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木から落ちた猿

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タグ:ボチャ・アンゴン ( 3 ) タグの人気記事

試訳「スマルとは何者か?」 補遺 ボチャ・アンゴンその3

 引き続いてボチャ・アンゴン。もとネタはここ。『MENELUSURI BOCAH ANGON (SANG PENGGEMBALA) CIKAL BAKAL NARAYANA PEMIMPIN-PEMIMPIN NUSANTARA JAYA』
 『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』に記された暗喩を解読しようと言う論考である。途中にでてくるジョヨボヨ王の詩は、関連する161と169だけ載せておきます。

ジョヨボヨの最後の預言詩 Bait Terakhir Ramalan Jayabaya

161
dunungane ana sikil redi Lawu sisih wetan

wetane bengawan banyu

andhedukuh pindha Raden Gatotkaca

arupa pagupon dara tundha tiga

kaya manungsa angleledha

生まれは、東のかたラウ山のふもと
川の東がわ
ラデン・ガトコチョのような家を持つ
それは三階建ての鳩小屋のよう
侮られる人に似て

169
sirik den wenehi

ati malati bisa kesiku

senenge anggodha anjejaluk cara nistha

ngertiyo yen iku coba

aja kaino

ana beja-bejane sing den pundhuti

ateges jantrane kaemong sira sebrayat

禁止が与えられた時
死んだ心が呪いをうける
からかいを好み、屈辱をもとめる
それはただの試練にすぎないと知っている
侮蔑してはならない
求められるものには利益がある
それは、そなたの一族が守られていることを意味する


祖国の勝利(ヌサンタラ・ジャヤ)の指導者、ノロヨノ(ナーラーヤナ)の祖先、ボチャ・アンゴン(羊飼い)

ボチャ・アンゴン/聖なる羊飼いの概念


 スナン・カリジョゴの『リル・イリル Lir-Ilir 』の詩において比喩的に表現されているボチャ・アンゴンは、国の民を育て、指導する役割を担った、『国に仕える者・アブディ・ネガラ Abdi Negara 』である。それは一定の機関と結びつくこと無く、しかし様々な機関と横断的に関わりを持っている。このことはLINMAS『民衆の庇護者』という言葉にも見ることができる。どういうわけか、今日、毎週火曜日を対象としていたLINMASの着物はもう着られていないが。ドドトのことは、単に陰部を覆う衣類であるから問題ないが……民衆の聖なる師たる魂は、いまだ『アブディ・ヌガラ』の魂に植え付けられている。
この国にはボチャ・アンゴンについての予言がたくさんある。様々な視点からそれらの違いを比較し、見てみよう。
ワンシット・シリワンギの視点から。

ーー助けを求める声
ウゴ・ワンシット・シリワンギにおいて『いつの日か、真夜中にハリムン Halimun 山から助けを求める声が聞こえる。ああ、それが合図だ。すべての子孫たちが、結婚をのぞむ者に、チャウェネ Cawenw の谷へ呼ばれているのだ。』『助けを求める声』はウンカパン・ジョヨボヨ(ジョボヨ王の予言詩)の169番の詩句で詠われているのと同じであった。『からかいを好み、屈辱をもとめる/それはただの試練にすぎないと知っている/侮蔑してはならない/求められるものには利益がある/それは、そなたの一族が守られていることを意味する』

ボチャ・アンゴンは現れるとすぐに、彼が来たことを知らせるために、あることをする。そのひとつが、ハリムン山のまわりの人々に助けを求めることだ。彼が他の人に助けを求めたのは、困っていたのか必要があったのか、なぜかははっきり解らない。たしかなのは、彼が現れた印としてそのようなことをするということである。

ジョヨボヨの予言の169詩句に関連して、ボチャ・アンゴンは言う。『試練として、侮蔑を好む』。この章句の示しているところは、助けをもとめることは、助けを求められた者に限った試練であるということだ。何の試練か?ボチャ・アンゴンが人に何をしようとしているのかは、まだ分からない。何が起こるのか待つしかない。

ーー戦いながら探し、笑いながら戦う
ウゴ・ワンシット・シリワンギでは『すぐにたくさんのことに出会うことになる。ばらばらに。交代した指導者は、禁じるだろうから!勇気をもって探し続け、禁じられてることなど忘れて、戦いながら探し、笑いながら戦う。彼こそアナ・グムバラ(羊飼いの少年)だ。』何が禁止されているのか?事実を明らかにすることか、歴史に従うことか?解釈は色々ある。

ボチャ・アンゴンはたしかに、指導者の禁止を気にかけない。禁止を守らないだけでなく、ボチャ・アンゴンは、禁止する指導者と笑いながら敵対する。笑いながら対抗されたときの指導者の気持ちは想像できない。ボチャ・アンゴンはいつも交代したリーダーに対抗して働くので、危険に曝されるばあいもある。

ーー彼は枯れた葉のついた木の枝や、切り取った樹の杖を持つ羊飼いである
ウゴ・ワンシット・シリワンギは言う。『彼は何の番人なのか?水牛ではない。羊でもない。虎でもなく、牛でもない。しかし枯れ葉のついた枝と、切りとった木を持っている。彼は探し続ける。そして出会ったものすべてを集める。たくさんの歴史/出来事と遭遇する。ひとつの時代が終わり、新しい歴史/出来事が訪れる。それぞれの時代が歴史を紡いでいく。それが繰り返されていくのだ。』

