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木から落ちた猿

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ドゥルゴ総論

 手元の資料は出し尽くしてしまったので、とりあえずまとめてみたい。

 インドのドゥルガーは、ジャワにおいても広く信仰されたが、モジョパイト王国時代にはこの女神に対する二つの異なった解釈が生じた。宮廷文化圏においては「デーヴィー・マハートミヤ」に代表されるプラーナ文献の解釈に比較的忠実な信仰が流通した。これは数々のチャンディに見られるマヒシャースラマルディニー像に代表される。しかし、民間信仰のレベルでは、シャクティ派の秘教的儀式(輪座礼拝など)に対する誤解等から、インドの説話を離れた独自の解釈が生まれ、広まっていった。こちらはキドゥンに代表される民間の文学作品においてさまざまなヴァリエーションを生み出したいった。民間信仰で生まれた解釈は、ドゥルガーの聖性をおとしめる方向に進む。そして、聖なる美神ウモが自身で犯した罪の報いとして、醜い羅刹姿のドゥルゴに変身させられる、という説話群を生み出し、モジョパイト崩壊後はこの民間信仰におけるドゥルゴ像が一般化していった。輪座礼拝における乱交に対する誤解が、崇拝されるべきドゥルガー像の悪しき方向への解釈を生み出したことは、ジャワ文化圏においてはインド文化圏よりも性に対して、少なくとも民間信仰レベルにおいては、より厳格で内罰的傾向が強かったことを示しているといえよう。またカーリー信仰における残酷性の強調もドゥルガーの羅刹化に影響していると思われる。
 ジャワ文化圏では、一柱の神の多面性を、多様な異なる姿で表現するというインド的表現は一般化せず、異なる神性は別々のキャラクターを形成した。ジャワでは系譜上の具体性を重視する傾向が強い。今でもジャワ人は家系図好きである。よって、ウマーとドゥルガーが、同時に存在し得るインド文化圏とは異なり、ジャワではウモとドゥルゴは、別の存在としてあり、同じ時間軸内には両立しないのである。ジャワにおいてはドゥルゴはウモが変身させられた姿であり、ドゥルゴがいる間は、ウモはいない。ドゥルゴがルワット(魔除け)されて初めてウモが復帰するのである。
インド  ドゥルガー=ウマー(パールヴァーティー) 同時存在
ジャワ1  ウモ→ドゥルゴ→ウモ  同一人物ではあるが、時系列の異なる存在
ジャワ2  ウモ→ドゥルゴ1→(魂を交換)プルモニ→ドゥルゴ2 ドゥルゴ1→ウモ
 となる。ジャワ2のヴァージョンではウモの復帰は早められ、ウモとドゥルゴを両立させることができるようになる。かわりにプルモニ=ドゥルゴとなるが、この場合も一定期間後にはルワットされてプルモニに戻ることになる。
 現在のワヤンでの解釈もジャワ1とジャワ2の両者が併存しており、松本亮氏が「ジャワ影絵芝居考」で取り上げている「ウィサングニの誕生」(ダラン、キ・スティノ)の解説では、ジャワ1説となっている。ドゥルゴとウモが同じ演目内で登場するのだが、ここではドゥルゴはあくまでウモの変身であり、同演目内でウモとされている人物は、ウモの後添いとなった娘、聖者がランティの木から生みおとしたウモと酷似するデウィ・ウモランティであると解される。
 ワヤンにおいては、先に紹介した演目群にみられるように、バタリ・ドゥルゴはマハバラタ演目群において、パンダワの敵対者として活躍する。ここで興味ぶかいのは、彼女が妨害するのは主にアルジュノであり、しかも多くの場合、息子のデウォスラニを通した間接的敵対者であることである。ビモと敵対する例は、寡聞にして知らない。ワヤンにおいて、アルジュノはいわばヒンドゥー的英雄であり、ダランに関する項目で述べたように、ビモは「デウォ・ルチ」等によって、イスラム的真理の体現者とされている。ということは、ドゥルゴは、ワヤンの世界では敵役にまでおとしめられたが、あくまで神である彼女がビモ(イスラム)と敵対することは慎重に避けられているように思える。*また、息子デウィスラニの欲望に踊らされる母としてのドゥルゴ像は、彼女を完全なる悪の化身とするにはしのびない、彼女に対するジャワ人の敬意を感じるのである。また、ドゥルゴの暴走をとどめ得るのがスマルである点も留意しておきたい。落ちたとはいえドゥルゴはやはり強力な女神であり、彼女を押し止める力を持つのは、ブトロ・グルを超える神性をもつスマルなのである。グルは多くの場合、ドゥルゴの口車にのせられ、ドゥルゴを支援する側にまわってしまう。ここにも松本亮氏が指摘するジャワイスラム化に伴うシヴァ(ブトロ・グル)の神聖を低下させる戦略が働いているといえよう。
 ウモ・ドゥルゴのドラマサイクルは、神代をあつかう演目「ムルウォコロ」でデウィ・ウモがブトロ・グル(シヴァ)に呪われてバタリ・ドゥルゴがうまれ、時代がくだってマハバラタ演目群でパンダワの敵対者として振る舞い、「スドモロ」においてサデウォ=グルのルワットを受けてウモに復帰するという経過を経て完結する。「スドモロ」の時代設定は、パンダワ五王子の末っ子サデウォが成人した後、マハバラタの大詰め、バラタユダ勃発前である。つまり「スドモロ」の時点より後にはワヤンの世界では、バタリ・ドゥルゴは存在しないということになるのである。

