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木から落ちた猿

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スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォ 造形の側面からのレヴュー その4

 これで、この項は終わりです。ワヤンの登場人物の身分による服装・装飾の違いなどは、項をあらためて、図解入りで記事をのせたいと思います。また、クリスやバティックに関する部分は僕は詳しくないのですが、できるだけ調べて、記事にしたいと思います。
 最後に著者が述べている、伝統の形骸化の問題、ニュー・ウェーブの抱える困難などは、僕ら「日本ワヤン協会」にとっても他人事ではない問題でもあり、考えさせられるものがありました。

Ⅳ.ワヤン・プルウォ造形美術と他の伝統的ジャワ藝術との関連

 ジャワの伝統的藝術において、二者あるいはそれ以上の他の伝統的藝術分野との間には多くのつながり、あるいは接点が見いだせる。その接点は水準/重要性を形成し、単なる用語上の関連から始まって、ある藝術分野に対して他の藝術分野のコンセプトが表明され、レベルを上げるまでに至る。同様に、ある藝術分野の用語に隠された哲学的エッセンスが、他の藝術分野に再び見いだされる可能性も大きい。ひとつの理由として、特定の藝術分野の用語/概念に内包される理念は、他の藝術分野を通じて表現を成長させようとするからである。たとえば、バティック藝術において有名なリマル・クタンギ(花)の装飾パターンは、ワヤン・プルウォ造形の世界では、アルジュノのワヤンにも描かれている。クリス(ジャワの小刀)の世界では、ジャラック(動物)図像のクリスの型があるが、ワヤンではそのクリスはアディパティ・カルノのプソコ(伝来の宝物)のひとつに数えられる。その他にも例はたくさんある。

 伝統的藝術分野が誕生し発展した、農耕と封建制の古き時代の生活の背景を思い起こせば、その藝術の中に農耕や封建制の性質が含まれ、反映された価値観が見いだされることは、珍しいことではない。農耕の世界は、大地たる惑星とこの宇宙にとても近いものなのだ(森/花と動物たち、山、海、雲、天空、太陽、月、星その他)。人間の考え出した機構としての封建制も、明らかに人間の思考パターンの一つであり、それ自身が文化・藝術を作り出したのである。宇宙で展開する形状が、永遠に信じられている形であり、王は外観、性質、生活態度、そして、理念的/完全性たる真実の台座たるシステムの形成に従う。

 ワヤン・プルウォ造形美術と他の分野の藝術との接点と考えられる相互関係を、農耕世界、封建制制度、クリス、バティックとの関係で概括してみた。

1.農耕世界とワヤン・プルウォ藝術との接点
 ワヤン・クリ・プルウォの服装の透かし彫り装飾のパターンは農耕の現象に基づいたものである。グヌンガン/カヨンのワヤンは、(ガルダ、市松文様、その他を除く)ほとんど全てが、花、動物、その同類(樹、猿、鳥、水牛、虎、ラクササ)の連続する形状で描かれている。装飾に使用される色も、農耕の世界に現れる現象に従う。例えば、グダン・マテン(熟したバナナ=黄色)、ウング・テロン(なす=紫)、ビル・ニロ(インディゴ・ブルー)、パレ・アノム(黄緑)、ガドゥン・ムラティ(白)、パンダン・ビネトット(緑)、アバン・ロムボ(緑の唐辛子)、イジョウ・ププス(緑のププス=果物の一種)、その他。

2.ワヤン・プルウォ藝術と封建制度の接点
 当初もたらされた物語(マハーバーラタ、ラーマーヤナ)は、封建制とロマンティシズムの性質を持っていたから、ワヤンの人物像は、封建的倫理と美意識に基づく装飾や属性に従ってなされた。いくつか例を揚げよう。
a. 神々やブラフマナ(バラモン、僧侶)
 装飾、属性は以下のようなものである。
 クトゥ(頭巾)、サムピル(スレンダン・肩掛け)、ジュバ(上着)、スパトゥ(靴)、時にはマフコタ(王冠)とプロボ(光背)、それぞれのヴァリエーションがある。
b. 王族と武将
 装飾、属性は以下のようなものである。
 マクト(マフコタ=王冠)、ジャマン・ススン・ティガ(三重の王冠)(特に王)、 スムピン(耳飾り)、スウン(イヤリング)、いかり肩、指輪、ウンチャル(光背)、ドドト(
長尺のカイン)、その他それぞれのヴァリエーションがある。
c. 召使い、プノカワン
 クトゥ(頭巾)、クチル(豚の尻尾のように後ろ髪を伸ばした髪型)、スウン(イヤリング)、カルン(ネックレス)、サルン(腰巻き)など。それぞれのヴァリエーションがある。
さらに、各々の人物の社会的ステータスを描き分けられるように意図されたそれぞれの属性が表現される。

