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木から落ちた猿

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ドゥルゴ総論

 手元の資料は出し尽くしてしまったので、とりあえずまとめてみたい。

 インドのドゥルガーは、ジャワにおいても広く信仰されたが、モジョパイト王国時代にはこの女神に対する二つの異なった解釈が生じた。宮廷文化圏においては「デーヴィー・マハートミヤ」に代表されるプラーナ文献の解釈に比較的忠実な信仰が流通した。これは数々のチャンディに見られるマヒシャースラマルディニー像に代表される。しかし、民間信仰のレベルでは、シャクティ派の秘教的儀式(輪座礼拝など)に対する誤解等から、インドの説話を離れた独自の解釈が生まれ、広まっていった。こちらはキドゥンに代表される民間の文学作品においてさまざまなヴァリエーションを生み出したいった。民間信仰で生まれた解釈は、ドゥルガーの聖性をおとしめる方向に進む。そして、聖なる美神ウモが自身で犯した罪の報いとして、醜い羅刹姿のドゥルゴに変身させられる、という説話群を生み出し、モジョパイト崩壊後はこの民間信仰におけるドゥルゴ像が一般化していった。輪座礼拝における乱交に対する誤解が、崇拝されるべきドゥルガー像の悪しき方向への解釈を生み出したことは、ジャワ文化圏においてはインド文化圏よりも性に対して、少なくとも民間信仰レベルにおいては、より厳格で内罰的傾向が強かったことを示しているといえよう。またカーリー信仰における残酷性の強調もドゥルガーの羅刹化に影響していると思われる。
 ジャワ文化圏では、一柱の神の多面性を、多様な異なる姿で表現するというインド的表現は一般化せず、異なる神性は別々のキャラクターを形成した。ジャワでは系譜上の具体性を重視する傾向が強い。今でもジャワ人は家系図好きである。よって、ウマーとドゥルガーが、同時に存在し得るインド文化圏とは異なり、ジャワではウモとドゥルゴは、別の存在としてあり、同じ時間軸内には両立しないのである。ジャワにおいてはドゥルゴはウモが変身させられた姿であり、ドゥルゴがいる間は、ウモはいない。ドゥルゴがルワット(魔除け)されて初めてウモが復帰するのである。
インド  ドゥルガー=ウマー(パールヴァーティー) 同時存在
ジャワ1  ウモ→ドゥルゴ→ウモ  同一人物ではあるが、時系列の異なる存在
ジャワ2  ウモ→ドゥルゴ1→(魂を交換)プルモニ→ドゥルゴ2 ドゥルゴ1→ウモ
 となる。ジャワ2のヴァージョンではウモの復帰は早められ、ウモとドゥルゴを両立させることができるようになる。かわりにプルモニ=ドゥルゴとなるが、この場合も一定期間後にはルワットされてプルモニに戻ることになる。
 現在のワヤンでの解釈もジャワ1とジャワ2の両者が併存しており、松本亮氏が「ジャワ影絵芝居考」で取り上げている「ウィサングニの誕生」(ダラン、キ・スティノ)の解説では、ジャワ1説となっている。ドゥルゴとウモが同じ演目内で登場するのだが、ここではドゥルゴはあくまでウモの変身であり、同演目内でウモとされている人物は、ウモの後添いとなった娘、聖者がランティの木から生みおとしたウモと酷似するデウィ・ウモランティであると解される。
 ワヤンにおいては、先に紹介した演目群にみられるように、バタリ・ドゥルゴはマハバラタ演目群において、パンダワの敵対者として活躍する。ここで興味ぶかいのは、彼女が妨害するのは主にアルジュノであり、しかも多くの場合、息子のデウォスラニを通した間接的敵対者であることである。ビモと敵対する例は、寡聞にして知らない。ワヤンにおいて、アルジュノはいわばヒンドゥー的英雄であり、ダランに関する項目で述べたように、ビモは「デウォ・ルチ」等によって、イスラム的真理の体現者とされている。ということは、ドゥルゴは、ワヤンの世界では敵役にまでおとしめられたが、あくまで神である彼女がビモ(イスラム)と敵対することは慎重に避けられているように思える。*また、息子デウィスラニの欲望に踊らされる母としてのドゥルゴ像は、彼女を完全なる悪の化身とするにはしのびない、彼女に対するジャワ人の敬意を感じるのである。また、ドゥルゴの暴走をとどめ得るのがスマルである点も留意しておきたい。落ちたとはいえドゥルゴはやはり強力な女神であり、彼女を押し止める力を持つのは、ブトロ・グルを超える神性をもつスマルなのである。グルは多くの場合、ドゥルゴの口車にのせられ、ドゥルゴを支援する側にまわってしまう。ここにも松本亮氏が指摘するジャワイスラム化に伴うシヴァ(ブトロ・グル)の神聖を低下させる戦略が働いているといえよう。
 ウモ・ドゥルゴのドラマサイクルは、神代をあつかう演目「ムルウォコロ」でデウィ・ウモがブトロ・グル(シヴァ)に呪われてバタリ・ドゥルゴがうまれ、時代がくだってマハバラタ演目群でパンダワの敵対者として振る舞い、「スドモロ」においてサデウォ=グルのルワットを受けてウモに復帰するという経過を経て完結する。「スドモロ」の時代設定は、パンダワ五王子の末っ子サデウォが成人した後、マハバラタの大詰め、バラタユダ勃発前である。つまり「スドモロ」の時点より後にはワヤンの世界では、バタリ・ドゥルゴは存在しないということになるのである。

*ビモとドゥルゴが敵対する演目を一例見つけたので、この言説は撤回する。「ビモ・スチ Bima Suci」である。
 しかし、「ビモ・スチ」での敵対関係は、アルジュノとのそれとは若干ニュアンスが異なるようにも思える。
 別項で考えてみたい。2011/7/23 訂正
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by gatotkaca | 2011-07-23 15:45 | 影絵・ワヤン | Comments(0)