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ニャイ・ロロ・キドゥル Nyi Roro Kidul の伝説

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 先日あるTV番組でジョクジャカルタの海岸で緑色の水着をつけて泳ぐと、ニャイ・ロロ・キドゥルにさらわれるという話を紹介していた。南海の女王ニャイ・ロロ・キドゥルは緑色がお好きで、緑のものを身につけていると、召使いと間違われて連れて行かれてしまうという話である。というわけで今回はニャイ・ロロ・キドゥルの伝説に関してである。

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ニャイ・ロロ・キドゥルの伝説


 ニャイ・ロロ・キドゥル Nyi Roro Kidul の伝説はとても有名で、ジョクジャカルタやスラカルタに限らず、中部ジャワ、西部ジャワ、東部ジャワといった、ジャワ島全土の人々に知られています。ジョクジャカルタ地域ではニャイ・ロロ・キドゥルの物語はマタラム王家にまつわるものと考えられています。
 また東部ジャワ、特にマラン・スラタン Malang Selatan のグリイェップ Ngliyep 海岸では、ニャイ・ロロ・キドゥルはカンジェン・ラトゥ・キドゥル Kanjeng Ratu Kidul の称号で呼ばれています。

カンジェン・ラトゥ・キドゥル

 昔々、カディタ Kadita という名の美しい娘がおりました。その美しさから彼女はデウィ・スレゲンゲ Dewi Srengenge とも呼ばれていました。それは美しい太陽という意味です。デウィ・スレゲンゲはムンディン・ワンギ Munding Wangi 王の子でした。王には美しい娘がいるとはいえ、本当は男子を望んでいたのでいつも悲しんでいました。その後王はデウィ・ムティアラ Mutiara と結婚し、息子をもうけました。王は幸せでした。

 デウィ・ムティアラは自分の息子に王位を継がせたいと望んでいました。その望みをいつか叶えたいと願っていたのです。ある時、デウィ・ムティアラは王の前にまかり出て、王に娘を追放するようにと願い出たのです。もちろん王は断りました。『何とばかばかしいことだ。誰あろうと、我が娘を蔑ろにすることは許さぬ。』ムンディン・ワンギ王は言いました。その答えを聞いて、デウィ・ムティアラは微笑み、甘い言葉をかけて、王の怒りをなだめました。とはいえ、彼女はまだあきらめたわけではなかったのです。

 ある朝、まだ陽が登らぬうちに、デウィ・ムティアラは召使いを送ってドゥクン〈魔術師〉を呼びました。彼女はドゥクンに義理の娘カディタを呪ってもらおうと考えたのです。『あの女の体中に、かゆいかゆいおできだらけにおくれ。成功したら、想像もできないほどの褒美をあげよう。』ドゥクンはお妃に従いました。夜になると、カディタの体中にかゆいおできができていました。彼女が目を覚ますと体中のおできから臭い膿が出ていました。美しい娘は泣き出し、どうしたらいいのか分かりませんでした。

 王は知らせを聞いてとても悲しみ、娘を治すため、おおぜいの医者を招きました。彼女はこれがふつうの病気でない事に気付きました。誰かに呪われて、魔法にかけられているに違いありません。さらに悪い事に、デウィ・ムティアラ妃が彼女を追放するようにとせまって来たのです。『あの娘は国に災いを招くでしょう。』デウィ・ムティアラは言いました。王は娘のようすが国中のうわさになるのを恐れて、ついにムティアラ妃の言葉に従わざるをえなくなりました。

 かわいそうな王女は、ひとりで国を出ることになりました。行くあてもありません。でも、彼女はもう泣いていませんでした。彼女は気高い心を持っていたのです。継母への恨みもいだきませんでした。苦しみの中に身をおくことで、神さまがいつもそばにいてくださるように、と望むばかりでした。

 七日七夜歩き続け、彼女はとうとう南海の岸につきました。そしてその海を眺めました。他の海の水が青や緑なのとちがって、この海は透明で澄んでいました。彼女は海に飛び込み、泳ぎ始めました。彼女の肌が南海の水にふれると、奇跡が起こったのです。彼女のおできはすっかり消え失せてあとかたも無くなりました。そして彼女は前にもまして美しくなっていたのです。さらに彼女には南海のすべてを支配する力がそなわったのでした。そして彼女は南海の女王ニャイ・ロロ・キドゥルとして今も生きているのです。

