ブログトップ

木から落ちた猿

gatotkaca.exblog.jp

タグ:デウォブロト(ビスモ) ( 2 ) タグの人気記事

デウォブロト(ビスモ)の人物像 その(2)

 「ビスモ、ジレンマに満ちたブラフマチャーリンの人物像 」スグン・ヌグロホ
 前回からのつづき。

Ⅲ. 分析
 多くの人たちがワヤンで語られる物語は人生を描いた物語であると考えている。物語の中の葛藤・紛争は、人生における葛藤・紛争そのものであると。そして、物語に内包される価値観は人間性における価値観(真実)であると。それゆえ、人はワヤンを観る時、鏡に映った自分自身を見るのとかわらぬ気持ちを持つのである。そこでおこる行動、行為、対話、問題は観衆たち自身のものでもあるのだ。
 一見関係がなさそうに思えても、実はワヤンで扱われる物語には、我々が答えなければならない現象が提示されているのである。さらに、フランツ・マグニス=スセノの引用するアンダーソンの説(1988;161)によれば、『各々のラコン〈演目〉は、倫理を説くテーマに満ちている』のである。ワヤンの観衆として、我々はあるラコンに現れ、また黙示されていることがらの全てを解釈することを試されているのである。知っておくべきある事柄があったとしても、感性や解釈の鋭さといったものは個人的なものであり、見る者それぞれに異なっている。芸術としてのワヤンであっても、そこには複数の次元が存在し、さまざまな解釈が可能なのである。

ラコンの分類
 ダラン〈ワヤンの上演者〉界では、各種のラコンが知られている。サユムボロ〈嫁取り〉もの、ラベン raben 〈結婚〉もの、ラヒラン lahiran 〈誕生〉もの、ワフユ wahyu 〈天啓〉もの、ルブット lebet 〈lebet=入る:入滅(涅槃=生の完全生)への到達を主題とする演目〉もの、クラムン kramun 〈kramun=小雨:悲劇的内容か?詳細不明。〉もの、クリド krida 〈アクション〉もの、ジュムヌンガン jumenengan 〈即位〉もの、そしてルワタン ruwatan 〈魔除け〉ものなどである(バムバン・ムルティヨソ Bambang Murtiyoso 1992:189,192)。では、ラコン『ビスモの生涯 Banjaran Bhisma (4)』はどれに属するのか?この演目の中には嫁取り、即位、アクション、結婚といった要素がみな入っている。
 (4)ラコン・バンジャランとはひとつのラコンに幾つかのレパートリーのラコンから事件を引用し、連結させて構成したものである。文学的に言えば、ロマン〈大河ドラマ〉と言えるものである。ラコン『バンジャラン・ビスモ(ビスモの生涯)』は故キ・ナルトサブド Ki Nartosabdho が構成し、市販のカセットテープが流通した。

 ラコンの種類を決定するのは、そのラコンの核心部分に提示される要素による。ラコン『ビスモの生涯』には上記のさまざまな要素が含まれるが、筆者の意見では、ラコン「ルブット」に属するものと考えられる。というのも、ここには深い魂に関する価値観が内包されていると思えるからである。各場面にはそれぞれ人生の葛藤が見出され、それは人間間の葛藤のみならず、個人の内面的葛藤、トゥハン(神)と人間の葛藤も含まれている。
 人間関係の葛藤、個人の内面的葛藤は、ビスモがプラブ・スンタヌやデウィ・ドゥルガンディニと対する場面に見出せる。ここにおいてビスモはディレンマに対峙する。彼は王位を称する yuwaraja (王位継承者となる)か父の幸福のどちらかを選ばなければならなかった。また、同様にビスモはデウィ・オムボに対しても、サユムボロの戦利品としてアスティノ国へ連れて行くか、サユムボロに敗れたオムボの愛する人、プラブ・サルウォに委ねるか、という選択を迫られた。デウィ・オムボがサルウォに拒否されたあと、ビスモのもとへ戻って来たときは、ロモパラスの仲介でビスモはまた選択を迫られた。ロモパラスの命令に服して、不婚の誓いを破ってオムボを受け入れるか、あるいは、ロモパラスの求めを拒否し、師に背くことを選ぶか。これらと並んで重要なのは、ビスモの内面の葛藤として、バラタユダに臨んでのビスモの決断である。彼は世俗的楽しみを与えてくれたコラワか、彼の愛する孫パンダワのどちらかを選ばなければならなかった。
 人間とトゥハンとの葛藤は、人生の道を選ぶビスモの責任感に見ることができる。彼は世界を人間で埋め尽くすか、あるいは世界を定めるダルマ(運命)を遂行するか選ばなければならなかった。
 ビスモの生涯はこのようなものであった。そこには哲学的・宗教的意味、倫理的、審美的、教育的、社会学的意味が内包されている。しかし、これらの人間的価値観(哲学・宗教・倫理・審美・社会・教育)はそれぞれが不可分な関係にあることを知らねばならない。それゆえ、筆者はたとえば他の人間性と係る価値観をともなわない哲学的価値を内包するAといったような、特定の場面を明示することはできない。というのも、バンジャラン・ビスモのある場面においてはしばしば、出来事・内包される価値は普遍的人間性の価値観の鏡面だからである。
 ラコン『ビスモの生涯』に暗示される価値観を活かすため、まずはそこに内包されるメッセージを知っておかなければならない。内包されるメッセージを知るということは、ビスモというキャラクターに結晶化されたものを理解することでもある。それは物語の畝々のひとつひとつに内包された鏡面としての価値観を明示しているのである。

