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木から落ちた猿

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ガトコチョは誰がために死す?(その2)

( 前回からのつづき)


牙を抜かれるアリムビ

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Dewi Arimbi

 2.で挙げたアリムボ征伐、ビモとアリムビの結婚のエピソードで、アリムボはビモおよびパンダワ一族を父の仇として認識している。インド版マハーバーラタにおけるヒディムバ、ヒディンバーきょうだいは森に住むラークシャサたちの頭領であるが、特に彼らが王国を持っているとは語られない。インド版では彼らはあくまで通りすがりのラークシャサであり、パーンダヴァを狙うのも特別な動機を付与されているわけではない。だが、ジャワではアリムボがビモを殺そうとすることには、敵討ちという明確な理由がある。パンダワがプリンゴダニ先代トルムボコ王の仇であり、さらにはアリムボの仇ともなることは、ガトコチョ誕生後のエピソードにも深い関わりを持ってくることになる。

 このエピソードでアリムビは、ビモに求婚し一旦は拒否されるのだが、パンダワの母クンティのとりなしでビモに受け入れられることになる。この時、クンティの言葉が発する超能力で、彼女のラクササの風貌は一変し、アリムビは美しい女になる。一説では、アリムビは美女に変わるが、ラクササであったなごりとして背が高いと語られることもある。生身の役者たちが演ずるワヤン・オラン Wayang Orang では、アリムビ役の役者には背の高い女性が選ばれるとも言われている。しかし、いずれにしてもこのエピソード以降のアリムビは人の姿としてワヤンに登場することになる。インド版マハーバーラタのヒディムバーにはこのような変貌はみられず、彼女はラークシャサのままビーマと結ばれる。もっともラークシャサの変身能力で美しい姿をとることにはなっているが、彼女の本質には変化が生じない。ジャワ版でのアリムビの変化は、たんなる外見上の変化というよりは、内面のラクササ性の剥奪を意味すると考えられる。この場面はパンダワ側からのアリムビのスポイルであると看做すことができるだろう。これ以後、アリムビはパンダワにとって無害の存在となり、彼女の役割はガトコチョの善き母以上のものではなくなるのである。このスポイルがアリムボ殺害の直前に行われることも注目しておきたい。反パンダワの態度を崩さないアリムボはビモに殺害されるが、すでにスポイルされているアリムビは兄の死に異議を申し立てることはない。この時点でアリムビはプリンゴダニからパンダワの側にその属性を移してしまっているのである。そしてプリンゴダニの王権はパンダワに帰属したアリムビの手に委ねられる。

 「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」に紹介されている東部ジャワのワヤンでの展開はこれとは異なる。ここではプラブ・トルムボコはプラブ・コロ・ボコ Prabu Kala Baka と呼ばれる。アリムビは彼の三番目の子であり、きょうだい中で唯一の女である。二人の兄の名はコロ・アルムボ Kala Arumba とコロ・アリムボ Kala Arimba であり、弟たちはコロ・プロボケソ Kala Prabakesa とコロ・ブンドノ Kala Bendana という。アリムビは父に最も愛され、幼少より王位継承者とされていた。

 父とは異なり、コロ・アルムボとコロ・アリムボは人食いであった。父は人食いを禁じたが、二人はそれを無視していた。怒りと失望で、父王はサユムボロ sayembara 〈婿取りの協議〉を開催し、二人の反抗的な息子たちを殺し得た者は誰あろうとアリムビと結婚し、プリンゴダニ国の王位継承者となると宣言した。そしてプジョセノ Pujasena (東部ジャワでポピュラーなビモの名)という立派なクサトリアが勝利した。コロ・アルムボとコロ・アリムボの二人は、互いの頭を鉢合わせにされ、同時に弊されたのである(ジャワ語でディアドゥ・クムボ diadu kumba という)。

 しかしプジョセノは褒美を受け取らなかった。プリンゴダニ国の王位を拒み、彼は二包みの飯のみを所望した。ラスクシ raseksi 〈女羅刹〉であるデウィ・アリムビとの結婚を断ったのである。

 プントデウォ Puntadewa 〈パンダワ五王子の長兄〉と共にデウィ・クンティが現れ、ラスクシであったアリムビの姿を美しい女の姿に変えた。こうしてビモは彼女を妻にすることに同意し、プリンゴダニの王位は生まれてくる子供に与えられることになった〈「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」第一巻、136~137頁〉。

 東部ジャワのワヤン・クリは、中部ジャワの王宮の伝統から比較的自由なスタイルを展開させていることで知られている。ここではプリンゴダニ国の先代王の名に、先に紹介したプルタパアン・プリンゴダニの伝承に見られたプラブ・ボコが用いられている。プリンゴダニ先代王の名はプラブ・ボコとする伝承の方が古いのかもしれない。プラワンガンの伝承でも王の名は、ハリムボコあるいはトルムボコとなっており、ハリ+ ボコ Hari(m) + Baka であると考えられるからである。当初プリンゴダニ先代王の名にボコが採用されていたとすれば、4.、5.の説話に登場するブロジョドゥントという人物とプリンゴダニの関係も見えてくる。これについては後述する。


死を背負って生まれるガトコチョ


 3.に語られるガトコチョ誕生譚は、シムプルなインド版とは大きく異なり、ガトコチョの命を奪うことになるスンジョト・クントという神与の武器をめぐる物語として構成されている。インド版では、ビーマとヒディムバーが結ばれると間もなくガトートカチャが産まれ、彼の誕生にまつわる物語は特に設定されていない。インド版におけるガトートカチャの姿は「耳まで裂けた大きな口をし、耳は矢のように尖り、虎の牙のような歯をもち、大きな長い鼻、広い胸、子牛のような逞しさと力をひめた異常な子供であった。」〈「マハーバーラタ」第一巻、山際素男編訳:三一書房刊、1992年、215頁〉とされ、かれの急速な成長も「ラークシャサの女はみな身籠ったその日に出産する慣しであった。そして生まれた子供は、たちまち若者となり、人間の武器の使い方、武芸をあっという間に習得してしまうのである。」〈前掲書、同頁〉と語られている。ちなみに、ガトートカチャ Ghatotkacha という名は「水差し・瓶」を意味するサンスクリット ghat(tt)am と「頭」を意味する utkacha から成り、「水差しのような頭を持つ者」を意味している。彼の頭が水差し(ガト)のような形であることから名付けられた。水差しのような形の頭というのは、ちょっとイメージしにくいが、頭でっかちの不格好な姿なのであろうか。このようにインド版におけるガトートカチャは人間ばなれした魔物の要素の強い造形であり、ジャワのガトコチョが立派な若武者姿として描写されるのと対照的である。もっともジャワのワヤンでガトコチョの造形がクサトリア〈武将〉の姿に変わるのは19世紀からであり、それまではアリムビもガトコチョもラクササ姿の造形であったという〈「エンシクロペディア・ワヤン・インドネシア」第一巻、137頁〉。ガトコチョというキャラクターの人気が上昇してラクササ姿ではなくなったのだとすれば、彼が民間で人気者になったのも18~19世紀以後のことである可能性が高い。

 スンジョト・クントは、インド版マハーバーラタでカルナがインドラから手に入れる必殺必中の槍のジャワ版ということになる。インド版マハーバーラタの展開は次のようなものである。

 パーンダヴァたちが12年間の森への追放の期間を終え、13年目に入る頃にインドラがカルナの力を削ぐため、彼の耳飾りと黄金の鎧を奪おうとしてバラモンに変身し、カルナのもとを訪れる。耳飾りと鎧はカルナが誕生した時から身に着けていたもので、これがある限り彼は不死身であるとされていた。バラモンに化けたインドラは、施しの英雄として知られるカルナに耳飾りと黄金の鎧を施してくれるよう要求する。すでに父である太陽神スーリャからインドラの企みを聞かされていたカルナだが、あえてインドラの要求を受け入れる。カルナは不死身を捨てる代償としてインドラの持つ必中必殺の槍を求める。インドラは一度きりの使用を条件に、その槍を与える。従ってこの槍の獲得とガトートカチャには何の関わりも無い。ガトートカチャは、その戦闘能力の高さを買われてカルナの対抗馬として白羽の矢がたてられるのであり、ガトートカチャとカルナの槍には特別の因果関係があるわけではない。多少の因果関係を思わせる記述はあるが、それほど説得力も無く、ガトートカチャがカルナに槍を使用させるのは、あえていえば成り行きに過ぎないのである。

 いっぽうジャワではクントは鞘と抜き身に分かれ、抜き身はカルノの手中にあるが、鞘はガトコチョのへその緒を切るために用いられ、へその緒を切ると同時にガトコチョの体内に吸収される。ジャワでは、人の誕生は胎盤 ari-ari とへその緒が分かれた時に始まるとされている。いわばガトコチョはクントによってこの世に誕生するのである。鞘と抜き身に分かれたクントは、再び一体に戻ることが運命付けられており、鞘であるガトコチョが抜き身のクントと一体となる、すなわちクントによって死ぬこともまた不可避な運命として設定されている。ジャワではガトコチョとクントの関係は、インド版のそれよりもはるかに強い因果関係として設定され、ガトコチョはその誕生の時から死の影を背負った存在として現れることになる。


叛乱者ブロジョドゥント


 時が過ぎ、ガトコチョは成長する。彼の結婚とプリンゴダニ国の王位継承を巡る4.5.6.7.あたりの説話は異説も多く、その時間的構成もダランによって異なる。殊にガトコチョとアリムビの兄弟である彼の叔父たちとの確執に関する話には異説が多いが、ガトコチョの叔父たちで特に重要な役割を担うのがブロジョドゥントとコロ・ブンドノであることは共通している。ガトコチョの叔父たちで、文学史的に出自を辿れるのはブロジョドゥントだけで、他の弟たちの設定がどのような過程で成立したのかはまるで分からない。ただ、12世紀に成立した「カカウィン・ガトートカチャスラヤ」に登場する人物にバジュラダンタ Bajradanta の名が見える。バジュラとはサンスクリット語のvajraから由来し、雷を意味する語であり、ブロジョ braja と同義である。ちなみにドゥンタ(ドゥント) denta は永遠を意味する。よって、バジュラデゥンタは後世のブロジョデゥントのことであると考えて間違いなかろう。

 このカカウィンはアルジュナの息子アビマニュ Abimanyu とクリシュナの娘 シティ・スンダリ Siti Sundari の結婚を主要プロットとするもので、あらすじは以下のようなものである。


  物語はドゥウォロワティ Dwarawati 国に預けられたアルジュナの息子アビマニュから始まる。この時、パーンダヴァたちは12年間森へ追放されていた。アビマニュはクリシュナにたいへん愛され、クリシュナの娘シティ・スンダリとの結婚を望まれていた。シティ・スンダリは苦行者たちの生活にならい、森へ行こうとしていた。アビマニュも護衛の兵たちと共に同行した。彼ら二人はとうとう恋に落ちた。しかし彼らの関係は長く続かなかった。シティ・スンダリが、ドゥルユーダナ Duryudana の子ラクサナクマラ Laksanakumara の許嫁とされたからである。アビマニュは命を賭けてシティ・スンダリを守ろうと決意した。クリシュナの兄バラデワ Baladewa は二人の関係を聞いて激怒した。そしてクリシュナが宮廷に戻る前に、シティ・スンダリとラクサナクマラをすぐに結婚させようとした。アビマニュは瞑想し、神に恩寵を乞うた。その時、デウィ・ドゥルガーの家来、カララワルカ Karalawarka がアビマニュをデウィ・ドゥルガーに捧げるため捕らえた。アビマニュは超能力の呪文を唱え、デウィ・ドゥルガーは彼を食うことができなかった。アビマニュはクルバヤ Kurubaya のガトートコカチャに助けを求めた。続く物語でアビマニュはガトートコカチャの手助けを得てシティ・スンダリを奪う。ガトートコカチャはシティ・スンダリに化ける。これを知ったバジュラダンタ Bajradanta はすぐさまラクサナクマラに報告する。彼はビーマに殺されたラークシャサ、バカ Baka の息子で、復讐を企てていたのである。ガトートカチャとラクサナクマラに化けたバジュラダンタの烈しい戦いとなる。バジュラダンタは斃される。バジュラダンタの死を知ったドゥルヨーダナは激怒し、ドゥウォロワティを攻撃する。その意図はバラデワに阻止される。コラワ Korawa 軍はヤドゥ Yadu 〈クリシュナの一族〉たちを攻めるが、ガトートカチャとアビマニュが迎え撃つ。バラデワは恐ろしい姿のトゥリウィクラマ triwikrama になり、戦いを止めよるよう命じたが従う者はいなかった。怒りが交差する中、クリシュナが到来しなだめる。物語の最後はアビマニュとデウィ・ウタリ Dewi Utari 、シティ・スンダリの婚礼の宴となる。〈Perpustakaan Universitas Indonesia >> Naskah:Gatotkacasraya kakawin:Deskripsi Dokumen: http://lontar.ui.ac.id/opac/themes/libri2/detail.jsp?id=20187060&lokasi=lokalによる〉


 ここでは、バジュラダンタはバカの息子として登場し、パーンダヴァへの復讐のためにガトートカチャと敵対する。彼は変身能力を有しており、インドのラークシャサ的要素を強く残しているようだ。この物語ではガトートーカチャも変身できるようで、やはりラークシャサ的である。バジュラダンタが他の者に化けて相手を翻弄するというプロットは、5.の演目に見られるように、現在のワヤンの演目内でも受け継がれている。

 4.、5.の演目は異説もあり、たとえば「ワヤン・ジャワ、語り修正ーマハーバーラタ編ー〈上〉」(松本亮編訳、八幡山書房、2009年)で紹介されている「ブロジョドゥントの叛乱 Brajadenta Mbalelo 」でのキ・ナルトサブド Ki Nartasabda の構成は以下のようなものである。


 プリンゴダニ国のブロジョドゥントは祖父、父の仇であるパンダワ一族の血を引くガトコチョを王として戴くことに不満をつのらせ、八ヶ月以上も臣下の礼をとることを拒んでいた。そしてついに彼はガトコチョ殺害を決意する。弟たちの反対を押し切ってプリンゴダニの王宮に乗り込むのである。王位にこだわらないガトコチョは叔父に王位を譲ろうとするが、戦いとなり、ガトコチョはブロジョドゥントの超能力の呪文アジ・グラプ・サユト Aji Gelap Sayut 〈百の雷〉に敗れる。

 レウォトコ Rewataka 山へ飛ばされたガトコチョは、かつて祖父パンドゥの大臣であったゴンドモノ Gandamana の霊と出会い、叔父ブロジョドゥントとブロジョムスティの間の因果を知らされる。彼らの父トルムボコはかつてパンドゥの弟子であった。トルムボコの献身に対し、パンドゥは二つの重代の宝を与えた。それがボロジョドゥントとブロジョムスティの護符であった。護符はトルムボコの左右の手のひらに宿り、やがて双子の息子となったのである。二つの護符はアスティノ国とプリンゴダニ国が一つになる時、パンドゥの子孫に戻されなければならない。つまりパンドゥの子孫であるガトコチョがプリンゴダニの王となる時、二人の叔父に姿を変えた護符は、ガトコチョの体内に帰る宿運を負っていたのだ。

 ブロジョドゥントは偽のガトコチョに変身しプリンゴダニの玉座にあった。生還したガトコチョとの戦いとなり、正体をあらわしたブロジョドゥントはブロジョムスティとの一騎打ちで相撃ちとなる。ガトコチョが二人の死骸に跪くと、死骸は消え失せ、ガトコチョの体内に入り彼の超能力を倍加させる。こうしてガトコチョの王位は確定するのである。


 ナルトサブドの構成では、ブロジョドゥントとブロジョムスティは、その誕生以前からあらかじめ死を予言された人物たちである。護符の生まれ変わりである彼らはガトコチョが一人前になると同時に、護符に戻り彼の体内に入る(パンダワに戻る)ことを運命付けられている。これはガトコチョが神与の武器クントによって誕生し、クントによる死を運命付けられているのと対応する。クントが神のもとに返還される時、ガトコチョもこの世から消滅する。ブロジョドゥント・ブロジョムスティの運命は、ガトコチョの運命の反復(予告)であり、彼らはガトコチョのドッペルゲンガーなのである。

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ガトコチョの叔父たち


 トルムボコ王の子供は八人ともいわれ、ガトコチョの叔父たちは六人が設定されている。以下に「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」に記載されているガトコチョの叔父たちのプロフィールを示す。内容の重複もあるが、お許し願いたい。


ブロジョドゥント Brajadenta

 ブロジョドゥントはラクササ姿で、デウィ・アリムビの弟であり、ガトコチョの叔父でもある。父はプリンゴダニ国王プラブ・トルムボコであり、彼はプラブ・パンドゥ・デウォノトと戦って死んだ。長男のプラブ・アリムボは父王の仇を討とうとしてビモと戦い殺された。それゆえ、ブロジョドゥントは自身の甥、ガトコチョに対し密かに復讐心を抱いていたため、ガトコチョがプリンゴダニの王位を継承することを快く思わなかった。

 ブロジョドゥントはガトコチョを父の仇の子、祖父の仇の孫と看做していたのである。

 王位を簒奪するため、ブロジョドゥントは叛乱を企てた。目的達成のため、ブロジョドゥントはバタリ・ドゥルゴとコラワたちの助けを借りる。弟たちブロジョムスティ、ブロジョラマタン、プロボケサ、コロブンドノは彼に反対したが、ブロジョドゥントの意志は固かった。叛乱を押しとどめるため、ブロジョムスティは心ならずも兄と戦うこととなった。決闘は相撃ち sampyuh となり、二人は共に弊れた。

 これには異説もある。ブロジョドゥントは演目「ガトコチョ・クムバル Gatotkaca kembar (瓜二つのガトコチョ)」では、ガトコチョの手にかかって死ぬ。この演目で、ブロジョドゥントはガトコチョに化け、デウィ・バヌワティを誘惑する。

 ブロジョムスティは死の際で、兄の罪を暴き、罰を与えることができた。兄弟の魂は甥の体に入った。ブロジョムスティの魂はガトコチョの左手に、いっぽうブロジョドゥントの魂はガトコチョの右手に宿ることとなったのである。

 二人のラクササの魂が手のひらに宿り、ガトコチョの超能力は倍加する。キ・ダランによっては、ガトコチョがラクササたちの頭を衝突させて粉砕したと語る。


ブロジョムスティ Brajamusti

 ブロジョムスティはガトコチョの叔父のひとりで、デウィ・アリムビの弟である。彼は、プリンゴダニ国王で、プラブ・パンドゥ・デウォノトに斃されたプラブ・トルムボコの四番目の子である。長男のアリムボはビモに殺された。きょうだいの二番目であり、ビモの妃であるデウィ・アリムビがプリンゴダニ国の王位を継いだ。きょうだいの三番目、ブロジョドゥントは、デウィ・アリムビが王位をガトコチョに継がせようとした際、叛乱を起こした。

 ブロジョムスティはブロジョドゥントの叛乱に賛同せず、彼と対決した。かくて二人は相撃ちとなって果てたのである。しかし死の際に、ブロジョムスティは兄を改心させ、二人の魂はガトコチョの体に入った。ブロジョドゥントはガトコチョの左手に、ブロジョムスティは右手に宿ったのである。


ブロジョラマタン Brajalamatan

 ブロジョラマタンはブロジョムスティの弟である。他の兄弟と同様に、ラクササ姿である。ブロジョドゥントとブロジョムスティの相撃ち sampyuh の後、ブロジョラマタンは弟のプロボケサと共にプリンゴダニ国の戦闘指揮官セノパティ senapati に推挙された。

 ブロジョラマタンは長寿を全うした。ブロジョドゥントの叛乱の際にも、彼はニュートラルな態度を守った。彼はバラタユダ後も生き、ガトコチョの子どもたちを育て、戦略知識を教えた。ブロジョラマタンの教えのおかげで、ガトコチョの息子たちは、プラブ・パリクシト治世のアスティノ国でセノパティとなることができたのである。

 しかし、一部のダランは、ブロジョラマタンはブロジョドゥントの叛乱に加担し、ガトコチョに殺されたと語る。


ブロジョウィカルポ Brajawikalpa

 ブロジョウィカルポはプラブ・トルムボコの六番目の子で、ガトコチョの叔父である。影響を受けやすく、煽動されやすい性格で、ブロジョドゥントの叛乱に加担し、ガトコチョに斃された。


プロボケソ Prabakesa

 ラクササ姿で、ガトコチョの叔父のひとり。ブロジョドゥントの叛乱のあと、プリンゴダニ国の大臣 patih を務めた。

 プリンゴダニ国の大臣を務めるにあたって、プロボケソは誠実であったので、国は安寧、豊かであった。国政に従事するいっぽう、プルボケソはつねにガトコチョに対して父のように接した。

 プルボケソはバラタユダの15日目に戦死した。ガトコチョの戦死の直前であった。


コロ・ブンドノ Kala Bendana

 コロ・ブンドノはラクササ姿のガトコチョの叔父である。父はトルムボコ、長兄はアリムボである。

 コロ・ブンドノは甥のガトコチョを深く愛した。ガトコチョは幼少からこの叔父の愛を一身に受けて育てられ、指導された。彼はガトコチョにプリンゴダニの王位を継承させるというデウィ・アリムビの考えに賛同していた。兄のブロジョドゥントの叛乱を起こそうとしたときも、コロ・ブンドノは反対した。ついにブロジョドゥントはブロジョムスティと相撃ちとなり、他の兄たちも死んだ。

 ブロジョドゥントの叛乱事件以来、彼のガトコチョに対する愛情はより深まった。しかし、コロ・ブンドノの愛情も、運命のねじれを変えることはできなかった。彼は愛する甥の手にかかって死ぬこととなるのである。