*ビモとドゥルゴが敵対する演目を一例見つけたので、この言説は撤回する。「ビモ・スチ Bima Suci」である。
 しかし、「ビモ・スチ」での敵対関係は、アルジュノとのそれとは若干ニュアンスが異なるようにも思える。
 別項で考えてみたい。2011/7/23 訂正
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by gatotkaca | 2011-07-23 15:45 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンでのバタリ・ドゥルゴ その1

 以下、デウィ・ウモ(パールヴァーティー、ウマー)とバタリ・ドゥルゴ(ドゥルガー)説話のワヤン・プルウォにおけるプロットを紹介する。それと関連して、インドには見られないサン・ヒワン・プルモニ(グドゥン・プルモニ)の説話もあわせて紹介する。いづれもSENA WANGI刊「ワヤン・インドネシア百科事典 Ensiklopedi Wayang Indonesia」の記載に基づく。

Batara Guru Krama
ブトロ・グルの結婚


 オマラン(ウマラン)という名の商人があり、定住することなく、国々を巡り歩いていた。妻の名をデウィ・ヌルウェニといい、彼女はガンダルウォ(ジン=魔神)の王の娘であった。彼らにはウモという名の娘があった。
 母の子宮より産まれた時、彼女は普通の子供と異なり、赤い光の塊で、すばやく天へ飛び去った。光はあちらこちらに飛んだ。父はすぐさま追いかけ、それを捕らえようとしたが、果たせなかった。
 遂に光はガンダルウォ達の支配するグヌン・トゥングル山の頂に至った。そこでウマランは瞑想し、ヒワンマハ・クアサに乞うた。光の姿の彼の子が、普通の赤ん坊の姿になれますようにと。とはいえ、この時彼は、その光の姿の子が、男か女かを知らず、ウマランはただ男でも女でも構わぬ、人間の姿に変わって欲しいとだけ祈った。祈りは聞きとどけられた。その不思議な光は相違なく赤子に化身した。その赤子はふたなり(両性具有)であった。赤子を得た後、ウマランはその子をムルト国へ連れて行き、ウマイ(母の子の意)と名付けた。性別に難があることが気がかりとはいえ、ウマランと妻はその子を愛情いっぱいで育てた。
 ウマイはひじょうに美しい娘に成長した。しかしながら、彼女は未だにふたなりのままであった。年頃になってから、デウィ・ウマイ(ワヤンではしばしばデウィ・ウモとして知られる)は種々のイルム(知識)を追求することを好み、苦行を好み、ついには並ぶ者のない超能力を手に入れた。その超能力故に、デウィ・ウモは世界の支配者となることを望んだ。
 超能力を有し、美しいデウィ・ウモのことはついに天界の支配者バトロ・グルの耳に届いた。神々の指導者が、すでに聞き及んだ娘の美しさを確かめるためにやって来た。とはいえ、バトロ・グルの到来はウモによってすでに知られていた。
 バトロ・グルの超能力を試すため、その娘はトゥルバという魚(身体の長いインド洋の魚の一種)に姿を変え、海の底に飛び込んだ。はじめバトロ・グルは探している娘に会えないので困った。とはいえ、超能力を使い、デウィ・ウモが魚の姿になって海の中にいることを知った。
 バトロ・グルはすぐさまデウィ・ウモが化身した魚を海で狩りたてた。もうすこしで捕まりそうになった時、魚は再び美しい娘に変化して天に飛び去った。バトロ・グルは追いかけた。天での追いかけっこになった。とはいえ、捕まりそうになる度、デウィ・ウモはうなぎのようにつるつるした肌によって逃げることが出来た。そういうことで、バトロ・グルの、すばしこくて超能力の美女を捕まえる努力は徒労に終わった。
 くやしさと怒りで、バトロ・グルは祖父サン・ヒワン・ウェナンにデウィ・ウモを捕らえることができるよう、もう一対の腕を与えられるように、と乞うた。祈りは聞き届けられた。バトロ・グルの肩に新たな二本の腕が生えた。それ故この神は四本の腕を持っているのである。四本の腕を得て、とうとうデウィ・ウモを捕らえることができた。
 バトロ・グルを怒らせた罪によって、デウィ・ウモはその超能力の全てを失った。バトロ・グルはかくて娘の男性器をなくし、女性器のみが残された。
 完全な女性と成してのち、バトロ・グルは彼女を妻にしたのである。
 注) ジョグジャカルタの幾人かのダランによれば、デウィ・ウモはふたなりではなく、bagapuru(即ち女性器に穴がない)の障害をもつ。バトロ・グルがkeluwih (パンの木)の葉でゆっくりと叩いて、通常の女性器に回復させた。

