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木から落ちた猿

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ティムン・マス物語は予言だったのか?

 ティムン・マス Timun Mas 物語の新解釈(珍解釈?)がインドネシアの考古学雑誌のサイトにあった。ジャワの人は予言がお好きなようである。

元記事はここ

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ティムン・マスと泥流災害 Timun Emas dan Lumpur Lapindo
             Oleh: hurahura | 19 September 2010

 国立マラン Malang 大学考古学部、ドウィ・チャフヨノ Dwi Cahyono は東部ジャワブリタール県 Kabpaten Blitar のチャンディ・プナタラン Candi Penataran (祀堂)のレリーフに見られるパンジ Panji 物語を調査した(9/6水曜日)。チャンディ・プナタランにはパンジ物語に関するレリーフがたくさんある。コムパス(2010年9月18日土曜日)よりーーー

 パンジ物語は単なる昔話しではない。解釈によっては、その語りを通して未来の人々の生活をも物語っているのである。詩、シムボル、隠喩を通して未来を予言したジョヨボヨ Jayabaya やロンゴワルシト Rongggowarsita に近いものがあるのだ。『ティムン・マス Timun Mas 』の物語のトゥラシ terasi (エビや魚のペースト)が泥の湖 Lumpur Lapindo になったという話もそうである。

 例えばエンティ(エンティト) Enthit の物語である。エンティは鼻にかかった声で話す農民であったという。彼は美しい姫、ラギル・クニン Ragil Kuning を誘惑しようとする。そのために、彼は豊かな水田(lemu )、伸びた豆(dawa )、そして太く実ったキュウリ(menthek )を見せて自慢した。しかし、フクロウが月に憧れるのたとえのように、エンティの望みはラギル・クニンに断られて叶わなかった。
 エンティはパンジ物語の時代の農民像を描いているだけでなく、未来の物語でもあった。エンティの鼻にかかった声は身体障害を表している。これは社会学的に農民の声というものがいかに卑俗で惨めに〈差別的に〉扱われていたかということを物語っている。逆説的にその卑俗さは相手の共感を得る事もできず、その願望に耳を傾けさせることもないのである。
 肥沃な土地は農業共同体が富を得られることを保証せず、またラギル・クニンによって比喩的に表されている願望(黄色=kuning は金であり、金とは富みである)に到達できることも保証していないのである。なぜか?農産物の収穫高が高くとも、農産物の代価は低いからである。
 古典的な物語〈時代〉の農家は収穫時には安価で、種付け時には値が高騰していた。またジャワにおける土地所有率の平均は0.3ヘクタールであり、一家族が暮らして行くには不十分であった。彼らは自給自足を旨としていた(生産と消費の経済関係は無い)。彼らは、ジェームズ・C・スコット James C Scott の記したところによれば、首まで海に浸かっていて、波が来れば溺れ死ぬような状態であった。

『バ・ブト・イジョウ Mbah Buto Ijo 』

 パンジ物語には資本主義経済システムに関する『予言』が含まれている。その昔、ボ・ロンド Mbok Rondho という未亡人がいた。彼女は子どもがほしいと願っていた。そこへバ・ブト・イジョウ Mbah Buto Ijo という名のラクササ(魔物)が、願いを叶えてやろうとやって来た。ブト・イジョウは、後でその子を餌食としてくれることを条件に出した。望みが叶うなら、とボ・ロンドは承知した。
 この昔話では、ボ・ロンドがティムン・ウマス Timun Emas (金のキュウリ)という名の娘を得るにいたった詳しいプロセスは説明されていない。ティムン・ウマスが年頃になって、ボ・ロンドはあの約束を思い出した。しかし彼女は娘をブト・イジョウの餌にする気はなかった。
 かくてボ・ロンドはティムン・ウマスを連れてグンドゥル山 Gunung Gundul 〈禿げ山を意味する〉の苦行者を訪ねた。その苦行者からティムン・ウマスは、敵を撃退する四つの武器を授かる。それは、針とキュウリの種、塩、そしてエビのトゥラシ terasi 〈魚やエビのペースト〉であった。苦行者は言った。ブト・イジョウに追いかけられたら、これらの武器をひとつづつ投げつけるように、と。
 ブト・イジョウが約束をはたしにやって来た。ボ・ロンドとティムン・ウマスは約束を反故にしてほしいと頼んだが、ブト・イジョウはティムン・ウマスの体を見て、〈食欲を〉こらえることができなかった‥‥。
 ティムン・ウマスは針を投げつけると逃げ出した。すると鬱蒼と茂る樹々が現れたのである。ブト・イジョウはその樹々を引き抜きながら、ティムン・ウマスに迫って来た。追いつめられて、ティムン・ウマスはキュウリの種を投げた。するとそれは丸々太ったキュウリの畑となった。ブト・イジョウはやすやすとその作物を抜き取ってしまった。
 ブト・イジョウが迫って来て、ティムン・ウマスは塩を投げた。すると海になった。ブト・イジョウは海を渡り、ティムン・ウマスを捕まえそうになった。危機一髪、ティムン・ウマスがトゥラシを投げると、それは泥の湖となった。泥の湖は広がり、ブト・イジョウは溺れてしまったのである。
 この物語は人々が資本主義システムというラクササ(魔物)に直面していることをあらわしていると解釈できる。ボ・ロンドという人物は極貧にある民衆のメタファーである。ティムン・ウマス(金のキュウリ)は富と財産のメタファーである。富を得ようとすると、民衆は資本主義という力の到来を経験する。それはブト・イジョウで象徴されるものである。ブト Buto またラクササ raksasa とは通常、悪や貪欲の性質を持ち、無慈悲なもの(mentalan)である。システムの結合(ijon)という解釈もできるだろう。
 資本主義が自由を与えてくれる事は無い、それどころかそれは施しもない。人間性というものに与することはないのである。つねに考慮されるのはよりおおきな利益だけ、それは投資であり施し物のふりをしたまがいものである。
 ティムン・ウマス、つまり富を呑込むために、資本主義は農地、森、そして海までも呑込んでしまう。そして資本主義というラクササはその強欲、貪欲、傲慢によって、大地を溺れさせてしまうのだ。
 ティムン・マスの物語に含まれる教えは、人間は強欲、貪欲であってはならないということである。助けの手を差し伸べるときは、見返りを求めてはならないのだ。
 人間性に対する悪行は大地の怒りをかうであろう。パンジ物語の一部として誰もが知っているティムン・ウマスの物語は泥流洪水(lumpur Lapindo )
の事件に関わっている。先の『オタッ=アティッ・マトゥッ othak-athik mathuk 解釈〈othak-athik mathuk=ばらばらにして組み替えること〉』によれば、この噴き出し口の場所は11世紀のジュンガラ Jenggaka 王国の宮殿にあるという。
 『そこには多くの考古学的遺品、たとえば石のテラス、台座、石のテーブルなどがあり王の居所であると言われている。王族用の沐浴ため池もある。しかし、その全ては泥に埋まっている。』とM・マーダシー M Mirdasy は言う。シリン Siring 村の住民も泥の直撃を受けている。
 それから、噴出口の中心より800メートル東にバンジャル・パンジ Banjar Panji 村がある。
 『バンジャル・パンジとは、そこにパンジたちの、あるいは貴族、あるいは軍司令官の可能性もある、の家があったことを意味する。理論的には、噴出口の中心部には王宮はもちろん、バンジャル・パンジ村のパンジ族の集落があったということになる。また多くの考古学的証拠から、そこにはチャンディ・パリ Candi Pari のようなジュンガラ政府の中心部があったと思われる。またそこは以前チャンディがあったところで、村の祀堂 Kelurahan Candi もあった可能性が高い』と、マラン国立大学考古学部のドウィ・チャフヨノ Dwi Cahyono は言う。
 その『オタッ=アティッ・マトゥッ』解釈を増補するのは、トゥラシがシドアルジョ Sidoarjo の寓意をなしていることである。海となった塩は噴出口から約5キロのジャワ海である。グンドゥル山は噴出口の南にあるワトゥコセク Watukosek 山と解釈できる。
 であるから、かの泥流災害は『オタッ=アティッ・マトゥッ』解釈で予言として届けられていたのである。そして予言は現実となった。善意も、争いも、愛も、悪事も、欲も傲慢も、すべての価値を呑込む泥の火山の悲劇が‥‥。
(アンワル・フディヨノ Anwar Hudijono とドディ・ウィスヌ・プリバディ Dody Wisnu Pribadi )