 「カカウィン・ガトートカチャスラヤ」でガトートカチャの敵役として創作されたバカ王の息子ブラジャダンタは、その後プリンゴダニ国の王子のひとりに再設定された。これは彼の父とされたバカ王の名が、民間伝承でプリンゴダニの王とされたことに影響されたのだろう。そしてプリンゴダニ伝承は、アリムボ、アリムビのきょうだいも取り込んだ。ワヤンではプリンゴダニ国王バカの名はその後、エコチョクロ王ボコ Baka との混同を裂けるため、アリムボコあるいはトルムボコに変化した。ブラジャダンタがガトートカチャの敵対者であった設定は引き継がれ、ブロジョドゥントがプリンゴダニ国で叛乱を起こすというプロットに再構成されたと思われる。

 ブロジョムスティは、『チュムポロ』の記事ではブロジョドゥントの同盟者、キ・ナルトサブドの解釈ではブロジョドゥントが負の側面、ブロジョムスティが正の側面を担った双子とされているが、いずれにしてもブロジョドゥントから派生したキャラクターと言える。ジョクジャ・スタイルのワヤンには、ブロジョムスティはスンジョト・クントがガトコチョのへそに吸収されるさい、一緒に吸収され、ガトコチョが死んだとき、彼の遺体を護る役を担っていたという説もある〈「マハーバーラタの陰に」松本亮、八幡山書房、1981年、230頁〉。

 ブロジョラマタン、ブロジョウィカルポは、その名を見てもブロジョドゥントからの派生キャラクターであると思われる。「チュムポロ:ガトコチョ特集号」には『ガトコチョの持つ護符』が紹介されているが、ブロジョドゥント、ブロジョムスティ、ブロジョラマタン、ブロジョウィカルポの四人が死後ガトコチョの体内に宿り、彼の護符となったと記されている。つまり、ブロジョドゥントがらみの人物たちはすべてガトコチョに吸収されてしまうのである。ガトコチョは、ブロジョドゥントに代表されるプリンゴダニの叛乱分子を一身に吸収してプリンゴダニ国の王となる。プリンゴダニ叛乱分子は、ラクササと人の混血という両義的人物ガトコチョのラクササ的側面の分身であるとも言えるだろう。ガトコチョはみずからのラクササ的要素を抑制・統御することでプリンゴダニ王としての地位を確立する。これもまたパンダワ側からのプリンゴダニ(ラクササ)へのスポイルの一環として捉えることができよう。

 ブロジョドゥントの物語はプリンゴダニ国内に、大国(パンダワ)支配への抵抗が根強く残っていたことを明らかにする。ガトコチョは身内である叔父たちを供犠として差し出すことで、パンダワへの忠誠を示さなければならなかったのである。



コロ・ブンドノ

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Kala Bendana

 コロ・ブンドノという人物がいつ頃現れたのかは不明である。しかし彼を巡るプロットは安定しているところから、かなり早い時期から設定されていた可能性が高い。彼はガトコチョの叔父の中でも最もガトコチョとの親和性が高く、ガトコトチョからの信頼も厚い。ラクササ姿であってもパンダワへの帰属性の高い人物である。その彼がアビマニュの結婚を巡る行き違いからガトコチョの手にかかって死に、ガトコチョの死の原因の一つとなる。アビマニュはウィロト国王マツウォパティの娘デウィ・ウタリとの結婚に際して、自身がまだ独身であるとウタリに嘘をつく。ガトコチョはアビマニュの嘘に加担し、デウィ・シティ・スンダリとデウィ・ウタリを欺こうとするが、コロ・ブンドノはこれに同意せず、嘘をつくことを拒否する。融通のきかぬ叔父に腹を立てたガトコチョは、怒りのあまりコロ・ブンドノを殴りつけ殺してしまう。いささか唐突で、理不尽とも言えるコロ・ブンドノの死は、最も親和的である彼さえも差し出す、ガトコチョのパンダワに対する忠誠心の表明であり、支配者が被支配者に課す要求が、いかに過酷で理不尽なものであるかを炙り出す。

 アビマニュの嘘にはさしたる必然性も無く、嘘はたんなる彼の見栄にすぎない。パンダワの嫡子たる彼はこのとき傲岸(ヒュブリス)の罪を犯していると言えるだろう。彼は嘘がばれることを恐れ、「小さくは私がかつてウタリ以外の女と同席、大きくはすでに妻をもっているとあれば、いつの日か、私はバラタユダの戦いにおいて、コラワたちのあまたの武器を射込まれ、死にいたろうものを」〈「ワヤン・ジャワ、語り修正ーマハーバーラタ編ー〈上〉」427頁〉と、いらぬ誓いまでたて、後日その言葉通りに死ぬのである。アビマニュの嘘に加担するガトコチョもまた、このときヒュブリスの罪を犯していると言えよう。コロ・ブンドノはこれを容認しない。ここではパンダワ側の傲岸をプリンゴダニのラクササが糾弾するという、ある種の逆転が生じており、神意の正当性はコロ・ブンドノの側に仮託されている。ガトコチョは暴力によってこの正当性を破棄し、その報いとしてコロ・ブンドノはガトコチョの死に対する決定権を持つことになる。

 このときガトコチョは、コロ・ブンドノの担う正当性よりも、不当であってもアビマニュに象徴されるパンダワへの帰属を選ぶ。ガトコチョは本来プリンゴダニ(ラクササ)とパンダワ(人)の中間に位置する存在である。しかし彼のアイデンティティーの表明は、つねにパンダワの一員であることに注がれる。ガトコチョのこのスタンスは、プリンゴダニ国が本来有していたラクササ性を順次排除し続け、プリンゴダニのアイデンティティーを崩壊させていくのだ。

 ワヤンの語りでは、バラタユダでのカルノとガトコチョの戦いにおいて、スンジョト・クントが放たれたのを見たガトコチョは天空高く飛び、雲の中に隠れる。さすがのクントもガトコチョを追いきれず、失速しようとする。そのときコロ・ブンドノの霊が現れる。クントを掴み、アリムビの声色をまねるコロ・ブンドノの前にガトコチョは姿を現し、クントはあやまたずガトコチョのへそに収まる。ここでは、ガトコチョの死の決定権はクントよりもむしろ、コロ・ブンドノの手に委ねられているといった方が良いだろう。クントは無敵のガトコチョを死なしめる唯一の武器であるが、それをガトコチョに届かせるのはコロ・ブンドノなのだ。ワヤンでのガトコチョの死は、その誕生とともに運命付けられていたクントによる彼の無敵性の無効化と、コロ・ブンドノによるヒュブリス(ここではクントという死の運命を回避し得るとの傲慢)の指弾という二段階をもって完遂される。プリンゴダニの内部にあって、プリンゴダニの消滅を遂行し続けたガトコチョは、その最後にプリンゴダニ旧勢力の愛憎すべてを一身に引き受けて戦場に果てる。こうしてコロ・ブンドノの魂はガトコチョと手を取り合って天界へ昇るのである。

 ガトコチョの死を追ってアリムビも炎に入り、この世を去る。このプロットは「カカウィン・バーラタユダ」で創作され、以後受け継がれている。「カカウィン・バーラタユダ」でのヒディムビーの殉死は、サティーの一変形と言えるだろう。サティーとは厳密には夫の死にさいして妻が殉死する習俗を指し、「カカウィン・バーラタユダ」ではアビマニュの妻シティ・スンダリ、シャリヤ Salya 王の妃スティヤワティ Stetyawati らのサティー(殉死)が歌われており、ヒディムビーの死もその流れのひとつとして描かれる。ヒディムビーはガトートカチャの母であり、彼女の殉死がサティーと言えるかどうか疑問もあるが、「カカウィン・バーラユダ」成立時にはまだガトートカチャの配偶者の設定は生まれておらず、彼に殉死する者として母であるヒディムバーが選ばれたのであろう。現在のワヤンでもアリムビはガトコチョに殉じるとする解釈が受け継がれており、結婚の演目も用意されているガトコチョの妻プルギウォについては語られることはない。

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Raden Sasikirana


ガトコチョは誰がために死す?


 ガトコチョはかつてプリンゴダニ国の叛乱分子をその体内に取り込み、自らの超能力とした。彼の死は叛乱し吸収された叔父たちの真の死を意味すると言えるだろう。叛乱に加担しなかったプロボケソはガトコチョ戦死の直前にガトコチョの先陣として散った。ガトコチョを愛したコロ・ブンドノはガトコチョと共に昇天し、アリムビも殉死する。かくてラクササ(元ラクササ)であるプリンゴダニ国の旧支配勢力は、ガトコチョもろとも一機に消滅する。

 ジャワのガトコチョ説話におけるガトコチョの死は、カルノへのカウンターであると同時に、プリンゴダニのラクササ要素の消滅を意味している。ラクササと人(パンダワ)の中間に位置するガトコチョは、出自の両義性のゆえに、その英雄的死をもってプリンゴダニ旧勢力を消滅させるためのスケープゴートとして機能するのである。そしてプリンゴダニ国はアルジュノの血を引くサシキロノの手に委ねられる。

 アルジュノの血統は、アビマニュの息子パリクシト Pariksit がアスティノ国の王位を継承することに見られるように、パンダワの王権を受け継ぐ血筋である。また演目「ガトコチョの結婚」(「チュムポロ」版)に見られる、アルジュノから提示される結婚の条件は、かつてアルジュノ自身がスムボドロ Sumbadra との結婚において自身に課せられた条件とそっくりである。ここではガトコチョの結婚がアルジュノの結婚と同定され、パンダワ側からの正当性が付与されることになる。従ってこの結婚により生まれるサシキロノの存在には、パンダワ側からの正当性の付与がはじめから用意されているのである。かくてプリンゴダニの王位はビモの血にアルジュノの血が加えられ、完全にパンダワに帰属する存在として確定することになる。サシキロノへの継承によってプリンゴダニ国はその独立性を完全に抹消され、アスティノ国の属領と化す。そして、その後のワヤンの世界で、サシキロノはアスティノ国の戦闘指揮官 senapati として活躍することになる。

 ガトコチョはまさしくその身を切ることで、自らの国を大国(パンダワ=アスティノ国)に受け渡す。次第に支配されていく小国の愛憎すべてを一身に引き受け、ガトコチョは戦場で果てる。プリンゴダニ側の独立性の破棄の代価として、パンダワ側からはガトコチョというスケープゴートが提供されるのだ。双方の犠牲の提供によってパンダワとプリンゴダニには和解が成立する。こうして神からその正当性を認知される理想国家アスティノは、いにしえの世界の支配者を、自らの支配のもとに属領化することに成功するのである。

 ガトコチョとプリンゴダニを巡る説話は、一つの国が大国に吸収されていく歴史的過程の説話化として読むことができよう。ジャワの人々はガトコチョとプリンゴダニ国の物語に、征服されゆく小国のゆらぎと締念、憎悪と悲しみを託した。そして征服者と非征服者双方にまたがる両義的存在であるガトコチョという人物の戦死の英雄性を讃えることで、かつて無念のうちに支配されていったあまたの小国への鎮魂の歌としたのである。

 ガトコチョとプリンゴダニの物語を、正当王権に征服された小国たちへの鎮魂として捧げたジャワは、その後の歴史のうちに自らが支配される側に貶められることとなる。オランダによる植民地支配である。マタラム王国崩壊から王家の分割へといたるオランダからの圧力は、ジャワの正当王権を支配される側の立場に追い込んだ。ここにおいてプリンゴダニ国とガトコチョの物語は、ジャワにとって自らの物語として捉え直されたのではないだろうか。ガトコチョへのシムパシーの高まりと共に彼の姿もラクササからクサトリアへと変わり、彼をめぐる演目もその数を増した。ガトコチョの叔父のひとりブロジョラマタンが生き残り、サシキロノの養育にあたるとする説も、こうしたプリンゴダニへのシムパシーの高まりと共に生まれたのではないかと考えられる。

 今のジャワでワヤン通を自認するような人と、ワヤンの人物で誰が一番好きか?といった話をするとコロ・ブンドノを挙げる人が結構いる。その話を聞くと、ガトコチョが好きな人はふつうのワヤン好きで、ワヤンを深く知る人はコロ・ブンドノやスコスロノ Sukasrana といった人物を愛するのだという。しかしコロ・ブンドノを愛するということは、畢竟ガトコチョとプリンゴダニの物語を愛しているということであろう。これなども今のジャワの人々が抑圧される側に高いシムパシーを感じる一例であろうと思う。かくてラークシャサの息子、超能力の戦士ガトートカチャは、ジャワにおいて滅びの悲しみを知り、身内の無念を一身に引き受け、祖国に身を捧げた英雄ガトコチョとして生まれ変わったのである。

 そして独立後のインドネシアで、空飛ぶクサトリア・夜戦のスペシャリストとしてのガトコチョは政治家・軍人からも人気を得た。インドネシア共和国初代大統領スカルノ Sukarna は、1960年代にガトコチョの新しいウォンド wanda 〈人形の意匠〉を三種作らせたという。現代のカルノもまたガトコチョを深く愛したのである。



(おわり)


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by gatotkaca | 2014-03-31 07:08 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ガトコチョは誰がために死す?(その1)


 『戦場の兵士たちが月明かりのもとで目覚めたときの、戦場に散った英雄の母、美しきヒディムビー Hidimbi 〈アリムビ〉のことを話そう。ガトートカチャ Gatotkaaca 〈ガトコチョ〉の死を悼み、彼女はそのあとを追うために身支度を整え、ドゥローパディー Dropadi 〈ドゥルパディ〉に暇ごいしようとしていた。そのくぐもった声は、あたかも竹が裂けるかのよう、悲痛な響きであった。


 「ああ、王女さま、悲しみにくれ、哀れに涙する者の願いを聞き届けてくださいますよう。わたしは遠くへ行くのです。わたしを見上げ、絶望なさらないで。あなたの上掛けを賜りますよう、王女よ、祖先に連なる旅に出ようとするわたしを熱から守るため、そして、パーンダヴァ Pandawa 〈パンダワ〉たちと同じ天界へ向かうわたしが困難にみまわれることのありませぬことのため。


 来世において、わたしが人に生まれ変わることができたとしても、わたしはあなたがたと離れることはけしてありません。そしてもし、ビーマ Bhima 〈ビモ〉の足下に招かれ、クシャトリアたる彼にお仕えできるなら、それにまさる喜びはありません。我が息子はパーンダヴァの戦争における、我が犠牲のともがらとなり、それはおそらくビーマの重荷を軽くするお役にたったことでありましょう。かくて彼は天界で待つことを許されたのです。」


 ヒディムビーはこのように語り、ドゥローパディーに暇ごいする。ドゥローパディーは悲しみに満ちてその心は打ち震えた。心乱れ、悲しみに震え彼女は、母に幸せを与えてくれた亡き英雄に、いまだ報いていないと感じていた美しきヒディムビーが炎の中に入ることを許した。かくて、ガンダマダナ Gandhamadana 山の頂に行ったときのことを思い起こし、ドゥローパディは泣き伏したのである。


 それから娘たるドゥローパディーはヒディムビーにたずねた。「おお、愛するお方よ、あなたの悲しいお言葉が、わたしをおおいに悲しませます。わたしは、あなたのご子息からのご親切を、けして忘れはしないでしょう。まさしく、その寛大さが彼に死をもたらしたことを、わたしは悼みます。


 今ここにわたしは誓う、王女よ。来世に生まれ変わるわたしとわたしの子らすべては、あなたをお迎えにあがります。戦場に散った今は亡きあなたのご子息もまた。我が王国の半分を差し出し、パーンダヴァすべてによって捧げられるでありましょう。彼に報いるために十分なものを差し出しましょう。」


 ドゥローパディのヒディムビーへの言葉はこのようであった。かくて彼女は祭壇に登り、クンティー Kunti 〈クンティ〉に拝跪すると、すぐさま旅立った。その旅を語るのはやめておこう。息子の亡骸の横たわるところにいたり、彼女は火の中に身を投じ、英雄たるビーマの息子とともに火葬にふされたのである。』〈「カカウィン・バーラタユダ」第19歌・13~19節〉

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 ガトコチョ Gatotkaca は、ジャワの演劇、ワヤンにおけるマハーバーラタ演目群の主要人物のひとりで、主人公パンダワ Pandawa 五王子の次兄ビモ Bima の息子である。彼はラクササ raksasa (羅刹)と人間の混血で、空を飛び、夜を見通す超能力を持つ。その心純情にして、スーパーマン、数々の演目で大活躍し、現代のインドネシアでは最高の人気を集める人物のひとりである。マハーバーラタの大詰め、パンダワ五王子と彼らを憎むコラワ Kurawa 百王子の反目は世界を二分する大戦争バラタユダ Baratayuda を惹起させる。ガトコチョは、バラタユダにおいてパンダワ五王子の父違いの兄にしてコラワ軍最高の戦士カルノ Karna と戦い、カルノの必殺の武器によって若い命を散らす。だが、彼の犠牲によってカルノは最大の武器を失い、パンダワの三男アルジュノ Arjuna との一騎打ちで、一歩おくれをとることになる。いわば、ガトコチョはパンダワ最大の難敵カルノの戦力をそぐための生贄とされたのである。

 しかし、現在みられるワヤンの物語の中で、ガトコチョの死が担う役割は、たんにカルノに対するカウンターというだけにとどまらないように思える。ジャワでのガトコチョをめぐる数々の挿話は、インド版マハーバーラタを大きく逸脱して変容している。そしてその変容はガトコチョの死の意味をも変えていると思えるのである。ここでは現在のワヤンの物語に見られるガトコチョ説話を抽出し、彼の役割の変容を考えてみたい。


 先にガトコチョは現在インドネシアにおけるワヤンの人気者であると述べた。インドネシアではたしかにそうなのであるが、マハーバーラタの本場たるインドではガトートカチャ〈ガトコチョ〉はどのように受け止められているのであろか?マハーバーラタの研究者である前川輝光氏の『マハーバーラタとラーマーヤナ』(2013年、春風社刊)には、「筆者は(中略)インド人と少し親しくなると、「『マハーバーラタ』の登場人物では誰が好きか?」という質問をするのが習慣となった。これまで優に三けたは調査したと思うが、ガトートカチャの名を挙げた人物の記憶がない。『マハーバーラタ』に取材した近現代の文学や映画などでも、ガトートカチャが特に注目されているケースを知らない。」(前掲書123~124頁)とある。どうやらインドでのガトートカチャは「あくまで物語に彩りを添える名脇役」(前掲書111頁)にすぎないようである。本家インドでは、さほど注目されないガトートカチャが、ジャワではなぜかくも人気者となったのであろうか?ジャワに入ってから加えられたガトコチョ説話の変容の中に、そのヒントがあるかもしれない。ジャワの人々が、ガトコチョに託した思いが、その変容のありように隠されているはずなのである。

 以下、現在のワヤンにおけるガトコチョの主たるエピソードを拾い上げてみよう。



ガトコチョをめぐる物語


 ガトコチョは、パンダワの次兄ビモとラスクシ raskusi 〈女羅刹〉アリムビ Arimbi の子である。アリムビはラクササの王国プリンゴダニ Pringgadani の王、プラブ・アリムボ Prabu Arimba の妹だ。実はプリンゴダニ国とパンダワには、彼らの先代からの因縁がある。まずは、そこから話を始めよう。


 1. パンダワたちの父、アスティノ国王プラブ・パンドゥ・デウォノト Prabu Pandu Dewanata は、版図拡大を目指して、プリンゴダニ王国に攻め入った。一説によれば、時のプリンゴダニ国王プラブ・トルムボコ Prabu Tremboko またの名をアリムボコ Arimbaka は、賢者たるパンドゥをおおいに敬い、彼の弟子であったとも言う。この説では、両国の関係はたいへん良好であったが、パンドゥの兄、盲目のゆえに王位を得られなかったダストロストロ Drestrastra の妃グンダリ Gundari の兄、アルヨ・スマン Arya Suman 〈後の日のスンクニ Sengkuni 〉がアスティノ国の大臣の地位を狙い画策した陰謀で戦争が惹起する。この戦いでトルムボコはパンドゥの矢に弊れたが、パンドゥもまたトルムボコのクリス keris (短剣)で傷を負い、病に伏し、やがて亡くなる。パンドゥが若くして逝去したため、アスティノ国は兄のダストロストロの手に委ねられた。〈演目 Lakon「パムクソ Pamuksa 」より〉


 2. ダストロストロの息子たちコラワ百王子、特に長兄ドゥルユドノ Druyudana はパンダワを憎み、ことあるごとにパンダワと反目する。百王子とスンクニはパンダワ殺害を計画、バレ・スゴロ・ゴロ Bale Sigala-gala の館を建設し、パンダワを招く。館には燃えやすい材料が用いられていた。パンダワたちが寝入った頃合いを見計らって、館に火がかけられた。パンダワたちはかろうじて館から脱出し、しばらく身を隠すことにする。

 身分を隠したままウィロト Wirata 国の国難を救ったのち、パンダワはカミヨコの森 Wana Kamiyaka の一画、マルトの森 Wana Marta を開拓し、アマルト Amarta 国を建設することになる。パンダワがカミヨコの森をさまよっている時、プリンゴダニ国の王女アリムビはビモを夢に見て恋いこがれ、ビモを求めてカミヨコの森にやってくる。アリムビはビモに求婚するが、ビモは彼女の言葉を疑い、アリムビを捉え打据えようとする。今にも殺されようとするアリムビを、まずは話を聞いてあげましょうと、パンダワの母クンティが庇う。クンティは「こちらへおいで、美しい娘よ。」とアリムビに声をかける。クンティは苦行により超能力を得た女性とされ、その言葉はおのずから現実となるといわれる。かくて醜いラクササの風貌であったアリムビはこの時、世にも愛らしい美しい姿に変わるのである。クンティとパンダワの長兄プントデウォ Puntadewa のとりなし、さらには美しく変わったアリムビの姿を見て、さしものビモも彼女を妻にすることに同意する。

