフ bambangan ruruh 』に属する。これは小柄な身体で頭を垂れた造形である。『上演 pakeliran 』におけるその動きは、完璧な滑らかさをそなえ、歩行は緩やか、話し方も上品である。スラカルタ Surakarta 〈ソロ〉スタイルのワヤン・ウォン wayang wong 〈役者が演じるワヤン劇〉では、上品な所作と話法をそなえたサトリアとしてのアルジュノを表現するため、女性の踊り手によって演じられる。これは、その源泉たるインド版アルジュナの人物造形とは異なる。インドのアルジュナは美しい顔ではあるが、その肉体は強靭な筋肉をそなえたものとして表現されるのである。敵と対峙して劣らぬ外見をそなえているのだ。
 さらに、ダランの語りにおいてアルジュノは神に愛されるサトリアとされ、クレスノと共にウィスヌ神の化身であり、世界中から一目置かれる男性として十指に数えられる者とされる。これらすべては、宮廷詩人プジョンゴ pujangga たち、インドネシアのダランたちによる、インドの人生哲学とは異なる民族固有の世界観・人生観に基づく創造なのだ。
 如何なるタイプのサトリアを苦行所に招き入れるのかというこの違いが、インドネシア文化の人生観の中でアルジュノ像を変化・発展させ、「マハーバーラタ」の書に見られるインドの造形パターンから自由にしたのである。この問題に答えるために、アルジュノと同様の役割・性格を持ついくつかのインドネシアの著名人物像を比較研究する必要があるだろう。

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パンジと従者たち Panji & Punokawan

 まずは、インドネシア文学で書物のみならず口承文学にも登場するパンジ Panji に登場願おう。パンジ物語は東部ジャワで成立し、タイ、ビルマ、そしてカンボジアにまで伝播している。伝承の拡大はマジャパイト時代に生じたと考えられる。しかしその物語の歴史的背景はさらに遡り、クディリ Kediri とシンガサリ Singasari のサトリア、王たちの物語である。主人公はジュンガラ Jenggala 王国の王子、パンジ・イヌ・クルタパティ Panji Inu Kertapati である。その恋人はダハ Daha 王国の王女、チョンドロキロノ Candrakirana またの名スカルタジ Sekartaji という。このほかにもパンジ物語には幾十もの説話があり、その主人公も異なっており、それらは口承の民話として各地に広がっている。このようにパンジ物語は、パンジという人物そのものがさまざまなヴァリエーションを持つため、一定の物語群を形成してはいない。ワヤンの物語はアルジュノソスロ Arjunasasura 演目群、ラマヤナ Ramayana 演目群、そしてマハバラタ Mahabarata 演目群といったように、明確な主人公を擁した説話群からなるが、パンジ物語では、イヌ・クルタパティとチョンドロキロノ以外にもさまざまなパンジたちが主人公となるのだ。とはいえ、一般的にパンジ物語と称する場合にはパンジ・イヌ・クルタパティを指す。
 パンジ物語のワヤンが上演される場合には、ワヤン・ゲド Wayang Gedog の形式で演じられる。スラカルタ王宮でワヤン・ゲドは王宮のダランたちによって育まれ、その上演には特別な慣習・ルールが用いられた。おおむねワヤン・プルウォ Wayang Purwa の上演形式と大差なく、徹夜で上演され、三つのパテット patet 〈ガムランの旋法〉が用いられるが、ララス Laras 〈調律〉はペログ Pelog 音階である。
 興味深いのは、パンジの人物造形がワヤン・プルウォにおけるアルジュノとその全体像が似通っていることである。そのワヤン人形はアルジュノのワヤン人形と同じサイズで、スリムで小柄であり、頭を垂れた(ルルフ)姿である。違いは、パンジや他の人物たちは髪型がテクス tekes という扇形の髷であること、ドドト・ラムペク dodot rampek を着ていることである。ラムペク型の着衣はワヤン・プルウォではウドウォ Udawa 〈クレスノの宰相〉やサブラン sabrang 〈異国〉のプンゴウォ punggawa 〈役人〉のいくつかが着けているものである。
 パンジもその言動は上品で滑らかであるが、超能力を有し、戦闘に秀でている。その愛の物語もアルジュノのそれと似通っている。彼はしばしば身分を隠して放浪し、訪れる国の王女とロマンスを織りなす。チョンドロキロノの人物像もスムボドロと似通っている。恋人に置き去りにされた彼女も、身分を隠して彼を追う旅に出る。物語はいつも、最後に二人が変装を解いて再会することで終わる。アルジュノと同様に、パンジはその放浪の旅においてダルマ・バクティを実践し、彼を必要とする者には誰あろうと守護と手助けを与え、邪悪と強欲を殲滅するのである。
 ワヤン・ゲドにも、ワヤン・プルウォにおけるビモに相当する人物を見出すことができる。それはパンジ・クルトロ Panji Kertala である。その容貌はワヤン・プルウォのビモに似ており、背が高く、立派な体格である。その性格も剛直で、ビモを思わせる。むろん、ワヤン・ゲドもワヤン・プルウォも互いに影響し合って成長・発展して来たものであるから、その人物造形や物語も影響し合っている。ワヤン・ゲドのいくつかのラコン〈演目〉がワヤン・プルウォのラコンの変容であることも、またその逆もある。ワヤン・プルウォのラコン「スマル大道芸をする Semar Mbarang Jantur 」は、ワヤン・ゲドのラコン「バンチャ・ドヨ大道芸をする Bancak Doyok Mbarang Jantur 」の改変であり、ラコン「パンジ・アングレニ Panji Angreni 」はワヤン・プルウォのラコン「ウィダレトノ・ラルン Widaretna Larung 〈ラルンは漂流の意〉」に改変された。

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ダマルウラン Damarwulan

 ワヤン・クリティク Wayang Klitik またクルチル Krucil の名で知られるワヤンもある。その物語はマジャパヒトの歴史を背景としたもので、主人公はダマルウラン Damarwulan という。この人物の外見・容貌もアルジュノに類似しており、パンジと同じくテクスの髷とドドト・ラムペカンをそなえる。ダマルウランは祖父であるブラフマン、ブガワン・トゥングル・マニ Begawan Tunggul Manik と共にパルハムボ Paluhamba 村に住んでいた。父はマジャパヒトの前パティ patih〈大臣〉であったウドロ Udara であり、彼は苦行者として暮らし、その後モクサ moksa 〈涅槃〉に入った。重大な出来事が起こるたびにパティ・ウドロは不可思議なかたちで姿を現し、息子であるダマルウランを守り、手助けした。ダマルウランは叔父であるパティ・ログンデル Patih Logender に仕えたが、彼はダマルウランが二人の息子、ラヤン・セト Layang Seta とラヤン・クミティル Layang Kumitir のライバルとなるであろうことを恐れ、ダマルウランには大臣邸の馬の世話係の仕事しか与えなかった。そこにはパティ・ログンデルの娘、アンジャスモロ Anjasmara がおり、彼女はダマルウランに夢中になり、やがて二人は恋に落ちたのである。ブラムバンガン Blambangan のアディパティ〈領主〉、メナジンゴ Menakjingga が、マジャパヒトに叛乱を起こした。マジャパヒトの女王ディヤ・クンチョノウング Dyah Kencanawungu は神の予言を受けた。メナジンゴを敗るのは村からの者、その名はダマルウランであると。パティ・ログンデルはラトゥ〈ratu=王〉・クンチョノウングにダマルウランを会わせざるを得なくなった。ついにダマルウランは、メナジンゴの持つゴド〈棍棒〉、ウシ・クニン Wesi Kuning を奪い、宝剣ソコヨノ Sokayana を用いて彼を弊した。その報償としてダマルウランはディヤ・クンチョノウングを妃とし、マジャパヒトの王に即位したのであった。アンジャスモロも彼の妻となり、王妃のそばに仕えた。
 ワヒト Wahita 、プニュンガン Punyengan 、メナジンゴの二人の妃も、ダマルウランを手助けし、アディパティ・メナジンゴ討伐に功ありと認められ、ダマルウランの妻に迎えられた。
 ダマルウランもまたアルジュノと類似した人物として描かれている。サトリアとしてだけでなく、愛のロマンスにおいても秀でた人物とされるのである。

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プラブ・アングリンダルモ Prabu Anglindarma

 ワヤン・マディヨ Wayang Madya は、マハバラタのパリクシト時代以降からパンジのカディリ Kadiri 王国時代までの物語をあつかうワヤンの一種である。ワヤン・マディヨにはアングリンダルモ Anglingdarma という賢者の王が登場する。彼は動物の言葉を理解することができた。この超能力のせいでプラブ・アングリンダルモは重大な試練にさらされることとなった。妃がプラブ・アングリンダルモの秘密を教えてもらえないなら、火に入って死んでしまうほうがましだと言い出したのだ。はじめ、王は妃とともに休息所でくつろいでいた。その時とつぜん王は、壁を這う二匹のトカゲの会話を聞いて笑った。王妃は、なぜ王が笑ったのか知りたがった。しかし王はわけを話そうとはしたがらなかった。というのも、動物の言葉を理解することのできる超能力を持っていることは、決して明かしてはならない秘密であったからである。
 ワヤン・マディヨのアングリンダルモもまた、体格や性格においてアルジュノと似通った人物像として描かれている。芸術家たち、プジョンゴや文学者たち、さらにはダランや大衆の中のワヤンの専門家たちの思考の内には、一つの基本的概念が存在し、物語の主人公を想定する際に、インドネシア風の表現の基本形として一定の人物像として現れるのであろう。それは外部の文化から引き継いだものでもなければ、借り物でもない。

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ワヤン・ゴレのアミル・アムビヤ(ジャエンロノ) Amir Ambya/Jayenrana (Wayang Golek)

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ジャエンロノ(ワヤン・クリ) Jayenrana (Wayang Kulit)

 現代の大衆、特にイスラム教徒の中に生き、好まれているワヤンはワヤン・メナク Wayang Menak である。このワヤンは木偶人形であるワヤン・ゴレ wayang golek で上演される。ヨグヤカルタ Yogyakarta 〈ジョクジャカルタ〉以外にも、クブメン Kebumen 、プカロンガン Pekalongan 、またいくつかの東部ジャワの地域に広がっている。スラカルタ王宮にもワヤン・メナクはあり、ここではワヤン・プルウォの造形芸術に匹敵するワヤン・クリの形式で上演される。
 ワヤン・メナクはアラブの地でイスラム教布教につとめたナビ・ムハンマド Nabi Mhammd の叔父、アミル・アムビヤ Amir Ambyah の物語である。メナク物語は、マレーに発祥し、「ヒカヤット・アミル・ハムザ Hikayat Amir Hamza 〈hikayat=サガ、冒険物語〉」の書が著された。このヒカヤットは船乗りたちによってジャワにも広がった。その後、スラカルタ王宮の宮廷詩人であるプジョンゴのひとり、キ・ヨソディプロ Ki Yasadipura が、このヒカヤットをトゥムバン・モチョパット tembang macapat の詩形式でジャワ語に翻案し、「スラット・メナク Serat Menak 」の書を著した。数十巻の書物は、とりわけ「アル・クラン Alquran 〈コーラン〉」に基づく多くの訓戒を含むことから、大衆にたいへん好まれ、興味を持って迎えられた。
 ワヤン・メナクの主人公、アミル・アムビヤもまたその外見・性格においてアルジュノと似通っている。スリムな体格で、頭を垂れ、物腰柔らかで、言葉遣いが上品である。メナク物語の定型は、異教徒の国々にアミル・アムビヤがイスラム教を布教するというものである。主要な敵役は彼自身の義父であるメダイン Medayin 国王プラブ・ヌシルワン Prabu Nusyirwan である。幾多の異教徒の王たちが、彼の煽動によってアミル・アムビヤに敵対する。これらはプラブ・ヌシルワンの大臣パティ・ベスタク patih Bestak の奸計によるものだ。扇動者である彼こそが、王を悪の道に招き入れているのだ。
 毎回アミル・アムビヤは異教徒の王を征服し、イスラムに改宗させる。そしてつねに彼に心魅かれる娘、王の妹や王女がいて、最後には結婚することになる。ここでまたもや我々は、ウォン・アグン・メナク・ジャエンロノ Wong Agung Menak Jayenrana とも呼ばれるアミル・アムビヤという人物が、アルジュノと外見のみならずその個人的性格においても同形であることを認め得るだろう。彼は戦闘においても、女性の心を征服することにおいても優れているのである。
 ワヤン・メナクにはビモを想起させる人物も登場する。ラムダフル Lamdahuru 王がその人で、彼は背が高く、剛の者である。彼はつねにアミル・アムビヤに随行し、戦略を整え、敵との戦闘を遂行する。ワヤン・メナクにおけるラムダフルの人物造形はビモからインスピレーションを受けたものと考えられるが、さらなる研究が必要であろう。
 ロムボク Lombok にはワヤン・ササク Wayang Sasak と呼ばれるワヤンがあり、これもメナク・アミル・アムビヤの物語を題材とする。ワヤン・ササクのダランたちの種本は、ヨソディプロ作の「スラット・メナク」である。ワヤン・ササクは島の住民たちへのイスラム布教、ダワー da'wa の手段として用いられた。
 アルジュノ・タイプの人物はジャワ以外の伝統的な演劇のいくつかにも見出せる。バンサワン Bansawan 、ムンドゥ Mendu 、ドゥルムルク Dulmuluk 、ママンダ Mamanda その他といった演劇である。これらすべての演劇においても物腰が柔らかく、上品な性格の男性が、民衆の守護者として、正義と公正の側に立つ。これらはアルジュノとひじょうに似通った人物像である。
 バンサワンは北スマトラ地域で著名な大衆演劇である。言葉は高マレー語〈bahasa Melayu tinggi =王宮環境で用いられるマレー語〉が用いられるが、ジョークでは地域後がしばしば用いられる。この大衆演劇がバンサワンと呼ばれるのは、当初その物語が古来のバンサワン〈貴族〉たちの生活・王国の物語を題材としたからである。物語はひじょうにたくさんのヴァリエーションを持つが、つねに正義の側が悪・強欲の側に勝利するさまを描く。そして興味深いのは登場する主人公はつねに高潔で、物腰・言葉づかいが上品でありながら戦闘能力に秀で、超能力を有し、邪悪を根絶するサトリアとして描かれていることである。伝統的演劇であるムンドゥはリアウ Riau 地方、また西カリマンタンで発展・成長した。ドゥルムルク劇は南スマトラで発展し、ママンダ劇は南カリマンタン地方でポピュラーである。ムンドゥ劇、ドゥルムルク劇、またママンダ劇も、その上演形式はバンサワン劇とそれほど違いは無い。これらの伝統演劇は上演の形はそれぞれであるとしても、共通して物腰が上品で、若く美しい英雄を主人公にしており、その人物像はワヤンのアルジュノを思わせるものなのである。
 上記のような伝統演劇に現れるさまざまな人物を概括してみると、それらには共通点が見出せるだろう。登場する主人公は若くてハンサムなサトリアであり、体格は小柄か中背、物腰は柔らかで正義と公正を守り、つねに邪悪でほしいままに振る舞う敵たちを敗るのである。
 これらの人物の体格・性格の共通点は、太古以来のオーストロネシア民族の文化の共通項であると考えれば合点がいくだろう。列島〈Nusantara=インドネシア列島〉に広がる民話においては、しばしば神の使いとして民衆に生活・文化をもたらす文化的英雄が登場する。彼を通して人々は農業、機織り、薬の生成などの知識を得るのである。その文化英雄はつねに徳高い性格で、ハンサムで英知を身につけた人物として現れる。彼は絶対神ヤン・マハ・クアサ Yang Maha Kuasa に自身を捧げ、その物腰は穏やかで、迷いや恐れを知らない。
 民話には教育的役割、社会的役割、ストーリーテラーとしての役割があるが、その最も重要な機能は共同体のモラル、行動規範を確立することである。民話はまた、個人ひとりひとりの性格形成に有用な訓戒・責務のあり方をも内包している。同様に、共同体で生活するための良識ある行動の鋳型でもあるのだ。有史以前の文化英雄のプロトタイプは、インドネシア列島の民衆文化社会の生活の中に広がり、自身のうちに新しく生まれたもののみならず、異文化から取り入れられた人物に対しても投影された。かくてパンジ、ダマルウラン、アングリンダルモ、アミル・アムビヤといった人物たちが生まれ、マハーバーラタのアルジュナという人物にも影響を与えている。またこの文化英雄の原型は、インドネシア列島に広がるバンサワン、ムンドゥ、ドゥルムルク、ママンダといった伝統的演劇形式にも現れるのである。
 スンダのワヤン・ゴレ、バリのワヤン、パレムバン Palembang のワヤン、ワヤン・ブタウィ Wayang Betawi 、そしてワヤン・バンジャル Wayang Banjar (南カリマンタン)でもアルジュノという人物は著名である。その全てもまた、上記のインドネシア列島の文化英雄の原型を受け継いでいるのである。
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by gatotkaca | 2015-01-10 16:58 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

アルジュノの生涯 その7(最終回)

 アルジュノの戦いの最大のものは大戦争バラタユダである。コラワの戦闘指揮官セノパティ、コラワの息子たちの多くがアルジュノの手にかかって死んだ。最愛の息子アビマニュが戦死したことを知った時、アルジュノは感情をむきだしにした。アルジュノは激怒した。〈息子の仇〉ジョヨドロト Jayadrata を殺そうとコラワ軍に猛攻をかけた。ジョヨドロトとデウィ・ドゥルシロワティ Dewi Dursilawati の息子ウィソクスモ Wisakusuma もアルジュノの怒りの前に生贄となった。激烈な攻撃の中で、アルジュノはその日の陽が沈まぬうちにジョヨドロトを殺すと誓いを立てた。果たせなかったときには、アビマニュの遺骸を焼くポンチョコpancaka の炎の中で自らも焼かれるであろうと。
 アルジュノの誓いを聞いたコラワたちは、幾重にも守りの兵でジョヨドロトを取り囲み、彼の姿が見えないようにした。スリ・クレスノは、護衛/守備隊の囲みを破ることが難しいと見て、太陽目がけてスンジョト・チョクロ senjata Cakra を放った。たちまち太陽の光が遮られた。戦場はあたかも日没時のように暗くなったのである。
 太陽はますます暗くなり、ジョヨドロトの護衛隊の囲みが緩んだ。アルジュノの脅威から逃れることができたと思ったジョヨドロトは、首をもたげて辺りを見回した。鋭いアルジュノの眼光が、コラワの幾百もの兵たちの中から飛び出したジョヨドロトの首を見つけた。光のごとき速さでパソパティの矢が放たれ、稲妻のように空を切り、ジョヨドロトの首を搔き切る。彼は崩れ落ち、死んだ。
 パソパティの風圧でジョヨドロトの首は飛ばされ、育ての父であるブガワン・スムパニ Bagawan Sempani の膝の上に落ちた。ブガワン・スムパニは生命の水「ティルト・アマルト Tirta Amarta 」をふりかけ、ジョヨドロトの首は生き返らせると、その口に小刀を咥えさせた。小刀を咥えたジョヨドロトの首は戦場で暴れ回り、アルジュノの三人の息子たち、クモロデウォ Kumaladewa 、クモロスクティ Kumalasekti 、プロボクスモ Prabakusuma を殺し、ビモのルジョポロ Rujak pala の一撃で粉砕されてようやく鎮まった。(ラコン「ジョヨドロトの戦死 Jayadrata Gugur ーーバラタユダ第四の戦い『ランジャパン Ranjapan 〈切り刻むの意〉』」)

 アルジュノの優れた弓術は、ブリスロウォの手にかかって死に瀕していたアルヨ・スティアキ Arya Setyaki を陰から救うことになった。これはスリ・クレスノの奸計によるものである。
 スリ・クレスノはブリスロウォに取り押さえられ身動きできなくなったスティアキを見て、素早く行動した。アルジュノの弓の腕を試すふりをして、スリ・クレスノは彼に一本の髪の毛を撃ち落とすよう命じた。その先にはブリスロウォの右腕があったのだ。アルジュノの矢はスリ・クレスノのつかんだ髪は二つに裂き、さらにブリスロウォの右腕を切り落とした。ブリスロウォは驚愕し、スティヤキの身体をはさみこんでいた力が緩んだ。その隙にスティヤキは自由を取り戻し、ゴド・ウシクニン Gada Wesikuning 〈棍棒〉を取り、ブリスロウォの頭を砕いた。ブリスロウォはあえなく斃れた。(ラコン「ブリスロウォの戦死 Burisrawa Gugur ーーバラタユダ第五の戦いティムパラン Timpalan 」)