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※シドアルジョ Sidoarjo の泥流洪水、またルムプル・ラピンド Lumpur Lapindo (泥の湖を意味する)災害という名で知られる。災害は2006年6月29日以降、東部ジャワ州シドアルジョ県( Kabupaten Sidoarjo ) ルンクノンゴ村 Desa Renkenongo バロンノンゴ地区 Dusun Balongnongo のラピンド・ブランタス株式会社 Lapindo Brantas Inc の掘削現場で起こった。泥熱水流が数ヶ月に及んで噴出したため、付近の地区の住宅、農地、工業地に浸水被害をまねき、東部ジャワ州の経済活動に影響を与えた。くわしくはここ
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 え〜‥‥、内容はともかくティムン・マスがパンジ物語と関係あるという記述(パンジ物語の一部である)には興味をひかれたので、機会があれば調べてみたいと思う。
 なお、シドアルジョの災害は2013年現在も進行中であることを申し添えておく。
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by gatotkaca | 2013-01-31 00:34 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

アンデ・アンデ・ルムトの物語 Ande-ande Lumut

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 この物語もパンジ物語のひとつとして有名なものである。我が師、松本亮の『悲しい魔女 インドネシアの物語』(1986年筑摩書房刊)でも紹介されているから、ご存知の方もあるかと思うが、というよりそちらを読んで頂くのがすじなのだが、この本は現在絶版らしいので、一応このブログでも紹介しておく。興味のわいた方はぜひ『悲しい魔女』を読んで頂きたい。子ども向けの体裁をとってはいるが、インドネシア全般の民話とワヤンの物語を紹介し、なおかつインドネシア文化の内奥を記した名著である。

 ここではResourceful-Parentingというサイトで紹介されていたものを訳す。
 元の記事はこちら


アンデ・アンデ・ルムトの物語(東部ジャワの民話)

 昔々、クディリKediriとジュンガラ Jenggala というふたつの王国がありました。ふたつの王国はもともとはカウリパン Kahuripan というひとつの国だったのです。アイルランガ Erlangga 王が自分の息子たちが、兄弟同士争うのをさけるため、その国を二つに分けたのです。けれどもアイルランガ王は亡くなる前に、ふたつの国は、いずれひとつに戻らなければいけない、と言い残しました。

 それで二人の王たちは、王国を一つに戻すため、話し合い、ジュンガラ国の王子ラデン・パンジ・アスモロバグン Raden Panji Asmarabangun とクディリ国の王女デウィ・スカルタジ Dewi Sekartaji を結婚させることにしたのです。

 クディリ王の側室である、スカルタジの継母はスカルタジとラデン・パンジの結婚を望んでいませんでした。というのも、彼女は自分の実の娘をジュンガラ国の王妃にしたいと考えていたからです。そこで彼女はスカルタジとその母を捕まえて閉じ込めてしまいました。

 スカルタジとの結婚のために、ラデン・パンジがやって来た時には、王女はすでに行方不明になっていたのです。ラデン・パンジはとてもがっかりしました。継母がスカルタジの代りに、自分の娘を王子に薦めましたが、ラデン・パンジは断りました。

 そのあと、ラデン・パンジは放浪の旅に出てしまいました。名前もアンデ・アンデ・ルムトと変えました。ある日、彼はダダパンという村に着きました。そしてボ・ランド・ダダパン Mbok Randa Dadapan という夫を亡くした女の人と知り合いました。ボ・ランドは彼のお母さんになり、二人は一緒に暮らしたのです。

 そのあと、アンデ・アンデ・ルムトはお母さんに頼んで花嫁候補を探していることを皆に知らせてもらいました。するとダダパンのまわりの村々から娘たちがぞくぞくとやって来てアンデ・アンデ・ルムトに結婚を申し込みました。でも彼のお嫁さんとして認められる人は誰もいませんでした。