 そこへ妹を捜して森へやって来た兄のアリムボが現れる。父トルムボコの仇を討とうとして、アリムボはパンダワに挑戦する。だが、ビモの剛力の前には歯が立たず、あえなく斃れるのである。一説によれば、いまわのきわのアリムボは、ビモにアリムビとプリンゴダニ国を託したともされる。アリムボ亡きあとのプリンゴダニ国の王位は、妹のアリムビに継がれることとなった。〈演目「バレ・スゴロ・ゴロ」「マルトの森を拓く Babad alas Wana Marta 」より〉


3. アリムビはビモの子を産む。しかし、赤ん坊のへその緒が切れない。いかなる刃物、武器を用いてもへその緒を切ることはできず、パンダワ一族は困り果てる。パンダワの三男アルジュノは神からの啓示を得ようと苦行に出る。

 この時、天界カヤンガン・ジュングリンサロコ Khayangan Jungringsaloka はビダダリ bidadari 〈天界の妖精〉ガガルマヤン Gagarmayang を妻に得ようと欲するギリンウェシ Gilingwesi 国のラクササ王コロ・プラチョノ Kala Pracona が派遣したラクササ軍の攻撃を受けていた。ラクササ軍討伐をアルジュノに託すため、天界からナロド Narada 神が地上に降下する。神の宝具たる武器スンジョト・クント Sunjata Kuntha をアルジュノに渡すためである。しかし、コラワの武将カルノが父、太陽神スルヨ Surya の手助けでアルジュノになりすまし、ナロドは誤ってカルノにクントを渡してしまう。アルジュノはクントを取り戻そうとするが果たせず、手にし得たのはクントの鞘 warangka のみであった。報告を受けたナロド神は、その鞘でビモの息子のへその緒を切るよう命ずる。クントの鞘を当てると、それまで切ることの出来なかったへその緒はたちまちのうちに切れ、鞘は赤ん坊の腹の中に吸い込まれて消え失せる。驚く一同にナロド神は言う。クントの鞘は赤ん坊に超能力を授ける。天界を救う任は、この赤ん坊に託された。しかし、この子が成長したあかつきには、クントの持つ者の手によって死にぬことになるだろうと。

 赤ん坊は、ナロド神に連れられ天界を脅かすラクササ軍の大臣パティ・コロ・スキプ Kala Sakipu と対決するが、巨体のラクササに一蹴される。神々は赤ん坊を天界の火山チョンドロ・ディムコ Candradimuka の火口に投げ入れる。さまざまな武器が放り込まれ、さらに超能力の三つの衣装が与えられ、逞しい若者の姿が現れた。神から与えられた三つの衣装とは、空を飛ぶ力を持つクタン・オントクスモ Kutang Antakusma の上着、雨にも濡れず、熱を通さぬチャピン・バスノンド Caping Basunanda の帽子、そしてあらゆる危険から身を守るポド・カチャルモ Pada Kacarma のサンダルである。若者にはプトゥット・トゥトゥコ Putut Tutuka 、またの名ガトコチョが与えられた。ガトコチョはコロ・サキプ、さらにはコロ・プラチョノを打倒し、プリンゴダニへ帰還する。かくて「鋼の筋肉、鉄の骨、汗はコーヒーの香りがする OTOT KAWAT BALONG WESI KRINGETE WEDANG KOP 」と讃えられる超能力の武将ガトコチョが誕生した。〈演目「ガトコチョの誕生 Gatutkaca Lair 」より〉


4. ガトコチョはプリンゴダニ王国の唯一の王位継承者であった。しかし、それを快く思わないガトコチョの母アリムビの弟、ブロジョドゥント Brajadenta はプリンゴダニの王位を狙っていた。もはや叔父たちの争いは避けようも無かった。デウィ・アリムビが夫のビモに従ってしばしばジョディパティ Jodipati で過ごしたので、今やプリンゴダニ王国の中枢はブロジョドゥントの手中にあった。彼は王を自称するにいたったのである。

 ブロジョドゥントの言い分では、兄プラブ・アリムボ亡き後、王位継承権は男子たる弟のものであり、アリムビのような女の身に継がれるべきではない、というものであった。ブロジョドゥントの叛意は、弟たちブロジョムスティ Brajamusti 、ブロジョラマタン Brajalamatan 、ブロジョウィカルポ Brajawikalpa に支持された。しかし下の弟たち、プロボケスウォ Prabakeswa 〈プロボケソ Prabakesa 〉とコロブンドノ Kalabendana は謀反に反対した。

 王権を守るため、ガトコチョは自らの叔父たちと戦わざるをえなかった。この戦いでブロジョラマタンとブロジョウィカルポがガトコチョの手にかかって死に、ブロジョドゥントとブロジョムスティはプリンゴダニから逃走した。ブロジョラマタンの魂は、ガトコチョの左手に宿り、護符となった。いっぽうブロジョウィカルポの魂はガトコチョの背中にあって、彼を守る強力な盾となったのである。ガトコチョはプリンゴダニ国の王となり、プラブ・コチョヌゴロ Prabu Kacanegara と称した。この名は国と民に献身する者を意味する。〈演目「ガトコチョの即位 Gatotkaca winisuda 」より〉


5. 逃走したブロジョドゥントとブロジョムスティはカヤンガン・セトロ・ゴンドマイト Kahyangan Setra Gandamayit のバタリ・ドゥルゴの庇護を求めた。バタリ・ドゥルゴによってブロジョムスティはガトコチョそっくりの姿に変えられた。そしてアスティノ国の女の館へ行き、プラブ・ドゥルユドノの妃デウィ・バヌワティ Dewi Banowati を誘惑するよう指示された。

 プラブ・ドゥルユドノとコワラ一族の怒りは激しかった。彼らは「偽のガトコチョ」を捕らえ、殺そうとしたが、失敗に終わった。コラワ一族は誰一人「偽のガトコチョ」にかなわなかったのである。コラワ一族はパンダワに義を果たすよう求めた。ガトコチョがデウィ・バヌワティに無礼をはたらいたと聞いたビモはガトコチョを探し出し、打ちのめそうとした。ガトコチョを打ちのめそうとするビモの前にパンダワの盟友プラブ・クレスノ Prabu Kresna が現れた。かくてガトコチョはアスティノ国へ行き、「偽のガトコチョ」を捕らえることを命じられたのである。

 ガトコチョは、「偽のガトコチョ」を捕らえようとしたが、その超能力に翻弄された。幸い先にブロジョドゥントを滅することができ、彼の魂がガトコチョの牙となった。ついに「偽のガトコチョ」は斃され、死のきわにその姿はブロジョムスティに戻った。ブロジョムスティの魂はガトコチョの右手に宿ることとなった。〈演目「ブロジョドゥント・ブロジョムスティ Brajadenta-Brajamusti 」より〉


6. アンドン・スマウィ Andong Smawi の苦行所のブガワン・シディ・ウォチョノ Bagawan Sidik Wacana の孫、プルギウォ Pergiwa とプルギワティ Pergiwati は、父であるアルジュノを求めて、苦行所から旅立った。チャントリクcantrik〈僧の従者〉・ジョノロコ Janaloka に護られて旅を続けていた二人はコラワ一族に出会う。コラワたちは天女のように美しい双子の姉妹「パタ・クムバル patak kembar 」を探していたのだ。その双子を見つけ出すことが、プラブ・クレスノとデウィ・プルティウィ Dewi Pertiwi の娘、デウィ・シティ・スンダリ Dewi Siti Sundari とプラブ・ドゥルユドノの息子レスモノモンドロクモロ Lesmanamandrakumara の結婚の条件であったのだ。同じくパンダワもデウィ・シティ・スンダリとアルジュノの息子アビマニュを結婚させたいと願っていた。

 コラワ一族がジョノロコに無理強いしようとして、戦いとなりジョノロコは殺されてしまう。デウィ・プルギウォとプルギワティは逃走しようとして谷に落ちるが、アビマニュと四人のプノカワン Punokawan 〈道化たち〉に救われる。この争いの中で、アビマニュはプルギウォとプルギワティが自身の異母きょうだいであることを知る。プルギウォとプルギワティを奪おうとしてコラワたちがアビマニュを襲う。戦いは避けられそうもなかった。そこへガトコチョが手助けにかけつけ、コラワたちを追い払った。ガトコチョはこのときデウィ・プルギウォに一目惚れする。〈演目「プルギウォ・プルギワティ Pergiwa-Pergiwati 」より〉


7. プルギウォとガトコチョの結婚にはいくつかのハードルがあった。しかしデウィ・プルギウォ自身はガトコチョを愛していた。二人の最大の障害はアルジュノであった。アルジュノはデウィ・バヌワティに、彼女の息子レスモノモンドロクモロとデウィ・プルギウォを結婚させる約束をしていたのである。アビマニュとデウィ・シティ・スンダリが結婚した代わりに、プルギウォをレスモノモンドロクモロにやることになったのだ。パンダワ一族の他の者たちはアルジュノの意見に反対した。そこでアルジュノは、ガトコチョに実現困難な条件を突きつけてきたのだった。

 アルジュノの出した条件とは、結婚の捧げものとして次のものを用意することであった。天界カヤンガン・ティンジョモヨ Kahyangan Tenjamaya からガムラン・ロカノント Gamelan Lokananta を持ってくること、花嫁は40人の双子の娘、脚先の白い水牛40頭に付き従われること。しかし叔父たちブロジョドゥント、ブロジョウィカルポ、ブロジョラマタン、ブロジョムスティの霊と、オントセノ Antasena 〈ビモの長男〉、アビマニュ、イラワン Irawan 〈アルジュノの息子のひとり〉らパンダワの若者たちの手助けのおかげで、すべての条件を満たすことができた。かくてガトコチョとデウィ・プルギウォは結婚し、二人のあいだに息子サシキロノ Sasikirana が生まれる。〈演目「ガトコチョの結婚 Gatotkaca Palakrama 」より〉


8. ガトコチョは兄弟たち、パンダワ一族を愛し、献身したが、とりわけアルジュノの息子ラデン・アビマニュを愛した。

 アビマニュはウィロト国王マツウォパティ Matswapati の娘デウィ・ウタリ Dewi Utari と結婚することとなった。ガトコチョは全力でアビマニュを助けた。アビマニュのために叔父コロ・ブンドノを誤って殺すことにまでなってしまった。これがガトコチョの運命に大きな影響を与えることになる。

 アビマニュは第一夫人のデウィ・シティスンダリを欺いて、ガトコチョと共にデウィ・ウタリのもとへ赴いた。アビマニュはデウィ・ウタリに、自分がまだ独身であると偽り、ガトコチョにも口裏を合わせてもらっていた。デウィ・シティ・スンダリを護っていたコロ・ブンドノは、ガトコチョとアビマニュは狩りに出かけていると思っていたのだが、不審に思い二人を探し、彼らがウイロト国の女の館にいることを突き止める。

 コロ・ブンドノはアビマニュに正直に告白するよう進めたが、受け入れられない。コロ・ブンドノは仕方なくデウィ・ウタリに、アビマニュにはすでにシティ・スンダリという妻がいることを話してしまう。コロ・ブンドノが嘘をばらしてしまったのを聞いて、ガトコチョは激しく怒る。思わず彼の頭を殴りつけると、勢いあまってコロ・ブンドノは死んでしまった。コロ・ブンドノの霊は、後の日のバラタユダでガトコチョの行為に報いを与えることを誓う。デウィ・ウタリも思わず、アビマニュを呪うのである。アビマニュは傷だらけになって死ぬことになると〈これには、アビマニュ自身の軽率な誓いを原因とする異説もある〉。

 デウィ・シティ・スンダリも呪いを受けることになった。彼女はアビマニュの片棒を担いだとスマルをはげしく罵った。怒ったスマルは、子どもができない不妊の身となるようデウィ・シティ・スンダリを呪った。〈演目「ガトコチョ・スロヨ(ガトコチョの手助け) Gatotkaca Sraya 」より〉


9. バラタユダでのスルハン Suluhan 〈(松明を灯した)夜の戦い〉がガトコチョの最後となった。ガトコチョはアディパティ・カルノと戦い、彼の持つ必殺の武器クントウィジョヨダヌ Kuntawijayadanu がガトコチョの中にある鞘に収まったのである。ガトコチョはパンダワの一族の犠牲になるため、アディパティ・カルノと対決した。神の定めにより、クントを持つ限りこの世でアディパティ・カルノは無敵であったのだ。カルノの手からクントが射放たれた時、ガトコチョは天高く飛んでこれを避けようとした。クントの届かぬ高さまで飛ぼうとしたのである。クントは届かないように見え、カルノは不安におちいった。失墜しようとするクントに黒い影が近づき、クントは再び上昇した。コロ・ブンドノの霊がクントを助け、ガトコチョのへそに突き立てたのである。クントは鞘に収まり消え失せた。ガトコチョは死の間際、自らの身体をカルノの戦車の上に落とし、カルノの戦車は粉砕された。かつての誓いのとおり、コロ・ブンドノはガトコチョに報いたのである。コロ・ブンドノとガトコチョの魂は共に天界スワルゴロカ Swargaloka に昇っていった。ガトコチョの母アリムビは戦場に散った息子の遺骸を抱きしめ、声を限りに泣いた。その声はバラタユダの戦場クルカセトロ Kurukasetra の遥か彼方まで響いた。夫ビモの許しを得て、アリムビは息子の遺骸を焼く炎に入り、この世を去ったのである。〈演目「ガトコチョの戦死 Gatotkaca Gugur 」より〉


 以上に挙げた演目とあらすじは、「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア Ensiklopedi Wayang Indonesia, SENA WANGI, 1999, Jakarta 」および「チュムポロ:ガトコチョ特集号 Cempala Edisi Gatotkaca , Juli 1996, P.T.Daniasta Perdana 」の記事をとりまとめたものである。各演目の展開には、異説もあるが、それについては後述する。この他にもガトコチョが主役となる演目は多数あり、枚挙にいとまがないが、とりあえずここに挙げた演目でガトコチョの生涯と彼を取り巻くプリンゴダニ国の説話の大筋はつかめると思われる。



プリンゴダニ国説話の源流


 まず1.に挙げたアスティノ国王パンドゥとプリンゴダニ国のプラブ・トルンボコの争いとそれに伴うほぼ相撃ちの結末は、ジャワ独自の設定であり、インド版マハーバーラタには存在しない。そもそもインド版にはプリンゴダニという国は無いのである。ジャワにおいても、ヒンドゥー国家時代のカカウィン Kakawin 文学作品ではまだ登場していない。カカウィン文献でガトコチョが登場するのは、12世紀クディリ Kediri 王国のジョヨボヨ Jayabaya 王時代に成立した「カカウィン・バーラタユダ Kakawin Bharatayuddha 」(ムプ・スダ Mp Sedah 、ムプ・パヌル Mp Panulu 作)と同じく12世紀クディリのジョヨクルト Jayakreta 王時代に成立した「カカウィン・ガトートカチャスラヤ Kakawin Gatotkacasraya (ガトートカチャの手助け)」(ムプ・パヌル作)の二つであるが、いずれにもプリンゴダニ国の設定は無い。

 プリンゴダニ国の設定がいつ頃生じたのかはよくわからない。だが、中部ジャワのラウ山 Gunung Lawu にはその名もプルタパアン・プリンゴダニ Pertapaan Pringgodani と呼ばれる苦行所があり、その伝承ではマジャパヒト王国最後の王、プラブ・ブロウィジョヨ Prabu Brawijaya 五世がラウ山に逃れ、一帯を支配し、苦行所を開いたとされる。。『プリンゴダニ Pringgodani 』という語は、竹から転じて人を意味するプリン Pring 、場所意味するンゴン Nggon 、そして精進・修正を意味するンダダニ Ndadani の縮まったンダニ Ndani から成るとされ、『自身を精進させる場』を意味するという。そしてこの地の民話として人食いのボコ Baka 王が、プリンゴダニの苦行者に退治されるという物語が伝えられている。この物語はマハーバーラタにあるエーカチャクラーのバカ王をビーマが退治する物語と酷似した内容であり、このマハーバーラタのエピソードは、ビモによるエコチョクロ Ekacakrra 国のボコ王 Prabu Baka 退治として現在のワヤンでもよく知られた話である。

 また、ムラピ山 Gunung Merapi の南方にあるカリウラン Kaliurang 地域にもプリンゴダニ宮殿の伝説が伝えられているという。それによればカリウランのプラワンガン Plawangan にハリ Hari 〈アリ〉一族の支配する王国があった。その名がプリンゴダニ国であり、王の名はハリムボコ Harimboko 、またトルムボコ Tremboko といった。この王は人食いの魔王であった。あるときこの国を訪れたブロトセノ Bratoseno という名の若者が生贄の身代わりを申し出た。王の娘ハリムビ Harimbi はブロトセノに恋し、父王に今回は見逃してくれるよう懇願したが、王は許さず、ブロトセノと闘いとなり、斃された。トルムボコの死後、王位は長男のハリムボ Harimbo が継いだ。妹のハリムビはブロトセノとの結婚を願ったが、ハリムボは許さず、彼女を追放した。ハリムボは父の仇を討とうとしてブロトセノと戦ったが斃された。兄の死後、ハリムビが王位を継いだという。この物語は、ワヤンに見られるプリンゴダニ説話との共通性が見られる。これらの説話がどのような経緯で成立したのかは定かでは無いし、ワヤンのプリンゴダニ国説話とこれらの民話の成立のどちらがより古いのかも確かなことはわからない。しかし、プリンゴダニ国という名が、「かつて存在し、大国に制服・吸収された小国」というイメージを背負っていることは指摘できるであろう。


(つづく)

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by gatotkaca | 2014-03-30 01:52 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

無敵の呪文チョンドロビロウォ

 ● チョンドロビロウォ Candrabirawa 〈チョンドビロウォ Candabirawa ともいう〉は、ワヤンの物語に登場する超能力の呪文である。マハーバーラタの大詰め、パンダワ一族とコラワ一族の大戦争バラタユダ Bharatayuda で最後の指揮官 Senapati となるサルヨ Salya 王の秘密兵器だ。その呪文を放つと、小人姿のラクササ(羅刹)が現れる。このラクササは一人倒すと二人、二人が四人と倍々で増えていき敵を殲滅するという無敵の能力である。ただ、無抵抗の者を相手にこの呪文を使うと、効果が無く、かえって術者の力が無になるというデメリットを持つ。ワヤンに関するブログでチョンドロビロウォの新解釈を見つけたので以下に紹介する。


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チョンドロビロウォの始まり


 始まりは、アルジュノ・ソスロバウ Arjuna Sasrabahu の時代、スマントリ Sumantri /パティ・スウォンド Patih Suwanda の物語からである。パティ・スウォンドは本来スリ・ウィサングニ Resi Wisanggeni の子で、スマントリといい、弟はラクササの顔をした侏儒のスクロソノ Sukrasana 〈一般にはスコスロノ Sukasrana と呼ばれる〉である。ルシ・ウィサングニはルシ・バルゴウォ Resi Bhargawa の兄である。ルシ・バルゴウォは自分自身を殺してくれる者を探して世界中を旅していたーーアルジュノ・ソスロバウを殺し、のちにロモ Rama の手で死を賜ることになる。ルシ・ウィサングニの教えでスマントリは超能力をそなえた勇者たるクサトリアとなり、スクロソノはラクササでありながらもひじょうに高潔な人柄であった。

 ある時、スマントリとスクロソノは森の中を歩いていた。スクロソノは身体が小さかったので疲れてしまい、休みを取りたがった。休みを取ると、スクロソノはぐっすり眠ってしまい、そこへ腹を空かせたラクササがやって来て、スマントリとスクロソノを食おうとした。スマントリは弟をすばやく隠し、自分は森の中に逃げた。十分に離れ、安全な場所にスクロソノを寝かせると、スマントリはラクササを防ごうとした。闘いは互角で、スマントリはラクササを倒すことができなかった。スマントリが力尽きそうになった時、バトロ・インドロ Betara Indra が来て、チョクロビスウォロ Cakrabiswara という矢を渡した。スマントリがすぐさまその矢を射放てば、ラクササはたいまち斃れた。ラクササを倒すと、スマントリはすぐさま弟のスクロソノを探した。スマントリは、森の野獣たちがスクロソノを取り巻いて護っているのを見て、おおいに驚いた。スマントリはスクロソノに尋ねた。森の野獣たちを従える呪文でも持っているのかと。スクロソノは答える。何の呪文も持ってはいない、ただ彼は、子供の頃から森の獣たちを邪魔したり傷つけたことは一度も無いのだという。二人の兄弟は苦行所に帰り、起こった出来事をルシ・ウィサングニに話した。サン・ルシの答えはこうであった。チョクロビスウォロを持つ者はバトロ・ウィスヌ Betara Wisnu に愛される者であり、森の獣たちに護られる者は高貴なる内面を持ち、バトロ・ダルモ Betara Dharma に愛される者である、と。


 それから間もなく、スマントリはルシ・ウィサングニから超能力の教えを授かった。サン・ルシは言った。スマントリは勇敢なクサトリアとなり、彼に適う者はいくらもいないだろう、と。スマントリは、自身の習得した力を世の人々のために役立てたいと、ルシ・ウィサングニの苦行所を旅立った。つらい気持ちでルシ・ウィサングニは許しを与えた。スマントリは公正なる賢者として知られるマヤスパティ Mayaspati /マエスパティ Maespati 国王プラブ・アルジュノ・ソスロバウに仕えなければならない。弟には言わず、というのもスマントリはスコスロノを連れて行けば、彼の姿が笑いものにされると恐れたのだ。スマントリはスクロソノが寝入っている間に出発した。