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Karna Tanding

 バラタユダの戦いにおいて、アルジュノの強靭さと勇猛が試される時が来た。母を同じくする兄であるアディパティ・カルノを相手に戦わなければならなくなったのである。アルジュノとアディパティ・カルノの戦いは、クルセトロ Kueusetra の荒野におけるコラワ対パンダワの大戦争バラタユダのハイライトであった。千人を超えるビダダリ、ビダドロたちが日傘を手に天界から降りてきて、乾ききった戦場に陰を落とし、涼しい風が吹いた。
 焼かれず、埋葬されるいとまも無く斃れたままの兵士たちの死体が放つ腐臭に代わり、ビダダリたちの発する芳香があたりを包む。世界最高の二人のサトリアが対峙した時、戦場は宗教的ともいえる厳かな空気で張りつめた。クルセトロの荒野を静寂が支配し、兵士たちが固唾を飲む。その姿瓜二つの母を同じくする二人のサトリアは、この今互いの信念をかけ、敵として対峙した。
 アルジュノは、長い間コラワ一族に奪われていたアスティノプロ国の継承権を取り戻し、正義を守るために戦う。いっぽうアディパティ・カルノは、愛国心にもとづく「ダルマ・サトリア dharma satria 〈クシャトリアの業・責務〉を果たし、かつて自身が表明した誓いの言葉に殉じるためにこの戦場に立つ。ルシ・ビスモ Resi Bisma 〈アスティノの長老〉がそうしたように、カルノも敵から祖国アスティノを護るために戦うのだ。ひとりのサトリアとして、カルノは自らの誓いに殉じようとする。馭者アディロト Adirata の子であった彼にアウォンゴ国王の地位を与えてくれた、親密なる友、ドゥルユドノを守り通すのだ。
 母を同じくする瓜二つの兄弟たちの戦いは、あたかも双子の英雄が優雅に踊っているかのようであった。機敏な動き、卓越した振る舞い、武器の扱いにおける熟達。その力は拮抗し、その超能力は互いに譲らない。アディパティ・カルノは最後の宝具、キヤイ・ウィジョヨチョポ Kyai Wijayacapa を取り出す。正確に、注意深く狙いを定める。狙うはサン・アルジュノの首である。その必殺の武器 warastra が放たれる直前、カルノの戦車の馭者をつとめるプラブ・サルヨが、馬の手綱を意図的に引く。馬は驚いて跳び上がり、戦車が揺れる。キアイ・ウィジョヨチョポの弾道はそれ、アルジュノの髷 gelung をかすめていった。
 アルジュノの馭者であるスリ・クレスノが合図する。アルジュノは反撃に最後の武器を放つ。アルジュノはすばやく強弓にパソパティをつがえ、注意深く狙いを定める。パソパティが稲妻のようにアディパティ・カルノの首を射抜く。
 目にも止まらぬスピードでカルノの首は搔き切られ、その首は胴体にまっすぐ乗ったままであった。彼は戦場に屹立したままだ。アルジュノは、近くに来いと叫ぶカルノの声を聞く。その声は重代の武器キアイ・ジャラ Kyai Jalak からのものである。一歩を踏み出すと、カルノの首は胴から落ち、彼は大地に倒れ臥したのである。
 同時に、天界から幾千もの花々が降り注ぎ、アディパティ・カルノの遺体を色彩と芳香でつつみこんだ。喜びのうちに死せるサトリアは、その信念を守りとおしたのみならず、母との約束をも守った。母デウィ・クンティに彼は誓ったのだ。クルセトロの戦場で何が起ころうと、パンダワの数は五人のままであると。誓いは果たされ、パンダワ一族は勝利し、虚栄・貪欲・強欲の欲望は滅ぼされた。カルノは喜びのうちにバラタユダの戦場に散ったのである。(ラコン「カルノの一騎打ち Karna Tanding 」)

 アルジュノの最後を語ろう。アビマニュとデウィ・ウタリ Dewi Utari の息子、アルジュノの孫であるパリクシト Parikesit がプラブ・カリモトヨ Prabu Kalimataya (アスティノ国王となったプントデウォ/ユディスティロの称号)に代わってアスティノプロ国王に即位して数年後、アルジュノは兄弟たちとともに解脱 mukso した。
 その献身と行動、善良にして高貴なる性格のゆえ、アルジュノの魂はヒワン・ジャガド・ウィセソ Hyang Jagad Wisesa により天界スワルゴロカ Swargaloka に招き入れられた。その傍らには13人の妻と(バタリ・スプロボとバタリ・ウィルトモを除く)40人のビダダリたちがあった。

・キ・ワルヨ Ki Waluyo

ーーー注:「マハーバーラタ」の書によれば、アルジュノはバラタユダ終結後、プラブ・ドゥルユドノの未亡人となったデウィ・バヌワティとも結婚した。しかしこの結婚は長く続かなかった。復讐のため、赤ん坊のパリクシトを狙ってアスティノ王宮に侵入したアスウォトモ Aswatama の襲撃にあい、デウィ・バヌワティは殺されてしまったのである。アスウォトモ自身は、赤ん坊のパリクシトが足下に置かれたパソパティを無意識に蹴ったのに当たって死んだ。(「アスウォトモ・ランダック Aswatama Nglandak 〈ランダックはハリネズミの意、アスウォトモの夜襲をハリネズミの習性に例えた〉)
 アルジュナは、ヤーダヴァ王朝が棍棒戦争で滅んだ後、スリ・クレスノの15,997人の妻を引き取った。昇天する前にクリシュナは、ルシ・バララーマ〈ボロデウォ〉の助言により16,000人の妻たちをアルジュノに委ねることにした。しかし16,000人のうち、デウィ・ジュムボワティ Dewi Jumbawati 、デウィ・ルクミニ Dewi Rukmini 、デウィ・スティヨボモ Dewi Setyabama の三人はベロ・パティ bela pati 〈殉死〉し、炎の中に身を投じたのだった。
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Parikesit

(おわり)
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by gatotkaca | 2015-01-06 16:42 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

アルジュノの生涯 その6

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 マハーバーラタの書によれば、アルジュノはポンチョロ国で行われたデウィ・ドゥルパディ獲得のための弓取りのサユムボロにも勝利した。デウィ・ドゥルパディはプラブ・ドゥルポドとデウィ・ゴンドワティ Dewi Gandawati の長女である。娘婿として最上のサトリアを得るため、プラブ・ドゥルポドは弓取りのサユムボロを催した。プラブ・ゴンドバウ Prabu Gandabahu (ドゥルポドの義父)の遺産であるプソコの弓を引くことのできた者は、誰あろうとデウィ・ドゥルパディ獲得の勝者となるのだ。この時、サユムボロに参加しようとしたアディパティ・カルノがデウィ・ドゥルパディに拒まれるという事件があった。
 プラブ・ドゥルユドノは、ゴンドバウの遺産である弓を引けずサユムボロに敗れた。代わってアディパティ・カルノが親友プラブ・ドゥルユドノの尊厳を守ろうとしてサユムボロの会場に入った。弓がまさに引かれようとした時、アディパティ・カルノの弓の腕前を聞き及んでいたデウィ・ドゥルパディは高台から立ち上がり、大声でアディパティ・カルノのサユムボロへの参加を拒否したのである。カルノは王の息子でもなく、ブラフマンの息子でもない。馭者の子にすぎぬ、と。カルノは、このサユムボロは血統やカーストの隔てなく、すべての民に向けて行われるもののはずだと答えた。しかし、デウィ・ドゥルパディは、もしカルノが勝利しても自分はアディパティ・カルノとの結婚を望まないと大声で答えた。
 深い怨みを抱いてカルノは競技場を後にした。最後の挑戦者としてアルジュノが現れ、サユムボロに勝利した。アルジュノは兄プントデウォ Punntadewa の妃を得るためにサユムボロに参加したのだったが、デウィ・クンティの言葉によって、話が違ってしまった。
 ポンチョロ国での弓取りのサユムボロに勝利し、褒美を得たとアルジュノが報告したとき、デウィ・クンティは扉に背を向けており、アルジュノの言う褒美がデウィ・ドゥルパディのことであることに気づかなかった。デウィ・クンティはこう言った「兄弟皆で公平に分けなさい。」
 アルジュノ、デウィ・ドゥルパディ、ビモ、プントデウォ、ナクロ、サデウォは母の言葉に驚いた。デウィ・クンティも、アルジュノが褒美として得たものが、美しい女性であったことを知って驚き、後悔したが、すでに発せられた言葉は撤回できない。神の定めとして、デウィ・ドゥルパディはパンダワ五王子みなの妻となった。(ラコン「サユムボロ・ポンチョロ Sayembara Pancala 」)

ーーー注:インドネシアのワヤンの物語では、デウィ・ドゥルパディはプラブ・プントデウォひとりの妃となり、一人息子ポンチョウォロ Pancawala をもうける。デウィ・ドゥルパディの獲得に成功するのはビモであり、ビモはゴンドモノ Gandamana との戦いに勝利してデウィ・ドゥルパディを得るのである。(ラコン「ゴンドモノ・サユムボロ Gandamana Sayembara 」)

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 徳高い行為を多く行ったアルジュノとはいえ、彼も普通の人であるからまったく過ちを犯さなかったわけではない。自分自身が最高のレベルの者でありたいという、エゴイズムの欲求に負けたこともある。
 アルジュノはルシ・ドゥルノの弟子として、弓術においては最高の腕前を誇っていた。アルジュノはこの世で最高の弓術の名手になることを切望していた。その欲求を満たすため、アルジュノはアラデオ Aradea (アディパティ・カルノの若い時の名)がドゥルノの弟子となることに反対し続けた。馭者の子であるアラデオが弓術の才能に秀でていることを知ったからである。ルシ・ドゥルノがコラワとパンダワたちに弓を教えた時、アラデオはアルジュノ以外のすべての弟子たちよりも優れた弓の技を披露したのだ。
 弟子入りを拒まれたアラデオは、ダクシノポト Daksinapata の苦行所のルシ・パラスラマ Resi Parasrama の弟子となり、アルジュノに匹敵する弓の名手となったのであった。
 アルジュノは、ルシ・ドゥルノがエコロヨ Ekalaya /パルグナディ Palgunadi を受け入れようとした時も反対し、邪魔立てした。エコロヨはパラングルン Palanggelung 国の王であり、ドゥルノに弟子入りを望んだのだった。ルシ・ドゥルノに弟子入りを拒まれてもエコロヨは落胆しなかった。森に入り、ルシ・ドゥルノの彫像を作り、その像に拝跪しながら弓の修行を続けたのである。忍耐強く、強い意志を持って、ルシ・ドゥルノの彫像を前にして修行を続け、エコロヨは弓の修行をやり遂げたのである。
 エコロヨは音をたよりにするだけで、的に矢を命中させることができた。七本、十本の矢を同時に放ち、すべてを的に当てることこともできた。ある時、姿の見えない犬を、その吠え声をたよりに七本の矢を放ち、すべてを命中させた。その犬は、アルジュノが狩りに率いて来たものであった。
 アルジュノは、犬の口に七本の矢が刺さったのを見て、驚いた。その弓の射手は、自分を超える力量の持ち主だからである。アルジュノは、そのサトリアが、かつて彼がルシ・ドゥルノへの弟子入りを阻止したエコロヨその人であることを知り、ますます驚いた。
 二人は対峙し、弓の腕比べをすることになった。しかしアルジュノはエコロヨに勝つ自信が持てなかった。アルジュノは負けを覚悟した。アルジュノに尋ねられ、エコロヨは自身の弓の修行はルシ・ドゥルノの導きのおかげによるものだと答えた。エコロヨは彼の修行場にあるルシ・ドゥルノの彫像を見せた。
 アルジュノはすぐにエコロヨの前から去り、ルシ・ドゥルノに会いに行った。アルジュノはドゥルノに、本当はエコロヨに弓術を指南していたのではないか、それも熱心に、彼を選んで、と詰め寄った。アルジュノに問い詰められたドゥルノは、共にエコロヨの修行場に赴いた。ドゥルノは、エコロヨに自分の弟子であるというなら、誠意の証しを見せてほしいと言った。エコロヨは師への忠誠を誓う。師への忠誠として、身も魂も師ルシ・ドゥルノに捧げることを誓ったのである。
 ルシ・ドゥルノはエコロヨに右手の人差し指を切り落とすよう命じた。その指にはエコロヨの生死を司る超能力の指輪ムスティコ・アムパル Mustika Ampal がはめられていた。指を切り落とすとエコロヨは崩れ落ち、死んだ。ルシ・ドゥルノはエコロヨの人差し指をアルジュノの手にくっつけた。以来アルジュノの右手には人差し指が二本あるのである(「マハーバーラタ」による)。
 ワヤンのヴァージョンでは次のように語られる。エコロヨは右手親指を切られたので死ぬことはなかった。ムスティコ・アムペルの指輪は人差し指にはめられていたからである。エコロヨはプラングルン国へ戻り数年が経った。ある時、再びアルジュノの心を悩まさせる出来事が起こったのである。
 ルシ・ドゥルノに会うため、デウィ・アングレニ Dewi Anggraeni がソコリモへ向った。彼女は森の中でアルジュノと出会った。この美しい女性がエコロヨの妃であることを知ったアルジュノは、良からぬ思いに駆られた。アルジュノは彼女を自分のものにしようとしたが、拒まれ、デウィ・アングレニは逃げた。アルジュノが追いかける。追いつめられ渓谷に身を投げたデウィ・アングレニは、幸いにもバタリ・ラティに救われたのである。バタリ・ラティは彼女をプラングルン国へ帰してくれた。
 アルジュノの行為を知らされたエコロヨは激怒した。すぐさまパラングルン国の軍勢を率いてアマルトに攻め込んだのである。アルジュノとエコロヨの一騎打ちで、アルジュノはまたも敗れた。スリ・クレスノがアルジュノの手助けに入った。アジ・パングリムナン Aji Panglimunan の呪文で、スリ・クレスノはルシ・ドゥルノの彫像の中に入りエコロヨの超能力の秘密を探った。エコロヨの超能力はムスティコ・アムペルの指輪にある。スリ・クレスノの超能力でエコロヨの人差し指が切り落とされ、ムスティコ・アムペルの指輪がその身体から離れ、エコロヨは死んだ。
 ルシ・ドゥルノの行為に怒り狂ったエコロヨは、ドゥルノへの復讐を誓い、大戦争バラタユダで彼に報復するのである。(ラコン「パルグナ・パルグナディ Palguna-Palgunadi 」)

ーーー注:ジャワのワヤンでは、アルジュノとエコロヨの物語には異なるヴァージョンが存在する。そこではアルジュノとエコロヨは共にソコリモの苦行所でルシ・ドゥルノの弟子となる。ある時、ソコリモにいるエコロヨを追ってデウィ・アングレニがやって来る。デウィ・アングレニの美貌にアルジュノは、たちまちのうちに恋に落ちる。しかしデウィ・アングレニは彼を拒む。アルジュノの不敬な振る舞いをアングレニは夫に告げる。エコロヨは怒り、アルジュノと戦いとなる。アルジュノは敗れ、師ルシ・ドゥルノに助けを求める。かくてルシ・ドゥルノによって親指を切り取られたエコロヨは、その指にはめられていたムスティコ・アムペルを失い、死にいたるのである。

(つづく)
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by gatotkaca | 2015-01-05 15:05 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

アルジュノの生涯 その5

 アルジュノが仲を取り持った例もある。マンドゥロ国王ボロデウォ Baladewa がモンドロコ Mandaraka 国王プラブ・サルヨ Prabu Salya の長女デウィ・エロワティ Dewi Erawati と結婚した時、彼は手助けした。デウィ・エロワティがアスティノ国の若き王プラブ・ドゥルユドノとの結婚を間近にしていた時、彼女はカルトウィヨゴ Kartawiyaga にさらわれ、海のそこにあるティルトカンダサン Tirtakandasan 国(ジャワのワヤンの物語では、しばしばギリダサル Giridasar 国とも呼ばれる)に連れ去られてしまった。娘を助け出すため、プラブ・サルヨはサユムボロ〈嫁取り〉を行った。デウィ・エロワティをカルトウィヨゴの手から救い出した者は、誰あろうとエロワティを妻にする資格を得るのである。

 エンダン・ウリディニンシ Endang Werdininsih という女官に化けてアルジュノは、アルゴソニョ Argasonya の苦行所でデウィ・スムボドロと会うことができた。そこには彼女の兄コクロソノ Kakrasana がワシ・ジョロドロ Wasi Jaladara という名の僧形で暮らしていた。コクロソノは僧形で苦行し、神からの予言を授かろうとしていたのである。彼がマンドゥロ国王になった際、妃にふさわしい女性は誰なのかを知るためであった。

 ワシ・ジョロドロは、アルジュノがカルトウィヨゴにさらわれたデウィ・エロワティを探していることを知り、自分もプラブ・サルヨのサユムボロに参加することを決めた。アルジュノはワシ・ジョロドロにデウィ・エロワティ救出を頼んだ。アルジュノの手助けで、ワシ・ジョロドロはティルトカンダサン国を見つけ出した。必殺の武器アルゴロ Alugoro でカルトウィヨゴを殺し、デウィ・エロワティを解放したのである。神の定めに従い、デウィ・エロワティとワシ・ジョロドロ/コクロソノは結ばれ、夫婦となったのである。(ラコン「エロワティ誘拐 Alap-alapan Erawati 」また「ジョロドロの結婚 Jaladara Rabi 」)


 デウィ・エロワティがコクロソノと結ばれたので、プラブ・サルヨの次女、デウィ・スルティカンティ Dewi Surtikanti がプラブ・ドゥルユドノと結婚することになった。しかし彼女はバムバン・スルヤトモジョ Bambang Suyatmaja (アディパティ・カルノ Adipati Karna の若いころの名)に連れ去られた。婚礼に列席するためモンドロコ国に来ていたアルジュノが、バムバン・スルヤトモジョを捕らえた。

 激しい戦いとなり、スルヤトモジョはアルジュノのクリスで額に傷を負った。スルヤトモジョが、アルジュノの身体にプソコのクリスを突きつけようとした時、バトロ・ナロドが二人を止めた。バトロ・ナロドは説明する。スリヤトモジョとアルジュノは、本当は母を同じくする兄弟であり、二人の母はデウィ・クンティであると。スルヤトモジョは、デウィ・クンティがまだ処女であった時、太陽神バトロ・スルヨ Bhatara Surya との間にもうけた、彼女の長男なのだ。その誕生はマンドゥロ国の秘密とされ、赤子のスルヤトモジョはヤムナ Yamuna 河に流され、アディロト Adirata に拾われて息子として育てられたのだと。

 パンダワ一族とモンドロコ、アスティノ国の面々を集めてバトロ・ナロドは忠告した。アウォンゴ Awangga 国の王プラブ・コロカルノ Prabu Kalakarna の女セノパティ、ラスクシのキダンガティ Kidangati が、宮殿の侍女に化けてデウィ・スルティカンティをさらい、アウォンゴ国へ逃げた。

 バトロ・ナロドはアルジュノに、スルヤトモジョと共にデウィ・スルティカンティを助け出すよう命じた。神の定めによれば、デウィ・スルティカンティとスルヤトモジョは結ばれる運命にある。アルジュノとスルヤトモジョは、すぐさまデウィ・スルティカンティを救うため、アウォンゴ国へ向った。

 アウォンゴ国で激しい戦いとなった。アルジュノはキダンガティを殺し、スルヤトモジョがプラブ・コロカルノを斃した。デウィ・スルティカンティは救い出され、スルヤトモジョと結婚したのである。(ラコン「スルティカンティ誘拐/スルヤトモジョの結婚 Alap-alapan Surtikanti / Suryatmaja Rabi 」)


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デウィ・バヌワティ Dewi Banowati


 アルジュノは、アスティノ国の若き王ドゥルユドノがプラブ・サルヨの三女デウィ・バヌワティと結婚する際も手助けした。デウィ・バヌワティはドゥルユドノとの結婚のブボノ bebana (必須の条件)として、婚礼の号列で女性の馭する白象に乗ることを求めた。

 森の中で白象を探していたアルジュノは一対の野生の大きな虎に出会った。激しい戦いとなったが、アルジュノはその超能力で二頭の虎を倒した。プソコであるキアイ・ソロトモ Kiai Sarotama のクリスに刺された虎は、バトロ・コモジョヨとバタリ・ラティに変じた。

 アルジュノはバトロ・コモジョヨとバタリ・ラティに、女性の馭する白象を見つけるにはどうしたらよいか尋ねた。カヤンガン・チョクロクムバンの夫婦の神は、アルジュノにタシクマドゥ Tasikmadu 国へ行くよう命じた。そこにはプラブ・ジョヨインドラ Prabu jayaindra の娘デウィ・レトノ・カシムパル Dewi Retna Kasimpar がおり、彼女は白象を所有し、それを操る力を持っているのだ。

 アルジュノがタシクマドゥ国に着いたのと時を同じくして、ティムブルタウナン Tombultahunan 国のラクササ軍がやって来た。デウィ・レトノ・カシムパルへの求婚を断られたプラブ・クロンドグニ Prabu Kurandageni はラクササ軍を率いてタシクマドゥ国を蹂躙し、力づくで彼女を手に入れようとしていたのである。さかまく炎を発する超能力の矢、チョンドロニロ Candranila でアルジュノはプラブ・クロンドグニを斃し、ティムブルタウナンのラクササ軍を追い払った。その報償としてアルジュノはデウィ・レトノ・カシムパルと結婚した。

 アルジュノとデウィ・レトノ・カシムパルの結婚に、プラブ・ジョヨインドロの第二夫人デウィ・チレコトモ Dewi Clekatama が反対した。彼女は自身の娘、デウィ・レトノ・ジュウィト Dewi Retno Juwita とアルジュノを結婚させたいと願っていたのである。デウィ・チレコトモはレトノ・カシムパルをさらって殺そうとした。白象の導きでアルジュノはレトノ・カシムパルを救い出した。デウィ・チレコトモとその取り巻きたちが暴れ出した。アルジュノが超能力の矢キアイ・シルショ Kiai Sirsyha を引き抜くと、デウィ・チレコトモと従者たちはジンや目に見えない精霊たちに変じ、慌てふためいてセトロゴンドマイトの森へ逃げ去った。

 仕事を終えたアルジュノは、デウィ・レトノ・カシムパルと白象をアスティノ国へ連れてい行ったのである。(ラコン「ドゥルユドノの結婚 Duryudana Rabi 」)


