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木から落ちた猿

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タグ:アルジュノ・ウィウォホ ( 16 ) タグの人気記事

「アルジュノ・ウィウォホ」の前後 3

 以前紹介した「パルト・デウォ」は、いわばアルジュノ側からの「アルジュノ・ウィウォホ」後日談とも言えるものであったが、ニウォトカウォチョ側のその後を扱った演目として「ムストコウェニ Mustakaweni」がある。ムストコウェニは前回紹介したニウォトカウォチョのプロフィールの終わりにあった、彼の三人の子どもの一人である。以下にラコン「ムストコウェニ」の概略を揚げる。

 「プラブ・ユディスティロの偉大な権威はカリモソドの書を持つ事によるものであった。それでパンダワの敵たちはそれを盗もうと計った。ある時、マニマントコ国のプラブ・ブミロコの妹、デウィ・ムストコウェニは、パンダワへの報復のためアスティノに到来した。グウォ・ドゥムンの苦行者ブガワン・コロ・プジョンゴの訓告を受け、彼女はガトゥコチョになりすまし、カリモソドを手に入れた。その時パンダワたちはチャンディ・サプトルンゴの修繕に多忙を極めていた。サデウォとガトゥコチョが見張りとなっていたが、昼夜を問わず働いてもチャンディはまだ荒れ果てていた。それ故、彼らはプラブ・クレスノに頼み、サプトルンゴまたの名をサプトアルゴへ来てもらった。クレスノがアマルトへ到着し、二人の王はサプト・アルゴの苦行所へ向った。
 一方、アマルトの宮殿ではデウィ・ドゥルパデがデウィ・スムボドロとデウィ・スリカンディに対面していた、突然ガトゥコチョの偽物がプラブ・ユディスティロの使者と称してカリモソドを取りに来た。疑いを抱く事も無くドゥルパディはそのジマット(カリモソド)をガトゥコチョに渡したが、幸運にもスリカンディは疑いを持った。
 ガトゥコチョが王宮を辞するとすぐさま、スリカンディは広間に入り、成り行きを聞くや、それが盗人による詐術だと断じた。ガトゥコチョを見つけ、戦いとなった。贋のガトゥコチョはムストコウェニの姿に戻り、空へ逃げた。
 追跡の途中でスリカンディはグラガワンギの苦行所から来たプリヤンボドという名の青年と出会った。彼は祖父、シディ・ワスポドの命でその父アルジュノを探しているところだった。スリカンディは援助を承諾したが、まずはジマット・カリモソドを持っていったムストコウェニの追跡を頼み、プリヤンボドはそれを承知した。
 マニマントコに至り、カリモソドはすぐにプラブ・ブミロコに渡された。それは実はプラブ・ブミロコになりすましたプリヤンボドだった。巧妙な詐術で彼は容易くカリモソドを取り返し、すぐさまサプトアルゴへ赴き、そのジマットはプラブ・クレスノに委ねられた。だが、今度は反対にクレスノはムストコウェニの化けたものだった。プリヤンボドは平静を失って、戦いとなり、プリヤンボドの放った矢にムストコウェニは裸にされてしまった。かくて彼女は降伏し、アマルトに連行された。
 王国に至り、カリモソドはユディスティロに手渡され、ムストコウェニはプリヤンボドの妻とされた。一方プラブ・ブミロコはパンダワたちに追い払われた。
 このラコンは、ラコン・チャランガンに含まれ、ひじょうに著名で、しばしば上演される。」

 マニマントコ国はその後も存続し、「パリクシト・グロゴル Parikesit Grogol 」という、バラタユダ終了後のラコンでも登場する場合もあるが(ダランの解釈によるけれど)、とりあえずワヤンにおけるニウォトカウォチョ・サイクルはこの演目で一段落する。ここでも、スリカンディが重要な役割を果たしている点は留意したい。さらに言えば、ムストコウェニというキャラクターも、美しい女戦士であり、ある意味スリカンディのドッペルゲンガー的キャラクターと言えると思う。
 ワヤンにおけるニウォトカウォチョ・サイクルは、以下のようにまとめることもできるだろう。
1.ニウォトカウォチョは、アルジュノの妻(第二夫人)スリカンディから生まれる(「カンディホウォ」)。ある意味、アルジュノの息子であるとも言える。=同根発生。
〈ヴァージョンによっては、ニウォヨカウチョは成長後、スリカンディに認知を求めるが、拒否される。(「ニルビト」)〉
2.アルジュノの敵対者となり、アルジュノの手により斃される。=犠牲の提供。
3.ニウォヨカウチョの子(分身的存在)ムストコウェニは、スリカンディのコピーである。=取り込み側〈パンダワ〉への親和的存在としての再生。
4.ムストコウェニはパンダワ(アルジュノ)と敵対するが、結局アルジュノの子(プリヤンボド=アルジュノの分身的存在)と結婚する。=元敵対者のスポイル〈無害化〉と取り込み。

 1.同根発生、2.犠牲の提供、3.親和的再生、4.スポイルと同化という類型は、順序や形を変え(場合によってはいくつかの項目がはずされる場合もあるが)、ワヤンの物語の中に散見されるもので、いくつかのラコン群を形成する際の類型となっていると考えられる。例をあげれば、ノロソモ:バガスパティ、スマントリ:スコスロノ、アノマン:ブビス、クレスノ:ボモノロカスロ、ガトコチョ:プリンゴダニ国といったところであろう。これらに関してはいずれ項を改めて個別考察してみたいと考えている。とりあえず、「アルジュノ・ウィウォホ」の前後に関してはここまでで一段落としたい。

 さて、「ムストコウェニ」の物語を受けて、さらにその後日談として「ペトル王になる」という物語も生まれている。次回からはこの話を紹介する。
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by gatotkaca | 2012-06-01 01:17 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

「アルジュノ・ウィウォホ」の前後 2

 ワヤンにおいては「カンディホウォ」を通じてその出生が語られるニウォトカウォチョであるが、どんな人物として認識されているのかを知るために、「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」のニウォトカウォチョの項を掲げる。

 「ニウォトカウォチョは、ニルウォト・カウォチョ Nirwata Kawaca またニルビト Nirbita とも呼ばれる。プラブ・ニウォトカウォチョ Niwatakawaca はマニマントコ Manimantaka 国の王である。この国はワヤンでは時々イマニマントコ Imanimantaka とも呼ばれる。このラクササ姿の王はエムプ・カンワ Empu Kanwa 作の「カカウィン Kakawin 」の書、『アルジュナ・ヴィヴァーハ Arjuna Wiwaha 』の主役のひとりである。この書はカウリパン Kauripan 国王、プラブ・アイルランガ Prabu Airkangga の治世(1019〜1042年)の時代に成立した。
 ワヤンでは「アルジュノ・ウィウォホ」の物語はラコン「ミントロゴ Mintaraga 」あるいは「ブガワン・チプトニン Begawan Ciptanig 」として知られている。インド版マハーバーラタでもニウォトカウォチョの物語が語られている。エムプ・カンワの書、またワヤンでの物語とマハーバーラタでは、その物語が大いに異なる。
 プラブ・ニウォトカウォチョには、すでにビダダリである妻、プロボシニ Prabasini がいたが、彼は満足せず、デウィ・スプロボ Dewi Supraba をも妻にしたいと欲した。彼は神々にデウィ・スプロボを要求し、叶えられなければカヤンガンを攻撃すると脅した。神々ははっきりと答えることができなかった。というのもこのラクササ王に対抗し得る者がいなかったからである。
 一方、他のパンダワたちと共に12年間の追放中であったアルジュノは、ウィトロゴの洞窟に赴いた。苦行中、アルジュノはブガワン・ミントロゴ、またブガワン・チプトニンと称した。七人のビダダリたちが神の命令でアルジュノを誘惑したが、その苦行を妨げることは出来なかった。試練に耐えたアルジュノは褒美として、 パソパティ Pasopati という名の超能力の矢を授けられた。
 アルジュノはデウィ・スプロボを伴ってマニマントコの宮殿に向かった。この美しいビダダリをプラブ・ニウォトカウォチョの第二夫人として差し出し、ニウォトカウォチョの弱点を聞き出そうとしたのである。王は始めのうちは断ったが、誘導と阿諛の末、ついにニウォトカウォチョは、その弱点が舌の根元にあることを明かした。
 アルジュノは呪文、アジ・パングリムナン Aji Panglimunan を使ってデウィ・スプロボの近くにいて、その秘密を聞いていた。その呪文は、姿を消すことのできるものであった。
 敵の弱点を知ったアルジュノは姿を現し、プラブ・ニウォトカウォチョと戦った。アルジュノは負けたふりをして、めった打ちされた。勝利を確信して満足したプラブ・ニウォトカウォチョは高らかに哄笑した。その時、アルジュノは彼の舌の根に狙い定めて超能力の矢、パソパティを放った。ニウォトカウォチョはたちまちのうちに斃れたのである。
 プラブ・ニウォトカウォチョはデウィ・プロボシニとの間に三人の子をもうけた。
 長子のブミロコ Bumiloka は、後にマニマントコの王位を継承した。二番目はデウィ・ムストコウェニで、美しい娘として生まれ、後にアルジュノの息子の一人、バムバン・プリアンボド Priambada と結婚した。末子のブミサンゴロ Bumisangara はマニマントコの大臣となった。
 ニウォトカウォチョはラクササ姿であるが、母のデウィ・ドゥルニティ Durniti は美しい女性で、父のバムバン・カンディホウォ Kandihawa も美丈夫のクサトリアであった。
 それはこういうわけである。バムバン・カンディホウォはスリカンディ Srikandi の変身であり、デウィ・ドゥルニティと結婚に際して、ラクササ姿のブガワン・アミントゥノ Amintuna と性器を交換したのである。
 ニウォトカウォチョは片目である。彼が青年の頃、天界のデウィ・スプロボを覗き見したことがあった。覗かれていることに気付いたデウィ・スプロボは、髪留めピンで彼の目を突き刺したのである。」

 ニウォトカウォチョが片目である、という設定はジョクジャ・スタイルで成立したようで、ソロ・スタイルの人形では特に表現されていないが、ジョクジャ・スタイルのニウォトカウォチョは確かに片目で造形されている。

ソロ・スタイルのニウォトカウォチョ
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ジョクジャ・スタイルのニウォトカウォチョ
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 彼が片目になった由来を語る物語には異説があり、同じ「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」のラコン〈演目〉解説の項目には「ニルビト Nirbita 」というラコンが紹介されている。

 
 「歳を経たプラブ・ディケは、王位を孫のニルビトに譲る事にした。しかし王として立つ前に、(ニルビトは)その父、アマルトのカンディホウォよりの祝福を受けなければならなかった。そこでニルビトはすぐさまアマルトに向った。途中、ナロドと出会い、サブラン(海の彼方の国)の王として承認され、旅を続けた。
 アマルトに到着し、彼はアルジュノの娘と、ドロワティの皇太子ソムボの結婚の準備に追われるパンダワたちと、その息子たちに会った。ニルビトは客として遇されず、来たばかりなのにアビマニュ、ガトゥコチョ、スミトロたちに追い出されようとした。しかし、ニルビトは力強い大丈夫であったので、パンダワの息子たちは、彼を追い返すことができなかった。ビモですら彼を追い立てることができなかった。アルジュノが出て対峙した。クレスノの進言によりニルビトは片方の目に矢を受けた。
 アルジュノは(クレスノの)忠告に従ってすぐさま敵に矢を放った。傷を受けたニルビトは激怒して、アルジュノに向って叫んだ。後の日にニウォトカウォチョ(ニルビト)が報復を為すだろう、と。ニルビトはマニマントコ国へ戻り、来るべき戦いに備えて、超能力を得られるよう、罪を清める為に苦行に入った。
 このラコンはラコン・チャランガンに含まれ、ポピュラーではないが、よく上演される。」

 ニルビト=ニウォトカウォチョが片目になることの意味は、現時点では不明としか言いようがないが、彼が「アルジュノ・ウィウォホ」単発の敵役に止まらず、ニウォトカウォチョ説話群ともいえる一連のラコンが生じたことには、何らかの意味があるように思える。
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by gatotkaca | 2012-05-29 16:23 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

「アルジュノ・ウィウォホ」の前後 1

 「アルジュノ・ウィウォホ」の物語の敵役、プラブ・ニウォトカウォチョには、その出生に関して不思議な物語がある。
 これはプレ・アルジュノ・ウィウォホとも言える話で、大変興味深い。

 「バムバン・カンディホウォ Bambang Kandihawa 」がそれである。以下エンシクロペディ・ワヤン・インドネシアの「バムバン・カンディホウォ」の項を紹介する。