 目覚めると、兄がいなくなっていたのでスクロソノはうろたえた。スクロソノはルシ・ウィサングニに、兄がどこへ行ったのか尋ねた。事情を知ったスクロソノは、兄と別れ難く、彼を探しにマヤスパティ国へ向かった。途中、スクロソノは疲れてしまい、大きな木の木陰で休んだ。とつぜん木の中から大きな音がして驚いた。音をたてたのはチョンドロ・ビロウォ Candra Birawa であった。チョンドロ・ビロウォはバトロ・ダルモに愛される者の到来を待っていたのである。そしてスクロソノの体内に入魂しようとした。スクロソノはうろたえて、チョンドロ・ビロウォのことを尋ねた。チョンドロ・ビロウォは答えた。彼はもともと天界 Swargaloka を攻めたラクササたちである。ラクササたちは神々に敗れたが、バトロ・グルによって一つの身体にされ、チョンドロ・ビロウォと名付けられたのである。だが、チョンドロ・ビロウォは不用意に地上 mayapada をうろついてはならない。彼はバトロ・ダルモに愛される者/その化身と一体でいなければならないのだ。というのも間違った人間の手にあれば、チョンドロ・ビロウォは地上に大いなる災いを招くからである。説明を聞いてもスクロソノはまだチョンドロ・ビロウォが身体に入ることを認めなかった。チョンドロ・ビロウォは、彼と一体になれば、スクロソノは強く頑強になり、困ったことがあればチョンドロ・ビロウォを呼び出し手助けを得ることが出来ると話した。チョンドロ・ビロウォは闘いにおいて、とてつもない力を発揮する。というのも、その血の一滴一滴が新たなチョンドロ・ビロウォを生み出すからである。スクロソノはようやく同意し、チョンドロ・ビロウォは彼の体内に入った。スクロソノは心の内で、チョンドロ・ビロウォは兄弟のスマントリにこそ相応しいと思うのだった。


 いっぽうスマントリはデウィ・チトロワティ Dewi Citrawati を獲得することに成功し、アルジュノ・ソスロバウに仕えることができた。スマントリは無敵の王であるアルジュノ・ソスロバウ戦うはめにもなった(スマントリはアルジュノ・ソスロバウと互角に戦ったが、王は怒って恐るべきトゥリウィクロモを発現した。これはアルジュノ・ソスロバウがバトロ・ウィスヌの化身であることの証である)。その後、デウィ・チトロワティは天界のスリ・ウェダリ Sri Wedari の園をマヤスパティ国に移してほしいとアルジュノ・ソスロバウに懇願した。深く考えずにスマントリはデウィ・チトロワティの要求を受け入れた。かくてアルジュノ・ソスロバウとデウィ・チトロワティは宮殿に入り、スマントリひとり残された。スマントリは困り果ててしまった。スリ・ウェダリの園をどうやって移動させたらいいのか見当がつかなかったのである。茫然としているところへ、スマントリを探していたスクロソノがやって来た。スマントリは弟を見て喜んだが、マヤスパティまでの長く危険な道のりをこえて弟が無事やってきたことに驚いた。スクロソノは彼の身体にチョンドロ・ビロウォが宿ったことを話した。話を聞いたスマントリも喜んだが、スリ・ウェダリの園を移さなければならないことを思い出し、また憂鬱になってしまった。スクロソノは兄に気がかりなことがることに気づき、尋ねた。スマントリはスリ・ウェダリの園移転の約束のことを話した。スクロソノはチョンドロ・ビロウォの助けを借りれば、約束を果たせるだろうと思った。呪文を唱えるとチョンドロ・ビロウォがスクロソノとスマントリの前に現れた。スクロソノは兄の窮状をチョンドロ・ビロウォに伝えた。チョンドロ・ビロウォはスリ・ウェダリの園を望んでいるのは、バトロ・ウィスヌの妃の化身であるに違いないとわかった。チョンドロ・ビロウォは問題なく仕事を果たすことが出来ると言い、スクロソノとスマントリに、園を移しているあいだ、五感 panca indra を閉じているようにと頼んだ。チョンドロ・ビロウォは何千にもなり、スリ・ウェダリの園は天界からマヤスパティに移されたのである。

 仕事に成功し、スクロソノは兄と共にマヤスパティ国に仕えたいと考えた。スマントリは我慢できず、スクロソノに苦行所へ帰るよう命じた。しかしスクロソノが言うことを聞かないので、スマントリはチョクロビスウォロを構えて弟を脅した。思いもかけずスクロソノがよろめき、チョクロビスウォロは彼の身体に刺さってしまった。今際の際にスクロソノは兄に言った。チョンドロ・ビロウォをスマントリに渡すことができなかった。来世に再びスクロソノが兄の近くに生を受けられるように神に祈ろうと。


 時うつり、スマントリはノロソモ Narasoma (プラブ・サルヨ Prabu Salya )に生まれ変わり、いっぽうスクロソノ(とチョンドロ・ビロウォ)はラクササだが侏儒ではないルシ・バガスパティ Resi Bagaspati に生まれ変わった。


 ルシ・バガスパティにはデウィ・プジョワティ Dewi Pujawati という娘がいた。ノロソモが狩りに出たとき、デウィ・プジョワティに出会い、その美しさにたちまち恋に落ちた。ノロソモはデウィ・プジョワティと共にルシ・バガスパティに会いにいった。


 ルシ・バガスパティに尋ねられ、二人は互いに恋に落ちたのだと答えた。ノロソモとプジョワティはルシ・バガスパティに結婚を許された。ノロソモは妻のプジョワティを深く愛したが、プジョワティにあなたの愛はどれほどのものなの?と聞かれたとき、清められた白米のようなものだと答えた。そしてノロソモはその白米は残念なことに籾の中にあると付け加えた。プジョワティはノロソモの答えに不安になり、ルシ・バガスパティに尋ねた。賢者であるサン・ルシは、ノロソモの意図を察した。王国の皇太子である彼はラクササの義父を持ちたくないのである。サン・ルシはプジョワティにノロソモを呼ぶよう命じた。ノロソモがやって来ると、ルシ・バガスパティは自身の身体の中にはチョンドロ・ビロウォという超能力の精霊が宿っているということを話した。


 プジョワティを大切にすると誓うなら、ルシ・バガスパティはチョンドロ・ビロウォを与えようと言う。二人は瞑想しチョンドロ・ビロウォはルシ・バガスパティからノロソモの体内に移動した。サン・ルシが息を整えさらに瞑想を続けると、彼の身体は視界から消え失せたのである。プジョワティはそれを見て驚き、涙した。ノロソモの耳にサン・ルシの声が聞こえた。真実彼はスクロソノの生まれ変わりであり、ノロソモに生まれ変わった兄スマントリの近くにいたかったのだと。ルシ・バガスパティは苦行でノロソモの伴侶たる女の子を得、チョンドロ・ビロウォも譲り渡すつもりであった。しかし、残念ながらノロソモはルシ・バガスパティに対して、スマントリがスクロソノにしたのと同じ過ちを犯した。バガスパティの次のバトロ・ダルモ神の化身/彼に愛される者に気をつけよ、そなたはその者によって死を与えられるであろう。ノロソモの耳に予言が聞こえた。かくてノロソモは王となり、プラブ・サルヨと称した。


 大戦争バラタユダ Bharatayuda において、プラブ・サルヨは、カルノ Karna (ビスモ Bisma 、ドゥルノ Dorna 、カルノ、サルヨの順である)に代わってアスティノ Hastina 国の総司令官に任命された。

 プラブ・サルヨが戦場に現れたのを見たスリ・クレスノ Sri Kresna はただちに彼が危険な敵であることを認識した。すべてのパンダワ軍に、彼と戦うことを禁じたのである。ビモは奢って言った。プラブ・サルヨは年老いて超能力を減らしている。俺が勝つ、と。スリ・クレスノはビモとアルジュノ Arjuna に言った。プラブ・サルヨはチョンドロ・ビロウォを持つ。侮ってはならないと。

 戦いが始まるとすぐさまビモはコラワ軍に突進した。プラブ・サルヨは軍司令官としてビモを粉砕するため前線に立った。プラブ・サルヨはビモを圧倒し、チョンドロ・ビロウォを呼び出した。ビモもチョンドロ・ビロウォに対し奮戦したが、しだいに疲れ果てて来た。チョンドロ・ビロウォは猛威をふるい続けていた。兄の劣勢を見たアルジュノは矢を射はなった。アルジュノの矢がチョンドロ・ビロウォを傷つけると、その血の一滴一滴が新たなチョンドロ・ビロウォになった。ビモはチョンドロ・ビロウォに圧倒され、パンダワ軍はしだいに壊滅に追い込まれていった。

 この状況を見たスリ・クレスノはすぐさまアルジュノのもとへ駆けつけ、チョンドロ・ビロウォを射るのを止めさせた。そしてスリ・クレスノは軍の後方へ向かった。ユディスティロ Yudistira に会うためである。スリ・クレスノは言う。パンダワ軍の勝利のため、プラブ・サルヨを負かし得るのは、バトロ・ダルモの化身たるユディスティロ以外にはいない。戦場に立ってほしい、と。ユディスティロはナクロ Nakula を馭者として戦場に立ち、プラブ・サルヨと対峙した。ユディスティロはプラブ・サルヨに、無礼に対する許しを乞うた。プラブ・サルヨは答えた。戦場に無礼などない。王として軍を勝利に導くのはユディスティロの責務なのだと。ユディスティロは生涯人を傷つけるつもりは無い、自分自身を犠牲に差し出す代わりに、チョンドロ・ビロウォをプラブ・サルヨの体内に収めてほしい、と答えた。チョンドロ・ビロウォはその仕事を終えるまで、戻すことは出来ない、つまりパンダワ軍を殲滅するまでである。ユディスティロは仕方なく弓と矢を手にした。しかしユディスティロはプラブ・サルヨに向けて矢を放つ気にはなれず、下に向けて放っただけであった。不思議なことに、ユディスティロの矢は地面に当たると跳ね返り、プラブ・サルヨを射抜いたのである。ルシ・バガスパティの言葉通り、プラブ・サルヨは戦死したのであった。


 余談だが、実はチョンドロ・ビロウォがその仕事を終えないうちに回収されるということがかつてあったのである。これはノロソモがデウィ・クンティをかけてパンドゥ Pandu と争った時ののとである。パンドゥはサユムボロ sayembara 〈嫁取り競技〉で勝利したが、ノロソモは妹のデウィ・マドリム Dewi Madrim を賭けてパンドゥに挑戦して敗れ、マドリムはパンドゥの妃となった。超能力のパンドゥを相手に、ノロソモはチョンドロ・ビロウォを呼び出した。パンドゥは重代のクリスでチョンドロ・ビロウォを切り裂いたが、チョンドロ・ビロウォは増えていく。パンドゥは劣勢になった。パンドゥは、助けを得なければ一人で戦えないのかとノロソモを罵った。ノロソモは傲然と言い放った。パンドゥも二人の兄弟の助けを得れば良いと。そしてダストロストロ Dastrastra が出てチョンドロ・ビロウォに踏みにじられるのを見てあざ笑った。ノロソモに罵られてダストロストロは怒り、ウィドロ Widra に出るよう言った。ダストロストロはすぐにウィドロに戻るよう指示し、パンドゥに自分のところへ来るよう命じた。利口なパンドゥは兄の計画にすぐ気付き、彼の方を向いた。ダストロストロに向かうパンドゥをチョンドロ・ビロウォが追いかけると、パンドゥは兄の後ろに隠れ、ダストロストロがアジ・クムボログニ Aji Kumbalageni を放った。恐るべき呪文アジ・クムボログニは、ダストロストロの触れるものすべてを粉砕するのである。チョンドロ・ビロウォはその超能力に耐えきれず、ノロソモの体内に戻った。パンドゥは稲妻の速さでノロソモを攻め、パンドゥの一撃でノロソモは吹っ飛んだ。ノロソモは敗北を認め、パンドゥにデウィ・マドリムを与えると去っていった。


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 ● チョンドロ・ビロウォとスコスロノの結びつき、およびスマントリとスコスロノが、サルヨとバガスパティに生まれ変わるというのは新しい解釈だ。本来スマントリ・スコスロノとサルヨ・バガスパティには何の関係も無い。物語のソースが全然別物だから。しかしこの二つの物語には類似した点が多く、こうして繋いでみるとかえって分かりやすくなる気もする。二つの物語を生み出したジャワの精神的な土壌といったものが見えて来るからだ。こういった新解釈も受けがよければ定着していくのかもしれない。事実ワヤンの物語はそういった繰り返しで変容して来ているのだから。
 チョンドロビロウォの起源説でもう少し古いと思われるのは、チョンドロビロウォが蛇の神アナンタボゴ Batara Anantaboga の鱗から生まれたというものである。アナンタボゴの鱗は千年に一回生え変わるが、あるとき天界の至高神ブロト・グル Batara Guru 〈インドでのシヴァ神〉がその鱗から無数の魔物チョンドロビロウォを創り、バガスパティを襲わせた。バガスパティはその超能力でチョンドロビロウォを調伏し、以来チョンドロビロウォは彼のものとなったという。グルがバガスパティにチョンドロビロウォを差し向けた理由はいまいち分からないが、まあ、そういう話である。
 チョンドロビロウォの文学史的な出所はたぶん12世紀に成立した「カカウィン・バラタユダ Kakawin Bharatayuddha 」ではないかと思われる。サルヨ王はインド版マハーバーラタではシャリヤ王で、十八日間の大戦争の最後の総司令官になる人物である。インド版ではそれほど目立ったエピソードの無い、どちらかというと地味な存在なのだが、ジャワのワヤンでは様々な話が追加され、彼を巡る物語は一大メロドラマとなっている。その嚆矢が「カカウィン・バラタユダ」で、シャリヤの妃スティヤワティーの殉死〈サティー sati 〉が高らかに歌い上げられている。
 その「カカウィン・バラタユダ」で総司令官となったシャリヤが使う武器がルドラローサ Rudrarosa という矢で、彼がマントラ(呪文)を込めてこの矢を放つと、ブータ、ダイティヤ、ヤクシャ、アスラといった魔物たちが戦場に溢れ出し、敵を殲滅するとある〈「Kakawin Bharatayuddha : Cant 40-8 〉。
 もうひとつ、チョンドロビロウォの特徴として、無限に増え続け敵対者を殲滅するが、無抵抗の者には効果が無いという点から、インド版マハーバーラタでドローナの死に激怒した息子のアシュバッターマンが使う『ナーラーヤナ』という武器も、チョンドロビロウォの元ネタではないかと思われる。「ナーラーヤナ」も無敵の武器だが、武器を棄て、戦意を持たない者には無効なのである。
 ジャワでは、地味なシャリヤ王に華を持たせるため、本来アシュバッターマンの武器だったものがシャリヤの手に移り、チョンドロビロウォという呪文が出来上がったのではなかろうか。その代わりというか、ジャワでのアスウォトモ Aswatama〈アシュバッターマン〉は全く生彩を欠いてしまいボンクラ扱いである。



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by gatotkaca | 2014-03-26 17:16 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの物語の源流

 ワヤンの物語は、インドネシアの古伝承と、インド起源の叙事詩を源泉とする。これらは宮廷文化圏での翻訳・翻案と、民間での需要の相互作用によって変容を繰り返し、今日にいたった。マハーバーラタ、ラーマーヤナもその中で大きく変容した。その変容過程の大部分は歴史の闇の中だといってよいが、王宮文化圏は、民間での変容も取り込んで、一定の秩序だった定説を文学作品として成立させてきた。ジャワにおけるワヤンの物語の変容過程は、王宮と民間の文学作品を比較検討することである程度追って行けると考えられる。以下のブログにワヤンの物語の底本というべき諸文献が紹介されていたので以下に訳す。ここに記された文献をあたれば、ワヤン物語の変容過程があるていど見えてくるであろう。

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ワヤンの物語の源流


 ご承知の通りワヤンは先史時代からのインドネシア独自の国民的文化であり、後の時代においては、ヒンドゥー文化の影響を受けた。ジャワ元来の物語は今も生き続けている。パウコン Pawukon 〈ジャワの五曜〉のもととなったプラブ・ワトゥグヌン Prabu Watugunung の物語や、米の起源を語るプラブ・ミククハン Prabu Mikukuhan の物語、さらにスマル Semar 、ガレン Gareng 、ペトロ Petruk 、バゴン Bagong も古代インドネシアのワヤン〈の人物〉である。


 ヒンドゥー文化圏を源流とする物語は、ラマヤナ〈ラーマーヤナ〉 Ramayana とマハバラタ〈マハーバーラタ〉 Mahabarata である。ラーマーヤナは詩仙ヴァールミーキ Walmiki の作とされ、マハーバーラタはヴィヤーサ Wiyasa の作であると言われている。ラーマーヤナとマハーバーラタの物語はジャワのみならずアジア一帯の文学世界で著名である。そしてラーマーヤナやマハーバーラタは、宗教、哲学、政治、社会、人格形成、家族観、ヒロイズム、美徳といった諸概念の生の指針(pepakem)として大きな影響力を持つこととなった。


 ラーマーヤナの主題はシント〈シーター〉 Shinta をめぐってのラウォノ〈ラーヴァナ〉Rahwana とロモ〈ラーマ〉Rama の戦いであり、いっぽうマハーバーラタの主題は、アスティノ Hastina 国をめぐるパンダワ〈パーンダヴァ〉Pandawa とコラワ〈カウラヴァ〉Kurawa の戦争、バラタユダ Bharatayuda である。二つの叙事詩のテーマが女性と土地にあることは明らかだ。これらのテーマは人の世で普遍性を持つものである。ジャワには「Sedumuk bathuk senyari bumi dipun labeti pecahing dhadha wutahing ludira 〈ひとりの妻、猫の額ほどの土地には命を賭ける値打ちがある〉」という言葉があるではないか。高貴なる価値を内包するラマヤナとマハバラタの物語は我らの祖先たちによって、その価値観と適合するよう変容させられ、インドネシア独自のものとなっていった。ラマヤナとマハバラタには古代ジャワ語による写本がある。


 また、二つの叙事詩を母体(babon)とした新しい作品も作られ、ワヤン・プルウォ Wayang Purwa の上演で取り上げられたのである。その二つはワヤン・プルウォのラコン lakon 〈演目〉のパクム pakem 〈上演のあらすじ〉の母体として発展した。ダラン dalang 〈ワヤンの演者〉が手本とする諸文献には以下のものが挙げられる。

1. ラマヤナの書 (ディヤ・バリトゥン時代、西暦900年)Kitab Ramayana (Jaman Dyah Balitung 900 M)
2. ウッタラカンダ(デウィ・シントの息子ラワとクシャの誕生と大地に呑み込まれて死ぬデウィ・シントの物語) Utarakandha 

(menceritakan lahirnya Kusa dan Lawa putera Dewi Sinta dan 

matinya Dewi Sinta terperosok ke Bumi)
3. アディパルワ(ダルモウォンソ時代、デウィ・ロロ・アミス、バレ・スゴロ・ゴロ、プクシ・デウォト、アリムボの死を含む)Adiparwa

 (Jaman Darmawangsa, terdapat cerita Dewi Lara Amis, Bale Segala-gala, Peksi Dewata dan matinya Arimba)

4. サバパルワ(パンダワの骰子賭博)Sabhaparwa (cerita Pandawa Dadu)

5. ウィロトパルウォ(パンダワがウィロト国に隠れ住む) Wirataparwa (Para Pandawa mengabdi di Wirata)

6. ウディヨガパルワ(クレスノ・グガ)Udyogaparwa (Kresna gugah)

7. ビスマパルワ(ビスモの戦死)Bismaparwa (Bisma Gugur)

8. アスラマワサナパルワ(デゥレストロスト〈デゥトロストロ〉の死)Asramawasanaparwa (cerita Drestarasta mati)

9. マオサカパルワ(ウルシとヤドゥ族の滅亡)maosalaparwa (cerita matinya darah Wresni dan Yadu)
10. プラスタニカパルワ(パンダワの昇天)Prastanikaparwa (cerita Pandawa Puterpuja)

11. アルジュナウィワハ(ムプ・カンワ作、アイルランガ王時代、ワナパルワからの翻案、後にミントロゴまたブガワン・チプトニンの物語となる)Arjunawiwaha (Karya Mpu kanwa jaman raja Erlangga gubahan dari kitab wanaparwa yang akhirnya menjadi cerita Mintaraga atau Begawan Ciptoning)

12. クレスナヤナ(クディリ時代、西暦1104年、ワヤンのクレスノ・クムバンの物語となる)Kresnayana (Jaman Kediri 1104 M di dalam seni pedalangan menjadi cerita Kresnakembang)

13. ボマカウヤ(クレスノによるプラブ・ボモの死)

14.. バラタユダ(ムプ・スダ、パヌル作。クディリ、プラブ・ジョヨボヨ時代)Baratayuda (Karya Mpu Sedah dan Panuluh pada jaman kediri, Prabu Jayabaya)

15. ガトカチャスラヤ(アビマニュとシティ・スンダリの結婚) Gathutkacasraya (Perkawinan Abimanyu dan Siti Sendari)
16. アルジュナウィジャヤ(ウッタラカンダの本案。プラブ・ドソムコとドノロジョの戦い〈アルジュノススロバウとの戦いを含む〉)

17. コロワスラマ(ウィロトパルウォの物語) Korawasrama (cerita Wirataparwa)
18. デウォルチ(ジャワの宮廷詩人エムプ・チワムルティ作)Dewaruci (Karya pujangga jawa Empu Ciwamurti)

19. スダマラ(ルワタンに属する物語)Sudamala(tergolong cerita ruwatan)
20. マニクモヨ(カルトスロ時代、イスラム教到来後)Manikmaya (Yasan jaman Kartasura, setelah orang jawa menganut agam Islam)

