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木から落ちた猿

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ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第33章

33.アルジュノはドン・ジュアンではなく偉大なサトリアである

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 アルジュノには多くの誤解がつきまとっている。いわく彼は「thukmis bathuk klimis 〈優男・女のような美男子〉」である。ドン・ジュアン Don Juan 〈ドン・ファン〉である等々。アルジュノは実際にはドン・ジュアン、つまり美女に目がない「mata kerajang 〈女たらし〉」とは言えない。なぜか?ワヤンというものは「象徴的言語」であり、実際の歴史を演じるものではないからである。それは「非物質・非外面的 tan wadag 」な霊的性質を持つものなのだ。であるから、これを外面的に捉えてはならない。ワヤンとは我々自身の「人生・生命の言語」なのである。
 アルジュノ Arjuna とは「ジュン jun 」つまり花瓶の中の「清水」を意味する。彼は花瓶の中の清水のように、清く澄んだ思考を持つ人(魂)の象徴である。
 彼は別名クントディ Kuntodi という。これは「強力で鋭い矢」を意味する。彼は超能力の矢よりも鋭く強い思考と魂を持つ人の象徴である。彼はいかなる試練であっても「優れて cum laude 」、完璧にこなしてみせるのである。「サン・グル・ドゥルノ」が彼をおおいに愛し、たくさんの者たちが彼にあこがれたのも当然であろう。
 彼はジャノコ Janaka とも呼ばれる。この名は「ジョノ Jana 」と「コ ka 」の語からなる。ジョノとは人間を意味し、コとは男の道・法を意味する。つまりジャノコとは「男の中の男たる人」を意味する。そこから「トゥカン・ムヌンルカン tukang menurunkan 」〈語意不詳;あちこちで子どもをつくる者、種馬の意か?〉という意味も生じて来るのであろう。しかし彼の「男らしさ」というものは単に生物学的な意味だけではなく、その本質、行動の男性性を意味している。だから彼は「lelananging jagad 〈世界の守護者〉」とも呼ばれるのである。
 人間であれば男は女を妻にする、各々のジャノコ(男)は娘(女)を娶る。哲学の世界では女は神聖な力(クサクティアン)の象徴である。ジャノコ、つまりリンガ Lingga 〈男性の象徴〉はその力を形成する聖なる力クサクティアンと分ち難いものなのである。ジャノコ(リンガ)とは男性原理であり、サクティ〈シャクティー〉(ヨーニ)とは女性原理である。
 英雄、戦士が勝利の際に、ビンタン・サクティ〈勲章の星章 bintang sakti〉や花輪をつけるのも同様である。ワヤンの世界では、ジャノコ〈アルジュノ〉の花輪や星章は、女性で表される。つまりイストリ istri 〈妻〉という言葉、アルジュノという名は、彼の聖なる力と地位を示しているのである。
 上記の他にアルジュノはカリティ Kariti =天界カヤンガンの王、ウィバツ Wibatsu 、グドケソ Gudakesa =偉大な超能力の戦士、チプトニン Ciptaning =清らかなる苦行者といった別名を持つ。昔の時代にも名刺というものがあったなら、よほど大きな名刺がないとその名が入りきらないほどだ。つまり彼は偉大な超能力の偉丈夫である。母ならば、このようなサトリアらしく、男らしく、超能力にあふれた天才児を我が子に欲しいと誰もが思うのではないだろうか?
 アルジュノとひとつ屋根の下で共に暮らした妻は、美しく、優しい、母性にあふれたスバドゥラ 〈スムボドロ〉、美しく魅力的なスリカンディ(Sri =幸運、富、kandi =米のある所=幸運・富のある所)、物腰柔らかく愛情にあふれたララサティ Larasati である。妻とは母性、仲間、そして愛情の役割を担う存在ではないだろうか?アルジュノが多くの武器を持っていることは言うまでもないだろう。彼はパソパティ Pasopati (強欲の破壊者の意)を持つ。アルドデダリ Ardadedali =誘導ミサイル、プラングニ Pulanggeni (炎のように焼くもの)も持つ。彼は正確かつ精密なる狙撃手である。
 ワヤンの時代に賞状や勲章があったなら、彼の肩や胸は勲章やたすきや首飾りや腕章で埋め尽くされていただろう。そして彼のクローゼットは賞状とカップでいっぱいであったことだろう。しかし彼は何も身に付けない。アルジュノのワヤン人形はすっきりしていて、装飾品や飾りは何も無い。それゆえに美しいのだ。
 アルジュノは礼節ある偉丈夫で、超能力にあふれた英雄なのである。

1976年3月21日  ブアナ・ミング
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by gatotkaca | 2013-05-30 20:25 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第32章

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・バリ島デンパサールにあるデウォ・ルチ像・

32. デウォ・ルチは真実のビモである

 神秘主義というものが何処においても普遍的なものであるが、神秘体験は各個人によって異なるということが明らかになったと思う。それゆえ、神秘体験というものはスフィー同士でなければ、他人に説明できないものなのだ。『ウィシク wisik 〈霊感・インスピレーション〉』というものはあるが、それは個人だけのものなのである。ウィシク、導きの光、バドロノヨ Badranaya 、デウォ・ルチといった名でよばれるもの(神秘体験)は他者に語ることはできない。その呼び名はもはや『ウィシク』そのものではない。それは『私的な領域』なのである。
 「スロ・デウォ・ルチ」もまた他の神秘主義と同様である。(デウォ・ルチと邂逅した後)ウルクドロはクレスノに尋ねられる。
 「ビモよ、そなたどんな体験をし、その道のうちに何を得たのだ?」
 賢者たるセノの答え
 「クレスノ兄よ、いずれその時が来れば話そう。」
 そのようであるなら、普通の人間に知り得る知識は何か?一般の人に対して教え得るのは、「マーリファト」を目指す教えの入門としての「行 laku 」の方法と「教義 ilmu 」だけである。
 ラコン「デウォ・ルチ」はあきらかに神秘主義の行、瞑想者の覚醒を描いたものである。多くの研究者たちが「デウォ・ルチ」についての本を書いている。そのひとつをここでやや詳しく紹介しよう。アブドゥラ Abdullah 博士が1973年にワヤン関係の雑誌「マジャラ・プワヤンガン majarah pewayangan 」の第五号、15〜20頁に発表したものである。専門家たちの意見を引用、抜粋して彼はラコン「デウォ・ルチ」におけるビモの体験を三つの段階に分けた。
 a. ルシ・ドゥルノがビモにティルトパウィトロ Tirtapawitra を探すよう命じる。彼はまずチョンドロディムコ Candradimuka 山へ向い、それから大海に入る。
 b. ビモがデウォ・ルチと邂逅する。そしてその体内に入ると、さまざまな光と象牙の人形を見る。
 c. ビモはデウォ・ルチから、サン・プロモノ sang Pramana に生命を与えるサン・スクモ sang Sukma についての最終的な教訓を授かる。
 ひとつづつ検討していこう。