Batari Durg
バタリ・ドゥルゴ


 本当の所、最初はバトロ・グルの妃であった。その時、彼女はまだ美しく、デウィ・ウモまたデウィ・ウマイという名であった。ある夕暮れ時、バトロ・グルとデウィ・ウモはルムブ・アンディニに乗って天上から世界を巡って楽しもうとした。ヌサカムバン近くの海上に至った時、風がデウィ・ウモの着物の裾を翻し、バトロ・グルは妃の脛を見て魅惑された。彼はルムブ・アンディニの背の上であるにも関わらず、デウィ・ウモに欲情し、愛の行為を持ち掛けた。しかしデウィ・ウモは、これをふしだらと感じて、彼の誘いを拒んだ。
 バトロ・グルは妃が拒否したにも関わらず、愛撫を止めようとせず、デウィ・ウモは避け続けた。ついに欲情に耐えきれず、バトロ・グルの精液が放出され、大海に落ちた。
 デウィ・ウモが拒んだ事はバトロ・グルを不機嫌にし、怒らせた。カヤンガンへの帰還の途路、彼らは言い争いになった。ルムブ・アンディニに気付かれないようにしていたが、互いにだんだん熱くなっていった。怒りにかられてデウィ・ウモは言った。「先のごとき行為は兄(けい)には相応しくありませぬ。かようなる行為は長き牙持つ怪物にこそ相応しいもの…」デウィ・ウモは優れた超能力の持ち主ゆえ、その言葉はいかなるものも現実となる。牙長く生えたバトロ・グルの怒りは本気のものとなった。考え無しに彼はデウィ・ウモを呪い返し、彼女はラスクシ(女ラクササ)となった。
 一説によれば、バトロ・グルがデウィ・ウモにラクササになるよう呪いをかけたのは、ヒワン・ウェナンから彼の妃は不実をなす者であるとの訴えをうけたからであるとする。しかし、ワヤン・クリ・プルウォ、またワヤン・ゴレ・プルウォ・スンダのダランでこの説に従う者は稀である。
 お互いに呪い合った後、二人は後悔した。デウィ・ウモがラクササとなってしまったので、バトロ・グルはもはや妃に相応しくないと判断した。それ故バトロ・グルは、美しいが貪欲で怠惰なサン・ヒワン・プルモニと(ドゥルゴの)肉体を交換した。(※ワヤンの書の一部ではデウィ・ウモはバタリ・グンドゥン・プルモニではなく、デウィ・ラクスミと交換される)そしてサン・ヒワン・プルモニの魂はラクササと化し、バトリ・ドゥルゴの名を与えられたデウィ・ウモの身体に入った。
 しばらくしてから、大海に落ちたバトロ・グルの精液から生まれた邪悪な怪物が現れた。この怪物はカヤンガンで大暴れし、三つの要求を突きつけた。それは、自分を息子として承認すること、名が与えられること、そして妻が与えられることであった。この要求はバトロ・グルに承認された。怪物にはバトロ・コロの名が与えられ、バタリ・ドゥルゴを妻に与えられた。彼らはクルドワホノの森のカヤンガン・ストラ・ゴンドマイ(ト)の地を与えられた。そこで彼らは全てのジン、ガンダルウォ、ハントゥ(悪鬼)、その他の怪物たちを統べることとなった。
 ワヤンにおいて、バタリ・ドゥルゴは、(人を)手助け(邪魔立てを含む)するのを好む性質を持つことから、「ススムバハン sesembahan(敬われる者)」となった。例えば、ブリスロウォは、アルジュノの妻、デウィ・スバドラ(スムボドロ)の恋慕を押さえきれなくなった時、バタリ・ドゥルゴに祈りを捧げ、手助けを乞うた。バタリ・ドゥルゴの助けで、ブリスロウォは知られる事無くカサトリアン(クサトリアの居住区)・マドゥコロへ侵入し、あやうくスバドゥラを穢すところであった。(ラコン、スムボドロ・ラルン)
 プラブ・アノム・ドゥルユドノの長子、レスモノ・モンドロクモロもまたアルジュノの娘、デウィ・プルギワティを妻にしようとしてバタリ・ドゥルゴの手助けを求めた。ドゥルゴの手助けを得たとはいえ、この企ては失敗し、デウィ・プルギワティはプラブ・ユディスティロの息子、ポンチョウォロの妻となった。
 バラタユダ勃発をひかえて、バタリ・ドゥルゴはデウィ・クンティに、カラントコとカランジョヨというガンダルウォの殲滅を求められた。この超能力の二人のガンダルウォはコラワに味方しようとして、パンダワの安寧を脅かしたのである。
 バタリ・ドゥルゴはクンティの願いを満たす事を承認したが、条件として、パンダワの母(クンティ)にサデウォを生贄に差し出すよう命じた。クンティはバタリ・ドゥルゴの要求を拒んだ。しかし、最後にはバタリ・ドゥルゴは、パンダワ一族の双子のひとり、サデウォによって魔除けされ(diruwat) 、美しいビダダリの姿を取り戻した。バトロ・グルが入魂してサデウォはバタリ・ドゥルゴの魔除けを承知したのである。(※一部のダランによれば、バトロ・グルに入魂されたサデウォをキ・ルラ・スマルが手助けしたとされる)
 これらの出来事はラコン・スドモロまた、ムルウォコロにおいて物語られる。
 ワヤン・プルウォでのバタリ・ドゥルゴの人物像はしばしば邪悪で、残酷、そして恐ろしい者として描かれるが、インドの宗教(ヒンドゥー)の信者たち、殊に北部地域において、ドゥルゴは守護女神として崇拝されている。彼らのドゥルゴへの信仰においては、受難者,不正な行為によって困苦を受けている者にとってのデウィ・プノロン Penoling(守護女神)であるとされる。