21 カンド(スラット・カンド)カルトスロ時代、ヒンドゥーの物語がジャワ、イスラムと混成し始める

22. ヨソディプロによるバラタユダ(スラカルタ時代)Bhartayuda yasadipuran jaman Surakarta

23. アルジュノソスロ(ロコポロ)ヨソディプロ二世、アルジュナウィジャヤからの抜粋 Arjunasasra (Lokapala) Yasadipuran II petikan dari kitab Ajuna Wijaya

24. アルジュノソスロバウ(キヤイ・シンドゥサストロ作、パクブウォノ七世時代、この書にはスラット・カンドを母体とするスグリウォ・スバリの物語が含まれる)Arjunasasrabahu (karagan Kyai Sindusastra jaman PB VII, dalam kitab tersebut terdapat ceritera Sugriwa Subali dengan mengambil babon serat Kandha)
25. キタブ・パロモヨゴ(ラデン・ンガベイ・ロンゴワルシト作、ナビ・アダムの物語から、ジャワの地に人があふれるまでの物語)Kitab Paramayoga (karya R. Ng. Rangawarsito isinya menceritakan Nabi Adam dan keturunannya sampai jaman Tanah Jawa dihuni oleh manusia)

26. プストコロジョプルウォ(キ・ンガベイ・ロンゴワルシト作、ワヤンの物語) Pustakarajapurwa (karangan Ki Ng. Rangawarsito memuat cerita wayang)


 このように幾多の源流が、ワヤン・プルウォ上演芸術の物語のパクムの母体となった。新作の演目 Lakon carangan は今日も増え続け、スラカルタ芸術大学 STSI のプロジェクトが収集したワヤンの新しい物語もさらにワヤンのレパートリーに追加されている。


25, OCT, 2006, by wayang in Wayang Asal Usul )




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by gatotkaca | 2014-03-19 12:09 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

シマ女王について

 ●前回紹介した記事にあったシマ女王の話は今年2014年、舞台化されたらしい。「RATU SHIMA
Kembalinya Sang Legenda dari Kalingga」と題され、舞踊劇としてジャカルタで公演されたということである。〈この情報はフェイスブックでFaizal Ahmad氏よりお知らせいただいた。深く感謝いたします。〉
 なかなか面白そうな舞台のようで、機会があれば、映像だけでも見てみたい。その舞台の公式ホームページにシマ女王に関する情報が載っていたので紹介する。

シマ女王について

カリンガ Kalingga のシマ女王
 カリンガまたの名ホ・リン Ho-ling (訶陵:支那の歴史書での名)は、6世紀頃中部ジャワにあったとみられるヒンドゥー教国家である。王国の中心部は、現在のカブパテン・プカロンガン Kabupaten Pekalongan とカブパテン・ジュポロ Jepara の間のどこかにあったと考えられている。この王国の歴史的資料は未だに不明確かつ曖昧なもので、支那の歴史書の記載に負うところが大きい。地域の伝承と、後世16世紀に書かれたチャリタ・パラヒヤンガン Carita Parahyangan 写本に、シマ女王とガル Galuh 王国との関係が端的に記されているにすぎない。6世紀にカリンガ王国が存在していたことは、支那の歴史書の記述から分かっている。シマ女王統治下のこの王国には、盗みをはたらいた者は誰あろうと、その手を切断するという法があった。

地域伝承
 中部ジャワ北部には、高潔な正義の実現と誰あろうと正直であることを目指したマハラニ Maharani という人物の伝承がある。この伝説は、民につねに正直であることを求め、盗みを厳しく取り締まったシマ女王の物語である。彼女は、盗みをはたらいた者の手を切断するという、厳格な法を施行した。ある時海の向のある王が、カリンガ王国の民が正直で法を遵守するという噂を聞いた。それを試そうと、彼は金を袋に入れ、市場の辻に置いた。しかし、他人の物にあえて触れる者は、カリンガの人々の中には一人もいなかった。三年後、その袋に皇太子が誤って触れてしまった。シマ女王は息子に死刑を宣告したが、家臣たちは皇太子の罪を許すよう女王に願い出た。他人の物に触れたのは王子の足であるとして、王子は罰として足を切り落とされたのであった。

チャリタ・パラヒヤンガン Carita Parahyangan
 チャリタ・パラヒヤンガン写本の6世紀頃のことに関する記載によれば、マハラニ・シマ・パルワティ Maharani Shima Parwati の娘が、マンディミニャク Mandiminyak という名で、後に第二代の王となったガル王国の皇太子と結婚したという。マハラニ・シマの孫、サナハ Sanaha は、ガル王国第三代の王、ブランタセナワ Brantasenawa と結婚した。セナハとブランタセナワはサンジャヤ Sanjaya という子をもうけ、後に彼はスンダ Sunda 王国とガル王国の王となった(西暦723年〜732年)。

 マハラニ・シマが西暦732年に崩御した後、サンジャヤは曾祖母のあとを継ぎ、後にブミ・マタラム Bumi Mataram と呼ばれた北カリンガ王国の王となり、かくて古マタラム王国のサンジャヤ王朝 Wangsa Sanjaya が確立した。

 西ジャワの王権はトゥジャクンチャナ Tejakencana の息子、タムプラン・バルマウィジャヤ Tamperan Barmawijaya またの名ラクヤン・パナラバン Rakeyan Panaraban に譲られた。後にサンジャヤ王は南カリンガ、またブミ・サムバラ Bumi Sambara のデワシンガ Sewasinga の娘、スディワラ Sudiwara と結婚し、息子のラカイ・パナンカラン Rakai Panangkaran をもうけた。

 5世紀にホ・リン(カリンガ)王国の記録が現れ、それは中部ジャワ北部にあったと推定される。ホ・リン王国に関する記録は、プラサスティ Prasasti 碑文と支那の史書に見られる。752年にホ・リン王国はスリウィジャヤ Sriwijaya に征服され、すでにスリウィジャヤに征服されていたマラユ Malayu やタルマナガラ Tarumanagara と共に、ヒンドゥー貿易網の一部となった。その三国はスリウィジャヤ・ブッダ貿易網の強力な強豪相手であった。

支那の資料
 ホ・リン王国の存在に関する資料は、唐 Tang 王朝時代の義淨 I-Tsing(ぎじょう、唐の僧。635年(貞観9年)〜 713年(先天2年))の記録にも見られる。

唐王朝の記録
 唐時代(618年〜906年)のホ・リン王国に関する記録は以下のようなものである。

● ホ・リンまたはジャワと呼ばれる国が南海にある。その北方にはタ・ヘン・ラ Ta Hen La (カムボジア)があり、東方にはポ・リ Po-Li(バリ島)がある。そして西方にはスマトラ島がある。
● ホ・リンの首都は丸太で作られた城壁に囲まれていた。
● 王は背の高い建物に住み、その屋根は葉で作られ、玉座は象牙で作られていた。
● ホ・リンの住民はヤシ酒作りに長けていた。
● ホ・リン地域はべっ甲、金、銀、サイの角、象牙を産出した。
 支那の史書は674年からシ・モ Hsi-mo (シマ)女王がホ・リンを統治したことにも言及している。彼女は公正にして賢明な王であった。彼女の統治時代、ホ・リンは安寧で秩序立っていた。

義淨の記録
 義淨 I-Tsing の記録(664/665年)は、7世紀のジャワが小乗仏教 Buddha Hinayana の学問的中心地であったことを述べている。支那の僧、ウィニン Hwining は、ホ・リンで仏典のひとつを漢訳した。彼はジャワの僧、ジャナバドラ Janabadra と協力して作業を行った。教典の翻訳はとりわけ、涅槃 Nirwana に関するものであったが、それは小乗仏教における涅槃の説とは異なるものであった。

碑文 Prasasti
 ホ・リンに関する碑文で遺されているものは、プラサスティ・トゥクマス Prasasti Tukmas である。この碑文は中部ジャワ、ムラピ山 Gunung Merapi の西麓、マゲラン Magelang 、クチャマタン・グラバグ Kecamatan Grabag 、レバク Lebak 村、ドゥスン・ダカウ Dusun Dakawu 〈Dusunは集落〉で発見された。プラサスティはサンスクリット語のパラワ Pallawa 文字で書かれている。プラサスティは清廉な水源について記している。この水源から流れ出る川はインドのガンジス河と同一視されている。このプラサスティには三叉鉾、水差し、斧、クラサンカ kelasangka 〈ヤシ、バナナ、ナンカ(ジャックフルーツ)〉、チャクラ〈円盤〉、蓮の花といったものが描かれており、これらは人とヒンドゥーの神々の関係を象徴するシムボルである。
 また、中部ジャワ、カブパテン・バタン Kabupaten Batang 、クチャマタン・レバン Kecamatan Reban のソジョムルト Sojomerto 村では、プラスティ・ソジョムルトが発見されている。このプラサスティはカウィ Kawi 文字で書かれており、7世紀頃を起源とする古マレー語 Melayu Kuna が用いられている。このプラサスティはシヴァ派の性質のものである。このプラサスティには建造者ダプンタ・スレンドラ Dapunta Selendra の一族の名が記されている。父の名はサンタヌ Santanu 、母はバドラワティ Bhadrawati 、妻の名はサムプラ Sampula である。ブチャリ博士 Prof. Drs. Boechari は、ダプンタ・スレンドラという人物がヒンドゥー・マタラム王国の支配者、サイレンドラ Sailendra 王朝の前身であるという説を提出している。発見された二つの碑文は、中部ジャワ北方海岸地域に王朝が発展し、それらがヒンドゥー・シヴァ派を採用していたことを示している。この記録はサイレンドラ王朝、もしくは中部ジャワ南方で後に発展したメダン Medang 王国と関連する可能性がある。(Blog Apemboyakから)

 ●ホ・リン王国と義淨の記録にあるJanabadraはスリ・ムルヨノ「スマルとは何者か? Apa dan siapa Semar 」でも言及されていた記事であるが、シマ女王のおかげでさらに詳しいことが分かった。
 シマ女王という人も伝説中の人であり、実態はよく分からないようである。「シヴァの女王」を思い起こさせる人物ではある。
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by gatotkaca | 2014-03-16 03:09 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

プリンゴダニ国はラウ山にあった?その2

 ●三番目の話は、ちょっと場所が変わってムラピ山 Gunung Merapi の周辺の村に伝わる話ということである。


プリンゴダニの宮殿

 プリンゴダニ Pringgodani 宮廷の伝説、物語は広い地域、特にカブパテン・プマラン kabupaten pemalang 〈中部ジャワ、ジョクジャカルタ、ムラピ Merapi 山の南方、山麓カリウラン Kaliurang 地区の街〉のあたりで息づいている。この話は、八十歳になるバパ・カルミン氏 Bapak Karmin から得たものである。彼はチャンディ・プラワンガン Candi Plawangan 〈カリウランにある祀堂〉の管理人だ。昔プラワンガンに、ハリ hari 一族の統べる王国があった。その名はプリンゴダニ。その王はラクササで、人を食うのがつねであった。
 初代の王はハリムボコ Harimboko といったが、トゥルムボコ Tremboko という別名のほうが世に知れ渡っていた。サン・ラジャ sang raja 〈王〉は一人ずつ順番に住民を餌食として要求していた。ある家族は困り果てていた。というのも、昼夜をとおして語り合っても、家族の誰を生け贄に捧げるか、決めかねていたからである。夜更けとなり、ブロトセノ Brotoseno という名の若者が家族たちの苦悩を聞き、すすんで身代わりになることを申し出た。彼はその家に宿を借りていたのである。
 サン・ラジャの面前に赴いたブロトセノは、王の娘ハリムビ Harimbi に出会った。
 王女はその若者に心魅かれ、父に今回は見逃してやってほしいと懇願した。しかし、父王は腹をすかせていたので、彼女の願いを許さなかった。
 すぐさまブロトセノを食おうとして王は驚いた。その若者の皮膚は鋼のように固く、彼の牙はブロトセノに傷をつけることもできなかったのである。王は激怒し、ブロトセノとプラブ・トゥルムボコの闘いとなり、ついにプラブ・トゥルムボコは斃れた。
 プラブ・トゥルムボコの死後、プリンゴダニ国は長男のプラブ・ハリムボ Harimbo が継いだ。ある日、ハリムボの妹、デウィ・ハリムビはブロトセノと結婚したいと申し出た。しかし兄は、ブロトセノは父を殺した仇であると、その申し出を拒み、デウィ・ハリムビを追放した。
 プラブ・ハリムボは怒り、ブロトセノに挑戦し、激しい闘いとなった。激戦のすえ、プラブ・ハリムボは破れ、その死骸は川に投げ入れられた。彼の髪は長かったので、その川では長い髪が流れているのがしばしば目撃されると、住民たちは信じている。以来、プラブ・ハリムボの髪が見える川は、髪の川と呼ばれている。
 兄の死後、デウィ・アリムビが王位を継ぎ、二つの宮殿が建てられた。プラワンガンに以前からあった西の宮殿と、チョマル Comal 川の岸辺にある東の宮殿である。
 以上の物語を分析してみよう。プラワンガンの人々の民間伝承の真意はともかく、留意すべき点を以下に記す。
1. プラワンガンに王国があり、現地の伝承によれば、その名は『プリンゴダニ』という。いっぽう、支那の史書は『ホリン Holing 』王国を記しており、これは多くの場合インドネシアの歴史家がカリンガ Kalinga と呼ぶ国のことである。であるから、『プリンゴダニ』はカリンガと同一視できる。
2. ここを支配するのは王族のアリ ari 〈Hari〉一族である(アリムボ Arimba )。また王女アリムビは、支那や西洋の史書を比較検討すると、おそらくマタラム Mataram 王国の王族と婚姻したデウィ・シマ Dewi Sima のことであろう。彼女と婚姻した古マタラム王国の王族は、既にヒンドゥー化していた現地の住民からサナカ Sanaka (サマハ Samaha )と呼ばれ、これはセノ Sena を意味する。伝承のブロトセノと同じである。
3. ラクササとされている王は、おそらくまだヒンドゥー化していない(祖霊崇拝)者たちである。
 以上からカリンガ(プリンゴダニ)王国は、民間伝承とはいえ、古マタラム王国以来邪悪であるとされたタルマヌガラ Tarumanegara 王国〈4~7世紀、西ジャワにあった王国〉に一致する。まさにプラワンガンは、民間伝承でプリンゴダニ国と呼ばれたホリン、またはカリンガ国のあった場所である可能性が高いのである。
 プラワンガンの民間伝承の真意と別にしても、それが否定できない証拠が存在する。それらの歴史的事実を証明する考古学的発見がプラワンガンで見つかったのである。それはプラワンガンの伝説の真実性を証明するものであった。

クラトン・シラウン、シ・グスン
 この地域に関する民間伝承は多種多様であるが、中心的主題はシラウン Sirawung またシ・グスン Si Geseng の森には、昔ある王国があったというものである。
 主立った話を以下に挙げる。
1. プラワンガンの人々は言う。シラウン地域はかつてプリンゴダニの一部であった。そこは、かつてブロトセノとの結婚を許さない兄によってハリムビが追放された場所である。
2. チャンディ・シ・グスンの管理人によれば、この地域はジャムバン・ダレム Jamban Dalem 〈宮廷の厠〉と呼ばれている。シラウンと呼ばれたのは、宮廷の人々が、ふつうの人間と関わる(スラウン Srawung)レレムブット lelembut 、つまり精霊 makhluk halus であったからである。グスンの名は暗闇、暗い場所を意味し、それは、そこがふつうの人間にとっては暗い場所であったからである。
3. プマランの人 orang pemalang によれば、1825年亡くなったカンジェン・スワルギ Kanjeng Swargi またの名ラデン・アディパティ・レクソプロジョ Raden Adipati Reksoprojo は、シラウン宮殿に隠れたパンゲラン・ディポネゴロ Pageran Diponegoro を捕らえようとするVOC〈オランダ東インド会社〉からかくまったという。同様に1862年に亡くなったカンジェン・ラデン・トゥムングン・ロンゴ・スロ・アディ・ヌゴロ kanjeng raden tumenggung ronggo soero adi negoro もシラウン宮殿にやって来たことがあるという。
 パンゲラン・ブノウォ Pangeran Bunawa もシラウン宮殿で今も生きているという。
4. ヴィレム・オットー・マッケンジー Willem Otto Machenzie 氏は誓って言う。彼がグムボル・マニス Gembol Manis 、つまりシラウンの森に邸宅をかまえていた時、彼の邸宅の前に夜毎ガムランの楽団と犬たちが通っていった。彼はその正体を確かめる勇気はなく、ただ座していた。というのも、それらは音だけがして、姿かたちの無いものたちであったからである。
5. 外国人船長の話。船がシラウンの森の岸辺に座礁した。彼の話では、そこにはいつも港が見えたのである。百歳を超える管理人は、かつて四回、船が座礁するのを見たという。
 ヴィレム・オットー・マッケンジーも、いくつもの船が座礁するのを見たという。彼によれば、夜になると港が見えたからであるという。
 船の座礁の最後の記録は、1956年ガムビール〈阿仙薬(あせんやく)〉や反物を積んだイギリス船の記録である。こうしたシラウンの森の不可思議な出来事に関するプマラン地域の伝承には、共通のモチーフがある。それはシラウンの森には昔、王国があったということである。

結論:
a. シラウンにはジャムバン・ダレムと呼ばれる場所があり、その王国の名は不明である。
b. その地域には歴史的遺物や遺産があり、民間伝承の『真実」と歴史的事実には近似性が認められる。
 暗闇の地は暗闇のまま、地域の人々はグスンの名に満足し、あえて暴こうとはしない。かくてそこは闇に閉ざされたままなのである。

2013年6月2日(日)、メディア・ジャワ


 ●この説によれば、プリンゴダニ国はカリンガ王国のことである、ということになる。ただ、歴史学的にはカリンガ王国の版図は現在のカブパテン・プカロンガン Kabupaten Pekalongan とカブパテン・ジュポロ Kabupaten Jepara を含む一帯であると考えられており、ムラピ山は入るが、ラウ山一帯は含まれない。
 ここらで、現在ワヤンで語られるプリンゴダニ王国のあらましを紹介しておこう。
 パンダワ五王子の父、パンドゥ・デウォノト Pandu Dewanata の時代、版図を広げようとするアスティノ Astina 国は、プリンゴダニ国を攻め、この時、王のプラブ・トルムボコ Prabu Tremboko はパンドゥに殺される〈この話にはいくつかの異説もあるが、ここでは詳しく触れない〉。王位は息子のアリムボ Arimba が継いだ。その後、パンダワ五王子がコラワ百王子の陰謀による焼き打ちから逃れ、ウォノマルト Wanamarta の森をさまよっているとき、アリムボはパンダワを襲おうとしてビモに殺される。ビモに一目惚れし、アリムボに背いた妹のアリムビ Arimbi はビモの妻となり、プリンゴダニを治めた。アリムビとビモの息子、ガトコチョが成長し、王位はガトコチョが継ぐこととなる。ガトコチョの王位継承を快く思わないアリムビの弟ブロジョドゥント Brajadenta は反乱を起こすが、ガトコチョに打倒され、プリンゴダニ国はガトコチョを王に据える。コラワ百王子とパンダワ五王子の対立から、世界を二分する大戦争バラタユダ Bharatayuddha が勃発し、その中でガトコチョはコラワ軍最高の戦士でパンダワの兄であるカルノ Karna と戦い弊れる。ガトコチョの死後、プリンゴダニ国は彼の息子サシキロノ Sasikirana によって継承され、サシキロノは、戦争に勝利したパンダワの治めるアスティノ国の臣下となる。ここで実質的にプリンゴダニ国はアスティノ国の属国となるのである。
 インド版マハーバーラタでは、アリムボ、アリムビ兄妹は森に住むラークシャサの一族で、ヒディムバ、ヒディムバーという。彼らは特に国をかまえているわけではなく、従ってプリンゴダニという国も、先代の王とされるトルムボコに相当する人物もインド版には存在しない。彼らがプリンゴダニという国を建てているのはジャワ・オリジナルの設定なのである。
 前に紹介したラウ山の話は、ラクササの名がプラブ・ボコであり、ワヤンのプリンゴダニの物語とは関連が薄かった。しかしムラピ周辺の話では、現在のワヤンに見られるプリンゴダニ王国の主要人物が登場している。トルムボコ王、その息子アリムボ王と妹のアリムビ、そしてトルムボコとアリムボを打倒する人物としてブロトセノである。しかし、この説でアリムビに比定されているカリンガ王国のシマ女王のことが史書に記されているのは7世紀頃のことであり、ブロウィジョヨ五世の話は15世紀末の頃の話であるから時代に大分へだたりがある。
 何の証拠もないが、仮説をたててみよう。
 カリンガ(プリンゴダニ)王国はシマ女王の世代(もしくは次の世代)で古マタラム王国(もしくはヒンドゥー国家のどれか)の王族と婚姻関係を結び、吸収されたか属国となったが、これにカリンガ王国の旧勢力が反乱し、制圧された。その話が後に、マハーバーラタの挿話を借りて変化し、現在伝えられている伝説が生じた。
 カリンガ旧勢力はラウ山周辺に落ちのびて、地方豪族化し、プリンゴダニ国を名乗ってほぞぼそと暮らしていた。千年のち、マジャパヒト(モジョパイト)の反ラデン・パタ勢力がラウ山へやって来てプリンゴダニの末裔を滅ぼした。征服された者たちは、ラクササということにされてしまったが、ラウ山にはプリンゴダニの鎮魂のため、プルタパアン・プリンゴダニという聖地が設けられた。こちらも後の時代にマハーバーラタの挿話が取り入れられ、ボコ王の伝説が生じた。
 まあ、本当のところはもはや誰にも分からないであろうが、プリンゴダニという名は、大国に滅ぼされた小国の面影を背負ったイメージを伴う名なのではなかろうか。
 インド版のガトートカチャはパーンダヴァの血をひく単なる善玉ラークシャサにすぎない。しかし、ジャワのガトコチョは、滅び行く(大国に吸収されて行く)小国の旧勢力(ラクササ)と台頭する大国(アマルト=アスティノ=パンダワ)、双方の血を受けた両義的存在として再設定されているのである。それは、彼の死が誰のためのものであるかを、インド版、ジャワ版で比較してみるとよくわかるのではないだろうか。
 というわけで、次回は「ガトコチョは誰がために死す?」というお題を考えてみたい。