第一段階
1. a. ルシ・ドゥルノがビモにティルトパウィトロを探すよう命じる
b. ビモはルシ・ドゥルノに師事していた。この物語における師弟関係は、師の命令が、たとえどれほど不可解で、困難なものであったとしても弟子は師を信じ、それに従わねばならないものとして描かれている。
 この師への信頼はしばしば遺骸の世話をする者のように描かれる。
2. a. ビモはチョンドロディムコの森の石や樹々を引き抜いて森を開く。恐るべき嵐が山を切り開くのだ。かくて二人のラクササ、ルクムコ Rukmuka とルクマコロ Rukmakala が現れ、ビモと戦う。この二人は実はバトロ・インドロとバトロ・バユである。
  b. この出来事は、瞑想を開始した人を象徴している。チョンドロディムコとは顔にある山、つまり鼻である。瞑想(メディテーション)に入る際には、息を整え、視線を鼻先に集中する。大風と二人のラクササに打ち勝つことは、呼吸と視線が鼻先に集中したことを描いているのである。
 ユングのシムボリズムによれば、山は意識を意味する。山を切り開くことは、意識から無意識の領域に入ることを意味している。
 瞑想の初期段階において、人は意識と無意識の中間にある。ウェドトモにおいては次のように語られている。
 「 Pambukaning warana, tarlen saking liyep layaping ngaluyup, pindo pesating supena, sumusuping rasa jati 」
 「帳が開かれ、眠りに入るときのよう覚醒と不覚醒、意識と無意識が夢のように交互におとずれ、『ジャティ jati 』なる感覚が広がる」
3. a. ビモが大海に入る。
  b. ユングによれば大海とは無意識である。意識界から去り、瞑想は無意識の世界に入るのだ。
 こういった状態を先のウェドトモの詩では、「帳が開く」と描かれている。つづいてビモが経験するような事がおこるのである。
4. a. ビモは大蛇と遭遇し、これを負かす。
  b. 大蛇は欲望、また強欲の性質を象徴する。これらを打ち破ってはじめて人は真実の道に至ることができるのである。
 ワヤン・クリの図像では、ビモのズボンに蛇が描かれている。これは彼がそれ〈蛇(欲望)〉を支配していることを意味する。

第二段階
5. a. ビモがデウォ・ルチと邂逅する。
  b. この邂逅によって第二段階に入ることになる。第一段階におけるすべての経験はルシ・ドゥルノの指示によるものであった。彼は実世界の師(外面的・物質的)であり、第二段階におけるデウォ・ルチこそが真正の師なのである。
 個々人のプロセスにおいても類似した事象を見出すことができる。無意識界へ入るには、まずサン・ウィク〈比丘・師〉からの指導を受けなければ、人は内面の奥深くに降りていき、そこで自分自身の真の師と邂逅し、生を感得することはできない。
6. a. ビモがデウォ・ルチの体内に入る。
  b. 真実なる師の生・視線は目指す先へ進むための絶対条件となる。
7. a. ビモは何も無い空間にいる。
  b. この融合の後、人間は何も無い、空なる、方向も無い空間にいたる。この場所で彼はさまざまな状況、知識の恩寵を得る。しかしここもまた他のなにものかへの『入り口』にすぎない。
8. a. ふたたびデウォ・ルチが見える。
  b. 真正の師は弟子に義務をさらに課す。ビモはもう目的を持つ事無くデウォ・ルチを見る。というのも彼の心と意志はデウォ・ルチにすべてあずけられているからである。こうしてビモは、デウォ・ルチの教えを体験し得るのである。
9. a. ビモはポンチョモヨ Pancamaya を見る。それは身体を導く心の光である。
  b. ポンチョモヨとは五の色また、さまざまな色を意味する。『身体の導き手』としてポンチョワルノ pancawarna 〈五色〉は五感の象徴である。それは人間にあらわれる善悪双方の欲望である。
10. a. ビモは四つの色を見る。赤、黒、黄そして白である。
   b. 四つの色は、人間の四つの欲望を象徴する。アマラ amarah 〈怒り〉、アルアマ aluamah 〈貪欲〉、スフィア sufiah 〈情欲〉、そしてムトマイナ mutmainah 〈愛情〉である。これらは人間が高貴なる存在に到達する道への障碍となる。
11. a. ビモは九つの色の炎を見る。
   b. デウォ・ルチは説く。この炎はこの世界すべての象徴である。それはビモの身体の中にもあり、大いなる世界(マクロコスモス)と内宇宙(ミクロコスモス)に違いは無いのだと。
12. a. ビモは象牙の人形を見る。
   b. これこそ人間の身体に生命を与えるサン・プラモノ sang pramana である。見出し難く、幸運でなければ見出せないものだ。これこそユングの言う「自己 Zelf 」である。
 個々のプロセスの最後にプラモノを見出し、その生を感得することになる。それは新たなる人間の誕生を象徴する。
 デウォ・ルチの物語は続き、さまざまな教訓が説かれるが、もう先のような現象は起こらない。

第三段階
13. ビモはこの世界〈デウォ・ルチの世界〉に留まることを望むが、デウォ・ルチは言う。「 iku tan keno, yen ora lan antaka 」(それは許されぬ。まずはこの世界を去るのだ)。
14. デウォ・ルチは続けて説諭する。プラモノが生命を与えるものであり、それはサン・スクモ sang Sukma である。
15. 人間とサン・スクモは一人の人間の鏡と実像である。「 Ingkang ngilo Hyang Sukma. Wayabg ouniku, iya sira lan kawula, 」(鏡たる神がヒワン・スクモである、私とそなたもまたその影にすぎないのだ。)
 このようなビモの経験した出来事は、彼の師ルシ・ドゥルノの指示した道を歩んだ結果である。であるから、デウォ・ルチは人が自分自身に邂逅すること、神秘主義者が最初に経験する出来事を描いた物語であるといえるだろう。
 この物語における三つの段階は、イスラーム神秘主義(タサウフ tasawuf )の三つの段階、タレカット Tarekat 、ハケカット Hakekat 、そしてマーリファト ma'rifat を描いているのである。
 さて、これらに関する専門家の解説を抜粋してみよう。

結論
1. 「ビモ・ブンクス」と「デウォ・ルチ」のワヤンのラコンは、まさしくインドネシア民族のオリジナルである。
2. ラコン「デウォ・ルチ」は(『瞑想 semadi 』とよばれる方法による)『神秘主義者の修業 perbuatan 』を描いている。それは存在の根源たる創造主を探し求め(サンカン・パラニン・ドゥマディ)、『マヌンガリン・カウロ・グスティ manunggaling kawula Gusti 』(神秘的合一)へ至るための人間の努力である。
3. ラコン「デウォ・ルチ」は我々に、自分自身を知る事の必要性を想起させる。人間は次のような段階を経て成長しなければならない。シャリアト Syari'at (スムバ・ラガ sembah raga 肉体的礼拝)、タリカット tarikat (スムバ・カルブ sembah kalbu 心的礼拝)、ハケカット hakekat (スムバ・ジワ sembah jiwa 精神的礼拝)、そしてマーリファト ma'rifat (スムバ・ラサ sembah rasa 感覚的礼拝)である。迷いや呪いのないように、指針を失わずに進む。それがマーリファトを目指すことである。『彼』を知ったなどと驕り高ぶる人間は『彼』の禁忌に触れることになるだろう。
 「Kalamun durund lagu, Aja pisan wani ngaku-aku, Antuk siku kang mangkono iku kaki,
Kena uga wenang muluk, Kalamun wus padha melok 」(ガムブ Gambuh 24)
 「すべての教えが明らかになってもいないのに、自分に価値があると誤った望みを抱いてはならない。そのような良識無き者は呪われよう。我が子よ。英知を修めし者のみが、すべてを明らかにする資格を持つのだ。」
5. ビモとデウォ・ルチの物語は瞑想(メディテーション)が知性と文化の双方に力を与えてくれることを教えている。
6. ビモはデウォ・ルチと邂逅し、マーリファトに到達したが、具体的・実存的使命を負う現実世界の生にとどまって生きた。サトリアとしての責務を全うし、国家の威信を護ったのである。
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by gatotkaca | 2013-05-28 09:13 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第31章