 さて、スカルタジの方は継母から逃れることが出来ました。彼女はラデン・パンジに会いたいと思っていました。彼女はさまよい歩いて、ある夫を亡くした女の人の家に辿り着きました。その人には三人の娘がおり、娘たちの名は、クレティン・アバン Klething Abang (赤いクレティン)、クレティン・イジョ Klething Ijo (緑のクレティン)、クレティン・ビル Klething Biru (青いクレティン)といいました。彼女はスカルタジを子どもとして迎え入れ、クレティン・クニン Klething Kuning (黄色いクレティン)と名付けました。

 クレティン・クニンは毎日家の掃除や、着物の洗濯、台所の食器洗いなどをさせられました。ある日、クレティン・クニンが疲れ果てて泣いていると、一羽の大きなコウノトリが飛んで来ました。クレティン・クニンが怖くなって逃げ出そうとすると、コウノトリは言いました。『怖がらなくても良いんですよ。私はあなたの手助けに来たのです。』

 コウノトリが羽ばたくと、クレティン・クニンが洗おうとしていた着物がすっかりきれいになっていました。台所の食器もきれいになっていました。こうしてコウノトリは帰っていきました。

 コウノトリは毎日クレティン・クニンの手伝いに来てくれました。ある日、コウノトリはクレティン・クニンにアンデ・アンデ・ルムトのことを話し、結婚の申込みに出掛けるように、と言いました。

 クレティン・クニンはあっかさんにダダパンへ行くお許しをもらおうとしました。おっかさんは仕事がすべて終わったら、と言いました。彼女はクレティン・クニンがやりきれないほどの着物を洗うようにといいつけました。

 そのいっぽうで、おっかさんは自分の三人の娘をアンデ・アンデ・ルムトの花嫁候補として出掛けさせました。途中に大きな川がありました。渡ろうにも橋も舟もありません。娘たちが困り果てていると、彼女たちに近寄って来る大きなラクササ(怪物)のカニがいました。

 『俺の名はユユ・カンカン Yuyu Kangkang 。あんたたちは向こう岸に渡りたいのかね?』

 彼女たちはもちろん渡りたかったのです。

 『それなら、何かご褒美をおくれ。』

 『お金が欲しいのかい?いくらだね?』おっかさんが尋ねました。

 『お金なんかいらないよ。あんたの娘たちはとってもきれいだ。娘さんたちにキスしてほしいんだ。』

 娘たちはユユ・カンカンの言葉にびっくりしましたが、他に方法はありません。しかたなく承知しました。ラクササガニは娘をひとりづつ背に乗せて川を渡ると、お礼にキスしてもらいました。

 ボ・ロンドの家に着くと、彼女たちはアンデ・アンデ・ルムトに会いたいと言いました。

 ボ・ロンドはアンデ・アンデ・ルムトの部屋をノックして言いました。『息子よ、見てごらん。きれいな娘さんたちが、あなたと結婚したいと言ってやって来たよ。どの子をお嫁さんにするか、選びなさいな。』

 『お母さん。』アンデ・アンデ・ルムトは言いました。『あの娘たちに言って下さい。私はユユ・カンカンのお手つきを、お嫁にする気はないよって。』

 おっかさんと三人の娘たちはアンデ・アンデ・ルムトの答えを聞いてびっくりしました。あの人はどうして、彼女たちがラクササガニと会ったことを知っていたのだろう?彼女たちはがっかりして帰りました。

 家では、クレティン・クニンはコウノトリの魔法の力をかりて、仕事を終えることができました。コウノトリは彼女に一本の杖をくれました。

 おっかさんはクレティン・クニンに、アンデ・アンデ・ルムトに会いにいくためのお許しをくれるよう頼みました。おっかさんはしかたなく許してくれましたが。クレティン・クニンの背中にニワトリの糞をなすりつけました。

 クレティン・クニンは出発しました。大きな川に着きました。ラクササガニは彼女を向こう岸に渡してやろうとやって来ました。

 『きれいな娘さん、向こう岸に渡りたいのかい?お手伝いしましょうか?』ユユ・カンカンが言いました。

 『けっこうですわ、ありがとう。』クレティン・クニンはそう言って、はなれていきました。

 『ちょっと待って、お金はいらないから、ちょっとキスして‥‥あ痛っ!』

 クレティン・クニンはコウノトリにもらった杖でユユ・カンカンを殴りつけました。ラクササガニは怖くなって逃げてい行きました。

 クレティン・クニンはまた川に近づくと、杖をもう一度ふりました。川の水がふたつに開いて、彼女は川をこえることができました。

 クレティン・クニンはボ・ロンドの家に着きました。ボ・ロンドは鼻をつまみました。といのも、クレティン・クニンの服からはニワトリの糞の臭いがしていたからです。娘を招き入れるとアンデ・アンデ・ルムトの部屋に行きました。

 『アンデ、息子よ。きれいな娘が来たけれど、あなたが見るまでもないわ。臭くって、ニワトリの糞の臭いがするの。帰ってもらいますから。』

 『お会いしましょう。お母さん。』アンデ・アンデ・ルムトは言いました。

 『でも‥あのこは‥。』ボ・ロンドが言いました。

 『あのこは、ユユ・カンカンの手を借りずに川を渡って来たただ一人のこです、お母さん。あのここそ、ずっと待っていた娘なのです。』

 ボ・ロンドはだまって、アンデ・アンデ・ルムトと娘に会いに行きました。

 クレティン・クニンはアンデ・アンデ・ルムトを見てびっくりしました。彼こそ婚約者のラデン・パンジ・アスモロバグンだったのです。

 『スカルタジ、とうとうまた会えたね。』ラデン・パンジは言いました。

 ラデン・パンジはこうして、スカルタジとボ・ロンド・ダダパンを連れて、ジュンガラ国へ帰りました。ラデン・パンジとデウィ・スカルタジは結婚し、クディリとジュンガラの二つの国はまたひとつになったのです。


