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木から落ちた猿

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ワヤンの女たち 第30章

30. ダルモクスモ、ドゥルパディ、パンダワたちが、国の安寧と神への感謝を捧げる大祭スサジ・ロジョ・スヨを催す

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〈クリシュナ(クレスノ)がシシュパーラ(スポロ)の首をチャクラで射る〉

 ウォノマルトの森に新しい国、アマルトが建設された。それは偉大にして、威光を放つ国であった。パンジャン・プンジュン、パシル・ウキル、ロ・ジナウィ、グマ、リパ、トト・ラハルジョ〈歴史に語られ、海を擁し、山を背に、物価安く、反映し、秩序整う〉。アマルト国は公正にして繁栄する国となったのだ。
 ある明るい朝、カササギとラワ・チュチャク鳥 burung cocak Rawa がさえずり、太陽サン・スルヨがアマルトの大地を照らす。グンディン gending 〈ガムラン曲〉の音が響く。道々には旗指物が飾られ、その前後では人々が大いなる祝賀の宴を準備する。それはインドロプラスト国設立の宴だ。インドロプラスト、またの名アマルト国の美しさはプラハスト prahastha 、すなわち八番目の神の国カエンドランであると言われる。宮殿ではサン・プラブ・ユディスティロが賓客たるスリ・クレスノ Sri Kresna とスリ・ボロデウォ Sri Baladewa を迎える準備に忙しい。彼らは国の大祭スサジ susaji の準備と、ギリバドロ Giribadra 国のプラブ・ジョロソンド Prabu Jarasanda に捕まっている王たちをどうやって助けようかとせわしく話し合っている。プラブ・ジョロソンドは冷酷、貪欲、残忍な王で、帝国主義者、隣国を蹂躙していた。はじめのうちは小国を征服していたが、今やアマルト国とドゥウォロワティ Dwarawati 国〈クレスノの国〉を制服しようと目論んでいるのだ。彼はクムビノ Kumbina 国のプラブ・ビスモコ Prabu Bismaka も打ち負かし、征服していた。かくてスリ・クレスノとボロデウォはセノ〈ビモ〉、アルジュノと共にプンディト〈僧侶〉に身をやつし、〈ギリバドロの〉宮殿に潜入してプラブ・ジョロソンドの妃、デウィ・プンガシ Pengasih と会った。彼女は美しく魅力的な女性であったが、独り孤独に過ごしていたのである。なぜか?王、サン・プラブがたくさんの妾を持っていたからである。
 はじめアルジュノはプラブ・ジョロソンドの妃たちに疑いの目で見られたが、彼の甘い笑顔は妃たちを魅了してしまった。彼の本当の目的は?アルジュノが後宮に入った目的は無敵で知られるジョロソンドの強さの秘密と弱点を探るためであった。アルジュノたち三人の潜入の知らせはプラブ・ジョロソンドの耳に入っていた。そこで彼は側妾たちの動向に注意していた。彼は怒り、すぐさま後宮に向かった。アルジュノを咎め、打ちのめそうとしたのである。
 セノがジョロソンドを迎え撃った。かくてセノとジョロソンドの激しい闘いとなった。ジョロソンドは神のごとき超能力の持ち主で、セノは彼に敵わなかった。
 アルジュノはデウィ・プンガシから情報を得ようとした。彼は説得した。「プンガシ妃よ、助けて下さい。」アルジュノが艶かしく言った。
 「もちろんよ。アルジュノさま。」プンガシはやさしく答えた。
 「あなたがお望みになるのなら、私はこの魂も賭けてみせましょう。」かくてアルジュノはジョロソンドを倒す方法を聞き出すことに成功したのである。プラブ・ジョロソンドを倒したければ、彼を休ませてはならないというのだ。アルジュノはすぐさま暇乞いし、セノを助けるためにジョロソンドに立ち向かっていった。
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〈プラブ・ジョロソンド Prabu Jarasanda 〉

 ビモはプラブ・ジョロソンドに一息つく暇も与えず攻め立てた。ジョロソンドに疲労の色が見えた。その隙をついて、ビモのゴド gada 〈棍棒〉、ルジョ・ポロ rujak polo の一撃が打ち込まれた。ジョロソンドの頭は砕かれ、脳漿が地面に滴り落ちた。ギリバドロ国でのドラマは終わった。囚われの身となっていた王たちは開放され、ただちにスリ・クレスノにインドロプラスト国へ招かれたのである。その間にもインドロプラスト国は準備を整えていた。祝賀の日を前に、近隣諸国からの客たちが訪れて来ていたのだ。そこにはプラブ・ドゥルユドノとプラブ・スポロ Supala の姿もあった。
 さながらD-デイ * のように、儀式はすぐに開始された。それはレスパティ・マニス respati manis の日〈木曜ルギの日 Kamis Legi 〉であり、第八の月であった。その年のスンコロ sengkala は『 Rasa Gembira Gapuraning Urip 〈人生の門で幸せを感じる〉』であった。刻々と大祭の始まりが近づいていた。スリ・クレスノが皆の前に現れ、言った。「我が友たる高貴なる王たちよ、まずは、感謝とようこそのご挨拶を申し上げる。この大祭に恩寵を与え賜う神に感謝の祈りを捧げる。」スリ・クレスノの言葉が終わらぬうちに、プラブ・スポロの騒々しい声があがった。「ストップ!!!俺はこの大祭の進行役をスリ・クレスノに任せるのは認めない。ドゥウォロワティは小国にすぎぬ。プラブ・ユディスティロとも関係ない。俺は提案する。アスティノ国のプラブ・スユドノ Suyusana 〈ドゥルユドノの別名〉にこの大祭の進行役をお願いしたい。憶えておけ、スリ・クレスノはウィスヌ神の化身などではない。だから、列席の方々もスリ・クレスノを崇める必要などないのだ。俺はスポロ、スリ・クレスノより偉大な王だ。」会場は騒然となった。スリ・クレスノは微笑んで、壇上から降り、スポロに近づいた。「やあ、スポロ。お前の誓いを憶えているかね。」
 「憶えているとも。俺はウィスヌの化身を侮蔑することは許されない。だが、俺が侮蔑したのはクレスノであってウィスヌじゃない。」スポロが否定した。「スポロよ、思い出せ。」クレスノが続けた。「かつてそなたは不具の身体で生まれた。腕が四本であったろう。私の指に触れることで、そなたは完全な人間の姿になることができたのだ。そして、そなたは私に誓ったであろう?」
 「嘘だ、俺はそんなことは言っていない。」スリ・クレスノは微笑みながら、手を上に挙げた。突如その手が光り輝き、チョクロ cakra の矢が現れた。チョクロの輝きが天を裂き、スポロの頭上にいたると、彼は跡形も無く消え失せたのだった。驚きの沈黙の後、会場は再び何も無かったかのように平穏に戻った。かくてスリ・クレスノは聖水を宮殿の床にふりまき、香を焚いた。青い煙が空に立ちのぼり、部屋中が豊かな香りに包まれ、特別な神秘の雰囲気が醸し出される。アマルトの安寧が祈願された。天から香り高い不思議な雨が降り注ぎ、大祭の祈願が神々に受け入れられたことを証した。公正にして繁栄する国。しかし後の日に国も財宝もそのすべてが賽子賭博によって奪われてしまうのである。
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〈スポロ(シスポロ)Supala 〉

1976年8月15日 ユダ・ミング

* D-デイ(D-Day)とは、戦略上重要な攻撃もしくは作戦開始日時を表す際にしばしば用いられたアメリカの軍事用語。語頭のDの由来については諸説あるが、一例として漠然とした日付を表すDayの頭文字という解釈がある

(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-30 09:32 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの女たち 第29章