ボチャ・アンゴンは葉っぱや小枝を集めるのをつねとしている。葉っぱ(daun)と小枝(ranting)の語は、ウゴ・ワンシット・シリワンギによれば、スンダ語『カラカイ・ジェウン・トゥトゥングル Kalakay jeung Tutunggul』に起源を持つ。カラカイとは古代の人々が記録用にそのシートを用いた、ロンタル椰子の葉である。トゥトゥングルとは古代において記載用のペンとして使用された小枝のことである。であるから、カラカイとトゥトゥングルは紙とペンを意味する。

シ・ボチャ・アンゴンは紙とペンで羊飼いをするのを好む。彼はずっと集め続けていた二つの品で羊飼いをする。彼がなぜ紙とペンで羊飼いをするのかは分かっていない。紙とペンはひとつではなく、好むままにたくさんあり、集めているとしか言いようが無い。

続けて言う。『彼は探し、出会ったものすべてを集め続ける。たくさんの歴史/出来事と出会うのだ。』これらの章句の意味するのは、ボチャ・アンゴンは、歴史と出来事に出会うために、紙とペンで羊飼いをするということである。彼が集めたものが歴史と出来事であるかどうか。だが、ヌサンタラの歴史の多くが変容されたものであり、それらが合理化された歴史と関連がある可能性がある。

彼は主要な歴史と出来事を集め続け、ヌサンタラの問題を解決しようとしているのだ。歴史の公正さを探すのは、問題を解決するためであるから、歴史の原因を知ることは必要ない。紙とペンを注ぎ込んで歴史と出来事を検索することに熱中し、かくてヌサンタラの問題は簡単に対処されるであろう。そう願う。

ーー彼の家は川のほとりにあり、その戸は石の高さである
ウゴ・ワンシット・シリワンギは言う。『かくて彼らは羊飼いの少年を探した。その家は川のほとりにあり、戸は石の高さであった。』川のほとり(終わり)とは、ボチャ・アンゴンの家は川の源泉にあったことを示している。シリワンギは家と川の間の距離については記していない。川から数メートルかもしれないし、数十メートルかもしれない。

シリワンギも、川の名については言及しなかったから、川の位置の決定は困難である。ジャワでは多くの川が北から南へと伸びている。そして平均して川のほとりには住民たちの家がたくさん建っている。これではシリワンギの言う川の位置を定めるのは、たしかにむずかしい。とはいえ、ボチャ・アンゴンの家は川の近くであり、ボチャ・アンゴンとおぼしき者がいても、その家が川から遠ければ、ウゴ・ワンシット・シリワンギには合っていないといえる。

それから、石の高さの扉という言葉には疑問がある。家の屋根が石で作られているということなのか?それとも家の扉が石で作られているということなのか?昔の我々の祖先たちの家のように。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

この章句は、ボチャ・アンゴンの家の床はひとつだけの平屋なのだと解釈するべきなのか。これはウンカパン・ジョヨボヨの161番の詩によって補える。『ラデン・ガトコチョのような家。三階建ての鳩の家』。ウンカパン・ジョヨボヨでは、ボチャ・アンゴンの家は三階建てと記されている。たしかに普通の家ではない。中流家庭の家なのか、ボチャ・アンゴンは裕福な一族の出身なのか?まだ確定はできない。

固い石になるセメント製の二階建ての家を建てているということか。それなら、石の高さの扉というのも理解できる(セメントキャスト製の二階の床の高さ)。確かに上流階級の家の多くは、扉が二階の床まで届いている。先の石というのはセメントのことなのだ。というわけで、ボチャ・アンゴンの家は二階まで届く扉のある、家であると結論づけることができる。

ーーハンデウレウムとハンジュアンの木で覆われている
ウゴ・ワンシット・シリワンギには『川のほとりに彼の家はあり、扉は石の高さ、ハンデレウムとハンジュアンの木で青々としている』とある。ハンデレウムとハンジュアンの木で青々としているという言葉は、ボチャ・アンゴンの家の前には二本の木があることを意味し、とても豊で彼の家の特徴になっているということである。ここでは二本の木についてだけ語られている。家の前に二本の木があるということで他の家と区別できるのである。

その二種類の木はインドネシア語ではまだ名前がないものである。二つの単語はシリワンギのいたスンダ地方の古語である。今日では、その木の種類を知っている者はいない。スンダ出身の人々も二種類の木については知らないという。解るときを待つしかない。

シムボルとしてのハンデウレウムとハンジュアンという語の意味するものを解釈してみよう。二つの木は本当に地面に生えている木のことなのか、それとも単なるシムボルなのか?シリワンギの言う「若き牧者」についての『彼は何の牧者なのか?水牛ではなく、羊でもなく、虎でもなく、牛でもない。しかし枯れ葉のついた枝と木切れを持っている』をもう一度見てみよう。

若き牧者はシリワンギではシムボルとされている。この後、動物を放牧するのではないが、葉っぱと枝を持つ、ということのシムボルは明らかにされている。一方ハンデウレウムとハンジュアンの語は、章句に説明が無い。二つの語は地面に生える二本の木ではあるのだが、シリワンギで示されているのが、シムボルであることは確かである。

ーーあご髭をはやした若者と共に行く
ウゴ・ワンシット・シリワンギは言う。『皆が生贄を探しているが、若き牧者はもういない。あご髭をはやした若者と一緒にもう行ってしまった。チャウェネの谷で新しい土地を開拓しに行ってしまった!』あご髭の若者とは誰か?このあご髭の若者というのはまだ解っていない。その若者はシ・ボチャ・アンゴンの親戚なのか、家族なのか、はたまた乳母や爺やなのか?いまだ明らかになってはいない。というのもウゴ・ワンシット・シリワンギにはこれに関する言及が無いからである。