(おわり)
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by gatotkaca | 2014-03-14 13:08 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

プリンゴダニ国はラウ山にあった?その1

 ●プリンゴダニ王国 Kerajaan Pringgadani は、ワヤンの世界では、パンダワ五王子の次男ビモの息子、ガトコチョの国である。とはいえ、インド版マハーバーラタでは影も形も見えず、ジャワ・オリジナルの設定である。この設定がいつ頃からワヤンの物語に組み込まれたのかはよくわからない。けれど、ちょっとヒントになるかもしれない記事を見つけたので紹介したい。ラウ山 gunung Lawu に、プリンゴダニの苦行所というのがあるというのである。さらに、そのあたりに伝わる伝承に関する記事もいくつか紹介する。もしかすると、これらの伝承が取り入れられて、ワヤンのプリンゴダニ王国が生まれたのかもしれない。
 まずは、プリンゴダニの苦行所の案内から

プルタパアン・プリンゴダニ Pertapaan Pringgodani〈プリンゴダニの苦行所〉

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 この苦行所はエヤン・コチョヌゴロ Eyang Koconegoro の残したものとされている。ここはラウ山 Gunung Lawu の西側、標高1,300メートルの海を臨む位置にある歴史的遺産である。苦行所はクチャマタン・タワンマング Kecamatan Tawangmangu 〈クチャマタンはインドネシアの行政区の単位、郡に相当する〉のブルムバン Blumbang 村にある。
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 苦行所には神聖な泉があり、センダン・プンガンティン sendang pengantin 〈花嫁の泉〉と呼ばれている。巡礼者たちは、この泉で祈りを捧げ、顔を洗うのである。ジョグロ joglo 様式〈ジャワの建築様式のひとつ。中心部が高くなったピラミッド型の屋根、広い正面玄関と間仕切りの無い広間を備える〉の建物があり、巡礼者たちは、各々の信仰にもとづいてここを使用する。苦行所の霊的ハイライトは断崖から噴出する自然のシャワーでの沐浴である。流水の前には行列ができ、夜半まで人々が並ぶ。
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 プリンゴダニの苦行所までは、タワンマングーサランガン Sarangan 間の一般車両に乗ってアクセスできる。それからブルムバン村にそった道を3キロメートルほど進んだところに苦行所はある。巡礼地の施設は、歩道、MCK〈mandi cuci kakus=トイレ、手洗い場、沐浴場〉、斎戒場 tempat bilas 、瞑想のためのジョグロ〈建物〉、食堂がある。


 ●プリンゴダニの歴史と伝承について

プリンゴダニの歴史

 史書によれば、モジョパイト王国から逃れたプラブ・ブロウィジョヨ五世 Prabu Brawijaya Ⅴ が、プリンゴダニ Pringgodani 地域を支配したのが始まりであるという。その後、モジョパイト王国に対してはらった犠牲への感謝のしるしとして、この地域は弟のコチョヌゴロ Koconegoro に譲り渡された。モジョパイト王国崩壊の後、プラブ・ブロウィジョヨ五世はラウ山 Gunung Lawu へ逃れ、七年間のモクシャ muksa (肉体と精神が神秘的領域に入ること)を経てこの世を去ったという。その後ときどきプラブ・ブロウィジョヨはワリの泉 Sendang Wali やアルゴ・ドゥミロ Harga Dumilah の周辺に姿を見せたという。
 周辺に住まう人々によれば、『プリンゴダニ Pringgodani』という語はプリン Pring 、ンゴン Nggon 、そしてンダニ Ndani の語から成るという。プリン(インドネシア語のbambu=竹)とは、竹があらゆるものに成る材であることを意味し、あらゆることの出来る人を意味する。また、ンゴンの語はジャワ語で場所を意味する。ンダニとはジャワ語のンダンダニ ndandani の縮まった語であり、精進〈修正〉を意味する。であるから、プリンゴダニとは人が自分自身を精進させる場所ということである。いっぽう、コチョヌゴロの名は、しばしばエヤン・パヌムバハン・コチョヌゴロ Eyang Panembahan Koconegoro とも呼ばれ、神話的存在である。というのもこの名は比喩的な名にすぎず、エヤンは長老(老人)を意味し、場所を意味する比喩であり、コチョは鏡を、ヌゴロは己自身を意味する。であるから、それは長老の(神聖な)、有用なる自身の鏡(精進)の場という意味を表すのである。
 ブロウィジョヨ五世の昇天 pamuksan (入滅)に関しては異説もある。サンガル・パムルンガン Sanggar Pamelengan の入り口に書かれたドゥウィ・ジャルモ・グスティ・サウィジ Dwi Jalmo Ngesti Sawiji の文字である。その意味は二人の人物が、一なるもの、つまりトゥハン・ヤン・マハ・エサ Tuhan Yang Maha Esa に拝跪するというものである。異説によれば、この言葉は年号を記したスンカラン sengkalan であり、ドゥイ Dwi (二つ)は2を、ジャルモは2、グスティは8、サウィジは1を表す。その数字を並べると2281となる。スンカランの年号は数字を逆から読むので、1822年となる。これは西暦1822年にこの場所でプラブ・ブロウィジョヨ五世が昇天したことを示しているという。
 民話によれば、プリンゴダニの苦行所はプラブ・ボコ Prabu Boko の物語と関わる。昔々、プラブ・ボコという名の王がおり、人を食うのを好んだ。その異常な嗜好のため、プリンゴダニの苦行所周辺(カルラハン ・ブルヌバン Kalurahan Blumbang とパンチョット Pancot )の住民は絶えてしまった。残ったのはボ・ロンド・ダダパン Mbok Rondh Dadapan と七ヶ月になるその娘、ハルワティ Harwati だけであった。プラブ・ボコがハルワティを生け贄に求めて来た時、ボ・ロンド・ダダパンは七日間の猶予を願った。その頃、プリンゴダニから一人の苦行者が山を下りて来た。苦行者はボ・ロンドの願いで、自らハルワティの代わりにプラブ・ボコの生け贄となることを承知した。プラブ・ボコがやって来て、ハルワティを餌食にしようとした時、とつぜん生け贄の手がプラブ・ボコの頭をつかみ、パンチョット村の光る岩に叩き付けた。プラブ・ボコの頭は粉々になり、目と脳みそはガムピン Gamping 山の石灰岩となり、牙はタマネギに、奥歯はネギとなり、その死体はさまざまな作物になった。プラブ・ボコが死んだので、パンチョットとブルムバンの人々は安心し、苦行者はプリンゴダニの苦行所へ帰っていった。
 村はその苦行者に護られていると考えられ、パンチョットとブルムバンの村の人々は今にいたるも、聖なる苦行者の誕生日である火曜のクリウォンの日 Selasa Kliwon (ジャワ歴)には祝いの儀式を催すのである。その祭りは安寧と、豊作、祝福を願って催される。民衆は各地の神聖な場所には、それぞれ意味があり、効験があると信じている。それらはそこを訪れる人の動機や目的、信仰する宗派によっておおいに異なるだろう。訪れる人々の動機や目的は、心の安寧、神秘の探求、病の治療などさまざまなのである。

 ●別のブログから。同一のブログから記事を二つ。

プラブ・ブロウィジョヨ五世

 プラブ・ブロウィジョヨ五世はモジョパイト王国最後の王で、スナン・ラウ Sunan Lawu とも呼ばれる。プリンゴダニの苦行所は彼の遺産のひとつである。
 一般の人々や学界からも失われつつある歴史・民族的遺産を秘めた場所である。プリンゴダニは巡礼の訪れる場所であるばかりでなく、周辺の民話を保存する貴重な場所でもある。プリンゴダニはプラブ・ブロウィジョヨ五世の苦行所としてだけでなく、後にワウ山にスナン・カリジョゴ Sunan Kalijaga が登ったとき、登りきれない崖にいたり、彼の足が蹴ったところから滝が流れ落ちた。今、トゥガル・ワリ Tegal Wali と呼ばれている滝がそれである。
 プリンゴダニは多くの人々がそこで祈りを捧げるためにやってくる巡礼地である。彼らは約5キロほどの道を喜んで歩いていく。プリンゴダニは多くの場合プリン Pring (竹)とンダダニ Ndadani (精進)の語からなると解されている。生きるのに必死な人々のモラルを向上させる場という意味である。ここで、多くの人々が悩みから抜けることが出来たと言われている。
 プリンゴダニにはタワンマングの地域で育まれた民話にまつわる謎がある。プラブ・ボコ、プトゥット・トゥトゥコ、ボ・ロンド・ダダパンの物語である。いくつかの村々の記憶をとどめた物語である。ダダパン Dadapan 、べネル Bener、パンチョット Pancot そしてガムピン Gamping 山周辺には、昔からモンドシヨ Mondhosiyo の儀式が催されている。

ジョコ・スレワ Joko Slewah の話

 昔、ラクササの国にある一家がいた。貧しかったが幸せに暮らしていた。ボ・ロンド・ダダパン Mbok Rondo Dadapan 〈未亡人を意味する〉とひとり息子のジョコ・スレワという。ジョコ・スレワは奇妙なことに、顔が片側だけしかなかった。その国のラクササ王、プラブ・ボコ Prabu Boko は善政を布いていたので、人々は豊かな作物を王に捧げて讃えた。ある日差し出されたスープがとても旨く、王は気に入った。スープを作った料理人は、王に召し出され、プラブ・ボコの面前で恐縮していた。
 「おお、我が民よ。そなたが作ったスープは、一体どんな調味料が入っていたのかね?」
 「王さま、特別な調味料など使ってはおりません。いつものように作っただけでございます。」料理人は畏まって言った。
 「ふ~む、しかしとても旨い肉が入っていたぞ。そなたがスープに入れた肉が何であったか申してみよ!」プラブ・ボコは強い口調で言った。
 「王様、お許しを。千のお許しを乞いまする。私はうっかり指の肉を切ってしまし、それがスープに入っていしまったのでございます。どうかお許しを。」料理人はぶるぶる震えて言った。
 ボコ王は少しも怒らず、むしろそれを知ってうれしそうであった。それ以来、王は国の人々に毎日一人の人間を「貢物」、捧げものとして差し出すよう命じた。新鮮な、ボコ王の好物を作るためである。国中は大騒動になったが、誰もボコ王の命令にさからう勇気はなかった。
 非情にも、今やボ・ロンド・ダダパンがプラブ・ボコに捧げものを差し出す番になったのであった。ボ・ロンド・ダダパンは困り果てていた。誰を生け贄にするか、自分か一人息子か。もし自分が生け贄になったとすれば、息子一人では暮らしていけないだろう。毎日「アニ・アニ ani-ani やアウル・アウル awul-awul 」(水田で収穫後の稲の茎を刈る)仕事をするか、森で薪拾いをするしかない。しかし、息子を差し出せば、ボ・ロンド・ダダパンはずっと寂しい暮らしをしなければならない。
 その夜、ボ・ロンド・ダダパンは心乱れて行ったり来たりしていた。気がつくと目の前に、白い光が止まった。
 「お家へお帰りなさい!私が助けてさしあげましょう。」光が声を発し、ボ・ロンド・ダダパンに家に帰るようにと言った。
 ボ・ロンド・ダダパンは落ち着いて家に戻ったが、翌日も何の変わりもなかった。ボ・ロンド・ダダパンは落ち着かない心で「アウル・アウル」の仕事に出かけ、心乱れていたので夕暮れまでかかっても、一つも稲を手に入れることはできなかった。ボ・ロンド・ダダパンは子どもに何事かおこるのではないかと心乱れていたのである。しかし夕まぐれの中に、また光が現れた。
 「恐れることはない。私がお助けしよう。北西に行きなさい。「プリンスダプル Pringsedapur 」がある。そこにお子さんを連れて行きなさい。」とつぜん光は消えた。
 ボ・ロンドは怖くなって家に帰った。家に着くと「テンゴ tenggok (竹籠)」の中に、夕食に十分なお米が入っていたのだった。夕食後、ボ・ロンド・ダダパン命じられたとおりに、北西を目指した。その場所に着くと、そこには「プリンスダプル」があった。それは鏡だった。ジョコ・スレワが鏡の前に立つと、鏡の顔と彼の顔がひとつになった。ジョコ・スレワは立派な若者となり、飛ぶこともできるようになった。かくてこの場所はコチョヌゴロ・プリンゴダニ Kacanegara Pringgodani(プルタパアン・プリンゴダニ Pertapaan Pringgodani )として知られるようになった。
 それから、次の捧げものの時、ジョコ・スレワはボ・ロンド・ダダパンに、人々に惨い仕打ちをして来たボコ王と対決する許しを得た。
 「おお、若者よ!スープにされるお前の体に同情はしないのか?」生け贄の健やかで、強く、瑞々しい若者を見て、ボコ王はご機嫌でたずねた。
 「おお、ボコ王よ!人食いを止めるのだ。弱い人々を苦しめるのはやめろ!」ジョコ・スレワは叫んだ。
 プラブ・ボコは怒りにわななき、顔を真っ赤にして、その血は沸騰した。ジョコ・スレウに飛びかかったが、ジョコは軽々と身をかわした。
 これを見てプラブ・ボコは怒り、地団駄を踏んだ。体制を崩し、プラブ・ボコは「パンジャタン Panjatan 」の大石に頭を打ちつけた(ジョコ。スレウはこの上にいて、飛び退いたのだ)。彼の頭は割れてしまった(この場所はパンチョット Pancot 村の伝統の儀式、ウク・モンドシヨ Wuku Mondhosiyo が催される所として有名である)。災いは消えた。しかし、死ぬ前にプラブ・ボコは人々にこれまでの過ちに許しを乞うた。償いにボコ王はこのあたりの土地を肥沃な土地にすることを約した。彼の脳みそはガムピン Gamping 山の石灰岩となり、歯はニンニク、髪の毛はネギ、性器は人参となった。
(この物語はパンチョット pancot 村のプトゥット・トゥトゥコ Putut Tetuko の物語と似ているが、ブルムバン Blumbang の人々の間で語られてきたものである。残念ながら多くの若者たちはこの話を知らない。ごく少数の人たちだけが、この話をまもり、記憶しているのみである‥‥。penelitian Revitalisasi Mitos Mondhosiyo sebagai sarana Wisata Budaya 2005 )

 ●ボコ王はバカ Baka の名でインド版マハーバーラタにも登場するラークシャサであり、ビーマに退治される人物である。上記の伝承は、苦行者もしくはジョコ・スレワをビーマに入れ替えれば、マハーバーラタの挿話と酷似している。地域伝承が、マハーバーラタの影響を受けて変容したのであろうか。だが、ボコ(バカ)王の国名はエコチョクロ Ekacakra (エーカチャクラー)であり、プリンゴダニの名とは類似性がない。さらに、ガトコチョ(ガトートカチャ)は、このあと森の中で、ビモがアリムボ Arimba(ヒディンバ)を殺し、その妹アリムビ Arimbi(ヒディンバー)とのあいだにもうける子であるから、バカの話とは関連しない。
 さて、ワヤンのプリンゴダニとラウ山のプリンゴダニには共通点があるのでしょうか?次回に続く。



(つづく)
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by gatotkaca | 2014-03-12 13:35 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ジャワの山々にまつわる話

 ジャワ島のクルド山 Gunung Kelud 〈ケールト、ケルドとも表記される〉が噴火し、甚大な被害が出ているようだ。被害にあった方々を悼むとともに早急な復興を祈る。
 少し前にはムラピ山も噴火したように、ジャワ島は多くの活火山を擁している。日本でもそうだが、ジャワにおいてもこうした山々に対するさまざまな信仰、伝説が数多く存在する。その一端を紹介するブログを見つけたので下記に引く。興味深い伝説もあれば、よた話としか思えないものもあるが、山に対する畏敬の念は、ジャワでも同じのようである。なお山の写真も同ブログのものである。

ジャワの山々にはミステリーが隠されているhttp://webmisteri.com/gunung-gunung-di-jawa-yang-menyimpan-misteri.html

 ジャワには、ミステリーを秘めた山がいくつもある。下記に記した山々はとりわけ有名である。

ラウ山 Gunung Lawu

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 ラウ山はその三つの頂きに、霊性と謎を秘めた山である。三つの頂きはアルゴ・ダレム Harga Dalem 、アルゴ・ドゥミラ Harga Dumilah 、そしてアルゴ・ドゥミリン Harga Dumiling であり、ジャワでは聖地と信じられている。アルゴ・ダレムはプラブ・ブロウィジョヨ・パムンカス Prabu Bhrawijaya Pamungkas 入滅の場所と人々に信じられており、アルゴ・ドゥミリンはキ・サブドパロン Ki Sabdopalon 入滅の場所、アルゴ・ドゥミラは瞑想と超能力 kemampuan olah batin 〈内なる力〉を獲得する場所としてしばしば用いられている。

 ジャワでは、ラウ山は霊的活動の中心であると言われ、宮廷の文化・伝統と密接な関わりを持っている。ジョクジャカルタの宮廷で、神聖なスロ Sura 月の度ごとの儀式 labuhan を催す。

 その頂上に登りたいなら、ウェワレル wewaler (規則)に基づいた準備を要し、品行、言論が好ましくない者は入山を禁じられている。これらの規律に反した者は、不運に見舞われるとされている。

 先の三つの頂き以外にもいくつかの神秘的な場所があると信じられている。センダン・インテン sendang Inten 、センダン・ドゥラジャット sendang Drajat 、センダン・パングリパン sendang Panguripan 、スムル・ジョロトゥンド Sumur Jalatunda 、カワ・チョンドロディムコ Kawah Candradimuka 、ルパット・クパナサン Repat Kepanasan (チョクロスルヨ Cakrasurya )、そしてプリンゴダニ Pringgadani である。サン・プラブ・ブロウィジョヨのモジョパイト Majapahit の場所はどうであろうか?王位はパンゲラン・カトン王子 Pangeran Katong に譲られたと言われている。その図が神話化され、入滅した超能力の人としてポノロゴ Ponorogo 紙に描かれている。ラウ山東南の麓のある地域に。

クルド山 Gunung Kelud

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 クルド山の名は次の語源解釈 jarwadhasak による。「Ke」(kebek=満つ)、「lud」(ludira=血)である。クルドがひとたび怒れば、多くの無辜の魂が生け贄にされるからである。火山の周辺の住民は、クルド山は罪を得て、白いワニに変えられたビダダリ bidadari 〈天界の妖精〉を見張っているのだと言う。

 ここ千年の間に、クルド山は23回以上も噴火している。噴火の平均周期は約15年である。最も短い周期では、1848年のものがあげられる。1864年から1901年の噴火の後、37年間は沈静化している。37年もの間、クルド山がおとなしくしているなど誰が想像し得ただろう。スギワラス Sugihwaras 村の人々がしばしば行っているように、地元の人々がさまざまな食べ物を供物として捧げているのを、快く感じているのだとは思っている。

 記録によれば、クルド山は1919年、1951年、1966年の三度にわたって激しく荒れ狂った。不思議にも、それら噴火の年にはジャワで、大きな出来事が起こっているのだ。たとえば、1951年にはマディウン Madiun 事件が勃発している。それから1966年の噴火の際には、インドネシア共産党/9月30日事件 G30S/PKI が起きた。三度の噴火では噴出物がカリ・バダック Kali Badak をはじめとして、カリ・ゴボ Kali Ngobo 、カリ・プティ Kali Putih 、カリ・スムット Kali Semut 、カリ・ンゴト Kali Ngoto にまで及んだ。

 クルド山近住の村長によれば、犠牲者たちは火口を護る二人のビダダリに望まれたのだ、という。男なら夫として、女なら姉妹として。住民たちは言う。クルドが噴火する時はいつも、その火口に二つの輝く光が現れ、また多くのカラスが村を飛んでいくのだと。

スメル山 Gunung Semeru

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 スメル山の山頂はマハメル Mahameru と呼ばれ、ジャワで最も高い山である。ブロモ Bromo 山、アルジュノ Arjuna 山と連なって東ジャワ州に位置しており、東部ジャワのシンドロ Sindoro 山、スムビン Sumbing 山、ムラピ Merapi 山、メルバブ Merbabu 山らとの関わりはあまりない。

 スメル山の標高は3,676メートルで海を臨み、登山者たちの興味をひくような物語をたくさんかかえている。スー・ホク・ギー Soe Hok Gie 〈蘇福義、インドネシアの政治活動家〉はスメル山と深い関わりのある70年代の人物である。ここで彼は息を引き取ったのだ。スメル山に登る道はたくさん開かれてるが、出発点はマラン Malang の街である。マランからラヌ・パネ Ranu Pane を目指し、ラヌ・クムボロ Ranu Kumbolo を抜ける。ここからのロケーションでは湖が見え、登山者たちはしばしばここで夜を過ごし、高みから湖を見下ろして休息をとり、風景を満喫する。

 ラヌ・クムボロの先には鬱蒼と生い茂った森がある。ここには不思議な物語が数多くある。地域の人々の多くがこの森を神秘の森と呼んでいる。というのも、何度もスメルに登った経験のある人でも、この森で迷うことが多いからである。ジャワの人はオヨ・クシムパル oyot kesimpar と言う。それは、人を幻惑に誘い、長時間ぐるぐる歩き回されるという意味である。

