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木から落ちた猿

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ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第3,4,5章

読者の考え

3. 以前はワヤンをよく知らなかったけれど、今は深く知りたいと思う

 
 バパ〈男性に対する尊称〉・スリ・ムルヨノ・ヘルダランの『ブアナ・ミング』でのワヤンの記事をとても楽しく拝見しております。バパの名を前にして、考えがまとまりません。取るに足らない私のような者の考えでは、『技術者 Insinyur 』というものはテクニック、正確な知識を持っていなければなりません。バパはダランとしてのテクニックにおいても専門家であると思います。
 さて、お話を続けましょう。私はワヤンの諸問題や、その登場人物たちについて、ほとんど知りませんでしたが、ブアナ・ミングでバパがお書きになっている『ワヤンとその登場人物』の記事を読んで、もっと知りたい、学びたいと思うようになりました。その記事の中でしばしばワヤンの人物たちは、生きている人のように描かれています。
 バパがワヤンの本をお書きになっていると聞きました。その本はインドネシア語の本ですか?またその中でも日刊『ブアナ・ミング』での記事のような解説があるのですか?私はもっとワヤンのことを知りたいと願っています。
 この手紙がバパのお目にとまったことを感謝いたします。
 トゥハンの祝福と、さらなるお仕事の成功をお祈りいたします。

1976年8月15日 ブアナ・ミング
エルウィナ・ブルハウディン Erwina Bruhaudin

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読者の考え

4. ワヤンのラコン〈演目〉が混沌としているので、私は混乱します

質問
 拝啓、先月9月17・18日、ジャカルタテレビでワヤン・オランの上演を見ました。取り上げられていた物語は『ビスモの誓い Sumpah Bisma 』でした。そのワヤン・オランはとても面白くて、最後まで見てしまいました。
 でも、ちょっと混乱し、納得のいかない思いをしたのです。こんなふうに思うのは私だけかもしれませんが、他の視聴者もそうかもしれないとも思います。物語の筋道に混乱し、納得がいきません。分かるように教えて頂けませんか。
 最初の場面、デウィ・ドゥルガンディニ Dewi Durgandini が川岸におり、デウィ・ゴンゴ Dewi Gangga が現れて、デウィ・ドゥルガンディニが後の日にプラブ・スンタヌ Prabu Sentanu の妃になるだろう、と告げます。
 デウィ・ゴンゴは去り、プラブ・スンタヌが現れます。彼はデウィ・ドゥルガンディニに妃になってほしいと求婚します。
 サン・デウィは頷きますが、条件を出します。後の日にサン・デウィが男の子を産んだら、その子がサン・プラブの後継ぎとしてアスティナプラ王国の王となることができるように、と。
 その答えを聞いたプラブ・スンタヌはすぐに戻っていきます。プラブ・スンタヌと入れ替わりにデウォブロト Dewabrata (ビスモ Bisma )が現れ、サン・デウィの願いは実現するだろうと明言します。というのも彼が自ら王権を手放すからです。
 それでもデウィ・ドゥルガンディニは、後の日にデウォブロトが結婚し男の子をもうけたなら、その子が王国の継承権を主張するかも知れない、と言います。その時、デウォブロト(ビスモ)は生涯結婚しないと誓うのです。
 私には疑問がわきました。偉大なる王 Raja Agung Binatara たるプラブ・スンタヌが川岸で求婚しましたが、王国の慣習、法律はどうなっていたのでしょう?私から見れば、この物語は混乱しています。さらに最後にはスンタヌはブガワン・ポロソロ Begawan Palasara と戦い、デウォブロトはアビヨソ Abiyasa と戦うのです。
 というわけで、勇気を出して質問いたします。ワヤンの物語はマハーバーラタやプストコ・ロジョ・プルウォ Pustaka Raja Purwa その他から採られていて、それに沿っているというのですが、本当のところどうなのでしょうか。深く学んでみたいのです。パンダワとクロウォは本当は誰の子孫なのでしょう?
 編集諸氏のお目にとまり、まずは感謝を申し上げます。

1976年10月24日 ユダ・ミング
ブディユウォノ Budiyuwanad

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5. パンダワの先祖プラブ・ヤヤーティ、妃の子ゆえに老人となる

 パンダワとクロウォの先祖は本当は誰なのか?読者からそのようなご質問をいただいた。多くの説があって、うっかりすると混沌としていて混乱してしまうことになる。マハーバーラタの説によれば、パーンダヴァ〈パンダワ〉とカウラヴァ〈コラワ/クロウォ〉の開祖はプラブ・ナフシャ Prabu Nahusa であるという。彼はプラブ・ヤヤーティという子をもうけた。ヤヤーティはハンサムで超能力に溢れた男子であった。彼はアスティナを良く治め、唯一至高なる神トゥハン・ヤン・マハ・エサ Tuhan Yang Maha Esa を敬虔に信仰した。
 彼にはデーヴァヤーニーという名の妃がいた。彼女はルシ・シュクラ Resi Sukra という僧の娘であった。デーヴァヤーニーには女官(お付き)が一人いて、名をサルミシュター Sarmista といった。お付きの者なのに彼女は軽薄で、『色気付いて kemayu 』いた。セックスアピール豊かで、人が唾を飲むほどであった。むろん焦らすだけだが。目と眉に磁力があるようで、彼女を見た者は愛欲を昂らせた。心が揺らぎ、一目惚れする者もあった。
 さて、ある静かな夜、プラブ・ヤヤーティは女官のサルミシュターと秘密の『デート』をした。
 一二回なら『漏れる』ことはなかった tidak "konangan" のだが、道に外れた行いであるから、密会はついに発覚してしまった。妃(デーヴァヤーニー)に見抜かれたのである。デーヴァヤーニーは夫が目と鼻の先で浮気をしているのに我慢ならなかった。
 デーヴァーヤーニーは悲鳴をあげ、泣き、顔を覆いながら、父ルシ・シュクラのもとへ走り、プラブ・ヤヤーティと自分の女官(サルミシュター)の行為を報告した。ルシ・シュクラは感情を抑え、外に出さなかったが、心の内で『呪い kutuk pastu 』の声を上げ、それは烈しいものであった。ルシ・シュクラはプラブ・ヤヤーティに言った。
 「我が主、サン・マハ・ラジャ、プラブ・ヤヤーティ。陛下はあきらかに、尊厳と輝き、若々しさを失いましたな。』
 ルシ・シュクラの呪いは強力だった。ハンサムで凛々しかったプラブ・ヤヤーティは、突如としてしわだらけのしょぼくれた老人になってしまった。呪いを受けたヤヤーティは顔を下げ、泣きながら跪いてルシ・シュクラに許しを乞うた。しかし彼は言った。
 「高貴なる者、マハ・ラジャ・ヤヤーティ陛下。この『呪い』は撤回できませぬ。誰かの若さとあなたの老いを交換しないかぎり。」
 サン・プラブの心は粉々となり曇った。不安に打ちのめされ、絶望でがっかりした。彼はまだ性欲も贅沢も権力も欲していたのだ。そこで彼の五人の息子たちを呼び、こう言った。
 「おお、息子たち。私はまだ権力も若さも、性欲も失いたくない。そこで、そなたたちのうちの一人に私の苦しみを請け負ってもらわねばならぬ。私の老いを請け負い、若さを私に与えてくれ。」
 父の命令を聞いた息子たちは、とても驚いた。一番年上の者が声を出して答えた。
 「おお、父上、私はまだ若さを楽しみたい。私が老人になってしまったら、どんな娘が私に近づきたいと思うでしょう?弟たちに聞いて下さい。私より父上を愛している者がいるかどうか。」
 二番目、三番目、四番目の息子たちも答えは同じであった。みな老人になるのは断ったのである。末っ子(五番目)の番になった。彼の名はプル Puru といった。この末っ子は父の苦しみを見るに忍びなかった。彼は跪いて言った。
 「おお、アスティナの偉大なる王よ。喜んで私の若さを父上に差し上げましょう。父上が苦しみから開放され、苦痛に悩まされぬよう。父上、アスティナ国を治め、幸福をもたらしてください。」
 プラブ・ヤヤーティは言葉も無く、小躍りして息子を抱きしめ、堪えきれず接吻した。こうして彼が息子に触れると、かつての若さが戻ったのである。末っ子のプルはその歳に合わぬほど、よぼよぼの kempong peot 老人となった。
 かくてプラブ・ヤヤーティは若き生を取り戻し、怒りと欲望をぶちまけた。それだけではない、彼はハーレムを作り、欲望と強欲 ankara murka を発散し、それは尽きることがなかったのである。