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 この物語はアジアのシンデレラ物語類型のひとつとして、『シンデレラ 9世紀の中国から現代のディズニーまで』アラン・ダンダス編/池上嘉彦・山崎和恕・三宮郁子 訳(1991年紀伊国屋書店刊)でも紹介されている。そこで紹介されているヴァージョンではパンジ物語とはされておらず、ルムトと黄色のクレティンはパンジとスカルタジにはならないが、三人の色違いのクレティンやコウノトリ、怪物蟹のユユ・カンカンといった話素はすべて揃っている。この物語も、もともとは別のものだったのが、時代を下ってパンジ物語とされたという可能性もあるだろう。わざわざ『シンデレラ』などど比較せずとも、『パンジ物語』自体がさまざまなヴァージョンを有しているので、文化人類学、また比較文学的研究素材としても十分興味深い素材であるといえるだろう。
 とはいえ、西洋人が見ると『パンジ物語』もシンデレラになるのかと興味深くはある。私などがみると、『パンジ物語』はシンデレラというよりは『君恋し』なのだが。

(おわり)
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by gatotkaca | 2012-12-15 22:56 | 切り絵 | Comments(0)

ケオン・マス(黄金のカタツムリ)の伝説 その2

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‥‥さて、第三の物語はこのようなものです‥‥。

ケオン・マス

 物語はカウリパンKahuripan 王国のラデン・イヌ・クルトパティ Raden Inu kertapati がダハ Daha 王国の王女の一人に求婚しようとしたことから始まる。その時、ダハ国はクルタワルマ kertawarma 王の治世であった。クルタワルマ王には二人の娘がいた。上の娘はプトゥリ・チョンドロ・キロノ Putri Chandra Kirana といい、とても美しく、やさしい娘であった。下の娘の名はプトゥリ・ガル・アジュン Putri Galuh Ajeng といったが、甘やかされて育ったのでわがままな娘であった。ラデン・イヌ・クルトパティはどちらの娘を妃にするか迷って、二人をテストしようと考えた。そのテストとは、二つのゴレgolek 〈木偶〉人形の包みを送ることであった。一方の包みはぼろ切れで、もう一方は美しいカイン〈布〉で包まれていた。わがまま娘のガル・アジュンが最初に選び、美しいカインの方を取り、残った方をチョンドロ・キロノが取った。ガル・アジュンが包みを開くと、入っていたのは普通の人形で、彼女はがっかりした。チョンドロ・キロノの方には美しい人形が、ラデン・イヌ・クルトパティからのプレゼントと一緒に入っていた。

 ガル・アジュンの心は嫉妬と失望でいっぱいになったが、長老たちの前では表に出すことはできなかった。そこでガル・アジュンは裏から魔術を使ってチョンドロ・キロノを陥れようと考えた。チョンドロ・キロノがいつもの河でマンディ〈沐浴〉している時、ガル・アジュンはドゥクン dukun 〈魔術師〉の力を借りて、彼女をケオン・マス〈金色のカタツムリ〉の姿に変えてしまったのである。

 魔法をかけられたことに気付いたチョンドロ・キロノであったが、彼女に出来るのは昼となく夜となく、ただ祈ることだけであった。彼女は元の姿に戻ってラデン・イヌ・クルトパティと再会できるようにと祈った。彼女の祈りは神々の耳に届き、神々は彼女がラデン・イヌ・クルトパティと再会できれば元の姿に戻れるという恩寵を与えてくれた。それだけでなく、神々の助けでダダプ Dadap 村のロンド・ダダパン Randa Dadapan という老婆が招き寄せられたのである。彼女が洗濯をしているところにケオン・マスが現れ、彼女はそれを愛しく感じてケオン・マス(チョンドロ・キロノ)を飼う事にしたのであった。

 ロンド・ダダパンは善良に日々を暮らしていた。ロンド・ダダパンが毎日出掛ける度に、チョンドロ・キロノは人の姿に戻って家事をしてあげるのだった。ロンド・ダダパンは自分がいないうちに家の仕事が片付いているので不思議に思った。部屋は掃除されているし、料理も出来上がっている。そしてとうとうケオン・マスが家事をしているところを見つけた。彼女は自分が誰で、どうしてこのようになったのかを話した。

 場面変わって、ラデン・イヌ・クルトパティはチョンドロ・キロノがいなくなったことで心乱れていた。そこで彼は少数の部下を連れてチョンドロ・キロノを探しに出掛けたのであった。

 旅の途中で、彼はチョンドロ・キロノに呪いをかけたドゥクンに出会った。ドゥクンはラデン・イヌ・クルトパティの旅を邪魔立てしようとして、烈しい戦いとなった。如何なるときも真実は勝つ。かのドゥクンはラデン・イヌに斃されたのであった。

 チョンドロ・キロノの行方が分からず、絶望しかけた時、ラデン・イヌは飢えて弱っている老人と出会い、彼を助けた。その老人は神の化身であった。こうしてラデン・イヌはダダパン村を指差す像を賜った。すぐさまラデン・イヌはダダパン村を目指した。村に着くと、おいしそうな料理の香りがしてくる。彼はその香りに誘われて香りのする方へ向かった。香りに誘われて台所に入ると、そこにはランダ・ダダパンと共に、愛するチョンドロ・キロノが立っていたのである。離れて久しい恋人たちはこうして再会した。チョンドロ・キロノはダハ王国に帰還した。ガル・アジュンは驚きと恐怖と罪悪感で絶望し、崖から海に飛び込んで自殺してしまった。

 チョンドロ・キロノとラデン・パンジ・イヌ・クルトパティは結婚し、幸福に暮らした。

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 第四の物語。

ケオン・マス

 クルトマルトkertamarta 王はダハ国の王様です。王様には二人の娘がおりました。その名はデウィ・ガル Dewi Galuh とチョンドロ・キロノ Candra Kirana といいました。二人ともとても美しく良い娘でした。チョンドロ・キロノはカウリパン国の皇太子、ラデン・イヌ・クルトパティと婚約していました。ラデン・イヌ・クルトパティは賢くて良い心をもった人でした。