Sang Hyang Permoni
サン・ヒワン・プルモニ


 サン・ヒワン・プルモニは容姿端麗なビダダリであったが、その心は邪悪であった。彼女は野心家で、嫉妬深く、妬み深く、無知であった。それ故、その美しさはバトロ・グルを魅惑したが、神の長は彼女を妻にはしなかった。とはいえ、カヤンガンの支配者の妻になることはサン・ヒワン・プルモニの切望であった。
 望みを成就するため、サン・ヒワン・プルモニはカワ・チョンドロディムコで苦行するに至った。その苦行の目的を知ったサン・ヤン・ウェナンが到来した。サン・タン・プルモニに対し、サン・ヒワン・ウェナンは願いをかなえてやると約束した。カヤンガンの支配者の妻になるというサン・ヒワン・プルモニの願いは、部分的に実現された。しかし願いの成就まで、プルモニはしばし待たなければならなかった。サン・ヒワン・ウェナンの約束はプルモニを満足させた。
 後に起こったことはサン・ヒワン・プルモニをおおいに失望させた。バトロ・グルの妻になることに成功したのは、美しい身体の方だけだったのである。魂はちがった。どのようであったか、事件は以下のようである。
 バトロ・グルが美しい妃、デウィ・ウモを呪って、ラスクシ(女ラクササ)とした時、彼は真実ひじょうに後悔した。そこで彼は妃に美しい身体を取り戻してやるための知恵をしぼった。
 しばらくしてから、荒ぶる怪物がやって来てバトロ・グルに三つの要求を突きつけた。第一はその怪物を息子として承認し,名を与える事。第二には妃を与える事。そして第三は住処を与える事であった。バトロ・グルは全ての望みを認めた。怪物にはバトロ・コロの名が与えられ、さらにバタリ・ドゥルゴを妻に与え、妻と共にカヤンガン・ストラゴンドマイトに住まう事とされた。
 しかしバトロ・コロが(ウモがラクササとなった)バタリ・ドゥルゴと共にストラゴンドマイトへ出立する前に、バトロ・グルはデウィ・ウモの魂をサン・ヒワン・プルモニの身体に移し、プルモニの魂をドルゴの身体に入れた。こうしてドゥルゴとプルモニは魂を交換したのである。
 美しいプルモニの身体はバトロ・グルの妃となることに成功したが、魂はバトロ・コロの妻となったのである。
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by gatotkaca | 2011-07-15 02:13 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ジャワのバタリ・ドゥルゴ 補足2 用語編

ラジャス、タマス、サットヴァ
アーユルヴェーダ等で解かれるトリ・グナ(心を左右する3つの性質)はサットヴァ、ラジャス、タマスの3つに分類される。
サットヴァ=純質は汚れないものであるから、輝き照らし、患いのないものである。 それは幸福との結合と知識との結合によって束縛する。
ラジャス=激質はラーガ(激情)を本性とし、渇愛と執着とを生ずるものであると知れ。 それは、行為との結合によって主体(個我)を束縛する。
タマス=一方、暗質は無知から生じ、一切の主体を迷わすものであると知れ。 それは、怠慢、怠惰、睡眠によって束縛する。
純質は幸福と結合させ、激質は行為と結合させる。 一方、暗質は知識を覆って、怠慢と結合させる。(※以上バガヴァッド・ギーター(上村勝彦訳) からの引用)

シャクティ派
 シヴァの神妃デーヴィーの崇拝に基づくシャクティ(性力)信仰を中心に、輪座礼拝などの礼拝儀礼を持つ宗派。この派の聖典はタントラ Tantraである。

プラーナ
デーヴィー・マハートミヤ

プラーナは「古い物語」「古伝説」の意で、「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」の二大叙事詩と並んでヒンドゥー教の聖典とみなされる文献群のことである。ヒンドゥー神話・伝説の宝庫ともいえる。
「デーヴィー・マハートミヤ」は五、六世紀ころに編纂され、全プラーナ中でも最古のもののひとつ、「マールカンディーヤ・プラーナ」の第八十一章から九十三章に挿入されている。デーヴィーの名前の一つに因んで「チャンディー」とも呼ばれる。女神の誕生から、女神が神々や人間の敵を打ち倒す主題が中心であり、女神崇拝の根本聖典である。

カカウィン
 「カウィ」と呼ばれるジャワ古語によって書かれた長編詩。サンスクリット文学から派生した韻律と拍を用いる。方言・口語よりも形式化された文語体を用い、9〜16世紀にわたり中部、東部ジャワの宮廷で成立した。

キドゥン
 古代のジャワ韻文の一形態。外来のサンスクリット韻律ではなく、ジャワ語韻律を使用する点で、カカウィンとは異なる。主題は歴史的事象に基づく。

パンチャ・マカラ
 シャクティ派の礼拝儀礼のひとつ、輪座礼拝に用いられる。
 輪座礼拝とは、チャクラープージャーと呼ばれるもので、同数の男女が夜中ひそかに集まって輪になって座り、五M字の作法によって礼拝する。五Mとは、マディヤ(酒)、マーンサ(肉)、マツヤ(魚)、ムードラ(印契)、マイトゥナ(性交)であり、深夜に集った男女はこの五Mで表される供物を捧げて女神を礼拝し、酒を飲み、肉や魚を食べ、カーストの区別なく、近親の関係もすべて無視して入り乱れて性交をおこなう。この派にとってマイトゥナ(性交)は重大な意味をもっており、ただリンガ(男性器)とヨーニ(女性器)の合一ではなく、シャクティとの合一であるとされる。人はこのようにして解脱に導かれるのであり、その状態は男性神と女性神(シヴァとパールヴァーティー)の交合であらわされる、と説かれる。

ヨーギニー
 魔女の一種。ドゥルガーの従者で、ドゥルガー自身もヨーギニーと呼ばれる。彼女は自分と夫シヴァに奉仕させるためにヨーギニーを造り出したといわれる。その数は八人とも、六十人とも、六十四、六十五ともいわれる。
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by gatotkaca | 2011-07-14 13:45 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ジャワのバタリ・ドゥルゴ 補足1 図像編