他人のための自己犠牲
 ブラフマチャーリンとして生きることをビスモが選んだのは、この世に新しい頁を紡ぐことを望まない〈自分の子孫を残さない〉ということであるが、それは彼がワス・プラボソであった時に犯した罪によって〈この世に〉生まれて来たことに起因する。それゆえ、彼はこの世に自身の種をまくことで罪を長らえることを望まなかったのである。この世の苦難に耐えるのは自分だけで十分であり、子孫たちの未来に及ぼすことを望まなかったのだ。そのために、その人生において、真実他人のために生きるというダルマにその身を捧げたのである。これは父プラブ・スンタヌがデウィ・ドゥルガンディニに求婚した時に暗示されている。そしてアムビコとアムバリコを弟たち、チトロゴドとウィチトロウィルヨに与えたことにも現れている。
 このようなビスモの行為は、筆者の見解からはなれても、自然の摂理に反するものではない。結婚の法とは、スンナ sunnah〈慣習〉であってワジブ wajib 〈強制的義務〉ではないからだ。さらに、
 「ある人が信念に従い、より高い目的を持って、結婚しないとしても、たとえば彼が一般に対して身を捧げ、自発的に自己犠牲を為すということであれば、その権利を有する(プジョウィヤトノ Poedjawijantna 1982;70)。」
 ビスモの問題に戻ろう。彼がブラフマチャーリンの道を選んだのは、もっぱら安寧を妨げる生の問題を回避するためであったのだ。

他人の愛の尊重
 聖なる道を歩む者として、ビスモは他人の愛をひじょうに尊重した。彼はデウィ・オムボが、愛するプラブ・サルウォのもとへ戻ろうとすることを許した。彼はオムボとサルウォが愛を育むことを汚そうとは望んでいなかったのだ。

誓いの遵守
 ビスモが弟たちの死後、カシ国の二王女と結婚し、アスティノ国の王位を継承することに同意しなかったのは、アスティノ国の王位継承者としての責任を拒むためではなかった。民衆・国家に対する責任は、地位(王位)によって果たされるものではないからである。王とは、基本的には、権力の象徴であり、またその主権は民衆の手にある。それゆえ、ブラフマンとして生きることで、彼はこの世の平穏と安寧のための善行を為すことがより自由にできたのである。ブラフマンとして生きることで、彼は世俗的欲望を抑え、創造神サン・マハ・チプタに応えることに集中できたのだ。
 二人の弟チトロゴドとウィチトロウィルヨに代わるアビヨソの戴冠式は、空位となったアスティノ国の王位に対してビスモが責任を果たしたことを意味する。それはまた、彼を愛し、育ててくれた継母デウィ・ドゥルガンディに対する敬意の表明でもあった。
 それにもましてビスモの行為の動機は、誓いを破らぬことにもあった。『誓い』とは単に人間間の問題ではなく、自分自身、社会、環境、そして唯一神トゥハン・ヤン・マハ・クアサに対する責任でもあるのだ。