他の古書写本では、ラトゥ・アディルにはサブド・パロンというお付きの者がいる、と言う。あご髭の若者とはサブド・パロンなのか?どうやら違うようだ。というのもサブド・パロンというのはジン(精霊)の人物なのだが、あご髭の若者というのは人間である。だから、あご髭の若者はサブド・パロンではない。

この謎は真実をあきらかにすることは難しい。ボチャ・アンゴンは今だ謎の人物であり、同様にあご髭の若者の正体も謎のままである。とはいえ、その若者があご髭をはやしているのが確かなら、いつの日かボチャ・アンゴンが現れた時には知ることができるだろう。

チャウェネの谷へ新しい土地を開拓に行く
ウゴ・ワンシット・シリワンギに言う。『皆が生贄を探しているが、若き牧者はもういない。あご髭をはやした若者と一緒にもう行ってしまった。チャウェネの谷で新しい土地を開拓しに行ってしまった!』ボチャ・アンゴンは、彼が現れるまでは見つけられない。人々が川のほとりに彼の家を見つけた時には、彼はすでにあご髭の若者と一緒にチャウェネの谷へ行ってしまっていた。

シリワンギは、人々が家で彼を見つけることができなかった後、チャウェネ渓谷でボチャ・アンゴンを見つけられたかどうかは言及していない。ウゴ・ワンシット・シリワンギにはその章句はない。それについて触れていないのは、家とチャウェネ渓谷は近くなく、多分遠く離れているからだと結論付けられるだろう。

シリワンギはチャウェネ渓谷へ行ったあと、ボチャ・アンゴンが家へ帰ったかどうかも触れていない。川のほとりの家を捨てて、ボチャ・アンゴンはチャウェネ渓谷を新しい住処としたという章句も無いからである。川のほとりの家に帰ったなら、シリワンギは彼の家で会うことができたはずである。確かなのは、彼の家を見つけたら、帰ってくるまで待っているだろうということだ。しかしウゴ・ワンシット・シリワンギにはそんな章句は無い。

今日に至るまで、チャウェネ渓谷がどこにあるのかは解っていない。ジャワの地図さらにインドネシアの地図においても、チャウェネ渓谷と名付けられた地域は存在しない。それゆえ、海外であると言う説も含めてさまざまな解釈が試みられている。

ーー枯れ枝に止まって鳴く鴉
ウゴ・ワンシット・シリワンギに言う。『皆は生贄を探すが、もういない。髭の若者と一緒に行ってしまったチャウェネ渓谷へ新しい土地を開拓しに行ってしまったのだ!見つけたのは枯れ枝に止まって鳴く鴉だけだった』鳴く鴉、という語は、むろん歌うのが好きな鴉鳥というだけでなく、シムボルをも表している。

鳴く鴉については多様な解釈ができよう。ロンゴワルシトやジョヨボヨといった写本では、ラトゥ・アディルとなる以前のボチャ・アンゴンは、しばしば人から馬鹿にされる。これと関連して、鴉とはボチャ・アンゴンを侮蔑する人々を意味するとも考えられよう。

いつも人から馬鹿にされて生きていたから、ついにボチャ・アンゴンはその家を捨てて行ってしまったのである。それから彼はあご髭の若者と共に、新しい土地を開拓するためにチャウェネ渓谷を目指した。皆は生贄を探し、情報を探したが、すでにボチャ・アンゴンはいなかった。鳴いている鴉たちから情報を得ることもできなかったのである。

ーー真のラトゥ・アディル
ウゴ・ワンシット・シリワンギに言う。『全ては再び良くなる。国はまたひとつになる。祖国は再び勝利する。ラトゥ・アディルが立ち上がるから。本物のラトゥ・アディルが。だがその王は誰か?サン・ラトゥの出身は?いつの日かそなたらは知るだろう。今は、若き牧者を探せ。』シリワンギは命ずる。ボチャ・アンゴンを探せ、と。いつの日か、彼こそが真のラトゥ・アディルとなるだろうから。

そのようにシリワンギは言い、ボチャ・アンゴンを探すには、注意を払えと命じた。ジャワの地にボチャ・アンゴンの偽物が横行するからである。他の人の支援で、むりやりボチャ・アンゴンに仕立て上げられた者もあるかもしれないが、追い立てられているうちに自分でもボチャ・アンゴンだと思い込むようになるから、偽ボチャ・アンゴンが現れるのである。

今まで、ジャワの西から東まで、ラトゥ・アディルと信じられた人々が現れたという話はたくさん聞かれる。自分こそラトゥ・アディルだという者が、そこかしこで現れたのである。それらの人々は、証拠を求められると、人を説得するために、写本と自分を合わせるようにする。実際全てが適合することはないが。

真実のラトゥ・アディルを探すように、とシリワンギは命じた。たくさんいる偽のラトゥ・アディルの中で、真実のラトゥ・アディルはただ一人であるから。とはいえ、偽のラトゥアディルは本物の出現を変えることはできない。本物が現れたときは、どれが本物でどれが偽物か皆に証明されるだろう。シリワンギの言葉と合わせて。『だがその王は誰か?サン・ラトゥの出身は?いつの日かそなたらは知るだろう。今は、若き牧者を探せ』