 ラコン「クレスノ・クムバン Kresna Kembang 〈花のクレスノ〉」において、アルジュノはスリ・クレスノと、クムビノ Kumbina 国のプラブ・ビスモコ Prabu Bismaka の娘、デウィ・ルクミニ Dewi Rukmini との結婚の手助けもした。ルシ・ドゥルノから求婚されたデウィ・ルクミニはドゥルノに謎掛けを出した。「男の本質、女の本質」な何かという謎の答えを出せたならルシ・ドゥルノの申し出を受けようと言うのである。

 ルシ・ドゥルノが謎を解いてしまうだろうと感じたデウィ・ルクミニは、謁見所を抜け出て、女の館へ行き、ノロヨノ Narayana (プラブ・クレスノの若い時の名)に告げた。その謎はノロヨノが出したものだったのである。ノロヨノはデウィ・ルクミニを元気付け、自分自身がルシ・ドゥルノと対決することにした。

 ルシ・ドゥルノがデウィ・ルクミニを追ってクムビノの後宮の庭に入って来た時、ノロヨノは恐ろしい巨大なラクササの姿となって立ちふさがった。ルシ・ドゥルノは恐ろしさに悲鳴を上げ、コラワ一族に助けを求めたが、コラワには誰一人としてそのラクササに立ち向かう勇気のある者はいなかった。ルシ・ドゥルノはアルジュノにラクササと対峙して斃してくれと頼んだ。

 アルジュノが後宮の庭に入ると、ラクササの姿は無く、デウィ・ルクミニとお喋りしているノロヨノを見つけた。アルジュノは先のラクササが実は、ルシ・ドゥルノとコラワ一族を脅そうとしてノロヨノが変身したものであると知った。コラワ一族の裏をかくため、ノロヨノは花を一輪摘んで、偽物のノロヨノを作った。アルジュノは偽のノロヨノを縛り上げて、プラブ・ビスモコとコラワ一族の前に連行した。アルジュノに縛り上げられたノロヨノを見て、コラワたちはノロヨノを袋叩きにした。ノロヨノはぐったり倒れてしまった。

 偽のノロヨノが死んだところへ、デウィ・ルクミニと本物のノロヨノが手を携えて現れ、プラブ・ビスモコの前に跪いた。デウィ・ルクミニは父に真実を説明した。彼女の本心は従兄弟のノロヨノと結婚したいのだと(ノロヨノは、プラブ・ビスモコの兄、マンドゥロ国王プラブ・バスデウォの息子である)。

 コラワたちは、偽のノロヨノが元の一輪の花に戻ったのを見て、嘲られたと感じ、怒りに震えて暴れ回ったが、騒動はビモによって鎮められた。失望し、復讐を誓ってコラワたちはアスティノ国に帰った。デウィ・ルクミニとノロヨノは夫婦として認められた。


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by gatotkaca | 2014-12-27 14:52 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

アルジュノの生涯 その4

 ジャノコ Janaka の名にふさわしく、アルジュノは数多くの妻を持つ。ジャノコとは「ジョノ Jana 」と「コ Ka 」の語から成り、「ジョノ」とは人間を、「コ」は男らしさ、男を意味する。アルジュノが多くの妻を持つのは、個人的な関心もあるが、パンダワ一族の将来のため、またひとりの人間としての生の段階を登るためでもあるのだ。

 アルジュノがブガワン・ウィラウクの娘デウィ・ジマムバンと結婚したことで、彼は「ジャエン・カトン」香料の壷を手に入れることとなる。「ジャエン・カトン」香料によって、パンダワ一族はムルタニ王国の秘密をあばくことができたのである。そしてアルジュノが、ムルタニ国王プラブ・ユディスティロの娘、デウィ・ラトリと結婚することで、マドゥコロ国と不可視のムルタニ王国を手に入れ、不可視であった王国は本来の姿を取り戻し(普通の人の目に見えるようになり)、パンダワ一族はそこにアマルト国を建国することができたのである。

 ティ・コロカシプ Patih Kalakasipu との戦いで瀕死のアルジュノを助けたヨソロトYasarata の苦行所のルシ・カンウォ Resi Kanwa は、アルジュノとブガワン・カンウォの一人娘、デウィ・ウルピ Dewi Ulupi (デウィ・パルピ Dewi Palupi とも呼ばれる)を結婚させた。これはアルジュノが、ビモとデウィ・アリムビ Dewi Arimbi の息子のへその緒を切るために、バトロ・グルから神与のプソコを借りようとしてカヤンガン・ジュングリンサロコへ赴いた時の出来事であった。ジャムルディポ Jamurdipa 山の麓でアルジュノはパティ・カシプと遭遇した。戦いとなり、アルジュノは敗れた。気絶してパティ・サキプに北の方角に放り投げられてしまった。ふらふらと宙を飛ぶアルジュノは、ブガワン・カンウォの超能力で吸い寄せられ、彼の膝元へ落ちたのだった。

 超能力の呪文でブガワン・カンウォはアルジュノを蘇生させ、デウィ・ウルピの夫とした。この結婚により、息子のひとりバムバン・イラワンが産まれたのである。(ラコン「ガトコチョの誕生 Lahirnya Gatotkaca 」)


 アルジュノはアンドン・スミウィ Andong Sumiwi の苦行所のブガワン・シディ・ワチョノ Bagawan Sidik Wacana の娘デウィ・マヌホロ Dewi Manuhara とも結婚した。大戦争バラタユダが勃発した際、勝利し得るために勝利のための教訓イルム・ジョヨカウィジャヤアン Ilum jayakawijayaan を求めて、アルジュノはブガワン・シディ・ワチョノに師事した。アンドン・スミウィの苦行所でアルジュノはデウィ・マヌホロと恋に落ち、ブガワン・シディ・ワチョノの祝福を得て夫婦となった。この結婚で後の日に双子の娘、エンダン・プルギウォ Endang Pergiwa とエンダン・プルギワティ Endang Pergiwati が産まれることとなる。

 ブガワン・シディ・ワチョノから、敵を征服する呪文、アジ・モヨブミ Aji Mayabumi を授けられたほかに、アルジュノは超能力の馬、チプト・ウィロホ Cipta Wilaha と馬の鞭キヤイ・パムク Kyai Pamuk も授かった。これらは大戦争バラタユダで、アルジュノが勝利するのに大きく貢献した。(ラコン「チプト・ウィロホ」)


 長く侍女の地位に甘んじていたデウィ・ララサティにもっと高い身分を与えてやりたいとの思いから、アルジュノはウドウォ Udawa がウィドロカンダンで催した嫁取り競技サユムボロに参加した。

 アルヨ・ウドウォはデウィ・ララサティの兄である。彼らはプラブ・バスデウォとマンドゥロ国の侍女ケン・サゴピ Ken Sagopi の間の子であるという話であった。ケン・サゴピがドゥマン・オントゴポ demang Antagopa と結婚した後、ウドウォとララサティは母に従ってウィドロカンダンに来て、ドゥマン・オントゴポの子として認められた。

 幼い頃よりララサティはデウィ・スムボドロと仲が良く、デウィ・スムボドロがアルジュノと結婚してからも、彼女の侍女として仕えていた。ウドウォは妹がいつまでも侍女/女官であることを望んではおらず、デウィ・ララサティがサトリアか王子の妻となってくれることを強く願っていた。かくてウドウォは、一騎打ちによる嫁取り競技、サユムボロ・タンディン saembara tanding を開催し、彼自身を敗ることのできた者にデウィ・ララサティと結婚する権利を与えるということにしたのである。ウドウォの願いを知っていたスリ・クレスノは、彼に死んだ者を蘇らせる超能力を持つウィジョヨクスモ Wijayakusuma の花を貸し与えた。かくてウドウォを負かし得るサトリアはひとりもいなかった。

 アルジュノはデウィ・ララサティが誰とも知れぬ者の妻になることに我慢できず、彼女を手に入れようとサユムボロに参加したのである。アルジュノの心の内を知っていたスリ・クレスノは、アジ・パンリムナン Aji Panglimunan の呪文を用いて、姿が目に見えないようにしてウドウォに近づき、ウィジョヨクスモの花を取り上げてしまった。決闘の末、ウドウォはアルジュノに敗れ、デウィ・ララサティはアルジュノの妻となった。この結婚で、彼らはスミトロ Sumitra という名の息子をもうけた。(ラコン「ウドウォ・サユムボロ Udawa Sayembara 」)

ーーーー注):ワヤンの物語では、デウィ・ララサティはアルジュノとの結婚で二人の息子をもうける。スミトロとブロントララス Brantalaras である。ジョクジャ・スタイルの物語では、アルジュノとデウィ・ララサティの間には子は無い。スミトロはアルジュノと、ムルタニ国のジンの王プラブ・ユディスティロの娘、デウィ・ラトリとの間の子であるとされる。


 デウィ・ララサティをデウィ・スムボドロの友人で忠実な「侍女」とだけ思ったら、それは誤りである。ララサティは戦士としても優秀で、特に弓の腕前に卓越している人である。その証拠にデウィ・ララサティは、アルジュノとデウィ・スリカンディが結婚する際、「仲人」の役割を果たしている。

 二人はアルジュノの弓の弟子として優れていた。アルジュノがデウィ・スリカンディに求婚した時、デウィ・スリカンディは条件を出した。もし自分より弓に優れている女性がいたなら、アルジュノの妻となると。この条件を満たすため、デウィ・ララサティはデウィ・スリカンディに勝負を挑んだ。この一騎打ちはパンダワ一族とポンチョロ Pancala 一族を証人として行われ、デウィ・ララサティはデウィ・スリカンディを敗ったのである。彼女は弓矢においても、戦いにおいてもデウィ・スリカンディを凌いでいた。勝負に敗れたデウィ・スリカンディはアルジュノの妻となったのである。(ラコン「スリカンディ弓を習う Srikandi Meguru Manah 」また「スリカンディの一騎打ち Srikandi Tanding 」)


 ワヤンの物語の中では、アルジュノはバトロ・ヨモディパティ Bhatara Yamadipati 〈死神〉の娘、デウィ・オントコウラン Dewi Antakawulan とも結婚する。この結婚でバムバン・オントコデウォ Bambang Antakadewa という息子が産まれる。アルジュノとオントコウランの結婚生活は長く続かなかった。というのも、デウィ・オントコウランは、デウォスラニから、まだ幼い息子を守るために死んでしまったのだ。デウォスラニはバタリ・ドゥルゴとバトロ・コロの息子である。

 デウォスラニはデウィ・オントコウランを妻にしたいと願い、母バタリ・ドゥルゴの手助けでアルジュノとデウィ・オントコウランの中を引き裂こうとした。デウォスラニは大臣のバランパティ Balangpati に、クレンドヨノ Krendayana の森で苦行をしているアルジュノを殺すよう命じた。パティ・バランパティがアルジュノに敗れたので、デウォスラニは自分でアルジュノと対決した。重代の武器アキ・バレバル・ナドゥ Akik Balebar Madu でデウォスラニはアルジュノを敗り、殺してしまった。しかし、スリ・クレスノはウィジョヨクスモの花の力でアルジュノを蘇生させた。

 スリ・クレスノとビモ、スマルそしてその息子たちは、アルジュノと共にヨモディパティの天界、カヤンガン・ヤマニ Kahyangan Yamani に向った。父ヨモディパティと共にいるデウィ・オントコウランに会うためである。彼らが到着すると、デウィ・オントコウランは男の子を抱いていた。スリ・クレスノは、その子にバムバン・オントコデウォの名を与えた。バトロ・ヨモディパティの持つ生命の水をふりかけると、その子は元気な美丈夫になった。バトロ・ヨモディパティは、アルジュノに妻と息子をマドゥコロ国へ連れて行くよう言われる。

 その途次、彼らはデウォスラニとその一党に道を阻まれた。すぐさま一騎打ちが始まる。アルジュノがデウォスラニに敗れたので、スリ・クレスノはバムバン・オントコデウォにデウォスラニと戦うよう命じた。激しい戦いとなり、デウォスラニは最後の武器、アキ・バレバル・マドゥを抜き放ち、オントコデウォ目掛けて投げつける。

 息子の身を守ろうとしてデウィ・オントコウランは、飛び上がり、デウォスラニのアキ・バレバル・マドゥに立ちふさがった。耳をつんざく轟音と共に濃い霧が立ち込め、デウィ・オントコウランとアキ・バレバル・マドゥが消え失せ、目を持つ瑪瑙の指輪に姿を変えたのであった。スリ・クレスノは、デウィ・オントコウランとデウォスラニの武器が合わさって変化したその瑪瑙の指輪をオントコデウォに与えた。武器を失ったデウォスラニは、自分の国セトロゴンドマイト Setragandamayit に帰った。(ラコン「オントコウラン」)


 アルジュノはデウィ・ジュウィタニングラト Dewi Juwitaningrat とも結婚した。彼女はもとラスクシ raseksi 〈女羅刹〉であったが、美女に変わった人である。それはこのような物語である。ヤクシプロボ Yaksipraba というラスクシが、アルジュノの美丈夫ぶりに首っ丈になった。彼女はアルジュノの妻となることを乞い願った。ヤクシプロボはギリウォノ Giriwana の苦行所に行き、超能力の賢者でラクササ姿のブラフマナであるブガワン・プラスト Bagawan Pulastha に会い、どうすればアルジュノの妻になれるのか尋ねた。

 ブガワン・プラストは言う。ヤクシプロボの願いは神の定めに逆らうものだと。ラスクシはラクササと一緒になるべきであるというのだ。ヤクシプロボは訴える。神の定めがそのようであるなら、なぜデウィ・アリムビ〈元羅刹女〉とビモの結婚は許されたのかと。デウィ・アリムビもラスクシではないか。返答に窮したブガワン・プラストは言った。デウィ・アリムビがビモと結婚できたのは、アリムビが人間の美女になれたからである。それゆえ神々も許したのだと。

 ブガワン・プラストの答えを聞き、ヤクシプロボは、ブガワン・プラストに自分を普通の人間にしてくれるよう頼んだ。ブガワン・プラストは、神から咎められることを恐れて断った。しかし、ヤクシプロボがなおも強く頼んでくるので、彼はヤクシプロボにストロゴンドマイトへ行き、バタリ・プラムニ Pramuni 〈バタリ・ドゥルゴのこと。主にスンダ地方でこう呼ばれる〉に頼んでみてはどうかと答えた。ブガワン・プラストは注意した。もしこの願いが叶えられたとしても、それは一時的なものであり、大きなリスクを伴うことは間違いないと。ヤクシプロボは言う。アルジュノの妻になれるのなら、いかなるリスクがあろうとも、受け入れるつもりだと。

 かくてヤクシプロボはストロゴンドマイトへ向かい、バタリ・プルマニに会った。バタリ・プルマニは彼女の願いを聞き入れ、ヤクシプロボは美女に変身し、デウィ・ジュウィタニングラトの名が与えられた。バタリ・プルマニはさらに手助けしてくれた。クルクマンドロ Krukmandala の森のルシ・プラマディヨ Resi Pramadya の住処でアルジュノと会うことができるように計らってくれたのである。ルシ・プラマディヨはバタリ・プルマニ自身の変身した姿であった。この結婚で、一人の男の子が産まれ、バムバン・スムボド Bambang Sembada 〈Sumbada〉と名付けられた。

 アルジュノとデウィ・ジュウィタニングラトの結婚に、デウィ・スムボドロの息子アビマニュは反対した。スマルに教えられて、アビマニュはデウィ・ジュウィタニングラトが実はラスクシが普通の人間のすがたに変じた者であると知ったのだ。アビマニュは父を説得したが、デウィ・ジュウィタニングラトの「アジ・ケマヤン Aji Kemayan 」の呪文にかかっていたアルジュノは、アビマニュの言葉に耳を傾けようとしなかった。さらにデウィ・ジュウィタニングラトの願いで、アルジュノはアビマニュとデウィ・スムボドロをクサトリアン・マドゥコロから追い出し、森の中に放逐してしまった。代わりにデウィ・ジュウィタニングラトとバムバン・スムボドがマドゥコロに迎え入れられた。

 スマルの助言で、アビマニュは変装し、ジョコ・プンガラサン Joko Pengalasan と名乗った。彼は、デウィ・ジュウィタニングラトの企みを暴き、彼女とバムバン・スムボドをマドゥコロから追い出すためにマドゥコロへ戻った。争いとなり、戦いとなった。バムバン・スムボドはキアイ・プラングニのクリスに刺されて死に、デウィ・ジュウィタニングラトもキアイ・プラングニに刺されて元のラスクシ、ヤクシプロボの姿に戻った。

 悔い改め、慈悲を乞い、ヤクシプロボはマドゥコロを去り、ギリウォノ Giriwana の苦行所に行ってルシ・プラストの弟子になった。(ラコン「ジュウィタニングラト」また「ジョコ・プンガラサン」)


 ラコン「アルジュノ・トゥルス Arjuna Terus 〈純なるアルジュノ〉」では、アルジュノはスラワンティプロ Srawantipura 国のプラブ・スケンドロ Prabu Sukendra の娘、ディヤ・サリモヨ Dyah Sarimaya と結婚する。物語は次のようなものである。ディヤ・サリモヨはまだ夫を持っていないのに妊娠した。プラブ・スケンドロは怒り、ディヤ・サリモヨに求婚して来たサトリアや王たちを思い返し、グウォミリン Guwamiring 国のプラブ・ジョトヤクソ Prabu Jatayaksa に思い当たった。 

 名誉挽回のため、プラブ・スケンドロは思いきった行動に出た。ディヤ・サリモヨを火あぶりにすることとしたのである。そして刑の実行を息子、ラデン・モヨクスモ Raden Mayakusuma と大臣パティ・コロキスモヨ Patih Kalakismaya に命じた。しかし不思議なことが起こった。ディヤ・サリモヨが火刑に処せられ、炎の中に入れられるや、炎の中にラデン・アルジュノに求愛されるディヤ・サリモヨの姿が見えたのである。炎が鎮まると、アルジュノの姿は消え、ディヤ・サリモヨだけが座している。その顔は晴れやかに笑っており、少しも炎に焼かれてはいなかった。ここに至ってプラブ・スケンドロとスラワンティプロ国の者たちは、ディヤ・サリモヨがアルジュノと愛し合って妊娠したことを知ったのである。

 いっぽうクサトリアン・マドゥコロではアルジュノが奇妙な規則を定め、パンダワ一族を驚かせていた。監視役にアビマニュとガトコチョが任じられた。規則というのは、マドゥコロ宮殿に入る者は、誰あろうとクリスやプソコを身に着けていてはならないというものであった。ビモがこの禁令にふれて不思議な目にあった。彼がマドゥコロの宮殿に入るや、その姿は女になってしまったのだ。驚いてビモはマドゥコロ宮殿から飛び出した。

 ドゥウォロワティ国のプラブ・クレスノも同様の目にあった。ウィスヌ神の化身であるスリ・クレスノは、アルジュノの身に何が起こったかを察知した。スリ・クレスノはすぐさまカヤンガン・ジュングリンサロコへ飛び、バトロ・グルに会い、アルジュノの様子を報告した。

 バトロ・グルはバトロ・ナロドにマドゥコロへ降下し、アルジュノと会うよう命じた。バトロ・ナロドはアルジュノの禁令を犯した。マドゥコロの宮殿に入ると、その身体は女になってしまったのだ。彼はすぐさまマドゥコロの宮殿を出て、カヤンガン・ジュングリンサロコへ戻り、バトロ・グルに事の次第を報告した。バトロ・ナロドと共に今度はバトロ・グル自身がアルジュノに会うために地上界マルチョポドへ降下した。

 アルジュノに会うと、バトロ・グルはアルジュノの身体の中にサン・ヒワン・ジャガド・ウィセソ Sang Hyang Jagad Wasesa (サン・ヒワン・ウェナン Sang Hyang Wenang 〈最高神〉)の魂が入っていることを知った。バトロ・グルとバトロ・ナロドはすぐさま跪き、ジュングリンサロコに戻られるよう願い出た。アルジュノの身体を去る前に、サン・ヒワン・ウェナンは、マドゥコロに参集したパンダワ一族に訓戒を与えた。そしてパンダワ一族が大戦争バラタユダに勝利するという恩寵を与えたのである。(ラコン「アルジュノ・トゥルス」また「ジャティウィセソ Jatiwisesa 」)


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デウィ・ウォロ・スムボドロ Dewi wara sumbadra

 ひじょうに多くの女たちと結婚したアルジュノではあるが、最も盛大な婚礼を行ったのはアルジュノが第一夫人であるデウィ・スムボドロと結婚したときである。花嫁側から多くの困難な条件が出されたからである。それは次のようなものであった。

1. 800の柱を持つ式場(ソコ・ドマス saka domas )

2. クレプ・デウォンダル klep Dewandaru ーージャヌンダル janundaruのクムバル・マヤン kembar mayang 〈結婚式で用いられる一対の花〉

3. パリジョト・クンチョノ parijata kencana ーー作物用の蔵

4. パレードを先導する、神が馭するジャティスロ Jatisura の馬車

5. クボダヌ Kebodanu /婚礼を先導する40頭のパンチャル・パングン pancal panggung 〈身体は黒く、脚先のみ白い〉水牛

6. プラチョンドセト Pracandaseta 、婚礼を先導する白猿

7. 婚礼の伴奏をつとめるガムラン・ロコノント gamelan Lokananta

8. 花嫁の付き添いとしての7人のビダダリ


  ガムラン・ロコノント、クレプ・デウォンダルージャヌンダル、ならびにパリジョト・クンチョノといった神々の持ち物を借り受けるため、アルジュノ自身がスマルと共にカヤンガン・チョクロクムバン Kahyangan Cakrakembang に赴き、愛の神バトロ・コモジョヨ Bhatara Kamajaya とその妃バタリ・ラティ Bhatari Rati の助けを求めた。二人の神のおかげで、アルジュノはガムラン・ロコノントならびに、デウォンダル・ジャヌンダルのクムバル・マヤン〈原文ガガル・マヤン gagar mayang だが、ガガル・マヤンは葬式用なので、クムバル・マヤンの誤りと思われる〉をヒワン・ジャガド・プラティンカ Hyang Jagad Pratingkah (バトロ・グル)から借りることができた。そしてパリジョト・クンチョノをバトロ・クウェロ Bhatara Kuwera から借りることができた。

