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木から落ちた猿

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ふたたび、スマントリは見苦しい男か、それとも手本となる男か?

 スリ・ムルヨノ著「ワヤンの人物たち」("WAYANG DAN KARAKTER MANUSIA" oleh Sri Mulyono, PT GUNUN AGUNG-Jakarta, 1979)から。読者の意見に応えるムルヨノ氏。

ふたたび、スマントリは見苦しい男か、それとも手本となる男か?

 まずはトゥハン・ヤン・マハ・エサの恩寵に感謝と祝福を申し上げます。Alhamdulilah。今や実際にコタクとクリルでのダランを頼まれることがなくとも、リド ridho (神から与えられる愛・幸福)のおかげで、ペンと紙で「ダラン」をすることを許されたのですから。ブアナ・ミングや、毎週月曜夜のラジオ・サファリで、私はたくさんのお便りを頂きます。反対意見だけでなく、かつて私が受けたことが無い程の賞賛の文で「お褒め(mengalembana)」もいただき、ダランと観客のような筆者と読者の間の双方向の交流を得ました。
 このすべてのなりゆきに、本当に幸せを感じております。

 私の書いたことは、必ずしも受け入れられる必要はありません。不適切なこともあるでしょう。読者の皆さんには、記名でも匿名でも結構ですから、筆者個人宛でなく、直接ブアナ・ミング編集部へむけてお書きになることをお願いいたします。聖書にもあるように「人はみな違うから知恵がもたらされる」のですから。

 さて、スマントリについて。彼は見苦しい男か、それとも手本とされる人間かどうかということですが、ダランの行動規範として、ダランは「こうだと決めてはならない」のです。上演の最後にダランは木彫り人形の「ゴレ」を舞わせます。これは、観客に「ゴレコノ golekana 」つまり自分で意味を探すこと、を促すためです。

 存在論・形而上学的側面からの見地では、生きているものの存在は彼らが「偉大なる存在」によって創造されたと理解されなければならない。最高位の「存在」(causaprima)、それはそれが存在する以前に存在するものはなく、人間や他の全ての「クムリプKeumerip=小さな輝き」とつねに一対である。
(訳注:prima causa とはアリストテレスが提唱した【第一原因】のこと。事物生成の根本原因。自らは不動にして他を動かす「不動の動者」で、これが神であるとする。)

 悪と善、短いことと長いこと、昼と夜、過去と未来、男と女など。

 「偉大なる存在」には相反する全ての力が含まれており、包括され、調和と秩序が与えられている。その「部分」は対立し、相違し、無力である(「ワヤン、その起源、哲学、そして未来 Wayang, Asal-Usul, Filsafat dan Masa Depan 」255〜307頁をお読み下さい)。

 さて、スマントリについてはどうであろうか?

 スマントリに関しては、その存在に対する存在論的受容を明らかに否定し、拒んでいる。彼はスコスロノという名の彼の弟(アリ ari =救世主)を受け入れず、随行することも拒んだ。スコスロノは彼の地上での真のパートナーたる存在であり、スコスロノを失うことは、スマントリの存在もまた失われることを意味する。というのも、本質的に彼らはひとつであり、共にニルワナ(涅槃)に入ることが望まれているのである。

 倫理、道徳的見地から見れば、家を出立して以来、その心のうちでスマントリは、彼の武器と超能力の強さを誇示することを強く望んでいた。彼は、その超能力を打ち負かし得る者に仕えようとしていた。しかしスマントリを打ち破った者は、本当は彼自身の兄弟(弟)であった。つまり、森の中で困窮した時、そしてタマン・スリウェダリを建てた時である。けれど、彼を手助けしたスコスロノは、スマントリの手によって死に至った。どんな口実をつけようが、殺しは殺しである(ngunduh wohing panggawe 実った果実は採られる)。サルヨとバガスパティ、ガトゥコチョとコロブンドノのように。

 ウェドトモ Wedhatama を想起すれば、「生きている人はそんなことをしてはならない(Aja kaya mangkono wong urip)」のである。
(訳注:ウェドトモ 『スラット・ウェドトモ Serat Wedhatama』はマンクヌゴロ四世作とされる、モチョパット(詩形式の一種)の書。現在にいたるまでジャワ人の行動様式に影響を与え続ける書といわれる。ガムランなどでもよく唄われる。)

 ワダグ・ラヒラン wadag-lahiran (wadhag-lahiran =肉体・外面)的に見れば、彼は兵士であり、その職務の遂行に成功しなければならなかった。兵士にとって完璧なる死に様とは、戦いの中で英雄として死ぬことである。スマントリの成功は、スマントリ一人の成功ではなく、マエスパティの兵士や司令官たちと共同のものである。しかし、彼は勝利の後「突然」、超能力を競い合うために上司、国の首長に挑戦した。そしてその強力な武器、チョクロで「殺そう」とまでしたのである。一番「馬鹿げて」いるのは、「素早く ngglendem」、「不相応に lulu 」、ハルジュノ・ソスロバウによって王の衣装を与えられたことである。もし現在の司令官でこんなやつがいたら「反逆者」以外の何者でもないだろう。あるいは少なくともこうである。ウェドトモによると……。

" ........sumungah sesongaran yen mangkono kena ingaran katungkul, karem ing reh kaprawiran, Nora enak iku kaki."

"Kekerane ngelmu karang, kakarangan saking bangsaning gaib, Iku boreh paminipun. Tan rumasuk ing jasad, Amung sanjabaning daging kulup, Yen kepengkok pancabaya, Ubyane mbalenjani. " (pangkur 8 dan 9).

 意味は

 「自慢、自信過剰、心の猛りや超能力に夢中になって、用心を失えば、その旨味はなくなるよ、ンゲル (ngger=子どもへの呼びかけ)。」
 「信頼されるのは、珊瑚の知識と魔法の知識、それはちょうど白粉のようなもの、ただの粉、たんなるクリーム、身体の中に染み込むことはない。単に肉の外にはり付くだけ。おお、ンゲル、大きな危険にあったときは、それはそんなもの。信頼されず、約束を果たすこともできないよ。」

 ウェドトモは言う。"nulada laku utama, wong agung ing Ngeksi Ganda Panembahan Senapati, Kapati amarsudi, sudanen hawa lan nespu, pinesu tapa brata, tanapihing siang ratri, amemangun karyugyun, heninging tyas, memangun marta martini, susila hanuraga, wignya tyasing sesami."