最後の決断
 個人ごとに世界に対する責任感の表明はそれぞれである。ビスモもまた同様だ。
 (ワヤンの)他の人物と違って、ビスモの責任感は外面だけでなく、より内面的なものであった。彼はパンダワよりもコラワに近しいところにいた。というのも、パンダワの苦しみを目にしてはいたが、ブラフマンのダルマに沿った行動に専念していたからである。彼は直接アドバイスを与えるために、コラワの中心に身をおいたのである。徳を目指し、ねたみ、粗暴、貪欲、強欲を棄てるようにと。彼がパンダワのそばにいなかったのは、パンダワにはスリ・クレスノ(ウィスヌの化身)やスマル(世界の後見人)がいて、彼らを導いていたからである。またパンダワには神の後ろ盾があることも知っていたのである。
 しかしコラワたちはビスモの願いからそれて、いつも不徳の行いを為した。まさしく強欲・貪欲を高めていったのである。絶望し、ビスモは世の定めに抗う力を失った。コラワの残虐性と貪欲はますます増長していった。彼の与えるアドバイスは一服の聖歌にしかならず、忌むべきバラタユダの勃発は不可避となってしまった。人間としてのビスモのクシャトリアの本能がついに頭をもたげた。彼はアスティノ国がパンダワとコラワの為すがままになるのを見過ごせなくなったのである。
 ビスモがバラタユダの戦場に立ったのは、コラワを護るためではない。パンダワのセノパティ(戦闘指揮官)たちを追い払うためである。彼はパンダワの勝利を自身の手でかなえることにした。誰の手もかりずに。
 こうしたビスモの態度は、元来の意志を復活させた。ブラフマンとして生きて求め続けた「世界の安寧ムマユ・アユニン・ブミ memayu hayuning bumi 」への道、それがブラフマンとしての魂と相克したのだ。彼が切り開いた平和は空しくなり、ビスモのブラフマンとしての魂はクシャトリアの欲望に取って代わられたのである。というのも、
 「完全なる善性にある人をブラフマンと呼ぶ。欲望にとらわれる人はクシャトリアと呼ばれる。欲望にまみれ、無知なる者をヴァイシャ vaisya と呼ぶ。無知にまみれる者はスードラ sudra と呼ばれる。(ヴィシュヌパダ visnupada 1983;41)。」
 ビスモの魂は安定を欠き、破滅が迫っていた。混乱の最中に彼の身体は無数の矢に貫かれぐったり倒れた。それでもまだビスモはパンダワとコラワたちに教訓を与えた。それはビスモの魂がいまだその感性において聖なる道を目指していたことの証である。ここでビスモによって語られた教訓は、パンダワとコラワに対してのみのものではなく、自分自身対してのものでもあった。言い換えれば、これまでの彼の行動全てに対する内省としての教訓でもあったのだ。
〈このあたりの文脈、やや分かりにくいかもしれない。ブラフマンは不殺生を行動基準とするが、ビスモはバラタユダを前にしてブラフマンの生き方を棄て、結局クシャトリアとして殺戮の場である戦場に赴き、敵を殺した。ここでは、こういったビスモの心情の変化を論じている。〉

結論と結び
 ビスモの物語から得られる結論は、真実と徳を達成しようとする願いは、一人の人間によって達成することは困難であるということだ。ビスモのごとき賢者であっても、完璧な聖性に至ることは出来なかった。というのも、人間として生きることは、五感の束縛から逃れることができないということだからである。人の子である以上誰であれ如何なるときであれ、そうである。
 ジャワの格言に言う。『banyu kang sumbere bening, tumekaning sagara dadibuthek (水源の澄んだ水も大海にいたれば濁る。源が濁っていればなおさらである)』と。善(徳)を目指すためには、良き志、良き言葉、良き行い、といった良き環境に身をおかねばならない。それでもまだ望みに見合う保証はないのだ。全能なる神サン・マハ・スムプルナ Sang Maha Sempurna 以外に『真の』完全性をもつものはいないからである。「あの方」だけが全世界に生きるものの輪廻を定めるのである。
 おわりに、この小人のあさはかな考えが、さらなる賢者の考えを促し、ワヤンの物語の広大なる大空にさらなる広がりをあたえることのできますように。

1992年7月28日スラカルタ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ちなみに中辻はワヤン(マハーバーラタ)の登場人物の中では、ビスモが好きである(あとボロデウォ)。でもホントにこんな(ほぼ完璧)人がそばにいたら、自分のような者はいたたまれない感じでたまらんだろうとも思う。ドゥルユドノの気持ちもちょっとわかる。

 スミヤント氏とランバンサリの公演のご成功をお祈りいたします。実際の上演の中で息づくデウォブロトの姿が楽しみである。

 *お詫びと訂正。
 今回、冨岡三智さんからPoerbotjaroko(Poerbatjaraka)の読みについてご指摘いただきました。冨岡さんありがとうございます。今まで筆者はどこかで間違って憶えたプロボチャロコという読みを使用して来ましたが、実際はプロボチョロコであることが分かりました(インドネシアの資料等で確認済み)。以前の記事についても順次訂正していきたいと考えていますが、間に合っていないところもあるかと存じます。以前の記事で、プロボチャロコと書いてあったら、プロボチョロコと読んで頂けますよう、ご海容を乞います。申し訳ありません。
[PR]
by gatotkaca | 2012-11-22 06:57 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

デウォブロト(ビスモ)の人物像 その(1)

 来たる2012年11月23日(金)に行われるスミヤント氏とランバンサリによるワヤン公演では、デウォブロトの物語が上演される。デウォブロトというのはビスモの若き日の名である。
 公演の詳細は下記にアクセスして下さい。
 ランバンサリHP
 スミリール〜ジャワの音楽・舞踊・影絵芝居Blog

a0203553_15363667.jpg

 ビスモはマハーバーラタの重要人物のひとりで、バラタ族の長老である。上の絵は若い頃の姿デウォブロトで、下が年取ってからの姿、ルシ・ビスモ。
a0203553_15362141.jpg