 けれどチョンドロ・キロノの姉妹のガル・アジュンはチョンドロ・キロノを妬み、ラデン・イヌの気を魅こうとしていました。それで、ガル・アジュンはチョンドロ・キロノに呪いをかけるため、魔術師のおばあさんのところへ行きました。ガル・アジェンがチョンドロ・キロノの悪口を言い立てたので チョンドロ・キロノは宮殿から追い出される事になってしまいました。チョンドロ・キロノが海岸を歩いていると、魔術師のあばあさんが現れ、彼女をケオン・マスに変えて海に投げ込みました。ケオン・マスは、彼女が婚約者と再会できた時、その魔法が解けるのです。

 ある日、ひとりのおばあさんが網で魚穫りをしていた時、ケオン・マスが網にかかりました。おばあさんはケオン・マスを持ち帰り、水瓶に入れました。その翌日、おばあさんはまた魚釣りに出掛けましたが、一匹の魚も穫れませんでした。けれど彼女が小屋に戻ると、おいしそうなお料理が並んでいたのでびっくりしました。おばあさんは誰がこの料理を用意してくれたのか、と不思議でなりませんでした。

 次の日もおばあさんが出掛けて帰ってくると同じ事がおこっていました。次の朝、おばあさんは出掛けるふりをして、何が起こっているのか覗いてみました。するとケオン・マスが美しい娘に姿を変え、料理を始めました。おばあさんは尋ねました。『きれいな娘さん、あんたは一体誰だね?』『私はダハ王国の王女です。私を妬んだ姉のために、呪われてケオン・マスになっているのです。』とケオン・マスは言いました。そしてチョンドロ・キロノはまたケオン・マスの姿に戻ってしまいました。おばあさんはそれを見てとてもおどろきました。

 いっぽう、イヌ・クルトパティ王子はチョンドロ・キロノが姿を消してしまったので、じっとしていられませんでした。彼も庶民に変装して彼女を探しに出掛けたのです。魔術師のおばあさんはそれを知ってカラスに変身してラデン・イヌ・クルトパティの邪魔をしようと考えました。ラデン・イヌ・クルトパティはカラスが言葉を話し、彼の目的も知っていたので驚きました。超能力のカラスだと思い、その言葉に従いましたが、実は間違った方角を教えられていたのです。ラデン・イヌが旅を続けると、お腹をすかせて弱っているおじいさんと出会いました。このおじいさんは良い人で超能力もありました。そしてラデン・イヌをカラスから助けてくれたのです。

 おじいさんが杖でカラスを打つと、カラスは煙になってしまいました。おじいさんに教えられて、ラデン・イヌはチョンドロ・キロノの居場所を知る事が出来ました。ラデンはダダパン村へ向かいました。何日も歩いてダダパン村に着くと、持っていた水が無くなってしまったので、とある小屋の近くに行き、水を一杯もらおうとしました。そして窓から中を見るととても驚きました。なんとそこで、彼の婚約者が料理をしているではありませんか。とうとう魔法が解けました。ラデン・イヌと再会できたからです。そこへ小屋の主人であるおばあさんがやって来ました。チョンドロ・キロノはラデン・イヌにおばあさんを紹介しました。ラデン・イヌは婚約者を王宮につれて帰りました。そしてチョンドロ・キロノは、ガル・アジュンの行いをクルトマルト王に話しました。

 王様はチョンドロ・キロノに詫びました。ガル・アジュンは罪を問われました。怖くなったガル・アジュンは森に逃げ、谷にすべって落ちてしまいました。間もなくチョンドロ・キロノとラデン・イヌ・クルトパティの結婚式が行われました。良い心を持ったダダパンのおばあさんは王宮に招かれ、彼らは幸せに暮らしました。

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 害虫としてのケオン・マスから、ケオン・マスの伝説をいくつか紹介してみましたが、社会の発展の構造がつかめましたか?まだ読んでいないなら、また読んで下さいね。へへへ‥‥。良い読書を‥‥。


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 ということで、ケオン・マスの物語が四つ紹介されていたのだが、細かいところの異なるヴァージョンは他にもあるようで、ケオン・マスだけでもさまざまであることが分かる。第一の物語は、パンジ物語ではないヴァージョンで、この説話に類するものが、もしかしたらケオン・マス説話の原型に近いのかもしれないが、断定はできない。第三、第四の説話では、パンジ物語の主要な敵役であるガル・アジュンが登場し、第三の物語では、有名な『ゴレ・クンチョノ(Golek Kencana 〈黄金の人形〉』も挿話として取り入れられている。ガル・アジュンは他のパンジ物語でも登場して憎らしい役を与えられており、『パンジ・スミラン』などは特に有名である。
 パンジ物語はケオン・マス以外にもまったくストーリーの異なる物語が多種存在し、マレーシア、スマトラ、ジャワその他の地域に広範に広がっている。ジャワ王家のワヤン・ゲド Wayang Gedog でもパンジ物語が題材とされている。パンジ物語のさまざまなヴァージョンに関してはジャワの碩学プロボチョロコが『パンジ物語比較論 Cerita Panji dalam Perbandingan, oleh Dr. Poerbatjaraka. 1968. Gunung Agung 』という著作をあらわしている。筆者はまだ手に入れていないのだが、読んでみたい本である。
 ところで本物(生き物)のケオン・マスであるが、この記事を見る限りでは1980年代に入ってからジャワ島で大繁殖したとのことである。伝説のケオン・マスと今ケオン・マスと呼ばれているゴールデン・アップル・スネイルは別物ということであろう。あとから来た外来種が金色っぽかったので、ケオン・マスと呼ばれるようになったということか。それと、ケオンはよくカタツムリと訳されるのだが、生態を見ると水性の巻貝(たとえばタニシとか)の仲間なのではないかと思われる。まあ、keong という語が両方を含む概念なのかもしれないが。物語の中のケオンも、ひろったおばあさんが水瓶の中で飼うとあるから、「カタツムリ枝を這い」の方ではなくて、タニシの類いではないかと思われるのだが、どうであろうか。

(この項おわり)
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by gatotkaca | 2012-12-13 17:44 | 切り絵 | Comments(0)