 森を抜けると平野に出る。そこはたくさんのミステリーをかかえた所である。その名をアルチョポド arcapada (二つの彫像)と言う。スメルの伝説では、ここに双子の彫像がたっていたという。建てたのはモジョパイト Majapahit 王国時代の兵士であるという。その像はたしかにあるのだが、誰も見ることができない。優れた人だけが双子の像のありかを知ることができるのだ。双子の彫像の顔は見た人それぞれによって異なって見えるという。その像は小さな子どもくらいの大きさだと言う人もある。また、ラヌ・クムボロからも見えるほど大きい彫像だと言う人もいる。また、普通の人でも選ばれた者であれば、この彫像の存在を確認できるという。

ムラピ山 Gunung Merapi

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 昔から、中部ジャワ、ジョクジャカルタの境にあるムラピ山のミステリーは、人々の心を惹き付け、語られてきた。ミステリーは、数々の神秘的出来事と結びついて、この山を特徴づけている。ムラピ山はインドネシアで最も活動の活発な火山のひとつである。
a. ムラピの番人
 ムラピ山のミステリーは多くの人々が、この山にはかつて支配者であったさまざまな精霊が住んでいると信じていることに関わっている。地元の人々によると、ムラピの精霊たちの王はエヤン・ムラピ Eyang Merapi であるという。地元の人々は、ムラピの支配者であるジン jin 〈精霊〉、エヤン・サプ・ジャガド Eyang Sapu Jagad が、山の噴火を決めるのだと信じている。そのため昔、ジョクジャカルタの王はエヤン・サプ・ジャガドの怒りを鎮めるため、しばしば供犠を捧げた。
 またエヤン・ムガントロ Eyang Megantara はムラピ山周辺の天候を統べるものとして信じられている。ニ・ガドゥン・ムラティ Nyi Gadung Melati は女の精霊たちの主であると信じられ、この地域の作物の豊作を護る役割を持つ。エヤン・アンタルボゴ Eyang Antalboga は地上におけるムラピ山の番人であると信じられている。バ・ペトロ Mbah Petruk はムラピの噴火を告げる精霊の長であると信じられている。キヤイ・サプ・アンギン Kyai Sapu Angin はムラピ山の家畜やすべての生き物の番人であると信じられている。こういった精霊は地元住民の人口に膾炙している。というのも、しばしば住民たちはこれらと出会うからである。
b. パサル・ブブラ Pasar Bubrah
 他にもぞっとするような不思議な物語がある。それは精霊たちの市場である。これもムラピ山のミステリーとして人々によく知られているものである。故バ・マリジャン Mbah Marijan によれば、金曜の夜ごとに、精霊たちの市場であるパサル・ブブラがあるという。毎週金曜の夜になると、ふつうの市場のようなざわめきが聞こえるという。ガムランの音とグンディン gending (音楽/歌)が聞こえるのだ。ムラピ山に登った幾人もの人がパサル・ブブラの伝説は本当であると証言している。
 他の霊地と同様、ムラピ山もときおり供犠を求める。ムラピ山のミステリーはムラピ地域以外の人にとっては信じ難い。しかし実際、幾人もの登山者がムラピ山の犠牲となっている。それはムラピの支配者がまたもや供犠を求めている兆候だと、住民は信じている。ムラピの支配者に捕われた者たちは、心根の悪い者、またムラピを怒らせた者たちであると地元の人々は信じている。
c. バ・ペトロの雲
 2010年の噴火の前に、バ・パトロの雲が現れ、地域住民を騒がせた。ススワント Suswanto という名の地元の人が、それをカメラにおさめた。地元の話題になっていた興味深い話として、バ・ペトロの雲は右回転しているように見えたという。ペトロというのはジャワのワヤンの登場人物のひとりで、しばしば一般民衆になぞらえられる。ダランによって演じられる際、ふつうぺトロは顔を左に回す。それだけでなく、バ・ペトロの雲が南へ向かうのも、ムラピの南方にその怒りが向けられているしるしだということになる。ついに2010年11月5日、人々が信じるバ・ペトロの雲の示した通り、ムラピ山は大噴火し、多大な犠牲が生じた。

スムビン山 Gunung Sumbing

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 スムビン山の地理調査の際、不可思議なミステリーがあった。この調査はスムビン山の神秘的な雰囲気を愛する登山者たちの共同で行われたものである。以下は匿名の登山者たちの調査記録である。

a. 1〜2キロメートル
 行程の1〜2キロメートルでは、橋を渡る。その橋には、さまざまな姿の化け物が並んでいた。その中に黒い巨大なラクササ〈羅刹〉がおり、それはスムビン山の番人であると信じられている。

b. 2〜4キロメートル
 行程の2〜4キロメートルは、土地の住民によって管理されている、松を含んだ低木の森である。森に入ると、登山者たちは、ジャワタバコの匂いを感じた。それは道に沿って座ってタバコをくゆらせる老人のような化け物たちによるものだった。

c. 4キロメートル パサル・ワトゥ Pasar Watu
 4〜5キロメートルを過ぎると、地形はますます険しくなる。登山者たちは水の流れる岸にそって進まなければならない。標高が上がるにつれ、スムビン山の化け物の姿は人に似たものになる。このあたりになると、隠者のような髭をはやし、ターバンを巻いた老人の姿のものと出会う。

d. パサル・ワトゥ〜タナ・プティ Tanah Putih 〈白い土地〉
 パサル・ワトゥでは髪の長い女の姿のものが現れた。彼らの一人によれば、彼女は穴のあいたサンダル sundel bolong なのだという。ワトゥ・コタ Watu Kotak には数人の女と母たちがおり、彼女らは髪を巻き上げ、白い衣をまとっていった。ワトゥ・コタからタナ・プティへ向かう途中で、胡座をかいて座す黒衣の隠者の姿をしたものを発見。

メルバブ山 Gunung Merbabu

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 悪魔の市場 pasar setan!この言葉を耳にして、心躍る。しかしこの現象は、メルバブ山周辺の住民の間では、ずいぶん前から噂されていたものなのである。ここは、ジャワでは神聖な山のひとつとされている。メルバブ山の頂上は、悪魔の市場のあるところだと言われている山のひとつなのだ。

 地元住民によれば、悪魔の市場はたしかにあるという。それはメルバブの麓に住まう人々にとっては、外国の話ではないのだ。また、丘の上に五人の女性の遺体が発見され、そのうち一人は瞑想姿であったが、彼女らこそ生け贄であったのだ。しかし、この事件は地元民によって隠された。というのも、秘密を漏らせば、災いがあると考えられたからである。許し無く、悪魔の市場を探そうとしたり、そこに入った者は生け贄にされると言われている。

スラマット山 Gunung Slamet

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 スラマット山(標高3,432メートル)は、ジャワ島の火山のひとつである。スラマット山はカブパテン・ブルブス Kabupaten Brebes 、バニュマス Banyumas 、プルバリンゴ Purbalingga、プマラン Pemalang の境に位置し、中部ジャワでは最高、ジャワ島でも二番目に高い山である。スラマット山の頂上には四つの火口があり、いまも活動中である。長老の話では、スラマット山はジャワの他の山とは違うという。スラマット山は、観光客や、頂上を征服しようとする趣味の登山者たちが登るだけのふつうの山ではない。

 インドネシア語のスラマット Selamat とは、安寧を意味する言葉である。というのも、先祖の時代から今にいたるまで、スラマット山は小規模の活動が続いており、時には噴火もする。スラマット山が大噴火すれば、ジャワはまっぷたつに割れてしまうだろう。

グデ山 Gunung Gede

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 スルヨクンチョノ Suryakencana の広野で、登山者は時折、馬の走る音を聞くという。しかし馬の姿は見えないのだ。これは近衛兵たちを引き連れたパンゲラン・スルヨクンチョノ Pangeran Suryakencana 王子が来たしるしであると言われている。また別の登山者は、王宮を見たとも言う。

 グデ山一帯は、パンゲラン・スルヨクンチョノの住んでいたところである。精霊 jin の民たちと共に、彼はこの広野を穀倉地とした。そこはレウイット・サラウェ Leuit Salawe 、サラウェ・ジャジャル Salawe Jajar 、クブン・クロロ・サラウェ・タンカル Kebun Kelala Salawe Tangkal, 、またサラウェ・マンガル Salawe Manggar と呼ばれた。

 グデ山の頂上北方に住まう、エヤン・ジョヨヌスルマ Eyang Jayanusumah はセラ Sela 山の守護者である。 エヤン・ジョヨラマタン Eyang Jayarahmatan とエムバン・カド Embah Kadok はチボダス cibodas 観光地の駐車場で二つの岩を護っている。かつてその岩を壊そうとしたことがあったが、ドリルを用いても歯が立たなかった。

チルマイ山 Gunung Ciremai

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 チルマイ山は西ジャワで最も高い山である。チルマイ山の標高は3,078メートルに達する。クニンガン Kuningan 〈西ジャワの街〉の人々や、付近の人々は、チルマイ山が西ジャワの人々の祖先発祥の地であると信じている。

 チルマイ山のミステリーもまた、この地域から生まれた。いくつかの不可思議現象を扱うサイトでは、この地域には日本軍の馬の墓があるという。このあたりを通る人はよく馬の足音を耳にするという。パンガスンガン Pangasungan 地域で伝えられる物語はかなり不気味なものである。夜になると悲鳴や、日本兵の足音が聞こえるという。歴史記録によれば、パンガスンガンはインドネシアの捕虜を埋めた場所であるという。

サラク山 Gunung Salak

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 サラク山は近隣の山、グデ山などほど高くない。しかし、サラク山は登山の難易度が高いと言われている。その地域にはラトゥ Ratu 火口も含まれているのである。サラク山は頂上に、さまざまなルートがあり、それぞれが複雑に交叉して登山者たちを困惑させる。多くの人がここにはオランダの財宝が隠されていると言う。その財宝は四つの箱に入れられた純金で、サラク山にばらばらに隠されているのだという。ラトゥ火口周辺の財宝を見つけようとして、サラク山の懸崖に阻まれ、多くの住民が死んだという。
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by gatotkaca | 2014-03-09 01:52 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

スリ・タンジュンの物語

 ● サデウォを主人公とした「スドモロ」には、続編ともいえる物語があり、「スリ・タンジュン Sri Tanjung 」という。東部ジャワの都、バニュワンギ Banyuwangi の名の由来となったとされる物語である。バニュワンギはインドネシア、東ジャワ州の同名県の県都。人口約8万。ジャワ語で〈バニュ〉は水、〈ワンギ〉は芳香を意味する。バニュワンギ県はジャワ島東端部に位置し、バリ海峡に面する。古くからバリ島との交流が盛んで、今日でもフェリーが県内のクタパン港から日に何本も往来している。バニュワンギをはじめとするジャワ島東端部は、かつてバランバンガンBalambanganの名で呼ばれる地方王朝の支配下にあり、さらに中部ジャワ,バリ,マドゥラの諸勢力が入りこみ、オランダ東インド会社をまじえて複雑な抗争を繰り返した歴史をもっている〈http://kotobank.jp/word/バニュワンギ〉。
 以下にその物語の概要を記す〈http://id.wikipedia.org/wiki/Sri_Tanjungによる〉。

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スリ・タンジュン
 スリ・タンジュン Sri tanjung はまたバニュワンギ Banyuwangi (芳香の川)の物語としても知られている。妻の夫に対する献身の物語としてジャワ文化の至宝たる伝説である。この物語はマジャパイト Majapahit 時代から著名である。物語は中世ジャワ語による文学作品としてしられ、歌であるトゥムバン tembang としてキドゥン Kidung の詩形式で構成されている。また、この物語はジャワの慣習におけるルワット Ruwat の儀式において用いられることでも知られている。スリ・タンジュンの名は香りたかい花、タンジュンの花によっている。
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〈タンジュンの花http://biojojo.blogspot.jp/2012/01/tanjung-mimusops-elengi-l.htmlから〉

起源
 この物語の起源、作者は不明であるが、東部ジャワ、バニュワンギが発祥の地と言われている。バニュワンギの街の名の由来の伝説だからである。この物語は13世紀初頭のマジャパイト王国の時代に著されたとされる。この説は考古学的証拠の他トゥムバンの形式からも推測されるものである。スリ・タンジュンの物語はチャンディ・パナタラン Candi Panataran 、ガプラ・バジャン・ラトゥ〈バジャン王宮の門〉 Gapra Bajang Ratu 、チャンディ・スラワナ Candi Surawana 、チャンディ・ジャブン Candi Jabung の壁面レリーフに取り入れられている。

物語
 物語は以下のようなものである(1)。物語はパンダワ Pandawa 一族の凛々しく強壮なクサトリア ksatria 〈王族〉であるラデン・シダパクサ Raden Sidapaksa に始まる。彼は、シンドゥルジョ Sindyreja 王国を統治するスラクラマ王 Sulakrama に仕えていた。彼は王の命で山中の苦行所に住まう祖父バガワン・タムバ・プトラ Bhagawan Tamba Petra のもとへ薬を探すために使者として赴いた。そこで彼はとても美しい娘、スリ・タンジュンと出会う。スリ・タンジュンはふつうの娘ではなく、その母は地上に降り、人の妻となった天界の妖精ビダダリ bidadari であった。それゆえスリ・タンジュンは類いない美しさをそなえていたのである。ラデン・シダパクサはスリ・タンジュンと恋に落ち、やがて結ばれた。妻となってのち、スリ・タンジュンはシンドゥルジョ国に住まうこととなった。スラクラマ王はスリ・タンジュンの美しさに魅了され、彼女を恋い焦がれた。王は夫の手からスリ・タンジュンを奪い取ろうと欲っし、シダパクサからスリ・タンジュンを引き離す計画を企てた。
 シダパクサはスラクラマ王に命じられ、スワルガロカ Swargaloka 〈天界〉へ書状を送る使者とされた。その書状には「この書状を運んできた者はスワルガロカを攻撃する」とあった。母の贈り物として父、ラデン・スダマラ Raden Sudamala から魔法のスレンダン selendang 〈スカーフ〉を譲り受けていたスリ・タンジュンの助けで、シダパクサはスワルガロカへ飛んで行くことができた。スワルガロカに到着したシダパクサは、いまだ書状の内容を知らぬまま、神々にそれを渡してしまったのである。そのため彼は神々から攻撃を受けることとなった。しかしついに、祖先であるパンダワを呼び、誤解を解くことができた。かくてラデン・シダパクサは解放され、神々から祝福を授かった。
 いっぽう地上では、シダパクサが出発したあと、スリ・タンジュンはスラクラマ王の誘惑を受けていた。スリ・タンジュンは拒んだが、スラクラマは無理強いした。スリ・タンジュンは抱きつかれ、犯されようとした。そこへシダパクサが現れ、王に抱きつかれている妻の姿を目撃した。心悪しく狡猾なスラクラマ王は、スリ・タンジュンの方から彼を姦淫に誘ったのだと彼女を中傷した。シダパクサは王の言葉を信じ、妻が浮気をしたと思い込み、怒りと嫉妬で燃え上がった。スリ・タンジュンは彼女の貞節と無実を信じてほしいと乞うた。悲しみに胸いっぱいになってスリ・タンジュンは言った。私が自決した時、血が流れず、香りたかい水が流れ出たなら私が無実である証です、と。暗く激しい目つきでスリ・タンジュンを刺すように見るシダパクサの前で、彼女はクリス〈短剣〉でその身を差し貫いて死んだ。奇蹟が起こった。スリ・タンジュンの誓いのとおり、彼女の刺し傷からは血ではなく、芳しい香りを放つ水が溢れ出たのである。ラデン・シダパクサは己の過ちに気付き、自らの行為を後悔した。スリ・タンジュンの魂 sukma はスワルガロカに飛び、デウィ・ドゥルガ Dewi Durga と出会った。スリ・タンジュンの身に降り掛かった不公正な出来事を知り、デウィ・ドゥルガと神々は彼女を生き返らせたのである。スリ・タンジュンは再び夫のもとへ帰った。神々はシダパクサにスラクラマ王の罪を罰するよう命じた。彼はスラクラマ王を決闘で殺し、復讐を果たした。この地には、香りたかい水にちなんだ名が与えられたと言う。かくてブラムバンガン Blambangan 国の都には、今にいたるもバニュワンギ Banyuwangi 、つまり「香りたかい水」という名が与えられたのである。

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 スリタンジュン物語に関するブログ記事を見つけたので下記に訳す〈http://sritanjungarti.blogspot.jp/2008/12/sepintas-tentang-cerita-sri-tanjung_27.html〉。

スリ・タンジュン物語総覧

 スリ・タンジュン Sri Tanjung の物語は17世紀にバニュワンギ Banyuwangi で書かれた文学作品である。当時のバニュワンギは東部ジャワ最後の王国、バランバンガン Balambangan 王国の一部であった。オランダのジャワ文学研究者であるテオドール・ゴーティール・トーマス・ピゴー Theodoor Gatier Thomas Pigeaud は、この物語を『古代ジャワとジャワ・バリ魔除けの物語の起源とbellstric〈語意不明〉形式文学への関連性 Original Old Javanese and Javanese-Balinese exorcist tales and related literature in a bellestric form 』と題する書に収録した。ピゴーが『ジャワ・バリ』としたのは、これらの中世ジャワ語で書かれた文学が、マジャパイトに至る東部ジャワ諸王国の文学活動を源泉とし、後にバリ島で、ワトゥ・レンゴン Watu Renggong 統治下のゲルゲル Gelgel 王国(一部の地域を除く)において発展したものだからである。これらは「チャロナラン Calon Arang 」、「スダマラ Sudamala 」、「ワルガサリ Wargasari 」、「ナワ・ルチ Nawa Ruci 」、「スブラタ Subrata 」、「サティヤワン Satyawan 」といった一群の文学作品たちである。

 スリ・タンジュンの物語は13世紀初頭、東部ジャワで生まれ、後に口承文学として伝えられたと思われる。その過程でこの物語はジャワ・ヒンドゥー文化に統合され、ナクラ Nakula とサハデワ Sahadewa の後裔としてヒンドゥーの物語の主要人物の中に取り込まれた。たとえばブリタール Blitar のチャンディ・パナタラン Candi Panataran のバトゥル・プンドポ Batur Pendopo 〈謁見所〉のレリーフにはスリ・タンジュンの他、サン・スティヤワン Sang Swtyawan もが描かれている。同様にクディリ Kediri のバトゥル・チャンディ・スワワナ Batur Candi Surawana にはブドゥ・サとガガン・アキン Bubuk Sah-Gagang Aking という人物も見出せる。これらのレリーフは生の完全性を求めるという主題を持った物語である。

 スリ・タンジュンの物語で重要な点は、ルワタン ruwatan の要素が見出せることである。これはバリ語でパングルカタン panglukatan もしくはパニュパタン Panyupatan 、パバユハン Pabayuhan とも呼ばれるもので、自己の内にあるネガティヴな事柄を溶解し、より強靭で聖なる状態を保持するための儀式である。このパングルカタンの要素は、クディリ、プラマハン Plamahan のチャンディ・ティゴワンギ Candi Tirowangi (1358年)、中部ジャワ、ラウ Lawu 山のチャンディ・スク Candi Sukuh (1439年)、チャンディ・チェト Candi Ceto のように、他のいくつかの祀堂でも重要な主題となっている。この三つのチャンディにはスドモロ物語のレリーフがある。この物語はスリ・タンジュン物語と密接な関係にあり、現在でもバリ島ではパングルカタンの儀式を催す際に語られるものである。

 現代においてもスリ・タンジュンの物語はバニュワンギ周辺の大衆の間で、「バニュワンギ」の名(香りたかい水の意)の由来を物語る伝説として生きづいている。

 バリ島において、スリ・タンジュンの物語は1970年代に人気の絶頂にあったアルジャ Arja の舞踊劇の演目として著名であった。1980年代においても、バリ島のいくつかの地域で、この物語はパングリカタンの儀式のためのワヤンの演目としてとりあげられていた。

 現在、この物語はバリ島の人々にほとんど忘れ去られたかのようである。噂では、バリ島のある村ではスリ・タンジュンの物語を語ることはタブーとされているという。理由はわからない。確かなことは、この物語には何らかの強い力が内包されているのだと想像できるだけである……。

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 もともとバニュワンギの地名に関する由来譚であったのだろうが、ドゥルゴ女神との関係から、サデウォとの関連が生じたのではないかと思われる。上記ブログ記事にもあるように、ルワタン説話の一種と理解されているようだが、妻が貞節の証に自決し、神の恩寵で再生するというプロットは、ラーマーヤナにおいてシーターが純血を証明するために火に入る場面を連想させ、むしろサティヤ Satya 〈インドでのサティー〉の一変形ではないかという気もする。
 妻を信じきれないシダパクサのダメさ加減や、王様のいやらしいところなど、個人的にはお気に入りの物語である。
 さて、ワヤンにもデウィ・スリタンジュンは登場するが、こちらでは話がだいぶ違っている。ワヤンではよくある父探しの話のヴァリエーションになっていて、あまり面白くない。スリタンジュンが水と関連する出自であることや、命の水/バニュ・パングリパンを持っているといった点に、元話の面影が見受けられる〈http://indonesiawayang.com/galeri-wayang/tokoh-mahabarata/mahabarata-wayang-s/sritanjung-dewi/〉。