  「バムバン・カンディホウォはワヤンではハンサムな偉丈夫として登場する。彼は実はデウィ・スリカンディの化身であった。スリカンディはバトロ・ナロドの意志に従ってそうしたのである。
 神の導きに従ってバムバン・カンディホウォはマニマントコ Manimantaka 国へ赴き、プラブ・コロスロノ Kalasrana 率いるロコスゴロ Lokasegara 国軍の攻撃を受けて押されていたプラブ・ディケ Dike を手助けした。バムバン・カンディホウォは敵を倒し、その見返りとしてプラブ・ディケの娘、デウィ・ドゥルヌティ Durniti と結婚した。プラブ・ディケはラクササ姿であったが、デウィ・ドゥルニティは美しい娘であった。
 結婚後幾日かが過ぎて、デウィ・ドゥルニティは泣きながら父に訴えた。というのもバムバン・カンディホウォが男でなく、自分と同じ女であったからである。それを聞いてプラブ・ディケは怒りをたぎらせた。ものも言わずバムバン・カンディホウォは宮廷から追放され、遠くへ蹴り飛ばされた。
 バムバン・カンディホウォは天高く飛び、彷徨ってアルゴスヌ Argasunu の苦行所のラクササ姿のバラモン、ブガワン・アミントゥノ Amintuna のもとへ落ちた。
 話を聞いてブガワン・アミントゥノはバムバン・カンディホウォに同情し、互いの性器の交換を提案し、その申し入れは受け入れられた。
 性器を交換して、バムバン・カンディホウォはマニマントコ国へ戻った。プラブ・ディケに、今度はバムバン・カンディホウォが男であり、デウィ・ドゥルニティに子を授けることができると証明し、承認された。
 デウィ・ドゥルニティは妊娠し、ラクササ姿の赤ん坊を産んだ *) 。赤ん坊は、ニルビトと名付けられた。ニルビトはプラブ・ディケに代ってマニマントコ国の王となった時には、プラブ・ニウォトカウォチョ Niwatakawaca と称した。
 バムバン・カンディホウォはデウィ・スリカンディに戻り、性器をブガワン・アミントゥノに返した。

*) 幾人かのダランは、ニルビトがラクササであるのは、バムバン・カンディホウォがラクササの性器をもちいたからである、とする。」

 ワヤンでスリカンディとして登場するキャラクターは、インド版マハーバーラタにおいては、シカンディンという。シカンディンはパンチャーラ王ドルパダの息子。ビーシュマを怨むカーシー王の娘、アムバーの生まれ変わりである。シカンディー(シカンディニー)という女性でこの世に生まれたが、後に男となった。ビーシュマは女、またもと女とは戦わないとの誓いを立てていた。バラタ族の大戦で無敵の強さを見せたビーシュマに対抗するため、パーンダヴァはシカンディンを盾にしてアルジュナが後ろから矢を放ち、四方八方からこの老雄を攻撃して戦闘不能にした(マハーバーラタ、ビーシュマ・パルヴァン)。
 シカンディンが男になった由来が、マハーバーラタ、ウディヨーガ・パルヴァンで語られている。それによると、子宝に恵まれなかったドルパダ王は、シヴァ神の恩寵により、子を授かった。ただし、この子は最初女児として生まれやがて男子となると予言されていた。王妃は身籠り、シヴァ神の予言どおり女児が産まれたが、王には男児が産まれたと告げられた。王はその子を男児と信じて育てた。
 成長したシカンディンは、ダルシャナ国王、ヒラニヤヴァルマンの娘と結婚する。夫が女であることを知った姫はヒラニヤヴァルマン王に訴え、怒ったヒラニヤヴァルマンはパンチャーラに大軍を差し向けドルパダを脅した。
 シカンディンは女でありながら男として妃を娶った自身を恥じて、死を持って責任を取ろうと、森の中に彷徨いこんだ。
 森の中には心優しいストゥーナーカルナというヤクシャ(クベーラ神の家来)が棲んでおり、瀕死で倒れているシカンディンを見て、わけを聞いた。シカンディンに同情したストゥーナーカルナは一定期間という条件付きで、シカンディンと性を交換した。シカンディンは、ヒラニヤヴァルマン王に男である証を立て、パンチャーラとダルシャナ両国の紛争は収まった。
 一方、ストゥーナーカルナは女になってしまったことをクベーラに咎められ、一生女でいろ、という罰を与えられた。しかし、仲間のとりなしと、親切心に発した行為である、とのことからクベーラも怒りを和らげ、シカンディンが死ぬまでふたりの性は交換されたままであるということになった。(以上、山際素男訳「マハーバーラタ 第三巻、1993年三一書房刊による)
 ジャワにおけるスリカンディは、もちろん女として生まれ、そのまま女のキャラクターとして活躍し、アルジュノの第二夫人となる。バラタユダ(パンダワとコラワの最後の戦争)でも、女戦士として戦場に立ち、ビスモと対決することになる。オムボ(アムバー)の生まれ変わりという説も存在するが、多くの場合(著名ダラン、キ・ナルトサブドの解釈等)では、戦場でビスモとスリカンディが対峙した際に、ショルガ・パングラン・トゥナン(昇天しきれない魂のいるところ)からオムボの魂が降下し、スリカンディに入魂してビスモと対決するという展開になる。女戦士の存在し得ないインドと異なり、ジャワでは女が戦場に立つ、あるいは王位に就くというケースがままある点が興味深い。そういうわけで、男になる必然性のなくなったスリカンディはジャワでは女のままなのであるが、原典マハーバーラタにあるシカンディンの性交換という挿話は、ジャワにも取り入れられ、「カンディホウォ」という不思議な物語を生んだのである。
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by gatotkaca | 2012-05-28 00:29 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

「ブガワン・チプトニン」スタルジョ その2

C. 『ラコン・ブガワン・チプトニンの価値の現代における適用』

 ワヤン・クリ、ワヤン・プルウォの上演は他のワヤンと比べても、ジャワ各地で広範に渡って大衆化されているといえる。古の時代以来、ワヤン・クリの上演は、さまざまな重要性において活用されて来た。ワヤン・クリ上演は、誰に対しても用いることが出来、どのような意味を付与することも出来るということだ。そのような特性を持つ故に、ワヤンは多面的な性質を持ち、物語の主題や人物の性格付けにヴァリエーションを生じ、アトラクションとしても申し分無い。上演される『ラコン〈演目〉』(物語)は倫理の暗喩に満ちている。それゆえ、ワヤン・クリ上演は文化的アクティヴィティと複合的機能で関連している。第一に『見せ物(tontonan)』として。これは藝術的創造性の表明や娯楽として供される。第二は、『手引き(tuntunan)』として。これは「生の教義を到達させる手段」としての意味を持つ。

  人がワヤン・クリ上演を見ることの本質は、美的経験であること以外にも、教義、教育、娯楽その他を満足させることにある。伝統文化の偉大なる成果であることから、特に東部においてはピウラン piwulang (教義)の性質を持ち、またワヤンの世界はしばしば、善と悪に基づく、人間の性質・生活・行動に対するモデル(規範)を与える教義として看做される。ワヤンは、我々が祖国と民族に対して、最上の人間、高貴なる者となるためのモラルと教えを与えてくれるものとして、はっきり理解されている。
 現代に適用し得る『ブガワン・チプトニン』の物語に暗喩された価値は次のようなものである。

1. 『善なる導きと責務の価値』
 指導者はつねに民衆の運命、国と民族の平和と安寧を考えなければならない。指導者は『イン・ガルソ・スン・トゥロド、イン・マディヨ・マングン・カルソ、トゥト・ウリ・ハンダヤニ ing ngarsa sung tuladha, ing madya mangun karsa, tut wuri handayani 』(規範を提示し、民衆の中央にあって戦い、支えとなる動機を与え続ける)でなければならない。

 これはインドロキロ山の頂上で苦行するアルジュノの人物像に見出せる。アルジュノは公正と真実が確立されるよう、そして国と世界を混乱させる災厄(アンコロ・ムルコ)を滅するために、トゥハンの恩寵を求めて、思念(チプトニン)を明確にする。アルジュノの苦行は国、民衆の利益のためにあり、安寧を達するための高貴なる思想である。アルジュノの思想の聖性はインドロキロ山の大気にも影響し、そこは安定し、穏やかで調和のとれた幸福に満たされている。政府の指導者たち(権力者・社会的高位者)は、権威を持ち、つねに『チプトニン』(落ち着いて、明晰で聖なる思考)を備え、邪悪な思考から遠ざかり、民衆と国のステータスに影響を与える『アイェム・トゥントゥルム・カルト・トト・ラハルジョ ayem tentrem karta tata raharja (安寧・平穏・静謐・秩序・安定)』なのである。

 指導者・支配者はイマイマントコ国王、プラブ・ニウォトカウォチョのよう、つまり、強欲(アンコロ・ムルコ)の求めに従って、その力を行使する者であってはならない。支配者は『プンガヨム Pengayom 』(庇護者)でなければならず、民衆の運命とその安寧を真摯に考慮し、援助者とならねばならない。権力を賛美してはならないのだ(オジョ・ドゥメー aja dumeh 、またアジ・ムンプン aji mumpung =横柄であってはならず、自分の思いをごり押しするよな真似をしてはならない)。権威を振り回す政府は、その権力を濫用した時、消滅することになる。自分勝手で不正直な権力者が権力を握ったとき、世界は消滅し、粉々になってしまうのだ。

2. 『理想的若者の価値』
 アルジュノにはプノカワン(スマル、ガレン、ペトル、バゴン)が付き従い、彼は道徳を身に付けた高貴な若者として知られている。幼少より肉体と精神の英知たるイルムを求めることを喜びとし、完全なる個となることを目指し、人生における課題と真摯に向き合い、生の完全性に到達しようと努める。そしてアルジュノは「サトリヨ・ピナンディト』(高潔にして広い英知を持つ者)の性質を獲得するに至るのである。インドロキロの苦行でアルジュノは邪悪な欲望を制御し、支配するために自らを浄めようとするのである。

3. 愛国心と英雄の精神の価値
 しばしば苦行する故、アルジュノは多くの超能力の武器を得る。アルジュノが超能力を持ち、偉大なる英雄性を持つことは驚くにはあたらない。このアルジュノのヒロイズムは彼に対し神が大いなる共感を持つゆえであり、アルジュノは『ジャゴニン・デウォ jagoning dewa 』(神の戦士)となり、『ムランタシ・ガウェ mrantasi gawe 』(責務/問題を全うする)を果たすのである。王やクサトリアが傲慢になれば、国や民衆は混乱し落ち着きを失う。ラコン『ブガワン・チプトニン』において、アルジュノは自身がトゥハンに近づけるよう努め、さらに困苦や不正を取り除く者たる規範を示す。

4. 『シムプルであることの価値』
 アルジュノのワヤン人形は飾りが無くシムプルであるが、美しく魅力的である。アルジュノはその人生において、つねにシムプルに生きたが、一個の完成されたクサトリヤとして、有能で英知にあふれ、上品で滑らかな〈halus〉感性を持ち、高潔な人格を持とうと努めた。だからこそ、彼はすべての人間、そしてトゥハンに愛されたのである。

5. 『目標を達成するにおいて平常心を保つことの価値』
 希望する目標を達成するにおいて、つねに「到達」を促すよう『勤勉 tekun 』であり、『見出すこと ketemu 』ことのできるよう『正直 temen 』『真摯に temen-temen 』『偽り無く temenana 』であること。「到達できるように真摯であること」。喜びを伴い、決意に直面することを妨げる全ての誘惑、「ラウェ・ラウェ・ランタス・マラン・マラン・プトゥン rawe-rawe rantas malang-malang putung (破棄させ妨害する者)」、全ての障害と誘惑は除かれなければならないのである。

 喜びを伴う女性の誘惑の例として、アルジュノは七人のビダダリに誘惑される。しかし、『ブガワン・チプトニン』は平常心を保ち、応じようとしなかった。無論、人生における誘惑は制御することが難しい。それは三つのタ taであり、ワニタ(女) wanita 、ハルタ(財産) harta 、タフタ(権力・王権)tahta である。上記三つのタの人生の誘惑に対してはよくよく注意しなければならない。

6. 『一体化、社会的利益、相互扶助 gotong royong の価値』
 パンチャシラと45年憲法に基づくインドネシア国家は、一体化と相互扶助が最重要であるとしている。「しっかりと団結し、破綻して分かれる」という格言がある。複合的なインドネシア民族の状態を言う。人間は個人、社会としての存在であり、神の被造物であるから、社会は調和、合一を目指す必要がある。我々は調和、一体化、そしてバランスを取るという三つの道を歩まねばならない。

7. 『人間性と助け合いの価値』
 この祖国では、人間の生は環境や仲間に対する人間性という感情を持つことが目指される。求める者に与えることを喜びとし、仲間を助け、特に社会的弱者は助けを必要としている。例えば、この『チプトニン』の物語では、ルシ・パディヨ(インドロ神の化身)がウィトロゴの洞穴の門で雨に打たれている場面で、すぐさまアルジュノに手を差しのべられる。同様に、アルジュノは武器を携えて苦行しているが、その目的は仲間を助けること、『ムマユ・アユニン・バウォノ(世界の安寧を成し遂げる)』ことにおける災厄 angkara murka を打倒することにある。

8. 『祖国愛の価値』
 民族の後継者たる若者の世代は、つねに愛国心を『ルマンサ・アンダルブニ rumangsa andarbeni 』(心に刻む)ようにするべきである。防衛、進歩、持続的発展のために。我らの祖国への愛は決して金や、生活水準や、地位のためであってはならない。それは他の民族を賛美して、自らの民族を醜悪ならしめることになる。アルジュノはラコン『ブガワン・チプトニン』において、この世のものとも思えぬ、比べようも無い滋味、つまりプラブ・カリティの称号を得てカヤンガンの王となり、ビダダリたちを妻とする権利を得るが、アルジュノは祖国アマルト、ならびに彼を産んでくれた母、そして祖国の大地の糧により自分が育てられたことを忘れず、自覚し続ける。かくてアルジュノは祖国と民衆の発展と繁栄のために、地上(アマルト)への帰還を申し出るのである。