31. ウルクドロは自分自身と邂逅し合一したが、責務を負うサトリアとして生きた

●ブンクス〈羊膜〉を破る
 ビモはブンクスに包まれたままこの世に生まれた。彼をこの世に出現させることができるのはシヴァ神だけであった(バタリ・ウモとして表される)。これは、すべての人間が『現前』(生まれ出る前の世界)、つまり『空』なる世界にあるとき、宿運を負った世界に現れる以前に彼に触れることのできる力を持つのはマハ・ガイブ Maha Gaib 〈大いなる神秘の神〉のみであることを表す(ウモはシヴァの超能力を象徴する)。数年間ビモのブンクスはセトロ・ゴンドラユ Setra Gandalayu 〈バタリ・ドゥルゴ(ウモ)の支配する精霊界〉に止めおかれ、誰もそのブンクスを破る(赤子を産む)ことはできなかった。
 ビモ・ブンクスを破ったのはガジャ・セノ Gajah Sena (シヴァの息子)という象であった。ブンクスを破った後、ガジャ・セノはビモと一体となった。かくてビモはブロトセノ Bratasena 〈セノの創りし者〉と名付けられた。というわけで、ワヤンの時代にも帝王切開のできる外科医がいたのである。その時代、メスはなかったが象の牙があったのだ。どうして象牙が『外科医』のシムボルとなったのか?それは多分、バトロ・ゴノBatara Gana 〈シヴァの息子ガネーシャ。象の頭を持つ〉が『知』、『知識』の象徴であり、その『牙』〈象牙〉が『力』、『鋭さ』の象徴とされたからであろう。
 現世に現れたとき、セノは何も知らない状態だった。なぜか?厚い障壁(ワラナ warana またヒジャーブ hijab〈覆い〉)が自身を覆っていたからだ。ワラナとは何か?ワラナと呼ばれるものは、『人間の欲望』に他ならない。ビモのように、『強欲、欲望を退ける』ことのできる人だけが自分自身、つまり自身の真の姿デウォ・ルチ Dewa Ruci と邂逅し、『彼の方』〈唯一神=トゥハン〉と一体となることができるのである。
 宗教は教えてくれる、自分自身を知る者は、誰あろうとかならず『トゥハン』を知るであろう、と。『彼』を知ることは人間を知るようには容易ではないが、真摯に、平静に、強く、確固として迷い無く「行」を為せばかならず知ることができる。ウェドトモに言う。
 『 Ngelmu iku kalakone kanti laku, lakune lawankas, tegese kas nyantosani, setya budya pangekese dur angkara. 』
 『英知(マーリファト)は真摯なる「行」(タリカット)を続けて生きる者が、平穏、すなわち悪しき欲望を退ける手立てとしての認識に対する平静さを得て初めて実現し得るものである。」
 詩節プチュン Pucung では、マーリファトのレベルを導いてくれる『行 laku 』を説明している( tur wus manggon pamucunging mring ma'rifat )。先に挙げたシノム Sinom 詩節の最終連にある声明は、マーリファトへと導いてくれる『行法 tata laku 』以外のものではない。この「行」はイスラーム・クバティナン〈クバティナン=ジャワ土着の信仰〉の教義において、タリカットと呼ばれるものであり、ウェドトモにおいては『スムバ・カルブ sembah kalbu 』と呼ばれる「行」である。
 であるから、『行 laku 』、『タリカット』、『タオ tao 』(支那のクバティナン〈道教〉)とは、神秘主義者、スーフィーがマーリファト、また『ウジュン/プチュック ujung / pucuk 』のレベルに到達するために通らなければならない道のことである。スーフィーが通らねばならないこの道は容易なものではなく、ひとつのマカーム maqam すなわち段階 stasion に何年も費やす必要のある困難で険しい道である。
 そして努力したとしても、自動的に『彼』と邂逅できるわけでもない。人が『彼』にいたるには、『彼』を求め、『彼』へのリドー Ridho〈神への愛〉を保ち、神の恩寵を待つしかないのである。
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●自身との邂逅
 人間は神〈トゥハン〉と出会うことができるのか?答えはできる、である。聖書に言う。
 『おお人間よ、真摯に神を求め続けるなら、きっと『彼』に出会うことができるだろう』(S.84;6)〈所出不詳〉
 『あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、』(Jer.29; 13)〈エレミヤ書29章13節〉
 ビモ・セノもまたそうであった。年月を惜しまず自分自身を求め、彼は現世の師であるドゥルノ Drona に尋ねた。師の命令であれば、どれほど奇妙でも、不合理でも、不可能と思えることでも従わねばならない。これこそがタリカット、「行」、「タオ〈道〉」なのだ。師に背くような弟子はタリカットをなし得た自身を見出すことはけしてできないのである。
 デウォ・ルチの物語に説かれていることは明らかであろう。確固として、心静かに、迷い無きあらゆる努力を経て、ビモは『神秘的恍惚 ekstase mistik 』に到達した(ビモが大蛇に噛まれて気を失うことに象徴されている)。同時に自身を覆っていた厚いベールが開かれ、満月のごとき明るい光が現れた。それはまさしく、かつて見たことの無いものであり、『自分自身』以外のものではない。
 かくしてビモは(デウォ・ルチ)つまり真実なるビモ、小さきビモを見るのである。
 このように人は創造主に憧れ、追い求める。著名な伝統的クバティナンの教えであるウェドトモと比べてみよう。ウェドトモのガムブ Gambuh 詩節にこうある。
a. 三界を統合し、堅固に結合するための道を準備すれば、マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙=人間界)が重なり合う。そなたの信仰を大いならしめよ。さすれば世界を見ることができるだろう(ガムブ 14)。
b. 自身の内なる世界に深く入れば、すべてが暗くなる。瞑想の中ですべてはおぼろげになる。それこそがそなたの『現実』である。しかし知られよ、後悔せずに、本当に一体となるわけではないから(ガムブ 15)。
c. 意識と存在の認識に到達したなら、瞑想の中の完全なる光で、集中力を結集しせよ。さすれば見えるのは『自己』のみとなる(ガムブ 16)。
d. されど誤るなかれ。そこにあるのは真実の炎なり。それは輝く光を発する自分自身にとっての生の希望の炎である。あたかも星のような(ガムブ 17)。
e. こうして心臓 kalbu が開かれる。自身が支配し、支配されるものが開かれる。そなたは支配し、支配される。光り輝く星のごとき光によってそなたは支配されているのだ(ガムブ18)。
f. 最後に第四の拝跪の礼法を授けよう。ラサ rasa 〈感覚〉の拝跪、生の本質を感じ取る拝跪の内にマーリファトの真実がある。それは、内心 batin の強さをもってのみ学び取ることのできるもの(ガムブ 19)。

 その方法は真摯なる努力であり、かくてミスティカル・ユニオン mistical union (神秘的合一)に到達する。それはウェドトモの72と76詩節によればこのようである。

 『 Krasaning urip iku, Krana momor pamoning sawujud [ mystical union ], Wujudullah sumrambah ngalam sakalir, Lir manis kalawan madu, Endi arane ing kono. 』(ガムブ 76)
 「生の感覚とは、宇宙にあまねくトゥハンの意志、その意志との合一に由来する。蜂蜜の甘さのごとき甘き感覚。その名を誰が知ろうか。」