3.クリスとワヤン・プルウォ藝術の接点
 クリスの世界の価値観でワヤン・プルウォに表現されるのは、演じられるワヤンの人物の実行性と信頼性を完全にするために、クリス界でも著名な「スンジョト・プソコ(重代の武器)」がある。例として
a. クリス・キャイ・ブロジョル:プラブ・クレスノのプソコ
b. エンチス・キヤイ・チュンドマニ:プンデト・ドゥルノのプソコ
c. クリス・キヤイ・ティラム・ウピ/ティラム・サリ:プラブ・ユディスティロのプソコ
d. クリス・キヤイ・ジャラック:アディパティ・カルノのプソコ
e. クリス・キヤイ・プラングニ:ラデン・アルジュノのプソコ
f. クリス・キヤイ・コロミサニ:ラデン・サデウォのプソコ(ラデン・ガトコチョに渡る)
g. クリス・キヤイ・ジャラック・ゴチェ:ブト・チャキルのプソコ

 他にワヤンの本体と別の/分離した「スンジョト・プソコ」が作られた。鞘に納められたクリス一式を腰に差したワヤンの図像もある。例えば、パクアラマン・スタイルのワヤンである。また、クリス造形の側面でワヤン・プルウォ藝術に関連する用語もある。例をあげる。
a. クリスの形状の用語:スマル・ティナンドゥ(真直ぐなクリス)、スマル・プタック(真直ぐなクリス)、カルノ・ティナンディン(真直ぐなクリス)、アノマン(五カ所曲がったもの)、ブト・イジ(9カ所、13カ所曲がったもの)、ビモ・クルド(15カ所曲がったもの)、トゥリシラ(19回曲がったもの)、インドラジット(21曲がり)その他
b. 彫刻のウォンドの用語(高級クリス):ソムボ・クプラユ、ロジョモロ、ガトコチョ・スバ、ナロド・カンダ、ブタリ・ドゥルゴ。
c. クリスの刃のコンディションの用語:パンチャル・パモンとプガット・ウォジョはプノカワンのひとり、ガレンの別名である。その他の名は、キ・ルラ・ノロ・ガレン、チョクロワンソ、マングン・オネン、カダル・プドットである。クリスの刃は時にはバトロ・コロの牙と呼ばれる。

4.バティック藝術とワヤン・プルウォ藝術との接点
 ワヤン・クリ・プルウォの透かし彫り/装飾の服飾部(例;ジュバ、カイン)には明らかにバティック藝術におけるパターン/モチーフが参照されている。逆にワヤンの要素を取り入れたバティックのパターンの名もある。例としては、スマル・ムセム、サトリヨ・マナ/マンサ、コクロソノ、ビモ・クルド、スメン・ロモ、その他である。(スロボガン)

Ⅴ.結び

 前述のように、スラカルタでのワヤン・クリ・プルウォ造形美術の黄金時代は、一世紀にわたった。以来、今日に至るまでワヤンは既存のパターンを踏襲して作られて来た。ワヤン・クリ・プルウォの作成は経済的には見通しが有望ではない。それにもかかわらず事実スラカルタとその周辺地域(スコハルジョ、ウォノギリ)ではワヤンの製作がつづけられている。検討する必要があるのは、すでに確立された伝統的価値観に頼ったその活動の範囲がどこまでなのか?ということである。この疑問は十分妥当なものであり、実際問題、今日の大部分のワヤン・クリ・プルウォの制作者たちは、ワヤンの人物造形への取り組みの表現力をほとんど忘れ/知らないでいる。特にウォンドについては。ワヤン藝術の愛好家(ワヤンの観客もふくむ)たちの間でも同様である。さらに皮肉なことに、これは(意識的か否か)ワヤン・クリ・プルウォのダランの大部分においても起こっている。彼らにとってより重要なのは、チュプンガン=人形の持ち方(上演/行為の感覚的効果)なのだ。良いワヤンは操作し易いワヤンなのだ。個人としてのダランは、真に高貴な上演を可能にする、アドゥガン(場面)/ラコン(演目)に合致した美しいワヤン人形たちで、興味深い上演を演出できるような側面を多く望む。チュプガン(人形の取り扱い)は操作(サブタン)の要件となった場合には最重要である。各々のウォンドの創意に合わせた十分なチュプガンをそなえなければならないのではないか?