 800本の柱を持つバレ・クンチョノ(ソコ・ドマス)と馬車ジャティスロは、ビモがシングロ Singgela 国へ赴き、プラブ・ビソワルノ Prabu Bisawarna から借り受けることに成功した。バレ・クンチョノ・ソコドマスとヤクソyaksa /ラクササ〈夜叉・羅刹〉の馬がひく馬車ジャティスロは、プラブ・ロモウィジョヨ Prabu Ramawijaya の所有するプソコ〈家宝〉だった。バレ・クンチョノ・ソコドマスはスリ・ロモがスウェロギリ Swelogiri ーーアルンコ Alengka 国との戦いにおいてスリ・ロモとラクスモノ Laksmana ならびにその軍勢が幕舎とした所ーーで王位にあった時の館である。また、ヤクソ/ラクササの馬がひくジョトスロの馬車は、ラウォノ Rahwana の戦車に対抗するため、インドロ神がスリ・ロモに与えた戦車である。アルンコとの戦争が終わり、ウィビソノ Wibisana がアルンコ国の王となって、プラブ・ビソワルノと称した。二つの歴史的聖遺物はスリ・ロモからプラブ・ビソワルノに与えられたのであった。プラブ・ビソワルノは、アルンコの名をシングロ国と改めたのだった。

 40頭のパンチャル・パングンの水牛クボンダヌは、ビモがクルンドヨノ Krendayana の森に行って手に入れた。40頭のクボンダヌまたケボ・アンダヌ Kebo Andanu とは、体全体が黒く、脚先が白/パンチャル・パングン(ジャワ語)の水牛のことであり、バタリ・ドゥルゴが飼育しているものである。クルンドヨノの森で小柄なラクササ、ダドゥンアウク Dadungawuk が、彼らの牛飼いをしている。ダドゥンアウクは始め、ビモにこれらを貸し与えることを拒み、戦いとなった。ダドゥンアウクはビモに負け、アンダヌたちをビモに渡した。さらにバタリ・ドゥルゴの命令により、ダドゥンアウク自身が40頭のアンダヌを、アルジュノとデウィ・スムボドロの婚礼の行列で率いることとなった。

 白猿のお披露目のため、ビモは大臣のガガボコ Gagakbaka /ガガボンコル Gagakbongkol をパンダスラト Pandasurat の苦行所に向わせた。そこはジョディパティ国の管轄下であり、ルィ・マヤンガセト Mauanggaseta の助けを得るためであった。ビモの願いを自身への侮蔑と感じたルシ・マヤンガセトは、その望みを断り、とうとう戦いとなった。ルシ・マヤンガセトはガガボコに敗れ、彼はアルジュノとスムボドロの結婚式の余興として、ドゥウォロワティの広場でその芸を披露することを承知した。

 婚礼には、バトロ・インドロがカヤンガン・エコチョクロから降下し、花嫁の付き添いとして七人のビダダリを提供し、バトロ・インドロ自身がジャティスロの馬車の馭者を引き受けた。この結婚により、デウィ・スムボドロとアルジュノの間にはラデン・アビマニュまたラデン・オンコウィジョヨ Raden Angkawijaya と名付けられた男子が産まれた。(ラコン「パルトクロモ Partakrama 〈パルト(アルジュノ)の結婚」〉

ーーー注:ラコン「パルトクロモ」の上演において、多くのダランが重大な間違いを犯している。特にガガボコとルシ・プラチョンドセトの場面において。この間違いは、彼らがワヤンの物語の時間軸に対する知識不足に起因ており、それが誤った解釈を生んでいるのである。誤った解釈では、ガガボコとルシ・プラチョンドの場面が、ガトコチョとアノマンに代わっている。この場面の取り違えは、トルノジョヨ Trunajaya 時代の女性ダラン、ニャイ・パンジャンマス Nyai Panjangmas がラコン「パルトクロモ」を上演する際、『意図的』に取り違えたことに始まる。ニャイ・パンジャンマスはマタラム Mataram 王宮のダランであった。彼女はマタラムを攻撃したトゥルノジョヨに捕らえられ、トゥルノジョヨの進軍に従ってパチタン Pacitan に至った。あるとき、ニャイ・パンッジャンマスはラコン「パルトクロモ」の上演を命じられた。ビモの指示で白猿を探しに出たガガボコの場面になったとき、ガガボコのワヤン人形が無かった。ニャイ・パンジャンマスはガガボコに姿の似ているガトコチョの人形を用いた。ガガボコの人形はガトコチョ、ジョヨドロト Jayadrata 、またゴンドモノ Gandamana の人形と似たすがたであったからである。さらにパンダンスラトの苦行所の場面になると、今度はプラチョンドセトの人形も無かった。プラチョンドセトは白い猿の姿である。そこでニャイ・パンジャンマスはアノマンのワヤン人形を用いたのである。その上演ではガトコチョとアノマンの戦いが演じられ、観衆に強い印象を与えたのだった。観衆はアノマンこそが、このラコンで結婚の条件となるものだと理解してしまった。間違いがそのまま受け入れられてしまったのである。それ以来ダランたちもラコン「パルトクロモ」の上演において、ビモの指示でガトコチョがアノマンを探すという展開を踏襲するようになってしまったのだ。しかし、プルマディ(アルジュノの若い時の名)がデウィ・スムボドロと結婚する時点では、まだガトコチョは生まれていないのである。アノマンにも悪影響が出た。アノマンはウィスヌ神の化身たるプラブ・ロモのセノパティ〈senapati 軍司令官〉であり、パンダワたちに畏敬の念で対される存在である。ドゥウォロワティ国の広場で普通の猿のように踊らされるなど、その威厳を損ねることになる。ダランたちへの提案:手元に人形が無いからといって、著名な人物を代わりに用いてはならない。新作のラコンを書く際も、新しい人物に著名な人物を用いてはならない。


(つづく)


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by gatotkaca | 2014-12-25 13:07 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

アルジュノの生涯 その4

 ジャノコ Janaka の名にふさわしく、アルジュノは数多くの妻を持つ。ジャノコとは「ジョノ Jana 」と「コ Ka 」の語から成り、「ジョノ」とは人間を、「コ」は男らしさ、男を意味する。アルジュノが多くの妻を持つのは、個人的な関心もあるが、パンダワ一族の将来のため、またひとりの人間としての生の段階を登るためでもあるのだ。

 アルジュノがブガワン・ウィラウクの娘デウィ・ジマムバンと結婚したことで、彼は「ジャエン・カトン」香料の壷を手に入れることとなる。「ジャエン・カトン」香料によって、パンダワ一族はムルタニ王国の秘密をあばくことができたのである。そしてアルジュノが、ムルタニ国王プラブ・ユディスティロの娘、デウィ・ラトリと結婚することで、マドゥコロ国と不可視のムルタニ王国を手に入れ、不可視であった王国は本来の姿を取り戻し(普通の人の目に見えるようになり)、パンダワ一族はそこにアマルト国を建国することができたのである。

 ティ・コロカシプ Patih Kalakasipu との戦いで瀕死のアルジュノを助けたヨソロトYasarata の苦行所のルシ・カンウォ Resi Kanwa は、アルジュノとブガワン・カンウォの一人娘、デウィ・ウルピ Dewi Ulupi (デウィ・パルピ Dewi Palupi とも呼ばれる)を結婚させた。これはアルジュノが、ビモとデウィ・アリムビ Dewi Arimbi の息子のへその緒を切るために、バトロ・グルから神与のプソコを借りようとしてカヤンガン・ジュングリンサロコへ赴いた時の出来事であった。ジャムルディポ Jamurdipa 山の麓でアルジュノはパティ・カシプと遭遇した。戦いとなり、アルジュノは敗れた。気絶してパティ・サキプに北の方角に放り投げられてしまった。ふらふらと宙を飛ぶアルジュノは、ブガワン・カンウォの超能力で吸い寄せられ、彼の膝元へ落ちたのだった。

 超能力の呪文でブガワン・カンウォはアルジュノを蘇生させ、デウィ・ウルピの夫とした。この結婚により、息子のひとりバムバン・イラワンが産まれたのである。(ラコン「ガトコチョの誕生 Lahirnya Gatotkaca 」)


 アルジュノはアンドン・スミウィ Andong Sumiwi の苦行所のブガワン・シディ・ワチョノ Bagawan Sidik Wacana の娘デウィ・マヌホロ Dewi Manuhara とも結婚した。大戦争バラタユダが勃発した際、勝利し得るために勝利のための教訓イルム・ジョヨカウィジャヤアン Ilum jayakawijayaan を求めて、アルジュノはブガワン・シディ・ワチョノに師事した。アンドン・スミウィの苦行所でアルジュノはデウィ・マヌホロと恋に落ち、ブガワン・シディ・ワチョノの祝福を得て夫婦となった。この結婚で後の日に双子の娘、エンダン・プルギウォ Endang Pergiwa とエンダン・プルギワティ Endang Pergiwati が産まれることとなる。

 ブガワン・シディ・ワチョノから、敵を征服する呪文、アジ・モヨブミ Aji Mayabumi を授けられたほかに、アルジュノは超能力の馬、チプト・ウィロホ Cipta Wilaha と馬の鞭キヤイ・パムク Kyai Pamuk も授かった。これらは大戦争バラタユダで、アルジュノが勝利するのに大きく貢献した。(ラコン「チプト・ウィロホ」)


 長く侍女の地位に甘んじていたデウィ・ララサティにもっと高い身分を与えてやりたいとの思いから、アルジュノはウドウォ Udawa がウィドロカンダンで催した嫁取り競技サユムボロに参加した。

 アルヨ・ウドウォはデウィ・ララサティの兄である。彼らはプラブ・バスデウォとマンドゥロ国の侍女ケン・サゴピ Ken Sagopi の間の子であるという話であった。ケン・サゴピがドゥマン・オントゴポ demang Antagopa と結婚した後、ウドウォとララサティは母に従ってウィドロカンダンに来て、ドゥマン・オントゴポの子として認められた。

 幼い頃よりララサティはデウィ・スムボドロと仲が良く、デウィ・スムボドロがアルジュノと結婚してからも、彼女の侍女として仕えていた。ウドウォは妹がいつまでも侍女/女官であることを望んではおらず、デウィ・ララサティがサトリアか王子の妻となってくれることを強く願っていた。かくてウドウォは、一騎打ちによる嫁取り競技、サユムボロ・タンディン saembara tanding を開催し、彼自身を敗ることのできた者にデウィ・ララサティと結婚する権利を与えるということにしたのである。ウドウォの願いを知っていたスリ・クレスノは、彼に死んだ者を蘇らせる超能力を持つウィジョヨクスモ Wijayakusuma の花を貸し与えた。かくてウドウォを負かし得るサトリアはひとりもいなかった。

 アルジュノはデウィ・ララサティが誰とも知れぬ者の妻になることに我慢できず、彼女を手に入れようとサユムボロに参加したのである。アルジュノの心の内を知っていたスリ・クレスノは、アジ・パンリムナン Aji Panglimunan の呪文を用いて、姿が目に見えないようにしてウドウォに近づき、ウィジョヨクスモの花を取り上げてしまった。決闘の末、ウドウォはアルジュノに敗れ、デウィ・ララサティはアルジュノの妻となった。この結婚で、彼らはスミトロ Sumitra という名の息子をもうけた。(ラコン「ウドウォ・サユムボロ Udawa Sayembara 」)

ーーーー注):ワヤンの物語では、デウィ・ララサティはアルジュノとの結婚で二人の息子をもうける。スミトロとブロントララス Brantalaras である。ジョクジャ・スタイルの物語では、アルジュノとデウィ・ララサティの間には子は無い。スミトロはアルジュノと、ムルタニ国のジンの王プラブ・ユディスティロの娘、デウィ・ラトリとの間の子であるとされる。


 デウィ・ララサティをデウィ・スムボドロの友人で忠実な「侍女」とだけ思ったら、それは誤りである。ララサティは戦士としても優秀で、特に弓の腕前に卓越している人である。その証拠にデウィ・ララサティは、アルジュノとデウィ・スリカンディが結婚する際、「仲人」の役割を果たしている。

 二人はアルジュノの弓の弟子として優れていた。アルジュノがデウィ・スリカンディに求婚した時、デウィ・スリカンディは条件を出した。もし自分より弓に優れている女性がいたなら、アルジュノの妻となると。この条件を満たすため、デウィ・ララサティはデウィ・スリカンディに勝負を挑んだ。この一騎打ちはパンダワ一族とポンチョロ Pancala 一族を証人として行われ、デウィ・ララサティはデウィ・スリカンディを敗ったのである。彼女は弓矢においても、戦いにおいてもデウィ・スリカンディを凌いでいた。勝負に敗れたデウィ・スリカンディはアルジュノの妻となったのである。(ラコン「スリカンディ弓を習う Srikandi Meguru Manah 」また「スリカンディの一騎打ち Srikandi Tanding 」)


 ワヤンの物語の中では、アルジュノはバトロ・ヨモディパティ Bhatara Yamadipati 〈死神〉の娘、デウィ・オントコウラン Dewi Antakawulan とも結婚する。この結婚でバムバン・オントコデウォ Bambang Antakadewa という息子が産まれる。アルジュノとオントコウランの結婚生活は長く続かなかった。というのも、デウィ・オントコウランは、デウォスラニから、まだ幼い息子を守るために死んでしまったのだ。デウォスラニはバタリ・ドゥルゴとバトロ・コロの息子である。

 デウォスラニはデウィ・オントコウランを妻にしたいと願い、母バタリ・ドゥルゴの手助けでアルジュノとデウィ・オントコウランの中を引き裂こうとした。デウォスラニは大臣のバランパティ Balangpati に、クレンドヨノ Krendayana の森で苦行をしているアルジュノを殺すよう命じた。パティ・バランパティがアルジュノに敗れたので、デウォスラニは自分でアルジュノと対決した。重代の武器アキ・バレバル・ナドゥ Akik Balebar Madu でデウォスラニはアルジュノを敗り、殺してしまった。しかし、スリ・クレスノはウィジョヨクスモの花の力でアルジュノを蘇生させた。

 スリ・クレスノとビモ、スマルそしてその息子たちは、アルジュノと共にヨモディパティの天界、カヤンガン・ヤマニ Kahyangan Yamani に向った。父ヨモディパティと共にいるデウィ・オントコウランに会うためである。彼らが到着すると、デウィ・オントコウランは男の子を抱いていた。スリ・クレスノは、その子にバムバン・オントコデウォの名を与えた。バトロ・ヨモディパティの持つ生命の水をふりかけると、その子は元気な美丈夫になった。バトロ・ヨモディパティは、アルジュノに妻と息子をマドゥコロ国へ連れて行くよう言われる。

 その途次、彼らはデウォスラニとその一党に道を阻まれた。すぐさま一騎打ちが始まる。アルジュノがデウォスラニに敗れたので、スリ・クレスノはバムバン・オントコデウォにデウォスラニと戦うよう命じた。激しい戦いとなり、デウォスラニは最後の武器、アキ・バレバル・マドゥを抜き放ち、オントコデウォ目掛けて投げつける。

 息子の身を守ろうとしてデウィ・オントコウランは、飛び上がり、デウォスラニのアキ・バレバル・マドゥに立ちふさがった。耳をつんざく轟音と共に濃い霧が立ち込め、デウィ・オントコウランとアキ・バレバル・マドゥが消え失せ、目を持つ瑪瑙の指輪に姿を変えたのであった。スリ・クレスノは、デウィ・オントコウランとデウォスラニの武器が合わさって変化したその瑪瑙の指輪をオントコデウォに与えた。武器を失ったデウォスラニは、自分の国セトロゴンドマイト Setragandamayit に帰った。(ラコン「オントコウラン」)


 アルジュノはデウィ・ジュウィタニングラト Dewi Juwitaningrat とも結婚した。彼女はもとラスクシ raseksi 〈女羅刹〉であったが、美女に変わった人である。それはこのような物語である。ヤクシプロボ Yaksipraba というラスクシが、アルジュノの美丈夫ぶりに首っ丈になった。彼女はアルジュノの妻となることを乞い願った。ヤクシプロボはギリウォノ Giriwana の苦行所に行き、超能力の賢者でラクササ姿のブラフマナであるブガワン・プラスト Bagawan Pulastha に会い、どうすればアルジュノの妻になれるのか尋ねた。

 ブガワン・プラストは言う。ヤクシプロボの願いは神の定めに逆らうものだと。ラスクシはラクササと一緒になるべきであるというのだ。ヤクシプロボは訴える。神の定めがそのようであるなら、なぜデウィ・アリムビ〈元羅刹女〉とビモの結婚は許されたのかと。デウィ・アリムビもラスクシではないか。返答に窮したブガワン・プラストは言った。デウィ・アリムビがビモと結婚できたのは、アリムビが人間の美女になれたからである。それゆえ神々も許したのだと。

 ブガワン・プラストの答えを聞き、ヤクシプロボは、ブガワン・プラストに自分を普通の人間にしてくれるよう頼んだ。ブガワン・プラストは、神から咎められることを恐れて断った。しかし、ヤクシプロボがなおも強く頼んでくるので、彼はヤクシプロボにストロゴンドマイトへ行き、バタリ・プラムニ Pramuni 〈バタリ・ドゥルゴのこと。主にスンダ地方でこう呼ばれる〉に頼んでみてはどうかと答えた。ブガワン・プラストは注意した。もしこの願いが叶えられたとしても、それは一時的なものであり、大きなリスクを伴うことは間違いないと。ヤクシプロボは言う。アルジュノの妻になれるのなら、いかなるリスクがあろうとも、受け入れるつもりだと。

 かくてヤクシプロボはストロゴンドマイトへ向かい、バタリ・プルマニに会った。バタリ・プルマニは彼女の願いを聞き入れ、ヤクシプロボは美女に変身し、デウィ・ジュウィタニングラトの名が与えられた。バタリ・プルマニはさらに手助けしてくれた。クルクマンドロ Krukmandala の森のルシ・プラマディヨ Resi Pramadya の住処でアルジュノと会うことができるように計らってくれたのである。ルシ・プラマディヨはバタリ・プルマニ自身の変身した姿であった。この結婚で、一人の男の子が産まれ、バムバン・スムボド Bambang Sembada 〈Sumbada〉と名付けられた。

 アルジュノとデウィ・ジュウィタニングラトの結婚に、デウィ・スムボドロの息子アビマニュは反対した。スマルに教えられて、アビマニュはデウィ・ジュウィタニングラトが実はラスクシが普通の人間のすがたに変じた者であると知ったのだ。アビマニュは父を説得したが、デウィ・ジュウィタニングラトの「アジ・ケマヤン Aji Kemayan 」の呪文にかかっていたアルジュノは、アビマニュの言葉に耳を傾けようとしなかった。さらにデウィ・ジュウィタニングラトの願いで、アルジュノはアビマニュとデウィ・スムボドロをクサトリアン・マドゥコロから追い出し、森の中に放逐してしまった。代わりにデウィ・ジュウィタニングラトとバムバン・スムボドがマドゥコロに迎え入れられた。

 スマルの助言で、アビマニュは変装し、ジョコ・プンガラサン Joko Pengalasan と名乗った。彼は、デウィ・ジュウィタニングラトの企みを暴き、彼女とバムバン・スムボドをマドゥコロから追い出すためにマドゥコロへ戻った。争いとなり、戦いとなった。バムバン・スムボドはキアイ・プラングニのクリスに刺されて死に、デウィ・ジュウィタニングラトもキアイ・プラングニに刺されて元のラスクシ、ヤクシプロボの姿に戻った。

 悔い改め、慈悲を乞い、ヤクシプロボはマドゥコロを去り、ギリウォノ Giriwana の苦行所に行ってルシ・プラストの弟子になった。(ラコン「ジュウィタニングラト」また「ジョコ・プンガラサン」)


 ラコン「アルジュノ・トゥルス Arjuna Terus 〈純なるアルジュノ〉」では、アルジュノはスラワンティプロ Srawantipura 国のプラブ・スケンドロ Prabu Sukendra の娘、ディヤ・サリモヨ Dyah Sarimaya と結婚する。物語は次のようなものである。ディヤ・サリモヨはまだ夫を持っていないのに妊娠した。プラブ・スケンドロは怒り、ディヤ・サリモヨに求婚して来たサトリアや王たちを思い返し、グウォミリン Guwamiring 国のプラブ・ジョトヤクソ Prabu Jatayaksa に思い当たった。 

 名誉挽回のため、プラブ・スケンドロは思いきった行動に出た。ディヤ・サリモヨを火あぶりにすることとしたのである。そして刑の実行を息子、ラデン・モヨクスモ Raden Mayakusuma と大臣パティ・コロキスモヨ Patih Kalakismaya に命じた。しかし不思議なことが起こった。ディヤ・サリモヨが火刑に処せられ、炎の中に入れられるや、炎の中にラデン・アルジュノに求愛されるディヤ・サリモヨの姿が見えたのである。炎が鎮まると、アルジュノの姿は消え、ディヤ・サリモヨだけが座している。その顔は晴れやかに笑っており、少しも炎に焼かれてはいなかった。ここに至ってプラブ・スケンドロとスラワンティプロ国の者たちは、ディヤ・サリモヨがアルジュノと愛し合って妊娠したことを知ったのである。