 手短に言うと、「欲望を抑え、禁欲し、修行して、隣人の心を満たし、隣人を愛し、心の平安を愛し、平和と静けさを保ち、その言葉は穏やかで優しい、謙虚で、隣人やそのほかの人たちの心を慰めるのがうまい。」
 ウェドトモが言うのは主にこういう人のことである。

 さて、あらためてスマントリを、頭の中にある目で見てみよう。外側から見て悪いとか見苦しいとかを決めてしまう前に、彼の内面の悪、見苦しさはどうか。

 彼はまだ、その心の目で見ることができない(tan kawasa hanandukake jatining pandulu)。

 心の目でみることができるようになるために、ウェドトモによれば、:Hamung nyenyuda hardanig kalbu, pambukane tata-titi ngati-ngati, atetap telaten atul, tuladan marang wspaos,とある。その意味はこうである。「心の中の強欲・利己主義を減らしていくことだけ。はじめは定期的に、几帳面に、注意をはらって、勤勉に、怠けずに、そして安易さに誘惑されずに。それこそが賢い賢者の性質というものです。」

nuwun dan sumangga.
1976年6月9日、ブアナ・ミング

……………………………………………………………………………………………………………

 Lahir-Batin(肉体と精神)論に対しては、存在論(Ontology)、トリポモに対してはウェドトモ(共にマンクヌゴロ四世作)を対抗させるところが、心憎い。
 ダランは良い悪いは決めないものだ、と宣言しておきながらも、存在論だのウェドトモだのと言いつつ、なんだかんだいっても結局ムルヨノ氏はスマントリがお嫌いのようにしか思えないところが、とてもほほえましい。
 この本でのスマントリ論争はここでひとまず終わるのだが、ムルヨノ氏はこのあと、「トリポモ」に関する本も書いており、スマントリは再びそこでも採り上げられることとなる。
 ムルヨノ氏の言う通り、スマントリとスコスロノの物語に限らず、ワヤンの物語は結局、観た人自身がその意味を探ろうと努めることにこそ意味がある、というものなのだろう。まあ、どんなものでも出来の良いものはそうだけれど。
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by gatotkaca | 2011-11-02 11:09 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

デウィ・チトロワティは夫候補の選択に慎重であった

 スリ・ムルヨノ著「ワヤンの人物たち」("WAYANG DAN KARAKTER MANUSIA" oleh Sri Mulyono, PT GUNUN AGUNG-Jakarta, 1979)から。さらに読者の意見。当時はもりあがったようです。


読者の意見

デウィ・チトロワティは夫候補の選択に慎重であった

 多くの点で彼(彼女?)はいつもその考えを検討してバランスをとっています。
 (訳注:この文は唐突で意味不明。ムルヨノ氏のことなのか、本文にあるチトロワティのことなのか、判然としない)

 1976年4月18日付けブアナ・ミングにおいて、ヘルダラン・スリ・ムルヨノ氏は「ワヤンの人物たち」というコラムでバムバン・スマントリについてお書きになりました。その後、匿名のブ・デという人からの反論を受けました。お二人はバムバン・スマントリのネガティヴな面とポジティヴな面を強調されました。

 スリ・ムルヨノ氏は、この人物がもっぱら地位と階級を求めて徳を忘れるにいたったことを強調していました。一方ブ・デさんはバムバン・スマントリは「ガチョ・ウントゥル Gaco Untur」の引き手ではないことを示しました。彼は「ボチャ・ングヌン Bocah Nggunung (大山となる子)」としての指導者であるというポジティヴな面を示しまいた。その言によれば、スマントリは責任感あるパティ(首相)であるということです。一人で、彼は勇敢に敵に対峙したのだから。

 上記の主題に沿って、私も物語の主要人物のひとりで、上記お二人が触れなかった人物についてお話したいと思います。

 私の意見は、我が家でワヤンを上演されたダラン氏、名はG・C(故人)の物語に基づいています。十年来、私は彼のワヤン上演を楽しんできました。G・C氏は創造的で生産的なダランでした。
 たとえば、彼はひと所でダランをすると、他の所では異なるやり方をしました。ラコンが同じであっても。なぜ彼はそうしたのでしょう?

 そのわけは、彼は観客たちに直面することを望んだからです。言い換えれば、彼は観客たちがいまだかつて見たことも無いような場面を表すことができたのです。

 Bさんの所でのやり方では、彼はバムバン・スマントリのネガティヴとポジティヴな性質を示しました。Cさんの所では、デウィ・チトロワティの役所は、バムバン・スマントリにあれこれ泣き言を言う、といったように。そう、売れっ子で、退屈させないダランになりたければ、このようでなければなりません。

 スマントリはデウィ・チトロワティを妻にしたいと望む王たちを敗り、ファースト・レディとしてプラブ・ハルジュノ・ソスロバウに差し出すため、つれて帰ることに成功しました。彼女の望みはまだ会ったことも無い王に差し出されることであったでしょうか?たぶん、彼女は夫候補に対する戸惑いがあったでしょう。王宮の門の前で、彼女はバムバン・スマントリに交渉します。王様が私を妻として迎える前に、まずはバムバン・スマントリを相手に一ラウンド戦ってみてからにしてほしい、と。サン・デウィの願いに、王宮の方から「OK」の答えが返ってきます。一目見て王さまは、このふたりの若い男女が、共謀して王宮に害をなそうとしていると考えたのです。

 「ヘイ、スマントリ、お前の企みは知っているぞ。」Dak umpamaake wong ngemut gula krasa legi tangeh yen den lepeha(蜜を吸って甘さを知った者はもう吐き出せない、のたとえだな。)」

 一騎打ちがはじまり、最初はおふざけだったのが、次第に本気になり、ついにスマントリは敗れました。

 デウィ・チトロワティはようやく、王さまこそがバトロ・ウィスヌの化身であるということを知ることができました。こうして、それこそが最後の人、クティバン「サムプル」ketiban "Sampur" (注1)であり、彼が彼女の夫となったのです。

 はじめは、スマントリこそがバトロ・ウィスヌの化身であると思っていました。彼はチョクロ・バスコロという武器(ウィスヌの武器)を持っていたからです。でも彼女は、すぐにスマントリを選んだりはしませんでした。なぜなら彼女は、真実のバトロ・ウィスヌの化身がどこにいるのか、まだ知らなかったからです。それを確信するために、彼女は上記の一騎打ちを願ったのです。

 このように、デウィ・チトロワティは、感情に流されず、知性によって深く考えることのできる女性の手本となる人なのです。他の女たち、デウィ・スケシなどとは違うのです。(訳注:デウィ・スケシは、息子の名代で来たルシ・ウィスロウォと感情に溺れて結婚し、魔王ラウォノを含む、男三人女一人のきょうだいを産む)

1976年4月26日、ジャカルタ
Drs. A・S・ライス

注1.クティバン・サムプル Ketiban Sampur
 サムプルとはスキランsekilan(手のひらを広げた親指と小指の間の距離)幅の長い布(カイン・パンジャンの一種)で、ステージにいるダンサーが、観客にこの布を渡すと、渡された観客はステージに上がって踊らなければならない。ひるがえって「予期せぬ仕事・出来事」を意味する。
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by gatotkaca | 2011-11-01 01:13 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

スマントリとスコスロノ、魂と肉体の象徴

 スリ・ムルヨノ著「ワヤンの人物たち」("WAYANG DAN KARAKTER MANUSIA" oleh Sri Mulyono, PT GUNUN AGUNG-Jakarta, 1979)から。さらに読者の意見。これはやや突っ込んだもの。


読者の意見

スマントリとスコスロノ、魂と肉体の象徴

 ブアナ・ミング最新号の、ヘルダラン(ダランへの尊称)・スリ・ムルヨノ氏とブ・デさんの説に興味を引かれ、取り急ぎ私も別の角度からの意見を述べたいと思います。

 「イルム・ラサ(感覚的知)」の眼鏡をかけてワヤンの世界を眺めなければ、ワヤンが内包する教えに近づくことは出来ない。ワヤンの内には一般的には「明確」ではない、多角的に解釈され得る言葉や出来事でベールに包まれた教えが含まれているからである。であるから、感覚を研ぎすまし、内にあるものを調べ、見出さなければならないのである。