1976年11月14日 ユダ・ミング
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by gatotkaca | 2013-04-30 00:30 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第2章

2. ワヤンと人間性

人間は主体であり、客体である

 ワヤンと人間について語る際、つねに心魅かれるのはアクチャリティー〈現在性・有用性〉とユニーク〈唯一性〉ということである。なぜか?それはワヤンが生、そして人生のシムボル・言葉であるからだ。そして我々人間自身は、あらゆる行為、世界と関わっている。
 むろん、ワヤンと『人間の性格』について語るなら、心理学の側面との関わりが最も深い。違いますか?というのも、『心理学』とは(サルリト Sarlito 博士によれば)『環境の影響を受けた人間の行動を探る学問』であるからだ。
 いっぽう人間の行動というものは、人間の諸行為によるものである。閉じたものとしては、恐れ、喜び、夢といったものがあり、開いたものとしては会話、飲食、衝突、歩行といったものがある。人間の行動、行為はその過程において、動機と呼ばれる個人の内心における衝動に突き動かされることによって生ずる。つまり行動は動機によって生ずるのである。そして動機は必要性によって生ずる。必要性は個人の内なる『在ること』と『無いこと』の均衡によって生ずる。つまり、人間の行動とは、他でもなく、違いなく、ある必要性における在る目的を達成するための努力において個人内の均衡を満たすために行為されるものなのである。目的が達成されない、また満たされない場合、人間はフラストレーションを感じることになる。そうであるからこそ、人間の状況は基点となる末端の殆どない、相互に関連し、相互に偶発的な動機の円環を形成することになる。
 本書は『人間の性格』を描くことを目的としており、それは人物の性格、行動のみならず、さらに広く全体的人間像を描くことを目指している。それゆえ本書におけるアプローチはブアナ・ミングでの『ワヤンとその登場人物』の記事の羅列にとどまらず、より哲学的性格を持つことになるだろう。
 我々は、この世に生きる人間が人間自身の諸問題を明確にし、解決することを目指し続けていることに気付く。すべての科学的修練の理論は、人間を説明するためのものであり、それは例えば、生物学、心理学、哲学、その他である。世界の思想家たちの回答や理論は、各分野から見た人間という謎の一側面にほかならない。
 各々の完成された理論は、それぞれ多くの事柄を説明し得たが、人間自身にめまいをもたらし、『混沌』をもたらした。しかしその混沌こそが現実でもある。生の現実とはそういうものなのである。人生とはまさしく不可思議なものであり、謎に満ち、混沌としているのだ。
 なぜ人間の行動すべてに対応する見解、理論が存在しないのか?その答えは、人間がひとつの謎だからである。探索、生活、人間を知ることへの人間の願いがさらに深まれば、さらに驚くこととなる。さらなる人間意に関する疑問が立ち現れ、それは消えること無く、新たな疑問が次々と浮かんで来る。最初は予期しなかったたくさんの新たな視点が浮かび上がってくるのである。ワヤンに関してもそうだ。ワヤンは柄杓で汲んでも、尽きることの無い水源のようなものである。ワヤンを探ろうと勤勉になればなるほど、驚きが待っているのだ。
 本書はワヤンの問題すべてに答えているとはとても言えないから、人間に関する問題に関してはなおさらだが、ワヤンという庭園を探るひとつの招待となり得るなら、人間というものに関しても反映されるものがあるだろう。
 私見によれば、ワヤンとは自身(人間)を知るためのひとつの方法である。ワヤンの上演においては、ひとつのラコン〈演目〉の上演、提示は、人間の生、人生であるからだ。ワヤンを観た後には、つねに長年抱いてきて、今もなお新しい疑問が心に浮かぶ。それは、人間とは何か?そして私とは何者か?ということである。
 その疑問に関して、世代を超えて通用する理論を見出すことはできない。しかし、それらの疑問がさらなる疑問を浮かび上がらせる。私が知りたい人間とはどのようなものなのか?人類学的見地によるものなのか、心理学的見地によるものなのか、はたまた生物学的、神学的見地によるものなのか?答えはさまざまであり、専門家も異なってくる。人間というものに対する人間自身の認識もまた異なっているのだ。
 人間を知るためのひとつの手段としてワヤンを呼び出し、人間というものの全体像を知るための学問の海の中で思索することに寄与させる。人間の全体像、それは人間の現実、具体性、顔、存在とは何か、真実とは何かである。ワヤンを観て知ることで、人は自分自身というものを意識することを求められる。自分自身とはまさしく、真に存在し、世界と共にあって完成する存在である。人間は世界と対峙することを求められ、自分自身と向き合い、自分自身を見出すことのできる者でもある。言い換えれば、ワヤンを観る者たちは主体となり、同時に客体となることができるのである。つまり、人間とは主体であり、同時に客体でもあるのだ。

人間

 神の被造物としての人間はビネカ・トゥンガル Bineka Tunggal (複合的単体)の性質を持つ。人間は、その顔は一つであり、身体という実体も一つである。しかし実際には二つのものから成る。
 第一のもの、それは肉体また身体と呼ばれるものであり、『可視的』実体である。その機能の源泉として感覚、五感を持つ。
 第二のもの、それは精神また魂あるいは霊と呼ばれるものである。これは実体を持たず『不可視』なるものである。その機能の源泉は三つあり、それぞれ思考、感性、意志と呼ばれる。
 人間の二つの構成要素、肉体と魂は別々のものではなく、有機的一体をなし、二つにして一つ dwi tunggal 、また複合的単体である。つまり二つにして一つ、二つは不可分に結合して一つのものなのである。
 被造物としての人間の本質は、その存在において唯一の存在ヤン・マハ・アダ Yang Maha Ada によって独自/個人として存在させられている。ヤン・マハ・アダとは最初の存在にして、それ以前に存在を持たないもの、つまり唯一至高の神トゥハン・ヤン・マハ・エサである。しかし人間はその存在において始まりあるいはその所以を他者に依拠する。すなわち父と母である。であるから、人間とはまた、つねに他者と関係する性質を持つ。さらに人間はその生において三つの性質を持つ。個別性(個人/個性)、社会性、神性である。であるから、実体としての人間全体はドウィ・トゥンガル(二重性)の性質を持ち、またビネカ・トゥンガル(複合的単体)でもある。それゆえ人間の本質とはビネカ・トゥンガル(多元的単体)なのである。すなわち、
ーー肉体
ーー精神
ーー思考
ーー感性
ーー意志
ーー個性
ーー社会性、そして
ーー神性である。
 上記の説は人間が他の生物と異なることを示している。であるから、人間性というものを描こうとするなら、それは精神・魂を持った肉体・身体であり、それは能力の源泉として思考、意志、感性を持つもの、ということになる。それは人間が高い意識と知性を備えたものであることを意味する。手短に言えば、人間とは思考しまた理解する生き物なのである。

人間と動物

 動物たち、野生の生き物に目を向けてみよう。動物たちは生まれながらに生きていくために必要な器官を完備している。獲物を狩るための牙を持つ動物がおり、空を飛ぶ翼を持つもの、泳ぐためのひれを持つものもいる。いっぽう人間がある行為を行うためには、それ以前から長い時間をかけて学ぶ必要がある。生まれたての人間はまさしく、本当に未熟で全く弱い存在である。しかし、そのようである人間は次第に完全な機能を備えるにいたるのである。精神は思考、感性、意志の能力を持ち、理性を備えるにいたる。人間は対話によって学び、それを対話によって伝えることができる。彼は道を学び、そして道を歩んでいくことができる。手短かに言えば、人間が大人の段階へと成長する過程は、他者に大きく依存しているのだ。いっぽう動物は本能に基づく行動を行うのに長い時間を要しない。そうであるとはいえ、野生の生き物の『技能』は時間を止め、静止しており、もはや進展することはない。たとえば機織り鳥である。彼らは家作りを習うこともなく、すてきな素晴らしい機織り鳥の家を作ることができる。しかし機織り鳥が現れてより今日まで、彼らの巣はまったく同じなままである。言い換えれば、動物とは自身と世界に対峙することのできない生き物なのである。つまり動物たちは、その必要に応じて自身と世界を変革することができない。しかし人間は、必要に応じて運命と世界を変えることができるのである。

