ブログトップ

木から落ちた猿

gatotkaca.exblog.jp

タグ:パンドゥ ( 2 ) タグの人気記事

パムクソ〈パムソ Pamuksa〉(パンドゥの戦死)

a0203553_23424413.jpg


 パンドゥはマハーバーラタの主役パンダワ五王子の父である。今回はパンドゥをめぐる物語について下記のブログを紹介する。

 Radio Nusantara; Pamuksa ( Pandu Gugur)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
パムクソ〈パムソ Pamuksa〉(パンドゥの戦死)

 パンドゥ(サンスクリット語ではपाण्‍डु:Pāṇḍu パーンドゥ)は叙事詩マハーバーラタに登場する人物のひとりで、パンダワ Pandawa 五王子の父である。パンドゥは三人兄弟の次男であったが、クル族の王位継承者であり、ハスティナプラの王位を継承するはずの、長男ドゥレストロスト〈 Dretarasta ダストロストロ:ドリタラーシュトラ〉が盲目であったため、王位はパンドゥに継承された。パンドゥは超能力のイルム〈教義〉、英知に長けていたが、とりわけ政治的資質に恵まれていたからである。
 パンドゥは二人の妃をもった。クンティ Kunti とマドリ Madri 〈マドリム〉である。パンドゥ・デウォノト Pandu Dewanata 〈パンドゥの別名〉は、ひとりのルシ resi 〈僧侶〉に呪われ、子をつくることが出来なくなった。そのルシが鹿に変身して愛の営みを為している際に、パンドゥが射殺してしまったからである。パンドゥ・デウォノトの二人の妃は神に願って子を授かることになる。その後、パンドゥ・デウォノトは、かけられた呪いによって死んだ。マドリは炎に身を焼き、夫の後を追った。
 彼の名パーンドゥとは、サンスクリット語で青白いことを意味する。彼の肌が青白かったためである。そのわけは、母(アムバリカー Ambalika )が子をもうける際のプトロトパダナ Putrotpadana の儀式の時、顔を青ざめさせたからと言われる。
 ジャワ文化圏(古代ジャワ、スンダ)では、パンドゥはワンドゥ Wandu 、すなわち男でも女でも半陰陽でもない者から生まれたとされる。つまり sajeroning lanang ana wadon, sajeroning wadon ana lanang 、すなわち自身の内に両性を持つ者である。これはグスティ〈Gusti=主〉と僕(しもべ)がつねに信仰において一体であることを意味する。
 マハーバーラタによれば、ヴィチタラーヴィルヤ Wicitrawirya 〈ウィチトロウィルヨ〉はパンドゥの血を分けた父ではない。アムバリカーは子を得るためにビヤーサ Byasa 〈アビヨソ〉に委ねられるのである。アムバリカーはサティヤワティー Satyawati の命令で、ビヤーサの家を訪ね、恩寵を賜る。彼女は身を委ねようとした時、目を見開いていた。アムビカ Ambika 〈アムビコ〉の時、彼女が目を閉じたために生まれた子が盲目の子(ドリタラーシュトラ)となったからである。アムバリカーは目を開けたままでいたが、サン・ブガワン(ビヤーサ)の容貌魁偉なのを見て、その顔が青ざめた。こうして(彼女の子)パーンドゥは青白い姿で生まれたのである。