 スマントリとスコスロノは兄と弟であるが、その外見はひじょうに異なっている。スマントリは神のような完璧ですぐれた身体を持つ。一方、弟はとても醜い姿で、見た目はブト・バジャン(小さなラクササ)のよう、身体は侏儒で、醜い。

 これは魂と肉体からなる人間の存在をイメージしている。醜い外見のスコスロノは身体、美しいスマントリは精神(魂)、また洗練された身体である。スマントリとスコスロノは(訳注:一個の)人間の姿を描いているのである。

 スマントリがプラブ・ハルジュノ・ソスロに仕官(ゲゲル Ngeger)しようとしたことは、ある人間の魂がパンゲラン(トゥハン=神)を想起し、トゥハン・ヤン・マハ・エサ(唯一至高の神)に敬神し身を捧げることを切望したということを意味する。スコスロノにはそのようなことはなかった。というのも、人間の身体(肉体)はそういった高尚な理想を抱くことは無く、ただその精神(魂)によって支配されているに過ぎないからである。だからスコスロノは、スマントリについて行くことを望んだのだが、答えは「後で。」であった。これは、人間の魂(精神)がトゥハンに仕え、身を捧げようとするときは、まだ悟りの境地にはいたっていないから、身体(肉体)が伴うことに躊躇するものなのだ。(訳注:まず精神修養が先行するということであろう。)

 スマントリが自身の意思を表し、プラブ・ハルジュノ・ソスロに仕官が受け入れられた。しかし、ハルジュノ・ソスロは仕官を認めるための条件を出した。プラブ・ハルジュノ・ソスロに望まれる王女を連れてくることができたなら、と。スマントリは承知し、デウィ・チトロワティを連れて来ることに成功した。しかしスマントリはサン・プラブに王女を差し出す前に、ハルジュノ・ソスロの超能力を試したいと考えた。彼は王に仕えたいと願ったが、その王はスマントリを超える超能力の持ち主でなければならないからである。

 プラブ・ハルジュノ・ソスロの超能力を試したいという、スマントリの願いは快く受け入れられた。激しく、長い戦いが起こり、ついにスマトリはハルジュノ・ソスロに膝を屈し、サン・プラブの超能力を認めた。これは、「自身を捧げ、トゥハンに仕えることを人間の魂は、ラク laku (試練)を受けなければならず、それは容易く克服できるものではないが、受けなければならない『困難な試練』であり、この試練の全てはトゥハンに仕え、身を捧げるために必要なものである」ということを意味する。高尚な理想を抱く人間にとってはふつうのことである。しかし仕えることを受け入れられた人間の魂は、試練を達成したがゆえに、大きな誘惑にさらされる。うぬぼれて、人々に試練を与えるトゥハンの崇高さがどこまでなのかを試してみたくなるのである。人々がトゥハンの崇高さを確認しようとした時、人々ははじめて認めることを望み、トゥハンの民という感覚を得る。ということがこの物語において述べられるのである。

 デウィ・チトロワティをプラブ・ハルジュノ・ソスロに捧げた後、スマントリは仕官を受け入れられ、グスティ(主君)からの重い試練を達成したことに満足した。しかし、まだそれだけではなかった。ハルジュノ・ソスロはスマントリにさらなる試練を与えたのである。「タマン・スリウェダリ」を少しも缺けることなく移転させることである。スマントリがハルジュノ・ソスロの願いを実現できない時は、スマントリの仕官は受け入れられないのである。スマントリはひじょうに落胆した。全ての状態(出来事)が、トゥハンの崇高さを試そうとした人間に与えられた道であり、人々が、トゥハンの高貴なる性質と人間を超えた賢明さを理解する前の状態であることを意味する。これはトゥハンの超越性を試したいなどという傲慢な人間の魂に対する罰であり、それはさらに重いものとなるのである。この罰は人間の魂によって行うことが不可能なものであり、(試練としての)「タマン・スリウェダリ」を行うことは、人間の「肉体」の手によってなされなければならないのである。

 かくて魂(精神)は不安定になる。この困難を前にして、スマントリは兄弟、すなわちスコスロノを「求める」。彼はすぐさまスマントリの呼びかけに応え、花園の移転をやってのける。この若き兄弟は、共に仕えることを望んでいたから、仕官に同行する許しをえられるなら、スマントリの望みはどんなことでもするつもりであった。この意味するところは以下のようなものである。

 「魂」がその能力を超える困難な試練を受けるとき、かならず助けを求めることの出来る若き兄弟がいることを想起する。それは「肉体」である。「魂」はかくて「肉体」に願う。職務を果たし、仕官が受け入れられるように、と。もちろん「肉体」は承知する。「肉体」はただ「魂」(精神)の意志に従って生きるのみだからである。トゥハンへの献身と奉仕はそのようであり、「肉体」はとり残されることが暗示される。

 しかし不思議なことに、タマン・スリウェダリが無傷で移動させられた後、スコスロノはその代価として矢を射られ死に至ったのである。スマントリがサン・プラブの「伴侶 garwa」である娘たちに対して恥じたからである。命が失われる時、天界の門でスマントリを待っているというメッセージを残していった。これは、公正を缺いた「高貴さ」を求める魂には、仲間を恣にした報いがあることを意味する。しかしこの出来事は定められてあったのだ。トゥハンに仕え、その名を守る人間の魂の奉仕は、「彼の肉体」と一緒ではできないのである。魂の高貴さを求めるために「肉体」は取るに足らないという意味ではない。トゥハンへの献身と奉仕において、「肉体」無しに行動することはできない。例えれば、人が祈る(瞑想する)ことは、「肉体」を含めて生の完全性を求めるためである。しかし人間の「魂」がトゥハンへに仕えることを受け入れられた(カウロ・グスティ Kawula-Gusti との合一)なら、もはや「肉体」は共について行くことは出来ない。ゆえに、このラコンにおいてスコスロノは除かれなければならなかった。このような道筋で、魂の高貴さを求める人間を描くラコンは、世俗のものはあらかじめ排除されなければならないということを表現するのである。

 ラコン「スマントリの仕官(Sumantri Ngeger)」は、我々が既に亡き祖先たちの物語から意味を見出すことを示唆しており、それはここでは知恵ある読者の方々に委ねられているのである。

1976年6月28日、ヨグヤ
Png.
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by gatotkaca | 2011-10-31 01:58 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

スマントリはトリポモである

 スリ・ムルヨノ著「ワヤンの人物たち」("WAYANG DAN KARAKTER MANUSIA" oleh Sri Mulyono, PT GUNUN AGUNG-Jakarta, 1979)から。重ねて反論。

読者の意見

スマントリはトリポモである

 先日の1976年4月18日土曜日付け「ブアナ・ミング」のIr・スリ・ムルヨノ氏「ワヤンの人物たち」に関して、記事を読んで思った、私の考えを述べてみたいと思う。
 「スマントリは悪い人物なのか、あるいは模範となる人物なのか」ということである。

 Ir・スリ・ムルヨノ氏の記事は「スマントリは地位と階級を求めて徳を忘れる」である。

 スマントリが、美丈夫のサトリヨで、超能力を持つ英雄であり、アンコロ・ムルコ(強欲)を殲滅するチョクロバスコロという武器を持つことは紛うこと無き事実である。 彼はマハ・ルシ・スウォンドグニという超能力のパンディト(僧侶)の息子である。

 しかし彼は生涯を通じてサトリヨの地位に憧れを抱いていた。…………といったようにこの記事は基本的に、スマントリの生涯における悪の側面を述べていた。

 ワヤンの素人(ワヤンを知ったばかりの人々)がこの記事を読んだら、素直にスマントリを悪人の類いだと思い込んでしまうに違いない。私たちがまだ小学校に通っていた頃(もちろんジャワ地域で)、とあるダンダングロの詩の歌があったことを思い出す(誰の作で、どの本に載っていたのかはっきりしないが *1)。それはこのようなものであった。

*1トリポモ Tripomo はスリ・マンクヌゴロ四世の作。6節から成り、スマントリに対して2節、クムボカルノ(ラウォノの弟)に2節、プラブ・カルノに2節で構成されている。下記に訳すスマントリの節は、適宜補正してある。

“Yogyanira kang para prajurit,
Lamun bisa sira anulada,
duk inguni caritane,
andelira sang prabu,
Sasrabahu ing Maespati,
aran ptih Suwanda,
lelabuhanipun,
kang ginelung triprakara,
guna kaya purun ingkang den antepi,
nuhoni trah utama.