 現代インド、神様絵はがきのマヒシャースラマルディニー。ドゥルガーの足下で殺されようとしているのが、水牛の頭を持つアスラ、マヒシャースラである(よく見ると角がはえている)。女神の容貌は美しく表現されている。
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 アスラが人間の顔の場合、退治されているのは魔人ニシュムバといい、別のアスラである。インドの図像学上は、この場合、マヒシャースラマルディニーとは呼ばれず、ニシュムバスーダニー(ニシュムバを殺すもの)と呼ばれる。この場合もドゥルガーは美しい。インドではドゥルガーの容貌が怪物化することはない。
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 下の2点がロロ・ジョングラン(プランバナン)のドゥルゴ。かたわらのアスラは、いづれも人間の容貌である。正確にはニシュムバスーダニーなのだと思われるが、インドネシアでは一般に(博物館等の解説でも)同様の図像をマヒシャースラマルディニーと呼んでいるようである。ここでのドゥルゴはまだ美しい女神の姿である。
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 これはMuseum Nasional (国立博物館 ジャカルタ)のNo.152である。口元に牙があるのかなぁ。よくわからない。顔はとくに怪物化していないように思える。
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 これはチャンディ・シンゴサリのレリーフ破片である。たしかに牙があるのだが、よくみるとペニスもある。これはバイラヴァ Bhairava、すなわちシヴァである。わたしはまだドゥルゴ像は確認できていない。もしかするとハリアニ氏はこれをドゥルゴと勘違いしているのでは?とも思うがよくわからない。ワヤンのラコン「ムルウォ・コロ」の主役、ブトロ・グル(シヴァ)の息子、ブトロ・コロとバイラヴァ像は関係しているように思えるのでここで紹介した。(コロは羅刹である)
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 下は1390年ごろ建造されたチャンディ・スロウォノ Candi Surowono (モジョパイト時代)にあるレリーフで、スドモロ物語の一場面が描かれている。ここでは、マハーバーラタの主役パンダワ5王子の末っ子、サデウォがラスクシ(羅刹女)の姿になったドゥルゴをルワット(魔除け)して、元の美しいウモの姿に戻す。中央の木の右に跪いているのがドゥルゴ、彼女の前に立っているのがサデウォである。つまりスドモロ物語成立当時になると少なくとも民間信仰では、美しいうちはウモ、羅刹化するとドゥルゴと呼ばれることになる。
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 (次回は用語説明)
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by gatotkaca | 2011-07-13 03:25 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ジャワのバタリ・ドゥルゴ その3

(つづき)