 パーンドゥは弓矢の技に優れていた。彼はドリタラーシュトラの軍を率い、彼のために王国を治めた。パーンドゥはダサルナ Dasarna 、カーシー Kashi 、アンガ Anga 、ヴァンガ Wanga 、カリンガ Kalinga 、マガダ Magadha 、その他の国々を征服した。パーンドゥはワンサ・ウレスニ Wangsa Wresni のクンティボジャーKuntibhoja 王の娘、クンティーとマドゥラ Madra 王の娘、マドリーと結婚した。森へ狩りに出掛けたとき、パンドゥは過って、妻と愛の営みをしている最中のルシを矢で射てしまった。サン・ルシはパーンドゥに、妻と交われば死ぬという呪いをかけた。失意のパーンドゥは森に入り、妻たちと共に苦行者のように暮らした。森の中でクンティーは彼女のもつ秘密の呪文を使って三人の神々を呼んだ。ヤーマ、ヴァーユ、そしてインドラである。三人の神々からそれぞれ息子を授かった。三人の息子とは、ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナである。〈一般にはクンティーが呼び出すのはダルマ、ヴァーユ、インドラの三神である。〉クンティーはマドリーにも神を呼び出す呪文を貸し与え、マドリーはアシュヴィン双神を呼んだ。この神からマドリーは双子を授かり、彼らはナクラ、サハデーヴァと名付けられた。
 彼らが森に暮らして15年たった。クンティーと五人の息子たちが離れている時に、パーンドゥはマドリーと交合しようとした。これによって、パーンドゥはかつてかけられたルシの呪いを受けて死にいたった。マドリーはナクラとサハデーヴァの双子に祝福を与え、クンティーに委ねると、自ら身を焼いて冥界へ旅立った夫の後を追ったのである。
 ワヤンではパーンドゥ(ジャワ語でパンドゥ Pandhu)はアビヨソ(ビヤーサ)とウィチトロウィルヨの未亡人アムバリコとの間の子である。さらにアビヨソはパンドゥ・デウォノトが成人するまでアスティノ王国の王位を継承する。
 パンドゥは美丈夫であったが、首が曲がっていたとされる。母がアビヨソを見た時、顔を背けたからであるとされる。ダラン〈ワヤンの上演者〉たちはマハーバーラタでは簡潔に描かれる若き日のパンドゥの物語を発展させた。
 たとえば、マトゥロ Mathura の従兄弟たちの結婚を手助けするなど、パンドゥが積極的に活躍する物語が展開する。パンドゥは神々に求められて、グオバロン Goabarong 国の蛇の化身たるラクササ王、プラブ・ノゴポヨ Nagapaya を倒す。その功績により、パンドゥはミニャ・トロ minyak Tala の香油という宝具 Pusaka を手に入れるのである。
 その後、パンドゥはマトゥロ国のサユムボロ〈嫁取り競技〉に勝利してクンティと結婚する。さらにサルヨ Salya 王を破り、その妹マドリムを獲得する。その帰途で、プロソジュナル Plasajenar 国のプラブ・グンドロ Gendara を負かして妹のグンダリ Gendari も手に入れる。このグンダリは、パンドゥの兄ダストロストロに委ねられることとなる。
 パンドゥはアビヨソに代って王位に就き、『プラブ・パンドゥ・デウォノト』また『プラブ・ゴンドワストロ Gandawakstra 』と称した。彼はポンチョロ Panchala 国の王子ゴンドモノ Gandamana を大臣として共に国を治めた。このゴンドモノという人物は、後にグンダリの弟でずる賢いスンクニ Sangkuni (Sengkuni)によって追い落とされることになる。
 二人の妃とパンドゥから、パンダワと呼ばれる五人の息子たちが生まれる。マハバラタの書によれば、この五人はパンドゥ実の子であり、神から授かった子ではない。神々は彼らの誕生を手助けしただけであると語られる。たとえば、バトロ・ダルモ Dharma はユディスティロの誕生を、バトロ・バユはビモの誕生を手助けするのである。パンドゥの五人の息子たちは〈インド版〉マハーバーラタに語られるように、森の中で生まれるのではなく、すべてアスティノ国で生まれる。
 ワヤンにおけるパンドゥの死は、マドリムとの交合ではなく、自身の弟子であるプラブ・トルムボコ Trembokoとの戦いによるものである。