Lire lelabuhan triprakawis,
guna bisa saniskareng karya,
binudi dadya unggule, kaya
sayektinpun duk bantu prang Manggada nagri,
amboyong putri domas katur ratunipun
purune sampun tetela,
aprang tanding lan ditya Ngalengka nagri,
Suwanda mati ngrana.”

 訳

「兵士として為すべきことは(今ならABRI=Angkatan Bersenjata Republik Indonesia インドネシア共和国軍かその他の防衛軍)、古の物語に語られるような人物を手本にできるだろう。マエスパティのサスロバウ王の腹心、その名はパティ・スウォンド(マエスパティ国の大臣となった後のスマントリの名)。彼は三つの訓戒を指針として仕えた。知性、超能力、そして忠誠心であり、最良のクサトリアとしてその責務を果たした。」

 「また、献身の三つの規範ともされている。グナ guna とは、すべての事を行い、卓越できるよう努めることである。コヨ kaya とはマゴド国で闘った時、王への贈り物としてプトリ・ドマス(チトロワティと800人の女官)を連れて来る/獲得することに成功したことである。そしてプルン purun /勇気/希望とは、明らかに敵わぬとしても、アルンコ国のラクササ(ラウォノ)を敵として勇敢に戦ったことであり、スマントリは戦場に散ったのだ。」

 このようにダンダングロの歌によって、私たちはスマントリが規範となる価値を持つクサトリアであることを学んだのだ。だから今、私にはスマントリについて先に述べたような疑問が浮かぶのである。それこそが私がブアナ・ミングのIr・スリ・ムルヨノ氏を通じてスマントリの人物像についてより正確な説明を求める理由である。

 ブアナ・ミングの論説、とりわけIr・スリ・ムルヨノ氏からの応答(明確な考えに基づく)に期待する次第です。まずは感謝を申し上げます。

1976年6月9日
R.S.
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by gatotkaca | 2011-10-30 00:10 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

バムバン・スマントリは「ウントゥル(荷車)」の引き手ではない

 スリ・ムルヨノ著「ワヤンの人物たち」("WAYANG DAN KARAKTER MANUSIA" oleh Sri Mulyono, PT GUNUN AGUNG-Jakarta, 1979)から。
 前回のコラムを受けて、「ブアナ・ミング」の読者から反論が出ており、本書に収録されている。反論を受け、さらに本に収録するというのは、大変好ましい態度で、ムルヨノ氏はこのワヤン本のシリーズでは一貫してその姿勢を貫いている。ということで、僕はムルヨノ氏のファンである。

読者の意見

バムバン・スマントリは「ウントゥル(荷車)」の引き手ではない


 1976年4月18日の『ブアナ・ミング』の「ワヤンの人物たち」で、キ・ダランであるIr・スリ・ムルヨノ氏は、バムバン・スマントリの負の側面ばかりを述べておられたので、あまり快く思いませんでした。

 今回筆を執ったのはスリ・ムルヨノ氏に意見するなどというつもりはなく、スリ氏のお書きになったものを読んで、ワヤン・ファンとして「困惑」を感じたからなのです。バムバン・スマントリのポジティヴな側面も一般の方々に知っていただく必要を感じたからなのです。それは

1. たしかに彼は、ほかの人間(弟)の成果を横取りして地位を得ました。しかし忘れてはならないのは、他人の成果を横取りしたものであっても、彼は自身の職務を完遂したということです。余人に代えがたきパティ(首相)として、バムバン・スマントリは公人としての責務を全うして、公人の「手本」となることができたのです。危険に直面しても、彼は、国と王への責務を果たすため、その魂を躊躇すること無く犠牲にしたのです。

 ワヤンの物語ではこのように語られます。ハルジュノ・ソスロバウ王が、美しいファースト・レディに懇願されて「ウイーク・エンド」を楽しんでいる時、国が敵(ラウォノ)の攻撃を受けました。国にいたのはパティ・スウォンドの称号を得たバムバン・スマントリだけでした。彼は国家の最高職の任にある者の責務を果たすため、ドソムコには敵わぬと知っていながら、逃げることなくその責務を果たしきったのです。かくてパティ・スウォンドは死にいたりました。

2.バムバン・スマントリは哲理をもっていました。彼は、自身の超能力を負かし得る王(指導者)にだけ仕官すると決めていたのです。これはバムバン・スマントリが「スング sengguh(大志)」を持った若者であったからです。ポジティヴな意味の大志は、傲慢とは違うということを理解しなければなりません。大志を見失えば人は、卑劣な行為をする者、たとえば人を騙したり、盗みをしたりするような者に堕落してしまいます。また若者は、「大志」を見失えば、たやすく麻薬の谷底に落ちてしまうでしょう。バムバン・スマントリは「ウントゥル(荷車)」(肥料の玉葱を引くもの)タイプの人間ではなく、リーダーになれる資質を持っているのです。「ウントゥル」は巷に大勢います。リーダーになっても何もできません。給料をもらい、車を手に入れ、施しを受ける。この種の人々は耐え忍ぶことを好みません。彼(スマントリ? 訳者注)にはいずれ光があたるでしょう。見返りを求めない努力に対して。

 以上ワヤン好きのつたない感想でした。

 1976年4月26日、ジャカルタ
  ブ・デ


 読者からの意見は他にも収録されている。次回に続く。
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by gatotkaca | 2011-10-29 13:25 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

スマントリ、地位と階級を求めて徳を忘れる

 ジャワで生まれたスワンダ Swandha は、パティ・スウォンド Patih Suwandaとなり、彼を彩る挿話として、スマントリとスコスロノ兄弟の物語が生まれる。この物語のワヤンにおける展開は、松本亮「ラーマーヤナの夕映え」(八幡山書房、1993)に詳細をきわめているので、とくにここで記すこともないのだが、一応ざっくりと紹介しておくこととする。
 スリ・ムルヨノ著「ワヤンの人物たち」("WAYANG DAN KARAKTER MANUSIA" oleh Sri Mulyono, PT GUNUN AGUNG-Jakarta, 1979)は、新聞コラムでのワヤン人物紹介をまとめたもので、手際よくまとめられている中に、ジャワでその人物がどのような印象を持たれているのかを伺い知ることのできる良質の資料である。今回はその中のスマントリの項を紹介する。