 逆に人間は、まさしく他者に依存する期間の中で、その性格の形成(キャラクター・ビルディング)を行い、知性を高める。人間は生まれた時には飛べなかったが、知性、インテリジェンスを高めることで、飛べるようになり、さらには広大な宇宙にまでその探索の手を伸ばしている。人間はまさに、その生が対峙する問題と自分自身に直面しているのだ。前進するか否か。これこそ多くの人々に、人間の実存と呼ばれるものである。人間とは自分自身と世界に対峙するものなのである。

 その働きにおいて、人間は人間にとって用いられるべき事柄(ヒューマニスティック)を変え、発展させるだけでなく、自分自身をも発展させて来たのである。それゆえ、人間の創作物、作業の成果は自身を解明し明らかにするのみならず、人とその仲間の関係をも表すのである。

人間と仲間

 であるから、人間の生は内在から他者や世界へ向けて放出(還元)されなければ意味を持たない。それゆえ仲間の状態こそが、生の重要性の中でも最も重要なものとされるのである。人が他者から放り出され、また他者を見放したならば、人は心に淋しさを憶えるだろう。この淋しさが精神の空白となり、生の活力を損ね、失わせることになる。
 この淋しさ、精神の空白を見た者は疲れ、落ち着きを失い、さらには恐怖を感じることになる。そのまま放っておけば、この感情に満たされ、ついには災厄を被ることのなるだろう(yen den umbar dadi rubeda )。他者との関係性とはつまるところ社会との関係性である。内向的な人にとって知性を高めることができなくなるなら、自身を〈世界から〉遠ざけ、孤独になることは、多分トゥハンとの関係に向かうことから自分自身との関係を切り捨てる結果となり、自身への信頼も失うことになるだろう。これこそ災厄『死』にいたる『困難』"rubeda" yang "hangemasi" である。人はそれぞれに孤独を感じる。それゆえ肉体と精神の間にある生のバランスを求め、人間は働き、物を作るのである。ポジティブに知性を発展させ、高めることのできる人にとっては、その人は高尚な価値観、とくにトゥハンへのそれが開かれているのである。高貴なる霊性をそなえた生き物としての生は、仲間にとって有用なるものなのだ。

食欲の制御

 働くことと物を作ることは、人間に必須のものである。しかしこれはただ単に孤独な時間を埋めるためや、卑しめられないようにするためではない。ここでの働きとは、明らかに人間自身をより良くたらしめるための過程にあるものであり、身体的必要性を満たし、霊的完全性を達成するためのものでもある。
 そのようにして、被造物としての人間は生き物であると同時に、必要とする者なのである。この『必要性』とは未だ不完全であり原石の状態にある生き物にとっての『必要性』である。とは、スルヤント・プスポワルドヨ Soerjanto Poespowardojo 博士の意見である。人間の成長とは、外面ならびに内面の持続的成熟の過程なのである。つまり食料(飲食)、住処を必要とするだけでなく、生きることのバランスを取り、情熱をもつ人間となれるよう、精神の栄養も必要とするのである。魂が干涸びてしまわぬように。むろん健康に生きるためには食べ、飲み、眠らなければならないが。

 人間は飲食を求めなければならないが、動物とは異なる。動物は食べ物を前にして、距離を取り、節度を持つということはない。動物が食べる時には、目の前にある食べ物を食べるのみで、食べることを楽しむだけである。動物は食欲の中で浮き沈みするだけなのだ。しかし人間は食べ物を前にして、距離を取り、自制することができる。自分自身をコントロールし、どれが必要で、どれが不要なのかを選ぶことができるのである。我々の民族〈ジャワ人〉にとって食欲は、自身の完全性を達成するための魂の修練である。『ウランレー Wulangreh 』に言う。
 " Dadiya lakunureku, cegah dahar lawan guling,
Lawan aja suka-suka anganggowa sawatawis, ala wateke
waong suka, nyuda priyating batin. "

 『先の(上記の)ことを望むなら、そなたの人生の指針となせ。飲食の欲望を抑えよ。つねに喜び、楽しみを求めてはならない。自身を戒め、自制するのだ。それは邪なること、良くないことであり、注意力を減らすものである。』

 この説明から、食べることにおいても人間には義務がある。それは身体の健康を保つことだけでなく、そこにはメッセージが暗示されているのだ。それは人間にとって食事とは、高貴なる精神、作法、行為、性格、キャラクターを見詰める過程のひとつであるということだ。食事はまた霊的完全性に到達する過程でもあるのだ。つまり、食事、つまり世俗的満足、物質的要望は貪欲であってはならず、動物や野生の生き物のように食欲に浮き沈みしてはならないのである。食欲において人間は『疑いと思考』、つまり自制心を持たねばならず、結果を選び、決断しなければならない。どれが必要で、どれが不要なのか、と。

選択の決断

 であるから、特定の状況に直面した人間は、『選択の決断』というひとつの態度を定めなければならない。むろん人生においてある状況に直面することは自明のことである。そこで人間は自身にとって最も適した、良好な選択を決定することができる。これを選ぶか、あれを選ぶか、である。さらに言えば、選ばないということもまた『選ばない』というひとつの選択なのである。選択とは他者によって強いられるものである。こいうった態度は人間にとって真実なる生き方ではない、と言うこともできる。人間の中身というものも選択を決定することで決められてしまうとも言えるからである。しかしその選択がどのようなものであれ、状況は必ずしも満たされるわけではない。だから実存主義的哲学は人間に目を開くよう促すのである。人間の世界も、人間の実存も着実なものではないのだと。しかしその状況がどのようなものであろうと、人間は直面する問題に果敢に挑み、自身と世界の安定のために勇気を持って臨まなければならない。具体的に理解し、生きることで存在とは何かということを知るのである。

ワヤンは己を知るために

 筆者の言を要約すれば、ワヤンとは『人生のパノラマ』を提示するものだ。自分自身に対峙し、出会い、知るために。理性や哲学は人間に必須のものではない。他の方法、たとえば瞑想、メディテーション、黙考といったものでも良いのだ。ワヤンにおける人生の問題はすべてそれぞれのラコン〈演目〉で象徴的に取り上げられ、提示される。そして一人一人の人間自身が解明し、弁別するのである。
 ワヤンの理解は自身の〈心の中に〉持つ小刀のような道具でワヤンの中にある象徴を切り分けることなのである。信頼するに足る小刀を(まだ)持っていなければ、ワヤンの中の混沌を見て、困惑し、めまいがして気が遠くなるだろう。それは人生の混沌を見るようなものだから。ついには見かけやまがい物を見るだけに止まり、キ・ダランの冗談やおふざけを見聞きして笑い転げるだけとなる。キ・ダランの技術に驚き、ワヤン、ガムラン、そして繰り出される言葉の美しさ、楽しさ、調和のとれたさまを見て夢中になる。
 しかしそうであっても、これはさらなる重要な内面に入っていくためのポジティヴな一歩なのである。すべて根気と時間がかかることなのだ。思考、理論、感性が成長するには。
 さて、ワヤンとの格闘を始めよう。私はプスタカ・ワヤン・シリーズ〈ワヤン選書〉を1から10まで上梓した。とはいえ、これはワヤンを知り、人生を知るための大海の一滴にすぎない。我々はまだまだ学ばなければならない。まずは始めることが大事だ。
 人間、私たち自身の照り返しとしてのワヤンから始めよう。私とは何者なのか?
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by gatotkaca | 2013-04-29 07:00 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 序文、第1章

 『ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ』が終わったので続き。『ワヤンとその登場人物〜マハバラタ』ということになります。

Wayang dan Karakter Manusia Nenek Moyang Kurawa Dan Pandawa
oleh Ir.Sri Mulyono
Penerbit PT Gunung Agung - Jakarta 1977 ; Cetakan keempat 1983

ワヤンとその登場人物〜クロウォとパンダワの祖先たち
イル・スリ・ムルヨノ著
1977年、PT・グヌン・アグン出版 1983年第四版
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第三版への序文