 今日の新しいワヤンの創作は、実際には非伝統的/現代的指向でなされる(ワヤンの造形のみならず物語も)。ワヤン・プルウォの造形も現代的様式で作成されるが、いまだ伝統的価値観も参照される。Sdr.アジャル・サトト(スラカルタ)やSdr.スカスマン(ヨグタカルタ)のように。そのような作品は、尊敬に値する。ワヤン造形界のレパートリーを増すし、今も古典/近代から現代へと通じるワヤン造形美術が発展している証拠でもある。しかし、これらの作品が上演に使用される場合、それを支える環境を整える必要がある(物語、語り手、ガムラン音楽、演出家、その他)。そこで幾つかの段階の試行がなされる。とはいえ、未来の展望は明らかには読み取れない。伝統的規範の資産を見つめながら、我々はあらゆる方向からの、新しい価値観の情報の洪水の中にある。流れに逆らって泳ぐのか、また河口に漂うのが我らの喜びなのか?

ジャカルタ 1992年 8月7日
ハルヨノ・H・グリトノ

(了)
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by gatotkaca | 2011-08-26 03:22 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォ 造形の側面からのレヴュー その2

 前回からのつづきです。ワヤン・クリ発展の歴史的沿革がまとめられているので、参考になりました。新規の情報はそれほどありません。

(つづき)

Ⅱ.歴史的概略

 最古のワヤン・プルウォのひとつは、中部ジャワのプラムバナン寺院の壁面レリーフに見られる(9-10世紀)が、ワヤンの物語(マハバラタ、ラマヤナ)は、さらに幾世紀か以前に神話化していた。その時代には、中部ジャワから東部ジャワへと人口が移行して(多分自然災害:洪水、火山の噴火、天災、飢饉その他によって)、権力・文化の中心は(10世紀には)東部ジャワに移行していたと考えられる。東部ジャワのチャンディ・パナタランやチャンディ・スク(14-15世紀)には証拠が残されている。そこには壁面レリーフとしてスドモロの物語が描かれている。バリに見られるワヤンの造形は、東部ジャワのそれと似ており、これは東部ジャワ王朝とバリ王朝が親族関係にあることによると思われる。東部ジャワに見られた造形がバリのそれに主要なインスピレーションを与えたことは多いに考えられる。
 既存の説によれば、ワヤン・ベベルはモジョパイト時代に創られ、上演されたのが最初である。これは定説といってよいが、疑問が残るところもある。今日見ることのできるワヤン・ベベルの造形はモジョパイト時代のワヤンの造形と比較してより新しいものであるといえる。ワヤン・ベベルが創られた時代は、モジョパイト王権(16世紀初頭)より下って、その文化的中心はデマク(中部ジャワ、1522年前後)に設定した方がふさわしいようである。知られているようにこの時代にはイスラム教がジャワ島北海岸の地方に広まり始めた。当初その時代の中部ジャワでは、ヒンドゥー教が大きな勢力を占めていた。中部ジャワのイスラム導入時代はヒンドゥーからイスラムへ信仰が移行する時代であり、ヒンドゥーとイスラムの価値観の衝突を回避するための妥協が必要とされた。ワヤン・プルウォ藝術にとってはことさら、この妥協はワヤン・クリ・プルウォの造形創作で行われ、イスラムの教義との衝突を避けるため、リアルな人間の絵姿は正当化されなかった。

 デマク王権末期(1478−1548)には、小さなサイズのワヤンが創られた。そのワヤンはキダン・クンチョノ(黄金の鹿)と呼ばれる。今日にいたるも、サイズの小さなワヤンは、キダン・クンチョノと呼ばれる。デマクの後、パジャン王国(1568-1586)の時代となり、間を置かず第二マタラム王朝(P.セノパティ)が立つ。おそらくこれが、ワヤン・パジャンとしてカテゴライズできる特別のものが見いだせない理由のひとつであろう。デマク-パジャン時代と同時期に、チレボンでもワヤン・プルウォが知られ始める(スナン・グヌンジャティの時代以来)。チレボンでのワヤン・プルウォのさらなる発展がどのようであったかは明らかではないが、ワヤン・チレボンの遺産は1セット存在する(おおよそ1世紀の間に)。そのワヤンの造形はデマクから(クドゥのように)直接枝分かれして形成され、スラカルタとヨグヤカルタの様式に影響を与えたといえる。