1976年11月28日 ユダ・ミング
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by gatotkaca | 2013-05-27 14:44 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第30章

30. ウルクドロ、羊膜に包まれたまま生まれる。それは『現前』の時代を象徴する。


質問
 「私は長い間、ワヤンでのビモの誕生は羊膜 bungkus に包まれたまま生まれて来るのだと思っておりました。しかしヘルダラン、イル・スリ・ムルヨノ氏はなぜ、ビモが人間の姿で生まれたとお話しされたのでしょうか?わたしは『混乱』し、困惑しています!」という質問が読者の方からよせられた。それだけでなく、1976年5月にプルウォケルト Purwokerto 〈中部ジャワ、カブパテン・バニュマスの都市〉で行われた『セノワンギ SENAWANGI 〈セクレタリアト・ナショナル・プワヤンガン・インドネシア Sekretariat Nasional Pewayangan Indonesia インドネシア・ワヤン事務局〉』のセミナーで、中部ジャワのダランたちからも質問された。なぜビモはブンクス〈羊膜に包まれて〉で生まれるのか?
 答えは少々難しいのだが、できるだけ分かりやすく話してみよう。
 R・M・スタトロ・ハルジョワホノ Sutatra Harjawahana の『カウダル kawedar〈普及版〉 』(1936年、207頁)にあるヒンドゥー版マハーバーラタの説ではこのようである。そこでは、ビモはブンクスとしては生まれず、人間として生まれるのである。ワヤン上演版で、ビモがブンクスの姿で生まれるのはインドネシア独自の解釈であるということになる。この異説、物語は、ある目的を持ったワトン waton(法)に則っている。その意義は何か?それはオントロジー ontologis 〈存在論〉である。ジャワ Nusantara の神秘主義者は、この存在論という語を『サンカン・パラニン・ドゥマディ sangkan paraning dumadi 』と呼ぶ。
 オントロジーとは、『存在』に関する哲学であり、そこには『人は何処から来て、何処へ行くのか』という問題が含まれている(『Sangkan paraning dumadi 』)。
 多くの人が『サンカン・パラニン・ドゥマディ』を『形而上学 metafisika 』であると言うが、私は『存在論 ontologia 』と言ったほうが良いと思う。存在論は(ジャワ)古典文学 kesastraan の中に多数あるスロ suluk の書〈神秘学の奥義を記した書〉の多くに見出せる。たとえば、『スロ・ウジル suluk Wujil 』の12、13詩節や81から88詩節。また『スロ・アモン・ロゴ suluk Among raga(チュンティニ centini )その他。ワヤンにおける存在論では『スロ・デウォルチ suluk Dewaruci 』がある。
 徹夜のワヤン上演、特にラコン〈演目〉『デウォルチ』は、神秘主義的行為、つまり『サンカン・パラニン・ドゥマディ』を求める人間の姿を象徴しているのである。
 「スロ・デウォルチ」はドゥマク Demak 王国〈 Kesultanan Demak は、15世紀から16世紀にかけてジャワ島北岸に栄えたイスラム国家〉のはるか以前にインドネシアの民族によって創られたものである。であるから、ワヤンは物語においてはヒンドゥーの影響を受けたが、その影絵芝居としての本質自体の根幹は変わっていないのである。
 ムクスウォ mukswa 〈涅槃〉やスーフィズム sufisme 〈イスラーム神秘主義〉といった教義の入る以前から、ヌサンタラ〈ジャワ〉には神秘主義と存在論があったのだ。それは一般に『マヌンガリン・カウロ・グスティ Manunggaling Kawula Gusti 〈主(神)と僕(人)との合一〉』、そして『サンカン・パラニン・ドゥマディ』と呼ばれて来た。むろん現在のように文字に書かれたものではなかったけれど。だから西洋の歴史家ブルグマン Brugmans は1940年にインドネシアには土着的哲学は存在しない、などと益体も無いことを書いたのである。
 この西洋歴史家の勇み足が誤っていることは、ズートムルデル博士 Zoetmulder の反論でも明らかである。東洋では人々は単なる科学としての哲学を求めなかった。東洋の哲学は西洋のように脳内だけを活動領域とするものではなかったのだ。それは哲学自体を知の頂点とするものではなく、存在の源泉たる『彼〈神〉』を知り、『彼』との関係を保つためのものであった。
 さて、あらためてビモがブンクスとして生まれた問題に立ち返ろう。
 読者諸賢はソロ近郊のチャンディ・スク candi Sukuh 〈チャンディとはヒンドゥーの祀堂のこと〉をご覧になったことがあるだろう。そこに、ヴァギナ(女性器)のレリーフがあり、その中にバタリ・ドゥルゴ Durga (ウモ Uma )〈シヴァ神の妃〉によって化粧されているビモが描かれている。今ならさしずめビューティーサロンで「メイク・アップ」しているといったところだ。そのレリーフが表しているものは、人間というものは『不存在』つまり『スウン Suwung 』、空 kosong, Hampa また『トヨ Taya 』から生まれたということである。しかし『不存在』とはその実『存在』なのである。こういうことだ。ビモがアルチョポド Arcapada つまり現実の世界に生まれる以前からすでに『存在』したものがある。それは『Awang-awung』、『空』、『静寂』、『トヨ』である。この状態が『存在以前の存在』であり、プラトン Plato の言う『現前 pra eksistensi 〈presence〉』である。
 ビモが地上に生まれた後で人間の姿になる、つまり「存在を得る」とは如何なることか?次章に続く。
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〈チャンディ・スクにあるビモとドゥルゴのレリーフ〉

1976年11月14日 ブアナ・ミング
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by gatotkaca | 2013-05-26 13:27 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第29章