9. 『年長者と兄弟への献身の価値』
 インドロキロでのアルジュノの苦行は、母と長兄(ユディスティロ王)への献身と愛のゆえであり、民衆の喜びと利益、祖国の利のために強欲(コラワ)から正義と公正(パンダワ)を掴み取るためにある。

10. 『完全なる人間になるためのエリン(覚醒)とワスポド(注意)の価値』
 人間の生はつねに『エリン Eling (覚醒)』(トゥハンを忘れないこと)と『ワスポド waspada (注意)』(注意・警告)を同時に関連づけることを目指す。安寧を得て、災厄を回避できるようにである。トゥハンを想起(エリン)する時はいつでも、どこでも、心は平穏を得ることができる。目指す仕事を為すにあたっては、つねに注意深く、目標を定めて、徹底できるようにワスポド〈注意〉を怠らない。そうすれば、目標に到達し、幻惑の多い人生での誘惑や欺瞞を免れることができる。ラコン『チプトニン』における『エリン』の性質は、アルジュノが、シワ神に拝跪する時に見られる。『ワスポド』の性質はアルジュノがビダダリたちの誘惑を受ける、猪(パティ・ママンムルコの変身)の攻撃を受ける、ルシ・パディヨ(インドロ神の化身)と出会う、そして狩人ケロトルポ(シワ神の化身)と戦う、等の場面に見られる。これらの試練・誘惑は、アルジュノのワスポドによって解決されるのである。そうしてアルジュノは、完全なる人間、インサン・カミル insan kamil 、『ウィカン・サンカン・パラン wikan sangkan paran 』となることに成功し、『マヌンガリン・カウロ・グスティ manunggaling kawula Gusti 』(生の起源にして到達点たるトゥハンへと対峙し一体に還る)に到達するのである。

11. 『言葉を用いることと、行為を行うことにおける注意の価値』
 人間の人生を良くするのに、舌は重要な道具であり、それによって、時として人は生き死にが決まることもある。舌を用いる秘訣として、『口を使うのにスムブロノ sembrana (怠慢)であれば、自身や他人にとっても災厄(モロプトコ)となり、多くの人の魂と肉体を損ねることとなる。たとえば、戦いにおいて。口・舌が良好に、高貴に(人間性に基づいて)用いられれば、大きな有用性を発揮するだろう。人間の発言は、祝福にも呪いにもなるものであり、使い方次第である。それが幸福、悲しみ、困難への鍵となる。『クラバン・イク・ウィサネ・オノ・シラ、コロジュンキン・ウィサネ・オノ・ブントゥネ、デネ・マヌンサ・ウィサネ・オノ・イラテ Klabang iku wisane ana sirah, Kalajengking wisane ana buntune, dene manungsa wisane ana ilate 』(毒=人は舌に忍ばせることが出来る)。『ウォンデネ・ドゥルジョノ・イク・ウィサネ・オノ・バダン・サコジュル Wondene durjana (koruptor) iku wisane ana badan sakojur』。

D. 結び
 ワヤン・プルウォ・クリの上演は人間の生、人生に対する象徴的言語となり、藝術、教育的価値を内包するインドネシア文化の要素となる。それは慎重に学習する価値のある高度で、貴重な教えである。ワヤンは比較対象の鏡としてさまざまな指針を与え、この世を生きて行く上でのモラルを作り上げるうえでの鏡でもある。ラコン『ブガワン・チプトニン』の物語も同様に、その中にさまざまな価値を暗喩として内包している。そして、それは今日の時代にも適応できるものであり、発展と一体化させて応用し、実現させていくことのできるものである。それらの教えは、我々に届いたり届かなかったりもするが、その全ては我々が理解し経験する際の解釈する資質・能力のいかんにかかっている。だからワヤン・クリ上演ではつねに、朧げなモラルの意味に満ちた多様な解釈での理解というものに対峙させられるのである。

1992年6月31日、スラカルタ
著者 スタルジョ

参考文献
A. Seno Sastroamidjoyo, 1958, Nonton Wayang Kulit, Yogyakarta : Percetakan Republik Indonesia.
・・・・・・. 1964. Renungan Tentang pertunjukan Wayang Kuli, Jakarta : PT.Kinta.
       (日本版『ワヤンの基礎』松本亮・竹内弘道・疋田弘子訳 1982年、めこん刊)
Berg terjemahan S. Gunawan. 1974. Penulisan Sejarah Jawa. Jakarta : Bhatara.
Darusuprapto. 1980. " Jenis Sastra Nusantara : Sastra Sejarah Khusus Babad ". Konsorsium Sastra dan Filsafat Lokakarya tenaga Ahli Kesesasteraan Jawa dan Nusantara. Yogyakarta, 30 Juni s/d 11 Juli 1980.
Hardjowirogo. 1955. Sejarah Wayang Purwa. Jakarta : Perpustakaan Perguruan Kementrian P.P dan K.
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R.M.Ng.Poerbatjaraka. 1926. Arujna Wiwaha. Indeie : Nederlandsch
・・・・・・. 1957. Kapustakan Djawi. Jakarta : Jambatan.
Sidi Cazalba. 1974. Antropologi Budaya. Jakarta
Sri Mulyono. 1979. Wayang dan Karakter Manusia. Jakarta ; Gunung Agung.
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The Liang Gie. 1977. Suaru Konsepsi ke Arah Penerbitan Bidang Filsafat. Yogyakarta ; Karya Kencana.
Zoetmulder. 193: Kalangwan. Jakrta : Jambatan.

naskah

Serat Mintaraga atau Serat Wiwaha Jarwa (nomer naskah 183) Perpustakaan Radyapustaka. Surakarta.

(了)
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by gatotkaca | 2012-04-20 14:46 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

「ブガワン・チプトニン」スタルジョ その1

 本ブログでも何度か紹介したNilai-nilai Seni Pewayangan 1933. perbitan : Dahara Prize Semarang (「ワヤン藝術のさまざまな価値」)という本にあった、「アルジュノ・ウィウォホ」に関する論文。
 この物語に内包されるさまざまなジャワ的価値観について、列挙し、考察している。特に真新しい情報があるわけではないが、ジャワ人がこの物語をどのように享受しているのかを知る一端とはなるかもしれない。特に「アルジュノ・ウィウォホ」に顕著な価値観のみを扱うわけではなく、ワヤン一般に見られる価値観ではないか、という気もするが、一応紹介しておく。ワヤンが内包する哲学的比喩のほとんどが、入っていいるように見えるが、さすがに『イルム・サストロ・ジェンドロ・アユニングラト』は、「アルジュノ・ウィウォホ」には見出せないようである(笑)。

ブガワン・チプトニン(BEGAWAN CIPTANING )
〈Nilai-nilai Seni Pewayangan 1933. perbitan : Dahara Prize Semarang 〉

スタルジョ Sutarjo

A. はじめに
 『ブガワン・チプトニン』のラコン〈演目〉および物語は、スラカルタ時代初期に成立した。これは、西暦1019〜1042年東部ジャワを統治したエルランガ(Erlangga アイルランガ)王の時代、エムプ・カンワ Empu Kanwa が著した叙事詩、『カカウィン・アルジュノ・ウィウォホ Kakawin Arjuna Wiwaha 〈アルジュノの婚礼宴〉』のジャルワン jarwan 〈カカウィンなどを現代語訳すること〉・「翻訳」である。叙事詩『マハバラタ』の第三部、『ワナパルワ wanaparwa 〈森林編〉』で語られる、パンダワたちが森へ12年間の追放を受けた時の物語である。
 カカウィン形式の『アルジュノ・ウィウォホ』は古代ジャワ語で書かれており、アルジュノの名、ウィタラガ Witaraga は、「欲望から脱却した者」を意味する。この名は、彼自身のものではなく、アルジュノが苦行していることを表すものである。このことは第Ⅳ歌、第7節のワサンタティラカ Wasantatilaka 〈詩形式〉において説明されている。

"toh hyang wulan ndak aminang pwa raras lawan rum, ndak syuh samadhinira sang wiku witaraga"
(ヒャン・ウランは快く私(ビダダリたち)の願い、望みをお許しくださいました。麗しさ、美しさで、私が欲望から解き放たれたサン・ウィク〈Wiku=僧侶〉の苦行をくじけさせ、からかうことを)(プルボチャロコ Poerbatjaraka 、1926:19)。

 現代ジャワ語では、ウィトロゴ Witaraga 、より著名な名はミントロゴ Mintaraga である。この名はトゥムバン・モチョパット tembang macapat 〈詩形式の一種〉で書かれた書物の題名にもなっている。プリヨフトモ Priyohoetomo (1937:3)も、古代ジャワ語で書かれたカカウィン「アルジュノ・ウィウォホ」の成立時から、トゥムバン・モチョパットによるミントロゴにいたるまで、それが人生の倫理、生の完全性を目指す手引書であると断定している。ガンチャル gancar 〈物語〉形式の「散文」(写本、またはワヤンの物語のパクム pakem〈あらすじ〉)において、ミントロゴはしばしばブガワン・チプトニン Begawan Ciptaning と呼ばれ、アルジュノの別名、またラコンの題名となっている。

 『カカウィン・アルジュノ・ウィウォホ』はアルジュノの超能力とアイルランガ王の勝利を重ね合わせて示唆している。当時、王はウェンケル Wengker 王の攻撃で混乱したカウリパン Kahuripan 王国の支配権を、その機知で回復し、取り戻すことに成功した(ズートムルデル Zoetmulder 1983:309)。『アルジュノ・ウィウォホ』もまた祭祀書であると同時に歴史書としても看做された(グナワンGunawan 中、ベルグ Berg 、1974:63)。つまり、著者は一連の物語の内部に歴史的事実を取り入れ、賛美し、フィクションに仕立て直して、既成の物語要素に内包させたのである(ダルスプラプト Darusuprapta 、1980:3)。スリ・ムルヨノ Sri Mulyono はキタブ『アルジュノ・ウィウォホ』がアイルランガ王に捧げられた書であると仮定している(1982:228)。祭祀書の著者は王への忠誠と愛情に促され、王を美化しようとしたが、作品を完成させることはできなかった。祭祀書の著者は王に対して魔術的効果のある書の作成を意図した。つまりこの書に描かれる王に、ある神秘的力を与え、王の神秘的力が民衆にとって有用なものとなると考えたのである。

 『ブガワン・チプトニン』また『ブガワン・ミントロゴ』で主役に据えられたアルジュノの物語は、同時に王その人の直面する国難でもあったのである。『ブガワン・チプトニン』の物語は、高貴なる内面を持つ人間、『チプトニン』(静謐なる思考)となるための共通の理想を描く。『ミントロゴ』も「祈る身体」を意味し、つねに国の繁栄と全ての民衆の安寧をトゥハン〈神〉に祈り、苦行する守護者となれるように、との意を持つ。王、また全ての人間は、その社会生活を営む中で、つねにより良くなる道を求めなければならず、ムマユ・アユニン・バウォノ〈memayu ayuning bawana=世界の安寧〉において、モモン〈 momong=育成〉、モモット 〈momot=力の源〉、ムマンカット〈memangkat=出発する〉できることを求めなければならない。それは寛容に満ち、能力を持ち、応じる意思を持ち、高貴なるものを支え、尊重し、国と民衆の安寧を分ち合う者である(スリ・ムルヨノ、1983:85)。

 ラコン『ブガワン・チプトニン』の重要人物アルジュノは、普通の人間でありながら、インサン・カミル insan kamil 「全てにおいて完全なる者」と看做される。彼は生の完全性に到達するために必至に奮闘する(セノ・サストロアミジョヨ Sen Sastroamijoyo 、1964:134)。完全なる人間は、生の始まりと終わり(ウィカン・サンカン・パラン、ムリ・ムロ・ムラニロ wikan sangkan paran, mulih mula mulanira )とマヌンガル manunggal (〈神との〉合一)を認識し、理解する。人間は創造主のもとに帰り、合一する、(マヌンガリン・カウロ・グスティ mnunggaling kawula Gusti )のである。

B. ラコン『ブガワン・チプトニン』に内包される価値

 より広範な価値の理解は、哲学的理想・絶対的理念であり、広大で良好で美しいものである(リアン・ギエ Liang Gie、1977:144)。狭い意味では、しばしば伝統的倫理と関連づけられた、歴史的領域における善悪である。ワヤンにおける文化的価値は、真理であり、有効・有用と判断されれば、簡単には変化しない(シディ・ガザルバ Sidi Gazalba、1974)。この価値観は、社会生活における良好なる基準、指針、手本としての人物像を用いて表現される。それゆえ、ある人物がある行為を行い満足を得ることは、その価値観の選択は、彼自身は言うに及ばず他の者にとっても真理であり、善であり有用なものである。変化の基礎となる機能をもつ価値観は、行為を為すことにおいて、人に影響を与え、後押しする機能をも有する。このような価値観は、日々の行為を形成することに関する意思力として現れる。