「ワヤンの人物たち」(スリ・ムルヨノ)から

スマントリ、地位と階級を求めて徳を忘れる

 スマントリが、美丈夫のサトリヨで、超能力を持つ英雄であり、アンコロ・ムルコ(強欲)を殲滅するチョクロバスコロという武器を持つことは紛うこと無き事実である。彼はマハ・ルシ・スウォンドグニという超能力のパンディト(僧侶)の息子であり、またルシ・ジョモドグニの息子、ロモパラスとは従兄弟である。しかし彼は生涯を通じてサトリヨの地位に憧れを抱いていた。

 一方、彼の弟は、ラクササ姿だが心清らか、超能力を持ち兄を深く愛していた、その名をスコスロノという。

 ある夜、スマントリはルシ・スウォンドグニに対しマエスパティ国に仕官するため、出立することを願い出た。しかし弟を連れて行こうとは思わなかった。というのも彼は、スコスロノの姿を恥じていたからである。スマントリは、マゴド国の王女を手に入れることを条件として、ハルジュノ・ソスロバウに受け入れられた。スマントリはその勇猛果敢さでサユムボロ(嫁取り競技)の全ての敵を斥け、デウィ・チトロワティを得た。しかし成功の後、彼の心の内にある考えがわき起こった。「チトロワティを手に入れたのは俺じゃないか?なんで、まだ俺より優れた超能力を持っているのかもわからぬハルジュノ・ソスロバウに譲ってやらねばならんのだ?」

 スマントリは言う。「そうとなれば、俺はハルジュノ・ソスロバウが俺の勇猛さに匹敵する者なのかを試したい。もし彼が敗れ、俺のチョクロバスコロに粉砕されたなら、俺はチトロワティ、そしてマエスパティ国の財宝と王位を手に入れることができるだろう。」

 『何時の世も女と権力は人間を変えてしまうものなのだ。』

 スマントリの挑戦はハルジュノ・ソスロバウに快く受け入れられた。激烈で強力な戦いとなった。というのも彼らはそれぞれがウィスヌの生まれ変わりだからである。スマントリはかくてチョクロバスコロをとり、ハルジュノ・ソスロに向けて放った。チョクロバスコロは光り、轟音を立てて天を裂き、ハルジュノ・ソスロバウを驚かせた。怒りでハルジュノ・ソスロはトゥリウィクロモし、千の顔を持つ巨大なラクササとなり、チョクロバスコロはたやすくつかみ取られてしまった。スマントリは捕らえられ、足の下に踏みつけられた。泣きながらスマントリは、その不遜と過ちの許しを乞うた。不思議にもハルジュノ・ソスロバウは謝罪を受け入れ、彼の仕官をも受け入れた。だが、困難な条件を付けた。スマントリは罰として、スリウェダリの園の建設を要請されたのである。もし失敗すれば、仕官は許されない。悲しみに沈んでいるところへ、スマントリを追ってスコスロノがやって来た。彼は喜んで手助けを申し出た。スマントリのいるところどこでも一緒にいられることを条件に。スマントリは承知した。スコスロノは超能力でタマン・スリウェダリをマエスパティ国に移した。弟の手助けにスマントリは感謝したが、スコスロノは姿を隠し、公の場で会うことはできないと命じられた。

 ある日チトロワティが、お供を連れてスリウェダリの園で楽しんでいると、突然、花園に小人のラクササがいるのを見て恐れおののき、逃げ出した。彼女はあわてふためいて逃げ、ハルジュノ・ソスロバウに訴えた。パティ・スウォンドの称号を得たスマントリは、すぐさま花園へ確かめに来た。

 妃を驚かせたラクササが自身の弟だと知って、彼は本気で怒った。スマントリは、スリウェダリの園を出ていくように、チョクロバスコロでスコスロノを脅した。しかし不運にも武器は手から放たれ、スコスロノを殺してしまったのである。

 どんな理由にせよ、こうしてスマントリは、罪無き者を殺した罪を負ったのである。彼は泣き、自身の行為を後悔した。しかし、どうあれ米はもはや粥となってしまったのである。とはいえ、スコスロノの兄に対する想いは変わらなかった。スコスロノの魂は漂いながら彼に言った。「兄上、スマントリよ、あなたは僕がどんなにかあなたを愛していたのか知らない。知られよ、我が旅立ちはあなたの破滅を意味する。わたしは涅槃へ行く兄上をお迎えに参ります。後の日に、兄上は十の顔を持つ王と対することとなるでしょう。その名はラウォノ。兄上、スマントリは彼の牙にかかって死ぬ。気をつけられよ兄上。」

BUANA MMINGGU, 18 April 1976.

 スリ・ムルヨノ氏の主観がたっぷり入った感じ。この後、読者からの反響も掲載されており、比較するとなかなか面白いので、次回もこの本から続きをやります。
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by gatotkaca | 2011-10-28 23:58 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