 いっぽうクサトリアン・マドゥコロではアルジュノが奇妙な規則を定め、パンダワ一族を驚かせていた。監視役にアビマニュとガトコチョが任じられた。規則というのは、マドゥコロ宮殿に入る者は、誰あろうとクリスやプソコを身に着けていてはならないというものであった。ビモがこの禁令にふれて不思議な目にあった。彼がマドゥコロの宮殿に入るや、その姿は女になってしまったのだ。驚いてビモはマドゥコロ宮殿から飛び出した。

 ドゥウォロワティ国のプラブ・クレスノも同様の目にあった。ウィスヌ神の化身であるスリ・クレスノは、アルジュノの身に何が起こったかを察知した。スリ・クレスノはすぐさまカヤンガン・ジュングリンサロコへ飛び、バトロ・グルに会い、アルジュノの様子を報告した。

 バトロ・グルはバトロ・ナロドにマドゥコロへ降下し、アルジュノと会うよう命じた。バトロ・ナロドはアルジュノの禁令を犯した。マドゥコロの宮殿に入ると、その身体は女になってしまったのだ。彼はすぐさまマドゥコロの宮殿を出て、カヤンガン・ジュングリンサロコへ戻り、バトロ・グルに事の次第を報告した。バトロ・ナロドと共に今度はバトロ・グル自身がアルジュノに会うために地上界マルチョポドへ降下した。

 アルジュノに会うと、バトロ・グルはアルジュノの身体の中にサン・ヒワン・ジャガド・ウィセソ Sang Hyang Jagad Wasesa (サン・ヒワン・ウェナン Sang Hyang Wenang 〈最高神〉)の魂が入っていることを知った。バトロ・グルとバトロ・ナロドはすぐさま跪き、ジュングリンサロコに戻られるよう願い出た。アルジュノの身体を去る前に、サン・ヒワン・ウェナンは、マドゥコロに参集したパンダワ一族に訓戒を与えた。そしてパンダワ一族が大戦争バラタユダに勝利するという恩寵を与えたのである。(ラコン「アルジュノ・トゥルス」また「ジャティウィセソ Jatiwisesa 」)


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デウィ・ウォロ・スムボドロ Dewi wara sumbadra

 ひじょうに多くの女たちと結婚したアルジュノではあるが、最も盛大な婚礼を行ったのはアルジュノが第一夫人であるデウィ・スムボドロと結婚したときである。花嫁側から多くの困難な条件が出されたからである。それは次のようなものであった。

1. 800の柱を持つ式場(ソコ・ドマス saka domas )

2. クレプ・デウォンダル klep Dewandaru ーージャヌンダル janundaruのクムバル・マヤン kembar mayang 〈結婚式で用いられる一対の花〉

3. パリジョト・クンチョノ parijata kencana ーー作物用の蔵

4. パレードを先導する、神が馭するジャティスロ Jatisura の馬車

5. クボダヌ Kebodanu /婚礼を先導する40頭のパンチャル・パングン pancal panggung 〈身体は黒く、脚先のみ白い〉水牛

6. プラチョンドセト Pracandaseta 、婚礼を先導する白猿

7. 婚礼の伴奏をつとめるガムラン・ロコノント gamelan Lokananta

8. 花嫁の付き添いとしての7人のビダダリ


  ガムラン・ロコノント、クレプ・デウォンダルージャヌンダル、ならびにパリジョト・クンチョノといった神々の持ち物を借り受けるため、アルジュノ自身がスマルと共にカヤンガン・チョクロクムバン Kahyangan Cakrakembang に赴き、愛の神バトロ・コモジョヨ Bhatara Kamajaya とその妃バタリ・ラティ Bhatari Rati の助けを求めた。二人の神のおかげで、アルジュノはガムラン・ロコノントならびに、デウォンダル・ジャヌンダルのクムバル・マヤン〈原文ガガル・マヤン gagar mayang だが、ガガル・マヤンは葬式用なので、クムバル・マヤンの誤りと思われる〉をヒワン・ジャガド・プラティンカ Hyang Jagad Pratingkah (バトロ・グル)から借りることができた。そしてパリジョト・クンチョノをバトロ・クウェロ Bhatara Kuwera から借りることができた。

 800本の柱を持つバレ・クンチョノ(ソコ・ドマス)と馬車ジャティスロは、ビモがシングロ Singgela 国へ赴き、プラブ・ビソワルノ Prabu Bisawarna から借り受けることに成功した。バレ・クンチョノ・ソコドマスとヤクソyaksa /ラクササ〈夜叉・羅刹〉の馬がひく馬車ジャティスロは、プラブ・ロモウィジョヨ Prabu Ramawijaya の所有するプソコ〈家宝〉だった。バレ・クンチョノ・ソコドマスはスリ・ロモがスウェロギリ Swelogiri ーーアルンコ Alengka 国との戦いにおいてスリ・ロモとラクスモノ Laksmana ならびにその軍勢が幕舎とした所ーーで王位にあった時の館である。また、ヤクソ/ラクササの馬がひくジョトスロの馬車は、ラウォノ Rahwana の戦車に対抗するため、インドロ神がスリ・ロモに与えた戦車である。アルンコとの戦争が終わり、ウィビソノ Wibisana がアルンコ国の王となって、プラブ・ビソワルノと称した。二つの歴史的聖遺物はスリ・ロモからプラブ・ビソワルノに与えられたのであった。プラブ・ビソワルノは、アルンコの名をシングロ国と改めたのだった。

 40頭のパンチャル・パングンの水牛クボンダヌは、ビモがクルンドヨノ Krendayana の森に行って手に入れた。40頭のクボンダヌまたケボ・アンダヌ Kebo Andanu とは、体全体が黒く、脚先が白/パンチャル・パングン(ジャワ語)の水牛のことであり、バタリ・ドゥルゴが飼育しているものである。クルンドヨノの森で小柄なラクササ、ダドゥンアウク Dadungawuk が、彼らの牛飼いをしている。ダドゥンアウクは始め、ビモにこれらを貸し与えることを拒み、戦いとなった。ダドゥンアウクはビモに負け、アンダヌたちをビモに渡した。さらにバタリ・ドゥルゴの命令により、ダドゥンアウク自身が40頭のアンダヌを、アルジュノとデウィ・スムボドロの婚礼の行列で率いることとなった。

 白猿のお披露目のため、ビモは大臣のガガボコ Gagakbaka /ガガボンコル Gagakbongkol をパンダスラト Pandasurat の苦行所に向わせた。そこはジョディパティ国の管轄下であり、ルィ・マヤンガセト Mauanggaseta の助けを得るためであった。ビモの願いを自身への侮蔑と感じたルシ・マヤンガセトは、その望みを断り、とうとう戦いとなった。ルシ・マヤンガセトはガガボコに敗れ、彼はアルジュノとスムボドロの結婚式の余興として、ドゥウォロワティの広場でその芸を披露することを承知した。

 婚礼には、バトロ・インドロがカヤンガン・エコチョクロから降下し、花嫁の付き添いとして七人のビダダリを提供し、バトロ・インドロ自身がジャティスロの馬車の馭者を引き受けた。この結婚により、デウィ・スムボドロとアルジュノの間にはラデン・アビマニュまたラデン・オンコウィジョヨ Raden Angkawijaya と名付けられた男子が産まれた。(ラコン「パルトクロモ Partakrama 〈パルト(アルジュノ)の結婚」〉

ーーー注:ラコン「パルトクロモ」の上演において、多くのダランが重大な間違いを犯している。特にガガボコとルシ・プラチョンドセトの場面において。この間違いは、彼らがワヤンの物語の時間軸に対する知識不足に起因ており、それが誤った解釈を生んでいるのである。誤った解釈では、ガガボコとルシ・プラチョンドの場面が、ガトコチョとアノマンに代わっている。この場面の取り違えは、トルノジョヨ Trunajaya 時代の女性ダラン、ニャイ・パンジャンマス Nyai Panjangmas がラコン「パルトクロモ」を上演する際、『意図的』に取り違えたことに始まる。ニャイ・パンジャンマスはマタラム Mataram 王宮のダランであった。彼女はマタラムを攻撃したトゥルノジョヨに捕らえられ、トゥルノジョヨの進軍に従ってパチタン Pacitan に至った。あるとき、ニャイ・パンッジャンマスはラコン「パルトクロモ」の上演を命じられた。ビモの指示で白猿を探しに出たガガボコの場面になったとき、ガガボコのワヤン人形が無かった。ニャイ・パンジャンマスはガガボコに姿の似ているガトコチョの人形を用いた。ガガボコの人形はガトコチョ、ジョヨドロト Jayadrata 、またゴンドモノ Gandamana の人形と似たすがたであったからである。さらにパンダンスラトの苦行所の場面になると、今度はプラチョンドセトの人形も無かった。プラチョンドセトは白い猿の姿である。そこでニャイ・パンジャンマスはアノマンのワヤン人形を用いたのである。その上演ではガトコチョとアノマンの戦いが演じられ、観衆に強い印象を与えたのだった。観衆はアノマンこそが、このラコンで結婚の条件となるものだと理解してしまった。間違いがそのまま受け入れられてしまったのである。それ以来ダランたちもラコン「パルトクロモ」の上演において、ビモの指示でガトコチョがアノマンを探すという展開を踏襲するようになってしまったのだ。しかし、プルマディ(アルジュノの若い時の名)がデウィ・スムボドロと結婚する時点では、まだガトコチョは生まれていないのである。アノマンにも悪影響が出た。アノマンはウィスヌ神の化身たるプラブ・ロモのセノパティ〈senapati 軍司令官〉であり、パンダワたちに畏敬の念で対される存在である。ドゥウォロワティ国の広場で普通の猿のように踊らされるなど、その威厳を損ねることになる。ダランたちへの提案:手元に人形が無いからといって、著名な人物を代わりに用いてはならない。新作のラコンを書く際も、新しい人物に著名な人物を用いてはならない。


(つづく)


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by gatotkaca | 2014-12-25 13:07 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

アルジュノの生涯 その3

 アルジュノはジャナウィ jahnawi の名でも知られている。兄弟と一族の安寧に責任を持つサトリアという意味である。アルジュノはまたドノスモロ Danasmara という別名でも著名である。他人行儀だった夫婦を仲良くさせた人だからである。

 ラコン「パンダワ・ポポ Pandawa Papa 〈パンダワの困窮〉」では次のように語られる。パンダワたちがバレ・スゴロ・ゴロ Balai Sigala-gala の館で焼き打ちに合い、九死に一生を得た後、彼らは地底にある神の国サプトプラトロ Saptapratala に着いた。ここでビモはヒワン・アナントボゴ Hyang Anantaboga 〈蛇の姿の地底の神〉の娘デウィ・ノゴギニ Dewi Nagagini と結婚した。サプトプラトロからの旅の途次、森の中でナクロとサデウォが空腹に苦しんだ。デウィ・クンティはビモとアルジュノに一口の飯を探してくるよう命じた。

 アルジュノは出立し、ある湖のほとりに至った。アルジュノは、そこでクバヤン Kebayan 村の名士キ・サゴトロ Ki Sagotra の妻ロロ・ウィニハン Rara Winihan と出会った。水汲みをする彼女の後ろにアルジュノは近づき、村の場所を尋ねた。ロロ・ウィニハンは驚き、そのまま走って家に逃げ帰った。アルジュノは彼女を追いかけた。

 家に着いたロロ・ウィニハンは、家のプンドポ pendapa 〈屋敷にある客を迎えるホール〉に座っていた夫のキ・サゴトロに駆け寄るや、抱きついた。夫に抱きつきながら、ロロ・ウィニハンは泣きじゃくって、追いかけて来る男を殺してほしいと夫に頼んだ。キ・サゴトロは妻をなでながら、その無礼者をむかえうつ約束をした。

 まもなくアルジュノがやって来た。ロロ・ウィニハンはアルジュノを指差し、あれがその男だと言った。問答の末、ロロ・ウィニハンは飯を炊き、魚料理を用意するよう命じられた。アルジュノはプンドポに招かれた。アルジュノが身の上を話すと、サゴトロは深い感謝の意を表した。結婚以来、他人行儀だった夫婦の間が、アルジュノのおかげで仲良くなれたからである。

 飯と魚料理は一包みにされアルジュノに渡され、キ・サゴトロもアルジュノに随行した。パンダワたちのところへ着き、サゴトロはデウィ・クンティから詳しい事情を聞いた。キ・サゴトロは約束した。「パンダワとコラワの間に大戦争が起こった時には、パンダワのため食料と資金を差し出しましょう」と。


 一族の次世代、子孫たちに対する責任を負うという意識は、「ワヒュウ・マクトロモ Whyu Makuta Rama 」を獲得しようとするアルジュノの戦いによって示される。これは「王権獲得 Keprabon 」のワヒュウ Wahyu 〈天啓〉であり、「ワヒュウ・マクト・ロモ」を得た者は、その子孫に地上世界の偉大なる王が現れるというものである。その王は、公正で賢明な最高の指導者として国と民を率いるのである。「ワヒュウ・マクト・ロモ」は世界を構成する八つの要素、大地、風、水、月、太陽、天、火、星の性質に基づく指導者たる者への教訓であり、この八つの要素を「ハスト・ブロト Hasta Brata 」と呼ぶ。

 「ワヒュウ・マクト・ロモ」を得るため、アルジュノはクタルング Kutarunggu 山の麓で苦行する。キ・ルラ・スマルの導きのもと、アルジュノは、自身の欲望の力である三つの試練を克服する。第一は、ガジャ・シトゥボンド Gajah Situbanda 象を敗ることである。これは彼自身の欲望の顕在化であり、「タラク・ブロト Tarak Brata 」つまり物質的次元における精神を集中させることで克服される。

 第二に、アルジュノは「ガルド・モホムビロ Garda Mahambira 」鳥を敗らねばならない。これは自身の内なる欲望自体であり、「トポ・ブロト Tapa Brata 」、つまり霊的次元に内なる精神を満たすことで克服される。第三、「プジョ・ブロト Puja Brata 」の段階で、アルジュノは「ノゴ・クウォロ Naga Kwara 」蛇との戦いで死を自覚し、内包する力のすべてを用い、ついに別世界へと突き抜けるのである。

 かくてアルジュノは、アノマンを従えたブガワン・キソウォシディ Bagawan Kesawasidhi と邂逅する。重要なさまざまの試練を経て、ついにアルジュノはクトルングの苦行所で「ワヒュウ・マクト・ロモ」を獲得する。後の日にアルジュノの子孫のひとり、息子アビマニュ Abimanyu とデウィ・ウタリ Dewi Utari の子である、孫のパリクシト Parikesit がアスティノプロ国の王となり、安寧・肥沃・豊穣なるアスティノ国をうち建てるのである。彼は公正・賢明なる地上世界マルチョポドすべての指導者となる。(ラコン「ワヒュウ・マクト・ロモ」)

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 ラコン「アルジュノ・ポポ Arjuna Papa 〈アルジュノの困窮〉」において、アルジュノはバトロ・バルノの手助けにより、コラワたちによる殺害計画を切り抜ける。アルジュノは、プラブ・ドゥルユドノから招待を受け、アスティノ国へやって来る。コラワ一族に欺かれたのである。毒を盛られ、動けなくなったアルジュノはコラワたちに嬲り者にされ、死んだと思われて海に捨てられる。

 計画通りアルジュノ殺害に成功したと考えたプラブ・ドゥルユドノは、パラングミワン Paranggumiwang 国の王、プラブ・ジョヨスティクノ Prabu Jayasutikna の強力を得るよう、ルシ・ドゥルノ Resi Durna に命じた。パンダワ一族を滅ぼすためである。成功すれば、プラブ・ジョヨスティクノにはデウィ・レスモノワティ Dewi Lesmanawati が与えられる。プラブ・ジョヨスティクノは承諾し、パティ・ジャエンスムボド Patih Jayengsembada 率いる軍勢をアマルト国に送った。

 いっぽう海中を漂っていたアルジュノは、海の神バトロ・バルノの持つ生命の水によって救われることになる。生命の水をふりかけると、アルジュノは生き返ったのである。バトロ・バルノは、アルジュノをスリゴンゴ Srigangga の洞窟へ送り、アスティノ国の女の館へ連れて行った。

 アスティノ後宮に着いたアルジュノを、デウィ・バヌワティ Dewi Banowati が喜んで歓迎した。二人がおしゃべりに夢中になっている最中、ラデン・アビマニュとラデン・イラワン Raden Irawan が現れた。アビマニュはアルジュノとデウィ・スムボドロの、イラワンはデウィ・ウルピ Dewi Ulupi とアルジュノの子である。アビマニュとイラワンはその場を辞して、デウィ・レスモノワティと、プラブ・ジョヨスティクノの娘デウィ・スティクノワティ Dewi Sutiknawati に会うため、彼女たちの部屋に赴いた。

 デウィ・スティクノワティが淑女であることを知り、アビマニュは彼女に求愛した。すぐにプラブ・ジョヨスティクノに知らせが入り、コラワ一族とプラブ・ジョヨスティクノは、アビマニュとイラワンを捕らえるため、女の館に入った。時を同じくしてアルジュノの身を案じたビモ、ガトコチョ Gatotkaca 、オントセノ Antasena がアスティノの後宮にやって来た。激しい戦いとなった。プラブ・ジョヨスティクノはアルジュノに斃された。プラブ・スユドノとコラワ一族はアルジュノとパンダワ一族に謝罪した。


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(つづく)


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by gatotkaca | 2014-12-23 14:15 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

アルジュノの生涯 その2

 アルジュノは、グドケソ Gedakesa の別名を持つ。それは神聖なる戦士 Prajurit mahasakti を意味する。アルジュノは神聖なる力を持つ人である。高い学識を有し、知的で、もの静か、完璧で、礼儀を弁え、勇敢、物腰とその言葉は滑らかで美しく、弱気ものを守ることに喜びを見出す。

 マンドゥロ国がプラブ・コンソデウォ Prabu Kangsadewa の強欲の脅威に晒された時のこと、彼はプラブ・バスデウォの手からマンドゥロの王位を奪おうとして、マンドゥロの王子たちを滅ぼそうとした。アルジュノはマンドゥロ国に安寧をもたらす栄誉に加わった。アルジュノはウィドロカンダン Widarakandang 村をめちゃめちゃにしようとする、スンコプロ Sengkapura 国のラクササ軍から、デウィ・スムボドロ、デウィ・ラアサティ Dewi Larasati 、キヤイ、ニャイ・サゴピ Kyai, Nyai Sagopi を守ったのである。このウィドロカンダンこそが、アルジュノとデウィ・スムボドロが思春期になって初めて出会った場所である。

 これに続いてビモ Bima とスラティモントロ Sueatimantara の戦いがあり、アルジュノの策でビモはスラティモントロを敗る/滅ぼすことに成功した。(ラコン「コンソ・アドゥ・ジャゴ」Kangsa Adu Jago=コンソの御前試合の意)


 パンダワ一族がムルタニの森を開拓 Babad Alas Mertani し、アマルトを建国した時、アルジュノは大きな役割を果たした。彼らがムルタニの王と戦った時、ダナンジョヨ Dananjaya の最終兵器「ジョロ・ストロ・ウマス Jala Sutra Emas 」によってビモ、ナクロ、サデウォが捕まってしまった。その際アルジュノは兄弟たちを助け出したのである。

 ムルタニの森には目に見えない巨大な王国があった。その国の中心は四つの国に別れ、五人のジンの王の兄弟が治めていた。ムルタニ王国のユディスティロ Yudistira 王と四人の弟たちの治める四つの国である。アルヨ・ダンドゥンワチョノ Arya Dandunwacana はジョディパティ Jodipati 国を、アルヨ・ダナンジョヨはマドゥコロ国、ディティヨ・サプジャガド Ditiya Sapujagad はサウォジャジャル Sawojajar 国、その双子の弟ディティヨ・サプレブ Ditiya Sapulebu はバウェナタルン Bawenatalun 国を治めていた。

 五人兄弟のうちで最大の超能力を持つのはアルヨ・ダナンジョヨであった。ビモ、ナクロ、サデウォを「ジョロ・ストロ・ウマス」で捕らえたのが彼である。ウキル・ラタウ Wukir Ratawu の苦行所からムルタニの森へ向うアルジュノは、ブガワン・ウィラウク Wilawuk と出会った。彼はプリンチュンダニ Pringcendani の苦行所の翼を持つ蛇の姿のジンであった。ブガワン・ウィラウクは、アルジュノと結婚したいという娘デウィ・ジマムバン Dewi Jimambang の願いを叶えるためにアルジュノの前に現れたのである。戦いの末アルジュノは敗れ、ブガワン・ウィラウクの願いを聞き入れて、デウィ・ジマムバンの夫となることを承諾した。

 ムルタニの森へ向うためアルジュノが別れを告げた時、その森に目に見えない者たちによって支配される不可視の王国があることを知っていたブガワン・ウィラウクは、アルジュノに「ジャエン・カトンの香油」の入った壷を渡した。それをまぶたに塗れば、目に見えぬ者たちを見ることができるのである。このジャエン・カトンの香油の力で、アルジュノはムルタニの森の秘密をあばき、ビモ、ナクロ、サデウォを救い出すことになる。ジャエン・カトンの香油の力でパンダワ一族はムルタニ国を征服し、ここにアマルト国を建てることになる。

