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木から落ちた猿

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スラット・デウォ・ルチにおけるイスラム神秘主義の影響

 イスラーム到来後の状況を概説したウォロ・アルタンディニ氏の論説。

スラット・デウォ・ルチにおけるイスラム神秘主義の影響
ウォロ・アルタンディニ(FSUI)

「スラット・デウォルチ」は、スラカルタ・ハディニングラト王国のカンジェン・ススフナン・パク・ブウォノ4世の時代、ジャワ歴1730年、西暦1803年にキヤイ・ヨソディプロ1世が構成した。
このキタブは、モジョパイト王国最盛期に現れた、中世ジャワ語を用いた「キタブ・ナワルチ」に基づく。「キタブ・ナワルチ」は1500〜1619年の間に、ムプ・シワムルティ Ciwamurti (自身はムプ・ドゥスン Dusun と称した)によって書かれた。であるから、「ナワルチ」は宮廷(クラトン)外の環境において成立したものである。「キタブ・ナワルチ」の別名は「サンヒワン・タットワジュノノ Sanghyan Tattwajnana 」といい、訳せば『生命の根源に関する知識の書』となる。その内容は、ビモが完全なる人間となるために、その師、ダンヒワン・ドゥルノの命を受け、バヌマハパウィトロを探さなければならなくなる。様々な試練を経験した後、ついに彼はサンヒワン・アチンティヤ Acntya またナワルチという、「真実なる師」と巡り会うのである。
 その名だけでは、そのキタブはいまだヒンドゥーの息吹を感じさせるが、物語の内容を見てみると変化を見て取ることが出来る。ヒンドゥーの神々がおわすその下に、聖なる人物、すなわちビモがおかれている。多くの神々、ビダダラ・ビダダリたちが呪いや災厄から解放され、彼によってルワットされるのである。このキタブにはサンヒワン・ナワルチ、またサンヒワン・アチンティヤなる『言葉で言い表すことのできない存在』が最高位におかれ、つねにビモを守るのである。
 スラカルタ・ハディニングラト王国時代の宮廷詩人、キヤイ・ヨソディプロ1世による「キタブ・ナワルチ」は、その内部にイスラームの諸要素を挿入されて「スラット・デウォルチ」となった。それらの要素は「パモリン・カウロ・グスティPamoring Kawula Gusti 」また「マヌンガリン・カウロ・グスティ Manunggaling Kawula Gusti 」の語で、イスラーム教を奉じた「海岸」諸王国において創作されたキタブ・スルクにおいて多く用いられている。スルク suluk の語自体は、アラビア語のサラカ salaka からきており、「(トゥハン=神への)道」を意味する。
 ビモがデウォルチの体内に入ることは、「トゥハンに創られしものが、トゥハンと一体化する」ということを意味する。デウォルチの体内ではじめビモは混乱するが、デウォルチに促されて、そのジャガッド・ワリカン jagad walikan (宇宙の守護者)の中に自身を発見する。様々な教訓が与えられ、さらにビモは光るヴジョンを見る。彼は赤、黒、黄、そして白の色(の光)を見る。そして精神の本質(tyas sejati) であると語られる「ポンチョモヨ pancamaya 五つのヴィジョン」を見る。先の三つの色はヒワン・スクスモと一体になろうとする、良き行いを妨げ、抗うもの(ドゥルガマニン・ティヤス durgamaning tyas 真の障碍 )である。三つのものを滅したとき、彼は神と一つになる(白色に象徴される)。白色だけが「トゥハンと人間の合一」(Pamoring Kawulo Gusti)を指し示すのである。「スラット・デウォルチ」ではビモはポレン・バン・ビントゥル polrng bang bintulu (赤と青の格子縞)のふんどしを身に付けている。それは赤,黒、黄、白の色をもち、デウォルチの guwa garba (体内)で見たものと同じである。
 宮廷外の環境で生じたキタブの内包する(いまだヒンドゥーの息吹をもつ)思想がどうして宮廷内(イスラーム)の内に入り込んだのであろうか?