 ビスミラーイ・ラーマニ・ラーヒム Bismillahir Rohmanir Rohim。
 我が身を委ねたる神の恩寵に感謝申し上げます。お陰さまをもちまして、読者の方々に『ワヤンとその登場人物〜クロウォとパンダワの祖先たち』第二版"WAYANG DAN KARAKTER MANUSIA " seri nenek moyang Kurawa & Pandawa cetakan ke Ⅲと題する本を上梓することができました。
 この第三版は新装版となった。第二版のサムプルは、言葉遣いや内容をSLTPとSLTAの学生たち〈SLTP=Sekolah Lanjutan Tingkat Pertama(中学)、SLTA itu SEKOLAH LANJUTAN TINGKATAN ANDA(高校)〉向けのレベルに合わせて書かれたものであった。であるから、『ワヤンとその登場人物〜ハルジュノ・ソスロバウとラマヤナ』第四版、『ワヤンとその登場人物〜クロウォとパンダワの祖先たち』第三版はサムプルと新装版として上梓されることとなった。
 長期にわたって青と緑の二色刷りのサムプルはBP・プスタカ・ワヤンが、SLTPとSLTAの学生向けのみの予約取り扱いのみで、一般の販売は行われていなかった。

 本書は完全なものでもコンセプチュアルなものでもない。けれど著者のワヤンに対する想いのたけを一般向けに書いたものである。チャンドラ・ジワ candra jiwa 〈分析・解剖〉の対象となった人物たちは、主にブアナ・ミング誌の『ワヤンとその登場人物』と題されたコラムからのものである。本書はまた学術的な価値を持つ哲学書でもない。だから読者諸賢も科学的見地など必要なく、ただリラックスして読んでいただければよいのである。
 本書はただひとつの最終的形態というわけでもないから、評価、精査、さらには批判されてしかるべきものである。それらの批判に答え、発展させられることこそが望まれるのである。言葉を代えれば、本書は、一般の方々に対するワヤンの世界、特にワヤン・クリ・プルウォのプダランガン〈ダランの行うすべて〉への招待なのである。
 本書には地方語や外国語が用いられるところもあるが、それは宗教的、あるいはクジワアン〈精神・霊的〉分野の専門用語に対する『精密さ』と『正確さ』を求めてのことである。
 最後にヤヤサン・ナワンギ yayasan NAWANGI 、またBP・バライ・プスタカ Balai PUSTAKA 、また第三版出版以前から手助けしてくれた同僚たちへの感謝を申し上げることを忘れてはならないだろう。
 有用でありますように。

1979年6月14日、ジャカルタ
著者
イル・スリ・ムルヨノ
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シナル・ハラパン社説 tanjuk rencana SINAR HARAPAN

1. 国家遺産としてのワヤン

 1974年3月末、ジャカルタで開催された『第二回プカン・ワヤン Pekan Wayang〈ワヤン週間〉』ではワヤンにかんする諸事象が議論された。そこで主な議題となったのが、次の二つの項目である。
1. ワヤンへの関心を継続させるにはどうしたらよいのか?ワヤンはどのように維持されるべきなのか?
2. ワヤンのインドネシア化はどうあるべきか?これはワヤンで用いられる言葉をインドネシア語に代えるといったことではなく、ワヤンをインドネシア国家全体の遺産とするためにはどうしたら良いのか、ということである。
 これらの議題は、第二回プカン・ワヤンの開催に向けてジャカルタ藝術院 Pusat
Kesenian Jakarta に集ったプカン・ワヤン実行委員たちによって議論され、さらにプカン・ワヤンにおいても『白熱した』議論が交わされた。
 先の重要課題のうちの第一のものは、国民の生活状況の具体的要因のあり方において緊急課題とされた。
 よく聞くこととして、我が国の今後を担う若い世代の多くは、ワヤンに対する関心を失いつつあるという。彼らの関心は映像媒体 film-film (特にセックスや粗暴な場面を有するもの)に強く向けられており、一般読者は高尚なものよりも、個人的な『娯楽』、(さらに悪いことに)悪徳の傾向にあるものに魅かれているというのである。
 それと同期して、ワヤンの創り手たちは衰退し、ダランたち、そして上演の質的劣化が懸念されているのである。
 ダランの数自体は十分であり、上演数も同様である。しかし商業化の具体的脅威は無視できないものとなっている。今日流行っている『〈上演の〉注文』のおかげで、ダランたちは『軽薄な sepele 』事柄を差し挟まざるを得なくなり、確固たるワヤンパクム〈物語の筋〉が作り直され、結果としてワヤンの持っていた統合的美しさが犯されることとなっているのだ。
 ここで触れられている第二の要因は、ワヤンの抱える第一の主要課題から見れば、ささいなことに見えるかもしれない。
 第二の課題、『ワヤンのインドネシア化はどうあるべきか?』は、上演の美しさとワヤンの内包する生の価値観の深層を、シンドネシアの特定の民族の独占とするのではなく、他の民族とも分かち合おうということである。
 この問題はーー近日TIM〈Taman Ismail Mrzuki イスマイルマルズキ公園〉で議論され実証されているーーあきらかにまがい物の問題ではないのだ。ワヤンのインドネシア化の必要性は、他の民族によっても提起されている。文化人、学者のみならず他の社会層からもである。
 これは大きな関心事となってきており、共に解決策を考えるべきものとなっている。少なくとも今日における現実的方策としての代替案は必要である。さらにワヤンに対する海外の大学からの関心についても考慮しなければならない。
 ダランの芸道、ガムランの演奏法、歌唱法その他、海外の大学のいくつかが、すでにこれらをテーマとして研究している。インドネシア自体が考えもしなかったことである。
 TIMでの討論会でも、ワヤンの問題がインドネシア全体としての文化・生活の関心事であることを議論し始めた。新し時代が訪れようとしているのだ。
 これらの問題は、その考察への対価を惜しまぬ人たちによって、早急に、そして正当に発展させられていくだろう。そうすれば、ワヤンは、その質を犯されず、浅薄なものにもならずに、すべての人々から関心を寄せられるようになり、インドネシアのすべての民族に愛され、我々大衆自身の価値観によって『アップ・デイト』され『普及 mewedharkan 』されることになるのだ。
 今回3月26日から28日までのTIMでのセミナーは早速、参加者・講演者たちの広がりを見せている。出口を見出す日は近づいている。明確な出口を見出し、そこへ到達することは不可能ではないのだ。

1974年3月23日、シナル・ハラパン
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by gatotkaca | 2013-04-28 06:47 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 最終回

34. 物語の核心と中心的価値観

 サプト・ルンゴ Sapta Rengga の物語〈七つの階層=世界のことだが、ここではマハバラタを指す〉に入る前に、これまで述べてきたワヤンの物語すべてに見られる、『リディン・ドンゲン Liding Dongeng 〈物語の核心〉』また、価値観、価値の本質についてはっきりさせる必要があるだろう。

倫理的教え
 1. 私見では、これまで述べてきた物語の数々は、本質的には倫理的教えを表現、顕示しているものだと考える。これまで述べてきたワヤンの物語は、『いずれが悪、醜いことで、いずれが素晴らしく、正しい、人間が為すべきことなのか』ということを人間が知り、区別することができるよう求めている。ワヤンにおいて、ふつう否定されるべき行為の具体的例としてあげられているのは、『殺すな、嘘をつくな、裏切るな、あるいは怒るな、偽善を為すな』その他である。
 しかしそれだけではない。もっと重要な二つの事がある。それは『ディレンマ』あるいは『選択』の問題である。人生はつねに選択というものと直面している。『シ・モロコモの実を食べるような、食べれば父が死に、食べなければ母が死ぬ』といったようなものだ。その選択、出来事はとにかく人間が選ばなければならないものとしてある。選んだとしても、その結果は満足のいくものではなく、また完全なものでもない。これは、心理的、哲学的に、人間はつねに完全に解決することのできない問題に直面している、ということを示しているのだ。
 人間は選択というものに直面し続ける。そしてその選択は自身にとって善なるものに寄り添い、悪なるものを退けることで決定される。かくて人間はひとつの立場に立たざるを得なくなる。善なるものを望むか、邪なるものを望むか。たとえばジョモドグニは『妻を殺すか、妻を罪人のままにしておくか』を選ばなければならなかった。
 ロモパラスは『母を殺すか、父の命令に抗うか』を選ばなければならなかった。
 ハルジュノ・ソスロバウは『王位を維持するか、ニルワナ〈Nirwana=涅槃〉を求めるか』を選ばなければならなかった。
 ウィビソノは『強欲に従うか、正義に従うか』を選ばなければならなかった。スリ・ロモはシントを追放するか、人々の非難を放っておくかを選ばなければならなかった。等々。
 人間が勇気をもって選べば、生きて行動する、決断するということに目的が生まれ、意味が生まれるのだ。その選択に確固たる意志が無ければ、まさしく人は人間性の獲得、実存の道を歩むことはできない。人は選択の自由を持つ。『これ』を選ぶか『あれ』を選ぶか。さらに言えば、選ばないということもすでに『選んだ』ことを意味するのだ。しかし選択には責任が伴わなければならない。

 であるから、人間の行動はつねに倫理的立場によって支えられている。彼はその行為のすべてにおいて、責任から逃れ、開放されることはないのである。これこそワヤンから得られる、人間のあるべき態度と為すべき行為はどのようなものなのかという教えである。

西洋の実存主義
 2. 実存主義的な人生に対する思想、見解では、人間は自分自身、そして選ばねばならない選択というものに直面する。この種の考えはヨーロッパでは19世紀になってはじめて展開した。その先駆となったのはセーレン・オービエ・キルケゴール〈セアン・オービー・キアケゴー Soren Aabye Kierkeggard 〉(1813-1855)であり、この種の思想は実存主義と呼ばれている。
 彼は言う。
ーー"Every one takes their revenge on the world. Mine consist in hearing my troubles and sorrow shut deep within me, while my laughter keeps everyone amused...........................
 I laught with one face I weep with the other." ( J. 23 )
ーー"Yes, I perceive perfectly that there are two possibilities, one can do either this or that."
ーー"........................Concentrated in one single preposition, I say merely either or."