 その物語によれば、あるとき、マドリムがバトロ・グルの乗用獣であるルムブ・アンディニ牛に乗って遊興したいと望んだ。パンドゥは妃の望みを叶えるため天界に願い出た。寿命を縮められ、地獄 neraka に落とされることを条件として、バトロ・グルは許しを与えた。パンドゥとマドリムはルムブ・アンディニの背に乗って遊興に出掛けた。彼らは満足して、牛をバトロ・グルに返した。幾月か後にマドリムはナクロとサデウォの双子を生んだ。
 こうしてパンドゥの短命は運命づけられたのである。スンクニの煽動によって、パンドゥは自身の弟子であるプリンゴダニ国のラクササ王トルムボコとの戦いに巻き込まれた。この戦いはパモクソ〈パムソ Pamoksa、Pamuksa〉の名で知られる。この戦いでトルムボコはパンドゥの矢に斃れたが、パンドゥも敵のクリス(短剣)『キヤイ・コロナダ Kyai Kalanadah 』で傷を負った。この傷が原因でパンドゥは病に伏せた。彼が亡くなったので、アスティノ国は、パンダワたちが成長するまで、デストロストロの手に委ねられたのである。パンドゥとトルムボコの息子と娘は後の日に結婚することになる。ビモとヒディムビ Hidimbi (アリムビ)である。彼らの間にラクササと人間の血を引く混血のクサトリア、ガトコチョが生まれることになる。

Prabu Tremboko
a0203553_23424659.jpg



 パンドゥの死の物語を指すパムクソという語は、ヒンドゥー教のモクシャ moksa という語に由来すると思われる。『パムクソ』において、パンドゥの肉体は滅んだが、その魂は地獄に落とされた。その救済は、後の日における彼の次男、ビモの奮闘による。数年の後、パンドゥは天界 surga 〈ショルガ〉に入ることを許されるのである。よりドラマティックな別のヴァージョンもある。そこでは、パンドゥとマドリムは神との約束を違えず地獄にとどまる。彼らが地獄にとどまることで息子たちが地上で成功を得ることができるなら、自分たちのことは問題ない、というのである。息子たちパンダワの献身を目の当たりにして、すでに彼は天界をその身に感じていたのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 このラコン(演目)名『Pamuksa』の語は、先に紹介した"Perang Kritik Pamuksa; Rohmad Hadiwijoyo "の記事ではpamuk(英雄)+sa(同等の)からなる語との説をとっていたが、こちらでは名詞形を作る接頭辞 Pa+muksa (moksya)=解脱ではないか、との説である。
 しかし、このラコンの中でパンドゥは死ぬが、まだ天界には入らない。バトロ・グルとの約定によって地獄 Naraka もしくは天界の火山チョンドロディムコの火口に落とされるのである。通常の解釈では、彼が昇天するのは、ラコン『ビモ・スワルゴ Bima Swarga 』もしくは『パンドゥ・ポポ Pandhu Papa 』〈近年の変容では『プンドウォ・ピトゥ Pandawa Pitu』〉において、ビモを始めとする息子たちパンダワ五王子からの救済を得た後である。パンドゥ戦死を扱うこのラコンでは、彼と匹敵しうる強敵トルムボコとの戦いが描かれるわけだから、Pamuk+sa 説の方が理論整合性は高いのではないかと思われるが、正確なところは、現段階ではわからない。
 ラクササの国プリンゴダニは、マハバラタ演目群の人気者、ガトコチョの故国として著名だが、インド版マハーバーラタには存在しない。ジャワでもカカウィンの時代にはまだ設定が無い。中世以降の変容の中で生まれた設定のようである。プリンゴダニとガトコチョの話はそのうち項を改めて話したいと思っている。今回はここまで。
[PR]
by gatotkaca | 2012-12-05 00:13 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

プラン・パムソ Perang Pamuksa

 幾百のラコン(演目)を通じてのワヤンの大河ドラマ的主題は、大戦争ということになるだろう。ラマヤナのプラン・ブブル・アルンコもそうだが、マハバラタでは通常四つ(一説では三つ)の大戦争が描かれている。下記に紹介するのは、ワヤンの大戦争のひとつと、(インドネシアの)民主党 Partai Demokrat 内の紛争をからめて論説した記事。2012年の7月だから、ちょいと古いけれど、政治記事とワヤンの物語の絡みが興味深かったのと、マハバラタの四大戦争のひとつ、プラン・パム(ク)ソを明解に説明してくれているので紹介する。
 元ネタはここ
Perang Kritik Pamuksa
Rohmad Hadiwijoyo ; Dalang dan CEO RMI Group
MEDIA INDONESIA, 30 Juni 2012