ケオン・マス(黄金のカタツムリ)の伝説 その1

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 ケオン・マス(黄金のカタツムリ)という話はインドネシアではわりと有名で、ジャカルタのタマン・ミニ・インダ*にあるIMAXシアターは、カタツムリの形状でその名を『ケオン・マス』という。
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 中では3D映画を見られるそうである。私は建物の前までは行ったのだが、中に入ったことはない。
 ケオン・マスのお話は、ワヤン協会のインドネシア語勉強会で、テキストになったので知っていたのだが、ケオン・マスと呼ばれるカタツムリそのものについては知らなかった。
 今回は、本物の(生きている)ケオン・マスのこと、そしてケオン・マスの物語の異説を4ヴァージョン紹介してくれているブログを紹介する(元の記事はここ)。

 *インドネシアの島々を縮尺したものや、27州を代表する民族調のパビリオンが並ぶミニチュア・テーマパーク。各パビリオン内部では、昔の王族の生活を再現したり、工芸品・服飾などインドネシア各地の伝統と文化が紹介されている。


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伝説と日常の間に

 ケオン・マス〈Keong Mas:黄金のカタツムリ〉、この物語を聞いた事のある人は多いだろう‥‥、けれど、この物語(ケオン・マスの童話)にいくつかのヴァージョンがあることをご存知であろうか?(害虫としての)ケオン・マスについてはいささかご存知であろうが…、我々の想像力を刺激するケオン・マスの伝説の背景についてはどうです?‥。

ケオン・マス『のろまさん〈Si Lelet〉』、稲の害虫
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 ケオン・マス(Pomasia canaliculata Lamarck)、またGAS(ゴールデン・アップル・スネイル)として知られるこの生き物は、稲の害虫とされている。ケオン・マスは軟体動物の一種である。稲の害虫とはいえ、ケオン・マスは様々な分野で活用でき、経済効果へのポテンシャルを持ってもいる。

 このカタツムリは、ブラジル、スリナム、グアテマラといった南アメリカの沼地を発祥の地としている。当初ケオン・マスは1980年代頃に台湾からもたらされた。1981年、この生き物はヨグヤカルタ〈ジョクジャカルタ〉の水族館に導入され、1985〜1987年の間に急速にインドネシア全土に広がった。

生態
 この軟体動物は澄んだ水に棲息し、豊富な水性植物と泥を生活の基盤とする。水流がゆるやかで、水の溜まった湿った場所に棲息する。ケオン・マスは旱魃が生じても、6ヶ月ほども生き延びる事が出来る。この生物はpH5〜8、摂氏18°〜28°の範囲の水中で生活する事ができる。温度が高ければ、ケオン・マスは動きも、成長も速くなり、摂食量も増える。温度が下がると泥の中に入って休眠状態となる。摂氏32°を超えると高い確立で死亡する。

 カタツムリは雌雄同体である。交尾は四季を通じて行われる。ケオン・マスは毎月1,000〜1,200、毎週200〜300個の卵を産む事ができる。ケオン・マスの最も有害な成長段階は、10mm(トウモロコシの粒ほど)から40mm(ピンポン玉ていど)の大きさの頃である。

 この成長段階に入ると、ケオン・マスは夜間に水田や畑の水や小枝といった物に産卵し、卵は7日〜14日で孵化する。スサント Susanto の調査によれば(1995年)、幼態のケオン・マスは水中で貝殻が1.7〜2.2mmの大きさにいたると孵化する。二日程度で貝殻は堅くなる。

 2〜5mmの若いケオン・マスは藻類や植物の柔らかい部分を食べる。成長の初期段階は15〜25日間である。26〜59日の間はひじょうに貪欲に摂食する。60日齢に達すると繁殖可能となる。ケオン・マスは年間を通じて水気のある場所で3〜4時間かけて交尾を行う。

 成体は4センチほどの貝殻径で、10〜20グラムくらいになる。貝殻の成長は、形成栄養素としてのカルシウムの摂取量による。また周囲で摂取できる栄養素豊富であれば、殻は大きく固くなる。2〜6年生き、繁殖力も高い生物である。

有力な稲の害虫
 この生き物は水田の若い稲や苗床を害する。一平方メートルあたり10〜15匹に密集して、ケオン・マスは水田の稲を3日程度で全滅させてしまう。水田の水を濁らせ、その被害は水田に大きな損害を与える(イスモン Ismon 2006年)。農家たちはしばしば種を全滅させられ、植え直さなければならなくなる。

 ケオン・マスは昔は人々に愛されていたが、長期間放置されてきたので、今や稲の主要な害虫となってしまった。1986年にはフィリピンで、灌漑稲作の約300ヘクタールが損害を受けた。1987年には9,000ヘクタールに、1990年の1月には、その被害は350,000ヘクタールにも及んだ。フィリピンの水田3万ヘクタールの内、1万2千から1万6千ヘクタールにこのカタツムリの被害は及んだのである。1990年には2億120万ペソがこの害虫を駆除するために費やされた。

 1989年、国際連合食糧農業機関( Food and Agriculture Organization、FAO)によれば、フィリピンの作付け面積の10〜40パーセントがこの害虫の被害を受け、生産に相当の損失を与えていると推定している。我が国でも、スマトラ、ジャワ、スラウェシからパプアにいたるほぼ全州で被害が発生している。

 インドネシアでは特に南ラムプン州〈Kabupaten Lampung Selatan〉で1992年6月までに、ケオン・マスの被害は4,500ヘクタールに及び、その棲息の人口密度は一平方メートルあたり2〜23匹に達した事が報告されている。スサントによれば、ケオン・マスの繁殖は1987年から始まり、1990年頃の〈行政の〉調査によれば八つの県〈provinsi〉がケオン・マスに汚染されたと言う(1995年)。これらの地域は北スマトラ、西ジャワ、中部ジャワ、ジョクジャカルタ、東部ジャワである。近年はカリマンタン、スラウェシといった他の地域にも広く分布して来ている。ケオン・マスは苗や種子を食べてしまうので、農地を害する害虫としてその被害が懸念されている。