 今回はスミヤント氏への応援もかねて、『 ワヤン芸術の価値 Nilai-nilai Seni Pewayangan 』(1993:Dahara Prize, Semarang )に収録されているスグン・ヌグロホ氏の『ビスモ、ジレンマに満ちたブラフマチャーリンの人物像 』という文章を紹介する。

ビスモ、ジレンマに満ちたブラフマチャーリン * の人物像
BHISMA Profil Brahmacharin yang penuh Dilematis

* ブラフマチャーリン〈ブラフマチャーリー:世俗を捨てた禁欲者〉

スグン・ヌグロホ Sugeng Nugroho


1.はじめに
 ワヤン、より正確にはプワヤンガン Pewayangan 〈ワヤンに関する諸々〉は、文化、筆者は文化と呼ぼう、である。というのも、それは長い間人間の根幹(人間性の構築)として人々に知られてきたからである。先史時代において、ワヤンは祖先の霊に対する祈りの手段として知られ(ブランドン Brandon 1970;3)、先史時代からの遺産として今日も生きている。その証拠に今日でもワヤンはサドラナン sadranan* やルワタン ruwatan の儀式の手段として用いられている。始めはヒンドゥ教・仏教のもとで発展し、イスラム教では、ワヤンはダワー dakwah 〈イスラム布教〉のメディアとして用いられ、その後もワヤンは説教、教育、政治的プロパガンダその他の手段として用いられ続けてきた。その全ては時代の流れに沿ったワヤンの柔軟性のおかげである。それゆえこれから時代を経ていっても、ワヤンが消え去ることはないであろう。
 * 故人、祖先を供養するジャワの伝統的儀式。

 時代に即応する柔軟性のゆえに、ワヤンの可能性は『永遠』のものであり、そこには真に驚くべき内容が内包されている。ワヤンには叙事詩としての側面も見出すことが出来る。ワヤンを見る高齢者たちはそこに古の時を見るであろうし、若者たちはそこに青春を見出すであろう。そして年少の者たちは子供らしく見る。同様に哲学者たち、社会学者たち、人類学者たちや他の者たちはそれぞれの、知識の鍛錬を見出すであろう。
 歴史的、哲学的、社会学的、人類学的、文学的、その他の側面からのワヤンに対する議論が多くの者によって行われてきた。スリ・ムルヨノ Sri Mulyono の「ワヤン:その由来、哲学、そして未来 Wayan: Asal-usul, Filsafat, dan Masa Deoannya 」、「ワヤンとヌサンタラの哲学 Wayang dan Filsafat Nusantara 」、セノ・サストロアミジョヨ Seno Sastroamidjojo の「ワヤン・クリ上演に関する考察 Renungan tentang Pertunjukan Wayang Kulit 」、R・ストリスノ Soetrisno の「ワヤン世界と歴史の展望 Sekilas Dunia Wayang dan Sejarah 」、G・A・J・ハゼウ hazeu の「ジャワ社会の知識への貢献 Bijdrage tot de Kennid van het Javaansche Tooneel 」、R・O'G・アンダースン Anderson の「ジャワの神話と変容 Mythology and the tolerance of the Javanese 」、プルボチョロコ Poerbotjaroko の「スラット・パンジーの比較 Serat Panji dalam Perbandingan 」、スディロ・サトトSoediro Satoto の「ワヤン・クリ・プルウォ、意味と劇的構成 Wayang Kulit Pruwa : Makna dan Struktur Dramatiknya 」などである。
 それゆえ、それらを比較して、筆者は性格的側面から、ワヤンから一人の人物を取り上げることにする。筆者の選んだ人物は、ビスモ Bhisma である。彼はアスティノ Hastina 王国の王位継承者であったが、王になることではなくブラフマチャーリンの道を選んだ。またビスモの人物像に関する議論で興味深いのは、彼がバラタユダ Bharatayuda においてコラワ Korawa側、いわゆる偽善、強欲、悪の側に付いたことである。

 上記の問題を喚起する背景として、筆者の論において興味を惹かれる問題を定義すると下記のようになるだろう。
1. なぜビスモはアスティノ王国の王位継承権をみたしていながら、王位よりもブラフマチャーリンの道を選んだのか?
2. なぜビスモはバラタユダにおいてコラワ側に味方したのか?
3. ラコン『ビスモの生涯 Banjaran Bhisma 』に内包される人間的価値観とは何か?