29. 牛肉屋のビロウォがウィロト国王の威信を護る


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〈ジャガラビロウォ Jagal Abilawa 〉


 神秘の泉は煮立ってしまいロジョモロの遺体は、粥のようにくたくたになってしまった。パティ・ルポケンチョとケンチョコルポはビロウォを激しく攻撃した。ビロウォは実はブロトセノ〈ビモ〉であった。ビモにとって二人の頭をたたき割り、来世へと送ってやっても支障はなかった。とはいえ、ケンチョコルポとルポケンチョも超能力の持ち主であった。ケンチョコルポは日に千回死のうとも、ルポケンチョが触れればたちまち生き返るのだ。
 ビモは二人に息つく間も無く打ち叩かれたが、じっと息を詰めてこらえた。いかに強いとはいえ、さすがのジャガラ・ビロウォにも疲れが見えて来た。ビモは考えた。ロジョモロはすでに死に、彼らの企みも潰えた。ケンチョコルポとルポケンチョの相手をしている必要は無い。ドゥウィジョカンコ Dwijakangka (プントデウォの偽名)の合図で、彼は退くことにした。しかしルポケンチョとケンチョコルポも黙っておらず、敵が退くのを見て、すぐさま追いかけてきた。とつぜん、ルポケンチョとケンチョコルポの前にドゥウィジョカンコが立ちふさがった。
 「この奴隷め、お前は礼儀を知らんのか。俺が誰だか知らぬと見える。俺はウィロト国の大臣だ。なぜ敬意を払わぬ。俺はそんじょそこらの貴族とは違う。特別なんだ。敬意を払え。ええ、お前の頭にあるのは何だ。」ケンチョコルポが傲慢に怒鳴りつけた。怒鳴りつけられても、ドゥウィジョカンコは少しもひるまず穏やかに言った。
 「おお、高貴なる我が主ウィロトの大臣さま。私の頭にあるのはグルン・クリン gelung keling 〈丸く結い上げた髷。プントデウォの特徴のひとつ。〉です。」
 「命令だ、今すぐはずせ!グルン・クリンの髪型は貴族の者だけに許されるのだ。」怒鳴りながら近づき、彼はカンコのグリン〈髷〉を無理矢理崩そうと手を伸ばした。どうなったか?ケンチョコルポの手がカンコの頭に触れると、彼はどたりと倒れ伏したのである。なにゆえか?グルン・クリンから火が噴き出したのだ。ケンチョコルポの顔目がけてカリモソドの超能力の火が噴いたのである。ルポケンチョは兄弟が倒れたのを見て驚き、カンコに襲いかかろうとした。しかし結果は同じであった。二人とも同士討ちにあったように、宙返りしてひっくり返ったのだった。
 カンコが卑しめられようとしたのを見て、ビモは自制心を失った。すぐさま二人に襲いかかったが、敵わず、退いた。スマルに会って負けたことを話し、ぼやいた。『神の身たる asarira Batara 』スマルは笑いながら言った。
 「おおご主人、偉丈夫たるビモよ。この敵は二人に見えて実は二人ではない。彼らを斃したいのなら、同時に二人を殺すのです。ご存知か。古の時代、ある猿の王がおりました。その名はスバリ Subali 。彼もあなたと同じような経験をしたのです。スバリはマエソスロ Maesasra とルムブスロ Lembusuro という二人のラクササ〈羅刹〉と戦いました。スバリは危うく負けそうになりましたが、いい方法を思いつきました。かのラクササ二人の頭をひっつかみ、『耳を揃えて mengadu kumba 』二人のラクササの頭をぶつけて砕いたのです。脳みそが出て、彼らの人生は終わりました。」
 スマルの話を聞き、ジャガラビロウォは熱く燃えて進み出た。ケンチョコルポとルポケンチョは彼の両手にとらえられ、二人の頭は同時に打ち合わされた。二人の敵は地面に横たわり、もう動かなかった。
 ウィロト国を脅かす災厄のすべてが消え失せた。かくてプラブ・マツウォパティは真実、敵を殲滅してくれた功労者が、身を隠していた自身の孫たちパンダワであったことを知ったのである。かくて彼らは変装を解き、ウィロト王宮の宴に参列した。感謝のしるしとして、ウィロト国王プラブ・マツウォパティはパンダワたちに、住処としてウィソマルト Wisamarta の森の地を贈った。ウィスマルトこそ、のちの日のインドロ・プラスト Indra Prasta 、またの名アマルト Amarta 国である。
 これこそ人生の闘いである。「ブチック・クティティク・オロ・クトロ Becik ketitik ala ketara 〈善は見られ、悪は露見する〉」。

1976年12月19日 ユダ・ミング

(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-29 10:01 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの女たち 第28章

28. ウィロト国を蝕む『病』の首謀者、ロジョモロはポロソロとデウィ・ロロ・アミスの誤った精液から産まれた


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〈ロジョモロ Rajamala 〉

 ロジョモロ Rajamala はポロソロ Palasara の息子で、ロロ・アミス Lara Amis の病という『災い mala 』から生じた。ご存知のように〈『ワヤンとその登場人物〜マハバラタ編』13章〉、ロロ・アミスはジャムナ河の上でポロソロに病を治癒してもらった。舟が二つに割れ、人間となった。その名をルポケンチョ Rupakenca とケンチョコルポ Kencakarupa という。ロジョモロ、ルポケンチョ、そしてケンチョコルポは、他の兄弟たちと共にウィロト国のマツウォパティ王のもとで育てられた。三人とも信頼しうる超能力の将となった。さらにルポケンチョは王子となり、戦闘指揮官セノパティとなった。超能力におぼれ、彼らは己惚れと虚栄心にみちた者となっていった(semongah- sesongarang, hadigang, hadigung, hadiguna うそつきで尊大、もっともっとと欲深い者)。
 王の聞こえよろしく、ウィロト王宮と同等の規模と美しさを持つカサトリアン〈クサトリアの居住区〉を建てていた。前庭は『リンギン・クルン ringin kurung 〈宮殿の入り口に門のように植えられるブリンギン(バニヤン・ガジュマル)の樹。〉』を備え、入り口はガプロ gapura 〈アーチ上の大門〉になっていた。今ならさしずめ、床は輸入大理石、自動冷房完備といったところか。典礼があれば三人ともお大臣の服装で列席した。帽子と冠は24金で彫刻が施され、3カラットはあろうかというダイヤモンドで飾られていた。肩と胸は勲章でいっぱいだ。その重さでなで肩になっている。吊り下げた剣、ゴムビョル gombyor 〈ズボン〉は、まるでパサル・クレウェル pasar Klewer 〈スラカルタにある市場〉で売ってるもののように最高の垂れがついている。まさに『貪欲』なる者たちだ。その行為は残虐で、冷酷、サディスティックである。命令に従わない者あれば、相手のことなどお構いなく、怒鳴りつけ、平手打ちをくらわすのだ。
 大笑いしながら話し、英雄の評定があれば、つねに称賛を求めた。花の首飾りがかけられ、美しい女の踊りがつづく。目につく女があれば、ロジョモロはあれこれと物色する。花と香油を売るサリンドリ Salindri という美しい女が目にとまった。彼女は実は賽子賭博に敗れた罪で十二年間身を隠しているドゥルパディその人であった。ロジョモロはサリンドリの美しさと妖艶さに心奪われた。いてもたってもいられなくなり、こみ上げる欲望に、欲求不満がつのっていくのだった。
 そこで彼ら三人は考えた。俺が王になったあかつきには、お前は将軍セノパティだ。俺は超能力にあふれている。俺なしではウィロト国は立ち行かぬ。
 かくて三人はウィロト国王プラブ・マツウォパティ Matswapati に対する「クーデター」を画策する。御前試合を装った陰謀である。戦士としてロジョモロが出場する。プラブ・マツウォパティに挑戦者を選出させる。マツウォパティは国を賭け、ロジョモロはその地位と魂を賭ける。マツウォパティが負ければ、国はロジョモロのものだ。
 秘教や詩文学の教えに繰り返し説かれるように、『力 jaya kawijayan 』に驕る者は、超能力などあてにならないものだという教えを知らぬ。災いに見舞われたときには、期待はずれで、信頼できない( iku boreh paminipun, tan rumasuk ing zasad amung aneng sajabaning daging, yen kepengkok pancabaya ubayane balenjani 〈体内に入れず/皮と肉の間だけでよい/約束を違えれば/災厄に見舞われよう〉)。まさしくそのとおりである。御前試合の競技場で第21ラウンドのゴングが鳴った。ロジョモロはウィロト国側の戦士ジャガラ・ビロウォ Jagal Abilawa に向かっていった。
 ジャガラ・ビロウォまたビロウォ Bilawa(実はビモ)は始めのうちはロジョモロを倒すことができなかった。というのも、『神秘の力の池 kekuatan kolam gaib 』を持っていたからである。彼は斃されてもその不思議な池で沐浴するか、その水に入れば生き返るのである。幸いにもアルジュノとスマル Semar がついていてくれた。スマルはアルジュノに知恵を授ける。アイスキャンディー売りに化けて池に近づくようにと。そしてその池に重代の武器、短剣プラングニ Pulanggeni を投げ入れるのだ。プラングニを入れると超能力を宿した池の水はたちまち沸騰して役に立たなくなってしまった。超能力は消え失せ、ただの水になってしまったのである。
 それゆえ、ビロウォに斃されたロジョモロの遺体は池に入れられても生き返ることなく、水に浸かった布のようぐったりし、骨から剥がされた肉のようにふにゃふにゃになったままだった。
 賭けはむちゃくちゃになり、ロジョモロの計画は砕け散った。クーデターの計画は潰えたのである。
 ウィロト国を蝕み、乗っ取ろうとした『病』の王ロジョモロの物語はこのようなものである。
 もう一度言おう。「スロディロ・ジャヤニングラト・スウ・ブラスト・トゥカピン・ウラ・ダルマストゥティ Suradira jayaningrat swuh brasta tekaping ulah darmastuti (どれほど超能力をそなえ、力があっても、不正、不実、強欲の目的を持つ者は、高貴なる魂、平穏なる愛と平和の心によって必ず滅せられる)」。
 勇猛さと超能力が如何ほどであったとしても、その志が善でなければ、平和を目指す心に打ち負かされるだろう。