カンジェン・ラトゥ・キドゥル=ラトゥノ・スウィド Ratna Suwida

 ババッド・タナ・ジャウィ Babad Tanah Jawi (19世紀〈ジャワの歴史書〉)によれば、パジャジャラン Pajajaran 王国の王子、ジョコ・スル Joko Suruh がひとりの苦行者と出会い、東部ジャワにモジョパイト(マジャパヒト) Majapahit 王国を建てるようにと指示された。その苦行者は若く美しい女であった。ジョコ・スルは彼女に恋をした。しかし、その女性はジョコ・スルの叔母、ラトノ・スウィド Ratna Suwida であり、彼の想いは拒まれた。若き日に、ラトノ・スウィドは山に入って隠遁し瞑想の日々を送っていたのである。その後彼女はジャワの南海の岸に赴き、そこの霊的支配者となったのであった。彼女は王子に言った。王子の後裔がムラピ山 Gunung Merapi 近辺の王国の支配者となったあかつきには、その代々の王と彼女は結婚するであろう、と。

 時移り、新マタラム王国を建国したパヌムバハン・セノパティ Panembahan Senopati は、南海に後退し全勢力を結集して北方の国々に対する戦闘準備を整えようとしていた。そして瞑想の中にカンジェン・ラトゥ・キドゥルと会い、彼女は手助けを約束した。三日三晩にわたり、彼は兵法と帝王学の要諦を学び、水面下での王宮の権謀術数を学んだのである。そしてパランクスモ Parangkusumo の海岸、現在のジョクジャカルタ南部から出立したのである。それ以来、ラトゥ・キドゥルはセノパティ王の子孫たちと深く関わっていると伝えられ、ソロとジョクジャの王家は、毎年彼女に供物を捧げ、祈るのである。

 カンジェン・ラトゥ・キドゥル、またニャイ・ロロ・キドゥル、南海の女王についての二つの物語・伝説はこのようなものです。最初の物語はジョクジャカルタの民話で、二つめは『ババッド・タナ・ジャウィ』に見られるものです。ふたつの物語は異なっているけれど、戸惑うことはありません。選ぶまでもなく、どちらも正しいのですから。物語はこれだけではありません。つづけましょう。

カンジェン・ラトゥ・キドゥルとジョクジャカルタ王宮

 あなたはカンジェン・ラトゥ・キドゥル、ニャイ・ロロ・キドゥル、南海の女王の物語を信じますか?『いいえ』と言う人もいるでしょう。でも昔からジョクジャカルタの王宮のあたりに住んでいる人たちに尋ねてみてください。彼らはこの物語を本当に信じているのです。カンジェン・ラトゥ・キドゥルの物語が本当なのかどうかは、まださまざまに取り沙汰されています。色々な意見がありますが、実際に起こる現象があるのです。それはジョクジャカルタ王宮の存立と関わるラトゥ・キドゥルの神話です。カンジェン・ラトゥ・キドゥルとジョクジャカルタ王家の関わりは、ババッド・タナ・ジャウィに書かれていました(上記、第二の物語)。両者の間にはどんな関係があるのでしょうか?

 Y・アルゴ・トゥウィクロモ Y.Argo Twikromo は『ラトゥ・キドゥル』と題する本の中でこのように述べています。社会とは伝統的コミュニティであり、それは生活上のハーモニー、調和、そしてバランスを重視するものである。そこでの人生は環境と密接に関連し、そこでの行為は環境への機能・目的が重要視される、と。

 環境との相関関係は、ジャワ社会では特に強い影響力を持っており、トゥウィクロモは、そこではしばしばシムボルが用いられると言っています。精霊との関係は、ジャワの伝統においては、ムラピ山の主(ぬし)、ラウ Lawu 山の主、デルピンの天界 kayangan nDelpin そして南海の女王などに見られます。南海の女王こそ、ジャワでカンジェン・ラトゥ・キドゥルと呼ばれているものなのです。さきほど挙げた四人の精霊の主はジョクジャカルタをかこむ形になっています。社会のハーモニー、調和、バランスを護るために、王はそれらの『精霊の王』たちと交信する必要があるのです。