訳(フアド・ハッサン Fuad Hassan 教授による〈インドネシア語から重訳〉)
ーー「人は皆世界から復讐される。我が世界は私が葬ってきた、そして私の中に集積する、さまざまな悲しみと困難に依存している。その一方で私の笑いは他の人を楽しませるのだ‥‥。ひとりに笑いかけ、別の者には泣いてみせる。」
ーー「そう、最初から私は二つの可能性があることを知っていた。一人の人間ができることは『これ』か『あれ』だけなのだ、と。
ーー「………‥一つの命題に還元できる。私が言うのは『これ』か『あれ』だけだ。

人生の教え
 3. 第三のテーマは生の完全性の教えである。これはインド哲学と密接な関係にある。なぜか?ワヤンの物語がマハーバーラタとラーマーヤナからその源泉を得ているからだ。さらに言えば、ワヤンのそれぞれのラコン〈演目〉は、ある王が国、王位を捨て、死を求めて彷徨い、苦行する物語であるとも言えるだろう。
 俗世の生活を捨てる、あるいは『mingkar-mingkur ing ankara, angekes dur angkara 』(欲望を抑制し、邪悪な貪欲を殺す)、また『禁欲であり続ける』という人生観は、東洋の人生観、哲学の理想のひとつである。しかしこれは、個々においては多くの場合誤って理解されている。世俗は重要ではなく霊的、精神、内心の生活が重要なのだとする説が多い。しかし現実には多くの人々が『精神を通して』世俗を求めるという誤用を犯しているのである。この種の人生観はあきらかに『ウェドトモ』の教えに反している。『ウェドトモ』は唯一神トゥハンへの献身的生き方、その道筋として『重要な行』である三つのものを求めよ、と教えている。それは『ハルト、ウィルヨ、そしてトゥリウィナス harta , wirya , triwinas 』である。
 ハルト(富)、ウィルヨ(地位)、ならびにワシス wasis (知識、見解)を持たない者は惨めで乞食や浮浪者となり、枯れ果てたチークの葉のような者となるだろう。世俗の生活(ハルト、ウィルヨ、トゥリウィナス)に背を向けた者は、そのすべてに規制されるのである。その意味は、子や孫、子孫たち(後継者たる世代)は飢えて死に、乞食や浮浪者となるということである。人が世俗を捨てても、その効力は子や孫、子孫には及ばないのである。
 スリ・ロモやアビヨソ Abiyasa 〈マハーバーラタの聖仙、パンダーヴァの祖父〉は子や孫たちを十全に導いた後、世俗を捨てている。左記に述べた子や孫とは、血族に限らず自己の後の世代すべてを意味する。ワヤンの教えでは、人間は俗世を全うする他ないとはいえ、それはすべてのものの上に場を占めようとすることではない。人間は強欲や貪欲を捨てた妥当な生き方をするべきであると示唆しているのである。

人生の百科事典
 8. ワヤンを知り、掘り下げた者にとって感じられ、明らかになることは、ワヤン・クリ・プルウォのダラン道 pedalangan が多面的、複合的機能を持っているということであろう。ワヤンとは生、自身の人生の言葉なのである。それはあたかも人生をすくいとる泉であり、決して干上がることはない。つまり、『ワヤンは生・人生の百科事典』なのである。大げさに思えるかもしれないが、その通りなのだ。現代では感じられるだろう。子どもたちの生活はワヤンとはかけ離れたものになってしまったと。彼らは『デメンニャル demennyar 』つまり新しもの好きであるから。けれどアメリカ大陸、オーストラリア、アジア、そしてヨーロッパのさまざまな大学がワヤンを研究し始めている。ワヤンが世界遺産となることも不可能ではないのだ。

結論
 9. これまで述べてきたワヤンの人物たちの解説から得られる結論としては、
 a. 我々はテクノロジーの時代を生きているとはいえ、ワヤンは未だ現代の諸問題の解決に資することができる。
 b. ワヤンは生・人生の百科事典である。
 c. その本質において、人間は自身の社会的実存と直面している。ワヤンは欲望を抑えるために、餓えや渇きに耐える『苦行 tapa brata 』を教えてくれる。世俗の問題から逃れ、海岸で孤独に暮らし、河に身を浸す。人間が貪欲にならないよう、すべての価値を物に求めるようにならないために。人生を具体的・実存的に見詰めなければならない。人間はトーマス・ホッブスの理論のように種々の欲望に駆られ生きるだけではない。人間性という価値観によっても行動するのである。人生ではそこにある問題から逃げてはならず、勇気を持って決断し、その選択に責任を持って答えなければならないものだ。『ミンカル・ミンクル・イン・アンコロ』を求めなければならない。なぜか?
 人間がホモー・ホミニ・ルプス(人は人にとって狼である)とならないように。
 d. ワヤンは自分自身の内面を深く考察し、疑念を無くそうとするため、長い間歩み続けて来た人の手助けとなる。このような内省に至らなければ、さらなる深層には届かないだろう。そうして最後には自身の根幹へと至るのである。
 e. ワヤンは、そこではすべてが人生を幸福たらしめる、ある煌めきを想起させる。能力を超えてまで欲望に満ちた追求を続けるなら、それはあきらかに災厄の原因となるであろう。
 f. ワヤンはまた『カルマの法』(Ngunduh wohing panggawe. Utang pati nyaur pati. Utang lara nyaur lara 〈行為には報いがある。他者に為した行為はそれに応じた行為を返される〉)を表現する。その意味するところは、誰あろうと、自身の蒔いた種はその果実を摘み取らねばならぬ。美徳を蒔いた者は美徳を摘み取り、受け取ることとなり、悪行を蒔いた者は悪を摘み取り、受け取ることとなる。
 g. ワヤンは人々に『パンジャン・プンジュン・トト・カルト・ラハルジョ panjang punjung tata karta raharja 』を願う。唯一神トゥハン・ヤン・マハ・エサへの献身で人々が公正と繁栄を求める様を理念的に語るのである。そこでは倫理的教えが実践される。それは何が正しく、何が誤っているのかを区別することのできる態度である。その態度は次のような箴言に現れている。『スロ・ディロ・ジョヨニングラト・スウ・ブラスト・トゥカップ・イン・ウラ・ダルマストゥティ Sura dira jayaningrat swuh brastha tekap ing ulah dharmastuti 』また『スロ・ディロ・ジョヨニングラト・ルブル・デニン・パンガストゥティ Sura dira jayaningrat lebur dening pangastuti 』。
 意味はこうだ。どれほど超能力をそなえ、力があっても、不正、不実、強欲の目的を持つ者は、高貴なる魂、平穏なる愛と平和の心によって必ず滅せられるのだ。

 有用でありますように。
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Wayang dan Karakter Manusia
oleh Ir.Sri Mulyono
Penerbit PT Gunung Agung - Jakarta 1979

ワヤンとその登場人物ーハルジュノソスロとラマヤナ
イル・スリ・ムルヨノ著 
1979年 ; PTグヌン・アグン出版:ジャカルタ

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by gatotkaca | 2013-04-26 00:40 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 第33章