ウゴ・ワンシット・シリワンギ写本において述べられているボチャ・アンゴンに関することはこのようである。シリワンギはその写本の中で、意図的にボチャ・アンゴンをはっきり説明しないから、彼を見つけるのは容易ではない。さまざまな理由でラトゥ・アディルの出現を妨げようとする者たちも多いからである。

シリワンギからは得られないボチャ・アンゴンの明確な描写がある。同時にボチャ・アンゴンを探すことを命じられた我々は、皆が探偵となり、インテリにならなければならない。いつの日かきっと、彼が現れた時には、偽のラトゥ・アディルと、真実のラトゥ・アディルを見分けなければならないのだから。待って、探すのが良い。できるかできないか。時はすぐにやって来る。

さて今再びカンジェン・スナン・カリジョゴのキドウン『リル・イリル』の詩句を研究してみよう。
ボチャ・アンゴンの種は今日もたくさんいて、ヌサンタラの若者たちの鋭く革新的思想として現れ始めた。また負けず劣らず、教育機関からも生まれて来ている。チャンダラディムカ(Akabri=Akademi Angkatan Bersenjata Republik Indonesia インドネシア共和国軍アカデミー、アアウ、AAL、AKMIL、AAKPOL)から生まれたパラ・サトリア・ムダ・ヌガラもまた王朝に関わる軍事的教育施設であり、財政、その他の技術(STAN、STP、BPLP、その他)分野の良民も採り上げ、大学いじょうの可能性を広げ、軍事的のみならず半軍事的教育システムにより開かれ、透明性の高い教育をめざす。この教育機関は二つの異なる側面をもち、ひとつはボチャ・アンゴンの育成であり、教育を終えてすぐさま国家公務員(アブディ・ヌガラ)として国に仕えることの出来る者を供給することと、永続的に戦闘を続けるため、勝利のために1000の訴えを1となす国家公務員となる者の育成であり、また、資本と権力をつないで、全面的な戦闘を容易にするという目的もある。ここでは基本として、真実のボチャ・アンゴンが大勢、毎年国家、州政府、地方自治体から揚げられるCPNSとして存在する。真正のボチャ・アンゴンとは、純粋な力で戦うか、特定の資本と権力を連携してすべての敵と戦う者である。

アブディ・ヌガラとなった後も、ボチャ・アンゴンは国家の奉仕者としてさまざまな試練に会い、奉仕に置けるさまざまな性質の課題を負う。:大志を抱き、研究心旺盛で、有能な人材で、愚かな者もいる。それがアブディ・ヌガラたる人の重要な資質である。世界は自身の法則を持っている。ボチャ・アンゴンを探す努力は、実際にはさほど他の状況ほど、気にすることは無いのである。民衆は変化を切望している……。

Sepenggal Bait “Lir-Ilir” dariSunan Kalijaga

Lir-ilir, lir-ilir
tandure wis sumilir
Tak ijo royo-royo tak senggo temanten anyar
Cah angon-cah angon penekno blimbing kuwi
Lunyu-lunyu yo penekno kanggo mbasuh dodotiro
Dodotiro-dodotiro kumitir bedhah ing pinggir
Dondomono jlumatono kanggo sebo mengko sore
Mumpung padhang rembulane mumpung jembar kalangane
Yo surako… surak hiyo… 
 
『リル・イリル』 スナン・カリジョゴ

(眠りから)ゆっくり、ゆっくり目を覚ませ
木は花をつけ始めている
青々として、結婚したての夫婦のように情熱的だ
羊飼いの子どもよ、ブリムビンの木に祈ってくれないか?
滑りやすくて(難しいけれど)登りつづけておくれ、着物を洗うために
破れた(傷んだ)服はわきに除けて
縫い付け、直しておくれ、夕方までに
今は明るい月の下、今は自由な時間がたくさんある
さあ叫ぼう、アヨー……

 ラトゥ・アディル問題は、深入りすると切りがなさそうであるし、私もまだ知らないことが多いので、一旦ここまでで、ボチャ・アンゴンについては終わりにする。
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by gatotkaca | 2012-02-15 00:11 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 補遺 ボチャ・アンゴンその2

 前回に引き続いてボチャ・アンゴンである。ネット上で『Satrio Piningit Uga Wangsit Siliwangi  /mbah subowo bin sukaris』という論考を見つけたので、紹介しておく。
 『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』のシリワンギ王の国、パジャジャランは、現在のジャワ島スンダあたりにあった国であり、ヒンドゥー教国家であった。なお、記事の中にあるブバット事件のあらましは、N・J・クロムの『インドネシア古代史』(有吉巌 編訳 天理教道友社刊 1985年)によればこのようなものである。『パララトン』等の伝えるところでは、1357年、モジョパイト王国アヤム・ウルク治世下、アヤム・ウルク王はスンダの王女と結婚を望んだ。パティ・マドゥ(宰相ガジャマダ)の交渉により、スンダ側はこの結婚に同意。スンダ王マハーラージャは一族を従え、結婚に列席するため、モジョパイトへ向かった。花嫁と国王一行は、モジョパイト北部の港街ブバットに上陸した。ここで両国に紛争が起こり、交渉は決裂、スンダ側とモジョパイトの間に戦闘が起こり、奮戦むなしくスンダ国王も花嫁も殺されたのである。その後もパジャジャランは独立を保ち続け、両国は対立関係にあったようだ。16世紀頃の状況では、モジョパイト王国はすでに無く、『インドネシア古代史』によるとパジャジャランの後裔がスンダ王国と名乗って存続していた形跡が濃いけれど、その王国の終焉の状況に関しては、歴史的資料に乏しく、不明とされている。
 『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』はこのスンダ(パジャジャラン)王国最後の王の予言書、という体裁で成立したもののようである。