代替タンパク源として
 ケオン・マスの人口管理において注目すべき二つの事柄がある。稲の重大な害虫であることと、タンパク源としての潜在的可能性である。鶏、魚、カニ、エビの飼料になるし、味も良く高タンパクであるから食品に加工することもかのうであり、民間の資金源として有効活用できるのである。スダルト Sudarto の意見では(1991年)、ケオン・マスは高タンパクの生物であるから、フィリピンで人間、家畜が消費するための動物として開発されているいるのも頷ける、と言う。ケオン・マスの肉の割合は、生体の総量の18パーセントに過ぎない。ケオン・マスの肉のタンパク質含有量は(乾燥重量の)54パーセントであり、直接魚に与えることも出来るが、事前に魚粉製品の処理を行う事で高濃度にする事も出来る。ボムベオ-トゥルバン Bombeo-Turubanのエビに関する実験(1995年)で、エビ肉の必須アミノ酸指数とケオン・マスのそれを比較した結果、ケオン・マスの必須アミノ酸指数(EAAI)は0.84程度であることが分かった。水産養殖の効率はアミノ酸含有度に依存するが、ケオン・マスと魚を与える場合とが同等であることが分かったのである。

 家畜資料、魚の養殖、さらに食品、医薬品その他の経済的有用性といった分野で、ケオン・マスは大規模かつ継続的に活用可能である。というのもこれらを満たす生物学的要件のほとんど全てを満たす生き物だからである。ケオン・マスは一般的な水辺で生活可能であり、成長も速く、繁殖力も高いので、池などでの養殖も比較的簡単にできる。

 イル・スリスティオノ博士 Dr. Ir. Sulistiono
 ボゴール農業大学 Institut Pertanian Bogor (FPIK-IPB)、水産資源管理学科 Departemen Manajemen Sumberdaya Perairan 主任研究員。

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 さてこれから、ガラッと変わって最初に言った『ケオン・マス』伝説になります。昔話しの始まり始まり‥‥。

ケオン・マス

 昔々、ガロラン Galoran という若者がいました。彼の両親は身分が高く裕福でしたので、彼は大事にされていました。でもガロランはとても怠け者だったのです。毎日両親の財産を無駄遣いするばかり、両親が亡くなった後もさらに無駄遣いが多くなるばかりです。だから両親の残してくれた財産も日が経つにつれて減っていくばかりでした。けれどガロランはそんなことにはおかまい無しで、のんびり散歩をして過ごしていました。村人たちはそんな彼をあわれんでいました。彼に仕事をくれる人があっても、ガロランは何もしないで食べて寝るだけだったのです。ガロランは裕福な未亡人と一緒になりました。ガロランは大変喜んで『愛の芽とおかずがやって来た』と思っていました。

 その未亡人にはジャムベアン Jambean という名の娘が降り、彼女はとても賢く、機織りが上手でした。ジャムベアンの織物が素晴らしい事は、村中に知れ渡っていました。でもガロランはこの継子を嫌っていました。いつも怠けている彼はしょっちゅうジャムベアンに諭されていたからです。

 ガロランの憎しみは深まり、彼は継子を殺そうとたくらみました。彼は妻に険しい口調で言いました。『おい、お前、ジャムベアンは俺に逆らってばかりだ。親に意見するなどもってのほかだ!一体どういう事だ?』『こらえて下さい、あなた。ジャムベアンはあなたのためを思っていっているのです。』妻は彼をなだめた。『これ以上俺に無礼を働くようなら、俺は家を出て行く!』彼は目をむいて怒鳴った。『そんなことは駄目よ、あなた。ジャムベアンはただ、あなたに働いてもらいたいと思っているだけなのよ。』妻は夫の怒りを和らげようとした。『けっ、くだらねえ。お前は俺か、娘かどっちかを選ぶんだ!』こう言ってガロランは脅した。

 ジャムベアンの母は悲しみにくれました。心乱れて母は昼も夜も泣き続けました。彼女は泣きながら、『お父様は、ジャムベアンを苦しめようとなさっている。私の娘、ジャムベアン、こちらにいらっしゃい。』泣きながらやさしく言いました。『ちょっと待って、お母様。織物が少し残っているの』ジャムベアンは答えました。『さあ終わったわ。』ジャムベアンは悲しいんでいる母のそばにとん行きました。『お母様、何を悲しんでいらっしゃるの?』やさしく尋ねました。母はジャムベアンの父が、彼女を殺そうと考えていることを話しました。ジャムベアンは悲しげに言いました。『お母様、もう悲しむことはありません。私はお父様のお望みにしたがいます。私の幸せは、お母様が幸せになることなのです。』と。『でもひとつ、お母様にお願いがあります。私がお父様に殺されたあと、私の体を埋めないで、堤に投げ入れてください。』彼女はそう言うのでした。深い悲しみのうちに母は頷きました。とうとうジャムベアンは継父に殺されてしまいましたが、母はジャムベアンの願いの通りに彼女の体を堤に投げ込んだのです。すると、不思議なことにジャムベアンの頭と体はエビとカタツムリに変わったのでした(ジャワの言葉でケオン keong と言います)。

 ダダパン Dadapan 村に、ボ・ロンド・サムベガ Mbok Rondo Sambega とボ・ロンド・スムバディル Mbok Rondo Sembadil という後家さんの姉妹がおりました。二人の後家さんはとても貧しくて。薪を拾い、タロイモの葉を拾って、ようやく暮らしておりました。ある日、二人はタロイモの葉を探すため堤を閉じました。すると金色に輝くエビとカタツムリがいたので、二人はとても驚きました。『なんて素晴らしいエビとカタツムリなんでしょう。』ボ・ロンド・サムベガが叫びました。『この色を見て、金色よ。飼ってみたいわ。』『まあ、なんて美しいのかしら。このエビとカタツムリを持って帰りましょう』ボ・ロンド・スムバディルは答えました。そしてエビとカタツムリを拾うと家に持ち帰りました。二人はエビとカタツムリを土の瓶に入れました。金のエビとカタツムリを飼うようになってからというもの、二人の生活が変わったのです。二人が仕事から帰ると、台所におかずが用意してありました。そして家の中もとてもきれいに片付いていたのです。ボ・ロンド・サムベガとボ・ロンド・スムバディルはとても驚きました。ある日、二人は誰がこんなことをしてくれているのか調べようと考えました。