 有意義な価値観を簡潔に述べれば、
1. 有用性 Berguna 、他の人のために役立つことを意味する。
2. 善 baik ・真理 benar ・美 indah 、他の人にとって善であり、真理であり、美しいことを意味する。
3. 価値観の所有 menpunyai nilai 、求める対象を形づくり、品質を授けることを意味する。それゆえ、人は「目的」、特定の価値を有するものとして対象を認識する。
4. 価値の付与 menberi nilai 、求めるもの、また特定の価値を形成するものとして、あるものが認識されることを意味する。

 人間の価値観の構造によれば、人間の潜在意識のうちに四つの定型を見出すことができる。価値観の四つの定型は、
a. 因 akal は、「truth」『真理』(哲学)として顕現する。
b. 感情・感覚 rasa/perasaan は、「beauty」『美しさ』(美学)として顕現する。
c. 意思・意図 karsa/kehendak は、「goodness」『善行』(倫理)として顕現する。
d. 信仰・思想 kepercyaan/keyakinan は、「holiness」『聖性・神聖さ』(宗教)として顕現する。

 文化的遺産としてのワヤンの世界は、現代社会生活において、藝術的質を向上させるべきものとされている。これは、我々が読み取り、責任を持って掘り下げ、議論し、準備し、解釈したものを再び上演の意義とワヤンの世界に内包される価値観として返すことで形成される。そうしてワヤンは精神の経験の探求、また発展した理念の到達点として重要な役割を占めることができるようになるのである。ワヤンを支える社会にとって、ワヤン・クリ上演とは特定の社会集団での態度・行為の指針として適用される概念を内包する。ワヤン・プルウォの上演はしばしば、外面的というよりはより精神的側面での生き方を象徴する表現として看做される。これこそ人がワヤン・プルウォ上演に赴いて既に見知った物語に退屈しない理由である。したがって、ワヤンの世界とは藝術的手法による価値観の源泉であると言っても過言ではない。ワヤン上演に内包される価値観は、人間の生活における価値の神髄であるばかりでなく、その価値観を日々の生活の中に浸透させ、実践することのできるよう望まれるのである。『ブガワン・チプトニン』に黙示的に示された価値観は以下のようなものである。

1. 哲学的・宗教的価値
 西洋世界では、哲学は知を愛すること、『英知 wisdom』(クウィチャクサナン
kewicaksanan)と理解され、比率的対応関係が強調される(創造・原因・思考・推論)。知識は日々の生活のさまざまな実践の領域に指針を与える。東洋文化における哲学(インドネシア、特にジャワを含む)では、哲学とは「完全性への愛」『グディ・カウィチャクサナアン ngudi kawicakasanaan 』(kawicaksanaan=知を探し求めること)を意味する。これは、生の目的の始まりと終わりを理解することを目指し、『理解する』すなわち『ウィカン・サンカン・パラン wikan sangkan paran』という語は、「生の始まりと目的を知る」ことである。またイルム・クジャウェン Ilmu kejawen (ジャワ神秘主義)では『サンカン・パラニン・ドゥマディ sangkan paraning dumadi 』と名付けられ、宗教観(信仰また信心)と密接な関係を持つ価値観である。

 哲学的・宗教的価値観は、ラコン『ブガワン・チプトニン』において次のような暗喩で示される。

a. 『アルジュノがインドロキロ山で苦行する』ウィトロゴ Witaraga の洞窟での苦行の哲学的・宗教的価値とは、人間が瞑想 semadi し、思考を止め、思念を明確化させ、大戦争バラタユダにおいて、強欲 ankara murka を敵とする正義と公正(パンダワ側)を優位となさしめる恩寵をトゥハン〈神〉に願うことである。

b. 『自己』との対立、戦いそして『反 anti 』自己、また、真実と過ちとの対立は、日々の生活を常に覆い、経験され、昼も夜も続いて行く。これはアルジュノとシワ〈シヴァ〉の戦いに見られる。最後にシワ神はアルジュノの前から消える。これは、サマディ〈瞑想〉における戦いの最後に、アルジュノがニルウォノ〈涅槃〉の中に溶け、認知・認識の本質に到達することを意味する。

c. 『カウロ kawia とグスティ Gusti の関係に関する対話』
 これは狩人キロトの場面に見える。彼は元の姿であるシワに変わり、続いてアルジュノと話し、アルジュノは「彼」に拝跪する。この出来事はカウロ(アルジュノ〈臣民・奉仕者・民〉)とグスティ(トゥハン〈神・主・支配者・王〉)の関係性を示すものである。

d. 『マヌンガリン・カウロ・グスティ Manunggaling kawula Gusti 』また『パモリン・カウロ・グスティ Pamoring kawula Gusti 』
「神と人間の合一」
 アルジュノとシワの矢が一つ融合する場面、これは『マヌンガル・カウロ・グスティ』(人間の魂がトゥハンと遭遇・融合する)を示す。サマディ〈瞑想〉においてアルジュノは「思念、感覚、意識を集中させる」そして自分自身を見出すのである。ジャワ文化圏においてこの問題は、しばしば『神秘主義』あるいは『スロ Suluk 』と呼ばれ、それは人間がトゥハンに少しでも近づこうとする、あるいは直接、神と遭遇・合一するための英知である。その方法は、自身を遠ざける(苦行を行う)こと、思念を集中する(サマディ)こと、悪しき欲望を遠ざけることである。

e. 『人間は人生においてつねにトゥハンに対して拝跪し、崇拝し、平伏すべきである』
 これはアルジュノがシワに拝跪することに表される。人間がトゥハンから生じ、トゥハンに還るということを意識するのである。善き人間は、つねに「彼」に拝跪し、敬神する。アルジュノは、すべてのもの、すべての出来事・存在・形象を作り出し、全世界を破壊するものはトゥハンであると認識する。因果はトゥハンから生じる。全ては一なるものに最初の起源を持ち、すべての一は「彼」によって生じる。それこそ偉大なる完全性 Maha sempurna であり、偉大なる力 Maha kuasa 、永遠なる存在、永遠にして唯一のものである。イルム・クジャウェンでは、『サンカン・パラニン・ドゥマディ sangkan paraning dumadi 』=「被造物の生じ、行き着くところ」と名付けられる『神知学 Theosofis 』である。

f. 『アルジュノが恩寵として武器パソパティを授かる』
 パソパティ Pasupati とは「力の核」を意味する(セノサストロ・アミジョヨ、1958:103)。アルジュノが恩寵としてパソパティを授かることは、アルジュノがサマディにおいて獲得したトゥハンの本質の認識の価値を象徴する。それは魂を生の完全性に向けて、慎重かつ内省的に構築することである。武器・矢は知性の象徴であり、アルジュノがトゥハンの本質を認識したことを象徴し、シワの知性・超能力をアルジュノ自身の所有物、内なるものとしたことをも象徴する。

2. 倫理的・美学的価値

 倫理的価値はブディ・ルフル budi luhur 〈高貴なる行動〉とアマル・サシ amal sasih 〈慈善〉、モラルとアフラック akhlak 〈イスラム倫理〉つまり倫理を発展させ、しばしば行動哲学とも呼ばれるものである。倫理的価値は意志と要求の多くを支配し、美徳と道徳を形成する。美学的価値は感覚・感情を支配し、美意識を形成する。倫理的・美学的価値は『ブガワン・チプトニン』の物語において、次のように暗喩されている。

a. 『「思念集中、また明晰さ、高貴さ」としてのチプトニン』
 インドロキロ山でのアルジュノの苦行は、ウィトロゴの洞窟内で高貴なる思念を行うこと、思念を集中し、自己の霊的領域の鍛錬としてなされる。その意味するところは、欲望を統御するために思考を明確化することで内面を強化し、社会が幸福に満ちた安寧を獲得しうるようにすることである。

b.  『他の者に対する人間性』
 この性質はアルジュノが洞窟の外で冷たい雨に打たれている、ブラフマン・パディヨ Padya (インドロ神の化身)を助ける時に見られる。これは慈善と人間性を表している。

c. 『年長者に対する献身と若年に対する敬意』
 アルジュノの苦行の目的は、年長の兄弟への献身と愛に由来する。強欲 angkara murka (コラワ)から公正と真実(パンダワ)が民と国の利益を掴み取るためである。

3. 教育的・社会学的価値

 教育的価値とは、内面・外面ともに完全なる人間となるためのものであり、社会的、ソシアル的価値とは、『ムマユ・アユニン・ロゴ memayu ayuning raga 』と『ムマユ・アユニン・バウォノ memayu ayuning bawana 』=「自分自身を静謐に保ち、世界の安寧を保つ」ことである。

 教育的・社会的価値は『ラコン』(物語)『ブガワン・チプトニン』において次のように暗喩されている。

a. 人間がその目的とするのは、自分自身と他の者、つまり社会に対して方向性を維持し、益となる行動を為すことができるために、つねに邪悪なる欲望を制御できるよう、自分自身を教育することである。これはアルジュノがパティ・ママンムルコ Patih Mmangmurka の変身した猪を殺す場面に表されている。この比喩的意味は、苦行においてアルジュノが、人間の精神と異なる、獣、もしくは獣の性質を持つ欲望を殺すということである。獣の欲望、貪欲の邪悪さと害はいつも人間の心に溢れており、これは制御されなければならない。猪(ママンムルコ)とアルジュノもともに教育的価値を内包しており、粗野なる性質と高貴なる性質、正と邪の対抗を描いている。

b. 『公共(社会)の利益を考慮する資質』
 人間は独立 monopluralis(個人、社会、トゥハン)の存在である。先の三者は調和していることが望ましく、自分自身のことだけを考えるのも、その逆も良くない。この社会的価値は、アルジュノがプソコ・パソパティを恩寵として授かることに見られる。彼は子ども、妻、母、兄弟たちへの思いから、直ちに国へ帰ろうとする。しかし、導き手・主人〈神々〉が民衆と国のために、災厄たるニウォトカウォチョ王を斃すため、ぜひ彼の力と知恵を必要とする。そこでアルジュノは、民衆(社会)の要請のために個人的要請を控えるのである。

c. 『故国を忘れない』
 『ブガワン・チプトニン』の物語において、アルジュノはアマルト国の母から生まれたこと、その国から飲食を得て大きくなったことを忘れない。アルジュノは愉悦や地位に溺れず、自らのよって来たるところ、祖国、母、一族を想起し、考慮する。そしてつねに祖国と民衆の繁栄のために尽くす。アルジュノはカヤンガンの王となり、褒美としてビダダリたちを授かるが、建国のため地上(アマルト)へ還ることを願い続ける。

 アルジュノは苦行中ずっと武器を携えている。これは彼が常にその環境(世界)に対して注意を怠らないことを意味する。ひとたび責務、災厄が生じた際にはその役割を果たすことが出来るように、である。アルジュノの苦行の目的は、トゥハンの恩寵を得るため、常に思考を明晰にし、身を浄めることにある。民衆と国に安寧をもたらすという、一クサトリアとしての責務を放棄することもない。真のクサトリアは自分自身と民衆の最上の生活を目指す。そのためには、生の外面と内面を調和させなければならず、その内面はブラフマンに倣い、外面は民衆に献身するのである。英雄としての精神を持ち、それを構築するために努める。であるから、アルジュノの苦行は、受動的なものではなく、思念を集中するためだけのものでなく、思念を明晰にするためだけのものでなく、拝跪し、平伏するだけのものではない。それは、民衆と国を最上足らしめるための、日々の生活行為における実践なのである。それゆえアルジュノは、『サトリヨ・ピナンディト Satriya pinandhita 』(高潔にして、広い英知を持つ人間)の性格を持つと言われる。

 ワヤンでは、ある人物がしばしばある目的を持って瞑想し、苦行する。第一に、『サンカン・パラン』を求めて。これは、自身の起源・由来を知ることへの憧憬であり、『ウィカン・サンカン・パラン wikan sangkan paran』(サンカン・パランを認識する)と言われる。第二は、邪悪・災厄・強欲(黒魔術的シムボル)に対抗するための超常的力を得るためである。『ブガワン・チプトニン』の物語におけるアルジュノの苦行と瞑想は、第一と第二の目的を目指している。ニウォトカウォチョという人物は、第三の目的、つまり強欲(アンコロ・ムルコ angkara muruka )、『ソポ・シロ・ソポ・インスン sapa sira sapa ingsun 』(自分自身のためだけの最上の超常の力)を目的として超能力を得る。

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-04-19 22:37 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

カカウィン・アルジュノ・ウィウォホ その11

詩編28

1.  サン・アスラパティ〈ニヴァータカヴァチャ〉が戦場で斃れた後、
   彼は再び矢を放ち、その軍隊と戦車、全てを焼き払った
   ルシ・ムチュクンダ Mucukunda の誓いにより
   殲滅されたカーラヤヴァナ Kalayawana のように 1)

1)名称一覧参照。

2.  霧雨が降りしきり、天には鮮やかな明かりが射していた
   おだやかな風が吹き、雲は雨をはらんでいた
   太陽のまわりに光が輪になっている
   すべては王がこの世を去った証である

3.  傷つき死した神々やアプサラたちに
   スラーナタ〈インドラ〉が命の水を注ぐ
   彼らのすべてが起き上がる
   健やかに麗しく善き姿に戻る

4.  敗れること無きスラーパティの帰還である
   すべての者の顔は喜びに晴れやかだ
   サン・ダナンジャヤとバタラ・インドラ
   二人は喜ばしく兵法について語り合う

5.  神の兵士たちに車が近づき
   敬意に満ちた態度と言葉で迎えられる
   かくて戦いについて語られる
   まこと激しい様であり
   語るに多くの言葉は無い

6.  帰還する軍の道筋に説明はいらないだろう
   さまざまな勝利の証が運ばれ
   スラーパティの到着にインドラロカは騒々しい

詩編29

1.  そうして彼らは帰還し、喜びをもって勝利を祝ったが、言葉は無かった
   そしてパンドゥーの息子〈アルジュナ〉は聖なる森、その名をナンダナ Nandana へ赴いた
   そこにはさまざまな心楽しませるものがあり
   十の感覚 deria 1)の完全なる滋味があった

2.  かくて王に推挙され、彼はインドラパダ Inderapada の王となった
   七日七夜彼はスラーパティと交替し、それこそがインドラ神の褒美であった
   カヤンガン〈天界〉での一夜は半月の長さであり、昼もまたそのようであった 2)
   それゆえ七ヶ月間、彼は英雄的行為の果実を受けることを許されたのである

1)Kesepuluh derianya : 五感と五種の体の部位。彼は戴冠の喜びを受けるため、森へ行く。現代でもまだそうであるが、王は通常王位に就く前にまず自身を浄める。2)Semalam di Kayangan lamanya setengah bulan dan demikian pula harinya : つまり地上と比べて。

3.  良き日にその仕事を行うために、スラーナタは王の謁見所を出た
   ルシたち、シッダたち、そして神々が招集された
   スララヤのパンディタたちは必要なすべてを差し出し整え終わっていた
   八正道に達した者にとっての良きものである!