1976年12月12日 ユダ・ミング

(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-28 08:08 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの女たち 第27章

27. ドゥルパディはドゥルソソノの血で髪を洗い上げるまでは髪を結わないことを誓う

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〈ドゥルソソノ Dursasana 〉


 天国は母の足もとにある。諺にかく言う。しかし、しばしば男たちは母たちを忘れ、ないがしろにするのだ。パンダワとクロウォの賽子賭博においても、そのようなことが起こった。物語はこうである。
 すべての財産を賭けで失ったユディスティロは、ドゥルパディを賭けたらどうかというサクニ〈スンクニ〉 Sakuni の誘いにのった。ユディスティロは受けて立った。
 「よろしい、我が妻ドゥルパディを賭けよう。」一同はとても驚いた。特に長老たち(老人たち)はユディスティロの理性を失った言葉に耳を疑った。ルシ・ビスモ Resi Bisma 、クルポ Krepa 、そしてドゥルノ Durna は口々に言った。
 「いかん!いかん!女を賭けるなど、わしは同意しない。こんな賭けはやめてしまえ。」
 しかしすべては手遅れだった。汚く、狡猾なサクニは、手中にした機会を逃さなかった。すでにサクニによって賽は投げられ、結果は『クロウォの勝利』であった。サクニは叫んだ。
 「今や我らの勝利だ。ドゥルパディは我らのものとなるのだ。」サクニの言葉にクロウォたちは大はしゃぎし、アスティノの宮殿が揺れ動いた。ドゥルユドノもおおはしゃぎしたが、、すぐにヨモウィドゥロ Yamawidura に傲慢な騒ぎっぷりを咎められた。彼はシニカルに言った。
 「ああ、ウィドゥロ叔父、今またドゥルパディを手に入れたのです。こちらへ連れて来て下さい。彼女はクロウォのもの。」ヨモウィドゥロはドゥルユドノの言葉に気分を害し、猛々しく答えた。
 「おお、ドゥルユドノ、そなたは今やまさしく気違いになった。そなたの滅ぶ時が来たと知れ。そなたは今、崖っぷちに突っ立っているのだ。そなたはまもなく真っ逆さまに落ちる。サディスティックで、残酷で、貪欲なおまえ自身の獣の欲望に焼き滅ぼされるのだ。そなたのスードラ〈奴隷階級〉の欲望と共に深い谷底に落ちていくことになる。お、ドゥルユドノ、今は勝利に酔い痴れているだろうが、この勝利がそなたに破滅を届けるだろう。十三年以内に、そなたはいまのこの勝利に食われ、滅ぶことになるだろう。」
 口論になったが、ドゥルユドノに理はなかった。彼は弟のドゥルソソノ Dursasana を振返り、ドゥルパディを無理矢理連れて来るよう命じた。
 ドゥルソソノはスキップして駆け出し、ドゥルパディの部屋に入った。
 「よお、ドゥルパディ、今やそなたは我らの所有物となったのだ。俺の言うことをきけ、俺の望みには何でも従うのだ。恥ずかしがることはない。この部屋には誰もいない。俺とおまえだけだ。」
 ドゥルパディは襲いかかろうとするドゥルソソノを避けたが、ドゥルソソノは巧みだった。無理矢理つかまえようとして、手を伸ばし、その手が髷の髪をつかんだ。あきらかに女に対する暴力行為である。。その嘆きと屈辱は比類ないものであった。ドゥルパディは会議場に連れて来られると、涙を流し、感情を抑えながら、きれぎれに言った。
 「ああ、この席に並んでおられる方々よ、母を、そして女たちを愛する心がおありなら、このような事態をお許しになってはいけません。私は誓う。ドゥルソソノの血で濯ぐまでは、この髪を洗うことはない。」
 ドゥルパディの言葉が終わらぬうちに、歯抜けで、しわくちゃ、腰の曲がったサクニは欲情し、ドゥルパディに近づくと、無理矢理服を脱がせようとした。彼は一枚、また一枚とドゥルパディの衣服を剥いでいったが、奇蹟が起こった。ドゥルパディは倒れ伏し、意識を失いかけていたが、類い稀な超能力をもって、サクニがドゥルパディの服を剥ぎとるたびに、新しい服がドゥルパディをつつむのだ。剥ぎ取られた服はアスティノのプンドポ pendapa 〈王宮のホール〉に山のように積み上がった。列席した者みな恐ろしさに震え上がった。畏れ青ざめて、おおいなる神トゥハン・ヤン・マハ・エサから呪われませんようにと祈った。ドゥルソソノとサクニはやっきになったが、ついに力つき、折り重なって倒れてしまった。
 ビモだけが、うめきながら唇を噛み締め、拳を握りしめていた。彼は誓った。
 「俺は誓う。絶対、野蛮で獣の心のドゥルソソノの血をすすってやる。恥を知らぬサクニの皮を剥いでやるとな。」

 さて、かくなる次第である。後の日にビモとドゥルパディの誓いは現実のものとなる。これこそが『グンドゥ・ウォイン・パンガウェ ngunduh wohing panggawe 〈自業自得〉』のカルマ〈定め〉というものだ。今一度ワヤンは人に『用心と警告を意識せよ』ということを想起させる。勝利に酔ってはならないのだ。

1976年12月5日 ブアナ・ミング

(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-27 02:55 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの女たち 第26章

26. 私は一妻多夫に賛成してはいない

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〈ドゥルパディとパンダワ五王子 Drupadi dan Pandawa Lima 〉

 拝啓
 11月21日のブアナ・ミングでのさまざまな意見を掲載した記事に関して、そこで一読者としてニ・トゥティ・Dの意見がとりあげられていた。その論旨の中で例としてドゥルパディの名を挙げていた???
 この名は、バパ・イル・スリ・ムルヨノ・ヘルラムバン herlambang 氏から『ネガティブ』にとらえられたようで、おおいに批判された(注:イル・スリ・ムルヨノはヘルダランであり、ヘルラムバンではない)。私の記事は彼以外にも他の読者の『血を頭に昇らせ』たようで、諸兄からニ・トゥティ・Dに、『冷静な』また理性的な記事をもう一度書くようにとの要請を受けた。
 素人にとっては、一夫多妻であろうと一妻多夫であろうと、多重婚を形成する世界観というものは、トゥハンの秩序、人間性の基本から見れば呪わしいものと言える。新しいインドネシア共和国の婚姻法と社会観は『世論』なのである。
 今日の状況は民衆に合わせられる。それはSPP〈sumbangan pembinaan pendidikan 教育発展への貢献〉を知らない古代 Baheukia やワヤンの時代から離れて現実の世界に根ざしたものなのである。たとえば、家族計画 Keluarga Berencana 、公務員/民間への(小)家族手当、などである。
 玄人にとって、この問題は、ひじょうに敏感で心を痛めるあるもの(亡霊・幻 momok )なのだ。夫がひとりなら、妻の心は痛まないのか。妻が浮気していると知って、夫は暴れないでいられます?心の痛みは同じなのです。
 私の論旨はこのようなものだ。私、ニ・トゥティ・Dは、一夫多妻も一妻多夫も承認しないし、支持しない。というのもそれは『呪われた』『古代』のものだからである。インドネシア国家の一母親のして、さらに自分の子どもたちの幸福と安寧を第一に思う者として、またインドネシア共和国の発展に寄与する若き世代のインドネシア人すめてのためになおさらのことである。