カカウィン・アルジュノウィジャヤ

 Arjunawijaya; A Kakawin of MPU Tantular by S. Supomo (Bibliotheca Indonesica; Koninklijk Instituut voor Taal-, Land- e Volkenkunde 14, Martinus Nijhoff (1977)
「アルジュノウイジャヤ  ムプ・タントラルのカカウィン」S・スポモ著、という本を入手した。
 「カカウィン・アルジュノウジャヤ(アルジュノの勝利)」は「ラーマーヤナ」『ウッタラ・カンダ』に記されている、魔王ラーヴァナの誕生から、カルタヴィーリャ・アルジュノとの戦いまでを主題としたカカウィンで、13世紀頃に成立した。著者は、宮廷詩人ムプ・タントラルで、「カカウィン・スタソマ」も彼の作であるとされる。これで、ジャワにおけるアルジュノ・ソスロバウ説話の最初期の姿がわかってきた。
 「ラーマーヤナ」がジャワへ伝播した最初の成果として「カカウィン・ラーマーヤナ Kakawin Ramayana」が成立したのは、サンジャヤ朝の王都がメダン Medang(スラバヤ地方、スマトラのメダンとは別)に置かれていた頃と推定されている。ジャワのワヤンでは、「ラーマヤナ」本編は「ラマヤナ」演目群、ヴァールミーキ版「ラーマーヤナ」の第七編『ウッタラ・カンダ』に記されている、ラーヴァナ一族の成立から、ラーヴァナの世界征服の旅、およびハイハヤ王カルタヴィーリャ・アルジュナとの戦いの経過が、「ロコポロ」、「アルジュノソスロバウ」の諸演目へと展開する。『ウッタラ・カンダ』にはカルタヴィーリャ・アルジュナの最後は記されていない。ワヤンの「アルジュノソスロバウ」演目群は、これにパラシュラーマ説話(カルタヴィーリャ・アルジュナの死を含む)を加えて構成され、現在の形に至っている。
 現在のワヤンにおける「アルジュノソスロバウ」演目群で重要なプロットを占める「スマントリとスコスロノ兄弟の物語」は、すでに紹介した「ウッタラ・カンダ」36〜38節に見られるように、インド版「ウッタラ・カンダ」には存在しない。しかし、ラーヴァナの手下のラークシャサとして、スカ Sukaとサーラナ Saranaという兄弟が登場する。この兄弟は「ラーマーヤナ」本編(ラーマ説話に入ってから)にも登場するが、それほど目立った活躍はない。ふたつの名をつなげれば、スカサラナ SUKASARANA となり、スコスロノと同じ名となる(バリのワヤンでは、スコスロノはスカサラナ Sukasarana の名で登場する。* "Dancing Shadows of Bali Theatre and Myth" by Angela Hobart, KPI Limited, 1987, P.53)が、この人物たちが直接スコスロノの原型であるとは言いがたい。ちなみにラウォノの手下としてのスカスラナはスナルディ著「アルジュノ・サスラバウ」にも登場するが、ここでスナルディ氏は、はっきり「パティ・スウォンドの弟ではないスカスラナ 」と書いているので、(Sunardi "Arjuna Sasrabahu" Balai Pustaka , 1982 P 321)ウッタラ・カンダに登場するスカとサーラナの存在を前提としている。今日、ワヤンの世界では登場することの無い(少なくとも筆者は知らない)ラウォノの部下であるスカサラナも、文芸の世界には残っている例もあるといえる。
 「カカウィン・アルジュノウィジョヨ」の段階では、スマントリの弟スコスロノは存在しない。スマントリに関しては、彼が仕官した後賜るスワンダ Suwandha の名で登場する。彼はアルジュノ王家臣筆頭として登場し、ラーヴァナと闘って戦死するだけである。ここではまだスワンダ(スマントリ)の仕官やそれにまつわる弟がらみの話は全くないが、スワンダという人物は、ムプ・タントラルの創作であり、生粋のジャワ・オリジナルのキャラクターなのである。スポモ氏は、ムプ・タントラルがこの人物を、その描写の類似性などから、「カカウィン・ラーマーヤナ」におけるラーマの弟、ラクシュマナにヒントを得て創造したのではないかと述べている(ivid,1 P44)。
 アルジュノ・サスラバウの妻も「ウッタラ・カンダ」では名が記載されていないが、「カカウィン・アルジュノウィジャヤ」ではチトロワティの名が現れている。アルジュノが塞き止める河の名はワヤンではガンガ(ガンジス)河、あるいはヤムナー河であるが、ここではまだ「ウッタラ・カンダ」にあるナルマダー河となっている。河を塞き止める際、アルジュナが「トゥリウィクラマした」との記載がある。「ウッタラ・カンダ」でのアルジュナには変身の描写は無いから、アルジュナのトゥリウィクラマもこれが最初の描写となる。
 一方、アルジュノはスナルト氏の記事にあったように、ルドラRudra の化身とされており、まだウィスヌの化身ではない。この時代、すでにトゥリウィクラマという語はウィスヌと離れた意味で用いられるようになっていたのであろうか?それともこの語を単なる巨大化の意で用いたのはタントラルが最初なのか?詳細はまだ不明である。
 いずれにしてもアルジュノ・ソスロバウがウィスヌの化身とされるのも、スマントリ、スコスロノ兄弟の話が成立するのも、「カカウィン・アルジュノウィジャヤ」より後の時代(13世紀以降)、ジャワの内部での変化であることが確定したとは言える。
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by gatotkaca | 2011-10-28 00:13 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

カルタヴィーリャ・アルジュナ その3

(承前)

ウッタラ・カンダ

38節

 かくてプラスティヤは天界で、ラーヴァナが捕らえられ、風の持ち物(虜囚の意)となったことを聞いた。息子への愛に突き動かされ、さんぜんと輝く、偉大なる苦行者はマヒシュマティの王に会いに行った。空を飛び、生まれ変わる者は風の速さで、心を飛ばしてマヒシュマティの街に到着した。ブラフマーがインドラのアマラヴァティに入ったようであった。彼はインドラの首都とも見紛う街に入った。光に満ちあふれ、市民の肉付きは良かった。偉大なるリシはアディティヤーのように歩き、アルジュナ王に知らせを伝えるよう門番に言った。了解を得てプラスティヤはやって来た。ハイハヤの王は椰子を畳んだ玉座にあり、彼を歓迎した。ヴリハスパティがプランダラの前に進み出るように。王への謁見の前に彼にマドゥパルカと足洗いの水が運ばれた。日の出が現れたような苦行者を見て、アルジュナ王は、インドラがマハデーヴァに敬意を表するように、うやうやしく頭を下げた。彼のマドゥパルカの提供は、牛と足洗いの水であった。ハイハヤの王は喜びで口ごもり、意を決してく業者に言った。「尊き師よ。ご訪問頂き、得難きことであります。我が街マヒシュマティをご覧頂いてから、アマラヴァティにお帰りください。今日私は吉祥を得ました。おお、主よ、今日は我が信仰の行為が実った日である。今日は我が誕生の祝福に証のあった日である。今日は我が敬虔なる苦行に成功が冠せられた日である。私はその足下に礼を尽くそう。それこそが私の天への信仰となる。我が王国、我が息子たち、妃、私自身、そのすべてを御身に委ねます。御意を賜りますよう。おお、ブラフマン、あなたのために出来ることはなんでしょう。」王の信仰深い問いを受けて、彼は息子への恩赦を乞うた。プラスティヤはハイハヤの王アルジュナに言った。「おお、最高の王、おお、蓮の花びらの目をした者よ!おお、そなた満月の顔の者よ!汝は三界に並ぶ者なきラーヴァナを敗った。そなたは、風も海も恐怖で立ちすくむ無敵の息子と争い、縛り上げた。栄光に酔った息子にそなたの存在を知らしめた。されば私は言おう、おお、我が息子、ダシャーナナを自由にしてください。」プラスティヤの願いを聞き、アルジュナは無条件に受け入れ、ラークシャサの王は最大の喜びをもって解放された。天界の敵は解放された。信仰に沿った装飾品と花輪と友情が天界に供され、火の前のラーヴァナの敵意は失われた。ブラフマーの息子、プラスティヤに対し頭を垂れて彼は自らの家に帰った。プラスティヤの助けで解放されたラークシャスの王、強力なるダシャーナナは彼の歓待を受け、彼によって受け入れられ、恥じ入って故郷へ帰った。ダシャグリヴァに自由を与えたブラフマーの息子、最高のムニ、プラスティヤは天界へ帰った。おお、ラーマよ、かくして強力なるラーヴァナはアルジュナに敗れプラスティヤによって解放されたのである。よくよく観察されよ、ラグの子孫よ、強力なる者にもより強力なる者がある。かくて、ある者が、彼に良かれと願うならば、他の者を無視してはならない。千の腕のアルジュノとの友情を得たダシャーナナ、ラークシャサの王は、世界の王たちを苦しめる旅を再び始めたのだ。」

(了)

 ヴァールミーキ版「ラーマーヤナ」における、カルタヴィーリャ・アルジュナに関する記載は以上のようなものである。カルタヴィーリャ・アルジュナ対パラシュラーマの説話は、「バーガヴァッタ・プラーナ」で見てみたい。
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by gatotkaca | 2011-10-24 11:31 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

カルタヴィーリャ・アルジュナ その2

(承前)