33. シントは大地に呑込まれて死に、ロウォとクショはスリ・ロモに代ってアヨディヨの王となる

 シントが去った後、アヨディヨ国の状況は混沌としていた。雨期ともなれば洪水が押し寄せ、すべての作物、宝物を押し流してしまった。それだけではない。乾期になると土地は干上がり、作物は枯れ果てた。飢餓と飢饉がおとずれた。難民と乞食がそこかしこに溢れた。国のどんな方策も無駄に終わった。ルシたちの占いに従って、国は馬犠祭(アスウォ・メグ・ヤグジョ Aswa Megh Yagja )を催すことにした。つまりスリ・ロモが馬を放ち、その行方をアヨディヨ軍が追うのである。その馬が通過した国々は、降伏してアヨディヨの属国となるか、敵となるかを選ばなければならなかった。手短かに言えば植民地政策の正当化である。
 かくて、放たれた馬の一頭が、ロウォとクショのいるゴンゴの苦行所に入った。
 「おお、これはスリ・ロモの放った馬だな。」ロウォとクショは言った。「さて、スリ・ロモの軍隊がどれほど強いか試してみるか。」
 ロウォとクショはその馬に飛び乗り、スリ・ロモの軍に向かっていった。
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 まさしくそこで、彼らはセノパティ〈戦闘指揮官〉に随行されたラクスモノと出会ったのである。戦闘となったが、ロウォとクショに適う者はいなかった。ラクスモノですら適わず、ロウォとクショの超能力の矢に当たり、失神してしまったのだった。
 その知らせを聞き、スリ・ロモは激怒した。すぐさまグウォウィジョヨの矢を放とうとする。光輝くグウォウィジョヨの矢じりを見て、ロウォとクショはパニックになった。全身がガタガタと震えた。緊張の一瞬だ。ロウォとクショは『息を止め』、世界もこの出来事を見守り、共に息を止めた。危機一髪、ルシ・ワルミキが叫びながら現れた。
 「おお、王よ、お待ち下さい‥。しばし待たれよ。ご自身の子らにグウォウィジョヨを放ってはなりません。」
 ロモ・ウィジョヨはその声を聞いて驚いた。
 「おお、師父、ルシ・ワルミキ。」スリ・ロモは馬車から飛び降りた。駆け寄ると、ルシ・ワルミキに敬意を表した。
 「おお、陛下、知られよ。この子らは陛下ご自身の王子たちであります。そしてこちらがシントさま。」
 スリ・ロモは近くにいるシントを見ておおいに驚いた。すぐさま愛する妃、シントに駆け寄ろうした。しかし、シントは走って離れていった。スリ・ロモは慟哭しながら、なおも追いかけた。
 『シント、シント‥‥。許してくれ。」
 しかしシントはさらに逃げていく。疲れ切って地面に倒れると、シントは大声で母神プルティウィ Pertiwi を呼んだ。
 「ああ、母よ、プルティウィ女神よ。私をあなたの膝元に帰して下さい。」
 そうシントが叫ぶと、大地が裂けて口を開き、シントはその中に呑込まれていった。
 「おお、我が妹シント、聖なるシントよ。」後悔の念に苛まれながらスリ・ロモは嘆いた。しかしプルティウィ女神は大地を閉じてシントを抱きしめてしまったのである。
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 この事態にスリ・ロモは激怒し、グウォウィジョヨを放ち大地を粉砕しようとした。
 「かまうものか、シントも、この世のすべても諸共に叩き壊してくれる」スリ・ロモは呪いの言葉をはいた。
 この時、大地は最後の審判の日のように揺れ動き、山々が噴火し、大地は裂け、大海が煮え立ち、そこここで洪水が起こった。しかし、シントはプルティウィ女神に抱かれたままであった。
 かくてシワ〈シヴァ神〉が地上に降下した。
 「ウィスヌ神よ、大地を破壊するのはそなたの為すべき事ではない。さよう、私の仕事だ。やめるのだ!」
 轟き渡るブトロ・シワの声を聞いて、スリ・ロモは我に返った。グウォウィジョヨを収めると、瞬く間に騒動は治まったのである。
 後悔に満ちた面持ちでスリ・ロモは二人の王子に近づき、アヨディヨへ連れ戻った。
 かくて二人の王子は皇太子となり、アヨディヨ国の王位継承者となったのである。
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by gatotkaca | 2013-04-25 04:50 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 第32章

32. シントの子、ロウォとクショが森の中で生まれる

 「姉上、千のお許しを乞います。目的の場所に着きました。」こう言ってラクスモノは涙を流しながら拝跪した。
 「兄上スリ・ロモのお言葉により、今や姉上にはゴンゴの森でお過ごし願うこととなりました。アヨディヨの民が姉上の潔白を疑っておるからです。」
 ラクスモノの言葉を聞き、デウィ・シントは声を上げ、泣いた。世界はデウィ・シントの嘆きを見聞きするに忍びなかった。この時世界は真っ暗闇となり、雷が轟き、稲妻が走った。大海の波は逆巻き、山のごとき波が浜辺に打ちつけられた。わけも無く雨が降りしきる。手短かに言えば『ゴロ・ゴロ gara-gara 〈世が不穏な状況を言う〉』となったのだ。デウィ・シントは座り込み、その身の不運を嘆いた。ラクスモノはシントの苦しみを見るに忍びなく、すばやく馬に乗りたてがみを握りしめ、森を去ってアヨディヨへ戻っていった。
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 この『ゴロ・ゴロ』はルシ・ワルミキ〈Walmiki=ヴァールミーキ、ラーマーヤナの作者とされる詩仙〉を呼ぶ契機となった。彼は災厄の最中にあるデウィ・シントを救うためにやって来た。ルシ・ワルミキの威厳で、荒れ狂う嵐は鎮まったのである。だがすでにシントの身体はずぶ濡れとなり、洪水に浸かって泥まみれであった。
 ワルミキの到来に目を覚ましたシントは驚いた。ルシ・ワルミキはスリ・ロモの師として知られていたからである。妊娠中のシントは助けられ、彼自身の子として保護されたのである。
 六ヶ月後、シントは双子の男の子を産んだ。彼らはロウォ〈ラヴァ〉 Lawa とクショ〈クシャ〉 Kusya と名付けられた。幼少から成人するまで、ロウォとクショはルシ・ワルミキにブラフマン〈僧〉として育てられた。彼らは逞しく、勇猛で、責任感に溢れ、高い徳を持ち、立派な若者に育った。二人はゴンゴの苦行所の若者たちの指導者となったのである。かくてシント、ロウォそしてクショは庶民として暮らしたのであった。
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 時間があればルシ・ワルミキはいつも内面・外面のイルム〈教義〉を教えることを忘れなかった。スリ・ロモが生まれてからシントをアヨディヨから追放するまでの歴史も忘れることはなかった。ロウォとクショの心にスリ・ロモの身勝手な行為を厭う気持ちが生まれても不思議ではなかった。彼らは知らなかったのである。可哀想だと思っていたシントこそが自分たちの母であり、嫌っていたスリ・ロモこそ父であることを。
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 シントをアヨディヨから追放した後のスリ・ロモがどうなったか?物語を続けよう。
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by gatotkaca | 2013-04-24 01:03 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 第31章