29. 生まれたてのビモ・セノ、その泣き声で虎を追い払う

 ビモ・セノは危険が満ちたウィソマルト Wisamarta の森の中で生まれた。彼は風の神であり、超人的強さの顕現とされるバユ Bayu の息子だと言われている。
 ある春の朝、デウィ・クンティはビモを『抱きながら』美しい景色を見て、涼しい空気を吸っていた。とつぜん、叢林から一頭の虎が現れた。びっくりした母の手からビモは放り出され、象のように大きな固い石の上に落ちてしまった。何と、割れたのはビモの頭ではなく、象の大きさの石の方で、石は粉々に割れてしまったのだ。赤ん坊のビモは無傷で何ともない。ただ母を探して『わんわん gereng-gereng 』と泣くばかり。ビモセノの泣き声を聞いた虎は、狩人に銃を撃たれたかのように慌てふためいて逃げていったのだった。デウィ・クンティは息子の無事を喜び、また彼は頼りがいのある立派なサトリアになるに違いないと思ったのであった。
 もちろん、ビモは後の日に、言行一致の勇気溢れ責任感の強い、立派な戦士になるのである。彼は偽りの無い人として、多くの人々から尊崇を受けることになる。サン・ビモは、クサトリアの手本としてだけでなく、『神秘主義の師』として看做されてもいるのである。彼は『サストロ・ジェンドロ・アユニングラト・パングルワティン・ディユ Sastra Jendra Hayuningrat Panguruwating Diyu 』を説くことができるのだ。彼は神秘主義の人であると同時に神秘主義の師でもある。しかし彼は川岸に座して沈思し、霊感や啓示の降りて来るのを待っているだけではない。彼は具体的実存として戦う。彼はサトリアとして科せられた使命を果たすのである。それゆえ彼は『 gelung / sanggul Minangkara Cinabdi Rengga 』、前に低く、後ろに高い。ビモ・セノは敬すべき者、どちらがカウロ kawula 〈僕〉でありどちらがグスティ Gusti 〈主〉であるかを区別できるのである。
 彼は実存主義的宗教哲学を信奉しているが、それはワヤンでは明らかにされることはない。彼の見解はこうだ。人間は努力しなければならない。人間の偉大さは他人によらず、自分自身を決定できることにある。さらに、人間はハルト・ウィルヨ・トゥリウィナシス Harta Wirya Triwinasis 〈富・地位・学識〉を持たなければ、家無き乞食となり、『 jati aking 』/「枯れた」葉っぱのごとき価値しか持たなくなる、と。
 ビモの見解は西洋哲学者のニーチェ〈フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年10月 15日 - 1900年8月25日)〉の見解ととても似ている。彼は言った。人は強さと、インテリジェンスと誇りを持たなければならない、と。強さ・学識・誇りをそなえた指導者だけが、民衆の尊崇を得られるのだと。
 そのような指導者こそが支持者(弟子)たちを戦場に率いることができるのである。彼は人生で最も重要な美徳は強さである、と信じていた。ニーチェは言う。
 「高い文明とは、いわばピラミッドのようなものである。それは広大な大地の上にのみ築かれ得るものである。その必要条件は責任と力によって統合された責務を担う事象である。」
 それゆえビモはジョヨディロゴJayadilaga (戦争の勝利者)、クスモユド Kusmayuda 、またクスモディロゴ Kusmadilaga (戦場の花)、ジョディパティ Jodipati (戦争の王、戦争の指揮官)その他の名でも呼ばれるのである。
 かくしてビモの物語は多くの支持者に信奉され、中部ジャワや東部ジャワの家々にはビモの絵が飾られているのである。

1976年10月17日 ブアナ・ミング
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by gatotkaca | 2013-05-25 10:28 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第28章

28. ビモ・セノ、分け隔てなき偉大な戦士
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 セノ Sena 〈ビモ〉はパンドゥの息子であり、パンダワ五王子のひとりである。ウルクドロ Werkudara またブロトセノ Bratasena とも呼ばれ、それは『完全なる行為者』を意味する。ビモは年配の人たちの間では神秘主義 mistik の重要人物と看做されている。しかし若年層からは『若き戦士』、揺るぎない信頼と固い意志、独立心に満ちた行動をする超人的人物の象徴と看做されている。ビモは強さの極みにありながら、絆には弱い。だから師や、花を意味する名を持つ長兄ダルモクスモ Darmaksuma 〈ユディスティロ〉の指示や命令には従順に従うのである。
 ビモは正義と公正のために喜んで自らを犠牲にし、その双肩に担う。これこそ『aji ungkal bener 』、つまり固い石のようだが真実であること、それは神の恩寵なのである。ビモは別名をクスモ・ディロゴ Kusma Dilaga 、またトゥングル・パムナン Tunggul Pamenang とも言う。これは彼がつねに戦いに勝利し、戦場の華であることを意味する。今ならさしずめパングリマ・コマンド・マンダラ Panglima Komando Mandala 〈広域作戦司令官〉といったところであろう。しかし部隊も武器も、補佐官すら必要ない司令官だ。彼の率いる軍は吹きすさぶ風、嵐であり、武器は生まれて以来伸ばしている親指の爪、クク・ポンチョノコ Kuku Pancanaka だけである。
 その拳は握りしめられ五本の指はひとつとなる。それは堅固さ、強さの結集の象徴である。
 ダランは語る。「セノはリンタン・ビモ・サクティ lintang Bima Sakti〈天の川 lintang=星〉のよう真直ぐに立ち、国の勝利を見守るのである。」
 彼は自分自身を見つけるために海に飛び込んだ。それは『真実』を見つけることでもあった。ビモは自分自身を信ずる者であると語られる。彼はゴドgada〈棍棒〉の形をした武器、ルジョ・ポロ Rujak Polo を持つ。ポロ polo をかき混ぜる merujak ために打つものではない。ポロは脳を意味するからだ。彼が戦う際には脳、つまりロジックを使い、それは『ngawur かき混ぜ』られてはいないから。
 ビモはポロス polos 〈平らな・分け隔てなき〉人としても知られる。彼は誰に対しても飾らず、偽らない。使う言葉は『ngoko ゴコ』〈目下、対等の者に使う言葉〉、つまり普通語だけである。これは彼が誰に対しても率直で、おもねりが無く、偽らないことを象徴する。彼は称号や地位、王に対しても分け隔てが無い。セノは『クロモ krama 』(ジャワ語の敬語)を用いず、拝跪し跪くこともない。ただひとつの例外はデウォルチ Dewaruci つまり自分自身である。さらにセノはその内も外も香しいと語られる。それは彼がタマリンドのような、白い花を刺した『スムピン・ガジャ・ゴリン Sumping Gajah Ngoling 〈髪飾りの一種〉』をつけているからであり、それは『wangi njobo terus njerone 〈内も外も香る〉』のである。それゆえ彼はセノ・ヤン・ワンギ Sena yang Wangi 〈香りたかきセノ〉とも呼ばれる。
 そのワンギ〈芳香〉ゆえに、セクレタリアト・ナショナル・プワヤンガン・インドネシア Sekretariat Nasional Pewayangan Indonesia 〈インドネシア・ワヤン事務局〉はその略称を『セノワンギ SENAWANGI 』としたのである。
 今の時代も多くの人々がビモ・セノを見本とすることを願う。ビモが特別な地位にあり、崇拝を受けるように。

1976年2月22日 ブアナ・ミング
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by gatotkaca | 2013-05-24 17:15 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第27章