ドゥルゴの概念の変遷とその理由
 上記資料に基づき、われわれはジャワのドゥルゴが救済者としての女神である理由が、ドゥルガー・マヒシャースラマルディニー(マヒシャースラを殲滅するドゥルガー)として表されたドルゴにあることがわかる。しかし、モジョパイト時代には、ドゥルガー・マヒシャースラマルディニーが表現される一方で、実は自身の罪によって呪われたウモであるドゥルゴ・ラスクシという、別のドゥルゴが現れる。いかなる理由でモジョパイト時代に、ひじょうにことなる相貌のふたつのドゥルゴがあらわれるのか、またその背景は?
 その問題を解決するために、まずは議論される文学作品の種類に注意してみよう。過去の著者の調査において、アーガマ・シヴァ(シヴァ派の教典)中の高位の女神ドゥルガーが、カカウィン(ジャワ古語の書)の文学作品としての書において現れる。カカウィン・ガトコチョスロヨ、カカウィン・コロヨノワナントコ、カカウィン・スタソマ、カカウィン・アルジュノウィジョヨにおいて。またカカウィンではないが、チャロナランの書において。一方、ドゥルゴ・ラスクシは中世ジャワのキドゥンと散文の作品に見いだせる。ズートムルデル(訳注:Petrus Josephus Zoetmulder ドイツ人 1906-1995 ジャワ古語研究者)とエディ・スディヨワティ (訳注:Edi Sedyawati 1938- インドネシア人 作家・考古学者)はかつて、ジャワ古語と中世ジャワ語の著者たちを彼らを取り巻く環境に基づいてにグループ化した。その文学作品群はふたつのグループに分けられる。ひとつは宮廷(クラトン内)文学であり、カカウィンの類いが含まれる。ふたつめは宮廷外の文学で、キタブ・タントゥ・パンゲランやコラワスロモが含まれる。このふたつのキドゥン以外でも、キドゥン型の書は宮廷外のものと推測される。宮廷文学はオリジナル=インド伝承を多く参照しており、一方宮廷外の文学はインド由来の素材を自由気ままに解釈する。
 前時代およびインド版とひじょうに異なるドゥルゴの概念が生じたのはなぜか?これは、宮廷外の環境にある著者が神・女神の概念にたいして独自の自由解釈を施した結果であるといえよう。キタブ・タントゥ・パンゲランの著者の「意図」に合致させれば、インドの神々はジャワ人の神々となるからである。そのキタブの物語からわれわれは、マハメル山(メール山)がインドのジャムブドヴィーパ(閻浮提洲えんぶだいしゅう)からジャワに移動させられていることがわかる。神々のおわすところであるマハメル山頂が、神々の住む山頂をインドからジャワに移されて、神々もまた移動したのである。そう考えれば、宮廷外の文学作品における多くの神話が、インドにその源泉を見いだせないことも不思議ではない。
 しばしば夫に対して忠実でない行為をなすウモという、シワの「神妃」を害するような解釈もそのひとつである。これはひじょうに驚くべきことである。というのも、インドではウマーあるいはパールヴァティーは、夫に対してひじょうに忠実で、インド女性の規範となるものだからである。なぜモジョパイト時代に驚くべき変化が生じたのであろうか?この変化はおそらく、女神、ドゥルガー・カーリーを崇めるタントラの密教的性格を持つ儀式の目的に対する誤った理解の結果であろう。タントラの儀式のなかでジャワで著名なもののひとつはパンチャ・マカラであろう。その儀式においてサダーカ sadhaka(弟子たち)は、ひとりの師(チャクラスワミン Cakraswamin)に導かれて輪座する。儀式は人里離れた場所、いちばん良いのは墓所のなかである、で夜半に行われる。良き師、また弟子はそれぞれ女性とペアになり、5 maを行う。5 maとはマツヤ(魚)、マーンサ(肉)、ムドラー(小麦 訳注:通常ムドラー、ムードラは印契;いんげい〈両手で示すジェスチャーによって、ある意味を象徴的に表現するもの。仏像がしめす印と同義〉 を指すはずである)、マディヤ(ぶどう 訳注:通常は酒)、そしてマイトゥナ(性交)である。ペアの女性達は師と弟子達自身の妻(スヴァーキヤ swakiya)とされる。妻が同意しない時は、各々のペアは儀式において定められたペアであることを任命されなければならない。これはシヴァ・ヴィヴァーハと呼ばれる結婚の儀式のひとつである。同じく定められた階級に達したサダーカ(弟子)にのみ許される儀式がある。これは差別する者がないように行われる。パンチャ・マカラ・プージャの儀式の目的は、人間が自分自身を制御することができるようになることである。5つの事象は正確に行われなければならない、そして喜びの絶頂において、自身がバイラワとバイラウィとしての神と女神であることを認識するのである。墓場が選択させるのは、それが解脱への「扉」であるからであり、墓場すなわち解脱への扉の見張りこそがカーリーである。タントラ派の残照がドゥルゴ・ラニニの周辺にも感じられる。中でも墓を住居とすることは、その最愛の従者たる名カリカ(カーリー)、獣の頭の怪物達、人間の姿をした64人の女神たちヨーギニー(ドゥルガーの従者である女魔術師)を思い起こさせる。彼らはつねにカーリーを囲んでいる。
 密教的性質をもつタントラ派の儀式は、その執行、目的、各々の行為の意味が「外部の者」には理解できないのである。その一例として、シンゴサリ王、クルタヌガラ王について語るキタブ・パララトンの最後に語られる儀式の一部の行為である、ピジェル・アナンダ・サジョン pijer anandah sajongがある。同様にタントラ派の儀式の密教的性質は誤認を生じさせる。ドゥルガー・カーリーは樹液を得て崇められ、夫に忠実でない女神となり、他の神・女神らと同列に並ぶにふさわしくないと考えられるにいたった。インドの(多分ジャワでも)タントラ派以外の儀式においても、象徴性を内包する生贄の血が使用される。ドゥルガーが悪魔的性質をもつ女神であると考えられているからである。ドゥルガーが悪魔的な性質を持つ女神であるとの考えは、多分モジョパイト時代以前の古代ジャワの共同体にも存在した。ジャワのプラサティ Prasati(王達の公式記録)の最終部にあるサパタ sapatha(誓い)と呼ばれる部分は、神々,精霊たち、支配者の風向き、祖先の霊その他への呼びかけである。サパタの目的は王、臣、民衆によって従われる碑文の決定であった。そのサパタにおいてドゥルゴは、人間を取り巻く魔物や精霊達と共に呼ばれ、碑文の決定を犯す人間に罰を与えるよう乞われている。いくつかのモジョパイト時代のドゥルガー・マヒシャースラマルディニー像が牙を持っているのを見ても驚くことはないのである。
 同様にシヴァのシャクティ(神妃)としてのドゥルゴが、初めは人間を助ける女神として考えられていたのが、悪魔的性質を持つ女神として誤解され、ヒンドゥー・タントラの儀式において崇められた。「(タントラ)外部の者」によるタントラ派の儀式に対する誤解が原因となり、「堕落した」ドゥルゴ像は悪しき性格の、墓に住む、精霊の女王たるラスクシとなった。同種の彫像は宮廷外の環境で特に肥大し、ヒンドゥー諸王国の消滅の時まで衰えることはなかった。ラスクシのドゥルゴ像の姿はワヤンの物語群にも影響を与え、ワヤンの物語のバタリ・ドゥルゴ、またパスンダン地方(西ジャワ)でのグドゥン・プルモニを生み出したのである。(了)

 (補足説明等は次回)
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by gatotkaca | 2011-07-12 10:11 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ジャワのバタリ・ドゥルゴ その2

(前回のつづき)

