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木から落ちた猿

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前川輝光著「マハーバーラタの世界」

 ワヤン、とくにワヤン・プルウォと呼ばれる部類のワヤンにおいて、その物語は、ジャワにおいて多大な変遷をみせるとはいえ、もともとはマハーバーラタとラーマーヤナ(ラーマーヤナ前史を含む)を扱う。これらは共にインドの古代叙事詩であり、とくにマハーバーラタはその膨大な長さと、深遠な哲学、内包される神話の多さから、邦訳といえど、一朝一夕に読み通すこともできないしろものである。
 マハーバーラタの邦訳は、三一書房から英語版の重訳である山際素男訳全九巻とちくま学芸文庫から原典訳として上村勝彦訳八巻(未完)が出ているが、研究書となるとまだまだ一般人の目に触れるものが少ない。
 ここでは一冊のすぐれた研究書を紹介したい。

 マハーバーラタの世界 前川 輝光 めこん (2006/08)刊
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 前川先生とは、ワヤン協会でお会いしたこともあり、直接お話を伺うこともできた。真摯かつ、ものごとを総合的、俯瞰的にみることのできるすぐれた見識を持つ方である。
 日本のマハーバーラタ研究の多くが、その一部分、例えばバガヴァッド・ギーターや、挿話として組み込まれた神話を個別に取り出して扱うことが多いのに対して、本書はマハーバーラタという書物をひとつの有機的一体として考察しようとする。一例をあげれば、「誓い」というキーワードをもちいて、マハーバーラタの主役たち、ビーシュマ、アルジュナ、カルナらのキャラクター解析を試み、彼らが物語全体で果たす役割・機能を明晰に解き明かしてくれる。
 それまでの、悪くいえば重箱の隅をつつくような研究と異なり、マハーバーラタという物語をひとつの有機体として活写しつつ、物語全体での人物の立ち位置、役割には、これを成立させた共同体のどのような要請、希求が込められているのか?という根源的疑問にまで肉薄する。そして本書において、もっともスリリングな見解は、第一部第五章、ヒルテバイテルの論考を踏まえて、さらに展開される「五人のクリシュナ」論であろう。この論考を読んだ時、「目から鱗が落ちる」とはまさにこのことだと感じ入った。
 そして第二部での現代インドにおけるマハーバーラタの需要のありかたに対する研究は、これからのインド文芸研究への多くの示唆に富み、現代インドにおいて「悲劇の英雄」として受け入れられているカルノのあり方のレポートは、後進へさらなる研究課題を提出している。またシヴァージー・サーヴァントや、著者と親交のあった研究者たちに対する筆致も、著者の人柄、人情を感じさせ、単に堅苦しい研究書とはことなるあたたかな余韻を本書に加えている。
 巨視的観点からの考察であっても、デュメジル神話学におけるヨーロッパ神話との対称といった、興味深くはあるが、どこか漠然としすぎた研究とはことなり、マハーバーラタそのものを見失わぬ著者の真摯かつ絶妙の距離感は、日本における(世界的にみても)マハーバーラタ研究のまさに、金字塔といっても過言ではあるまい。
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by gatotkaca | 2011-07-04 03:36 | 影絵・ワヤン | Comments(0)