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

両雄批判合戦 Perang Kritik Pamuksa
ロフマド・ハディウィジョヨ Rohmad Hadiwijoyo (ダラン、RMI〈Resources Jaya Teknik Management Indonesia〉グループCEO )
2012年7月30日メディア・インドネシア


 しばらく前に、スシロ・バムバン・ユドヨノ民主党理事長とアナス民主党会長との間の批判合戦が加熱した。きっかけは党の支持率の低下を巡っての当選可能性 elektabilitas への疑念からであった。

 SBY〈ユドヨノ〉は民主党外部から切望されている、政治的慣習の一掃を民主党幹部で実行できる者は誰もいない、と声高に宣言した。その理由として、〈政治の清浄化は〉民主党の目にはさらなる浸食の原因としてしか映らないであろうというのである。
 アナスは民主党の当選可能性は、政府の動向と切り離せない関係にある、したがって、大衆の信頼を獲得するためには、SBY政権はリーダーシップを示し、懸命に働かなければならない、と述べた。

 確執が続けば、民主党自体のみならず、国家、民間への悪影響も懸念されることになる。これは大統領としてのSBYの立場にも係って来る。

 一方、事実はインドネシアの国家としての失速を示している。非営利研究機関ファンド・フォー・ピース The Fund for Peace と、雑誌フォーリン・ポリシー Foreign Policy 誌の報道によれば、インドネシアは国家の失速により危険状態に向かっている178ヶ国中63位にランクされたというのである。

 ファンド・フォー・ピースはインドネシアの経済成長と政治改革の成果を認めたが、いまだ汚職、暴力、教育、健康、環境といった重要な問題が未解決のままであることも指摘したのである。

知恵を絞れ Kearifan lokal

 SBYとアナスは寛大さを示し、互いのエゴを棄て、結束を固め直す以外に道はない。すべての建設的批判を受け止めることが、前進することであり、それが国民と民主党双方のためでもある。

 アスティノ国のプラブ・パンドゥ・デウォノト Pandu Dewanata とプリンゴダニ国のプラブ・トルムボコ Tremboko の決闘を見てみるがいい。この戦いで恩恵を受けたのは、戦いを煽ったアルヨ・スマン Harya Suman 〈スンクニ〉とコラワたちだけだったでなないか。

 昔々の話、ワヤンの物語の中には、四つの大戦争が語られている。プラン・パムソ Perang Pamuksa 、グントロヨノ Guntarayana 、ゴジャリスト Gojalisuta 、そしてバロトユド Baratayuda である。

 プラン・パムソはパンドゥとトルムボコの戦い、グントロヨノはニウォトカウォチョ Niwatakawaca とブガワン・チプトニン Begawan Ciptaning 〈アルジュノ〉の戦い、ゴジャリストの戦いとは、父であるドロワティ国王プラブ・クレスノとその息子プラブ・ボモ・ノロカスロ Boma Narakasura との戦い、そして最後のバロトユドはパンダワとコラワの戦争である。

 パンドゥとトルムボコの紛争は、誤解が生んだものである。ことが大きくなったのは、パンドゥの政敵であるスマンのようなオポチュニストたちが、二人の王の関係を悪化させようと謀って挑発、中傷を為したからである。

 パンドゥとトルムボコは最初は師と弟子の関係であり、二人は非常に協調していたのである。ラクササ〈羅刹〉姿のトルムボコは、パンドゥの超能力を高く評価しており、パンドゥから卓越したイルム〈教義〉と超能力の護符を学んでいたのである。

 二人の争いは、互いの個人的問題で多忙になったことから始まった。パンドゥは妊娠中の妻〈第二夫人〉のデウィ・マドリムの願いに悩んでいた。マドリムはグル神の所有するアンディニ牛に乗りたいと切望したのである。

 それゆえパンドゥは国を護るための集中力と注意が散漫になっていた。
 同様にトルムボコも双子の子の誕生をむかえていた。師への敬意を表するため、トルムボコはパンドゥに双子、つまりブロジョドゥント Brajadenta とブロジョムスティ Brajamusti の名付け親となってもらおうと考えていた。