 その戦いで、アルジュノはダナンジョヨを敗った。アルジュノと一体化する時、ダナンジョヨは次のものを彼に譲り渡した。1.ダナンジョヨの名はアルジュノの別名となった。2.金で編まれたプソコ、ジョロ・ストロ。3.マドゥコロ国の全軍。4.プラブ・ユディスティロ〈ジン〉の娘デウィ・ラトリ Dewi Ratri との結婚。

 ダナンジョヨの申し出により、アルジュノはデウィ・ラトリと結婚し、バムバン・ウィジョナルコ Bambang Wijanarka という息子を得た。また、デウィ・ジマムバンとの間には二人の息子、クモロデウォ Kumaladewa とクモロスクティ Kumalasekti をもうけた。(ラコン「マルタニの森を拓く Babad Alas Mertani 」また「マルトの森を拓く Babad Wanamarta 」)

ーーー注:パンダワ一族がムルタニの森を開拓するラコンの演目名は、ダランによっていくつかある。1.「マルタニの森を拓く Babad Alas Mertani 」また「マルトの森を拓く Babad Wanamarta 」のムルタニの森を拓くビモの戦いに焦点を当てた展開では、ビモとジョディパティ国のジンの王ダンドゥンワチョノとが戦い、彼はビモと一体化する。かくてビモは「堅固なる者」、「不屈なる者」を意味するダンドゥン Dandun の名を得る。2.ラコン「ババッド・アラス・ムルタニ・クムバルジャリ Babad Alas Mertani Kumbaljali 」では、アルジュノはダナンジョヨと戦い、マドゥコロ国を手に入れ、プラブ・ユディスティロ〈ジン〉の娘デウィ・ラトリと結婚する。3.ラコン「ババッド・アラス・ムルタニ・ジャエンカトン Babad Alas Mertani Jayengkaton 」では、アルジュノと、ブガワン・ウィラウクの娘デウィ・ジマムバンとの結婚が語られ、ダナンジョヨとの戦いでアルジュノはマドゥコロ国とプソコ・ジョロ・ストロ・ウマスを手に入れる。


 アルジュノはウィバクス Wibaksu の名でも知られる。高潔なる最上のサトリアという意味である。私欲を捨て、真実と公正を守るために戦うサトリアであるからだ。プラブ・マツウォパティ Prabu Matswapati とウィロト Wirata 国が、彼の義理の兄弟ルポケンチョ Rupakenca とケンチョコルポ Kencakarupa の企む謀反に晒された時、アルジュノは密かにビモの手助けをし、ルポケンチョとケンチョコルポを滅ぼした。

 ルポレンチョとケンチョコルポがプラブ・マツウォパティに謀反を企んだ時、パンダワ一族はウィロト国に身を隠している最中であった。コラワ Kurawa 一族とのサイコロ賭博に敗れ、パンダワたちは13年間の追放の最後の一年間をウィロト国で身分を隠して過ごしていたのである。彼らは約束の最後の一年を身分を隠して王国に仕え、コラワたちの誰一人としてそれを知る者はなかった。最後の一年の間に正体を知られれば、再び12年間、森の中に追放されるという約束であった。それゆえ、パンダワたちは注意深く正体を隠してウィロト国に潜んでいたのである。

 彼らはプラブ・マツウォパティに仕えることにした。ユディスティロはドゥウィジョカンコDwijakangka という名で王の召使いに、ビモはビロウォ Bilawa という名の料理人となっていた。アルジュノはオカマ banci となり、カディ・ウレハドノロ Kadi Wrehadnala という名で女中、また女たちの踊りの師匠となっていた。ナクロはダルモグランティ Darmagranti の名で馬丁に、またサデウォはトリポド Tripada の名で牛飼いに身をやつしていた。

 ビロウォ、つまりビモはプラブ・マツウォパティの闘士 jago として戦ったが、ケンチョコルポとルポケンチョが、殺しても殺しても生き返って来て危機に瀕した。この時アルジュノは敵側に忍び込み、ケンチョコルポとルポケンチョが生き返る秘密をあばいた。彼らは、とある池に生命の水ティルト・アマルト Tirta Amarta を持っていたのである。アルジュノはその池にキヤイ・プラングニ Kiai Pulanggeni のクリス keris 〈短剣〉を投げ込み、その超能力で池の水を涸らしてしまった。かくてビモのポンチョノコ Pancanaka の爪に突き刺されて死んだケンチョコルポとルポケンチョは、池に入れられてももはや生き返ることはできなかったのである。(ラコン「ジャガラビロウォ Jagal Bilawa 」)

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 ケンチョコルポとルポケンチョの名はワヤンの物語の中だけに見られる。「マハーバーラタ」の書においては、プラブ・マツウォパティの義兄弟はキーチャカ Kecaka 一人だけである。彼はワヤンではロジョモロ Rajamala の名で知られる。ロジョモロはサリンドリ Salindri を妻にしようと目論み、ビモに殺される。サリンドリは、デウィ・ドゥルパディ Dewi Drupadi がウィロト国に身を隠した時の名である。彼女はプラブ・マツウォパティの妃デウィ・ニユティスノワティ Niyutisnawati (しばしばデウィ・レコトワティ Dewi Rekatawati とも呼ばれる)の侍女になっていたのである。ロジョモロの死は、パンダワ一族がウィロト国に隠れた最後の時期に起こった。

 ロジョモロの死によってコラワたちはパンダワがウィロト国に隠れていることを知った。神の定めによれば、ロジョモロを殺すことができるのは五人のサトリアだけであったからである。その五人とは、ルシ・ビスモ Resi Bisma 、アディパティ・カルノ Adipati Karna 、ルシ・ボロロモ Balarama (プラブ・ボロデウォ Prabu Baladewa )、ビモ、そしてスユドノ Suyudana 〈ドゥルユドノ〉である。ルシ・ボロロモはウィロトにいるはずもなく、身を隠してロジョモロを殺すようなことはしないだろう。またルシ・ビスモ、アディパティ・カルノ、そしてスユドノはアスティノ国にいる。とすれば、ウィロトに身を隠してロジョモロを殺した者はビモに違いない。

 パンダワをかくまったウィロト国に思い知らせるため、スユドノはアディパティ・カルノ率いるアスティノ軍にウィロト国を攻撃させた。アディパティ・カルノの超能力、弓の腕前はプラブ・マツウォパティの息子たちウトロ Utara やウラトソンコ Wratsangka の比ではない。ウィロト軍が叩かれ退くのを見て、ウラトソンコの馭者をしていたウレハドノロ(アルジュノ)が参戦した。アルジュノの超能力と弓の技はアディパティ・カルノと拮抗し、アスティノ軍は打ちのめされて退いたのだった。

 その間にビモは、ドゥルソソノ Dursasana と他の兄弟たちに拘束されていたプラブ・マツウォパティを助け出した。この事件によりウィロト国に潜んでいたパンダワ一族は正体を明かしたのであった。(ラコン「ウィロト・パルウォ Wirata Parwa 」)


 アルジュノはクントディ Kuntodi の別名を持つ。これは強力で鋭い矢を意味する。彼は超能力の矢よりも鋭い魂と意志力を持つ人のシムボルとされている。これは以下の物語による。ある時、スリ・クレスノがティウィクロモ Tiwikrama (巨大なラクササの姿になること)して眠りに入った。パンダワたちもコラワたちも、誰一人として彼の眠りを覚ますことはできなかったが、アルジュノだけは、スリ・クレスノの行為の真の意味を悟ることができたのである。

 アルジュノはすぐさま「アングロスクモ angrosukmo 」し、肉体から霊体を遊離させ、スリ・クレスノを追ってカヤンガン・ジュングリンサロコへ向った。スリ・クレスノはカヤンガン・ジュングリンサロコでバトロ・グルと対面し、バラタユダ〈パンダワとコラワの最後の大戦争〉でのパンダワの勝利を願い出ていたのである。バトロ・グルはアルジュノに、コラワと戦う後の日の大戦争バラタユダで何を求めるかと尋ねた。アルジュノはしばしためらった後に答えた。バラタユダにおける勝利とパンダワ五王子の安全であると。

 アルジュノの答えを聞き、スリ・クレスノは驚き、パンダワ五王子の安全だけで良いのかと尋ねた。そうであるなら、パンダワの子どもたちは皆失われてしまうであろうと。これを聞いたアルジュノは、後悔した。しかし望みは口から出た後であり、もはや戻すことはできない。かくてスリ・クレスノとアルジュノの魂はジュングリンサロコを後にして地上マルチョポドに戻った。スリ・クレスノは眠りから目覚めたが、プラブ・スユドノは過ちを犯した。彼はスリ・クレスノ一人と百人の王とその軍隊のどちらかを選ぶよう求められたのである。プラブ・スユドノは百人の王とその軍隊を選んでしまった。大戦争バラタユダでパンダワは勝利をおさめた。パンダワ五王子は生き残ったが、彼らの息子たちはみな戦場で命を散らすこととなった。(ラコン「クレスノ・グガ Kresna Gugah 〈クレスノの目覚め〉」)

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(つづく)


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by gatotkaca | 2014-12-21 08:23 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

アルジュノの生涯 その1

 マハバラタには夥しい登場人物があるが、全体の主役はやはりパンダワ五王子ということになるだろう。その中でもビモとアルジュノが特に主役中の主役である。ワヤンにおいてもアルジュノをめぐる演目は数えきれないほどある。ジャワのワヤン雑紙『チュムポロ』のアルジュノ特集号では、彼をめぐる演目が要領よくまとめられているので、紹介する。まとめてあると言ってもおよそ20ページほどの分量があるので、数回にわけることになる。とりあえずワヤンにおけるアルジュノの生涯の物語を概括することはできるだろう。

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JAGAD PEDALANGAN DAN PEWAYANGAN

CEMPALA

EDISI: ARJUNA ; januari 1997


アルジュノ

正義と公正のため、私欲を捨てて戦った人


 アルジュノ Arjuna はアスティノプロ Astinapura 王パンドゥデウォノト Pandudewanata と、マンドゥロ Mandura 国王プラブ・バスクンティ Prabu Basukunti の娘デウィ・プリト/デウィ・クンティ Dewi Prita / Dewi Kunti との間の三男である。アルジュノの誕生に際して、二つの大きな出来事があった。これら二つの出来事はどちらも、アルジュノとその一族の将来を定めるものであった。

 最初の出来事は、マンドゥロ国の大戦争であった。プリンチュンダニの苦行所 Pertapaan Pringcendani の蛇のラクササ〈raksasa 羅刹〉、アルドワリコ Hardawalika がマンドゥロ国を攻撃してきたのである。彼はプラブ・バスデウォ Prabu Basdewa の妃デウィ・マエラ Dewi Maerah を妻にしたいと要求し、プラブ・バスデウォに拒否されたのであった。蛇の姿のラクササ、アルドワリコはたいへんな超能力の持ち主であり、人のように言葉を話す。彼はまた、超能力のジン〈jin 精霊〉の王で、サン・ヒワン・ウェナン San Hyang Wenang の妃デウィ・レトノ・サオティ Dewi Retno Saoti の叔父でもあるプラブ・スムパイユン Prabu Sumpaiyun の直系の子孫でもあった。プラブ・バスデウォと二人の弟たち、アルヨ・プラブ・ルクモ Arya Prabu Rukma とアルヨ・ウグロセノ Arya Ugrasena はアルドワリコの超能力にはとても適わない。プラブ・バスデウォは、義兄弟である〈妹の夫〉プラブ・パンドゥデウォノトに、アルドワリコの脅威からマンドゥロ国を救ってくれるよう頼んだ。

 パンドゥとアルドワリコの激しい戦いとなった。パンドゥは11歳になったばかりの頃、神に選ばれし戦士 ジャゴ・デウォト Jago dewata になった人である。キスケンド Kiskenda のラクササ王プラブ・ノゴポヨ Prabu Nagapaya が、天界の美女デウィ・スプロボ Dewi Supraba を要求し、拒否されたため、天界スロロヨ Sralaya を攻撃した。パンドゥはノゴポヨを退け、滅した功績でジャゴ・デウォトと認められたのである。アルドワリコの超能力に引けはとらず、彼を敗ることのできる者である。ついにバトロ・グル Bhatara Guru 〈天界の最高神・インドでのシヴァ〉から与えられた宝具の矢、アルドダリ Harudadali を放ち、パンドゥデウォノトは蛇のラクササ、アルドワリコを滅した。後の日に、アルドワリコの子孫でブガワン・ウィラウク Bagawan Wilawuk 〈ブガワンは僧侶〉の娘、デウィ・ジマンバン Dewi Jimambang がアルジュノの妻となる。ブガワン・ウィラワクからアルジュノは、『ミニャク・ジャエン・カトン Ninyak Jayeng Katon 〈ミニャクは香油〉』の壷を与えられる。これによってムルタニ Mertani の森に住むあらゆる精霊たちの姿を見ることができたのである。

 プラブ・パンドゥデウォノトが蛇のラクササ、アルドワリコと戦っている最中に、デウィ・クンティは三番目の子を産んだ。プラブ・パンドゥがアスティノに帰れなかったので、デウィ・クンティは赤ん坊をマンドゥロ国へ連れて行った。プラブ・パンドゥにより、三男にはプルマディ Permadi の名が与えられた。数日後マンドゥロの後宮で、プラブ・バスデウォの第三妃、デウィ・バドロイニ Dewi Badrahini がこの上なく美しい女の子を産んだ。その子はデウィ・ウォロ・スムボドロ Dewi Wara Sumbadra と名付けられた。赤子のプルマディとウォロ・スムボドロは後の日に結婚することを定められた。プラブ・バスデウォとプラブ・パンドゥデウォノトによって誓われたのである。

 アルジュノの誕生と時を同じくして、もうひとつの出来事が天界スロロヨのカラン・カウィドダレン Karang Kawidodaren で起こった。アルヨ・ニルビト Arya Nirbita がその超能力で、天界の妖精ビダダリ Bidadari たちの住むカラン・カウィドランに、神々の目を盗んで忍び込んだのである。彼はキスケンド Kiskenda 国王プラブ・プラチョノ Prabu Pracona の子孫である。プラブ・プラチョノは、デウィ・プロボシニ Dewi Prabasini を妻にしたいと望み、バトロ・グルに拒まれ、カヤンガン・ジュングリン・サロコ Kahyangan Jonggringsaloka に攻め入り、バムバン・トゥトゥコ Bambang Tutuka (ガトコチョ Gatotkaca )に殺されたのであった。アルヨ・ニルビトは、父が恋したビダダリの美しさを一目みたいと願ったのである。

 アルヨ・ニルビトは壁に開けた小さな穴から覗き見しようとしただけであったが、デウィ・スプロボに気づかれてしまった。デウィ・スプロボはカチップ kacip (ジャワの果物ナイフ)を取り、その穴に突き刺した。ナイフはニルビトの右目に突き刺さり、深い傷を負わせ、彼は片目となった。この事件により、アルヨ・ニルビトは、デウィ・スプロボ以外の者とは結婚しないという誓いをたてたのであった。

 その後アルヨ・ニルビトは、望みを叶えるため、神々を負かし得る超能力を得るため、苦行に赴いた。父親が死んで数年後、ニルビトは父に代わって王となった。キスケンド王国はその名をマニクマントコ Manikmantaka (マニマントコ Manimantaka またはイマントコ Imantaka とも言う)と代え、彼はプラブ・ニルウォトカウォチョ Prabu Nirwatakawaca 〈ニウォトカウォチョ Niwatakawaca ともいう〉と称した。

 このアルヨ・ニルビト、つまりプラブ・ニルウォトカウォチョの物語は、アルジュノの人生と深い関係を持つこととなる。それはラコン lakon 〈演目〉「アルジュノの婚礼宴 Arjuna Wiwaha 」またの名「チプトニン・ミントロゴ Ciptaning Mintaraga 」において語られることになる。口蓋にあるノタ・ブラン noktah belang 〈の護符〉に武器を受けない限り死なないという超能力を得て、大いなる超能力のラクササ王となったプラブ・ニルウォトカウォチョは、デウィ・スプロボと結婚するという誓いを実行にうつそうとした。彼はすぐさま天界カヤンガン・ジュングリンサロコに赴き、バトロ・グルと対面した。彼の希望は拒まれた。生き物の性に従い、ラクササはラスクシ〈raseksi 女羅刹〉と結婚するべきであるというグルの意見にニルウォトカウォチョは激怒した。彼は暴れ回り、カヤンガン・ジュングリンサロコを滅茶苦茶にしようとしたのである。

 父親のプラブ・コロプラチョノや、プラブ・ノゴポヨ、キスケンド国のマエソスロ Maesasura 、ルムブスロ Lembusura といったビダダリを妻にすることを拒まれてカヤンガンに攻め上って来た王たちと比べても、プラブ・ニルウォトカウォチョはさらに悪辣であった。プラブ・ニルウォトカウォチョの超能力に対抗しうる者は神々の中には一人もいなかった。また、神々の武器は何一つとしてプラブ・ニルウォトカウォチョの皮膚に傷一つ付けることもできず、ましてや殺すことなどできなかったのである。

 バトロ・ナロド Bhatara Narada 、バトロ・マハデウォ Bhatara Mahadewa 、その他の神々との協議の末、バトロ・グルはデウィ・スプロボをプラブ・ニルウォトカウォチョに渡すことを決めた。ただ条件を付けた。デウィ・スプロボが身を清めるため、40日間の猶予を付し、その後はじめて結婚を許すというものであった。その後、デウィ・スプロボはバトロ・インドロに伴われてマニマントコ国へ赴くことになるだろう。プラブ・ニルウォトカウォチョは条件を受け入れたが、もし神々が約束を破れば、カヤンガン・ジュングリンサロコは壊滅させられるだろうと脅した。

 プラブ・ニルウォトカウォチョが去ると、神々はすぐさま協議した。運命の定めによれば、地上界マルチョポド marcapada に卓抜の超能力の者が現れる。ニルウォトカウォチョを負かしうるのはそのマルチョポドの戦士だけであるという。バトロ・グルは、バトロ・ナロドと共に地上に降り、神の戦士ジャゴ・デウォトたりうる、プラブ・ニルウォトカウォチョに匹敵する超能力を持つサトリア〈satria クシャトリア=戦士階級〉を探すことにした。

 その頃、アルジュノはインドロキロ Indrakila 山の中腹、カリアサ Kaliasa の丘の洞窟ミントロゴ Mintaraga で苦行中であった。アルジュノの身に試練が降りかかる。さまざまな精霊、ジン〈jin=精霊〉、セタン〈setan=悪魔〉、天界のプリ〈peri=妖精〉、悪霊、ガンダルウォ gandarwa 〈乾闥婆〉たちがアルジュノの苦行を邪魔立てするためにバタリ・ドゥルゴ Bhatari Durga によって送り込まれ、苦行者たるパンダワのサトリアの意図を挫こうとした。しかし世界の安寧ムマユ・アユニン・バウォノ memayu hayuning bawana のため、最上のサトリアたらんと欲する敬虔にして強固な精神力を屈服させることかなわず、アルジュノはすべての精霊たちの妨害を克服したのであった。

 さらにアルジュノは七人の美しいビダダリたちの誘惑も受けた。彼女らはバトロ・インドロの命令でカラン・カウィドダレンからミントロゴの洞窟に降り立ったのであった。七人のビダダリたちはさまざまな手段で誘惑し、アルジュノの苦行を試し、挫こうとしたが、失敗に終わった。ついにバトロ・インドロ自身が、ルシ・パディヨ Resi Padya という僧侶に身をやつし、アルジュノを苦行から目覚めさせるためにミントロゴの洞窟に降下した。ルシ・パディヨとアルジュノの間に世俗と霊性に関する議論が戦わされた。ルシ・パディヨは敗れ、元のバトロ・インドロの姿に戻った。かくてミントロゴの洞窟でブラフマナ Brahmana 〈僧侶〉として過ごしたアルジュノは、ブガワン・チプト・ヘニン Bagawan Cipta Hening (しばしばチプトニン Ciptoning とも呼ばれる)と称される。これは清浄なる僧 pandeta bersih を意味する。

 超能力のブラフマナ、また清浄なる魂の人としてのブガワン・チプトニンの名声は、プラブ・ニルウォトカウォチョの耳に入るところとなった。マニマントコ王は直ちに信頼し、目をかけている部下のディティヨ・ママンムルコ Ditya Mamangmurka に、インドロキロ山へ向かいブガワン・チプトニンと会い、デウィ・スプロボとの結婚に対する祝福を受けて来るよう命じた。そうすることでバトロ・インドロから確かな許しを得ようとしたのである。

 カリアサの丘に着いたディティヨ・ママンムルコは、ミントロゴの洞窟を見つけられず、ブガワン・チプトニンの苦行する場所が分からなかった。ママンムルコは腹を立て、インドロキロの苦行所を破壊し始めた。この所行により、ママンムルコはブガワン・チプトニンの超能力に呪われ、その姿が変わり巨大なイノシシに成り果ててしまったのだった。

 自身の姿がイノシシに変わってしまったことに気づいたママンムルコは、ますます猛り狂った。あちこちに駆け回り、インドロキロの森を滅茶苦茶に荒し回った。激しく暴れ回るイノシシにブガワン・チプロニンは怒り、すぐさま超能力の矢を放った。矢は過たずイノシシに命中し、彼を殺したのだった。

 ママンムルコの変身したイノシシに近づいたブガワン・チプトニンは驚愕した。イノシシの身体にはまったく同じ場所に二本の矢が突き刺さっていたのである。もう一本の矢はこの場所で狩りをしているプラブ・キロトワルノ Prabu Kilatawarna のものであった。彼にはプラブ・キロトルポ Prabu Kilatarupa が同行していた。両者の間に緊張が走った。もはや戦いは避け得ない。