1976年12月12日 ブアナ・ミング

敬具
TTD(ニ・トゥティ・D Ny.Toeti. D.)
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(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-26 01:06 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの女たち 第25章

25. ドゥルパディは貞淑な妻であり、一妻多夫ではない

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〈デウィ・ドゥルパディ Dewi Drupadi 〉

 数日前、ジャカルタの女性誌『フェミナ Femina 』紙上に興味深い記事が掲載された。それは世の母たちの不満をつのらせている「一夫多妻と一妻多夫、そして一夫一婦制」に関する議論であった。さらにある読者は議論の中で例としてドゥルパディを挙げておられた。
 さてここで問題だ。ドゥルパディはポリアンドリ poliandri (一妻多夫)なのか、モノアンドリ monoandri (夫は一人)なのか、どちらが正しいのであろうか?
 端的に答えるなら、ドゥルパディとポンチョウォロ Pancawala 〈ドゥルパディとユディスティロの息子〉に関しては二つの説があるのだ。つまりマハーバーラタのアディパルワ Adiparwa〈アーディパルヴァン(初編)〉とプストコ・ロジョ・プルウォ Pustaka raja Purwa のラコンとは矛盾するのである。
 マハバラタ〈マハーバーラタ〉/アディパルワ〈アーディパルヴァン〉によれば、ドゥルパディはパンダワ五王子の共通の妻となるので、いわゆる一妻多夫といえる。この結婚で彼らには五人の王子が産まれる。プラティウィディヤ〈プラティヴィンディヤ〉 Pratiwindya (ユディスティロとの息子)、ストセナ〈スタソーマ〉Sutasena (ビモとの息子)、スルタカルナ〈シュルタキールティ〉 Surtakarna (アルジュノとの息子)、プラシニ〈シャターニーカ〉Prasini (ナクロとの子)、そしてストラセナ〈シュルタセーナ〉Sutrasena である。

 ジャワ古語で書かれたアディパルワのヴァージョンでは、サユムボロ〈sayembara 嫁取り競技〉で勝利したアルジュノがドゥルパディを獲得する。彼は的を矢で射ることに成功したのだ。このサユムボロはインドロプラスト建国、ウォノマルトの森開拓の前の出来事であった。サユムボロの勝利し、パンダワたちはドゥルパディを連れて森に帰る。そして彼女はパンダワの五人兄弟の妻となるのである。アディパルワの書(11世紀古代ジャワ)の250頁には以下のように書かれている。
 「Tumut ta sang Drupadi, siramaputra, limang siki anak nira. Pratyeka ni ngaran ira; sang pratiwindhya, anak nira-ri sang Yudhistira, sang Sutasena anak nira ri sang Bhima, sang Crutakara anak nira sang Arjuna, sang Prasini anak nira ri sang Nakula, sang Cutrasena anak nira ri sang Sahadewa. 」
 「かくてドゥルパディは子をもうけ、その数五人であった。
 彼らの名は次のようなものである。プラティウィンデイヤはユディスティラの息子、スタセナはビモの息子、チルタカルナはアルジュナの息子、プラシニはナクラの息子、そしてチルタセナはサハデワの息子である。」
 先述の古代ジャワのアディパルワの物語をまとめてみると、興味深い結果になる。ドゥルパディとポンチョウォロに関する(現在の)ワヤンのラコン〈物語〉は、古代ジャワのアディパルワからは直接取材されていないのである。
 現在インドネシアに流通しているプストコ・ロジョ・プルウォ版の物語や、ワヤンの諸演目ではどうなっているのだろうか?
 伝統的にはドゥルパディは一度としてポリアンドリ poliandri 一妻多夫(パンダワ五王子共通の妻)とは言われていないのである。ドゥルパディはポンチョロ Pancala 国王プラブ・ドゥルポド Drupada の王女である。彼女は一人の夫にのみ嫁ぎ、それはプラブ・ユディスティロなのである。息子も一人で、その名はポンチョロ国の名にちなんで、ポンチョウォロ Pancawala という。
 なぜこのような違いが生じたのであろうか?それは、インドネシアの民族は一妻多夫という概念を受け入れるのを善しとしなかったからである。一妻多夫という結婚形式は我が国の伝統によって拒まれた。この地では無作法としてとらえられたのである。
 伝統的にはデウィ・ドゥルパディ獲得の物語は、「サユムボロ・ゴンドモノ Sayembara Gandamana 」あるいは「ゴンドモノの死 Gandamana Gugur 」というラコン〈演目〉を構成する。
 この物語は『ドゥルパデの嫁取り競技 Sayembara Drupadi 』とは大いに異なる。劇的で、キ・ベイ・タルノKiBei Tarno の語りでは、後ろ髪を「ムリンディン mrinding 〈ざんばら髪〉」にした人、と語られるだろう。サユムボロ・ゴンドモノで勝利するのはビモだ。この戦いでゴンドモノはビモによって死にいたる。
 さて、こまでの説明で、インドネシアの民はマハーバーラタを盲目的に受け入れていたわけではない、ということをお解りいただけたと思う。
 インドネシアに到来するものを、むろん最初のうちは「モモン〈 momong=育成〉、モモット 〈 momot=力の源〉、ムマンカット〈memangkat=出発〉」として自身と合致させるように受け入れる。
 しかし、その後すべては消化吸収され、我々自身の個性に合わせたものになる(つまり合わないものや良くないものは捨て去られる)のである。
 そしてまさしくワヤンは『一妻多夫 Poliandri 』を拒んだのだ。

1976年11月21日 ブアナ・ミング


(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-25 07:03 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの女たち 第24章

24. ふたたび、一夫多妻と一妻多夫

 ●第23章のトゥティ・アディトモ女史の提言、『一夫多妻が良いなら、一妻多夫は?』(フェミナ90号)に対して、編集部には洪水のような反応が寄せられた。数える気にもなれないほどである。これを機会に、長い間押しこめられていた女性たちの声が届けられたものが大半であったが、男性からの声も負けてはいなかった。
 私自身は『フェミナ』誌をすべて読むことはできていないので、できるだけ多くの選択肢を開示できるように考慮して意見を掲載した。我々が選んだ書き手たちがすべてを網羅し得ているわけではない。

いつ正義は行われるのか?