 ブリューネッセン Bruinessenは言う(1994:1-5)。
 『インドネシアにイスラームが到来したとき、スーフィズムは全盛の時代を迎えていた。結果的に、インドネシアに入った後のイスラームもその影響を受けずにはいられなかったのである。これはインドネシアでのイスラーム思想の発展がスーフィー的色合いを帯びていることから明らかである……。
 ヒンドゥー・ブッダの神秘主義になれた島々の共同体は、イスラーム原理主義に比して、このイスラーム神秘主義を採用するほうが無理がなかったであろう。ヒンドゥー・ブッダ神秘主義の伝統とスフィーは類似点が多く、この近似が宮廷文化圏がイスラームを採用し、従来の伝統を用いてそれを育むことを容易ならしめたのである。

 イブン・アラビ Ibn 'Arabi' のスーフィズムの形而上的教義や宇宙観は容易に神秘主義の観念と同化した。インサン・カミル Insan Kamil の概念は、地域の権力者に、神秘主義の正当性に寄与するポテンシャルを与えたのである……。』

 インドネシアへのイスラームの到来は、スーフィズムの発展と同時期でありタレカット tarekat (神秘的道標)と呼ばれるものが現れる。この流派は、イスラームの導入を展開させる役割を担い、東部地域からインドネシアに入った。マルタバット・トゥジュ Martabat Tujuh の学説に基づいた形而上的、象徴的理念として発展したスーフィズム的イスラームの教義はジャワの人々の支持を得て信仰されるようになった。(Bruinessen1994:10-11)
 早期スラカルタ王国時代、「スラット・デウォルチ」は、おおいに支持された。民衆からの多くの反応と需要を得て、フィードバックを受けて変換され、様々な文学作品を生み出し、そこではイスラームの教義が想起されたのである。そのひとつが、キヤイ・ヨソディプロの孫 R.Ng.ロンゴワルシトが1845-1875年に構成した「ビモ・スチ」である。
R.Ng.ロンゴワルシトの「ビモ・スチ」以外にも「ビモスチ」は Bima Suci Ing Dalem Pustakaraja Oancakrama、Bima Suci Ing Dalem Pustakaraja Mahadarma、Bima Suci Sinuraos Imaratipun Ing Dalem Wewiridan(簡略版 Bima Suci Wirid)等多くのテキストが「スラット・デウォルチ」の教義に基づく後続として生まれた。
 ビモ・スチ・ウィリッドでは、ビモはティルト・パウィトロをグヌン・レクソムコへ探しに行く。これはマーリファ(Maklifat 霊知・神秘的知識)を求める道程であると語られる。ラクササ、ルクムコとルクモコロを殺すことは、バイタル・マクムル Bait-al-Makmur とバイタル・ムカダス Bait-al-Mukaddas (天国の門)を開くことになぞらえられる。大蛇ヌムブルウォノ殺害は感情を殺すことであると語られ、サン・デウォ・ルチと出会うことはザット・スジャティ Dzat Sejati (真実なる身体)と出会うことである。デウォ・ルチへのguwagarba(体内に入る)はビモがインサン・カミル、すなわち完全なる人間となったことを意味する。
 1923年にKRT ウレクソディニングラト Wreksadiningrat の構成した「スラット・ランパハン・ビモロドロSerat Lampahan Bima Rodra」が出た。このキタブではビモはイスラーム教を教えるプンデタ(僧侶)となる。彼はシャリカット Syarikat、タリカット Tarikat、ハケカット Hakekat、マーリファ Ma'rifat を教える。このキタブによれば、シャリカットとは『身体の行為』であり、タレカットとは『精神の行為』、ハケカットは『トゥハンの存在』を知ることを意味する。そしてマーリファとは『ふたつがひとつになること(roroning atungal)』である。ビモの腰巻きの色、ポレン・バン・ビントゥルの意味するところは次のようなものである。黒はアラマ alamah (傲慢)の欲望の象徴であり、赤はアマラ amarah の欲望で怒りにつながる。黄はスピヤ supiyah の欲望すなわち肉欲を象徴する。一方、白はムトマイナ mutmainah すなわち、トゥハンから与えられる全てに対する感謝を象徴する。
 その後、ジャワ歴1867年、西暦1936年にTjan Tju An によって「スラット・ビモ・ブンクス」が書かれ、サンコロ sankala (言葉や文字に隠された神の(トゥルス・ガティ・エスティ・トゥンガル Trus gati esti tunggal 真摯に唯一のものを求めること)が付加された。その内容はモジョパイト時代の「ビモ・ブンクス」の物語から生まれた幾多のものを組み合わせて構成されている。「ビモ・ブンクス」は20世紀初頭に、幾多の変容を経験した。KGPAA マンクヌガラン4世による「LampahanBima Bungkus」、R.Ng.ロンゴワルシトの「Bima Suci Wirid」は「インサン・カミル」の誕生を語った。キヤイ・ヨソディプロの「スラット・デウォルチ」におけるパモリン・カウロ・グスティに対するデウォルチの教えは、零からの人間形成過程の諸段階、完全なる人間「インサン・カミル」の段階に到達するまでの「マルタバト・アカディアト martabat akhadiyat」を説明する「マルタバト・トゥジュ」を増補している。完全なる人間を目指す者は、八種の精神状態を得る。「ロ・イラピ」、「ロ・ロバニ」、「ロ・ロカニ」、「ロ・ヌラニ」、「ロ・クドゥス」、「ロ・ラフマニ」、「ロ・ジャスマニ」、「ロ・ナバティ」、そして「ロ・ルワニ」である。
このイスラーム・スーフィズムの教義を内包する、「スラット・デウォルチ」の核心部分が発展し続けたことは、さまざまな文学作品やその作品で語られる部分部分を見ることで証明される。「スルク・ビモスチ」、「Bima Suci Kawewahan Bawarasanipun Peksi gemak,Berkutut,lan Platuk」のように。「ババッド・タナ・ジャウィ Banad Tana Jawi」でセ・マグリビ Seh mahgribi がセ・マラヤ Seh Malaya にした説教、「スラット・ワリソノ Serat Walisana」ナビ・キリル Nabi Kilir がセ・マラヤにした説教「スラット・カンチル・アモンプロジョ Serat Kancil Aongpraja」と『スラット・カンチル・クリドマルトノ Serat Kancil Kridhamartana 」でサン・ケオン Sang Keong がサン・カンチル Sang Kancil にした説教、「スラット・プストコロジョ・マハパトロ Serat pustakaraja Mahaparta 」においてルシ・ビヨソ Resi Byasa が不具の子イリヤ Ilya に出会う、「チプト・グガ Cipta-gugah 」においてワデン・アビヨソが不具の人と出会う、そして、「スラット・ヒダヤットジャティ Serat Hidayatjati 」でのスナン・カリジョゴの教え。すべてはビモとデウォルチの場合と同じく、二人の当事者の間で交わされる対話である。また、「スラット・チェボレ Serat Cebolek 」においても、イスラームから外れた教義を教えられたキヤイ・ムットマキン Kyai Nuttamakin は許され、罰をうけることはない。デウォルチの教えを用いて自身を保つことが出来たからであるとされる。
 たとえばビモが海に入ってデウォルチと出会い、その体内に入るといった、デウォルチにおいて述べられたような物語のパターンをわれわれはさまざまなテキストに見いだすことが出来る。「スラット・デウォルチ」において、ビモが彼の小指よりも小さなデウォルチに入るよう命じられた時、ビモはかたくなになり、拒もうとした。しかしついにデウォルチを信じて彼の体内に入り、教理を得る。
 セ・マラヤがその師、スナン・ボナンにメッカ巡礼を命じられたときの話にもほとんど同じ文言がみられる。セ・マラヤが海に飛び込むことを逡巡すると、そこにナビ・キリルが訪れ、生の真理と完全性の摂理を説く。その文言は「スラット・デウォルチ」で見られるものとほぼ同じである。以下に記す。