 キロトワルノとキロトルポはついにブガワン・チプトニンに負け、バトロ・グルとバトロ・ナロドに戻った。かくてバトロ・グルにより、アルジュノは無比なる最上のサトリアとして認められたのであった。アルジュノは、バトロ・グルにより神与の武器パソパティ Pasopati を賜る。神は言う。後の日の大戦争バラタユダ Bharatayuda において勝利し得るであろうと。かくてアルジュノはカヤンガン・ジュングリンサロコへと招かれ、プラブ・ニルウォトカウォチョを滅ぼす、天界の戦士ジャゴ・カヤンガン jago khyangan となって、天界に安寧をもたらすよう要請されるのである。

 マニマントコ国へ向うアルジュノは、デウィ・スプロボを連れて行くことを望んだ。アルジュノはニルウォトカウォチョが驚くべき超能力の持ち主であることを知ったが、まだその弱点が分からなかったのだ。アルジュノとニルウォトカウォチョの一騎打ちとなった。戦いでアルジュノはラクササ王の超能力に全く敵わなかった。アルジュノは敗れた。スリ・クレスノ Sri Kresna の教えに従い、アルジュノはプラブ・ニルウォトカウォチョ打倒の戦略を立てることにした。

 アジ・パングリムナン Aji Pangulimunan の呪文を使って、アルジュノはその姿を誰にも見えないようにして、マニマントコの王宮に忍び込んだ。デウィ・スプロボはプラブ・ニルウォトカウォチョの妃になることを承諾したふりをして、ラクササ王の死に係わる秘密を探ることを願い出た。

 デウィ・スプロボがやって来たことに、プラブ・ニルウォトカウォチョは大喜びであった。デウィ・スプロボの媚態と甘言はプラブ・ニルウォトカウォチョの心を溶かし、彼はデウィ・スプロボの美しさに我を忘れた。デウィ・スプロボへの愛欲に我を忘れたプラブ・ニルウォトカウォチョは、デウィ・スプロボに求められるまま、自身の弱点が口蓋にあることを教えてしまう。

 プラブ・ニルウォトカウォチョの急所を知ったアルジュノは、騒ぎを起こし、マニマントコの宮殿は混乱に陥る。再びプラブ・ニルウォトカウォチョとアルジュノの激しい戦いとなった。戦いが極まった時、アルジュノは策略を用いて、プラブ・ニルウォチョカウォチョの足下に倒れ、死んだふりをした。アルジュノが死んだと、デウィ・スプロボも駆け寄り、嘆き悲しむ。プラブ・ニルウォトカウォチョに慰められ、デウィ・スプロボは、彼の妃になることを承諾する。

 プラブ・ニルウォトカウォチョの喜びは頂点に達し、彼は呵々大笑する。アルジュノが立ち上がり、神与の武器パソパティをつがえる。笑っているプラブ・ニルウォトカウォチョの口は大きく開いたままだ。その真ん中に光る点が見える。アルジュノは、その光る点こそがプラブ・ニルウォトカウチョの生死を司る秘密であることを知る。アルジュノはパソパティの矢をその一点に狙い定める。パソパティが閃光を放ち、過たず命中する。プラブ・ニルウォトカウォチョの身体はたちまちのうちに崩れ折れ、死体となる。

 プラブ・ニルウォトカウォチョが死ぬと、パンダワたちの手助けを得た神々の軍勢がマニマントコ国へ押し寄せた。マニマントコ軍は容易く平定された。地上の災厄は討ち滅ぼされてあのである。

 かくてアルジュノは神の恩寵を得ることとなった。デウィ・スプロボとの結婚が許され、しばしの間カヤンガン・カエンドラン Kahyangan Kaindran の王の座を賜り、プラブ・キリティン Prabu Kiritin (プラブ・カリティ Prabu Kariti / Kaliti とも言う)の称号が与えられたのである。


 アルジュノが「カラン・カウィドダレン」の王に任命されたことに、バタリ・ドゥルゴは気分を害した。アルジュノは本来「普通の人間」(単なる人/地上の戦士)に過ぎず、神の子でもないのに、天界スロロヨのすべてのビダダリを統べる王に任じられるに相応しくないというのである。バタリ・ドゥルゴは、バタリ・ドゥルゴとバトロ・コロ Bhatara Kala の息子であるデウォスラニ Dewasrani のような者こそ、「カラン・カウィドダレン」の王たる者に相応しいと考えていたのである。

 妬んだバタリ・ドゥルゴ一派の神々や女神たちはバトロ・グルに訴え出た。アルジュノはデウィ・スプロボを妊娠させるという過ちを犯したと。これは神の定めを穢す行為であるというのだ。アルジュノは直ちに地上マルチョポドへ送り返され、普通の人間に戻されるべきであるというのである。

 真実なる生の完全性を目指す者の証しとして、アルジュノは「本分を忘れない」人であった。アルジュノは人間としての責務を忘れることなく、自身の一族、母、兄弟、そしてまわりの人々に対する責務を忘れることはなかった。天界スロロヨで、美しい妻を娶り、数百のビダダリにかしずかれ、贅沢に過ごしたが、自身の責務を想起したのである。アルジュノはアマルト Amarta 国への帰還を願い出た。カラン・カウィドダレンの王としての贅沢な生活を捨て、妊娠中のデウィ・スプロボを残して、彼は地上へ帰還したのであった。

(ラコン「パルトデウォ」 Lakon : Partadewa )


 アルジュノ、つまりプラブ・カリティンが去って数ヶ月後、デウィ・スプロボは一人の息子を産んだ。彼はプロボクスモ Prabaksuma と名付けられた。少年になったプロボクスモは父を探すため地上マルチョポドへ降りた。

 プロボクスモがクサトリアン・マドゥコロ〈クサトリアン kesatrianはクサトリアの領地〉に着いた時、デウィ・スムボドロは病に苦しんでいた。〈彼女の内なる〉デウィ・スリ Dewi Sri の魂 sukma が彼女から離れてしまったからである。デウィ・スリの化身であるデウィ・スムボドロは、その魂が身体から抜け出て、弱ってしまったのだ。彼女はあらゆる力を失ってしまったのである。

 デウィ・スムボドロの病を回復させようとあらゆる努力がはらわれたが、すべてはむなしかった。デウィ・スリの魂が何者かの不思議な力によって盗まれたのである。マドゥコロに逼迫した悲しみが満ちていた。そこへバムバン・プロボクスモが父アルジュノを探しにやって来た。問答の末バムバン・プロボクスモは、デウィ・スムボドロの病を癒すことができれば、アルジュノの息子と認められることとなった。

 キ・ルラ・スマル Ki Lurah Semar の教えで、プロボクスモはデウィ・スリの魂を見つけ出し、デウィ・スムボドロの身体に戻すことができた。たちまちデウィ・スムボドロは病から回復した。バムバン・プロボクスモもアルジュノの息子として認められたのであった。(ラコン「デウィ・スリ帰る」 Dewi Sri Mulih / Dewi Sri Mantuk )


 「マハバラタ」の書、「ワナパルウォ Wanaparwa 森の巻」(エムプ・カンワ Empu Kanwa 、1019~1042)によれば、プラブ・ニルウォトカウォチョを斃した後、アルジュノはプラブ・カリティンの名でカラン・カウィドダレンの王となり、バトロ・ブラフモ Bhatara Brahma 〈ジャワではバトロ・ブロモ Bhatara Brama 火の神と同一〉の娘デウィ・ドゥルソノロ Dewi Dresanala と結婚した。アルジュノが天界の王となり、デウィ・ドゥルソノロと結婚したことを、バタリ・ドゥルゴは見とがめた。というのも彼女自身の息子デウォスラニこそがドゥルソノロに相応しいと考えたからである。

 神々の協議により、アルジュノは地上界マルチョポドへ戻され、デウィ・ドゥルソノロとの結婚は解消されることとなった。妊娠中のデウィ・ドゥルソノロは中絶させられることとなった。胎内の子は如何なる手段を用いても亡き者にされるよう決定されたのである。この仕事はバトロ・ブラフモに任されることになった。

 神々の意向を知ったアルジュノは、いち早くデウィ・ドゥルソノロをブガワン・アノマン Bagawan Anoman 〈ラマヤナで活躍する神猿〉のいるクンダリソド Kendarisada の苦行所へ避難させた。デウィ・ドゥルソノロを誰も知らぬ所へ隠し、アルジュノはすぐさまアマルトへ戻った。

 しばらくしてクンダリソドで、デウィ・ドゥルソノロが男の子を産んだ。子の誕生はバトロ・ブラフモの知るところとなり、彼は直ちに赤ん坊をさらってしまった。赤ん坊は喉を噛まれ、ぐったりと動かなくなった。バトロ・ブラフモは赤ん坊が死んだと思い、森の中に投げ捨てた。

 妊娠後期の妻と別れたアルジュノは病に伏してしまった。事の真実を知るスリ・クレスノは、アルジュノを元気づけようとして、イマントコ国で婿選びの競技会サユムボロ・ピリ saembara pilih が行われることを話した。イマントコ国のたてた三人のラクササ戦士を倒せば、誰あろうと美しいイマントコ国の王女との結婚が許されるというのである。その話を聞いてアルジュノは元気を取り戻し、直ちにイマントコ国へ向った。

 イマントコの三ラクササと戦ったアルジュノは敗れた。というのもプソコ〈pusaka=重代の宝具〉・パソパティが不思議にも消え失せてしまっていたからである。彼は他の手だてを探るため、競技場を後にした。

 いっぽう、アルジュノのあとを追ってイマントコへ向っていたスリ・クレスノはデウィ・ドゥルソノロの赤ん坊を見つけた。ウィスヌ Wisnu 〈インドでのヴィシュヌ〉神の化身であるスリ・クレスノは、赤ん坊がまだ生きていることに気づいた。その赤ん坊の体内には火の力を持つ毒(ジャワ語でウィソ Wisa )があった。バトロ・ブラフモの内なる火の力が、噛まれた時に赤ん坊の身体に入ったのである。木片を使って赤ん坊を取り上げると、競技場のただ中に放り込んだ。

 イマントコの三人のラクササ戦士は赤ん坊を殺そうとしたが、赤ん坊の熱の力にあてられ死に、その身体は粉々になった。イマントコ王と王女も競技場に入ったが、赤ん坊の力で死にいたった。

 戦い終えた赤ん坊は、弱るどころか力を増し、すっかり元気になった。彼は大きくなり、立派な姿になったのである。アルジュノは小さな子どもが敵を敗ったことを知って自身を恥じた。彼はその子どもと対峙した。激しい戦いとなった。アルジュノも、その子どもに敵わなかった。

 アルジュノも叩きのめされようとした時、ブガワン・アノマンが来て二人を引き離した。彼にはその逞しい子こそが、デウィ・ドゥルソノロの子であることが分かったのだ。アルジュノも、まさしく彼がデウィ・ドゥルソノロの孕んでいた子であることを知った。その子の体内に火(ジャワ語=グニ Geni )の毒(ジャワ語=ウィソ Wisa )を持つことから、スリ・クレスノはその子をウィサングニ Wisanggeni と名付けた。(ラコン「ウィサングニの誕生」Lahirnya Wisanggeni )


(つづく)


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by gatotkaca | 2014-12-19 16:25 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

タマン・サリに隠されたスンカラン(クロノグラフ)

 タマン・サリはジョクジャカルタのクラトン(王宮)の近くにある離宮の跡で、観光地としても著名なものである。taman は庭園、sari は花を意味する。クラトンの西側300メートルほどのところにあり、ジョクジャ初代スルタン、ハマンク・ブウォノ一世が建設した。
 門を入るとすぐに見張り塔のようなところに登ることができ、そこから園内を一望できる。
 タマン・サリは「水の宮殿」とも呼ばれる。沐浴場として大きな池がおかれているからである。
 「堅牢な煉瓦造りの壁で囲まれた宮殿の内側には、三つの池の跡も残されている。かつてこの場所では、スルタンに仕える若い女性たちが水浴びを楽しみ、スルタンは宮殿の窓越しにその様子を眺めていたと伝えられている。」〈『NHKスペシャル アジア古都物語 ジョグジャカルタ』p.42
 かつて筆者が訪れた頃は、廃墟といってもよいくらい放置されたままで、ガッカリ観光地の代表のようなところであったが、近年修復され、大分きれいになったようである。

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クラトンとタマン・サリの俯瞰図



 筆者が訪れた際には何の予備知識も無く、ぼ〜っと見ただけであったが、ある程度知識を入れてから見るのもおもしろいと思い、以下の論文を紹介する。ジョクジャカルタに行く機会のある方は、ぜひタマン・サリも覗いてみてください。


http://download.portalgaruda.org/article.php?article=136202&val=5660&title=


タマン・サリのガプロにある美しきスンカラン・ムムット装飾の裏側

DI BALIK KEINDAHAN BENTUK HIASAN SENGKALAN MEMET PADA

GAPURA TAMAN SARI


アルヨ・スナルヨ Aryo Sunaryo

*著者はスマラン州立大学 Universitas Negeri Semarang 芸術学科講師、芸術教育学修士。



概要


 ヨグヤカルト Yogyakarta 〈ジョクジャカルタ〉王宮区にあるタマン・サリ Taman Sari は18世紀にスルタン・ハマンク・ブウォノ Sultan Hamengku Buwana 一世によって建てられた。離宮の一部は現在も残されており、その壮麗さを偲ぶことができる。その建設の年代 titimangsa はタマン建造物群のガプロ・パングン gapura Panggung 〈大門〉とガプロ・アグン gapura Agung 〈正門〉に刻まれたスンカラン・ムムット Sengkalan memet に記されている。ガプロ・パングンにあるスンカラン・ムムット装飾には門の入り口に向かい合う二匹の蛇が彫刻され、彼らはあたかも会話しているかのようである。これはチャトゥル・ノゴ・ロソ・トゥンガル Catur naga rasa tunggal (心を一つにした蛇の会話)と読むことができる。ガプロ・アグンの装飾レリーフには、さまざまな植物と花に吸い寄せられた鳥たちのモティーフが描かれている。このスンカランはラジェリン・スカル・シネセプ・プクシ lajering sekar sinesep peksi (花に吸い寄せられる鳥)と詠める。離宮の二つの門に施されたスンカラン・ムムットは、タマン・サリの建設年を示している。スンカラン・ムムットは、建築物の装飾、美化、建設年の表示のみならず、ガプロ建築全体で訓示、希望、そしてシムボルの示す意味を内包しているのである。


キーワード:スンカラン・ムムット、ティティモンソ titimangsa 、装飾、タマン〈庭園〉、ガプロ〈門〉


まえがき


Iki taman sari

tinanduran wit sarwa sri,

ceplok piring, mandakaki,

mawar, menur, lan melathi,

aja kok pethiki, aja kok undhuhi,

nyuda srining taman sari


これはタマン・サリなり

聖なる九人の少女

ピリンとマンダカキ

バラ、ムムル、そしてムラティの花模様

摘み取るなかれ、穫るなかれ

タマン・サリを損なうなかれ


 上記の詩は、筆者がまだ小学校 Sekolah Rakyat ( Sekolah Dasar Negeri ) にいた60年代頃のルラゴン・ドラナン lelagon dolanan (子どものための歌)の一節である。作者は不明だが、それは重要なことではない。この歌の歌詞はある庭園の美しさを歌ったものである。それはタマン・サリだ。このシムプルな歌には、タマン・サリに木々が植えられていること、そして建物が壮麗であることだ。そしてそこにある花や木の実を穫ることは、その美しさを損なうことだとされている。環境を愛し、芸術を理解するというメッセージが込められているのである。

 タマン・サリはヨグヤカルト王宮建築群のひとつで、ヨグヤカルト王家の始祖スルタン・ハマンク・ブウォノ一世の命により、18世紀に建設された離宮のひとつである。オランダ植民地時代には、『水上の城』Waterkasteel と呼ばれた。タマン・サリ区は王宮中心地の西側に位置し、いくつかのガプロ〈門〉、すなわち中庭や沐浴のための池に通じるゲートをそなえる。また、タマン・サリではスガラン segaran と呼ばれる人工の池があり、その真ん中に城が浮かんでいるように見える(ロムバード Lombard 1996、ムルティヨソ Moertiyoso 、ジョン・ミクシック John Miksic 2002)。水上の城の美しさは、1815年にこの周辺に住んでいたJ・ジークス J. Jeaks のアクアチントの作品にも描かれている(ライド 2002;104参照)。

 19世紀にタマン・サリは取り壊され、放棄された。今ここに残されているのは、いくつかの門と、すっかり汚れてしまった池だけであり、スガランは埋もれてしまっている。かつての水上の城には香りを放つ花々、クナンガ kenanga の樹々(cananga odorata )が生い茂りーーそれゆえ、プラウ・クナンガ〈クナンガの島〉と呼ばれるーー今やそこに住む人々の家々に取り囲まれている。いまだ栄光に輝いていた時には、王が金箔の舟で、仲間とともに人工の池に遊興していたのだが。

 残された遺跡は、ヨグヤカルト王宮地区の一部として興味を魅き、今も観光客たちに解放されている。東から入る道すがら、訪問客はガプロ・パングンを見ることができる。そこには互いに向き合った二匹の蛇のレリーフがスンカラン・ムムットとして刻まれている。タマン区域の西端に位置するガプロ・アグンにも同様に、門を美しく装飾するスンカラン・ムムットが施されている。スンカラン・ムムットはスンカランの一種である。スンカランとは、各語が一定の数値を示す章句や語句の配列によって、ある出来事、事件、重要な事柄のティティモンソ titimangsa 、つまり年代を表す。スンカラン・ムムットは視覚的造形、つまり絵画、レリーフ、その他の造形物によってスンカランの章句を示すものであり、一般的には建築物に施された装飾・目印としての機能を持つものである。これに関し、レーウー Leeuw (1965)によれば、ジャワの建築物は、もっぱら装飾としてよりも、その彫刻をテキストとしたシムボルを表示させるために彫刻が施されているのであり、そこに物語を読み込もうとするべきではない、ということである(Depdikbud 1999 / 2000 : 76)。

 以下の論説では、タマン・サリのスンカラン・ムムットの造形の様相が、いかなる芸術的・美学的価値を有するのか、ならびにその内に内包されるシムボリズムの意味が如何なるものかに焦点を当ててみたい。まずはタマン・サリ複合建築群の概略を述べ、さらに続けて、二つの門に施されたスンカラン・ムムットに関して論じることにする。


遊興場、瞑想所、防衛施設としてのタマン・サリ複合建築群


 タマン・サリ複合建築群は10ヘクタールの面積を有していた(トゥヌナイ Tnunay 1991 : 85 )が、現在は三分の一ほどが残るのみである。その建設はジャワ暦1684年、西暦1758年に開始された(リックレフス Ricklefs 2002 : 131 )。タマン・サリ複合建築群の完成には年月を要し、ハマンク・ブウォノ二世の治世に至っても建設は続けられ、いくつかの部分が追加された(アノニム Anonim tt : 88 参照)。

 タマン〈庭園〉、特に王宮城塞都市としての宮廷の複合建築群を囲む城壁の建設には、ポルトガルの建築士の技術的支援があったであろうと推測される(ウィルヨマルトノ Wiryomartono 1995)。タマン・サリ複合建築群は東西を軸とした幾つかの宮殿と庭、複数の池から成り、これらの池は後に拡張され、スガランと呼ばれる大きな池となった。スラガンの中央に人工の島が作られ、城が建てられた。それは一種のモスクとして意図されたものであり、水の下を通る通路で西側と接続していた。タマンとして、タマン・サリの区域は樹々や花々で飾られた。

 沐浴場と池がスラガンを構成し、「チャンディ・ティクス Candi Tikus 』のティルト tirta〈池〉、また、14世紀マジャパイト王国時代に建設されたトロウラン Trowlan 博物館近くのスラガンを思い起こさせる。水上の城がある池は、ロンバード Lombard によれば(1996:124)、このタマンで重要な役割を果たす、水のモチーフであり、スロカルト Surakarta 王宮の山のモチーフとの差異を示しているという。チレボン Cirebon 王国が18世紀に建設したタマン・スニャラギ Taman Sunyaragi には、山と水のモチーフが見出される。ロンバードによれば、ジャワのタマンは実際、二つの要素、つまり大地と水を象徴として用いるという。二つの要素が補完し合いタマンの意図するすべての要素が立ち現れるのである。タマンとは日常生活において重要な場であるだけでなく、より高い次元での人の生の象徴でもあるのだ。それは人間の場であり、創造主の場であり、宇宙の合一の場でもある(チャフヨノ Tyahyono におけるムルティヨソ、J・ミクシック 2002 : 98 )。従って、タマンの存在は物質的側面での享楽の場としての機能のみならず、むしろ特定のシムボリックな目的のためにある。同様の指摘をロンバードもしている(1991: 120)。一個のタマンは本質的に遊興の場としてではなく、王が外界から離れ、瞑想するための閉ざされ、隔絶された場であり、超能力を強化し、新たな生命力を得てそれを放出する場なのである。