 ある日、二人はいつものように薪とタロイモの葉を探しに出掛けるふりをして、外に出るとすぐに戻って来て台所を見張りました。台所から音がするので二人が覗くと、二人の飼っているエビとケオン・マスのいる土瓶の中から美しい娘が現れたのです。『きっとあれは金色のエビとケオン・マスの化身よ。』ボ・ロンド・サムベガはボ・ロンド・スムバディルに囁きました。『さあ、エビとケオン・マスに戻ってしまう前につかまえましょう。』とボ・ロンド・スムバディルに囁きました。二人はそっと台所に入って、料理をしている娘を捕まえたのです。『さあ、早く言いなさい。あんたはこの世の人なの?』ボ・ロンド・サムベガは言いました。『それともビダダリ〈天界の妖精〉かい?』。『いいえ、私はふつうの人間です。両親に殺され捨てられて、エビとカタツムリに姿を変えていたのです。』ジャムベアンはやさしく答えました。話を聞いた二人は心動かされ、ケオン・マスは二人の養子になりました。それ以来、ケオン・マスは織物をして姉妹の暮らしを助けました。その織物は素晴らしく美しいので、国中で評判になりました。そして二人の後家さん姉妹は裕福になったのです。

 その織物は王国の都にも届きました。若い王様は、織物を作ったケオン・マスに心を魅かれました。王はその織物の作り手を探そうと、自ら織物商人に変装して王宮を出ました。とうとう王様はケオン・マスを見つけました。そして彼女の美しさと織物の腕前に心魅かれたのです。王様は後家さん姉妹にケオン・マス、つまりジャムベアンをもらいたいと願いました。王宮に入って、妃に向かえたいと言うのです。後家さん姉妹の何と幸せだったことでしょう。

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 二つめの物語はこのようなものです‥‥。

ケオン・ウマスの伝説

 ケオン・ウマス Keong Emas 〈emas=mas〉はパンジ物語のひとつである。パンジ物語は東部ジャワ、中部ジャワの地域で良く知られた物語である。ケオン・ウマス以外にもパンジ物語としてアンデ-アンデ・ルムト Ande-Ande Lumut やゴレ・クンチョノ Golek Kencono 〈黄金の人形〉といった話が著名である。これらの物語は何世紀にもわたって生き続けている。

 ケオン・ウマスにも二人の恋人たちが現れる。ジュンガラ Jenggala 国の王女、プトリ・ガル・チョンドロ・キロノ Putri Galuh Condro Kirono とダハ Daha 国の王子、ラデン・パンジ・イヌ・クルトパティ Raden Panji Inu Kertapati である。二人の幸福は、プトリ・ガルを無理強いして娶ろうとするアンタ・ブランタ Antah Berantah 国の王の登場で乱されることになる。王女はその王の求婚を避けて出奔し、名をデウィ・スカルタジ Dewi Sekartaji と変えた。

 デウィ・スカルタジの災難は、天界の支配者たちの知るところとなった。バトロ・ナロドは超能力で、逃げていたデウィ・スカルタジを助けるために、彼女をケオン・ウマスに変身させたのである。神の御心により、ケオン・ウマスの放浪が始まった。疲れを知らず、河を渡り谷をたどった。ケオン・ウマスの輝きに心魅かれ、ある老いた未亡人が手にとり、愛でた。その未亡人は、ボ・ロンド・ダダパン Mbok Rondo Dadapan といい、ケオン・ウマスを飼うことにした。ケオン・ウマスは水瓶の中で飼われることになったのである。

 次の日、いつものようにボ・ロンド・ダダパンは魚を捕りに河へ行った。家に帰って彼女はとても驚いた。家の中がきちんと整理され掃除されているではないか。それにテーブルの上にはおいしそうな料理まで並べてあった。一体誰がこんな親切を施してくれたのであろうか?ボ・ロンド・ダダパンにはケオン・ウマスが彼女をねぎらってくれていることなど知る由もなかった。

 そんな奇妙な出来事が数日続いた。ボ・ロンド・ダダパンはもう好奇心を抑えられなくなり、とうとう調べてみる事にした。家を出てしばらくしてから、彼女はまた戻って来たのである。彼女は入り口の扉につま先立って家の中を覗いていた。とつぜん、水瓶の中からとても美しい娘が現れた。娘は手早く家の仕事をこなすと、あっという間にまた水瓶の中に消えてしまった。ボ・ロンド・ダダパンは急いで水瓶の中を覗いてみたが、そこにはケオン・ウマスしかいなかったのである。

 翌日、ボ・ロンド・ダダパンはまた家を出たふりをして、外から家の様子を覗いていた。外から家の中の様子を覗いていると、あの美しい娘が現れたので、すぐにボ・ダダパンは家に飛び入った。そしてケオン・ウマスの貝殻を取ると粉々に割ってしまったのである。それを見て美しい娘は驚いた。ケオン・ウマスの旅は終わったのである。快く、その娘、実はデウィ・スカルタジは、ボ・ロンド・ダダパンの養女となった。デウィ・スカルタジの美しさはダダパンの村の遠くまで評判となった。

 デウィ・ガル・チョンドロ・キロノがいなくなってからというもの、ラデン・パンジ・イヌ・クルトパティは心落ち着かず、宮殿を出た。そして彼は最愛の妻を捜すため、彷徨っていた。放浪の間、ラデンはその名をラデン・パンジ・アスモロバグン Raden Panji Asmorobangun と変えていた。ダダパン村の美しい娘の噂は、ラデン・パンジ・アスモロバグンの耳にも届いた。その娘に会ってみたいと心魅かれたのも、ダダパン村で彼らを引き合わせようとの神の御心であったのだ。

 彼らの放浪の旅は、幸せの涙で終わりを告げた。ダダパン村で数日くつろいだ後、ラデン・パンジ・イヌ・クルトパティとプトゥリ・ガル・チョンドロ・キロノは王国へ帰還した。そしてケオン・ウマスの面倒を見てくれたボ・ロンド・ダダパンを伴う事も忘れなかったのである。

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(つづく)
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by gatotkaca | 2012-12-12 16:30 | 切り絵 | Comments(0)