 ナビ・キリルはまっすぐに問うた
 山々と
 海と森
 それらすべてを包む大地
 そして汝
 いずれがより大きなものか
 まだいっぱいになってはいない
 我が体内に入れ
 セ・マラヤはこれを聞き
 おそれおののいたが、承知し
 サン・マルブドゥンガルに入った

 「スラット・カンチル・クリドマルトノ」の写本には、カンチルにたいして、師であるカタツムリが教説をあたえる。それは文言の音によって魂に直接理解させるものである(ゆえに翻訳不可能である)。

Garbaningsun lebonana,
kancil kagyat matur aris,
ing pundi margi kawula,
reh amba ageng tur inggil,
tinimbang ian kiyai,
buntut kawula kang pucuk,
yekti mangsa sedhenga,
keyong mesem nabda ris,
gedhe endi sira lan gumlaring jagad
Sakurebing dirga loka,
kang isi surya sitengsi,
salimah isining donya,
tan sesak ring garba mami,
yen manjing lobok pasthi,
 (……等々)

 比較として、ここに示す「スラット・チェボレック」から抜粋したテキストもまた「スラット・デウォルチ」の引用である(意味するところは同じであるから、翻訳は示さない)。

Angandika malih Dewaruci,
gedhe endi sira lawan jagad,
kabeh iki saisine,
kalawun gunungipun,
samodra alase sami,
tan sesak lumebuwa,
guwa garbaningsung,.......

 以上、イスラーム・スーフィズムの教義がどのように「スラット・デウォルチ」に魂をこめたのか、また、そのとき民衆が「スラット・デウォルチ」において示された教義を彼らの生活の哲学と一致させて感じ取り、「スラット・デウォルチ」がおおきなレスポンスを受けたということを示した。
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by gatotkaca | 2011-08-05 00:54 | 影絵・ワヤン | Comments(0)