 パジャンから第二マタラムに政権が移り(1586-1680年、P.セノパティからスナン・アマンクラット2世まで)、ワヤン・クル・プルウォ製作に多くの発展がもたらされた。続いてカルトスロ(1680)への移行期にワヤン造形の改修と標準化の過程があり、キヤイ・プラムカ(1723-1730年前後)のようなワヤンの製作が行われた。この発展、変容、標準化は、カルトスロからスロカルト政権(1744年)、すなわちスナン・パクブウォノ2世(1727-1749年)への移行期まで続き、スナン・パクブウォノ4世(1788-1820年)の時代に頂点に達した。この時代にはいくつものワヤンが知られている。キヤイ・マング(1753年前後)、キヤイ・ジマット(1798-1816年)、そしてキヤイ・カドゥン(1799-1817年)である。キヤイ・カドゥンはワヤン・ジュジュタン(大きいワヤン)であり、今日に至るまで十分に神聖視されている。他にも1807-1817年にはキヤイ・デウォ・カトンと名付けられたワヤン・ゲドも製作されている。

 ワヤン・プルウォの造形が高い完成度で頂点に達したのは、S.パクブウォノ9世(1861-1893年)の治世もそうである。それは一人の貴族にしてワヤンに関する文化人でもあったG.P.H.スモディロゴの指揮によるものであった。この時代には「サストロミルド」と題する本も書かれ、ワヤン・プルウォの造形美術に関する質疑応答が記されている。これと同時期にK.G.P.A.A.マンクヌゴロ4世が、ワヤン・クリ・プルウォ造形美の傑作であるサトゥ・コタ(一箱=ワンセット)のワヤン・クリ・プルウォ、キヤイ・セブ(1850-1865年)を製作した。このワヤン製作の目的は、操作(ニャブット=ワヤンの操作、サブットから派生した語である)のし易さにあった。これにより、キヤイ・セブは後のワヤン・クリ・プルウォ造形の規範となったのである。

 周知のようにスナン・パクブウォノ2世の時代、1755年にスラカルタ王家の分家として(1755年ギヤンティ条約の帰結として)ヨグヤカルタ王家が成立した(ハマンクブウォノ1世)。政権の分立と新規の領土設定で、そのアイデンティティ確立のために新たな美術文化の形成が必要と認識された。かくてクドゥの様式を参照して、ヨグヤカルタ様式のワヤンが創られた。その発展は十分意識的に加速され、およそ19世紀末にはスラカルタ・スタイルと拮抗する、ヨグヤカルタ・スタイルのワヤン造形が成立した。ヨグヤカルタ王家の関与は相当に真摯なものであり、通説では王自身が製作したワヤンも存在するとされる。たとえば、キヤイ・ジョヨニンルム(ジャノコ)、キヤイ・グンドゥレ(クレスノ)、ならびにキヤイ・バユクスモ(ウルクドロ)である。ヨグヤカルタの貴族のひとり、G.P.テジョクスモは、20世紀初頭のワヤン・プルウォの造形美術、踊り、伝統音楽(カラウィタン)の設立者として著名である。

 日本の植民地時代(1942-1945年)の間はワヤン・プルウォの造形に新たな展開や創造はなかった。インドネシア独立後、ワヤン造形の新創作がいくつか起こり、それは物語や上演目的にまで及んだ。ワヤン・スル・パンチャシラ(1947年前後)、ワヤン・ワフユ、ワヤン・ゴレ・ローカル、ワヤン・スジャティ、ワヤン・ボネカ・パ・カスル、ワヤン・クルアルガ・ブルンチャナ、ワヤン・ウクル(スカスマン)、ワヤン・ゴレ・モデルン・ジャワ・バラット、ワヤン・ゴレ・メダンその他、これらすべてはワヤン・コンテンポラリー(現代ワヤン)の範疇に含まれる。

 総論として手短にまとめると、ワヤン・プルウォの造形美術の展開はいくつかの要素によって推進された。
1.時代から時代への美学的価値観の自然な展開
2.ヒンドゥーからイスラムへ=アニミスムからダイナミズムへの価値観の移行(多神教から一神教)
3.その他の目的。例えばスンカラン(年号を読み込む詩形式)、(王の)命令、その他。
4.ワヤン・プルウォ藝術の行為者と巷間(ダラン、見物人、パトロン、計画する者、権力者)からの影響。

 これらはスラカルタ地方やその周辺でのみ生じたわけではなく、程度の差はあっても他の地域でも生じた。とはいえ、比較的、ワヤン・クリ・プルウォの造形美術の創意においてはスラカルタが最も強く、ワヤン・クリ・プルウォの造形美術のコンセプトには全体としてスラカルタ・スタイルの影響が見いだせるであろう。

(つづく)
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by gatotkaca | 2011-08-24 00:40 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォ 造形の側面からのレヴュー その1