 同盟国として、トルムボコは毎月アスティノ国へピソワナン Pisowanan 〈表敬訪問〉を行っていた。しかし、今回は双子の誕生で多忙なため、トルムボコはアスティノへ訪問 sowan 出来なかった。そのためトルムボコはパンドゥへ書簡を送ったのである。
 しかし書状がパンドゥの手元に届く前に、コラワの叔父、スマンが内容を書き換えてしまった。許しを乞う手紙が宣戦布告に変えられてしまったのである。
 スマンの動機は、パティ・ゴンドモノ Gandamana に代ってアスティノの大臣になることを画策していたのである。

 パンドゥは手紙を手にしたが、その内容を完全に信じ込んだわけではなかった。
 それゆえ、パンドゥはトルムボコに確認するため、パティ・ゴンドモノを使節として派遣した。
 パンドゥの思惑を知ったスマンは、先にトルムボコへ偽の手紙を送った。その偽書にはパンドゥがプリンゴダニを滅するためにゴンドモノを送ったと記されてあった。

 スマンの戦略は抜け目無かった。プリンゴダニへ向かうゴンドモノを、国境線でトルムボコの軍が待ち伏せしていたのである。
 ゴンドモノはスマンの用意していた井戸に落ち、閉じ込められてしまった。井戸に落とし、プリンゴダニのラクササ軍が石、土をかけ、生き埋めにしてしまった。スマンはゴンドモノは死んだと思いこんだ。

 パンドゥはプリンゴダニへ派遣したゴンドモノが何日たっても戻らないので思い悩んだ。かくてパンドゥ自身がプリンゴダニを訪問することにしたのである。

 パンドゥの計画を知ったスマンは、先にプリンゴダニに向かい、トルムボコを煽ってパンドゥを襲わせた。アスティノ王に歯向かったことになるトルムボコには他の選択肢は無かった。ついに師と弟子の一騎打ちとなってしまった。二人の偉大な王の戦いはプラン・パムソと名付けられた。〈Pamuksa:pamuk=英雄、sa=同じ(力の)〉

共倒れ

 両雄の力は拮抗していた。パンドゥがクリス〈短剣〉・プラングニ Pulanggeni を抜き放てば、トルムボコはクリス・コロナダ Kalanadah を抜く。一瞬のつばぜり合いのうち、プラングニにその胸を貫かれ、トルムボコは斃れた。

 パンドゥがトルムボコの死を確認しようと近づいたとき、パンドゥはまだトルムボコの手にあるコロナダを踏んだ。パンドゥはコロナダの毒で斃れた。

 物語の意図するところは明らかであろう。如何なる戦いといえども、エレガントな戦いなどというものは無いのである。プラン・パムソも然り、SBYとアナスの批判合戦もまた同じである。

 民主党には、党内部の紛争を終わらせて結束を修正するための時間がまだ一年半ほど残っている。SBYとアナスは現在の不利な状況とコミュニケーションを改善するために協力する事ができるはずである。

 今こそ二人は力を合わせて、失速する国と党の安定を図るため、エネルギーを集中させなければならない。真摯な誠意をもってすれば、必ずや社会の広がりを感じ取ることができるだろう。そして大衆は必ずや支持するはずである。二人が犠牲となるプラン・パムソの轍を踏んではならない。徳をするのはスマンと扇動者たちだけなのだから。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 というわけで、現代の政治状況とワヤンの話を絡めて語るのがジャワの人たちはお好きのようである。私はパルタイ・デモクラットのその後はよく知らないが、ワヤンの物語の方は、この後アルヨ・スマンは復活したゴンドモノにとっちめられて散々殴られ、きれいな武将の姿が、醜いスンクニの姿になったということになっている。パンドゥがプリンゴダニ絡みで死ぬというプロットは比較的最近のものではないかと思われるが、私が1998年頃に見たキ・マンタプ・スダルソノの上演した『スンクニの生涯 Banjaran Sengkuni 』ではこのプラン・パムソのヴァージョンが用いられていていきなり冒頭で、パンドゥとトルムボコが一騎打ちを始めたのでびっくりした憶えがある。ということで、次回はパンドゥのお話をします。
[PR]
by gatotkaca | 2012-12-01 02:22 | 影絵・ワヤン | Comments(0)