4.  アルヤ・ダナンジャヤが到来し、宝石に飾られた玉座に迎えられた
   彼は王冠を被りバタラ・インドラの装飾品をすべて身に付けていた
   そのカイン〈腰布〉の表にはアナンタの暦が描かれ
   サファイアの青とルビーの赤に彩られ、艶やかで美しい

5.  スーラ王 raja sura 、ヤマ、バルナそしてクヴェーラが彼のそばに座した
   サンカラと太鼓の音が轟き、神々の賛美する歌が鳴り響いた
   七仙の長、ヴァシシュタが立つ
   マントラが唱える声が導き、パンドゥーの息子を神の命の水で祝福する 1)

6.  サン・アルジュナは即位し、行進し、スラー 2) たちが従う、
   アスマラ神の宮殿よりも美しい建物に向かう
   眺めの良い庭園の真ん中の輝く宮殿の中へ
   そこで待つ恋人は、スプラバ、彼女は千の星々と花々の素晴らしさを一身に集めた人

1) Merestoni : 語幹は restu 、慈悲。Merestoni は restu を与える。この言葉はマレイの書物において頻繁に用いられている。2)Sura : 神。

詩編35 1)

1)詩編30、31、32は改竄〈原文 dalam canda 、canda はふざける、冗談を意味するが、ここでは序文との兼ね合いで改竄という意味で取る〉されて喪失した。詩編34にも改竄が見られ、とくに詩編35の改竄は詩編33、34にもまたがっている。

1.  天界で王の息子はスプラバと共にさまざまな喜びを味わい
   互いに話しの尽きること無く
   瞬く間に七ヶ月が過ぎる
   かくて彼はスラーパティの足下に拝跪して別れを告げる

2.  彼はこのように言った「バタラよお許しあれ、私はインドラ神にお許し頂き地上に帰りとうございます」
   「おお、我が息子、そなたの兄弟と母への愛は明らか、私に遮ることはできない
   そなたをとどめ置き、罪の無きことを願う、というのもそなたに借りを返さねばならなかったのだから
   この父の願いは、我が息子の勝利が後の日に宮廷詩人の手で世にも美しい作品として描かれることだ

3.  我が子よ、つねに高貴なる心を持ち続けよ、幸福を得たからといって心変わりしてはならぬ
   そなたはつねに苦行のうちにあるような心持ちでいなければならぬ
   仲間を忘れではならぬ
   八正道に達したマハーヨーギとなっても、喜びに過ぎたることの無きよう
   五感が解き放たれ、再び愚か者となり、また〈初めから〉始めなければならない

4.  そなたはブリンギンの樹やガジュマルの樹が伸びて崩壊した神殿が多くあることを知っておくのだ
   まだ小さいうちに引き抜いておけば、その樹は大きくならなかったであろう?
   そのようにそなたは、欲望を制御し、そなたの心の中に育たぬよう努めなければならない
   あまりにも成長してしまえば、明らかに英雄性を支配し、破壊するに至るだろう」

5.  ヒアン・インドラの言葉はこのようであり、そしてサン・アルジュナは立ち上がり、出発した
   サン・マータリが彼の乗る武器を完備した車を御した
   すぐに車は飛び、風よりも速く、思考のごとくであった
   愛の宮殿では恋人を失ったスプラバが嘆き悲しんでいた

詩編36

1.  サン・アルジュナ、真の英雄は地上に降り立った
   ヴァダリ Wadari の苦行所の森に至り、そこで兄弟たちすべてに〈迎えられた〉
   彼らの喜びはまさしく洪水のようであった、サン・アルジュナは海に降りた雲のようであった 1)
   手短に語れば、彼らは地上の全てを制することを話し合ったのである

2.  アルジュナ・ヴィヴァーハの物語はここに終わる
   ムプ 2)・カンワはこのカカウィンを編み、世に示したばかりである
   その心は定まらず、というのも彼は王を戦場へ案内することの許しを得ようとするからである 3)
   スリ・アイルランガ(王にすべての賞賛あれ)!大地の主、承認なさる者よ 4)

アルジュナ・ヴィヴァーハ終結

1)Laksana mega yang menuruni tasik : 空に昇って、元に還る。2)Mpu : 宮廷詩人、プンデタ、鍛冶屋の称号。3)Hatinya bimbang, karena setelah itu ia berharap boleh kemedan perang mengiring raja : ムプ・カンワは心を決めかねている。というのも、おそらくそれは王が望んだことではないからである。彼はきっと、後でその戦いを描くために、王に従ったのである。もし王が許可していたなら、ムプ・カンワの禁制は善と判断される。というのも、ムプが戦いを描くことに有能と看做されれば、王の許可は詩人への賞賛を意味するからである。4)Seri Airlangga mengabulkannya : 王の最初のムプ・カンワのカカウィンへの見解は善しとするものであった。 Junjungan Tanah : ここでは Tanah は negeri 〈国〉を意味する。ムプ・カンワの意図は、アイルランガ王国はまだ版図が定まっていないが、さらに拡大し、ジャワの地を平定することである。

名称一覧〈アルファベット順〉

アイラヴァナ Airwana :ビダダラ
アイルランガ Airlangga :東部ジャワの王。序文参照。
アナンタ Ananta :大地を支える蛇
アルダナリ Ardanari :一体となったシヴァとその妃ウマー。
アルジュナ Arjuna :パーンダヴァ(パンドゥーの息子たち)の三男。兄弟は、ユディシュティラ、ヴリコーダラ〈ビーマ〉、ナクラ、そしてサハデーヴァである。
アルジュナ・ヴィヴァーハ Arjuna Wiwaha :アルジュナの結婚。
アスマラ Asmara :愛の神。
アスラパティ Asurapati :ラークシャサの王。
バジラーナ Bajrana :ビダダラ
バイラヴァ Bairawa :憤怒相のシヴァ
バルナ Baruna :海の神、西方を支配する
バラタ Barata :一族の名。パーンダヴァはこの一族の後裔。
ブラフマ Berahma :神。
ブラフマロカ Berahmaloka :ブラフマの天界。
ボーマ Boma :ラークシャサ。ヴィシュヌ神と大地の娘の子。バライ・プスタカ刊の「サン・ボモ・サーガ」を参照。
チトラーンガダ Citranggada :ビダダラ。
チトラーラタ Citrarata :ビダダラ。
チトラーセナ Citrasena :ビダダラ。
ダナンジャヤ Dananjaya :アルジュナ。
ダルマータマジャ Darmaatmaja :パーンダヴァの長子、アルジュナの長兄。彼は公正の神、ダルマ神の子として育てられ、またダルマ神の魂の子である。ダルマータマジャはダルマの息子を意味する。
ドゥシュケルタ Deskerta :ニヴァータカヴァチャの大臣。
ドルパディー〈ドラウパディー〉 Dropadi :パーンダヴァ共通の妻。アルジュナを見よ。
ドゥワイパーヤナ Dwaipayana :パーンダヴァの祖父。彼らが困窮にある時、訪れてに世界の秘密を助言として与える。
イルヴァナ Erwana :インドラの象。
ハピット Hapit :月の名前。
ハスティナープラ Hastinapura :バラタ族の母国。パーンダヴァが王位継承権を持つが、同じバラタ一族の子孫、カウラヴァ一族に追放される。
ヒマーラヤ Himalaya :インド北方の山脈。
ヒラニヤカシプ Hiraniyakasip :ヴィシュヌに殺されたラークシャサの一人。
インドラ Indera :神。神々の王とされる、最高位の神。雷雨の神とされ、東方を司る。
インドラ・デーヴァ Indera Dewa :神々の王。インドラを見よ。
インドラギリ Inderagiri :インドラ山。アルジュナの苦行所。
インドラキラ Inderakila :アルジュナの苦行する山。
インドラロカ Inderaloka :インドラの天界。
インドラパダ Inderapada :インドラの天界。
イシュヴァラ Isywara :シヴァ。
ジャヤンタ jayanta :インドラの息子
カイラーシャ Kailasya :シヴァのおわす山。
カヤンガン Kayangan :インドラの天界。
カラケーヤ Kalakeya :ルシによって殺されたラークシャサの一族。
カラヤヴァナ Kalayawana :ムチュクンダが火でその人差し指から生み出した。
カーマ Kama :アスマラを見よ。
カンワ Kanwa :このカカウィンの作者。アイルランガ王の時代に生きた。序文参照。
カパット Kapat :月の名前。「第四の月」。
カララヴァークテラ Karalawaktera :ニヴァータカヴァチャの大臣。
クインドラアン Keinderaan :インドラの場所。
ケルダクシャ Kerudaksya :ニヴァータカヴァチャの大臣。
クムバカルナ Kumbakarna :ラーヴァナの兄弟。巨大な身体で、彼は起きている時より寝ている方が長い。バライ・プスタカ刊、「スリ・ロモ・サーガ」参照。
クヴェーラ Kuwera :富の神。北方を司る。
マニマンタカ Manimantaka :ニヴァータカヴァチャの国。たくさんの宝石のあるところを意味する。
マータリ Mtari :インドラの御者。
メガナーダ Meganada :インドラジット。ラーヴァナの息子。スリ・ロモ・サーガを参照。
メール Meru :神々のおわす山。ヒマーラヤ山脈の頂上にある。シュメールとも呼ばれる。
ムチュクンダ Mucukunda :カラヤヴァナを参照。
ムルカ Murka :ラークシャサ。
ナンダナ Nandana :インドラの庭園。
ニヴァータカヴァチャ Niwatakawaca :ラークシャサの王。強力な鎧をまとった者を意味する。
パシュパティー Pasyupati :シヴァ。パシュパティーの矢はシヴァがアルジュナに授けた。
パンドゥー Pandu :パーンダヴァの父。アルジュナを参照。
パールタ Parta :アルジュナ。アルジュナの母、プリターの息子を意味する。プリターはクンティーの別名。
斧持つラーマ Rama yang berkapak :著名な物語の英雄〈パラシュラーマ〉。
ラティー Ratih :アスマラの妻。
ルドラ Rudera :シヴァ。
サルジュ Salju :雪の山〈Gunung Salju〉、ヒマーラヤ。
シャクラ Syakera :インドラ。
シャンカラ Syankara :シヴァ。
シヴァ Syiwa :最高神。
シヴァロカ Syivaloka :シヴァの天界。
スバドラー Sbadera :アルジュナの妻。
スンダ Sunda :ラークシャサ。その兄弟、ウパスンダと共に一人のビダダリゆえに戦う。その戦いで二人とも死んだ。
スプラバ Superaba :ビダダリ。
スララヤ Suralaya :スラーたち、神々のところ。クインドラアン。
スラーロカ Suraloka :同上。
スラーナタ Suranata :スラーの王、インドラ。
スラーパダ Surapada :神々の場。クインドラアン。
スラーパティ Surapati :スラーの王、インドラ。
スーリヤロカ Suryaloka :太陽の神、スーリヤの天界。
ショルガロカ Sorgaloka :クインドラアン〈天界〉。
トリプラ Tripura :シヴァに殺されたラークシャサ。または三界。
ティロッタマー Tilottama :ビダダリ。
ウルピー Ulupui :アルジュナの妻。
ウパスンダ Upasunda :スンダを見よ。
ヴァダリ Wadari :森の名。
ヴァシシュタ Wasyista  :ルシ。
ヴィラクタ Wirakta :ニヴァータカヴァチャの大臣。
ヴリハシュパティ Werehaspati :神々のプンデト。
ヴィシュヌ Wisynu :神。
ヴィシュヌロカ Wisynuloka :ヴィシュヌの天界。
ヤマ Yama :死の神。南方を司る。
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by gatotkaca | 2012-04-17 16:53 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