 フェミナ90号のトゥティ・アディトモ女史の意見は、長年心の中で熱くなっていた思いを呼び起こしました。
 そう、一夫多妻が良しとされ、あたりまえとされるなら、どうして一妻多夫にはできないのでしょうか?男はいつでもたやすく情熱的愛を実現できるのに、女は夢を見ているだけなのは、どうしてでしょう?どうして妻は夫を満足させ、喜ばせるためにSE(セックス・エクササイズ、美容体操 senam seks )に励まなければならないのでしょうか?どうして妻のために夫は美容体操しないの?KB〈Keluarga Berencana 家族計画〉でも、ターゲットにされるのは妻たちでしょう?圧迫され続け、負のスパイラルに追い立てられるのです。毎日ピルを飲むよう指示され、その結果が出血と信じられないほどの脂肪です。私たちは正直になりましょう。
 平等を実現する正義が行われるのはまだなのですか?性の平等の自由はないのですか。一夫多妻はうらやましがられるようなものではありません。ただお情けを求めるものです。求められるのはそれだけ。妻たちが情熱的な愛を夢見ることは無謀なこととされる。夫たちはどうなのです?どちらも同じ人間に違いありません。彼女たちははなはだしい心の痛みに耐えている。これ以上は耐えられません。

 もちろん私たちの祖先や母たちはいつも幸福な結婚の条件として、妻は『ブクティ・ラキ bekti laki 』(男への献身)でなければならない、という見解を推奨してきました。私は、夫がそれを濫用しないという条件付きであれば、この意見を認めます。真実、妻が献身的で、従順で、誠実で、夫が彼女を愛しているならば。『献身』は絶対に必要です。しかし、夫の側からの理解はもっと必要なのです。そうすれば、妻を残して近所の寄り合いに入り浸ったり、仕事のふりをして外出したりしなくなるでしょうから。いつも満足を得ようと思うなら、奥さんを喜ばせる努力もするでしょう。

 今しなければならないことは、妻を家庭の煩わしさのスケープゴートにすることではありません。夫が堕落し、妻は浪費家となる。夫がまた結婚する、もしくは浮気する。それでは主婦がお仕えすることなど間違いなくできません。私は妻の側が浮気するのも見てみたい。世間はどんな反応をするでしょう?ああ、まさに妻は不道徳な者と言われるでしょう。子どもたちの母として相応しくないと。女にはそんな言葉が投げつけられるのです。

 なぜ過ちを犯した妻は許されないのでしょう?絶対的に間違っているとは限らないでしょう?夫がインポテンツだったり、とっても退屈な男だったりすることもあるでしょう。夫が歯抜けで、寝るのが仕事だったとしても、女はうんざりすることも許されない。映画にも誘ってくれず、夜ふたりで散歩することもない。テニスを誘っても、心臓が悪い。要するに無能な夫です。それでも妻は受け入れなければならない。いわゆる『献身』のために。

 西洋ではウーマン・リブ運動があり、女性に対する不公平を改善することを目指しています。インドネシアの男たちはウーマン・リブの台頭を快く思っていません。その努力を引き裂いて成長できないようにしているのです。自分の家庭からはじめましょう。妻たちの必要性に理解を。否応なく公正は実現するでしょう。ウーマン・リブは生まれるべくして生まれたのです。戦うための手段として婚姻法はいらない。
 どうです夫たちよ、長きに渡る不公正に対して、あなたの小さな心はまだ興味をそそられないのですか?

ニ・アス・ウィドドージャティロト
Ny. As. Widhodho - Jatiroro


運命

 トゥティ・アディトモ女史の一妻多夫に関する記事を読んで、私は身震いさせられた。
 トゥティ女史の見解は、男たちのすることはすべて女たちによって為されても許されるというものだ。しかし私は、至高神ヤン・マハ・クアサは女性たちに越えることの許されない制限を与えられたと考える。リビアの放蕩児にカダフィ Ghadafi という人がいるが、彼がエジプトの女性たちに100パーセントの男女平等を要求された際、「多分だめだ。あなた方が処女膜を持っているから、できない。」と答えた。我々は笑ったが、もっと彼の発言を検討するほうが良かろう。カダフィの言葉に真実は無いのか。
 イスラーム諸国の女性たちの運動は進行している。エジプト、アルジェリア、トルコ、シリアその他の国々が一夫多妻制から自由な婚姻法の制定を求められている。インドネシアはもっと賢いと私は思う。一夫多妻は良い、しかし第一夫人の許しが必要だ。なぜ賢いのかというと、
a. 一夫多妻とするか否かを決定するのは女性側である。
b. 我々の前にある状況は、一夫多妻制を最良としている。たとえば女性の側が不妊である場合(不妊または生物学的な女性の義務を果たすことが物理的にできない場合)である。

 もし不妊や不能が男側であったら、どうだろうか?
 ここで私は手をあげる必要がある。一妻多夫でいいですか?離婚しますか?両者の間で真剣な議論がなされるべきである。アッラーの思し召しを指針とする常識があれば、最終的な解決にいたることができるだろう。『裁判官が常識で問題を解決しようとして、失敗しても、一回の報酬はある。成功すれば、報酬は二度になる。』という賢者の言葉を私は聞いたことがあるのだ。

アブドゥル・ハリムーースラバヤ
Abdul Halim--Surabaya



一夫多妻の経験

 一夫多妻の経験者であるという読者からの原稿を、編集部にいただきました。原稿はご自身の経験を綴ったものでした。下記はその抜粋です。
 『二番目の妻との結婚には十分な理由があるということを、宗教的観点から、また他の観点からも見直す必要があります。残念にも私の第一の妻は子をなすことができませんでした。我々は結婚後三十一年を経ていました。もう一人妻を迎えたいと思ったのですが、正直なところ、子を得たいというこの問題を誰に伝えようかと思っていました……私としても良縁を得たかったのです。』
 『二人の妻を得た私がうれしく思っているかですって?
 『さて……それこそ我々男たちにとって最大の関心事であり、詩人のレンドラの言葉が本当であることを証明することになったのです。つまり『愛にはさまざまな影がある』ということです。まさしく幸せよりもず〜っとsenep (〈ジャワ語〉胃を刺されるような痛み)の方が多いのです。西を見れば怒り顔、東をむけばふくれっ面。どっちを見ても私は咎められるんです!」
 「心身ともに疲れ果てました。気を使う従順な聞き手であることを求められるのです。妻たちの『甲高い声で競い合う歌』のようなガミガミをじっと聞き続けていると、その息苦しさと苦しみで、胸の内に虎が育って来るのです。」

イマム・スハルトーーアセムバグス・ジャティン
Imam Syharto - Asembagus, Jatin


トロフィーみたいなもの

 一夫多妻・一妻多夫の人も、そうでない人も、幸福な結婚、また共同生活というものはいまだかつてあったためしが無いし、おおむね複数婚というものはコミック(笑劇)なのだ。アルジュノという男とデウィ・ドルパディ Dewi Drupadi やデウィ・バヌワティ Dewi Banuwati といった女たちの登場する笑い話なのだ(デウィ・ドルパディはパンダワ五王子の共通の妻であり、バヌワティはアルジュノと浮気する)。セックスと愛の世界で力尽きた者たちへの『トロフィー』の類いにすぎない。言わせてもらえば、素人でないものにとって、この問題はひじょうにセンシティヴで気分の悪くなるものなのである。
 しかし多重婚における『心を捧げた人』というものは本当に『トロフィー』と考えることのできるものなのだろうか?たとえば、土曜の昼と日曜の夜はお気に入りの第四夫人と過ごし、月曜には第三夫人の抱擁と笑顔に迎えられる。水曜になったら第二夫人に甘え、つづいて古株の人、つまり第一夫人のところで歓迎される。
 こんな感じならもちろん、この世は天国だ。現実は違う。抱擁と歓迎の笑顔ではなく、使い込みと暴言が待っているのだ。あるいは「勘定に入れていなかった」妻たちがじっと押し黙っているとか。
 想像してみるが良い。望んでもいないのに妻たちが順番にやって来る。彼女たちだってふつうの人間だ。仮に夫が『公平』にしようとしても、奥さん方はそんなことを望んでやしないのだ。関係に『亀裂』が入ったり、夫が不実を働いたりすれば、表面的にも内心でも関係性は別ものになる。『トロフィー』にとっての夫は、独り蚊帳の外の存在ということにもなりかねないのだ。やってみればわかるだろう。