サトリオ・ピニンギト、ウゴ・ワンシット・シリワンギ

バ・スボノ・ビン・スカリス

プラブ・シリワンギは16世紀(1500年代)パスンダン地域を支配していたヒンドゥー王国、スンダ・ガル Sunda-Galuh 、パクアン・パジャジャラン Pakuan-Pajajaran の大王で、後の時代の民にいくつかの予言を残した。16世紀はヨーロッパの白人がヌサンタラへの到達に成功していた時代であった。イスラム国家とヨーロッパ民族との確執は、ヒンドゥーであるパジャジャラン王国の立場を困難なものにしていた。両者の敵対関係の中で、賢明なプラブ・シリワンギはデマク・バンテンを支配したポルトガルに組することを選んだのである。ヌサンタラにおける基地を探していたポルトガルは、パジャジャランの友好的援助を歓迎し、資本提携が達成され、1527年、ポルトガルは全艦隊をスンダ・クラパに上陸させようとしていた。しかし不運にも艦隊はスンダ・クラパを目指す航海の途中で、サイクロンに襲われた。この混乱でポルトガル艦隊はパジャジャラン王国との友好を交わす約束を守れなかった。先の失敗に懲りたポルトガル艦隊はスンダ・クラパへの上陸は望まず、友好的であれば良し、必要とあらば西ヨーロッパ艦隊の脅威にによる強制で、友好関係をよぎなくされた他のヌサンタラの地域の港を探し、モルッカ諸島のスパイス島々への航路を制する礎を確立した。
 パジャジャランは、強力な防衛力を持った内陸国であり、モジョパイトの海軍のみでは、多数のパジャジャラン軍に対抗できないことが宰相ガジャマダには解っていた。最初は海路、そして数日をかけて陸路のからのものを合わせた大量のモジョパイト軍を配備するには、時間もコストも掛かり過ぎると思えた。パジャジャランにとっては逆に、海から他の地域を侵略するための艦隊を持っていないのであった。パジャジャランにとっての唯一の選択は、つねに敵の侵略に備えて地上部隊を強化することであった。プラブ・シリワンギによって実行された戦略は、地理・地形を鑑みて、主に山と台地からなり、涼しく、東南アジアで最も美しいと人々に知られるパンスンダンの地で相見えることであった。当然のことながら、西ジャワへの政治的影響力の拡大に努めるモジョパイトによってなされるべく最も重要な戦略は、王国間の結婚であった。しかしこの試みは失敗した。というのも同盟国とパジャジャラン国の一族の花嫁、花婿を殺害したブバットBubat 戦争の帰結としてこの段階に至ったのであるからだ。
 ブバット戦争の後、パジャジャランの王位に就いたプラブ・シリワンギは、非ヒンドゥー王国への侵略によってその基盤を築いた。王が王位に就く数十年前にモジョパイトはすでに崩壊していた。モジョパイト王国の崩潰で、スンダ・ガルの首都へつながるデマクとバンテン王国を標的としたのである。モジョパイトのあとのヒンドゥー王国最後の砦として、王は、歴史の運命とは、新しきものに味方し、古きものを壊すのだと感じていた。ヒンドゥー王国の崩潰とイスラム王国の台頭は歴史の望んだことなのだと。
 宮殿の北方向から来訪者たちがやって来た。その中には厄介な連中も多数ふくまれていた。オランダ領東インド総督によるボゴール宮殿占領に始まり、チパナス宮殿とボゴール宮殿の二城を建設したスカルの大統領まで。双方とも北からジャカルタヘやって来た。現在ジャカルタに住む人たちは、個人の車でボゴール山頂へ来て休暇をとるので、休日には交通渋滞となるのがつねである。プラブ・シリワンギに呼び出された者たちこそ、地域住民の中でも厄介な連中であった。
 バトゥトゥリス宮殿の東からは、16世紀マタラムのスルタン・アグンの治世時に、オランダ軍に占領されたバタヴィアに侵攻する軍の結集をパジャジャランの民に命じた。軍の侵攻に加え、チリウン川を塞き止め、パスンダン出身の副官ディパティ・ウクルに率いられたマタラム軍はオランダ軍の追放に失敗した。
 パジャジャラン宮殿の西方には、プラブ・シリワンギに従って渓谷地域に退いた者たちがいた。彼らは規律に守られて安全であり、王国の領域を見張っていた。彼らは決して火を使用しなかった。煙で遠くの敵に見つけられないようにするためであった。プラブ・シリワンギの時代、パジャジャランの民の末裔であるスク・バドゥイの人々は、この日まで、ハリムン山の方角からくる、夜中に助けを求める声の合図を待ち続けていた。それは賢者たる指導者の到来のしるしであった。スク・バドゥイたちはとりわけ電気などの近代機器、自動車などの使用を自らに禁じていた。火災の原因ともなるからである(敵に所在を知らせることになるからである)。
 プラブ・シリワンギによって選定された方角へ民は従っていった。そこは渓谷と高原で、混乱無く防衛するには最適の地であった。なにより涼しく、土地は肥沃で、60年代インドネシアのイスラム軍・ダルル・イスラム Darul-Islam の基盤となったところである。また、インドネシアの共産党の最高指導部は、ソ連と中華人民共和国のような集団農場システムの農業基地として秘密の実験のための西ジャワ州の特定の領域を利用していた。
 また60年代から第三ミレニアムの初めまで、その肥沃な山岳地域は、インドネシア・イスラム国家、HTI、またアフマディー派の拠点でもあった。独立革命時、中部ジャワに移ったシリワンギ軍は、スカルノ・ハッタ政府に反対する共産主義勢力やその他の勢力を打倒するモハムマド・ハッタ内閣の大黒柱となった。1965年の紛争において、ブン・カルノに忠実なシリワンギ軍は、その一部がスハルト新体制を支援した。それらを鑑みれば、開発され自然破壊が進んだジャワ中央及び他の地域に比較して、パスンダンの地に自然や森林が残されているのも驚くに値しない。
 そしてまた、プラブ・シリワンギによれば、シ・ボチャ・アンゴン(歴史の記述者)がいつかやって来るという。彼はサトリオ・ピニンギトであり、サトリオ・ピニンギトはラトゥ・アディル(救世主)の秘密を知る者である。シ・ボチャ・アンゴンとは、川のほとりの家に住み、その家は三階建てであり、扉は石の高さ、二階の床で、ハンデウレウム handeuleum の木の鉢植えを世話する。それは痔の治療に効く、栗色の葉の木である。そしてもう一本はハンジュアン hanjuang その葉は赤い心臓の色、小豆色の葉である。ボチャ・アンゴンは生贄にされるが、いつも逃げ出し、西に向かう。髪で顔を隠し、全身真っ黒な服を着て、前に政府に投獄されて、もはや安全な者とみなされている者の格好で別人に成り済まして姿を消す。彼らは両方できる。『笑いながら、権力と闘う』。ラトゥ・アディルの秘密を握っているサトリオ・ピニンギト、またサトリオ・ピニンギトと従者は、真実プラブ・シリワンギの宮殿近く、南の方角の七つの山ともうひとつの山が噴火するという、自然災害の起こった後に現れる。サン・ラトゥ・アディルが現れれば、何世紀もの間民衆が待ちこがれていたヌサンタラの栄光が達成されるのである。西部ジャワ、パスンダン地域の人々、特にパクアン・パジャジャランの人々にとっての、ウゴ・ワンシット・シリワンギの核となる部分はこのようである。
 ブン・カルノはその治世の終わりにボゴール宮殿を選び(バトゥトゥリス周辺のパジャジャラン宮殿からそう遠くない)、彼を選んだ民衆を犠牲にしてでも、バトゥトゥリス、ボゴールの近く(木陰の美しい渓谷と山を臨む場所)に埋葬されたいと願った。(美しい渓谷や山々の景色を眺めながら)ランチャマヤに埋葬されたプラブ・シリワンギもまた、同様の犠牲を払ってでもお金を好んだ。神々の島(バリ島)出身の母を持つブン・カルノという人物もまた、ウゴ・ワンシット・シリワンギに含まれている。そしてもちろんブン・カルノ自身もそのことを知っていた。おそらく彼が永遠の休息場所としてバトゥトゥリスを選んだのも、ウゴ・ワンシット・シリワンギを見たからであろう。