 上記の問題に答えるために、筆者は直接関係するものまた、間接的に参照する文献を精読してみたい。上記の問題を解明するための基礎的参考文献としてあげられるものは、(1)「ワヤンとその登場人物 Wayang dan Karakter Manusia シリーズ2、スリ・ムルヨノ著(1977)の特にビスモに関する記述、(2)「ワヤン・プルウォの物語に関する家系 Silsilah Wayang Purwa Mawa Carita 」第四巻(1984)と第七巻(1986)、S・パドモスコチョ Padmosoekotjo 著、(3)「マハバラタ、クルクセトラの激烈な戦い Mahabharata ; Sebuah Perang Dahsyat di Medan Kurukshetra 」(1981)、ニョマン・S・プンディト Nyoman S. Pendhit 、(4)「マハバラタ物語 Mahabarata Kawedar 」(1933)、RM・スタルト・ハルジョワホノ Soetarto Hardjowahono 、(5)「英雄ビスモ Wiratama Bhisma 」(1975)、ヘルスカルト Heroesoekarto 著、(6)「バラタユダの書 Serat Bharata Yuda 第一巻、第三巻」(1976)、スラムット・スタルソ Slamet Sutarsa 著、(7)「スマントの構成によるラコン・ビスモの戦死のパダット〈短時間構成のワヤン〉上演構成写本 Struktural Naskah Pakeliran Padat Lakon Bhisma Gugur Susunan Sumanto 」(台本、1992)、ジャルワディ Jarwadi 著、(8)「ハンダラン・バガヴァット・ギーター Handaran Bhagavad-Gita 」(1960)、クウィー・テック・ホアイ Kwee Tek Hoay 著、(9)「原典版バガヴァット・ギーター:全問題への回答 Bhagavat-gita Menurut Aslinya : Jawaban Segala Pertanyaan 」(1983)、オーム・ヴィシュヌパダ Om Visnuoada 著、(10)「ジャワの倫理:ジャワの生の英知に関する哲学的分析 Etika Jawa : Sebuah Analisa Falsafi tentang Kebijaksanaan Hidup Jawa 」(1988)、フランツ・マグニス=スセノ Franz Magnis-Suseno 著、(11)「ジャワの神話と変容 Mythology and the Tolerance of the Javanese 」(1965)R・O'G・アンダースン Anderson著、(12)「エチカ〈倫理〉;行為における哲学 Etika ; Filsafat Tingkat Laku 」(1982)L・R・プジョウィヤトノ Poedjawijatna 著である。
 この論説は主観的分析に近い方法を取る。それは、この論説の分析が筆者の仮説に基づいたものであることを意味する。というのも、『価値観』に対する議論は、『事実』に関する議論とは異なるからである。事実とは現実(具象)によって構成されるものであり、検証可能であり、ゆえに事実は五感で捉えることが出来る。いっぽう、価値観は観念(抽象)によって構成され、その存在を検証することはできず、価値観とは内在するのみの存在である。『ある感性とは考察に始まり、一定期間の熟考を得て達成される』(アブバカル・ブスロ Abubakar busro、1989:2)。
 それゆえ、文化(含む:芸術作品)を形成する人の価値観の認識の相違は自然のことであり、起こるべくして起こるのである。であるから、個々の観察は相対的であり、その能力、あるいは鋭敏さ、直感的推測に依存するのである。

Ⅱ.ビスモの人生

人生の困難
 人生において、人は時折打ち破ることの困難なジレンマに遭遇する。彼はどちらかを選ばなければならなくなる。善か悪か、過ちか真実か、独善か賢明さか等々。そして人がひとつのものを選べない時もまた、それは選んだことになるのだ。『選ばない』ということを。ここに人間の抱えるある問題が始まる。とはいえ、人が困難も無く、善、真実、賢明さを選択したなら、それは相対的なものであることは明らかである。善、真実、賢明さ、正義と考えられているものは、すでに他の者によってそのようであると定められたことに従っているのである。実際はその逆であることもああり得るのだ。それゆえ、人生とは混迷した困難から自由であることはできない。迷路を歩くようなものであり、障害の無い道を通ることはできない。
 こういった問題は、ビスモが対峙した問題とかわらない。バラタ族のひとり、その名はビスモ、彼はワヤンの世界ではおなじみである。若き日の彼は悩ましい二択に直面しながらも『ブラフマチャーリン』を貫いた。彼は責任を放棄したとも言える。あるいは責任を全うするなら誓いを撤回しなければならなかったのだ。後に老年になってバラタユダが迫った時、彼はパンダワ Pandawa とコラワという、同じように深く愛する孫たち、二組のどちらかに味方することを選ばなければならなくなった。しかし、拒むことは許されない。彼は心の声に従って、一方を選ばなければならなかったのである。