31. 国民に潔白を疑われたシントは、妊娠中にもかかわらずロモによって森に追放される
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 ロモとシントはアヨディヨの王位に復権し、数ヶ月の間幸せに過ごしたが、とつぜんアヨディヨ国に災厄が降りかかった。
 アヨディヨ国の指導者、重臣たちが招集され『会議』している最中、いきなり女の泣き叫ぶ声が聞こえた。泣きわめいているのは夫と争っている女であった。彼らはキ・オンゴ Ki Angga とニ・オンゴ Nyi Angga 。ニ・オンゴはスリ・ロモに裁定を求めた。
 はじめ、王国の衛兵は彼らの求めを許さず、王宮から追い払おうとしたが、スリ・ロモは受け入れ、彼らを王宮内に入れた。スリ・ロモに対面し、ニ・オンゴは王から尋ねられた。
ーー「そなたが泣きわめいてまでして私に会いたかったのは何用あってのことかな?そなたの泣き声は会議を妨げるほどであったぞ。」
ーー「陛下、もの言うことをお許し下さい。私は陛下のお裁きを求めてやって参りました。」ニ・オンゴは拝跪した。「私は夫に疑われ、放逐されようとしています。」
ーー「なにゆえ疑われておるのかね?」スリ・ロモが口を挟んだ。
ーー「私は、病に伏せている両親の様子を見に行き、家を空けたのでございます。家が懐かしく、帰り難くなり、私は両親の家で一晩過ごしたのです。家は遠く、夫に断りをいれる暇もありませんでした。他に理由はないのです。けれど夫は信じてくれません。私を責め立て、非難し、私が不倫をなした、私は汚れたと申すのでございます。さらに夫は言いました。『キ・オンゴはスリ・ロモじゃない。何年もラウォノの金の檻で過ごしたお妃(シント)を受け入れられるような人間じゃないのだ。まともな男ならああはいかない。まともな男なら、妻が断りも無く一晩家を空ければ、3回離婚宣告したって不思議じゃない。』」ニ・オンゴはこのように申し立てた。
ーー「キ・オンゴよ、そなたの妻の言葉は真か?」スリ・ロモは尋ねた。
ーー「さようでございます、陛下。」キ・オンゴは即答した。「もの申すことをお許しあれ、陛下。アヨディヨの者皆がグスティ・シント〈Gustiは王族への尊称〉を疑っておりまする。」
ーー「グスティ・シントは、自ら炎の中に入って潔白を証明したではないか?」スリ・ロモは反論した。
ーーさようでございます、陛下。されどアヨディヨの者は誰一人そのさまを見ておりませぬ。グスティ・ラクスモノは陛下の弟君、猿どもは信用できません。人の歴史において人が猿の意見を信ずるなどあったためしがございませぬ。」
 キ・オンゴの不躾な答えを聞き、スリ・ロモは真昼の雷に打たれたよう、その顔を赤く染めた。『ショックを受け、自制して kumejot, kumintir 』かき乱された心から虎が『飛び出す』のをスリ・ロモは抑えた。重臣たちは気を失わんばかりであった。王国の衛兵たちはキ・オンゴの身体を『切り刻んで』やりたい気分であった。会議に列席していた者たちはみな言葉を発する勇気がなかった。『皆、頭を垂れたまま黙っていた。心の内でキ・オンゴの言葉をもっともだと思っていたからである』。
 すべてを見透すスリ・ロモは『真実」という言葉を信じられなくなり、自暴自棄な結論を下した。キ・オンゴの言葉は正い(この世に真実など無い。すべては唯一なる神トゥハンの思し召しのままだ)、と。スリ・ロモは足を引きずりながら会議を後にし、王宮に入った。重臣たちはナーバスになり、ざわめき、囁き合った。だがはっきりした声の出せる者はいなかった。
ーー「おお、神よ!すべては起こるべくして起こったこと。神よ、お導き下さい。」かくてスリ・ロモは涙ながらにラクスモノを招き入れ、「思ってもみなかった。このような災厄に見舞われようとは。私はアヨディヨ国に騒ぎを起こし、物笑いの種になっていたのだ。まさしく私はアヨディヨの人々の過てる見本となっていたのだ。」
ーー「おお、兄上、卑しき者の言葉を信じてはなりません。」ラクスモノはそう言って兄を慰めようとした。
ーー「ありえないよ、弟よ。」スリ・ロモは答えた。「私はキ・オンゴとニ・オンゴの言うことはもっともだと思う。ゆえに決めた。そなたの姉、我が妃シントは森へ捨てられよう。ゴンゴ Gangga 河〈ガンジズ河〉のほとりの森へ。それが結論、正義だ。」
ーー「おお、兄上、私にはできません。」ラクスモノは言った。
ーー「我が弟、ラクスモノ。何も言うな。民を納得させ理解してもらうにはこれしか道は無いのだ。ラクスモノよ、私は命ずる。我が命に抗ってはならぬ。そなたが我が命令を為すのが心苦しいのはわかっておる。されど、為すのだ。反論は許さぬ。やれ!」断固としてロモは命じた。
 ラクスモノの心は粉々となり、かくてシントはゴンゴ河のほとりに捨て去られ、置き去りにされたのだった。
 またまたディレンマというやつである。倫理の葛藤だ。もう一度言う。人間は必ず選ばなければならない選択に直面する。選ばぬということもまたひとつの選択となる。シントを捨てるか、民の疑念を放っておくか。またもや選ばなければならない!この選択には満足も完全もない『進めば傷つき、戻れば壊れる』、『シ・モロコモ』の実を食べるようなものだ。
 古マタラム Mataram Kuno 王国のプラブ・ディヤ・バリトゥン Prabu Dyah Balitung 王によれば『ラマヤナ・カカウィン Ramayana Kakawin 〈カカウィン=古語カウィ語による叙事詩〉』は西暦907年に書かれたと言う。
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by gatotkaca | 2013-04-23 10:37 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 第30章

30. シント、ラウォノの子、欲望にかられて金の鹿を欲しがる

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 シントは本当は誰の子なのか?という質問をA・コサシ Kosasih 氏がブリタ・ブアナに送ってこられた。
 シントはラウォノの妃で天界の妖精ビダダリのひとり、バタリ・タリ Batari Tari (カヌン Kanun )の子であると人は言う。またシントはウィスヌ神の妃バタリ・ウィドワティ Batari Widawati の化身であるという人も少なくない。
 彼女が妊娠して7ヶ月、『ミトニ mitoni 〈妊娠7ヶ月のお祝い〉』が催された時、アルンコは騒然となった。産まれて来るその子が、(自身の父)ラウォノの『妃』になるとプンデト〈僧侶〉たちが予言したからである。ラウォノは頭に血が昇った。玉座に駆け上りカヌンの首を切り落とそうとした。だがその時ラウォノの脳にひらめきがあった。「産まれてくる子が美女かもしれぬ。そうであれば、このまま待ってみるか。」と。
 なんと欲深いことか!
 まさしくこの時ラウォノは遠征に出ており、その間に妃は満月のよう光輝く姿の美しい女の子を産んだのであった。聖なる心を持ち、人間性豊かな(ラウォノの弟)ウィビソノは、その子を取り上げるとすぐに米袋の中に入れた。かくてシントは河に流された。ウィビソノはその子の運命を神に託したのである。彼はすぐに黒い雲の塊から男の子を作った。これが後のメゴノンド Megananda またの名インドラジト Indrajit である。
 さて、マンティリ Mantili 国のプラブ・ジャノコ Janaka は苦行し、子どもを授けてくれるよう神に祈っていた。目を開くと彼は驚いた。河を漂う米袋の中から赤ん坊の泣き声が聞こえるではないか。彼は喜びのうちにその赤ん坊を拾い上げ、連れ帰って我が子とした。米袋の中から見つかったゆえに、その赤ん坊はシントと名付けられた。シントが17歳になると、国内の若者たちは言うに及ばす、国外の者たちも、若者たちは皆彼女に夢中になった。今や父は面倒を抱え込むこととなってしまった。それからやたらとかかって来る電話にも。というわけで彼の電話には『ロック』が掛けられたのである。
 『困り果てて saking judhegnya 』、嫁取り競技サユムボロが開催された。マンティリ国の伝来の宝弓を引くことのできた者は誰あろうとシントの伴侶となることができるのだ。
 婿候補のロモウィジョヨは、その頃ブラフマン・ヨギスロウォに師事して学んでいた。彼はサユムボロへの参加を表明した。苦もなくスリ・ロモが勝者となった。彼はウィスヌ神の『顕現 ngejawantah 』であるから当然である。マンティリとアヨディヨ両国で彼らの婚約と結婚が盛大に祝われた。しかし不運が二人をおそった。新婚の最中に、ロモの継母ケカイが王位を要求してきたのである。
 ロモの父ドソロトは王位をロモの弟バロトに渡すよう要求され、ロモ、シントそしてラクスモノは王宮を去り、森の中で13年間過ごすこととなったのである。
 森の中の暮らしで、シントは彼女をからかうように現れたキジャン・クンチョノ Kijang Kencana 〈金色の鹿〉を捕らえて飼いたいという思いを抑えきれなくなった。その輝きが、彼女に幸せをもたらしてくれそうな気がしたのである。しかし、事実は逆であった。キジャン・クンチョノは捕まらず、逆に彼女は自身の欲に捕われてしまったのだ。それはラウォノという姿で現れた。手短に言えば、彼女は『 diruda paripaksa 〈語意不明:翼を折られる?籠の鳥といったニュアンスか?〉』となったのだ。そして12年間近くの間金の檻に入れられることになる。
 ラウォノがロモに敗れ、シントは開放された。しかしアルンコ王に汚されていないことを証明しなければならなかった。彼女は炎の中に入るとこで『試された』のである。キ・ダランの語るところによれば、彼女は死ぬこと無く、試験に合格したのであった。彼女の潔白は証明された。シントはラウォノに触れられていなかったのである。
 上記の物語が描くのは次のようなことである。人が注意を怠って欲望を追えば、幸せな者でも災厄に見舞われることになる、と。
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1976年5月9日 ブアナ・ミング
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by gatotkaca | 2013-04-22 00:27 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 第29章