次回は、『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』の読解を試みた論考を紹介する。
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by gatotkaca | 2012-02-14 04:40 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 補遺 ボチャ・アンゴンその1

 「スマルとは何者か? Apa dan Siapa Semar 」、第2章中のボチャ・アンゴン Bocah Angon (若き羊飼い)というのが、何のことやらわからなかったので、調べてみました。
 スンダのパジャジャラン王国最後の王シリワンギが残したとされる予言書『ウゴ・ワンシット・シリワンギ Uga(Ugo) Wansit Siliwangi 』の中に出て来る人物で、いわゆるラトゥ・アディルのことらしい。
 ラトゥ・アディル Ratu Adil (正義王)とは、インドネシアの民間伝承における救世主としての人物像で、ヨーロッパにおけるアーサー王のような存在である。彼はヌサンタラ・ジャヤ(祖国の勝利/栄光)を達成する人物を考えられており、とこしえの平和と正義を地上にもたらすと信じられている。クディリ王国(1050〜1222年、東部ジャワにあった王朝)のジョヨボヨ王(1135以前〜1157以後)の予言書に最初の記載があるとされている。
 予言によれば、ラトゥ・アディルは最初は誰にも知られぬような存在で、貧しく、人々から侮られている、とある。また支配者層たる貴族/上流階級の没落にも触れている。これらのイメージは、初期のインドネシア民族闘争の指導者たちに大いに利用された。ラトゥ・アデイル思想の対流は、1825年のジャワ戦争の首謀者、パンゲラン・ディポネゴロ(ジョクジャカルタ王国の王子で、スルタンになり損ねて、オランダに対し武装蜂起した。)、ハマンクブウォノ九世(Hamengku Buwono IX 、1912年〜1988年。インドネシア独立戦争に貢献し、スハルトの治世下のジョクジャカルタ特別州知事、ジョクジャカルタの9代目スルタンおよびインドネシア共和国建国後2番目の副大統領)、スカルノ大統領らにアダプトされ、彼らはラトゥ・アディルのイメージを大いに活用して民衆をコントロールしようとした、と言えるだろう。
 ラトゥ・アディルはいつの日かインドネシアにヌサンタラ・ジャヤをもたらす英雄なのである。