ビスモの誕生
 ビスモはまたデウォブロト Dewabrata の名でも知られている。彼はデウィ・ゴンゴ Dewi Gangga〈ガンジス河の女神〉から生まれたワス・プラボソ Wasu Prabasa(ワス wasu =神族のひとつ)であったが、その傲慢さによってルシ・ワシスト Resi Wasista に呪われた。彼の妻が(ルシ・ワシストが飼っていた)ルムブ・ナンディニ Lembu Nandini の乳を欲しがった。その乳は若さを保ち、長寿を授けるといわれていたのである。妻に言われてワス・プラボソは兄弟たちと共にその牛を盗もうと謀った。しかしそれはルシ・ワシストの知るとこをとなり、彼らは、後に人間に生まれ変わらなければならないという呪いを受けたのである。プラボソはその悪事の首謀者であったから、他の七人の兄弟たちよりも長く地上にとどまり、苦しまなければならないとされたのである。
 このようなデウォブロトの出生の物語は、「業(カルマ karmapah)」の思想を想い起こさせる。罪が理由となり結果を決定するという、因果応報の思想は、東洋で今日も多くの人々に信じられている。つまり、かつて行われた善行あるいは悪行が、先の人生を決定するという考えである。それゆえデウォブロトの人生は、解決困難な問題と直面し続けることになることが不可避であったのだ。最初の難題は、彼が生まれてすぐに母、デウィ・ゴンゴが彼のもとを去っていったことである。こうして彼は一度も母の愛を受けることなく育った。父に深く愛された子であったが、それはわずかな間でしかなかった。まだ彼が幼いうちに父スンタヌ Santanu が再婚したからである。スンタヌの再婚はデウォブロトの終わり無き冒険の始まりであった。

デウォブロトの献身
 人間として、デウォブロトは利己的なタイプの人ではなかった。彼は自分自身よりも他人のことを重く考える人であった。その証拠に、父スンタヌがデウィ・ドゥルガンディニDewi Durgandini への恋に落ちた時、デウォブロトは彼女の要求に応じたのである。サン・デウィの望みが何であれ、デウォブロトはそれを受け入れることを厭わなかった。『父プラブ・スンタヌと義母デウィ・ドゥルガンディニの幸福のために、私は王位継承権を放棄し、義母ドゥルガンディニから生まれた弟に王位継承権を譲るでありましょう。アスティノの王権は永遠に弟の子孫たちの手に委ねられる。そのために私は生涯妻帯しないことを誓います。』と。デウォブロトの誓いを聞き、大地は震動し、世界は唖然として揺れ動き、狼狽した。かくて全世界が彼に恩寵としてビスモの名を与えた。「ビスモ〈ビーシュマ〉」とは、凄まじき者、恐るべき者を意味する(パドモスコチョ Padmosoekotjo、1984:Ⅶ:56)。これほど魔術的・宗教的出来事を経験した者は(ワヤンの世界では)かつてなかった。かくてビスモのその全能の誓いに対して、スンタヌは『アジ・スウォチャンドモロノノAji Swachandamaranana』の護符を与えた。それは不死の力を持ち、ビスモ自身が望む時まで、決して彼は死ぬことがない、というものであった(パドモスコチョ、1984:Ⅳ:57)。
 デウォブロトのこの行動は、ある意味クシャトリアとしての責任を放棄するものと言える。王位継承権を弟に譲るということは、デウォブロトがアスティノ王国内の苦楽に対する負担を負わないことを意味するのである。彼は真のクシャトリアとは言えない。というのも、国家の運営者としての負担の一切を負う責任を手放し、自身の生活のみに専念することになるからである。「不婚の誓い」をたてるというようなことは、彼が国家や世界に新しい頁を紡ぐ〈子孫を残す〉べき人間としての責任をとらないことを意味する。言い換えれば、こういった行為は、命をつないでいくという生き物の役割(mbuntoni tumangkaring wiji )を拒否することを意味するのである。
 しかし、別の観点から見れば、精神・魂の重要性をひたすらに追求する生き方ということもできる。他者の苦しみを自身の苦しみとすることでもあり、それは他者の幸福を自身の幸福とすることでもある。
 デウォブロトは全ての権利を捨てさり、ブラフマチャーリンとして生きた。それは父プラブ・スンタヌへの敬意と愛の故である。スンタヌが深く愛する継母の重大な望みに対して父を失望させたくなかったのである。だから、彼は王位継承権を持つスンタヌの息子として、正義と英知と責任をもって、他の者に権利を譲ったのである。