モジョパイト時代のドゥルガー
 ドウルガー・マヒシャースラマルディニー像の他に、モジョパイト時代に突如、マヒシャースラマルディニーとはその相貌、背景、性質もひじょうに異なるドゥルガー像が現れる。このモジョパイト時代に現れるドゥルガーは、もとは美しい姿のウマーであったのが、重い罪を犯した罰としてラスクシ(羅刹女)となる。羅刹女のドゥルガーの考古学的記録は、クディリのコタ・パレ付近にあるチャンディ・テゥガワンギの壁面、ブリタール市近くのチャンディ・パナタランの壁面、そしてラウ山の西方に存するチャンディ・スク寺院群の石壁に見いだせる。その諸チャンディの浮き彫りにあるドゥルガーは、巨大な身体を持ち、長い髪はちぢれ(ギンバル gimbal)、目を見開き、大きな鼻、分厚い唇に牙を持つが、瀟酒な衣服をまとい、また羅刹女姿の娘達に付き従われている。彼女の周りには奇妙で恐ろしげないくつかの顔があり、数頭の獣の顔を持つ怪物たちがいる。*訳注・以下神々の名はジャワ音で表記する。そろそろジャワ化しはじめるから。
 モジョパイト末期、あるいはモジョパイト崩壊後のジャワ古語あるいは中世ジャワ語の文学作品の諸本を繰っていくと、羅刹女としてのドゥルゴのキャラクターは、過ちを犯したことに対してシワ(ブトロ・グル)、または他の者から呪われ、強制されたウマーの姿に他ならない。その罪をつぐなうために、ウモはドゥルゴ、しばしばラニニとも呼ばれる、の姿にかえられ、クセトロ・ゴンド・マユと呼ばれる墓場に住む、またはパタラ(地下の世界)で12年の苦行をしなければならなくなる。以下に呪われたウモの物語を概説する。
 1.キドゥン(歌)・スドモロにおいて、ブラフマと戯れたウモは、バトロ・グルによって呪われ、ラスクシとなり、ドゥルゴまたはラニニの名が与えられた。彼女は墓場、すなわちカセトロ・ゴンドマユに住まねばならず、精霊達の女王となる。12年の後、彼女はサデウォの身体を借りたシワ(ブトル・グル)によってルワット(リヌカット)=魔除けされる。
 2.タントゥ・パンゲラランの書において、ウモはその息子クマラに対しておおいに怒り、クマラは彼女に食われてしまった。この卑しい行為はバトロ・グルによって呪われる。その怒りで咎められたウモはラスクシ・ドゥルゴとなる。彼女は罪を償うため、パタラで12年間苦行することを命じられる。
 3.キタブ・コラワス・ロモにおいて、ウモはガネシャ(ブトロ・ゴノ)が父(ブトロ・グル)から与えられた予言の書を引き裂いた。この書物で人は、過ぎ去った過去のみならず、来るべき未来も読むことができるのである。ウモはゴノに彼女の未来を予言させようとしたが、突然、彼女の過去の恥ずべき行い、彼女がかつて太陽神とひとりの牛飼いとの不誠実な戯れをしたことを読まれた。恥辱と怒りのゆえ、ゴノの書物は引き裂かれた。すると突如ウモはラスクシ・ドゥルゴとなった。ゴノは追いかけられ殺されようとした。彼はかくまってもらおうと、父のもとに逃げた。シワの助言を得たバトロ・ゴノは、デウィ・サラスワティ、デウィ・サウィトリ、デウィ・スリ(ラクスミ)の助けをかりてドゥルゴを魔除け(ルワット)した。
 4.キタブ・スリ・タンジュンにおいては、ウモがドゥルゴ・ラニニとなったことは語られていない。この書においては、ただドゥルゴは罪を犯したので、罰を受けたとのみ語られる。

 興味深いのは、ドゥルゴは高位の女神ではなくなったとはいえ、ウモへの呪いは容姿に対しだけであり、人々の救済者としての性質はいまだ優位にあるということだ。一例あげれば、キドゥン・スリ・タンジュンにおいて、ドゥルゴ・ラニニは、シドパクソとスリ・タンジュンの夫妻をもとのさやに収める手助けをする。同様にモジョパイト末期のキドゥンのひとつ、キドゥン・マルゴスモロにおいても、ドゥルゴ・ラニニは、双方の両親から命令で別れさせられようとする恋人達を助けるのである。

 (つづく)
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by gatotkaca | 2011-07-11 12:47 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ジャワのバタリ・ドゥルゴ その1

 インド神話で著名なドゥルガー女神(シヴァ神の妃の一名)は、ジャワに入って、ドウルゴと呼ばれる。ドゥルゴはワヤン・クリの演目でも活躍し、相当数のドゥルゴ関連の演目が存在する。
 その最も著名な演目は「ムルウォ・コロ Muruwa Kala」と「スドモロ Sudamala」であろう。この2演目はバリのワヤン・クリにもあり、ジャワ・ヒンドゥーとジャワ土着信仰の混成の痕跡を残し重要である。
 ワヤン専門雑誌「チュムポロ Cempala」のムルウォコロ・ルワタン特集号(1995)にジャワにおけるドゥルガー像の変遷を考察した論文があったので、紹介したい。その後この論文をふまえて、ワヤンの演目におけるドゥルゴのキャラクターを考えてみたい。
 というわけで、著作権違反にならぬよう以下は「引用」(全文だけど)と解していただきたい。(訴えないでね。)結構長いので、今回はその1ということで。なお訳は中辻の拙訳、原文はインドネシア語である。