 以下ネット上で見つけた『ウゴ・ワンシット・シリワンギ 』とそれに関する論考を紹介する。まずは『ウゴ・ワンシット・シリワンギ 』の本文から。(もとネタは『JALAN SETAPAK MENUJU NUSANTARA JAYA』というサイトです。)

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ウゴ・ワンシット・シリワンギ
(訳)
プラブ・シリワンギは、彼がいなくなる前に、民にパジャジャランから退くことを命じた。
『皆の忠誠によって、我らの旅は今日ここに至った。しかし資金の不足と餓えによって、これ以上そなたらとあることは困難となった。明日、また明後日、後の日に生き、豊かになり、パジャジャランを再興する日がくるであろう!今のパジャジャランではなく、新しいパジャジャランへ時を旅するのだ!選ぶが良い!我は止めないだろう。餓え、貧しき民の王たるには、我はふさわしくないから。』
聞かれよ!我に従う者は、南へ行くのだ。捨てて来た都へ戻りたい者は北へ、権力を握った王の元へ仕えたいのなら、東へ行くのだ!何者にも従わぬという者は、西へ行け!
聞かれよ!東に向かう者、汝と汝の子孫、兄弟ら他の者たちは権力者に仕えよ。しかし心せよ、後の日に彼らはそなたらを思いのままに支配するだろう。報復の機会を待つ者は、行くが良い!そなたらは西方へ向かうのだ!キ・サンタンを探せ!そうすれば、そなたらの子孫は、そなたらの兄弟や他のものを忘れないだろう。その地の良き心を持ち、志を共にする兄弟たちのもとへ行け。後の日に、真夜中、ハリマン山から助けを求める声が聞こえるだろう。それが合図だ。そなたらの子孫たちはチャウェネの谷で結婚を求める者によって呼び出される。耐え忍ぶのだ。いつの日か湖は溢れ出す!行くがよい!忘れるな!振り返ってはならぬ!
北へ行く者たちよ!聞かれよ!そなたらは街を知らぬ。目の前にあることに専念せよ。そなたらの子孫たちの多くは普通の民となるだろう。いかなる権力者といえども、権力を持ち続けることはできない。いつの日か来訪者たちが、遠くから、厄介な来訪者たちがやって来る。気を付けるのだ!
そなたらの子孫たちが訪問してくるだろう。しかし、決まった時、必要なだけにとどめるのだ。我は彼等が善き心を保ち続けていれば、助けを必要とする時また帰って来る。その時我は、目には見えぬ、そして我の言葉も聞くことはできない。彼らが良き心を持っている時だけ、彼らがひとつの志をもち、それを理解している時、それは真直ぐで良識ある行動をもつ真実の香りを理解するということであり、そうであれば我は帰って来る。我が姿無く、声も無く返って来たとき、芳香があるであろう。この日からパジャジャランは世界から消え去るのだ。街が消え、国が消える。パジャジャランは継ぐ者を残さない。受け継ぐ者たちの名のみが残るのだ。
仕える者の中にも心から服していない者が多いことの証に。しかし、いつの日かいなくなった者たちが再び集うことの出来るように。それは単なる礎にしかなれないかもしれない。さらに言うなら、多くの者たちは、利口者のふりをしている傲慢な者たちである。
これからたくさんのことに出会うだろう。ばらばらなかたちで。指導者は交替し、彼らが禁じるから。勇気をもって続けるのだ。禁じられたということは気にせず、闘いながら探し、笑いながら闘え。彼こそが子どもの牧者、アナ・グムバラ〈ボチャ・アンゴン〉である。その家は川のほとりにあり、その扉は石の高さ、ハンデウレウムの木とハンジュアンの木に閉ざされている。彼の率いるのは何か?水牛ではなく、羊でもなく、虎でもなく、牛でもない。しかし枯れ葉のついた枝、切った木の杖をもっている。彼は探し続ける。そして出会ったものすべてを集めるのだ。歴史・事件でいっぱいになる。ひとつの時代が過ぎ去り、また時代が訪れる。そして歴史・事件となる。各々の時代が歴史を作る。毎回それが繰り返されるのだ。
聞かれよ!我々の敵は、しばらくは栄えるだろう。チバンタエウン川の岸辺は乾き、牛小屋はからになる。おお、それこそ、白い水牛によって、国は破壊され、彼らは高みに立って都を支配し、そして王たちは鎖に繋がれる。白い水牛が支配権を握り、我々の子孫たちは使役される。しかしその支配は、多くの選択肢と贅沢に満ちているから、支配とは感じられないだろう。それからは、操られる猿の生き方となる。いつの日か我々の子孫たちは意識をもたげるときが来る。しかしそれは、夢から覚めるようなものだ。多くのものが失われ、さらに多くのものが壊される。たくさんのものが歴史に埋もれ、たくさんのものが盗まれ、売られてしまう!子孫たちの多くは、時代が変えられてしまったことを知らないだろう!そのとき、国中で騒動が起こる。扉は、指導者に率いられた彼らによって壊される。しかしその指導者は誤った方向を向いているのだ!