ビスモの最初の試練
 ビスモは義理の弟たち、チトロゴド Citragada とウィチトロウィルヨ Wicitrawirya を自分自身以上に愛した。カシ国でデウィ・オムボ Dewi Amba 、アムビコ Ambika 、アムバリコ Ambalika を賭けたサユムボロ・ピリ Sayembara pilih (1)が催されると聞き、デウォブロトは参加を望んだ。デウォブロトのサユムボロへの参加は自身のためではなく、愛する二人の弟のためであった。
 (1)このカシ国のサユムボロはダランによればサユムボロ・ピリsayembara pilihではなくサユムボロ・プラン sayembara perang (強者、超能力者の戦い)であり、ワフムコ、アルティムコを倒した者は誰あろうと、カシ国の三王女を得ることができるというものであった。
 * サユムボロとは嫁取り競技のこと。サユムボロ・ピリは王女自身が婿に相応しい者を選ぶ形式を取り、サユムボロ・プランは武芸大会の勝利者が王女を獲得する。

 カシ国の三王女、オムボ、アムビコ、アムバリコ(ヘルスカルト、1975:40-44)は、コロ・ワフムコKala Wahmuka 、コロ・ハリムコ Kala Harimuka 、サルポクノコ Sarpakenaka と呼ばれることもあり、またデウィ・アムビコ Dewi Ambika 、アムビキ Ambiki 、アムバヒニ Ambihiniと呼ばれることもある(スタルソ、1976;Ⅰ:15)。

 最終的に三人の王女はアスティノ国へ連れて来られることとなったが、三人の王女のひとりデウィ・オムボは途中で、ビスモに自分を自由にして欲しいと乞うた。というのも彼女にはすでに愛するサルウォ Salwa 王との約束があるというのである。愛情というものを敬意をもって護る人として、ビスモも礼をもってデウィ・オムボを喜んで解放した。しかし何が起こったか?サルウォ王はオムボに対して心を閉ざしたのである。というもの、彼はすでに彼女を妻にする権利を持たないというのである。恋人から拒否されオムボの心は衝撃を受けた。彼女はおおいなる辱めを受けてビスモのもとへ戻って来た。
 オムボが戻って来たことでビスモの心は波立った。愛情を重んじる彼が、ここにいたって彼女を傷つけたことになってしまったのである。愛する人の抱擁を望んだオムボをプラブ・サルウォはもはや受け入れなかった。ビスモは罪の意識を感じた。
 オムボがその命をビスモに委ねたことは、彼をさらに苦しめた。ここにおいてビスモは重大な選択を迫られたのである。感情と忠節、責任と信頼の二つにひとつである。『私がオムボを受け入れれば信頼を損ね、自分の理想が破れることになり、世の人は私を笑うだろう。私は自身の忠節の誓いを守れなかった者となる。しかし私が誓いを守れば、世の人は私を憎むであろう。私は責任を投げ出した者と言われるであろう。今はただ、自分の心に従うのみだ。』
 「シマラカマSimalakama の実」を食べる * ように、母の死を呑込むか、父の死を呑込むかのようにビスモは苦悩した。しかし彼はどちらかを決断しなければならなかったのだ。問題から逃げれば世の人から卑怯者と嘲笑われるだろう。かくて彼は最終決断として、自身の誓いを遵守することに決めた。ビスモの最終決断はオムボをさらに苦しめることとなった。千の希望が潰えたのだ。苦悩のうちに生きるよりは死んだ方がましだ。その運命が決せられる前に、突然ロモパラス Ramaparasu ** が手助けに現れた。彼はビスモに対しブラフマチャーリンの誓いを棄て、オムボと結婚するよう説得した。しかしビスモの言葉は?

 * makan simalakakama ジャワの諺。その実を食べれば父が死に、食べなければ母が死ぬ、という回避−回避型葛藤を伴う二者択一のこと。
 ** ロモパラスはウィスヌ神の化身のひとつ。バラモンに生まれ、復讐のためクシャトリアを21回殲滅した。デウォブロトの武芸の師でもある。


 『おお、我が師よ。師の命令といえども私にはできません。死ねとおしゃれば、我が誠実をもって死にもしましょう。されどこの今の師の命令に服することはできません。あなたと言えど愛情を強いることはできず、あなたであっても他人をその信念に背かせることはできないのです。あなたが何とおっしゃられようと、私は我が信念を守る。我が道は自分の心に従って決めるでありましょう。放っておいてください。』
 ビスモの剛情はロモパラスを怒らせ、戦いとなった。ビスモは師との戦いを望んだわけではなかったが、他人に強制されることも望まなかったのである。ロモパラスは敗れ、オムボの心は癒し得ないほど粉々となった。彼女は彷徨い歩き、バラタユダの戦場でビスモを斃し得る者を探し続けたのである。(2)

 (2)ダランによっては別のヴァージョンもあり、オムボの死はビスモに矢で脅され、誤って射放たれた矢にあたってオムボは斃れる。オムボの魂はビスモに復讐の呪いをかける。彼女はビスモと共にでなければ天界に登らない、と(スタルソ Sutarsa :1976;Ⅰ:17-18)。