ニ・トゥティーージャカルタ
Ny. Toeti - Jakarta



若者から見た一夫多妻制

 トゥティ・アディトモ女史の記事を読んで、ジャカルタの学校教員であるウィラクモさんが、SMA〈Sekolah menengah atas 高等学校〉三年の彼の生徒たちと、この問題について討論してみた。そこでいくつかの興味深い反応があったという。それによればーー
 「まずママに聞いて、それからパパにも尋ねてみました。ママはいつもやさしく言います。『私には関係ないわ』。それで私はさらに聞いてみました。私は成長するにつれて、パパがいつも出掛けるのはなぜなのか不思議に思うようになりました。でも一緒にいる時も、そのことをパパに聞く勇気はわかなかったのです。今は私の母がパパの第一夫人なのだということを知っています。パパは他の街に預金を持っていると聞いていました。今はママにこれ以上聞くつもりはありません。私が聞くたびに、ママの気持ちを傷つけることになるからです。ひとつだけ確かなことがあります。私は心の内に誓っています。第二夫人になるくらいなら、死ぬほうが良いと。」
 同じクラスの男の子の反応では、反対意見もありました。もちろん少数でしたが。そのコメントはーー「僕だったら、そういうのも良いと思う。」もちろんこの答えには女生徒たちから猛反撃をくらいました。「どんなことか分かってるの?」「両方愛してるってのはどう?」その男の子は答えました。「女を馬鹿にしてる!」女生徒たちが叫びました。
 もうひとつ別の意見。「一夫多妻は、僕としてはロキシーの角の飯屋の屋台へ行くようなもんだと思うよ。お金を持ってる時はいつも屋台の食べ物をつまみ食いしながら出入りするんだ。ああ、どうして女は楽しい夢を見ようと思わないのかな?」



男の基本

 昨年12月19日にジャカルタのインドネシア大学でバーデル・ジョハン Bahder Djohan 教授によって催されたシムポジウムを思い出した。そのシムポジウムは婚姻法の決議案に関する演説に対する反応としてペルワリ PERWARI 〈Persatuan Wanita Republik Indonesia インドネシア共和国女性連合〉の後押しで開催されたものである。1957年西ジャワ州の自治段階1暫定本議会で、『男性は本質的に一夫多妻』であり、いっぽう『女性は本質的に一夫』であるという学術的議論がなされた。だから、ひとりの妻で十分だという男がいれば、それはアブノーマルなのだ。
 私が習った性科学の講義によれば、普通の男は一日およそ一億の精子を作ることができ、性交のたびに二億から三億の精子が放出される。作られてから三日後に、その精子は出口を探し外に出ようとする。男は我慢すると落ち着きが無くなり、怒りっぽくなり、暴力的になる。仮に妻が妊娠中だったり、不在だったり、病気だったら、理想的な夫は他のフィールドに精力を切り替えなければならないだろう、たとえば運動したり、芸事を究めるとか、学問するとか。女好きの夫ならスチーム・バスに行ったり、映画(ポルノ)を見たり、他の女と遊んだりするだろう。
 でも現実にひとり以上の妻を持っている男はもっと選択肢があるわけだ。妻たちが若く、官能的で、夫の機嫌を取るのが上手いなら。それでも彼らは満足しない。なぜか?彼らは欲望を制御するということが出来ないからである。それを性的な異常と呼ぶか、はたまた『男らしさ』と呼ぶか、どちらだろう?

エカーージャカルタ
Eka - Jakarta



愛は誰もがもとめるもの

 私は女性は誰しも心の中では、トゥティ・アディトモ女史のように考えていると思っています。人は誰でも、男でも女でも、愛の物語で育まれたような、情熱的な愛に憧れるものです。でもみんな世間からの軽蔑の目を恐れて、自制し、そんな考えをすててしまうのです。そして大事なことは、女は一般に家族や家庭、子どもたちの幸せのために責任を負わされており、そちらを大事にしなければならないということなのです。

チャンドロワティーージャカルタ
Tjandrawati - Jakarta


なぜいけないの?

 率直に言って、楽しいことには心魅かれるし、一夫多妻が良いなら、なぜ一妻多夫はだめなのですか?男と女は平等のはずです。夫がそのようなのはどうして?一般的な慣習ではなく、宗教的角度から見なければなりません。

 我が国では、イスラームの男だけが一夫多妻を許されているのです。アル・クラーンの四章3節にはこう唄われています。
 「……あなたがたがよいと思う2人,3人または4人の女を嬰れ。だが公平にしてやれそうにもないならば,只1人だけ……」

 ですから、一夫多妻は許されますが、公平が条件となります。

 そんなことできますか?時間は公平に分けられたとしても、愛をどう分けたら良いのでしょう。だからアッラーはおっしゃいました。「…… あなたがたは妻たちに対して公平にしようとしても,到底出来ないであろう。あなたがたは(そう)望んでも。偏愛に傾き,妻の一人をあいまいに放って置いてはならない。あなたがたが融和し,主を畏れるのならば。誠にアッラーは,度々赦される御方,慈悲深い御方であられる。」(アル・クルアーン〈コーラン〉四章129節)

 このように、一夫多妻の条件はなまやさしいものではないのです。現実的にはできそうもありません。愛とやさしさを、少なくとも妻たちみんなが公平だと感じられるように分けなければならないのですから。一夫多妻の前に、まず女たちをセックスの対象とされるだけの立場から復権させなければならないのです。進歩のみちすじの中で、人(男)はこの機会を利用して、自分自身に関心を持たなければならないのです。快楽をもとめて、今現在一夫多妻の状態にある男性もです。そうであっても、一夫多妻は人生の喜びを求める理想的手段ではありません。ロマンティックな男性はこのような生き方を想像もしないでしょう。あまりにも思い負担を心に負うことになるからです。愛を求めていなくとも、結果としてリスクなしに愛と出会うかもしれない。もちろん男も女も人間だから、満足を得られない運命にある。隣の芝生がよりきれいに思えるのはしかたがない。
 女に一妻多夫が許されたなら、私は両手を広げて歓迎する。なぜしないのか?理由は誰もが知っているはず。私にはまだ市場もサイドビジネスも手に入れてないから。さて、どうです?

ワフユ・アファンディーー南カリマンタン、カンダンガン
Wahyu Afandi - Kandangan, Kalsel


第二夫人はどうなの?

 私は一夫多妻に対して一妻多夫が出来るなら一夫多妻に反対しないというトゥティ・アディトモ女史の意見に同意します。もちろん、私は女で、ひとりの妻ですから、正しい妻というものは一人の男に仕えるものだと思っています。簡単に言えば「一夫一婦制」です。他の「一夫一婦制」の妻たちもトゥティさんに賛成だと思います。
 でも、第二夫人、第三夫人といったものになりたいと思っている女性はどうなのでしょう?彼女たちこそ一夫多妻の存在を支えている人たちなのだと思います。彼女たちも女だということを忘れてはならないでしょう。また一夫多妻を黙認している人たちもです。
 だから、この問題は男どもに任せておいてはいけないのです。闘う相手は一夫多妻をしている男たちではなく、一夫多妻を支えている女たちが、これ以上仲間の女性たちを傷つけることの無いように目覚めさせることの方が大事なのです。
  女性の間でも一夫多妻反対に顔をしかめる人はいます。でも、彼女自身、意識するにせよしないにせよ、自ら第二夫人、第三夫人を志望し、一夫多妻を実行しているのです。その間に男たちは私たちの尊厳を踏みにじりながら、一夫多妻に反対する女性たちを煩わしいものとして眺めているのです。


ニエス・Kーージャカルタ
Nies K. - Jakarta


(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-24 02:54 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの女たち 第22・23章

22. ガルットの男性では多くの場合、第二夫人との結婚式に第一夫人とその子どもたちが出席する

*ガルット Garut はジャワ島西部ジャワ州バンドンの75km南西部にある街

 この世は不可思議なものである。数日前、耳を刺すようなニュースに驚いた。そのニュースは地方紙に掲載された後、首都の日刊紙でも紹介されたものである。それによるとーー
 オルデ・バル Orde Baru 〈スハルト新体制〉政府は離婚の防止を目指して婚姻法を制定した。これはいわゆる『イストリ・グラップ istri gelap〈愛人・妾〉』を生み出さないためのものでもある。最近「パメラン・プムバングナン・ダン・スプルスマル Pameran Pembangunan dan Supersemar 〈開発とスプルスマル*展覧会〉に参加したガルット宗教事務本部 Kepala Kantor Urusan Agama Garut のH・ジャエヌディン Jaenudin は以下のことを明らかにした。
 婚姻法制定以来、ガルットの男性が第二夫人と結婚する時、多くの者が結婚の誓約を読み上げる際、第一夫人に立ち会ってもらい、第一夫人の子どもたちもそれぞれ出席するという。
 第一夫人の承認は重要である。H・ジャエヌディンが後に『追加した nyeletuk 〈割り込ませる・断ち切る〉』話によると、ーー「第一夫人の署名を偽造する男たちがいるという話もある」とのことだ。ガルットは特別なのだ、とそのようにH・ジャエヌディンは続けたが、男たちは式典に第一夫人を出席させるほうが、署名のみよりもより一体感がある memadu と考えているようだ。
 つづいて一夫多妻に対する女性の意見として、『フェミナ Femina 』誌1976年90号に掲載されたニ・トゥティ・アディトモ Nyi Tuti Adhitama の意見を紹介する。

* スプルスマル Supersemar :1966年公布されたスカルノ大統領からスハルト大統領への政権の移譲 に係る大統領令 。




オピニオン
23. 一夫多妻が良いなら、一妻多夫は?