 「ワヤン藝術の価値」Nlai-nilai Seni Pewayangan :Dahara Prize Semarang 1993 という本を読んでいます。その中からハルヨノ・H・グリトノ氏の論文「スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォーー
造形の側面からのレヴュー」を拙訳でご紹介いたします。結構長いです。

スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォ
造形の側面からのレヴュー


ハルヨノ・H・グリトノ

Ⅰ.序

 インドネシア国家の文化には各々の地域のさまざまな藝術文化が見られる。ジャワの藝術文化はそのひとつである。ジャワ藝術を知ることには、古来からのジャワの社会生活の背景を認識する試みもまた含まれている。生計、思考のパターン、生活態度といったものも取り上げるのがよいだろう。
 ジャワの社会生活には古来、ひじょうに顕著な二つの特徴が見られる。それは、農耕と封建制である。農耕の特徴は、その時代の農業で生計をたてる文化に現れ、一方、封建制の価値は、王を中心とする政府の権力/秩序のシステムによって生み出される。であるから、藝術を形作るのは、農業と封建制を考案した思考なのである。ジャワ人の生活と精神のほとんど全てが、しばしば農耕的価値観と秩序でなされ、同様にジャワの藝術文化の発展はプリミティヴな思考(それはつねに崇拝対象、神、精神、精霊等々への関心を伴う)から生じ、特定の人間(王)に対する崇拝にまで及ぶ。この過程を経ることは、ジャワ藝術の表現、装飾、伝統そしてシムボリズムに至るまで見いだすことが出来る。

 農耕と封建制の価値を内包する、ジャワ藝術の分野は、音響藝術、舞踊、古典音楽藝術、クリス、バティック、建築、インテリア、そしてワヤンがある。これらの性質の顕在化は、時々ジャワ藝術の各分野に同時に/連携して現れ、ジャワ藝術各分野間の関連性を示している。ひとつの藝術分野は、他のいくつかの藝術分野からのサポートを必要とし、連携し合って形成される(例えば、ワヤンの上演では、カラウィタン=伝統音楽・声楽・satra 武道(sastra 文芸の誤植か?)・ワヤン人形美術である)。

 伝統的ジャワ藝術分野の一つとして、ワヤンはジャワの民衆に愛されるのみならず、とりわけその上演形式の故に、海外においてもひじょうにポピュラーである。ワヤン形式で最も発展し、高い完成度に到達しているのは、ワヤン・クリ・プルウォである。このワヤン・クリ・プルウォの上演の高貴さと魅惑は、扱う物語(ラマヤナ、マハバラタ)によるだけでなく、内包する哲学、カラウィタンと歌、文学性はもちろん、物としてのワヤン・クリ人形もふくむ、その芸術形式全体の要素によるものである。寸法、姿勢、姿、表情、体に纏う着物や装飾の種類、その他諸々の造形の要素がワヤン・クリ・プルウォのヴィジュアルを完璧にし、ワヤン・クリ・プルウォの上演全体の高い完成度の達成に資するものとなっている。この意識から出発し、思考を維持して、再評価されるべきワヤン・クリ・プルウォの造形美術に対する理解を深め、鑑賞する。
 ワヤン・クリ・プルウォ以外にも、西部ジャワ(スンダ)で創られ、ポピュラーになったワヤン・ゴレ・プルウォがある。ワヤン・クリ・プルウォは中部ジャワ、東部ジャワ、そしてバリで発展し、19世紀末頃にスラカルタとその周辺地域で頂点に達した。他のいくつかの地域、たとえばチレボン、バニュマス、クドゥ、そしてヨグヤカルタもそれぞれの地域の高い創造性と鑑賞力で、ワヤン・クリ・プルウォの造形美術を発展させた。それゆえ今日、ワヤン・クリ・プルウォの形・ヴィジュアルにはさまざまなガヤ(ガグラック/ヴァージョン)=地域スタイルがある。たとえばスラカルタ・スタイル、ンガヨグヤカルタ、クドゥ、バニュマス、チレボンその他。上演を補佐・支援する他の藝術分野(カラウィタン、声楽、文学その他)でも同様に、各々の地域のヴァージョンが成立した。ワヤン・クリの造形美術発展の頂点であるスラカルタ・スタイルの断片的事象を掲げることで、他の地域の発展も考慮しつつ、この小論ではスラカルタ・スタイルのワヤン・クリ造形美術について、できるだけ多くのことを再考してみたい。

(つづく)
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by gatotkaca | 2011-08-23 06:08 | 影絵・ワヤン | Comments(0)