ウッタラ・カンダ

37節

 恐ろしいラークシャサの主が花々を集めたところからほど近い、ネルブダ河の岸辺に、マヒシュマティの王、最高の勝利者、アルジュナが、水のなかで妻たちを遊ばせていた。彼女たちに囲まれて、アルジュナ王は千の牝象に囲まれそれを率いる象のようであった。その力を誇示するため、ハイハヤ王は千の腕でネルブダ河の流れを塞き止めていた。カールタヴィリャアルジュナの腕に塞き止められて、岸辺は清らかな水が洪水となってあふれ、ネルブダ河は逆流していた。雨期のように潮流は高まり、魚や、鰐が浮かんでいた。カルタヴィーリャによってラーヴァナに向かった流れは、彼の集めた花々を流し去ってしまった。祈りを頓挫させられたラーヴァナは、お預けを食った娘のようにネルブダ河を見た。潮流は嵩を増し、西から東に流れ、水はあるべきところから外れて、おとなしいご婦人のようであり、鳥が不安げな様子も無く降り立っていた。かくて河の水が嵩を増したことに不安を感じて、十頭の魔物は右手の指を示して、スカとサーラナを呼んだ。ラーヴァナの兵士として、二人の兄弟、英雄的なスカとサーラナは、空を飛んで西へ向かった。半リーグ(1 league = 5.55600 km)ほど行くと、二人の夜歩く者たちは、女たちに囲まれて水遊びする男を見つけた。彼はサーラの樹のように巨大で、髪は水に浮き、酒に酔い、目は赤くなっていた。千の足で大地を支えるスメルのように、彼は千の腕で河の流れを塞き止めていた。そして彼は千の牝象に囲まれた象のように、千の美しい乙女たちに囲まれていたのである。その恐るべき光景を見て、ラークシャサのスカとサーラナは、ラーヴァナに全てを報告するために戻った。「おお、ラークシャスの主よ、サーラの樹のごとく巨大な見知らぬ者がダムのようにネルブダ河を塞き止め、女たちと戯れております。その男の千の腕に止められて、ネルブダ河の水は高波をあげ続けておるのです。」スカとサーラナの言葉を聞き、ラーヴァナは叫んだ。「それこそアルジュナだ。」そして彼との戦いに赴いた。ラークシャサの主、ラーヴァナはカールタヴィリヤアルジュナに対する敵対心を固めた。風が埃を舞い上げ、騒々しい音をたてて吹き始めた。雲は土砂降りの雨のつぶやきを始めた。かくてラークシャサの主はマホダラ、マハーパルスワ、ドゥルマークシャ、スカとサーラナと共にアルジュナに対して侵攻した。間もなく、恐るべきラークシャサ、象のごとく強力なアルジュナ、ネルブダ河の岸辺に到着し、アルジュナが牝象に囲まれる象のごとく女たちに囲まれているのを見た。ラークシャサの主の目に彼の力の誇示が見え、真っ赤になってアルジュノ王の側近たちに示威して、彼は言った。「ハイハヤの王に告げよ、ラークシャサの主、ラーヴァナが彼と闘うために来た、と」ラーヴァナの言葉を聞いてアルジュナの家臣たちは武器を持って立ち上がり言った。「おお、よろしい。ラーヴァナよ、汝は今や戦いの時が来たと知るがよい。今、我らが王は宴にあり、水の中で女たちと戯れている。汝は彼と闘いたいと望んでいる。されば、おお、十頭の者よ、ここで夜を過ごし、汝は戦いに心を傾けよ。汝が心臆さず、ただちにアルジュノと雌雄を決したいとあらば、まずは我らを全て殺し、その後王と闘うのだ。」かくてラーヴァナの飢えた側近たちは、王の臣下の幾人かを殺し、幾人かを焼き尽くした。ネルブダ河の岸辺に、アルジュナとラーヴァナの部下たちの恐るべき騒動が起こった。アルジュナの戦士たちは百の矢、プラシャス、ダーツ、トマラ、雷、カルパナをもってラーヴァナに殺到した。アルジュナの戦士たちは猛烈な恐怖に陥り、深みに潜む鰐や魚、その他の水に住む怪物たちのような叫び声をあげた。怒り狂い、力を誇示しようと、スカ、サーラナら、ラーヴァナの家臣たちはアルジュナの兵士たちを打ち砕いた。かくて恐怖に襲われた使者が、遊行する王のもとへ、ラーヴァナとその部下たちが攻め入って来たことを報告に向かった。(王は)彼らの言葉を聞き、女たちにむかって言った。「恐れることは無い。」彼は象のように水から上がった。火のような目をしたアルジュナは、憤怒に赤く染まって全てを溶かす火のように恐ろしく輝いていた。素早く、いつも使う黄金の棍棒をつかむと、ラークシャスを、暗黒が太陽を追いかけるように追いつめた。巨大な棍棒をつかみ、腕で投げると、アルジュノはガルーダの速さで出立した。かくて彼を害そうとするラークシャサは、怒りをもって、その手にメイス(矛)を携え、黄道にそびえるヴィンディヤ山のごとく立ち上がった。彼の腕は、怒りに満ちて、ヤマのように、鋼鉄の矛を叩き付けた。矛の先端はアショカの花の先のように輝いた。その矛を見て少なからず心猛ったアルジュナ王は、棍棒をどうするか思案した。かくて巨大な棍棒は振り上げられ、五百本の腕が伸び、ハイハヤの王はプラハスタを追いつめた。瞬く間に棍棒の一振りが、偉大なる勝利者、プラハスタに贈られ、大地に倒れ伏した。それはインドラの雷(いかづち)が山の頂きを打ったかのようであった。プラハスタが倒れたのを見て、マーリチャ、スカ、サーラナ、マホダラそしてドゥルマークシャは戦場から逃げ出した。側近の全てが逃げ、プラハスタが殺されると、ラーヴァナはすばやく、最高の王たるアルジュノの前に進み出た。恐るべき睨み合いが続き、人間の王、千の腕のアルジュナとラークシャサの王、二十の腕のラーヴァナ、両者の間の(緊張は)上昇下降を繰り返した。棍棒を振り上げ、アルジュナとラーヴァナの戦いが始まった。それは、互いに渦巻く雲のように叫び声を発し、巨大なる二頭の牛の闘牛のよう、二つの海のぶつかり合い、二つの山、二人の光輝くアディティヤ、二つの燃え盛る炎、二頭の誇り高き象、二頭の気高き獅子、そしてルドラとカーラのようであった。幾度も打ち付ける落雷に苦しむ山のごとく。四方には、振り回される棍棒から発する雷鳴のような響きが鳴り渡っていた。アルジュナの棍棒がラーヴァナの胸を狙えば、そのとき、天は黄金が燃え盛るかのように光り輝く。繰り返し繰り返しアルジュノの胸を打ちつけるラーヴァナの棍棒は、まるで火で作られてあるかのようであった。アルジュナが消耗し、またラーヴァナが消耗した。両者の戦いは、古のバーラとヴァーサヴァの出会いのようであった。人間の王とラークシャサの王は互いの棍棒で傷つけ合った。それは闘牛のようであり、また二頭の象が牙で突き合うようであった。怒りに満ちてアルジュノは渾身の力で棍棒を敵の胸に打ち付けた。しかしラークシャサは天の恩恵により、倒れることはなかった。棍棒は大地に打ち付けられて二つに割れ放り出された。アルジュノの矛で負傷し、ラーヴァナは涙をためて距離をとろうとして、四フィートほど離れた。ラーヴァナが圧倒されたのを見て、アルジュナはガルーダが蛇を掴むように、ヴィシュヌがバーリを縛ったように、彼を捕まえた。ダシャグリヴァは(原文欠損)シッダ、チャラナそして天界の者たちは叫んだ。「いいぞ、良くやった!良くやった!!」アルジュナの上にに花々が散布された。王は再び獅子のような咆哮をあげ、雲のようにすばしこい鹿を捕らえて満足した虎の声を発した。意識を取り戻したラーヴァナはハイハヤの王の大いなる怒りで追いつめられ殺されたプラハスタを見た。ラークシャサの軍は、暴風雨にさらされた海のようであった。そして繰り返し叫んだ。「もうやめろ!もうやめろ!待て!待て!」ラークシャサの主は百のムサラを放り出し、戦場に投げつけた。敵を殲滅する者、アルジュナ王は近づき、天界の敵の武器を取り上げた。恐ろしげなラークシャサの武器を、素晴らしき者、ハイハヤの王、アルジュノは、風が雲を散らすように放り投げてしまった。夜歩く者たちは恐怖におそわれた。彼は、肉親たちに取り囲まれて、ラーヴァナを引き連れて街に帰った。インドラがバーリを引き連れて凱旋したように。ブラフマンたちと市民たちは彼に花々と揚げた米を散布した。