 「ババッド・クラトン Babad Kraton〈王宮年代記〉」と「スラット・スルヨ・ロジョ・ヨグヤカルト Serat Surya Raja Yogyakarta 〈ジョクジャカルタ・太陽王の書〉」の写本において、タマン・サリはラトゥ・キドゥル Ratu Kidul の聖なる場の名であると言われている(ライド 2002 : 104参照)。リックレフスの言葉を借りれば、よりエキゾチックなレベルで、タマン・サリは宗教的・神秘的意味合いを持っているのである。ラトゥ・キドゥルとの関係を維持する方法としてのタマンの建設もまた、マタラム Mataram 王朝の王としてのスルタンの正当性を確認するための重要なステップである。というのも、マタラム王朝の始祖であるセノパティ Senapati の伝説においても、聖なる王は南海の支配者カンジェン・ラトゥ・キドゥル Kanjeng Ratu Kidul と関係を持つからである。

 より慎重な検討をするならば、明らかにタマン・サリもまた外敵に対する防備を意図して作られたものであると言える(プルウォクスモ Poerwokoesoemo 1985 : 46)。スランガンには地下(水下)廊下が設置され、幾つかの正規通路と支線が通っており、それは宮殿の中心部と市外に通じている。明らかにタマン・サリは、スルタンとその一族が危険に直面した際の避難所として建設されたのである。タマン・サリの区域はクマガンガン Kemagangan の庭から400メートルほどである。この庭は宮殿中央の庭 Pelataran から南の外にある。クマガンガン・クロン Kemagangan Kulon 通りからタマン通りを目指して南に曲がるか、複雑な路地から宮殿中心部の西側の密集地帯を抜けると、最終的にタマン・サリ区域に至る。

 十字路に立つと、訪れた人はタマン東端の門、ガプロ・パングンを見ることができる。管理事務所に入り、訪れた人はアーチ状で、ほどよい大きさの門の扉入ることができる。

 ガプロ・パングンは高さ9メートル弱の高さの建物で、上部には西向きの壇があり、王はそこでガムランを聞いたり、中庭で行われる上演を見る。前方(東)に向いた壇は目隠しとなるように柵で囲まれ、三つのアーチを形成する最上部の壁によって区分けされているため、全体として三角形に構成されている。

 約6メートルの壇までは、門扉に入る前に、前方にある階段を登らなければならない。つまり、ガプロ裏の左右どちらかに向かうことになる。二つの階段の手すりの上部には、それぞれ蛇の彫像が見える。二匹の蛇の彫像は、階段の守護とガプロの外観を装飾する機能を持ち、またチャトゥル・ノゴ・ロソ・トゥンガル (蛇が心を一つにして会話する)と読めるスンカラン・ムムットを表してもいる。

 ガプロ・パングンを抜けると、中庭があり、そこには四基のツインタワーが見える。これらの建物はとりわけガムランの場として使用される。この場所から北と南に向かうことができる。南に向かい警備の事務所を抜けると、スルタンとカンジェン・ラトゥ・キドゥルの逢瀬のための建物がある(トヌナイ Tnunay 1991 : 87 )。中庭から北に向かうとマスジッド・タマン・サリ masjid Taman Sari 、つまりスムル・グムリン Sumur Gumuling にいたる。プロウ・カネンガの廃墟、そしてかつてスガラン区の中心であったプロウ・パネムブン Plau Panembung がある。

 西へさらに進むと、高い塀に囲まれた沐浴用の池がある。沐浴場を囲む東西の壁の中央に、門扉へ通じる通路の上にアーチ状になったガプロが見え、そこにはコロ Kala 〈魔人〉の装飾が施されている。沐浴場は南北に伸びるいくつかの池で構成されており、それぞれウムブル・カウィタン Umbul Kawitan 、ウムブル・パムンチャル Umbul Pamuncar 、そしてウムブル・パングラス Umbul Pangras と呼ばれている。ウムブル・パムンチャルとパングラスの間には、かつて王専用であった塔 menara がある。その塔の窓から、スルタンはウムブル・パングラスで沐浴する者たちを見ることができた。沐浴場全体には、ブースや小部屋も備え付けられているが、現在は扉がなくなっている。特に、ウムブル・パングラスの端にあるのは、スルタンの妻たちの寝所であったと言われている。

 当初、タマンの沐浴場には、タマン・サリ複合建築の西側にある大きな門、ガプロ・アグンから、つまり西側から入るようになっていた。トヌナイによれば(1991)、タマン・サリの入り口は1814~1823年に統治したスルタン・ハマンク・グウォノ四世の時から東側に変更されたという。しかし王宮中央部に面したタマン・サリ複合建築のレイアウトを見ると、東側のガプロ・パングンが、建設当初からの入り口として構成されていたと考えるほうが妥当であろう。

 ガプロ・アグンは、タマン・サリ複合建築で、最も大きく壮麗なもんである。東へ向かう門の壁面には、植物と鳥のモチーフが浮き彫りされ、それはスンカラン・ムムットを表している。スンカラン・ムムットはラジェリン・スカル・シネセプ・プクシ (植物が鳥を吸い寄せる)と読むことができる。この門の上部にも雛壇があり、タマン複合建築群周辺の美しい景観を眺めることができるようになっている。


ガプロ・パングンのスンカラン・ムムット


 スンカラン sengkalan あるいはスンコロ sengkala の語は、シャカ Çaka とカラ kala から成り、シャカの時間(シャカ歴)を意味する、インド由来の言葉である(ブロトクソウォ Bratakesawa 1980、シドムルヨ Sidomulyo 1987)。サカ saka 歴と西暦には78年の開きがある。スルタン・アグン Sultan Agung がマタラム・イスラム国(1691~1645年)の王となった時代、西暦1633年に彼はサカ(ヒンドゥー)歴とヒジュラ Hijriah (イスラム)暦を整合させてジャワ歴を定めた(ウィスヌブロト Wisnubrata 1999)。陰暦を基礎とするジャワ歴を定め、西暦との差異をより縮めたのである。シャカ・カラ Çaka-kala (サカ歴)はジャワ語においてはサンコロ sangkala あるいはスンコロ sengkala となり、その後ジャワ歴と結びついてチョンドロスンコロ candrasengkala と呼ばれるようになった。同様にスンカランのより新しいものは、西暦と結びついてスルヨスンコロ suryasengkala と呼ばれる。

 スンカランまたチョンドロスンコロは後に、重要な事件・出来事のあった年を記録する、ティティモンソ〈年号〉としての時を意味するようになり、それは覚えやすい語句・章句を用いて表される。スンカランは語句・章句の配列によって、特定の年号をシムボライズし、表現するのである。通常、ジャワ古語の四つの語から構成され、その一つ一つが一の桁、十の桁、百の桁、千の桁に対応する。しかし、数字を示さない語、あるいは二桁にまたがる意味を持つ語が用いられることもある。

 スンカランの年号は、語彙の性質(価値・語彙のカテゴリー)を慣例的に解釈することによって得られる。たとえば、チョンドロ candra (月)、スルヨ surya (太陽)、ジャンモ janma (人)そしてアジ aji (王)という語彙は数字の1を示し、アスト asta (手)、カルノ karna (耳)、ネトロ netra (目)、クムバル kembar 〈双子〉などの語は2を表す、といった具合である。ティティモンソを示す年号であるスンカランは、逆順に読む。つまり最初の語は年号の最後の数字を示し、最後の語が年号の最初の数字を示すのである。

 語句を用いたスンカランはスンカラン・ラムボ sengkalan lamba と呼ばれる。また、その後造形的形象、つまり絵画やレリーフを用いて表されるスンカランは、スンカラン・ムムットと呼ばれる。ティティモンソの表示としてのスンカラン・ムムットを理解するためには、絵画的要素をスンカランの章句として読み直さなければならない。たとえば、一人の人が象に乗っているという画像があった場合、それはジャンモ・ワホノ・ディロドジュゴ janma wahana diradajuga (ジャンモ=人間=1、ワホノ=乗り物=7、ディロド=象=8、ジュゴ=一人で=1)と読み、年号は1871年(ジャワ暦)となる。人を乗せた翼を持つ蛇が描かれていれば、ノゴ・ムルク・ティンティハン・ジャンモ naga muluk tintihan janma (=ジャワ暦1708年)となる。このようにスンカラン・ムムットの解読は、まるで絵で描かれたパズルのような難しいものである。

 タマン・サリのガプロ・パングンに施されたスンカラン・ムムットは、互いに向かい合って会話するかのような二匹の蛇の彫像である。このスンカラン・ムムットはチャトゥル・ノゴ・ロソ・トゥンガルと詠まれる。チャトゥル catur の語は会話、また四を意味し、数字の四を表す。蛇の表す数字は8であり、十の桁を示し、ヒンドゥー神話の世界を支える八匹の蛇に由来する。ロソ rasa の語は、甘味、苦み、塩味、酸味、辛み、そして旨味あるいは無味の六つの味ということから六を示し、スンカランでの6(百の桁)を表す。そしてトゥンガル tunggal 〈合一・一つの〉の語が1を表すのは明白であろう。ここでは百の桁に当てられている。したがって、スンカラン・ムムットとしての、互いに向き合い会話する二匹の蛇の彫刻は、チャトゥル・ノゴ・ロソ・トゥンガルと詠まれ、1684年(ジャワ暦)を意味している。

 ジャワ歴1984年(西暦1758年)は、タマン・サリ複合建築群の建設開始を記録するティティモンソであり、前に引用したリックレフスの見解と一致する。形状的には、スンカラン・ムムット「チャトゥル・ノゴ・ロソ・トゥンガル」は、頭部を直立させ、互いに向かい合った二匹の蛇が門の入り口に隣接するものである。胴体部分は、次第に高くなる階段の壁に沿って5メートルほどの長さで、うねうねと波状に伸びている。胴体の基礎部分は直径30センチ弱であるが、頭部と首の部分はおよそ1メートルの高さを持つ(図1)。

 細かな部分は損壊したが、二匹の蛇の彫像は完全な姿を留めている。蛇の彫像は冠 mahkota をかぶっており、その冠はワヤン・クリ・プルウォ wayang kulit purwa のディパティ dipati 〈領主・藩王〉の冠と同種のものである。これはワヤンにおける蛇の王、つまりオントボゴ Antaboga 神という人物の印である。冠にはガルダ・ムンクル garda mungkur 〈ガルダ型の装飾〉またムラク・ムンクル merak mungkur 〈孔雀型の飾り〉と耳部分の房が無いスムピン sumping 〈スムピンは魚の形をした装飾〉があしらわれ、後頭部はスムピン・スカール sumping sekar の一種が装飾されている。これらの部分は頭部と胴体をつなげ、直立する頭部をしっかりと支えている。スムピンの尻尾の部分の装飾は顎の下から首の前部分に伸びて、顎のラインを補強する役割を担っている。その尾部は首飾りとなっている。

 蛇の口は開かれ、おそらく以前は金属製の舌を備えていたと思われる。レンガで作られた蛇は、石膏でコーティングされている。滑らかな表面加工は、細かな粒子に砕かれ、ココナッツミルクと卵を混ぜ合わせた石灰と赤石であろうと考えられる。

 装飾された蛇の彫像の下にある基礎部分は、長く継ぎ足され、蛇の胸部分でカールした花文様になっている。これらの装飾が一体と成って、階段の手すりと壁を補強しているのである。蛇の胴体はリズミカルにうねり、七つのルク luk 〈短剣の曲がり〉を持つクリス keris 〈ジャワの短剣〉を思わせる。蛇の胴体部分のリズミカルなうねりは、滑らかに掘られた蛇の鱗、首の部分の細かな湾曲する装飾パターン、スムピン、その他の装飾と相まって強調される。高く、広く平坦なガプロの壁が、二匹の蛇の背景となり、コントラストを形成して、このスンカラン・ムムットの存在を強調するのである。

 ガプロの頂上部分はリズミカルなアーチによって、山の形をなしている。二匹の蛇のガプロの入り口に向かう動的造形の構成は、水の要素を表現している。ガプロの全体的な設計は、対照的であるが、調和する二つの要素を配することで、山、つまり大地と水という宇宙の構成要素の統合を表しているのである。

 ノゴ〈ナーガ〉は蛇の王・神である。この概念はヒンドゥー神話に由来する。ヌサンタラ〈インドネシア〉における前ヒンドゥー文化において、一般にナーガは地中世界の象徴とみなされていた(ヴァン・デル・フープ van der Hoop 1949参照)。この概念は特にジャワにおいては、ヒンドゥー教の影響を受けて発展したため、シナ〈中国〉における竜・龍とは異なるものとなった。ジャワでのナーガの図像はむしろワヤン・クリにおけるノゴの人物像、つまりヒンドゥー時代の造形により近い物なのである。特徴的な冠をつけ、静的な表現で、角、背びれを持ち、爪と脚を有する凶暴な姿の中国の竜とは異なる。

 ワヤンの世界では、蛇の神はバトロ・バスキ Batara Basuki という。その名の示すように安寧の神であり、聖性を象徴する白い肌の神である(スディビョプロノ Sudibyoprono 1991 : 108)。ハルジョウィロゴ Hardjowirogo によって(1968:108)、バスキ神は怒りやすいが、すぐに怒りが冷める、荒ぶる性格に描かれた。バスキ神以外にも、ワヤンの中にはヒワン・オントボゴ Hyang Antaboga という神も現れる。これも同様に多くの場合、蛇の神であると考えられている。ヒワン・オントボゴは七層の地界、サプトプルトロ Saptapertala に住み、強大な超能力を有することで知られている。象徴的な意味合いとして、互いに向き合って会話する二匹の蛇は、王の超能力と聖性の発現であり、ハマンク・ブウォノ一世によるタマン・サリの建設は、思考と感性を統合して、タマン・スルガ taman surgawi 〈天界の庭園〉を創造することなのである。歴史上のスルタン・ハマンク・ブウォノ一世は、正義を守る厳格で勇敢、正直な人物として知られ、それゆえ敵から認められ、恐れられたのではなかったか?


ガプロ・アグンのスンカラン・ムムット


 すでに述べたように、タマン・サリ複合建築群のガプロ・アグンに施されたスンカラン・ムムットは『ラジェリン・セカル・シネセプ・プクシ〈花々が鳥を招き寄せる〉』と読める。「ラジェリン lajering 」の語は、「ラジェル lajer 」からきており、根幹、頭、根源、根を意味する。チョンドロスンコロにおいてラジェリンの語は1を表し、花を意味する「スカル sekar 」は慣例により9の数値を示す。シネセプ sinesep は、セセプ sesep の語に由来し、吸い込む、呼吸する、感情を得る、という意味を持ち、9の数値を表す。プクシ peksi は鳥を意味し、慣例的に1の数値を表す。

 チョンドロスンコロをして、『ラジェリン・スカル・シネセプ・プクシ』とは「鳥を招き寄せる植物」といった意味を持ち、ジャワ歴1691年(西暦1765年)のティティモンソを表す。その表すものは、タマン・サリ複合建築群、特に沐浴場周辺の建設の完了した年を示している。であるから、西暦1758年に開始されたタマン・サリの建設は、7年の年月を要したということになる。

 このスンカランを読み取ることのできる鳥と花々を伴った植物のモチーフの装飾は、ガプロ・アグンの東方にに面した壁一面を覆っている。同様の装飾は、ガプロの西面、特にパングン〈階段〉部分の平面にも施されている。修復の際にいくつかの装飾レリーフ,特に東側、沐浴場に面した水槽区とガプロの壁面のものの大部分は損傷が無かったのでそのまま使用された。ガプロの西側からの景観は、隣接する住宅密集地が見えてしまい、あまり楽しめない。

 幅12メートル、高さ11メートル弱のガプロは、最大で、典型的形状のガプロである。またその形状は、今日バリ島に見られるヒンドゥー時代の門建築、パドゥラクサ paduraksa 〈アーチ状の屋根を持つ、ジャワ・バリの古典建築に見られる門〉を連想させ、全体的なデザインはワヤン・クリのグヌンガンにそっくりである(図2)。

 ガプロの構造は四本の支柱でささえられ、柱によって四方向に分割されている。そして四本の支柱の上部は、途中から小さな柱で補強されている。ガプロの左右にある二本の大柱は5メートル半弱の高さの壁に覆われている。二本の支柱は、ガプロと同じ幅で横切る二つの「コラム」で接続され、それぞれの高さは2.5メートルと5.5メートルある。二本の支柱の真ん中から、上部で接続する小さい「コラム」が見える。支柱とコラムの間は、15枚のパネルを構成し、それらはガプロの東側に向いている。

 パネル部分全体のはバラエティ豊かなモチーフのレリーフが施されている。一部分は積み重なるように配置され、上部にある他の部分は方形ではなく、がプロ入り口の左右に配され、隙間無く装飾が施されている。これらのパネルは対となり、最終的には同じ大きさになっている。

 装飾された面は最も広いところで240X240cmで、積み重なるように配された花や葉っぱの渦巻きパターンが伸びる植物のモチーフが見られる。上部には、そのてっぺんの渦巻きパターンに止まる一対の鳥の装飾モチーフが見られ、その二羽は植物の幹の先端中央に配された花に招き寄せられているかのように描かれている。各々のパネルの底辺部には、ほとんどにトゥムパル tumpal 〈三角形の装飾パターン〉のモチーフを成す蓮華の花の冠 mahkota bunga padma のモチーフによる装飾が施されている。最も小さな装飾面は、ガプロ中央の入り口の左右にある。この二つの面には花の無い蔓のモチーフによる装飾が施されている。

 植物に招き寄せられる鳥のモチーフの装飾は、スンカラン・ムムットでティティモンソを表す核となり、門扉上部のパネルに見られる。この装飾モチーフが繰り返し現れるのである。この装飾面は、中央と左右の三つの部分に分かれている。中央部分はカーブした線で枠取られ、三角形の面を構成する。同様の構成はチャンディ candi 〈ヒンドゥー時代の祀堂〉の門、パドゥラクサで一般的なコロ kala 〈魔物〉のモチーフの装飾にも見られる。最上部のこの部分は花と植物のモチーフで満たされている。その他の装飾面は、画面いっぱいに蔓と花のモチーフを背景にした鳥のモチーフで満たされている。花に招き寄せられる鳥の画像(図3)。

 詳細に見ると、鳥のモチーフは、それがクジャクであることが分かる。頭部にはトサカがあり、首は長く、長い尾がある。しかし尾はそれと分かるようには広げられていない。多くの場合、鳥のモチーフは天上界、神の世界のシムボルである。ヴァン・デル・ホープによれば(1949)、クジャクはヒンドゥー神話では戦の神カルティケーヤ Kartikeya 〈最高神シヴァの次男。仏教における韋駄天。スカンダともいう。〉のヴァーハナ wahana (乗り物)とされる。魅力的なその姿を見れば、クジャクは美と幸福の象徴である。そうであるなら、このモチーフは、そこに住む者に、希望と幸福、喜びをもたらすものとして、タマンのガプロを装飾するに相応しいものといえるだろう。

 ガプロ・アグンの左右には、周りの壁と繋がった翼状の部分が作られている。翼を持つガプロの形状は、トゥバン Tuban 近くにある16世紀の古代モスク、センダン・ドゥゥル Sendang Duwur を想起させる。ガプロ・アグンの上の部分は、だんだん高くなる5つのアーチによって形成されており、その各々にも翼のモチーフが施され、各支柱のてっぺんには蓮華の花の装飾が施されている。翼のモチーフは、壮大さと威厳を象徴する。

 翼を持ち、植物、花、鳥で装飾が施され、中央部が高く伸びるガプロの造形は、それがワヤンにおけるグヌンガンを意図して設計されていると見て間違いない。グヌンガンは、均整と調和のとれた宇宙の秩序の象徴であり、静謐・安寧の謂いでもある(スマルジョ Sumardjo 2000 : 347)。スマルジョによれば、グヌンガンは深い精神的意図を有しており、人間の最も深い精神的側面ならびに超越的経験を描くものでもあるという。つまり、「サジロニン・スコ・タン・ティンガル・ドゥゴ・ラン・プラヨゴ sajroning suka tan tinggal duga lan prayoga 」(享楽は礼儀・善行を残さない)という訓戒を想起させるものであり、タマンにある誰もが、快楽という外面的側面と精神的次元の内面・倫理を見いだすのである。


結び


 スンカラン・ムムットは重要な出来事の時間〈年代〉を、造形の中に暗示するものである。それはティティモンソの象徴を視覚化したものである。その造形の美しさの裏側には、深い象徴的意図を含んでいる。装飾の中に、見る者が読み取ることのできる制作者の思考・メッセージが隠されているのだ。

 タマン・サリ複合建築群は、様々な機能を有する王家の庭園として建設された。その建設の開始と終了の年代は、ガプロ・パングンとガプロ・アグンのそれぞれに、「チャトゥル・ノゴ・ロソ・トゥンガル」、「ァジェリン・スカル・シネセプ・プクシ」というスンカラン・ムムットによって記されている。それは単にティティモンソを記した美しい装飾ではなく、制作者のメッセージと希望を内包する象徴的意味をも持つのである。

 その内にある造形的美しさと象徴的意図に鑑みて、その中にスンカラン・ムムットの装飾をも内包するタマン・サリ複合建築群が、今日のように放棄されたままであるのは、たいへん残念なことである。近年タマン・サリ複合建築群の修復が決定されたが、すでに周辺には多数の住宅が密集しており、これらの地区の住民を移転させることは困難であり、タマン・サリの完全な復元は難しい。現在の希望は、先に紹介したルラゴン・ドラナンの精神に則って、周辺住民と力を合わせて残されたタマン・サリの全体性と美しさを維持することのみである。



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図1. タマン・サリのガプロ・パングン Gapura Panggun Taman Sari


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ガプロ・パングンの蛇(ノゴ naga )

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図2. タマン・サリのガプロ・アグン Gapura Agung Taman Sari


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図3. 花に集うクジャクの装飾


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魔除けのコロ kala


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by gatotkaca | 2014-12-01 17:01 | 影絵・ワヤン | Comments(0)