カカウィン・アルジュノ・ウィウォホ その10

詩編24

1.  山の王〈シュメール山〉の南の麓に至り、スラーナタ〈インドラ〉は軍に停止を命じ、休ませた
   敵の火が明らかに山の周りに届いていたからである
   神々とアプサラたちに出会った者は皆あわてて逃げ去った
   彼らはラークシャサ軍に囚われ、食われ、略奪されるのを免れた者たちだった

2.  突然マニマンタカ王へ向けた斥候が激しく攻撃された
   逃げる者たちは追いかけられ、彼らは捕らえられた
   司令官はおらず、失神した彼らは武器を持たない案内と一緒だった
   それを見て驚いた者は撤退しながら防衛したが、ラークシャサの大群が押し寄せて来た
   スラーパティの軍は蟹の頭の陣形を取り強く繋がって敵を抑えた

3.  スラーナタ〈インドラ〉自身が主力部隊を率いて、中央で戦いを束ねた
   その〈蟹の頭の陣形の〉口の部分はダナンジャヤ王子だ、彼は戦いにおいて神々の頭領になったかのようだった
   その友、気高きチトララタは象に乗って、彼の戦車に近づいた
   象、馬そして戦車に乗った神々、徒歩の神々は皆彼のもとに参集し、その数、億に達した


4.  彼らは丘や渓谷に挟まれた平野の戦場に広がった
   水の少ない乾燥した砂漠の全体に、噴火する山から粉塵が向かい、岩石が漂う
   彼らの西側の渓谷を超えることができずに止まり、敵の前に待ち伏せる
   そこが防衛の最前線であり、彼らは低木に身を隠していた

詩編25

1.  サン・チトラーンガダとチトラセーナは山の麓に右翼となって展開した
   左側にはサン・ジャヤンタと強力な部隊が突き出るように布陣して、
   敵をしっかり捉えようと防衛の手を伸ばした
   危険を受け止め、突破出来ず破壊を受けぬよう、兵が堅固に固められた

2.  ラークシャサ軍が轟音と共に侵攻して来たのを見て、陣形が整えられた
   辺りを圧する歓声を発して、〈軍の〉轟は万の稲妻のようだ
   戦車は威容を示して止まること無く、馬はいななき、象が叫び、旗がはためく
   切り裂く剣先は火花を散らし、光を放つ

3.  武器が洪水のように溢れ、ラークシャサたちはあたかも沸騰して波立つ海のようであった
   大地が揺れ動き、裂け、崩壊し、振動するようだ
   太陽は暗く、世界は塵に曇り、大風が渦巻いて膨らむ
   聖なるメール山は崩壊し、海は荒れ、大地は呆然として崩れ落ちる

4.  ラークシャサたちは高潮のように押し寄せて戦い、一斉に大暴れし、危険を顧みない
   彼らは荒々しく攻め立て、激しく打ちつけて、暴れ続けた
   神々の軍も機敏に戦い、戦場の中央で拮抗した
   噴火する火山のように両軍は激突し、退く者はなかった

5.  もはや太鼓の音も聞こえなかった、罵り合う声で〈? geretak geretuk〉
   剣が打ち合い、象に向かって投げられる槍の音が鳴り響くゆえ
   敵の首を切る叫び、波のように押し寄せる援軍の轟で

6.  チャクラ〈円盤状の武器〉、矢、槍は使われなかった、というのも殺到した〈敵に〉妨げられたからである
   しかし剣と槍は使われ、クリスと短い槍で人々は突き刺された
   他の者は武器を忘れて噛み付き合い、ぶつかり合い、縛り合った
   窒息して死ぬ者多数、最後には短剣とクリスで首を落とされた

7.  両軍は何千人も互いの数を減らし、象や馬は億に至るまで減った
   槍を備えた美しい戦車は壊れ、折り重なり、崩れ、潰えた
   とうとう英雄たちは折り重なる死体の山の上で戦い始めた
   血の海を渡り、大混乱となり、激昂し、酔ったようになった

8.  シッダたちとルシたちは空から見物しようとしたが、怖くなり逃げ去った
   彼らは恐怖に目を閉じ耳を塞いだ
   上空に揺れ動き、炎を発してきらめくさまざまな武器で天空が焼かれたからである
   スーリヤの天界 Suryaloka は混乱し、太陽は消え失せ、寒くなった

9.  かく有様に、またこの時嵐が吹き下ろしラークシャサたちを打ちのめした
   攻撃されたことに気付かぬ者が山の裾野から闇雲に飛びかかられた
   サン・チトラーンガダとチトラセーナが侵入し、サン・ジャヤンタが追いかける
   アスラの軍の群れは狂乱し、混乱し、崩壊する

10.  多くの者が追い立てられ、取り囲まれて、大暴れし、激しく攻撃する者もあった
   逃げようと殺到したが、後ろが渓谷だったので、押し合いながら引き返して来た
   岸に立つ者たちは崩れ、叫びながら落ちていった
   サン・パールタとインドラ神が急襲したからである

11.  四人のマニマンタカの大臣たちのうち、二人は一緒に首をはねられた
   殺され、捕らえられたラークシャサの司令官たちは数えきれず、百万を超えた
   ビダダラの英雄たちはハヤブサのように攻撃する
   その時彼らはラークシャサの英雄たちのさらなる強さに驚愕する

12.  ラークシャサ王の侵攻に皆逃げ戻る
   彼の前にあるもの全てに向け、燃え盛る怒りが満ちていた
   彼は突如として現れ、攻撃し、世界を焼き尽くそうとする火のようであった
   アスラたちの多くが迅速に応え、敵は打ち砕かれ灰燼に帰した

詩編26

1.  アスラパティ〈ニヴァータカヴァチャ〉の侵攻で、神々の軍は狂乱し、死体が積み重なり、蹂躙された
   戦いに参加しようとする者は道を見つけられず、彼の前に立つ者はその強さに槍を投げ出して逃げまどう
   ヤマ〈死の神〉のごときラークシャサたちは頭を素早く回して、首を絞め、殴り掛かり、噛み付いた
   体中の毛と目から矢や棍棒といった武器が大量に飛び出し続けた

2.  像、戦車、馬も溶けて塵となり、戦うが敵わず、あたかも山に殴られたようであった
   神の軍はあわてて逃げ、散り散りとなり、恐怖に立ちすくむ者あり、慌てふためいて逃げ去る者もあった
   神々の王の軍の蟹の頭の陣形は崩れ去り、まずそのはさみが引きずられ混乱状態となった
   跪きながらサン・アルジュノの参戦を求め、軍の殿は撤退し、彼に望みを託した

詩編27

1.  王の息子〈アルジュナ〉は、しばしマントラを唱えて瞑想し、パシュパティーの矢を身に付けた
   突然武器を備えた七百万のラークシャサの姿をした炎が上がった
   彼らは矢の切っ先から完全に出て、波打ち、空に飛び上がった
   荒々しく取り囲み、ラークシャサたちと戦車の全てを焼き払った

2.  マニマンタカの聖なる王〈ニヴァータヴァチャ〉は、バタラ・バイラヴァ Bairawa 〈シヴァ〉の恩寵を求めて沈思した
   彼は全滅したラークシャサ軍の灰の真ん中に立ち、傷つかず、避けもしなかった
   彼が思念集中すると、突然その口からまた、さらに悪辣なラークシャサの軍が出現した
   整然と攻撃し、強力で、先に消された者たちより十倍の凄まじさであった

3.  同じ凄さと同じ恐ろしさの〈軍が〉四、五回同じように現れた
   先程使われたバタラ・シヴァの矢がサン・ニヴァータカヴァチャから放たれたトリプラ Teripura のサクササたちをその無限の力で殺した
   サン・アルジュナは〈ニヴァーヤカヴァチャの不死身の〉秘密を攻めようとした
   マニマンタカ王へのバタラ・イシュヴァラの恩寵を失せしめようと考えたのである 1)

1)つまり、マニマンタカ王の超能力を消すために彼を欺こうと考えたのである。

4.  神々の軍は震え、敵の偉大な超能力を見て死に物狂いで逃げた
   サン・パールタも撤退するふりをして、散り散りの軍の殿となった
   あたかも困惑し、逃げ延びようとしているふりをして、彼は力をためて戻り、囲まれ、攻撃を受けた
   目の前のラークシャサたちが矢、棍棒、チャクラ、そして槍を雨のように降らせた

5.  それは無謀な行いに見え、サン・ニヴァータカヴァチャは槍を取りながら、サン・アルジュナを左手の人差し指で指して言った
   「ちぃ、人間よ、高慢なるそなたは全世界の破壊者たるわしに対して無謀であった、
    我こそは大地の所有者、我こそは三界の主なるぞ、
    わしがそなたをナラカ〈nawaka =地獄〉に戻してやる!」彼は言った

6.  しかしパンドゥーの息子〈アルジュナ〉はすでに最強の矢を準備していた
   鋼鉄の矢、シ・プンキット・バダン si Pengkit Badan がその名である
   神への瞑想の祈りを捧げながら
   彼は槍に傷ついて戦車の中に倒れ伏しているふりをしていた
   マニマンタカの王は彼の消滅を願って侮蔑の呪いを叫んだ

7.  騙され欺かれた彼は、恩寵の場所を開いた
   無駄無く彼は射ち、サン・アルジュナによって、彼の口は最強の矢で一杯になり、彼は戦車に前のめりに倒れた
   尊大さが隙を作り、その隙が悪果を招いたのだ
   その超能力が消え失せ、この世にある全てのものと同様、死すべき者となったのである

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-04-16 23:01 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

カカウィン・アルジュノ・ウィウォホ その9

詩編21

1.  ニヴァータカヴァチャは威風堂々
   約束を違え、欺いた者たちに大いに怒る
   もはや約束の貢ぎ物などいらぬ、彼の欲するものは戦いのみ
   力と勇猛さをもって戦うのだ

2.  その大臣たちは、四人、忠実で、名を知られた貴族の出だ
   ケルダクシャ Kerudaksya 、ドゥシュケルタ Dusykerta 、ヴィラーカ Wiraka 、そしてカララワクテラ Karalawaktera である
   すべての者はヒラニヤカシプ Hiraniakasipu の後裔であり、カーラケーヤ Kalakeya の一族である
   彼らは真に戦闘のイルム〈知識〉を持つ者たちだ

3.  彼らはかつてシュメール山から降りて来た神々である
   今はヒアン・シャクラ Hiang Syakera 〈インドラ〉だけが彼らを破ることの出来る者だ
   力なき人間の従者を引き連れて、まこと彼らは高慢となった
   それにもかかわらず彼らは少しも迷わず、
   インドラの天界を奪える〈と考えている〉

4.  ラークシャサ王の出発は死のしるしである
   彼は光り輝くダイヤモンドの車に座す
   恐ろしき象に引かれ、その側面は縞模様
   大地を引き裂いて進む

5.  彼は大いなる怒りを抑えて座す
   一人のビダダリがその足を支え、もう一方の足はぶらぶらさせている
   その熱くなった心をもう一人のビダダリが扇いでいる
   怒りの炎がその目に赤くくすぶっている

6.  大いなるアスラ軍の様はすさまじい
   百ラクサ〈10,000〉のラークシャサが王を守る
   彼らは虎、馬、獅子そして驢馬にも乗っている
   さまざまな武器が毛皮から飛び出している

7.  その頭には蛇革の旗がたくさんあり
   光輝く魔法の宝石の冠
   その数一千と八十、色とりどりである
   ラークシャサ王の旗は大地に架かる虹のようである

8.  ケルダクシャとドゥシュケルタが先導となり、二人の威容は同じである
   二人は同じ血族、同じ武器を持ち、同じ旗、同じ乗り物に乗る
   彼らはスンダ Sunda とウパスンダ Upasunda の息子
   力に頼む英雄である
   激しさ恐ろしさとがその身に纏われている

9.  進軍するラークシャサたち全てがその武器は万全
   空を飛ぶ者あり、歩く者あり
   巨大な象の皮の旗には象牙が付いている
   鮮やかに明滅する曇天の雲のようだ

10.  軍の先頭に立つ二人は〈軍隊という〉戦車の御者のようである 1)
   ヴィラクタ Wirakta とカララワクテラは同様の美しさ
   ラークシャサの化身の巨大な象に乗る
   彼らは打撃戦が得意で、同じダイヤモンドの棍棒を持つ

11.  たくさんのラークシャサの英雄が軍の躯であり 2) 彼らは徒歩である
   戦士の他に億の司令官があり
   輝く毛の獅子の皮の旗が
   風に吹かれる波のようにうねる

1)Sebagai sais : 軍隊を戦車に喩えている。2)Tubuh balatentera : 軍の主要な部分。

12.  主だった者でないラークシャサたちは全て
   四つの門から街を出て止まること無く
   森や谷と一緒に動く山のように進む
   その足音は海鳴りのようであった