29. ハストブロト、指導者への八つの教え、天の最上の八つの教え

 ハストブロト Hasthabrata はスリ・ロモがバロトにそのサンダルを与えた時に伝えた、支配者の象徴としての教えである。二回目はグナワン・ウィビソノがアルンコの王となった時、三回目はアルジュノがラコン『マクトロモ Makutarama 』の中で〈クレスノ=ブガワン・キソウォデシから〉受ける。
 指導者のための八つの教え、あるいは大自然の最上の行とは、
a. 太陽の性質 watak matahari 、太陽は熱の性質を持ち、エネルギーにあふれ、生命に生きるすべを与える。指導者は太陽の役割を担わなければならない。活力を与え、生命とエネルギーを下々の者たちに与えなければならないのだ。
b. 月の性質 watak bulan 、月は美しい姿で闇を照らす。指導者は月の役割を担わなければならない。下々の者たちに愉悦を与え、暗闇を照らす光でなければならないのだ。
c. 星の性質 watak bintang 、星は美しい姿を持ち、静寂なる夜を飾る。そして方向を見失った者たちを導くコムパスとしての性質を備える。指導者は星の役割を担わなければならない。人々に献身的であり、手本となり、導く者でなければならないのだ。
d. 風の性質 watak angin 、風は空っぽの部屋を満たす性質を持つ。たとえそれがどんなに入り組んだ場所であっても。指導者は風の性質を持たなければならない。指導者は徹底した行動をとらねばならない。注意深く、人々の生活に入り込み/生活の場に降りて見守るのだ。
e. 雲の性質 watak mendung 、雲は恐ろしい(威厳ある)性質を持つ。しかし水(雨)ともなって、成長するすべての命を活かす。指導者は雲の性質を持たねばならない。威厳を持ち、しかし人々を活かすために行動する。
f. 火の性質 watak api 、火は真直ぐに立ちのぼり、触れるものを焼き尽くすことができる。指導者は火の作用の役割を担う。正義に基づいて行動し、原理・原則を堅持し、真直ぐに差別すること無く行動する。
g. 海の性質 watak samodera 、海は広く、力を秘め、平らである。指導者は海のごとき役割を担う。広く、公平な視野を持ち、あらゆる問題を受け入れ、好き嫌いを抱いてはならない。
h. 大地の性質 watak bumi 、大地は平穏にして聖なる性質を持つ。指導者は大地のごとき役割を担う。その精神は穏やかで誠実、国と民に称すべき者あれば誰であろうと恩寵を賜う。

 こうしたハストブロトにおける指導者の八つの原則は、王/指導者といえどもハストブロトを備え、それに沿って行動しなければ、王位に値せず、庶民をいえどもハストブロトの八つの原則を堅持し、それに沿って行動するならば王たる者となる、ということを意味するのだ。

1971年10月8日 ユダ・ミング
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by gatotkaca | 2013-04-21 14:46 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 第28章

28. スリ・ロモ、ウィスヌ神の顕現、英知と公正の聖なる人のプロフィール
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 カウサルヤの提言で、ドソロトはさらに二人の妃を迎えた。ケカイ Kekayi とスミトロ Sumitra である。ケカイを妃に迎え入れた時、彼は病に伏した。そしてケカイはドソロトの療養に尽力したのであった。かくてサン・プラブは言う。
 「我が妹ケカイよ、そなたは私の命の恩人だ。私はそなたと約束しよう。望みをひとつ言うがいい。決して拒まず必ずかなえてやろう。」
 ケカイは遠い将来のことに思いをはせた。考えがまとまると彼女は言った。
 「ああ、敬愛する高貴なるスリ・バギンダ〈王〉。今の私には知恵が足りず、思いつきません。そのことは後にして、まずは陛下が健康と体力を取り戻されることが先でございます。」
 ドソロトの妃たちは王宮で幸せに過ごしていた。幾月か経って、カウサルヨはしばしば吐き気に見舞われ、すっぱい果物また完熟した果物を買うようになった。さらに辛い物をほしがり、ルジャ rujak やロティス Lotis 〈香辛料をかけたサラダの一種〉を見ると顔をしかめた。
 一月後、三人の妃の食べ物の好みは同じになっていた。『半分熟した kemrampo 』マンゴー、スターフルーツ、パイナップル、ミカン、ジャムブ、ラムブータンそしてドゥクといった果物で『ブル・ブクティ bbulu bekti〈スラマタン(儀式)用の供物〉』を作るよう命じられても、果物係は驚かなかった。手短かに言えばすべての果物は『熟して』いたのである。
 それからまた9ヶ月が過ぎて、ふくよかで、すべすべの、光り輝く赤ん坊が生まれた。彼は聖なる光を発していた。それは聖なる魂の光であった。
 それゆえ、その子は父親とルシ・ワシスト Wasista によって『ロモ Rama 』と名付けられた。ロモとはウィスヌ神のことである。ウィスヌは真実である。真実とはひとつの現実である。彼は生きるもの存在するものすべての源である。彼はそれ自体が命である。ロモとウィスヌは『ロロロネ・アトゥンガル Lorolorone atunggal 〈ふたつにしてひとつ〉』、理念としてひとつ、感覚においてひとつ、そして命においてひとつなるものである。喩えて言えば、ウィスヌが歌詞 Sastra ならばロモは曲 Gendingである。歌詞〈文字〉は見ることができ、目で読むことができる。そして曲は聞くだけで秘密〈核心〉を知らせることのできるものである。これこそ真実と名付けられるものであり、ウィスヌがロモの真実なのである。
 半月後、ケカイも男の子を産み、バロト Bharata と名付けられた。スミトロはラクスモノ Laksmana を産んだ。半年後ラクスモノはサトルクノ Satrukna という名の弟を得た。
 両親からの教育を得て、ドソロトの息子たちは立派で、ハンサムな青年に成長し、言葉遣いは礼儀正しく、両親の言葉によく従う若者となった。
 物語は進み行き、マンティリ Mantili 国のジャノコ Janaka 王が嫁取り競技サユムボロを開催した。ロモはこれに勝利し、妃としてシント Sinta を獲得した。ロモが父に代わってアヨディヨ国王に推挙された時、とつぜんケカイはドソロトにかつての約束の履行を迫った。彼女の息子をアヨディヨ王にせよと言うのである。それこそがケカイがドソロトに望んだことであった。
 真のパンディトたる者の言葉は翻し得ない。ドソロト王は約束の履行を拒むことができなかった。王の言葉は守られなければならないのだ。ケカイの言葉に従う他なく、ロモにアヨディヨを去り、ダンドコの森で13年間過ごすよう命じたのである。シントとレクスモノはロモと共に出発した。
 またしても、人間は同等の重さの選択を迫られるのだ。名に恥じぬためにロモを追放するか、さもなくばロモを王とし、約束を反古にするか(かくて名は地に落ちる)。しかしバロトはそれを善しとせず、アヨディヨ国の王位を拒否し、ロモを探してアヨディヨの王となるよう願った。ロモは子として、父ドソロト王の命に服しアヨディヨの王に戻ることを拒んだ。バロトは王のしるしとして彼のサンダルを所望した。そしてロモはバロトに指導者としての心得、『ハスト・ブロト Hastabrata 』、つまり最上の八つの教えを授けたのである。
 物語は続く。皆が知っているように、この後シントはラウォノに連れ去られアルンコ国に囚われてしまう。そしてついにシントは取り戻されるのだが、彼女は純血を疑われてその身を焼く。シントにとっては不幸なことであった。
 ロモがアヨディヨの王位に復権してから数ヶ月後、彼らは災厄にあう。シントはまだ妊娠したばかりであったが、国の民にその純血を疑われて森の中に追放されてしまうのである。
 シントの運命のさいごにおいて、彼女は双子のロウォ〈ラヴァ Rawa〉 とクショ〈クシャ Kusya 〉を産んだ後、避けた大地に呑込まれて死ぬのである。
 このように物語は続く。この物語に隠された意味は、シントの物語を追いかけながらお話ししよう。
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by gatotkaca | 2013-04-20 03:23 | 影絵・ワヤン | Comments(0)