27. ダルモクスモ、誠実なる王は賭けに負けて13年間の挫折を味わう。
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 ユディスティロ Yudistira 〈ユディシュティラ〉が白い血を持った聖なる王であることを認めない人はあるまい。しかしユディスティロが賭博に敗れたため、パンダワは12年間森へ追放され、さらに1年間ウィロト Wirata 国に身を隠した。その間ユディスティロはドゥウィジョカンコ Dwijakangka という偽名を用いた。賭けに負けて13年の間、不浄な人として過ごさなければならなかったパンダワたちの心痛は、言葉に表せないほどのものであった。キ・ダランの『チョンドロ candra 〈比喩〉』だけがそれを表せるのだ。風は吹きすさぶのをやめ、太陽は薄暗くかげる。鳥たちの羽は大いにしなだれる。鹿たちは涙を流しながら低く啼く。かぶと虫たちも羽音をたてる。その嘆きはパンダワの苦しみを見るに耐えぬ人のようである。神々もまた息をひそめるのである。
 賭けの結果がどのようであったかについては『ノー・コメント』である。諺に言う。賭けをする者は誰でも、負けという苦しみを負うのだと。
 数学では『相互排他的事象公理 Law of mutually exclusive event 』の法則が証明されている。これはある事象が起これば、別のある事象は存在しないという法則である。
 たとえば、6面のサイコロで賭けをしたとしよう。各面には1、2、3、4、5、6と番号が記されている。そして3に1,200ルピア〈Rp.、インドネシアの通貨〉、4倍の掛け率で勝ったとすれば、4,800ルピアとなる。勝率=m=1/6で、負けの確率=k=5/6、m+k=1であるからm=1ーkとなる。
 サイコロの目を当てることができれば、m=1/6で4×1,200ルピア=4,800ルピアを得ることができる。一方当てられなければ/負ければk=5/6で1,200ルピアを失う。であるから、期待利益 expected profit =勝率ー敗率、m=(1/6×4×1,200)ー(5/6×1,200)=Rp.800ーRp.1,000=ーRp.200(負)であり、m=勝率はつねに負となる。つまり負けるのである。
 この理論によれば、ギャンブルというものはつねに負ける可能性が大きいということになる。このギャンブルにおける負けの法則は因子Yを式に当てはめることで帳消しにすることができる。因子Yとは幸運、運である。
 ギャンブルには別の確率式もある。サイコロの一定の目が出る確率=w と目の数=pとすると、m=w/pそしてk=1ーm=(1ーW/p)であるから、目を当てられる確率もしくは期待利益/勝率はm=1ーk=(1ーw/p×100%)となる。この計算式をw=1p=6に当てはめると、m=(1ー(1ー1/6)×100%)=16.66%、そして敗率/損失 k=100%ー16.66%=83.43%となる。同じ目が出ることを考慮すれば m=2または m=2.77%、つまり勝率は低いものであることが分かる。
 先の説明から、ギャンブルをする者は(必ず)負けることが分かる。まさしくパンダワは負けたではないか。そしてパンダワのものであったすべての財産、衣服にいたるまでが、陰部を隠す衣を除いてすべてが剥ぎ取られ、獣の皮を身に着けて森で生きることを強いられたのだ。キ・ダランの口を借りれば『urip wanaprasta 〈森に隠れて生きる〉』こととなったのである。
 パンダワの持ち物でクロウォに取り上げられなかったのは、パンダワのプソコ pusaka 〈家宝〉と武器だけだった。パティ・サクニ〈スンクニ〉のずる賢さにビモは憤懣やる方ない様であった。だが審判は下ってしまったのだ。パンダワは敗れ、審判が下り、背くことはできない。方途も無く、公正なるサトリアとして約束を守り、インドロプラストを去り、〈クロウォに〉委ねるしかなかった。そしてデウィ・クンティを、叔父アルヨ・ヨモ・ウィドゥロ Arya Yama Widura に託したのであった。

1976年4月25日 ブアナ・ミング
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by gatotkaca | 2013-05-23 00:27 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第26章

26. チャキル、自身の傲慢さによって死ぬ人の見本

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 なぜワヤン上演では毎回プラン・チャキル perang Cakil 〈チャキルというラクササが正方の武将と戦う場面〉があり、毎回彼は敗れて死ぬのか、という疑問をアヤム・ウルク通り Jalan Hayam Wuruk 35番地のリヤディ氏からもらった。
 チャキルはラクササの人物のひとりだが、他のラクササたちとは異なっている。クロノグラム〈文・語・マークその他で年代を記載する方法〉(チョンドロ・スンコロ Candra sengkala ジャワのクロノグラム)によれば、チャキルは『タンガン・ヤクソ・サタタニン・ジャルモ TANGAN YAKSA SATATANING JALMA 』と呼ばれる。この意味は、チャキルはジャワ歴1552年、西暦1630年に作られたということである。つまりスルタン・アグン Sultan Agung (在位1630〜1645年)の時代である。このチョンドロ・スンコロはまた、チャキルは人間のように二本の手を持つ、ことを意味している〈Tangan=手=2、yaksa=ラクササ=5、sa〜ning=のように〜する・tata=備える、整える=5、Jalma=人間=1、チョンドロ・スンコロでは各単語に特定の数字があてられ、数字化する場合は逆に読んで1552となる〉。ふつうラクササのワヤン人形では、動かせる手は一本であり、それは左手で、右手は身体と一体になって造形され、動かすことができないようになっている。これは、ラクササたちの行為、行動がつねに『 ngiwa=左』、つまり悪の側にあることを意味している。殆どのラクササは動かせる手は一本(左手)で、目は大きくて見開いており(盲目=wuta を意味する)、姿勢は上方にそりかえり、口は大きく裂け、歯を剥き出している。これらの特徴は横柄、傲慢、貪欲で他人を顧みない性格、強欲の性格を描いているのである。ウェドトモでは『buta, buteng, betah nganiaya 〈ラクササ、怒りっぽく、つねに邪魔立てする者〉』と呼ばれている。
 チャキルはいつもプラン・クムバン perang kembang またクスモユド Kusmayuda と呼ばれる場面に登場する。これは花の決闘、あるいはワヤン上演における花となる戦いを意味する。ダランはプラン・チャキルにその技巧を傾注する。チャキルが巧く操れないダランは未熟者(そのサブット sabet=人形操作において)と看做される。プラン・クムバンには四人のラクササが登場する。ラクササ・クニン raksasa kunig 〈黄色のラクササ〉(ブト・チャキル〈ブト buta はラクササの意〉は欲求の欲望(アルアマ aluamh )を象徴し、ラクササ・メラ raksasa merah〈赤いラクササ〉(ラムブット・グニ rambut guni 〈炎(赤)の髪〉)はアマラ amarah 〈怒り〉の欲望を象徴する。ラクササ・ヒタム raksasa hitam 〈黒いラクササ〉(プラガルボ Pragalba=虎を意味する)は悪しき欲望(スフィアー sufiah)を、ラクササ・ヒジョウ raksasa hijau (ガリウ Galiuk )は臆病(mul hitam)を象徴する。
 これらの性質はすべての人間が抱えているものである。だから道徳的倫理によって、人間はこれらの性質を消しさり、取り除き、滅することが望まれているのである。そのために、それらの性質はサトリアの資質によって滅せられなければならない。サトリアは白い性質(ムトマイナ mutmainah )の象徴であり、人は『Mingkar-mingkuring angkara〈強欲を退け〉; Kawawa nahan hawa〈欲望を抑え〉; sudanen hawa lan nepsu〈欲を減らし〉; pinesu tapa brata〈苦行に励み〉; cegah dahar lawan nendra〈食事と眠りを減らし〉; Aja sumungah sesongaran〈見栄を張り、高言することをせず〉; anggung gumunggung diri〈傲慢(にならず)〉; anggung ginawe umbak〈いつねに厳しく学び〉; ngendak gunaning jalma〈他人を低く見(ずに)〉, nggugu karsa priyangga〈欲望にまかせる(ことなく)〉; uger guru aleman〈敬われることを喜ぶ(ことなく)〉; 』その他を為さなければならないのである。最終的に人は『 Setya budaya pangekese dur angkara 』でなければならない。つまり、意識的に、悪しき欲望を防ぎ滅するための人間性を強化する、のである。なぜなら、悪しき欲望を放っておけば、自身の周辺を巻き込み、世界をも巻き込んで、ついには災厄を招くことになるからである( Angkara gung neng angga, anggung gumulung, gegolongan ira trilika lekere kongsi, yen den umbar, hambabar dadi rubeda )。
 であるから、欲望、あるいは願望に溺れた人間にとってブト・チャキルの高慢さは自らの映し身 candranya なのである。我々も『内省』してみよう。私たちは願望に身を委ねる。たとえば自転車を持っているのに、今度はバイクが欲しい。もっと豪華なものに買い替えよう。家を一軒持っているが、二軒、三軒、四軒、五軒、しまいには複合住宅となる。500㎡の土地、それから2,000、さらに5,000㎡へ500ヘクタール欲しくなって森を伐採する。かくて世界を『我が物 diemperi 』に、『verdipping (自分の)床化』しようとするにいたる。
 願望のすべてを心の内から吐き出してしまうなら、チャキルと同じになってしまうだろう。最後に彼はサトリアのクリス〈短剣〉ではなく、自分自身のクリスによって死ぬ。人は言う。「 Wong mati jalaran saka kokehan polahe dewe 」(自分自身の行為によって死ぬ者)であると。
 彼のクリスには29のルク luk 〈曲がり;ジャワの短剣クリスの刀身には、うねうねと曲がっているものがある〉があり、アルジュノのクリス(プラングニ Pulanggeni )は真直ぐである。つまり、曲がったクリスはプラングニのような真直ぐで、美しく、シムプルなクリスに敗れる。これは、人生は真直ぐ偽りのないものであるべきで、うねうねと曲がりくねってはいけない、ということを意味しているのだ。
 それらの欲望を我々がいったん滅したとしても、あくる日には新たな願望が立ち現れてくる。これこそがブト・チャキルによって描かれていることなのだ。そして、人が欲望に溺れてしまえば、待っているのは災厄である。『 Angkara gung yen den umbar hambadar dadi rubeda 〈強欲は困苦になる前には外で休んでいる〉』のだ。
 プラン・チャキルとは形而上学的(サンカンパラン sangkanparan )要素の実験的象徴なのである。チャキルの言葉を注意して聞くが良い「そなたは何処から来た。何処へ行こうとしている、そなたの名は何だ、この先を行くことはならぬ、戻らねばならぬ」等々。
 こういった形而上学的要素については、またの機会に話すことにしよう。