13.  もはや樹々の立つ森は無く、すべては破壊された
   大風に吹き飛ばされ壊されたかのようだ
   馬や車輪に踏みつけられ、潰されて壊れてしまったのだ
   地鳴りが起こり、森が倒壊し、雷鳴が轟き、荒々しい旋風が起こる

14.  それはマニマンタカ国のすべてが瓦解し溶解するしるしである
   シュメール山の南側は大騒ぎだ
   巨大なラークシャサ軍が殺到して地震が起こる
   天界の彼らが通過した所すべてが破壊され、叩きのめされた

詩編22

1.  出陣するラークシャサ王のことはさておき、目的を達したパンドゥーの息子〈アルジュナ〉のことを語ろう
   〈彼は〉神々を招集したサン・ヒアン・スラーパティ〈インドラ〉に拝跪した
   長々と話されたが、明らかでなく、尋ねられることが多かった
   勝利の故、幾度も声が高鳴った

2.  サン・パールタ〈アルジュナ〉の言葉によれば、アスラの王はすでに出陣し、彼の到来を迎え撃つ準備が必要である
   「スリ・インドラ神におかれましては、彼の軍を迎え撃つ準備をなされるのが善いと存じます、
   メール山の麓はアスラの軍に埋め尽くされ神の地はすべて彼らに蹂躙されるでありましょう、
   神々は皆退き、スラーパティのご加護を求めてやって来ることは明らかです」

3.  「おお、我が息子よ!我らはそなたを待つのみ、皆の者はすでに戦いとなることを解っておる
   敵が出陣して来たならば、全ての砦に見張りを立て守りを固めねばならぬ
   破壊されたところからは全ての見張りと衛兵をすばやく撤退させるよう
   されど、多くの者に心づもりさせねばならぬ

4.  攻められようが攻めようが変わらぬのが偉大なる英雄の心意気というものではないか?
   洞窟の中で襲われても、獅子に敗れることなく
   虎に出会えば、虎が死ぬ
   領土をわきまえず、迷わず目的に向かう者、彼の者は危険を知らぬ」

5.  ヒアン・シャクラの言葉はそのようであった
   チトラーンガダは言った「スリ・インドラ神の言葉はまさしく真実なり
   聖典の教えをはっきりと想起せよ
   我らが以前サン・ボーマ Sang Boma に敗れ、後にメガナーダに敗れた理由は
   不意に襲われ準備も出来ず、考える間も無かったからである

6.  今や敵はすでに出陣した
   我らは出来るだけ速く〈敵と自陣の〉途中で迎え撃つのが良い
   これには二つの利がある、士気を高め、シュメール山の南側全ての助けを得ることばできること
   すでに戦いの準備は終わり、神の一族全てに怠りはない
   我らは立派に戦い、勝とうが負けようが、戦いの責務を果たすのだ」

7.  サン・チトラーンガダの言葉はそのようであり、スラーパティは神々と共に承認した
   皆に知らされ、全ての者は出発した
   サン・パールタの知り得た秘密はインドラ神との二人の間だけで話された
   敵の放ったたくさんの間諜に知られないためであった

詩編23

1.  サン・ヒアン・スラーパティ〈インドラ〉は轟をあげる神の軍隊と共に街を出た
   彼はあらゆる宝石で飾られ、火山のような姿の巨大な象、エルワナ Erwana に乗る
   煌めく武器を携え、頭上にはガルーダの形の傘が雲のように広げられ
   その王冠からは太陽のように光を放っている

2.  たくさんのシッダとルシたちがバタラを讃える叫びをあげて歓迎した
   神に花々が投げられ、雲も無いのに突然雨が降った
   その道程に良きことあらんと、瑞兆が多く見られ、躯は震える
   世界は太鼓、サンカラ、銅鑼、タンバリンの轟に満ちた

3.  ビダダラ 1) 、神の軍の司令官、多くの者たちが制服に身を包み進んで行く
   装甲兵は数万を数え、
   列をなし、プンディトは数千にいたる
   神の旗は絹、野生の象が描かれ、金の縁取りがされている
   光に縁取られた曇天の雲のように

1) Bidadara : アプサラ、半神。

4.  チトラガーンダの顔にはあらゆる宝石とエメラルドが付けられ
   屈強の兵たちは億を超え、その全ては剣術に長けている
   その旗は全て赤く、携えた鋼鉄の槍は蛇のように長い
   金粉を施した房が揺れて、大地は炎に焼かれたようだ

5.  スラーパティの後ろにはチトラセーナが美しい出で立ちで弓を持つ
   宝石を散りばめた鮮やかな赤い幕が引かれている
   鋼鉄のクリス〈短剣〉と短剣の部隊が回り、目にまばゆいばかりだ
   百八の旗が空にはためき、水銀のように煌めく

6.  スラーパティの長子、サン・ジャヤンタ Jayanta は宝石で飾られた車に乗る
   磁石よりも強くなれるよう、マントラ〈呪文〉を唱えた
   神の旗は樹の皮、端は湾曲し、金の縁取り、
   麝香〈の香り〉をまき散らし、華麗である

7.  そのアプサラ軍の多くは帽子を被り、司令官は槍を携える
   他の戦士たちは剣を高く掲げ、背に負う者もある
   全員がトポン〈かぶり物の一種〉を被り、房の付いた上着を着て、首には花輪を掛けている
   素早く進み、高揚して、ボレ 1) の粉と金粉を付け、雄叫びを挙げる

8.  パンドゥーの息子〈アルジュナ〉は殿〈しんがり〉だ、宝石を散りばめた〈戦車〉に乗る
   御者の名はサン・マータリ Matali 、素早い判断で車を御す
   その旗は白、虹のよう、弧を描く光を発する
   王冠は輝き、鎧は彼の前に虹が出たかのように様々な色に輝く

9.  若きガンダルヴァ 2) の前には、弓持つ歩兵がその数、九百人
   そのほかに象や馬に乗る者一億人、クリスを携えている
   はためく旗はガルーダの羽、太陽に近づく雲のようだ
   炎のように分かれて渦巻き、大地を脅かす

1)Boreh : 黄色の粉。2)Gandarwa : 半神、インドラの天界の歌い手

10.  サン・チトララタはスラーパティに命じられ、アルジュノを助け、つねに傍らに備える
   スララヤに住まうすべての神々も王の息子の後ろに従う
   さまざまな武器を持ち、雲のようなもの、曲がりくねったものもある
   軍勢は太陽に照らされた山々の峰のよう、満ち潮の海のようである

11.  街の外には群衆が集まり、時をおくにつれ増えて行く
   雲の上を進んでいた軍勢は地上に降りる
   シュメール山の麓に降り、それは一かたまりの海のようだ
   空が崩れ落ちたように激しく揺れ動き、九番目の星の王は粉砕する
   スラーパティの軍勢は九千の月と太陽のように光を放つ

12.  世界は七度パシュパティー〈シヴァ〉によって創造されたかのようだ
   軍勢は整列し、大いなる力を示し、凄まじい
   馬、戦車、象たちのたてる塵も行進している
   谷も丘も、山も森も踏みつけられて平になった

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-04-15 16:09 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

カカウィン・アルジュノ・ウィウォホ その8

詩編18


1.  「私は喜ばしい、あなた、ここでお会いすることは、約束されていたことのように思われます
   マニマンタカ Manimantaka は、なんと美しいことでしょう!
   来る前から、この国にお仕えすることになるのを知っていたような気がします
   スララヤもここほど楽しくはありません
   その輝かしさも色あせてしまいました

2.  アスラの王〈ニヴァータカヴァチャ〉が戦われたなら
   スララヤは明らかに破壊され、滅び、殲滅され、悲惨な姿となりましょう
   かようなるわけで私はここに参りました、王の蓮華のおみ足をお護りするために
   しもべとしてこの身を任せ、献身いたします、どうか私を虜囚となさいませんよう」

3.  「おお、美しき方、宝石よ、サン・プラブ〈王〉は、あなたのお言葉を聞きどんなにかお喜びになるでしょう!
   蜂蜜のよう艶やかなあなたは、まさしくハピット Hapit 月においでになった
   あなたへの愛に思い焦がれ、枯れかけた植物が雨を恋い慕うようであったのです
   わたくしがお知らせして参りましょう、王のご機嫌を伺ってまいります」

4.  二人の者がやって来て、挨拶し、ひとりはスプラバと話を続けた
   知らせに行った二人目のアプサリは、ニヴァータカヴァチャに手短に話した
   「お許しあれ、王様、スプラバがあなたさまのお世話をすることをのぞんで、今ここにやってきました
   スララヤから降りて来たばかりで、今は庭にいらっしゃいます、労って下さいますよう

5.  彼女がここに参りまたのは、結婚を申し込まれます以前より、王をお慕い申し上げていたからなのです
   されどサン・ヒアン・シャクラ Syakera 〈インドラ〉は彼女を手放さず、とうとう彼女は逃げて来たのです
   スプラバが主人に見捨てられたのはあきらかです
   おそばに置き、虜囚とはなさらぬが賢明かと存じます」

6.  そのように言い、ニヴァータカヴァチャを近くに呼んだ
   幸福な心持ちで彼はつややかに笑い返し、その顔は晴れやかだった
   長いあいだ思い焦がれた恋人がやって来たのだ
   思いもよらず、知らせも無しに
   彼はしばし押し黙り、その心には幸福が刻まれていた

7.  そして言った「わしはなんとも幸せだ、インドラ神の国の宝石が来てくれたのだから
   スラロカ Suraloka の美を手に入れ、〈我が手中に〉移った」
   彼はそのように言って、喜び、庭へ迎えに出た
   静かにそこへ来て、お付きの者はなかった

8.  彼が庭に着くと、深い森も昼のように明るく照らされていた
   月の光に輝く宝石〈スプラバ〉の光が加わっていたからである
   彼もガラスの窪みの所に向かい、やって来たばかりのアプサリを見た
   甘やかで美しい拝跪をしてスプラバはしなやかに王に跪いた

9.  ニヴァータカヴァタがガラスの窪みに座ると
   ビダダリはあたかも恋い焦がれていたように迎えた
   侍女たちはすべて去り、彼は恥ずかしがることはなかった
   マニマンタカの王はビダダリに頭を上げるよう言った

10.  「宝石よ、その姿に我が心は打ち震え、落ち着かなくなる
   二日が過ぎ、我が主よ、我が右の眉が動いている
   喜びと幸福のしるしがたくさんある
   わしは夢をみた、そなた、蜂蜜に浸された者
   本当に不思議だ、そなたが来てくれるとは思わなかった

11.  そなたの美しさを見て、わしはこの世におらぬようだ
   そなたのわしへの愛は、枯れ木に巻き付いた花の小枝の愛のよう
   そなたは、悲しむ椋鳥のために落ちて来る雲の露のよう
   そなたは、チュチュル鳥への愛のため降りて来た月のよう」

12.  欲望に熱くなった、サン・ニヴァータカヴァチャの言葉はこのようであった
   そして卑しきさまとなりアプサリに接吻しようとした
   スプラバはやんわりと断った
   かくて慈悲を乞うて拝跪しながらこう言った

詩編19

1.  「お許しあれ、プラブ〈王〉、お怒りになってはなりません
   王のご加護をお願い申し上げます
   わたしは売られた 1) ビダダリのように思われます
   明日までお待ちください

2.  どうか甘えた感情はお棄てになって口を閉ざしてください!
   聖なる王 Sang Nata は忍耐を求められますよう
   わたしは王にお仕えすることを旨としております
   その思いは決して変わりませぬ

3.  ビダダリが美しくあるは
   王のご加護があってこそのもの
   聖なる王は恩寵をお受けになりました
   それを傷無く、とこしえのものとするには、八正道をお持ちになることです 2)

4.  我が君の力は世 3)にあまねく
   ブラフマロカ Brahmaloka 〈ブラフマン神の天界〉にも匹敵いたします
   ヴィシュヌロカ Wisyunuloka 〈ヴィシュヌ神の天界〉、シヴァロカ Syiwaloka 〈シヴァ神の天界〉の二つも引き下がるでありましょう
   インドラにいたっては、恐れるばかりです

1)dijujur : dibeli(売られた)の古法。2)Kebaikan yang delapan : 完全性を目指すために人が持たなければならない八つの徳。3)Buana : 世界。様々な生き物のいる所。

5.  その奇跡的なお力の源はなんでしょう
   苦行で五感を統治なさって手に入れたのでしょうか?
   きっと千年もヨーガを行われたにちがいない
   そうしてルドラ神があなた様に愛を与えられたのでしょう」

6.  「我が主よ、聞かれよ!
   我が苦行で得たものは少なくない
   ヒマーラヤ山のふもとの洞窟、
   そこはすさまじい四つの噴火口 1) の閉じたところ

1)Letusan : 山から岩と溶岩が噴出するところ。

7.  そここそが、わしが永遠なる完全性、ルドラに拝跪したところだ
   バタラは慈悲にあふれる方でもある
   そこで、わしは我が望みの全てを祈願した
   バタラはわしに地上と天界 sorgaloka を支配する力を与えられた