 ロモパラスが敗れ、オムボが去り、ビスモの思いは千路に乱れた。というのも、彼は聖なる道をもとめてきたのにもかかわらず、大きな罪を犯すこととなってしまった。かくて彼は今一度誓いをたてたのである。女を決して害することはしない、と。もし戦場で女と対峙したなら、彼は殺されるであろう。誠実さをもって彼の魂は肉体を手放すであろう、と。
 ビスモのブラフマチャーリンの誓いに対する試練はこれで終わりではなかった。二人の弟たちが死に(3)、ビスモは再び不婚の誓いに対する試練を受けることとなった。彼は、誓いを棄てアスティノ国の王位に就き、二人の未亡人たちと結婚するようドゥガンディニに乞われたのである。しかしビスモの答えは?

 (3)チトロゴドは病死、ウィチトロウィルヨは戦場に斃れた。

 『お許し下さい、母上。二人の弟たちが後継者を残さずに死んだからといって、アスティノの王位に就くことは出来ません。私の誓いを破ることは出来ないのです。母上自身のお子であるアビヨソ Abyasa に委ねられる方が良いと存じます。彼ならばきっと国家の体制を護ることが出来ると私は信じます。』
 それからアステノ国の政は、ドゥルガンディニとポロソロ Parasara の息子アビヨソによって執られた。このようにして、バラタ族の子孫の物語を意味することとなったのである。というのも、バラタ王国の唯一の相続人たるビスモはブラフマチャーリンの誓いを遵守したからである。ビスモの信頼を受けて『連れて来られた』者には彼の魂が刻み込まれているのである。

ビスモの最後の試練
 幼少よりビスモは、その魂に試練を受け続けたことで強くなり、人生の意味を意識し、理解する者となった。それゆえ彼はつねに世界の平和と安寧を切望した。孫たちパンダワとコラワに良かれと、助言し長老として振る舞った。貪欲、独善、嫉妬、強欲から離れるようにと教育してきたのである。アスティノ国の一部である、インドロプラスト Indraprasta の地に対する争いがあった時もビスモは平和的解決を求めた。
 しかし、さらなる運命のいたずらか、幾度も交渉がもたれたが、実を結ぶこと無く、争いはより烈しくなっていった。コラワはインドロプラスト国の一片の土地さえもパンダワに返さないと主張した。こうして大戦争(バラタユダ)は避けられぬものとなっていったのである。
 この時、ビスモの心は再びジレンマに襲われた。彼はどちらに味方するべきなのか。パンダワかコラワか、双方とも彼の愛する孫たちであるのに?彼がコラワを選べば、彼は独善的な者たちに味方することになり、徳と真実に敵対することになる。つねに徳と真実を高め、敬意を示して来た彼の心情としてはこれは避けたいことである。しかし彼がパンダワに味方するなら、世の人は彼を責任を放棄したブラフマンとして非難するであろう。
 それゆえ一人の賢者として、ビスモは迷い無く態度を決めたのである。彼はコラワについた。というのもコラワに味方することは、ビスモがコラワを真実の道へ導くため、ブラフマンのダルマ〈運命〉に身を捧げることを意味するからである。しかし最終的にはその努力は報われなかった。
 これは、かつて過ちを犯した者として、ビスモがつねに罪の意識に苦しめられていたからであり、パンダワこそが、彼に死をもたらしうる者であったからである。それゆえ、彼がパンダワの女戦士スリカンディに対峙した時、その身体から超能力が消え去り、オムボを苦しめた痛みの影だけが残ったのである。対峙する敵であるスリカンディの顔を見詰めて、オムボを助けられなかった苦しみがはじけ、彼は罪をあがなう時が来たことを悟ったのである。

死に臨んでのビスモの苦しみ
 ビスモの白昼夢に現れたオムボの影が消え失せ、この賢者たる老雄はもはや力なく、スリカンディの矢はビスモの心臓を貫いた。死を悟った者として、スリカンディを受け入れ、ビスモの心は笑みを浮かべていた。長らえた死の到来に、彼はおおいに喜んだ。しかし天界へ向かう前に、彼の身体は何千という矢に貫かれ、倒れても身体は浮いていた。ただ頭だけが垂れ下がり、台座が無かった。
 それほどの状態になっても、ビスモの心はまだ満たされなかった。パンダワとコラワたちに囲まれた時、ビスモの五感はまだはっきりしていた。彼は願った。頭をのせる台と飲み物を。また、パンダワとコラワたちにダルマ〈運命〉、カルマ〈業〉、サムサーラ〈輪廻〉に関する教えを説いた。ビスモはまだ世俗の欲望にとらわれ、生の完全性にいたることが出来なかったのである。

(つづく)
[PR]
by gatotkaca | 2012-11-21 16:05 | 影絵・ワヤン | Comments(2)