(つづく)
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by gatotkaca | 2011-10-23 14:16 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

カルタヴィーリャ・アルジュナ その1

 ジャワのワヤンでのアルジュノソスロバウは、インド起源の人物ではあるが、ジャワとインドの説話では、相当な差異が生じている。まずは、元ネタとも言えるインド版アルジュノソスロバウの物語として、ヴァールミーキの「ラーマーヤナ」第七編『ウッタラ・カンダ』の36節から38節において語られる、アルジュナ・カルタヴィーリャの物語を紹介する。
 The RAMAYANA "UTTARAKANDAM ” edited & published by Manmatha Nath Dutt, Calcutta, 1894 をテキストとして英語からの重訳になるが、拙訳で紹介する。

ウッタラ・カンダ

36節

 かくして、アガスティヤ仙に拝跪し、ラーマは驚きながら再び言った。「おお、ブラフマン。輪廻に生きる者の中で最高の者よ、ラーヴァナが地上を旅する間、人々はいなかったのですか?王は?王子は?彼の罪をいさめる者は?すべての王はその力と能力を剥ぎ取られてしまったのでしょうか?様々な優れた武器をもってしても彼を除くことはできず、多くの王が敗れたとのことですが。」ラーグハヴァの言葉を聞き、六種の徳をそなえた苦行者アガスティヤは笑いながら、ブラフマーがルドラに話すがごとく言った。「おお、ラーマ。おお、地上の主よ。地上を巡るラーヴァナは、天界に見紛うほどの街、マヒシュマティの街に到着した。そこは火の神が永久におわすところ。そこに君臨する王の名はアルジュノ。サラに守られた永遠の火のごとく燦然と輝く王である。ある日、高貴にして強力なるハイハヤの王、アルジュノは妃を遊ばせるためにネルブダ河に遊行した。その日、ラークシャサの主、ラーヴァナはそこに到着し、側近たちに尋ねて言った。「アルジュナ王はどこだ?汝らは疾く告げよ、我はラーヴァナなり。汝らの王と戦いにやって来た。汝らはまず、我が到着を彼の者に告げよ」かようなるラーヴァナの口上を受け、学識ある大臣たちはラークシャサの主の情報を知らしめ、王の不在に対処した。市民たちから王の不在を耳にしたヴィシュラバスの息子は街から引き上げ、ヒマラヤに似たヴィンディヤ山に至った。彼は雲のごとく蒼穹にまたがり、大地の活力のごとく盛り上がり、空を遮る山を見つけた。山は千の頂きをもち、洞窟には獅子が住み、何百という泉が湧き出ていた。山は、笑いに満ち、天界のガンダルバ、アプサラ、キンナラたちが女たちと戯れて、天界の一部のようであった。水晶のように透明な水をたたえる河が流れ、千の蛇が舌を震わせるようであった。彼のヴィンディヤ山はヒマラヤのごとき外観を呈し、巨大な洞窟を持っていた。ラークシャサの王、ラーヴァナはネルブダ河に至った。聖なる水は西方の大洋へ注がれていた。その水は水牛、鹿、虎、獅子、熊たちに掻き回され、熱気が象たちを困らせた。その水に覆われて、チャクラバカ、カーランダヴァ、白鳥、水鳥そしてサーラサスは猛り狂い、音を放っていた。麗しい乙女のごとき魅惑的なネルブダ河は、樹々を茂らせその飾りとし、チャクラバカはその息吹、広がる森はその腰、メクハラから白鳥が列をなし、花の繊維が添付され、泡立つ水は絹の布地、水に飛び込む喜びはそれに触れる歓喜となり、芽吹く蓮の花は白い目となる。車から降りてネルブダ河の水に浸かれば、最高の流れ、美しいものであった。ラークシャサの主、ラーヴァナと側近たちは、多くの苦行者たちの住まう、その岸辺に落ち着いた。美しく輝くネルブダ河の高貴さはガンジス河のようだと語り、彼は、大臣のスカとサラナに身振りを交えて口上した。「観よ、光にみちて描き出される蒼き地上のさまを。太陽は中天で熱を放つ。しかしここに座す我を見よ、太陽の光は月のよう冷ややかだ。我を恐れて、風も優しげに吹き、ネルブダ河の水の感触も冷たく香り高く、我らをねぎらっておる。この魅惑的なネルブダ河よ、鰐、魚、そして鳥にあふれている。ゆるやかな流れはおびえた乙女のよう、静かに佇んでいる。多くの王との諍いで傷を負い、そなたらは血にまみれておる。されば、サルヴァバウマのよう、怒れる象がガンジス河の水に入るように、さあ、汝らもネルブダ河の水に入って、吉祥と健康を授かるがよい。この流れに身を浸せば、そなたらの罪も洗い清められよう。わしもまた秋の月の光のような河の岸辺で、その腕にピナーカを抱く、マハーデーヴァの花々に敬意を込めて礼拝しよう。」ラーヴァナの言葉を聞き、プラハスタ、スカ、サラナ、マホダラ、ドゥルマクシャそのほかの側近たちはネルブダ河の水に入った。河はヴァマナ、アンジャナ、パドマたち象を受け入れるガンジス河のように、象のようなラークシャサたちにかき乱された。かくて高貴にして強力なラークシャサたちは水から上がると、花を摘み、ラーヴァナに捧げた。間もなくラークシャスたちは絵のようなネルブダ河の岸辺に花を積み上げ、それは白い雲のようであった。集められた花々はラークシャサの王、ラーヴァナが巨大な象がガンジス河に入るよう、沐浴するとネルブダ河に散布された。沐浴が済み、特別な祈りが唱えられた。そして濡れた布が白い布の上に置かれた。祈りの場所を見出し、彼は腕を畳むと、岸辺を進んで行った。ラークシャサたちもまた、山々が動くように彼の後に付き従った。ラーヴァナはどこへ行くにも黄金のシヴァ・リンガを持っていた。かくてラーヴァナは、砂を積み上げ、様々な蜜の香りたかい花々を捧げ、サンダルをはいて祈りを捧げた。シヴァへの祈りを終えると、王冠に月をあしらう、ダイティヤ最高の者は、恩恵を授かり、災難を除くため、腕を振り上げて夜歩く者の踊りを踊り、その前に唄を歌った。
(つづく)
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by gatotkaca | 2011-10-22 23:58 | 影絵・ワヤン | Comments(0)