ジャワのバタリ・ドゥルゴーー歴史的論評
ハリアニ・サンティコ Hariani Santiko

ドゥルガー・マヒシャースラマルディニー

 ジャワでシヴァ派の特徴をもった寺院を訪問すると、時折、北面した壁や広間に置かれた女神の像に出会うことがある。一例をあげれば、そのような女神は、シワ・プランバナン寺院の北面の広間(ロロ・ジョングランと地元ではよばれている)にも見いだすことができる(ほっそりとした娘の姿で)。その女神の像は、マヒシャースラマルディニー、すなわちシヴァのシャクティ(神妃)であるドゥルガーがマヒシャースラを殲滅する姿を象ったものに他ならない。一般的には美しい容貌で表現される女神だが、モジョパイト時代のドゥルガーは例外的に牙を持ったものとして表現される。ドゥルガーは宝石で装飾された衣服をまとい、4〜8本の腕をもち、その主立った手には武器を持っている。右、または左に向いて横たわる水牛の背の上に立ち、水牛の首、あるいは頭には、小人の姿のアスラが立つか、座っているかする。インドにおけるドゥルガーはつねにヴァハーナ(乗り物)として一頭の獅子を伴うが、ジャワのドゥルガーでは獅子はまれである。例外として、二つの像があり、ひとつ国立博物館所蔵のNo.152、そしてもうひとつはチャンディ・シンゴサリのレリーフの破片にある。ドゥルガー・マヒシャースラマルディニーの像はジャワでは多数見いだせるが、その大部分はどの寺院からのものなのか分っていない。その特徴として知られるのは、最も古い像が8世紀頃のものであり、もっとも新しいものは15世紀のものであるということだ。
 ドゥルガとは何者であり、また何故水牛の背に乗って表されるのであろうか?ヒンドゥー教において、神々はその「特性」を為すために必要とされる支配力やエネルギーを持つものとして表現される。超能力ともいえるこのエネルギーはつねに、神々の配偶者(妻)として具体化される。例をあげれば、シヴァのシャクティ(妻・超能力の象徴)はパールヴァーティー、ドゥルガー、カーリーであり、ヴィシュヌのシャクティはラクシュミー、ブラフマーではサラスヴァティーである。シャクティは信者たちにとって重要で、ことにシヴァ神のシャクティは様々な外貌で祀られる。シヴァの聖なる相はパールヴァティあるいはウマーとして顕現し、憤怒、怒りの相はドゥルガーとして、残酷、厳格さの相はカーリーとして顕現する。それぞれの相は各々ことなる目的で崇拝される。とはいえ、怒り(ドゥルガー)と残酷さ(カーリー)の相はシャクタ・タントラやシヴァ・タントラ派では、しばしば混成する。ドゥルガーにはしばしばカーリーの性質が含まれるからである。
 考古学的証拠に基づいて、シヴァのシャクティの怒りの相、ドゥルガーはふたつの異なった相で信仰されることが多い。プラーナやアーガマの諸本によれば、ドゥルガーは良き人間の救済者であると考えられている。彼らはモクシャ(解脱)を達成することを望むが、その人生において困難と遭遇する。例えば、戦いにおいて敵によって脅かさる、盗みを働く、重病におちいる、愛する者とのわかれ、餓え、などなど。ドウルガーの救済者としての役割は、「デーヴィー・マハートミヤ」におさめられた、マヒシャースラを殲滅するドゥルガーの物語に象徴される。以下にその概略を述べる。
 アスラたちは、その王、雄の水牛の姿をしたマヒシャースラに率いられ、しばしば神々を悩ませた。ある日、インドラとブラフマーに連れられた神々は、シヴァ神を訪問した。その時シヴァ神は、ヴィシュヌ神とおしゃべりしていた。神々の訴えを聞いたシヴァ神はおおいに怒り、その顔から灼熱の光を放った。同様にヴィシュヌの顔からも、また同席した神々の顔からも熱線が放たれ、巨大な火山を作り出した。突然その山はひじょうに美しい女神に変わった。彼女こそがドゥルガーであり、その名はチャンディカあるいはチャンディとしても知られる。神々はドゥルガーを見ておおいに喜び、それぞれの神が、武器と装飾品を授けた。そしてドゥルガーは一頭の雄獅子に乗って戦いに赴いた。アスラの軍と指揮官たちはサン・デウィ(聖なる女神)の手に殺され、マヒシャースラがドゥルガーと対峙した。激しい戦いとなり、マヒシャースラは何度も変身し、最後には巨大で残忍な雄の水牛の正体を現した。水牛の首にドゥルガーが槍を突き刺すと、その傷が突如、人の姿のアスラになり、サン・デウィを攻撃した。しかし、ドゥルガーはその超能力でアスラを征服したのである。
 アスラを殲滅するドゥルガー(ドゥルガー・マヒシャースラマルディニー)はインドのシヴァ寺院やまた、シャクティ派の寺院、そして東南アジアのシヴァ寺院(インドネシアの諸チャンディを含む)に多く見いだされる。
 ドゥルガーの救済者としての性格は、上記地域で傑出しているが、しかし既に述べたクロド(憤怒)の相、ならびにクルロ(残虐性)の相はしばしば混成し、そのため全き象徴たるタントラ派の諸儀式においてドゥルガー(ドゥルガー・カーリー)が崇拝される。その儀式においてドゥルガーは、サン・デウィへの捧げものとしての羊や水牛といった動物達の血の犠牲をもって崇められる。タントラ派において血は真実ラジャスの象徴である。ラジャスとは人間の持つ特質(性質)、サットヴァ、ラジャス、タマス、(それぞれ白、赤,黒の色で象徴される)のひとつで、行動・力強さそして受動・無関心の性質に相当する。モークシャ(解脱・解放)に至るため、人間は最終的には二つの性質、すなわちラジャスとタマスを消滅させなければならない。ドゥルガー・カーリーの助けを借りて、人間はその二つの性質を消滅させなければならない。それゆえドゥルガーは消滅させられるべきラジャスを象徴する、血(赤)をもって崇められるのである。秘教的タントラの儀式においては、さらに多くの象徴があり、このことがしばしば、崇められるべきドゥルガー・カーリーの性質に対する誤解を生み出す。

                      (つづく)
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by gatotkaca | 2011-07-10 23:15 | 影絵・ワヤン | Comments(0)