 「一妻多夫 poliandri にできたらどうだろう?」私の心にこのような疑問がわくたびに、私は面白いだろうと笑顔をおさえられなくなる。面白くなるというのは、我々の社会では一妻多夫は知られていないからである。そうなったなら、社会に笑いをもたらす冗談の材料は増えるだろうし、何人もの夫の「面倒を見る mengurus 」ことを想像すると、それがどんな感じなのか……。ひとりの夫の面倒を見るだけでも十分すぎるのに、二人、三人、四人となると、いやはや。

 この問題は、議論としてだけなら楽しいが、現実的に考えると問題となる要素がある。一般常識に対する挑戦となるからだ。一夫多妻 poligami はある、なぜ一妻多夫はいけないのか?多分生物学的な問題ではないだろう。なぜいけないのか?新生児の誕生を調整するための、産児制限の技術は進歩しているではないか。実際、ヒマラヤやチベットのいくつかの民族の女性たちでは一妻多夫が行われている。

 人間の態度が、自身の社会的常識や文化・歴史的方向性を変える役割を果たす。我々が維持してきた優れた文化も、我々の段階が上がれば放棄されることになる。しかし特定の事象に関しては、社会はしばしば無関心である。受容する態度をとり続け、時代の動きに合わなくなっていることにも狭量で、それに抗おうとするのだ。原因は何か?多分、面倒を恐れて進歩的な意見を取り上げず、また状況の変化で損失が生ずると考えるのであろう。たとえば一夫多妻の問題、結婚の問題、あるいは愛の問題である。

 愛の問題に関して言えば、私は愛とは甘く、聖なるもので、真実なるものだと思ってきた。たとえばおとぎ話や本や映画で描かれるように、愛とは結婚を終着点とするものだと思ってきたのだ。その種の愛は私が幼い頃から育んできたものだ。『おとぎ話』では結婚とは、愛が熟し、双方の思いが一体化し、結びつきが増し、愛の優しさが増して永遠のものとなる。そして子どもたちが産まれる。これが夫と妻の愛情の頂点である。このような理念的愛は、私の幼時からの『ゆりかご ninabobo 』で育まれたものだ。歌を通じて、おとぎ話を通じて、物語を通じて。

 本当なのだろうか?つねにそうはならない。愛にはさまざまなやり方がある。詩人レンドラ Rendra * の言葉のように、愛はさまざまな影を持つ。私は彼の意見に全面的には同意しないが、あきらかにこの意見にも真実はある。

  男に限らず、ほとんどの人は情熱的な愛に憧れる。こういった愛は、愛の物語の冒頭に現れる。愛が感情のほとんどを覆い尽くし、しばしば常識をもエモーション〈感情の昂り〉が支配してしまう。私もそうだ。私も時おりエモーションにとらわれる。しかし結婚においてはどうか。この種の愛は長期に渡るし、先が見えない。公衆道徳の規範に合わせられ、情熱的愛はより成熟した愛に変わる。愛は深い相互理解となり、夫からの愛と妻からの愛の双方が求められるのだ。しかし、しばしば空虚感に襲われる。ちがいます?ポエジーにおける愛への憧れを感じるのだ。少なくともロマンチックな心の女性たちにとっては。夢見るだけならできることだ。ロマンチックな女性たちが愛の物語や恋愛映画を愛するのはそのせいである。男はちがう。めったにそんな者はいない。仕事に忙しいからか?

 仕事に忙しいということもあるだろう。しかし男たちは我ら女たちよりも自由に、家の外にチャンスを見つけ行動することができるから、ということもあるだろう。女にできるのが夢見ることだけなら、男たちは実行できる。たまたま男たちには人生に自由があり、男は自分のエモーションを刺激する別の女に出会う機会があるとしたら、彼はその機会を逃すことを惜しいと思うだろう。慣習がそれを許してもいるのだ。もう一度別の女と愛の物語を繰り返すだろう。そしてそれは出来るのである。この物語は再び結婚へと帰結する。すべての幸福を求めて、かつてその男が経験したように。でも新しい妻には最初の経験なのだ。歴史は繰り返す。そしてその若い男は、また情熱的愛に憧れを抱き、もう一度、またもう一度。機会さえあれば、四人まで妻を持てるのだ。そうでなければ、浮気 cinta gelap か、離婚だ。

 それでも、女、また別の女たちは夢見るだけの世界に残されたままだ。心をとらえる愛の物語を読み続け、感情を満たす情熱的な愛というものに心を昂らせ、憧れ続ける。

 愛を弄ぶ男たち、一夫多妻主義の男たちよ、妻たちもまた人間なのだと考えたことはありますか?動悸と愛の高まりは同じものなのですか?でも、あなたたちは、女はおしとやかに、『レディ』であれ、夫に仕えよと言う。夫は外で発散し、妻は暑苦しい家に閉じ込められる。夫の教育が足りなかったり、だらしなかったり、服装が乱れていたりといった理由で、夫に従い難いとき、普通の慣習ではなぜ夫に異議を申し立てられないのだろうか?社会に対して夫と同様の自由を女たちに与えるよう求めてはいけないのだろうか?
 いつの日か、きっと男と女が並んで歩く日が来る。だがそれは今ではない。

トゥティ・アディトモ Toeti Adhitama

* レンドラ:ウィリプロルドゥス・スレンドラ・ブロト・レンドラ Willibrordus Strendra Broto Rendra)。1935年11月7日中部ジャワ・ソロ生れ。2009年8月6日逝去。レンドラは、作詩の才能ばかりだけでなく、詩を朗読する迫力あるパーフォマンスで大衆・若者を大いに魅了した

(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-23 09:11 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの女たち 第21章

21. デウィ・クンティはパンダワたちをカリモソドの精神を持つ者に育て上げる

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〈プラブ・ボコ Prabu Baka 〉

 ピンテンとタンセンは水と一杯の飯を口にすると、元気を取り戻した。二人は助けを与えてくださった神に深く感謝し、心からつぶやいた。「このご飯をくださった方に幸せと平穏がありますように。そして私たちの友となってくださいますように。」ピンテンとタンセンのつぶやきはまさしく現実のものとなり、ニ・サゴトロとキ・サゴトロは夫婦睦まじく暮らしたのである。
 その地方はとても寂れていて、家々は空き家となり戸が開け放たれたままで、あたりは手入れされることなく草ぼうぼうのありさまで、ひとけも無かった。住人たちは人食いのプラブ・ボコを恐れて避難していたのである。残っているのはゴンゴ河近くの集会所にいる年寄り夫婦くらいのものであった。このブガワンはイジロポ Ijrapa といい、彼にはラワン Rawan とプスポリニ Pusparini いう男一人女一人の子 Kedana-kedini がいた。プスポリニは十七歳になったばかりだった(スウィート・セヴンティーンだ)。彼女は美しく、優しく、物腰やわらかく、そして快活な娘だった。誰でも彼女を見たら夜も眠れなくなるだろう。