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 デウィ・スリタンジュン Dewi Sritanjung はアマルト国のクサトリアン・サウォジャジャル Kesatrian Sawojajar 〈クサトリアンはクシャトリアの居住区〉のナクロとデウィ・スレンゴノワティ Dewi Srengganawati の娘である。スレンゴノワティはナルマダ・ワリウ narmada Waliu 川に住まうラクササ亀、ルシ・ボドワノゴロ Resi Badawanangala の娘である(プルウォチャリト Purwacarita によれば、ボドワノゴロはギシクサモドロ Gisiksamodra /エコプラトロ Ekapratala 国の王として知られている)。彼女にはデウィ・サヤティ Dewi Sayati を母とする、二人の異母きょうだいがあり、それぞれの名はバムバン・プラムシント Bambang Pramusinta とデウィ・プラムワティ Dewi Pramuwati という。
 デウィ・スリタンジュンはとても美しく、教養高く、機智に富み、柔軟な思考を持ったひとである。彼女はまた超能力のタフな女戦士でもある。さらに母から与えられた小箱 cupu を持つ。この中には「命の水/バニュ・パングリパン Banyu Panguripan 」が入っている。そして祖父から与えられた呪文、アジ・プンガシハン Aji Pengasihan を持つ。
 デウィ・スリタンジュンは幼い時から、祖父ルシ・バドワナゴロと共にワリウの苦行所で暮らしていた。大戦争バラタユダ Bharatayuda が終わった時、デウィ・スリタンジュンは父を求めてアスティノ国に向かった。その途中、彼女はトゥンゴロノ Tunggarana の森にあるゴワシルマン Gowasiluman 国のラクササ王、プラブ・アジバラン Prabu Ajibarang と出会い、だまされて彼と一緒にアスティノ国に攻め上った。
 アスティノ国でデウィ・スリタンジュンは、サハデウォ Sahadewa〈サデウォ〉とデウィ・スレンゴノワティ Dewi Srengganawati の息子で、彼女のいとこであるバムバン・ウィドパクソ Bambang Widapaksa と出会った。かくて二人は力を合わせてプラブ・アジバランを斃した。彼らの父たち、ナクロとサハデウォによって、デウィ・スリタンジュンとバムバン・ウィドパクソは妻合わされ、プラブ・パリクシト Prabu Pariksit の治めるアスティノ国の軍司令官に任命されたのであった。

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 スリ・タンジュンと夫となるウィドパクソ(シドパクソ)の母の名がどちらもスレンゴノワティなのが気になるが(これではいとこでなく、異父きょうだいになってしまうから、結婚できないだろう)、「エンシクロペディ・ワヤン」でも双方ともスレンゴノワティとなっているので、典拠の記載に混乱があるのかもしれない。
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by gatotkaca | 2014-03-05 00:13 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

双子の兄弟ナクロとサデウォに違いはあるのか? その2

(前回からのつづき)

スドモロ物語の構造とサデウォの役割

 以下では三機能体系説を援用して、スドモロ物語の構造を考えてみたい。
 物語はバトロ・グルの呪詛によってデウィ・ウモがバタリ・ドゥルゴに変身させられることから始まる。バトロ・グルはジャワにおけるシヴァ神の呼び名である。インドにおけるトゥリムールティ Trimurti 神学はジャワでは展開しなかったようで、ここでもグル(シヴァ)は単に天界の主権者として設定されており、インドのような複雑多岐に渡る複合的性格は付されていない〈ジャワにおけるグル=シヴァの変容は、松本亮「ジャワ影絵芝居考」誠文図書、1982を参照〉。三機能体系に当てはめれば、少なくともこの物語においては、第一機能に属すると看做してよいだろう。一方のドゥルゴもインドでのドゥルガーと異なる性格付けがされており、ジャワではグルの妃ウモが呪われてラクササに身を堕した存在とされている。ラクササとはインドのラークシャサのことであるが、ジャワにおけるラクササはインドのアスラ、ダーナヴァ、ラークシャサ、ブータといった魔物の系列すべてを含む。つまりドゥルゴは神に敵対する魔物の一員とされているのである。〈ジャワにおけるドゥルガー女神の変容については、当ブログで〈ドゥルガー〉タグを付した記事で論じた。〉沖田瑞穂氏の指摘にあるようにアスラは第三機能の性格を持つ。スドモロにおけるドゥルゴ・プロットは第一機能たるグルの呪いによって第三機能に属することとなったウモ(ドゥルゴ)がサデウォの手助けを得て、第一機能に復帰する物語であるといえる。
 一方、サデウォ自身もまたこの物語の中で、クンティーによって一旦すてられ、試練の後にパンダワに復帰する。また、天界の住人であったチトロセノとチトランゴドもグルの呪いでラクササに身を堕し、ナクロとサデウォに殺されることで、ビダドロに復帰する。
 つまりスドモロ物語はドゥルゴ、サデウォ、チトロセノ・チトランゴドの三組の第三機能と、グル、パンダワの第一機能との対立と和解の物語である。これは先述したインド・ヨーロッパ語族の神話における第一機能と第三機能の対立とその後の合流という話形に対応している。ただ、インド・ヨーロッパ語族の話形では第三機能は最初の段階では異物として存在し、事件後に体系に組み込まれるのに対し、スドモロにおいては、最初は一体であった者たちが、対立し、その後に和解するという形に変容している。これは、この物語の主題がルワットであり、物語成立当時のルワットの対象が王族・国家であったことに起因するのではないかと考えられる。聖なる存在として生まれた王族が、ある事件によって汚れをおび、試練を経て再び浄化される、というのが初期ルワットの概念であったからではないだろうか。モジョパイト時代に成立したルワットの物語はほとんどが、王族の『魔除けの書』として成立したものであり、そこでは聖なる存在が汚れをおび、再び浄化されるというプロットが採用されている。後代に成立したと思われるムルウォコロ Murwakala の物語では、グルの息子であり食人の魔王バトロ・コロの餌食として設定される者たちは、スクルタ Sukerta と呼ばれ、そのカテゴリーには一人っ子、五人兄弟など、出生にともなう汚れが現れてくる。これはルワットの対象が一般庶民におりてきたことから生じたと思われるのである。
 また、今日のワヤンの多くの演目に、同根発生→対立→犠牲の提供→和解・融合というプロットが見られることから、インド・ヨーロッパ語族ではないジャワ民族においては、上位二機能と第三機能の出自が異なるという概念がなく、すべての存在が同根発生したとする信仰があったのかもしれない。この物語に登場する道化役のスマルには、グルの兄であるという説話が存在する。スマルは民衆の代表者、肥沃の象徴とされ、明らかに第三機能を担う存在であるが、第一機能の代表者たるバトロ・グルと同根発生の存在とされているのである。このスマルの設定がスドモロ成立時にすでに存在したかどうかは不明だが、こういった設定をもうける素地がジャワ文化の中にあったことは明らかだろう。
 ドゥルゴは本来、第一機能に属するウモであったわけで、第三機能におとしめられた彼女の復帰の仲介者としては、第三機能に属し、第一機能との親和性の高いサデウォを必要としたのである。サデウォの行うルワットを補佐するのが、第一機能のグルと第三機能のスマルの二者であることも、その証左であろう。そしてサデウォ自身も、その過程において上位二機能と第三機能の対立と和解という説話形を反復することになる。ルワット執行者の候補としては、ビモをあげることもできる。モジョパイト時代にはビモ〈ビーマ〉によるルワットの物語『ビーマ・スワルガ』も存在する。そこではルワットを行う者がビモとなっているのである。ビモによるルワットは、地獄の火山に投げ込まれた父パンドゥ〈パーンドゥ〉と義母マドリム〈マードリー〉を追って、自らも地獄の劫火に飛び込み、彼らを救い出すというかたちで描かれている。もともと第二機能の肉体的強靭さを誇る戦士であるビモのルワットは、やはり彼の強靭な肉体の誇示を通して行われることになる。ジャワでのビモは、インドのビーマに対して、より第三機能的側面が追加されるかたちでの変容を生じているが、ビモの聖性・超越性の発現は、やはりその強靭な肉体の力を持ってして表現されるのである。しかしスドモロの物語におけるドゥルゴのルワットは力の誇示では果たし得ない。「スタソーマ」や「チャロナラン」でもそうであるように、魔物に身を堕した優しき女神〈かつての聖人〉のルワットを行う者は、誠実さと謙虚さを兼ね備えた賢者でなければならないのである。とすれば、パンダワのうちで第三機能に属し、なおかつ第一機能との親和性をもち、「世に賢者として知られる者」たるサデウォこそが相応しい。
 もう一方のルワットといえるチトロセノ、チトランゴドについては、カランジョヨ、カラントコというラクササとなり、彼らがパンダワの敵対者であるドゥルユドノ〈ドゥルヨーダナ〉に組する者となったことから、戦闘での敗北(死)を契機に行われることになる。この戦闘の段階でナクロが参加するのも、ナクロがサデウォと双子でありながらも、より第二機能・戦士機能との親和性が高い人物であることによると考えられよう。
 このように、マハーバーラタからの二次創作として、ジャワで独自に生まれた「スドモロ物語」においても、インド版「マハーバーラタ」に見られた三機能体系の要素が色濃く反映されていることがわかった。ナクロとサデウォという双子のあいだにある差異についても、少なくともスドモロ物語の成立時期までは継承されていたということができるだろう。

ワヤンのパクム〈演目のあらすじ〉に見いだせる双子の差異

 モジョパイト時代においては、ナクロとサデウォの差異があるていど意識されていたことが明らかになったと思うが、現在のワヤンではどうであろうか。彼らがワヤンで活躍する場面はめったになく、二人が共に登場するさいには、二人の間の差異はほとんど表現されない。ただ、数は少ないが、ナクロ、サデウォを単独で主人公とした演目もあることはあるのだ。ここでは、それらからいくつかの演目のプロットを提示して、双子に差異が存在するかを検討する。各演目のあらすじは、「エンシクロペディ・ワヤン Ensiklopedi Wayang Indonesia, SENA WANGI, Jakarta, 1999 」全六巻から適宜引用する。
 まず二人が共に活躍を見せる場を二つ紹介する。
 ひとつめは、演目「マルトの森を開く Babad Alas Wana Marta 」である。この演目で、ウィロト国の一角マルトの森(またの名ムルタニ Mertani )を与えられたパンダワたちは、魔物たちの棲むこの森を開拓し、自分たちの国アマルト Amarta 国を建国する。この時、森を支配していたチントコプロ Cintakapura 国のジン Jin〈精霊〉の五人兄弟がパンダワ五王子によって斃され、ジンたちの魂はそれぞれパンダワたちと一体化し、彼らの超能力を倍加させる。ナクロと共にサデウォは、サプジャガドSapujagad とサプレブSapulebuという名のラクササ・ガンダルウォを斃した。サプジャガッドの魂は、かくてナクロの体内に、一方サプレブの魂はサデウォの体内に入った。それゆえ、サプジャガドが所持していたアジ・プラノウォジャティAji Pranawajati がナクロに、サプレブが所持していたアジ・プルモノジャティ Aji Purnamajati という能力は、サデウォのものとなった。二つのアジ(呪文)の能力は、記憶力に優れ、事象や問題に対する正確な分析能力であるとされ、二人の能力に特に差異は設けられていない。
 もうひとつは、パンダワとコラワの最後の大戦争バラタユダの終盤にある。今は亡きマドリムの兄プラブ・サルヨ Salya 〈シャルヤ〉がコラワの司令官に任命されたとの知らせが広まった時、プラブ・クレスノ Kresna 〈クリシュナ〉はナクロとサデウォに、プラブ・サルヨのもとへ赴き、コラワ側についた彼らの伯父に命を差し出すよう命じた。愛する二人の甥の到来に、プラブ・サルヨはおおいに困惑した。ナクロとサデウォはこの時プラブ・サルヨに身も魂も差し出すと申し出た。モンドロコの王ははっとして、目の前にいる双子が身の置き所の無いさまになったことへの責任を果たさなければならないと感じた。バラタユダにおいてもしパンダワが敗れれば、プラブ・サルヨは、二人の甥の未来を破壊する罪を負うことになるのだと。ナクロとサデウォに対し、プラブ・サルヨは自身の弱点を教えた。彼を負かしうるのは、白い血をもつ者だけである、と。ゆえに二人の甥にプラブ・サルヨはバラタユダにおいてパンダワ方の司令官にプラブ・ユディスティロを立てるようにと教えたのである。バラタユダの舞台における役を果たして、ついにプラブ・サルヨはジャムス・カリモソドの書に当たって戦死した。
 ここでの双子の役割はバラタユダの帰趨に関わる重要なものではあるが、双子の機能に特に差異は無い。
 では、彼らそれぞれを主役とした演目においてはどうであろうか。

1.ナクロを主役とした演目

a. ナクロの結婚 Nakula Krama
 このラコンはラコン・スムパラン(sempalan)に含まれる。物語は、アウ・アウランギット王国のプラブ・クリダクロトの娘デウィ・ルトノ・サユティRetna Sayati のことが語られる。結婚候補者として定められるため、かくてサユムボロ・プラン(武闘大会)が催された。
 デウィ・サユティの兄インドロ・クロトを負かした者は誰であれ、サユティの夫として選ばれるのだ。サユムボロには他の者も参加した。カルトマルモ、ジョヨドロト、そしてアディパティ・カルノである。しかし、彼らには運がなかった。
 ナクロはインドロ・クロトを破り、デウィ・ルトノ・スヤティ(サユティ)と結婚する資格を得た。
 このラコン・パクムはあまり著名でないので上演は稀である。

b. チョンドログニ Candrageni
 ある日ナクロはトゥランチャン・グリビグの王に身をやつし、プラブ・チョンドログニと称した。彼はプラブ・アノム・ドゥルユドノ、プラブ・ボロデウォ、そしてアディパティ・カルノに挑戦状を送った。
 三人の王は挑戦状を受け取った。かくてすぐさま戦いとなったが、三人とも敗れ、その妃たち、バヌワティ、スルティカンティと共にトゥランチャン・グリビグに捕らえられてしまった。
 いっぽうプラブ・ユディスティロと弟たちは、五年間も何の音沙汰もなく失踪したナクロを、おおいに心配した。ブガエアン・アビヨソの指示により、彼らはドロワティ国に赴き、スリ・クレスノに会見した。
 プラブ・ユディスティロからの知らせを聞いたクレスノは、トゥランチャン・グリビグ攻撃を命じた。まずアルジュノがポノカワンたちと共に先行した。王国に到着するとアルジュノはすぐさまプラブ・ドゥルユドノ、プラブ・ボロデウォ、アディパティ・カルノとデウィ・バヌワティ、スルティカンティを、プラブ・チョンドログニと妃のデウィ・スティヨ・プルノモにも知られることなく解放した。
 その後、ガトゥコチョとアビマニュがチョンドログニに対し書状を届けた。その内容はアマルト国王は彼の国を攻撃するというものだった。戦いが勃発した。パンダワの武将、王族たちはことごとくチョンドログニの超能力に拮抗し得なかった。ついにクレスノがサデウォに一騎打ちを頼み、チョンドログニはサデウォとの一騎打ちで元のナクロの姿に戻り、再び兄弟たちの下へ参じた。
 このラコンはチャランガンに含まれ、しばしば上演される。

2.サデウォを主役とした演目

a. サデウォの結婚 Sadewa Krama
 これについては二つの物語がある。
  ギシサモドロGisiksamodra 国で、プラブ・ボドワンゴノロBadawanganala の娘、デウィ・スレンゴノワティSrengganawati 争奪のサユムボロ(嫁取り競技)が行われた時、サデウウォが赴いた。そのサユムボロでは、「スジャティニン・ラナン・ラン・スジャティニン・ワドン Sejatining lanang lan sejatining wadon(真実の男と真実の女)」を説くことが出来た者は誰でも王の娘と結婚できる、ということであった。サデウォはそのサユムボロに勝利した。
 サデウォはスラミラSelamirah国のプラブ・ラサデウォ王の娘、デウィ・ラサウランRasawulanと結婚する。デウィ・ラサウランはドゥルソソノとアルジュノに求婚されていた。というのも、ウィクwiku(比丘)・プンデト(僧侶)たちによれば、デウィ・ラサウランを妻にし得た者はバラタユダに勝利するであろうとのことであったからである。この婚姻申込で、コラワに従ってドゥルソソノに随行していたカルノと、アルジュノに付き従ったオントルジョとアビマニュの間に争いが起った。しかし、デウィ・ラサウランは、彼女が問う謎掛けに回答することが出来た者を夫に選ぶと言う。その問題は簡単であった。つまり、愛情の真実の意味は何か、とういうことであった。しかし、デウィ・ラサウランは、その答えには漏れの無い十全なものを求めた。ドゥルソソノとアルジュノは答えることが出来なかった。プラブ・クレスノの提案で、サデウォが答えることを命じられ、彼の答えは成功をもたらした。

b. ワヒュウ・シ・ヌグロホ Wahyu Sih Nugraha
 ラコン・チャランガンに属す。サデウォが失踪し、パンダワたちは悲しみに包まれていた。プラブ・クレスノは慰めながら、パンダワたちにガルボルチ国へ行けば、サデウォにまた会える希望があると示唆した。
 その頃、ガルボルチのプラブ・ガルボスモンドは、ジウォンドノを呼び、指導者としての教えを与え、王位をジウォンドノに譲る事にした。だが、国の安寧のため、パンダワの武将サデウォを生贄として探しだすことが条件であった。
 一方サデウォは、スマル、ガレン、ペトル、バゴンと共に森にいた。彼はワヒュウ・シ・ヌゴロホを得たいと願っていた。道中、その望みを失敗させようとするバトロ・コロとバタリ・ドゥルゴの妨害をうけた。かくてサデウォはジワンドノの差し向けたヘスティピングルに拉致された。ガルボルチ王国で、サデウォは殺されず、訓戒を受けた。ジウォンドノはワヒュウ・シ・ヌグロホの化身だったのだ。かくてジウォンドノはサデウォの体内に入った。
 パンダワたちがガルボルチ国に到着し、神よりの恩恵を授かったサデウォと再会した。

c. ワヒュウ・カユ・マニ・イマンドコ Wahyu Kayu Manik Iandaka
 ラコン・チャランガンに含まれる。このワヒュウはサデウォのおかげでパンダワに与えられた。最初このワヒュウはグオ・コリソンゴのブガワン・スクモニングラトが所有していた。このワヒュウ・カユ・マニ・イマンドコの意味を説き明かした者は誰あろうと、これを所有するブガワン・スクモニングラトから与えられるのだ。
 最初にボモノロカスロが来てワヒュウを乞うたが、その意味を説き明かすことができなかった。無理矢理奪おうとサン・ブガワンを殺そうとしたが、スクモニングラトの超能力で、苦行所から放り出された。
 続いてサデウォがやって来てワヒュウの意味を説き明かし、これを得る事に成功した。カユ kayu(木)は生命の象徴、マニ manik(ダイヤモンド) は権力の象徴である。その意味するところは、人生の目的は memaniking dunia(地上のダイイヤモンド)となることであるというものだ。これは信仰に基づいて得られるものである。またグオ・クリソゴ Guwa Krisanga (九つの門を意味する)とは、人間の持つ九つの孔に入ることである。
 ブガワン・スクモニングラトの承認を得てワヒュウは与えられ、彼はサン・ヤン・ウェナンの姿に戻った。
 このラコンはあまり著名でない。

 まず1-a.と2-a.を比較してみよう。それぞれの結婚を扱う演目であるが、ナクロがサユムボロ・プランでの戦闘の勝利によって妃を獲得するのに対して、サデウォはイルム(英知)の開示によって嫁取りに成功する。これは戦士機能と親和性を持つナクラ、賢者としてのサハデーヴァという、ウィカンデル・デュメジルが提示した双子の特性の相違にぴったり適合している。
 1-b. は第三機能と上位機能との対立・和解説話のヴァリエーションといえるだろう。ここでナクロは主に武力を用いて上位機能と敵対し、ナクロの戦士性が強調されている。そしてナクロと対抗できるのは同じ第三機能のサデウォだけである。興味深いのはこれと同工異曲のプロットがスマルの息子とされるポノカワン Ponokawan たちを主人公にした演目でも見られるということである。この第三機能の優位性が高いプロットに関しては、ポノカワンの問題もかかわるので、別の機会に取り上げたい。
 2-b. c. においてサデウォは武力ではなく、英知によって成果を得る。ちなみにワヒュウ wahyu とは天啓のことである。ここにおいてもデュメジル・ウィカンデル説におけるサハデーヴァの賢者性が反映されていると考えられる。
 以上のように、ワヤンの演目においても、ナクロは戦士的特性を、サデウォは賢者的特性を維持しているといえよう。これらの演目の上演はまれであり、ワヤンの観客たちにとりたてて注目されることは少ないとはいえ、少なくとも演目を構成する側にある、一定の素養を有した者たちは、意識的かどうかは別としてもナクロとサデウォに一定の差異を認めているということになるだろう。インド・ヨーロッパ語族の三機能体系に基づくナクラ、サハデーヴァの差異は、マハーバーラタの物語がジャワに渡り、幾多の変容を受けた後もナクロとサデウォの扱いの中で通奏低音のように鳴り響き続けているのである。

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 といった小難しい話は抜きにして、現地のワヤン好きに聞くと、ナクロとサデウォの最大の違いはおでこだ、という。
 ソロ・スタイルのワヤン・クリの造形では、おでこの出ているのがナクロ、おでこが髪で隠れているのがサデウォだそうである。小さくて見にくいかもしれないが、下図をとくと眺めてくださればお分かりいただけるだろう。

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 これも、無理矢理三機能体系説にあてはめれば、ナクロはおでこを出して(顔のすべてを露出して)己の美しさを誇示しているのに対し、サデウォはひかえめに隠している、ということになろうか。
 とはいえ、一般的には「おでこ」が双子の最大の違いということになるだろう。

(了)
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by gatotkaca | 2014-03-03 05:00 | 影絵・ワヤン | Comments(0)