 トゥウィクロモによれば、王がラトゥ・キドゥルと交信することは、国家の管理における、内面の強靭さを表象するものなのです。不可視の力(目に見えない力)としてのカンジェン・ラトゥ・キドゥルは平和と安寧をまもるため、日々の生活において崇拝されなければならないのです。

 ラトゥ・キドゥルに対する信仰は十分に現実味を帯びたものと言えるでしょう。海岸での儀式としては、たとえばジャワ宮廷の伝統儀式として、毎年サカ歴(釈迦暦;ジャワの暦)に合わせてスリ・スルタン・ハマンクブウォノ Sri Sultan Hamengkubuwono がジョクジャカルタの海岸に参拝します。この儀式はジョクジャカルタの王と民衆の安寧を護るために行われるのです。

 またカンジェン・ラトゥ・キドゥルに対する信仰として、ブドヨ・ラムバンサリ Bedaya Lambangsari とブドヨ・スマン Bedaya Semang という踊りがサン・ラトゥを讃え、祝福するために催されます。他にもその信仰の証拠として、タマン・サリ Taman Sari (水の宮殿)複合建築も造営されました。この建物は、ガヨクヤカルト・ハディニングラト Ngayogyakarta Hadiningrat 宮殿の西方1kmのあたりに建てられ、スムル・グムリン Sumur Gumuling と名付けられました。この場所は、スルタンと南海の女王が出会った場所と考えられています。

 カンジェン・ラトゥ・キドゥルの神話は、王宮の人々だけでなく、王国地域の一般の人々にも信じられているのです。その証拠に、パラントゥリティス Parangtritis 海岸で人が行方不明になった時は、人々はサン・ラトゥに『捕われた』からだと言うのです。

 ガヨクヤカルト・ハディニングラト王家だけでなく、その兄弟たち、スロカルト・ハディニングラト Surakarta Hadiningrat 王家でもカンジェン・ラトゥ・キドゥルは信じられています。ババッド・タナ・ジャウィの中で、カンジェン・ラトゥ・キドゥルはマタラム王国の始祖パヌムバハン・セノパティにマタラム王家とスルタンたち、王家の一族そしてその民衆を災厄から護ることを約束しました。二つの王家(ヨグヤカルトとスロカルト)はその出自は一つです(マタラム王国)。ですから、ヨグヤカルト王家だけでなく、スロカルト王家もまたカンジェン・ラトゥ・キドゥルへの信仰をさまざまな形で示しています。そのひとつに、宮廷で最も神聖な踊りとされるブドヨ・クタワンBedoyo Ketawan があります。これは年一度、王の戴冠式の記念日に踊られるものです。ジャワの伝統的な花嫁衣装を着た九人の踊り手たちが、ススフナン(王)と結婚するためにやって来るラトゥ・キドゥルを招く踊りです。そして光り輝く十人目の踊り手として、サン・ラトゥが神秘の姿を現すと言われます。

 ラトゥ・キドゥルに対する信仰は西部ジャワにも広がりました。サムドラ・ビーチ・ホテル Samdera Beach Hotel の最上階にの特別室(308号室)は、プラブハン・ラトゥ Pelabuhan Ratu〈女王の港〉と呼ばれ 、ラトゥ・キドゥルのための部屋であるという話を、あなたもきっときいた事があるでしょう。女王に会いたいなら、誰でもこの部屋に入る事は出来ますが、そのためにはまず、仲介者を立てて、サン・ラトゥに供物を捧げなければなりません。この特別室は『神秘』のシムボルとして、スカルノ前大統領も使用しました。

 おおいに近代化された現在においてもなお、カンジェン・ラトゥ・キドゥル、またニャイ・ロロ・キドゥル、南海の女王の伝説は最も荘厳なものとされています。この物語を読んだあなたも、そしてインドネシアや他の国々のおおくの人たちも、ジャワの伝統衣装を着た美しい妖精の女王に会いたいと思ったでしょう。伝えられるところによれば、インドネシアの大画家、故アファンディ Affandi はサン・ラトゥを目撃した一人だと言われています。彼はその経験を作品に注いだと言われています。

(おわり)
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by gatotkaca | 2012-12-19 22:10 | 切り絵 | Comments(0)