 黄昏時となり、空は紫に染まり、しだいに暗くなって、いまや辺りは真っ暗になっていた。
 ブガワン・イジロポは沈痛な思いで座していた。疲れ果て、物思いにふけり、目もうつろだ。肌にはしわが寄り、髪はみな白髪となっていた。テレビ番組『ボナンザ Bonanza 』のベン・カートライト Ben Cartwright のようだったのだ。思いは乱れ、困り果てていた。というのも明日、プラブ・ボコに生贄を差し出す番なのだ。この悲しみはお客〈クンティたち〉に知らせるわけにはいかなかった。
 「ニャイ〈妻への呼びかけ〉。」ブガワン・イジロポが沈黙を破って言った。「明日は私たちがプラブ・ボコに生贄を差し出す番だ。可愛い子どもたちを差し出すなどできやしない。」
 ニ・イジロポは悲痛な面持ちで涙した。
 「ああ、あなた。あなたが犠牲になってはいけません。私が行きます。あなたは子どもたちと安全なところへお逃げください。」
 ふたりが気付かぬ間に現れたデウィ・クンティはその話が耳に入った。デウィ・クンティはゆっくりとニ・イジロポとブガワン・イジロポに近づいていった。
 「ご主人、どうしてそんなに嘆き悲しんでおられるのか、わけをお聞かせください。」デウィ・クンティはイジロポに言った。
 ふたりは驚いたが、間もなく『愛ゆえの悲しみ ungen-uneng 』の心を打ち明けたのである。
 事情を知って、クンティの良心がざわめき、さっそくビモを起こした。
 「ご主人。悲しむことはありません。私の息子があなたたちをお助けします。ビモが〈ボコ〉をやっつけてくれるでしょう。明日は彼を送り出してください。ビモに用意させましょう。」
 この申し出は断られたのだが、ビモはもうプラブ・ボコを殺すことを決心していた。ブガワン・イジロポも、ビモがラクササのアリムボを殺したことを知って、ほっとした。
 かくてプラブ・ボコはビモに殺され、エコチョクロ国は以前のように平和になったのである。

 パンダワとクンティたちが旅立つまえに、ブガワン・イジロポはいくつかのアドバイスをくれた。
 「おお、陛下。我らは陛下とご一族が、我らとエコチョクロの民すべてを助けてくださったことに感謝いたします。ご出発の前に、お役に立つであろうアドバイスをさしあげましょう。おおサン・プラブ。陛下と我らは祖先を同じくする者。陛下のご先祖はブガワン・マヌモヨソ Manumayasa であられる。彼は神々にア仇なすヌサワントロ Nusawantara 国のラクササ、カリマントロ Kalimantara を滅ぼしました。その者は死ぬと『カリモソドKALIMASADA 』に変わりました。
 そのカリモソドは今や陛下とそのお子たちの中に溶け込み、一体となっておりまする。パンダワはカリモソドの魂を持つ者と呼ばれるでありましょう。」

 さて、クンティと息子たちの戦いはこのようなものだった。「パンダワはカリモソドの魂を持つ者 PANDAWA ADALAH MANUSIA BERWATAK KALIMASADA 」とはどういう意味なのか、そして『カリモソド』とはなにか、それは後でお話しよう。

1977年2月20日 ブアナ・ミング

(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-22 09:26 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの女たち 第20章

20. ニャイ・サゴトロとキヤイ・サゴトロは、大戦争バラタユダでパンダワの手助けをすることを誓う

 サゴトロ Sagotra はエコチョクロ国の村の長であった。そこの住人はみな残酷で冷酷なプラブ・ボコ Baka の支配下にあった。プラブ・ボコは毎週ひとりの人間を骨も肉も食い尽くすのがつねであった。サゴロトは結婚して一年たっていたが、妻との仲がしっくりいっていなかった belum pernah atut rukun 。妻に触れるどころか、腹を割った話もしたことがなかった。

 「いつになったら私は一人前になれるのだろう。」サゴトロはため息をついた。「妻が私を嫌っているのなら、なぜ彼女は親元へ帰らないのだろうか?でも彼女が私を嫌っていないなら、なぜ私と話をしてくれないのだろう?おお、神様!お助けください。私が妻の髪を撫でてやれるように。妻と私の仲を取り持ってくれる人があるなら、私はその人に命をお預けすることを誓います。」

 とつぜんサゴトロは夢想から引き戻された。妻が彼の名を呼びながら悲鳴をあげているのが聞こえたのだ。彼は驚き、不審に思った。

 「何事だ。」サゴトロは思った。
 彼は急いで妻のようすを見に出た。歩き出すやいなや彼は妻に飛びつかれ tubruk 、きつく抱きつかれた。

 「あなた、あなた、サゴトロさま。私をお守りください。助けて私は危ない目にあったの。」妻は怖がって泣き叫んだ。
 サゴトロはとてもハッピーな気分だった。一年の間待ち焦がれた妻の温かさを受け止め、抱きしめられたのだ。彼は感謝しながら、何度も頷いた。「神様が私を妻の伴侶として認めて下さったのだ。おお、神よ、私は感謝いたします。待ち焦がれていたときがやっと来ました。」サゴトロは心の中で感謝した。
 「おお、お前、どうした、どうしたのだ?
 獣に追いかけられたのかい?」サゴトロはどもりながら、びっくりしたふりをして尋ねた。
 「ちがいます、あなた。私はいたずらされたのです。」
 「いたずら?無作法な!怖がることは無い。私がそいつを打ちのめし、殺してやる。」サゴトロはきっぱりと答えた。「さあ、家の中に入っていなさい。」
 サゴトロは抱きついている妻を放すと額にキスをした。やあ、お許しを。サゴトロはこの好機を逃さなかったのだ。
 さて、どうなったかというと、サゴトロはアルジュノを見つけたが、殺したりはしなかった。それどころか、跪いてアルジュノの前で、自身の誓いをたてた。後の日に、大戦争バラタユダが起こったあかつきには、パンダワの勝利のための生贄となることを誓ったのである。これで、はっきりとしただろう。「アルジュノ」の食べ物探しは、その本当の意味を明らかにしたのである。

 そう、人生はこのように進んでいく。理性では解決できない重い苦しみが、その『惨めさ panalangsa 』を受け止め、自覚と信心を持ち続けるなら、神トゥハンは高貴さと幸福への道へ手助けと導きを与えてくださるのだ。今回のケースではサゴトロと、パンダワの双方に、そして〈神は〉すべての信心深い者たちのために〈善き道をしめしてくださる〉。哲学の分野ではこのような事象は「目的論 teleologis 」(tele=
遠く)と呼ばれる。すべて人間の歩む道筋は遠く(tele)にある目的のためにヒワン・マハ・ガイブ〈Hyan Maha Gaib 大いなる神秘=神〉によってその方向が定められてあるのだ。
 パンダワの経験する一連の出来事すべては、つねに遠くにある(戦略的)目的と密接に関わりがある。ここにおいてパンダワはまた味方を得た。エコチョクロの民すべてが、のちの日のバラタユダにおいてパンダワの味方となるのである。すべての出来事は、それと自覚されずとも(大戦争バラタユダへの)大いなる戦略となっているのである。数え上げてみよう。パンダワはラコン〈演目〉「バレ・スゴロ・ゴロ」において焼き殺されそうになった。それからサゴトロの事件までに三つの国を味方に得た。まずビモが蛇の姫ノゴギニと結婚し、オントボゴの婿となった。そしてこの結婚で偉丈夫たる海の戦士オントルジョ Antaredja /オントセノ Antasena という息子が生まれる。第二にビモとアリムビの結婚で、バラタユダにおける空の要塞たるガトコチョ Gatutkaca という子を得る。第三がサゴトロである。
 さてこれではっきりしただろう。「食事」を探すことは力を探すことの象徴であったのだ。そしてビモの結婚はパンダワが同盟国を得ることの象徴だったのである。
 バラタユダにおけるパンダワの勝利はこうした努力に支えられてはじめて得られるものなのである。しかし、そのために彼らはたゆまない激しい戦いで自らの道を切り開いていかなければならなかったのだ。
 聖典は教える。「神は人の行動の実現を承認されるけれど、民が自身の運命を変えようと努力しなければ、民の運命を変えることはなさらない」と。
 宗教界ではこの種の経験はヒクマ hikmah と呼ばれる。現代風に言えば「blessing in disguise 不幸中の幸い」といったところである。
 パンダワはまだまだ旅を続けなければならない。何がパンダワを待ち受けるのか?次回までお待ちください。

1977年2月6日 ブアナ・ミング


(つづく)
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by gatotkaca | 2013-07-21 13:26 | 影絵・ワヤン | Comments(0)