1976年7月11日 ブアナ・ミング

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Galiuk
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by gatotkaca | 2013-05-22 01:09 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第25章

25. プラブ・ワトゥグヌンとクロウォはK・Bに従わなかったために災厄にみまわれた

はじめに
 1. 先日、家族計画(keluarga berencana=K・B)に対する記者会見が行われた。出席者はニ・O・ジュワリ Ny. O. Djoewari インドネシア代表団長、フィリピン家族計画会議のフタソイト Hoetasoit 女史、ロンドンからジオフェリー・サルクド Geoffrey Salked 氏、ニ・スウォンド Ny. Suwondo 、そしルトノ・トゥランゴノ Retno Tranggono 博士である(1971年4月12日付け)。そこでフタソイト女史はこのように述べている。‥‥「家族計画〈産児制限〉の実施を村々の女性たちに実行してもらうのはひじょうに困難な状況にある。手始めに、この思想をワヤンのメディアを通して伝えてはどうであろうか。」

 フタソイト Hutasoit 〈原文ママ〉女史の意見は正当であるが、『nglenggono 寛大』すぎる、つまり性急に過ぎないよう計画されるべきである。たとえば、『産む権利 Right to be born 』とか『クンティ、産児制限をする』などというワヤンのラコン〈演目〉を作ったりすることである。こういった『nglenggono 寛大』なワヤンのラコンを作ってもワヤン好きの人たちは受け入れ/理解しないだろう〈訳注:本来の伝統的物語とかけはなれた新作の演目を作っても受け入れられないだろう〉。といってもワヤンがクルアルガ・ブルンチャナの成功に門を閉ざしているわけではない。フタソイト女史のワヤンをメディアとして活用しようという意見には喜んで賛成するし、歓迎すべきものだと思う。ワヤンはBKKBN(Badab Koordinasi Keluarga Berencana Nasional 国民産児制限計画調整機関)の成功に活用できる。むろんワヤンにマス・メディア的機能を付与する活用には、その伝統的古典的価値観を犯すことなく行われる必要がある。
 映画『産む権利』の中で、産婦人科の医師・教授は出生率の上昇が世界に災厄をもたらすと説明していた。BAPPENAS 〈Badan Perencanaan dan Pembangunan Nasional 国家開発・計画機構〉の首長は1971年開発集会のセミナーにおいて、「産児制限計画が失敗すれば、開発の成果も人口増加に飲み込まれ、災厄・混乱 malapetaka にみまわれることとなるだろう。」と述べている。
 上記『産む権利』と『Bappenas』の二つの見解はまさしく妥当なものである。ワヤンからの教え/手本を見直すことも必要であろう。先の見解の正当性を示すために、ここではワヤンのラコン〈演目〉から二つの例をあげる。ラコン『プラブ・ワトゥ・グヌン Prabu Watu Gunung 』と『クロウォの誕生 Lahirnya Kurawa 』である。

プラブ・ワトゥ・グヌン
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 2. プラブ・ワトゥ・グヌンはギリン・ウェシ Giling Wesi 国の王である。彼は自分の母であるデウィ・シント Dewi Shinta 〈ラマヤナのシントとは別人〉を妃にした。母親との結婚で彼は27人の子をもうけた。彼らの名はパウコン pawukon 〈ジャワ・バリの暦〉の教義におけるウク wuku * の名になった。たとえば、ウク・シント wuku Shinta 、ウク・ランドゥプ wuku Landep ‥‥そして最後にウク・ワトゥ・グヌン wuku Watu Gunung にいたる。
 彼の結婚と子をたくさんもうけたことの双方が問題となり、やがての日におおきな災いを招くことになる。
 子をたくさんもうけたことで、プラブ・ワトゥ・グヌンに国の版図を拡大したいという欲がわいて来たのだ。それは他国の独立を脅かすことを意味した。第二の問題はさらにやっかいな問題を引き起こした。彼らの結婚は母と子の結婚であった。この問題を解決するため、プラブ・ワトゥ・グヌンは長年連れ添った妃(自分の母)に代えて、新しい妃を迎えようと考えたのである。彼はバトロ・ウィスヌの妃、バタリ・スリ Batari Sri に求婚した。
 不自然な〈母と子の〉結婚と、子を際限なくもうけたいというプラブ・ワトゥ・グヌンの二つの欲望が結局は災厄を招くこととなったのである。ワトゥ・グヌンの一族、シントと27人の子どもたちは、バトロ・ウィスヌとの戦いの中ですべて滅せられてしまった。バトロ・ウィスヌとはすなわち開発・発展の神である。
* Wuku
ウクとは30週間でまわるタイムサイクルの名。1週間(プカン Pekan)、7日間単位からなり、210日で1サイクルとなる。ウク算法は主にジャワやバリで使用されている(ジャワ語ではパウコンpawukon という)。
 計算法の基本概念は、ポンチョウォロ Pancawara(パサランpasaran=市場、ルギ Legi (甘さManis)・パインPahing (苦さPait)・ポンPon (Petak)・ワゲWagé (Cemeng)・クリウォンKliwon (Aish)からなる)と七曜サプトウォロ Saptawara(プカン pekan=週 Senin,Selasa,Rebo,Kemis,Jemuwah,Setu,Ahad/Minggu)のふたつを合わせて計算する。ポンチョウォロは五日間、サプトウォロは七日間で構成される。ひとつのウクは、ハリ・パサラン hari pasaran (五曜)とハリ・プカン hari pekan (七曜)の関係で確定される。たとえば、ハリ・サプト・ポン Hari Sabtu-Pon はウクではウグ Wuguとなる。バリやジャワの伝統的信仰によれば、これらの日は、それぞれ特定の意味を持っている。