8.  我が超能力が隠されたところ、
   バタラの報酬は我が舌先にある
   ブラフマンもヴィシュヌも我を恐れる
   そなた、このことは他の者に話してはならぬぞ」

9.  かのように語り、かくて〈謀は〉見落とされた
   愛欲のゆえに、彼はその行為〈の意味する所〉を知り得なかったのだ
   甘やかさに心をとろけさせられ
   ここには欲望は災厄を呼ぶということがどういうものかが見える

10.  かくてパンドゥーの息子もともにそれを聞き
   彼もまた約束を想起した
   門へ飛び、その上に立った
   彼が突進により〈門は〉破壊されたのである

11.  宮殿には悲鳴がおこり、騒乱状態となり
   多くの女たちが、黄金の家を壊された
   マニマンタカの王は驚き、
   怒りに我を忘れるにいたる

12.  恋人はすぐに助け出された
   油断をついて、素早く飛び
   サン・パールタは天空に飛び去った
   敵はまんまと欺かれたのである

詩編20

1.  国中が大騒ぎとなり
   サン・ニヴァータカヴァチャは知らせを受けた
   しかし彼は涙するたくさんの人々を無視し
   押し黙り、しかめ面をしていた

2.  宝石が失われたことは間違いない
   比類無く、一度は手中にしたのに?
   捜してもすでに煙のように消え失せていた
   彼は欺かれたことを知った

3.  これはバタラ・シャクラ〈インドラ〉の謀略に違いない
   迷うこと無く彼は真実を知った
   しかし彼は喋らなかった
   その心に恐れは無かった

4.  傲慢さが心に蘇った
   その心はメール山のような大きさとなった
   恐ろしいラークシャサの軍隊が
   その夜、命令も受けずに整列した

5.  市場はごった返し
   広場には人が大勢集まった
   ラークシャサの大王の命令が知らされ
   軍隊はスラーナタ Suranata 〈神々の王〉と戦うために出発した

6.  翌日には王も現れ
   軍隊は喜びに満ちて参集した
   押し合いへし合い、騒々しく群がった
   グンダン Gendang 〈太鼓〉とサンカラ 1) がけたたましく鳴り響いた

7.  百万スラクサ Selaksa 〈laksa=10,000〉の雷鳴のよう
   彼らのうなり声は、獅子のごときであった
   世界が逃げたがっている
   サン・ニヴァータカヴァチャの軍を恐れて

1)Sangkala : 古代ジャワ語ではシャンカ Syangka 。スルナイ〈ダブルリードの笛〉の大きなもの。

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-04-14 20:30 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

カカウィン・アルジュノ・ウィウォホ その7

詩編15

1.  かくて王子〈アルジュナ〉は最上の四つの滋味のジャムゥ〈薬草〉を受けとった
   愛欲の旨味だけは感じられなかった、というのも彼にとってしばし禁忌のものだったからである
   彼が勝利し、ラークシャサ王を斃すまでは
   間もなく彼は敬愛するインドラ神の足下に拝跪できるようになった

2.  喜んでサン・アルジュナとスプラバは共に拝跪した
   その姿はすばらしく、あたかも一体となったかのようであった
   「やあ、我が子らよ、お二人に平安あれ!
   そなたらの目的が達成されるよう!」
   二人の恋人たちへのバタラ・インドラの言葉はこのようであった
   彼らは言葉無く、しかしその目は心の内を見つめていた

3.  彼らは天を漂い、冗談を楽しみ、心は恋情にあふれていた
   それぞれが飛ぼうとする前にしばし見つめ合った
   王子は言った「妹よ、前をお歩きください、そのようなスレンダン〈肩掛け〉をしてはなりません」
   「あなたはカイン〈腰布〉の裾で象られた妹を見上げようとなさっている

4.  もしあなたが前を行かれるなら、私を見るために振り返らなくてはなりません
   ですから私たちは一緒に行きましょう、あなたが私を導くことができるように
   もしあなたが後ろにいるならそれも良いですわ、あなたがしもべのように見えますもの
   ほどけてばらばらになったら、あなたのサングル〈束髪〉を直せとお命じになればよいわ

5.  そう言うと、スプラバは前を行き、解っていないようなそぶりで間違った返答をした
   「あなた、王子よ、遠くまで来たわね、見て!
   スララヤの部隊がメール山を取り囲んでいるわ
   南はバラタ一族の領土よ、でもハスティナープラ Hastinapura はどっち?」

6.  サン・アルジュナは迫害を受けている宮殿を見て心を悲しませた 1)
   四人の兄弟たちと忠実なるドゥルパディー 2) の悲しみが思い起こされた
   「愛する者を求める人の嘆きに構うことはしないで頂きたい、それはあなたではないのだ」
   彼はそれだけ答えるとビダダリの目を見つめた

1)Sang Arjuna sedih hatinya melihat istana-istana pengaiaya : パンダワはコラワに無理強いされ、ハスティナープラを去った(名称一覧を参照)。『アルジュナ・ヴィヴァーハ』は彼らが母を残してバラタの国を去ったあとの物語である。2)Keempat saudaranya dan Dropadi : 名称一覧、アルジュナとドゥルパディーを参照。

7.  彼らは旅を続け通り過ぎた土地の素敵なさまが描かれる
   渓谷に流れる河は雪の山をいかにして海まで下っていったのか?
   砂浜を経て、椰子の樹々を通り、眠っているように見える象の群れに出会う
   遠くから鳥たちが波のように押し寄せ見る者の心を魅く

8.  そのへりが、細かい砂粒のように当たる
   波に洗われ遠ざかって行く白い石のようにその素晴らしさはさまざまだ
   揺れる花あり、アンソコ angsoka の花、シュロがあり、足下の大地に層をなし、沐浴しているものもある
   その根は彫りつけられるか縛られているかのように、平らな石をつかんでいる

9.  静かな聖地は、最上のプンディトでなければ、たどり着ける者はいない
   されど静かなる人だけが石の下で、肉体を望んで死にいたらしめることができるのだ
   静かなるブラフマナは聖なる場所にあり、また苦行する人もそこへ来ることを厭わない
   彼らは鹿皮の上着を着て心地よく、森を鹿と共に彷徨う

10.  野生の象が素晴らしく見え、虎に拝跪するようだ
   跪いて水を吸い込み、鼻から吹き出す
   ばらけた山芋の花の下に隠れる麝香がいる
   思いやりがあるかのように虎の目がしばしばする

11.  夢の中のような建物がある
   何のために建てられたのか?
   彫刻の施されたチャンディ〈祀堂〉は壊れ、涙しているかのように立っている
   アンソコの樹が近くに枝を広げ、足下の大地は河に崩される
   ガディン gading 椰子は隙間なく伸びて、風にそよいでいる

12.  その河の縁をさまよっているのは彼ら二人の他にはない
   彼らは素晴らしい様を眺めるだけであった
   雲が雨を降らせに集まって来た
   その頭に瞳は見た、天を飾る線のような光のまたたきを
   その女に注意しないと近づいて来て後ろから噛み付かれる

詩編16

1.  苦行所を見れば、蛇の印でそれと知れる
   そこには牛が寝転び
   白い台があり、丸い傘がある
   河からの蒸気で建物は煙っている
   その苦行所は壁といい、門といい、神の持つそれと見紛うばかりである

2.  以前ルシを誘惑したビダダリたちもそこではおとなしくなり、キリ 1) になることを誓う
   河に捧げられた花があり、米蔵の近くで火が燃え上がる
   その甘い眼差しは消えること無く、訪れる者の意見に同意する
   苦行所の森の中で話すことは許されないから、彼女らはその眉に触れるのだ

1) Kili : 女の苦行者。

3.  丘から湧き出る河は、湖となり、流れ続けて、谷が始まる
   谷の頂上から降り注ぎ、雲が積み重なる
   スララヤの河岸から生まれ出で
   川下には赤いアンソコの花が開き、麗しい景色だ
   魂たちの鳥が楽しげに水浴びし
   そして汚れを落として羽を広げる

4.  樹の花と蕾はまだ満開にはいたらず
   憧憬は詩人によって紡がれ讃えられる
   この時サン・ダナンジャヤとその恋人はそこに至り、愛ゆえに熱を帯びた
   彼らはムクドリのあいさつを受け花の蕾が手招きする

5.  旅を終えて、彼らは敵の宮殿を見た
   朝七時、太陽の光は雨を横切って注ぐ
   薄暗く弧を描く線のようなものが風に吹かれて天のふもとに見える
   月によりかかるジャスミンの花輪のように鳥が飛んでいく

6.  マニマンタカ Manimantaka の国に雨が降り
   それでも太陽の光は黄金の壁と門に輝く
   街の真ん中には白い建物がたくさん建っている
   栄光の果実は、スララヤの美しさに十倍する

7.  太陽は沈んだが、月明かりで昼のように明るい
   王子とその恋人は漂いながら近づいていく
   「聞かれよ、妹よ、騒がしい音がする
   大いなる宴のしるしに違いない
   快楽を好むラクササが宮殿で高慢に騒いでいる」

8.  サン・アルジュナがそう言うと、美しいアプサリは話した
   「本当ですわ、王子!彼らは明らかに喜んで神々の王を攻めるつもりです
   武器を修理し、広場ではげしく模擬戦をしている
   七日もたてば、彼らは神のところへ攻めてくるでしょう

9.  ああ、王子よ、バタラ・インドラの命はまさに困難で危険なもの
   私は心配で恐ろしい、これから捨てられて、敵に拝跪させられるのです
   私を手に入れようとしているあの邪悪なる者を見る私のおぞましい気持ちを聞いてくれる人は誰もいない
   辱めと悲しみを抱くより罪を得て死ぬ方がましだわ

10.  でも運命は許してはくれない、まして私は命令された身
   手助けに差し伸べられる手のないことを受け入れ
   粗暴な命令のなすがまま、うつろな空気をつかんで放心しているだけ 1)
   アプサリの言葉はこのようで、嗚咽し、泣いたふりをした

1) Hamba dititahkan memeluk yang tidak terdekap. Hanya melemaskan saja menangkap-nangkap diudara yang kosong : アルジュナを揶揄している。スプラバが言いたいのは、アルジュナに助けてもらいたいということである。

11.  「何をもって、スラーパティの命令ゆえに辱めを受けるなどとおっしゃるのか?言ってみてください
    ましてや私が目の前におりますのに、前をご覧なさい、恐れることはありません
    かの悪漢に受け入れられたら、命令を果たすのです、恐れてはなりません!
    私の考えではあなたはその姿を甘やかにされるのが良いでしょう

12.  あなたが成功し、彼が秘密を明かしたならば
   かの山の頂の洞窟でのようになされば、あなたはきっと勝利なさる」
   サン・ダナンジャヤは言い、恋人の束髪を直してやった
   彼女は顔をしかめた、でも怒っているのではない、喜びのゆえだ、笑顔からのものであった

詩編17

1.  多くを語ることは無益なことだろう
   感情を押し殺し、恋情を押さえつけて
   努めて話を打ち切り
   かくて彼らは目指す場所に着いたのである

2.  プリの傍らの庭園で彼らは止まった 1)
   女たち2)が宮殿 mahligai から出て来て前庭で月の光と戯れる
   ヒアン・インドラが以前送った女たち
   彼女たちもまた遊びに興じる

1)puri : mahligai=宮殿。2)Istri-istri : 本来の意味「おんな」として用いられる。今もこの語は女を意味する一般的な言葉として使われる。

3.  神聖な外観の建物がある
   イチジクの樹の近く、そこにサン・パールタ〈アルジュナ〉は行く
   こっそりと話ができるからである

4.  ガラスの窪みがとても美しく、明かりを変化させる
   多くのアプサリは彼女を見て不審に思う
   それゆえ彼女らは近づいて来て彼女を見て、挨拶する者もいる
   「地上の宝石よ、あなたは誰?」と彼女は尋ねた

5.  王子は、アプサリの誰ひとりとして彼を見ることができない
   というのも瞼の化粧墨の不思議な力が彼にはたらいているからである
   力なく疲れたさまのアプサリだけが見えている
   疲れ、足をひきずり、弱っているがその目は光輝いている

6.  同情して、彼女を見て近づいてきたのは三人の者であった
   神々の王、インドラのもとから送られてきた女たちであった
   「誤り無くば、私たちはあなたを存じております」と言った
   そして真実を知った彼女らはまた言った

7.  「ご主人さま 1) 、あなたがここにお連れになった仲間はどなたです?
   あなたはここに光のように降りてこられました
   スリ・インドラは迷っていらっしゃる、と私たちは感じていました
   サン・プラブの欲する者はあなた、スプラバです、ご主人さま!

1)Masku : Masは謙譲語。ジャワ古語だけでなくマレー語にもある。

8.  それこそラークシャサ王がヒアン・インドラに怒っている原因なのです
   あなたが与えられないことに他ならない
   サン・アルジュナがあちらに来たから、彼はますます怒っております
   それゆえアスラの王は攻撃しようとしているのです

9.  サン・ヒアン・インドラはもう恐れておられませんか?
   ショルガロカで如何なさっておられます?話してください、ご主人様! 」
   彼女らはそういった、喜びに泣きながら
   スプラバ心を鼓舞して、言った

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-04-13 15:29 | 影絵・ワヤン | Comments(0)