政をする者は隠れ、都は空となり、白い水牛は逃げ去る。国は猿に侵され破壊される!子孫たちよ笑ってよい。しかし笑いは断ち切られる。というのも、市場は病で物が無くなり、田は病で枯れ果て、稲は病で尽き、庭は病で荒れ果て、女たちは病で妊娠する。すべてが病に冒される。子孫たちは病の臭いにおびえる。どんどんひどくなる病に、あらゆる道具が使われる。為すのは我らの民族自身である。多くが餓えで死ぬ。それから我々の子孫たちは、作物を栽培しようと、土地を開拓する。彼らは時代が、また物語を変えたことに気付かない。かくて北の海から、かすかなうなりが聞こえて来る。鳥たちは、卵を孵す。大地は騒々しい!そこから?戦いが頻発し、仲間同士が傷つけ合う。そこここで病が猖獗し、かくて子孫たちは暴れ回る。定めなく大暴れし、多くの者が罪無くして死ぬ。明らかに敵であった者が友となり、明らかに友であった者が敵となる。突然、銘々勝手に指導者が乱立する。混乱に混乱が増し、多くの幼子がすでに父となっている。力ある者が台頭し、無差別に暴れ回る。白い者は破壊され、黒い者は追いやられる。多くの者が暴れ回り、島々はますます混乱し、巣を壊された蜂と変わらない。故郷は破壊され、追いやられる。しかし……止める者がいる。それは抗う者である。
かくてまた、ふつうの人の中から支配者が立ち上がる。しかしそれは古の支配者の子孫であり、神々の島の娘がその母である。あきらかに支配者の後裔であるがゆえに、新しき支配者は激しく迫害される!かくてまた時代は変わる。時代は変わり、物語は変わる!いつなのか?長くはない。夕刻に月が現れた後、続いて明るく輝く彗星が通り過ぎる。我らの旧き国に、またひとつの国が建てられる。国の中の国、そして指導者はパジャジャランの後裔ではない。
かくて支配者が現れる。しかし城を建てた支配者ではなく、彼は開くことを許されない。扉を建てた者は閉めることを許されない。道の半ばに水が溢れ出て、ブリンギンの木で鷲を飼う。まさしく支配者は盲目だ!盲目を強いられたわけではないが、目が見えない。すべての病と苦しみ、悪しき者と盗人が困難に陥った民衆を損ねる。ひとたび、勇気ある者は思い出すであろう。追われる者はその全てが苦しむものではなく、彼を思い出した人である。ますます多くの支配者が盲目となり聾者となる。偶像に礼拝して支配する。かくて子どもたちは容易く誤った団結をし、会話をもとにして規則を作る。自身が理解できない規則を作る。当然のことながらすべての池は干上がり、農作物のすべてが枯れ果て、たくさんの米粒が変になる。なぜなら、約束するのはたくさんの詐欺師であり、ただの約束に銃を突き付ける。賢いが高慢な者が多すぎる。
そのとき、髭をはやした若者がやってくる。やって来た者は全身黒い服を着て、古ぼけたサロン(腰巻き)をひらひらさせている。すべての過ちを目覚めさせ、忘れたことを思い出させるが、採り上げられない。それゆえに、自分だけが勝つことを望む高慢な者たちは気付かない。火に渦巻く煙で、空が既に赤いことに。採り上げられるどころか、髭をはやした若者は獄に入れられる。かくて彼らは他人の土地をかき乱し、敵を捜す。しかし実はわざと的を作っているのだ。
気をつけろ!彼らはパジャジャランの物語を禁じるから。彼らはこの間に騒動が起こることを知るのを恐れているから。盲目の支配者は、白い水牛によりますます支配され、彼らは動物の行いによって人間が支配されている時代に気付かない。奇跡の到来を期待する民衆があまりに悲惨に扱われたので、盲目の支配者の支配は長く続かない。支配者は犠牲に供される。自身の行いのために。その時はいつか?アナ・グムバラが現れた時だ!そこではたくさんの騒動が起こるだろう。それはひとつの地域からどんどん長く、どんどん大きく、国の全土に広がっていくだろう。狂ったことを知らず、従う者は掴み取り、戦う。太った若者に率いられて!戦う理由は?土地を手に入れるためだ。持っているが更に求める者、一部を求める権利を持つ者。静かに覚醒した者だけが、見るだけで持ち続ける。
戦う者はかくて静まり、はっきりと意識する。彼らは空っぽの命令を受ける。金を持った者たちによって、土地は尽きていたから。支配者たちは戦う者たちを恐れ、国を失うことを恐れて隠れる。そして彼らはアナ・グムバラを探す。その者の家は川のほとりにあり、扉は石の高さ、ハンデウレウムとハンジュアンの木で青々としている。皆は生贄を探すが、もういない。髭の若者と一緒に行ってしまった。チャウェネ渓谷へ新しい土地を開拓しに行ってしまったのだ!
見つけたのは枯れ枝に止まって鳴く鴉だけだった。聞かれよ!時代は変わるだろう。しかし後の日に、セテラ・グヌン・ゲデ山が噴火し、七つの山もそれにつづく。全ての地が再び騒乱となる。スンダ人が呼び出され、スンダ人は許される。全ては再び良くなる。国はまたひとつになる。祖国に栄光が戻る Nusa jaya labi 。ラトゥ・アディル(公正の王=救世主)が立ち上がるから。本物のラトゥ・アディルが。
だがその王は誰か?サン・ラトゥの出身は?いつの日かそなたらは知るだろう。今は、若き牧者(グムバラ)を探せ。
さあ、行くのだ!忘れるな。振り返ってはならぬ!

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次回は別サイトでの、『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』の論考を紹介します。
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by gatotkaca | 2012-02-13 04:27 | 影絵・ワヤン | Comments(0)