クロウォの誕生
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 3. マハーバーラタにはこのような話がある。盲目の王プラブ・デストロストロとデウィ・グンダリの結婚で、99人の男と1人の女からなる100人の子どもが生まれた。
 クロウォ誕生の予兆として『一晩中ジャッカルの吠え声が』聞こえた。ジャッカルの吠え声は『警告』また災厄の予兆とされ、加えて彼らは異常な誕生の仕方をした〈母グンダリは一個の肉塊を産み、それを100個の破片に分けて壺に入れると100人の子どもが生まれたのだ〉。世界は凄惨な災厄をこうむることとなった。つまり多大な犠牲を生んだ大戦争バラタユダの勃発である。その中でクロウォの100人のすべてがクルカセトロの荒野 Tegal Kurusetra の戦いのうちに滅んだのである。
 父一人、母一人が100人もの子を生むという度を超えた負担を背負った結果、デウィ・グンダリは100人の子どもたちを守るため、あらゆる努力を払った。ただひとつの道はパンダワからアスティノ国の王位と領土を奪い取ることであった。その目的を果たそうとして政治的な陰謀や、下劣な手段、果ては非人間的な手段がしばしば用いられた。ラコン〈演目〉「バレ・スゴロ・ゴロ〈スゴロ・ゴロ館でのパンダワ焼打ち〉」や「パンダワの賽子賭博」その他がそれである。
 これはマキャヴェリの目的は手段を正当化するという理屈と同類のものである。つまり『目的のためにはいかなる手段も、相手を殺すことも厭わない』ということである。マキャヴェリの生まれる以前から、クロウォによってこの理論は実行されていたのである。

1971年5月23日 ユダ・ミング
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by gatotkaca | 2013-05-20 23:37 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第24章

24. デウィ・クンティはハイパーセクスではないが、子孫のために身を捧げた賢母である

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太陽神スーリヤとクンティー

 キミンドノの呪いを受けたパンドゥは意気消沈した。彼は女性に、それが妃であっても触れることができなくなってしまったのだ。彼はもうアスティノの王宮に戻ろうとはしなかった。
 王位は『空位』となってしまったのだ。彼はアスティノの全権をルシ・ビスモとデストロストロ、ヨモウィドゥロに委ねた。パンドゥの決意は、バロト族の暗黒時代、ザマン・エダン zaman edan 〈狂気の時代〉、コロティド Kalatida の到来の前兆であったのだ。
 コロティドとは不確実性の時代を意味する( ewuh aya pambudi )。人々の心が『tidha-tidha 』、つまり迷い、混乱する時代である。『狂気 edan 』が横行し、人心は失われる。『狂気』にいたらずとも、飢餓、貧困がおそう。富貴なる者も混乱し、眠りは憩いとならず、歩くことすら不安になる(心に恐怖がはびこる)。富める者は言う。「明日は何を食べようか?」その一方で貧しい者はこう言うのだ。「明日は食べることができるだろうか?」だがトゥハンの諌めにこうある。「注意深く、中庸であることを思い出せる者は、それを忘れさった者よりましである。」と。
 まさしく、パンドゥの後の時代はパンダワとクロウォの一族が、誹謗し合い、騙し合い、傷つけ合い、殺し合う時代となった。それは手本と善なる考えが失われた故であり(『tanpa paluppi 』)、人々が自分の欲望のみを求めたからである( maneka warna hardane wong saknagara )。さらには内面の卑しさをむき出しにして行動した( kongas-ka-sudra-nira )からである。クロウォとパンダワの時代の物語は後に譲ろう。今はパンドゥとクンティの話に戻る。さてどうなるのか。
 パンドゥは苦行にはげみ、妃たちに触れないようにした。けれど妃たちは無念にはおもわなかった。それどころか彼女たちの愛情と献身はさらに増すのであった。彼女たちは王の魂を死神ヨモディパティが引き抜いた時には身を捧げ、スティア〈サティー=殉死〉することを誓っていた(しかしサン・パンドゥは何らかの方法で子孫を残すこ道を探ることは許していた)。ある満月の夜、ブラフマンの『長老』の一人がパンドゥに神の啓示を伝えに来た。五人の美しく高貴な魂を持つ超能力の子が授かるだろうというのである。
 その知らせは好意的には受け取られなかった。二人の妃は子をもうける行為を行うのに賛同しなかったのである。パンドゥは創造神の決定に従うべきだと二人の妃を説得した。パンドゥの誓いに長い間苦しんでいたクンティは、パンドゥの足下に頭を垂れて涙ながらに言った。キミンドノの呪いを避けるため、彼女がブガワン・ドゥルウォソから神を呼ぶ呪文を授けられていることを話したのである。パンドゥとクンティはその呪文を使い、ヤン・マハ・クアサに精神を集中して祈った。サン・ヒワン・ダルモのように高貴なる魂を持ち、誠実な息子を賜りますように、と。こうして最初の息子、ユディスティロが誕生した。
 二度目はサン・ヒワン・バユのような人を慰撫する心を持ち、世を安寧たらしめる肉体を持つ息子を賜りますよう、と願った。こうしてビモが生まれた。三度目はサン・ヒワン・インドロのように美しく、超能力にあふれる息子を、と願った。こうしてアルジュノが誕生したのである。デウィ・クンティは三人の息子を得たことで満足した。彼女はすぐさま呪文をデウィ・マドリムに譲り渡した。今で言えばK・B〈クルアルガ・ブルンチャナ =家族計画・産児制限〉に則ったのである。
 パンドゥとマドリムが呪文を使い、精神集中してヤン・マハ・クアサに祈った。バトロ・アスウィンのように未来を見通し、美しく、勤勉で、従順な息子を賜りますように、と。かくて双子のナクロとサデウォが生まれた。パンドゥはK・Bに則り呪文を神に返した。ワヤンの時代にも、今と同様にK・Bが意識されていたのである。
 パンドゥと妃たちの物語は何を描いているのか?この物語は歴史的事実ではないけれど、道徳的教えを表現した象徴としての価値を持ち、倫理的意味を持っている。人が子孫をもうけようとする時には、まず精神と物質面を良好に保っておく必要があるということを霊的に表しているのである。ウェドトモ(72〜76)では神の恩寵を受け取る条件として、人は自身を委ね、穏やかで静謐な精神を身につけなければならない、と説いている。『 heneng, hening, heling san hawas 』、迷うこと無く、運命を信じ、精神を安寧たらしめ、タワカル tawakal〈神に意志を委ねる〉、イクラス ikhlas 〈精神を浄化する〉、愛を表明する(sabar tawakal legawing ati, trima lila hambeg sadhu )。そして強欲の性から遠ざかるのだ( sumimpanga ing laku dur )。グンディンgending 〈ガムランの古典曲〉『ウルル・カムバン uler kambang 〈花につく虫を意味する〉』においては、このように歌われている。受けとるときはゆっくりと( sabar, sareh, tawakal 良いことがありますように)、忘れるなかれ思い出せ(トゥハン・ヤン・マハ・エサのことを)、と。パンドゥの息子たち(パンダワ)が『サトリア・ピナンディト satria pinandita 』(広い知識と高貴な精神を持つ者)であることも不思議ではないのだ。
 ワヤンやウェドトモの教えはぞんざいに扱われている。今やふつうの人は『cegah dahar lawan minumu 食べること、飲むことを控える』などということはしないだろう。たくさん『食べ dahar 』、たくさん飲み、ほかのこともたくさん求める。こうした理屈は今の時代にも通じるだろうか?読者のみなさんもじっくりと考えて頂きたい。

1970年1月22日 ブリタ・ユダ

〈訳注;前章での指摘を受けてハイパーセクスの語を撤回しているところをみると、この語は一般的には「性的奔放」を指す語として理解されているようだ。〉
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by gatotkaca | 2013-05-18 01:03 | 影絵・ワヤン | Comments(0)