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木から落ちた猿

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切り絵「紅蓮華」

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by gatotkaca | 2013-02-28 04:08 | 切り絵 | Comments(0)

切り絵「花咲く春」

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by gatotkaca | 2013-02-14 23:19 | 切り絵 | Comments(0)

切り絵「It's Show Time!! 」

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by gatotkaca | 2013-02-07 17:43 | 切り絵 | Comments(0)

切り絵「春待つひと」


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by gatotkaca | 2013-02-05 09:00 | 切り絵 | Comments(0)

オタッ=アティッ・マトゥッ Othak-Athik Mathuk とは?

 前回の記事に出て来た『オタッ=アティッ・マトゥッ othak-athik mathuk 解釈』という言葉は、文字通り訳せば「ばらばらに切り刻んで、別のものに作り替える」ということになるのだが、ありていに言えば『ひらめき』といったニュアンスになるのだろうか。このての発想で予言詩(有名なところではジョヨボヨ王の予言、ロンゴワルシトの著作など)が書かれているわけである。ひと頃はやったノストラダムスの大予言の読み解きなどは典型的OAM(othak-athik mathuk )と言えるかもしれない。OAM に関して書かれた記事を見つけたので紹介してみる。

元の記事

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OAM、ジャワ人の伝統的仮説思考法

 今回、私はジャワ文化における典型的な思考法を披露する機会があった。数日後、このブログではあまり意識していなかったので、私の他のブログとの二つを使ってホワイト・SEO戦術とブラック・SEO戦術を試してみた。*
 周知のようにジャワ人は高度な文化的財産を持っている。これらは明らかにジャワ人自身のライフスタイルにも大きな影響を及ぼしていると考えられる。神秘的な力を有すると考えられている伝統的ジャワ文化は、様々な分野のジャワ的なるものを探求する際に興味深いものである。それはスワルディ・エンドラスワラ Suwardi Endraswara が、その著書『ジャワの人生哲学 Falasafah Hidup Jawa 』でヴィクター・ターナー Victor Turner の著書『記号の森 The forest of symbol 』から引用したように、シムボル(記号・象徴)の森とも言うべきものだ。これはジャワ文化が特別の用語や象徴を用いて、その裏に真の意味を表すメタファーによる表現を多用する傾向があることを意味している。それこそが、ジャワ文化のユニークな点なのである。ジャワの生活の側面の多くにも、シムボリズムが一般的に見られ、それは文化、芸術、建築にさえも見出すことが出来るのである。

 OAM(オタッ=アティッ・マトゥッ Othak-Athik Mathuk (切断、改竄を意味する)の頭文字)は、こういったシムボリズムの影響の強いジャワ文化の生み出した「インパルス(神経衝撃・衝撃電流)imbas」の一つである。なぜことさら「インパルス」と言ったのか?基本的に、ジャワ文化における、漠然とした、抽象的な、解釈を要するものといった、シムボル化されたものは、すべて意味を持った何かと関連しているのである。OAMとは体系化されていないいいかげんなものではなく、繋ぎ、合わせ、整合すれば多くの人々に理解し得るものとなるのである。OAMとは、より深くトレースし、理解すれば、象徴化を人生哲学とし、シムボリズムの中に生きる、ふつうのジャワ人にとっては、その意味するところを理解し得るものなのである。たとえば複数の事柄と関連するジャワ文字というものも、こういった全てのものと関連している、とOAMのおかげで考えられるのである。

 20の文字からなるジャワ文字は、それ自体が簡潔な物語となるユニークな文書として構成されている。ホノチョロコ Hanacaraka(使者がいた)、ドトソウォロ datasawala (互いに敵対した)、ポドジョヨニョ padhajayanya (おなじように強い)、モゴボトゴ magabathanga (両方とも死んだ)〈ジャワ語のアルファベットを順にならべるとこのようになる〉。これはそれぞれをつなげると、次のような短い物語となる。

 あるとき敵対し合う二つの国の二人の使者がいた。二人は力の限り戦った。双方の力は拮抗し、どちらも引き下がらなかった。かくて二人とも死にいたったのである。

 これはOAM解釈のひとつに過ぎない。OAM解析の刃を用いたジャワ文字に対する他の解釈もある。ホノ・チョロコ、ホノ Hana は『「はっきりと」あるいは「ある」』という意味になり、存在学 ilmu kasunyataan あるいは哲学の謂いである。チョロコ Caraka にはチプト Cipta (因)、ラサ Rasa (精神)、そしてカルソ Karsa (意志)、つまり人間の生の完全性を意味する文字が含まれている。ドトソウォロ Datasawala はザットDzat の比喩である。ザットとは、誤り無く、過ちを見出すこともできぬもの、ザットとはあらゆる特性から自由なもの、すなわち神の本質である。ポドジョヨニョ Padhajayanya 、神はあらゆるものを創り、すべてを複数の釣り合うものとされた。それらは同等の力を持っている。モゴボトゴ Magabathanga 、これは、マ Ma (魂)とゴ ga (肉体)がまだ一つである時、人間は生きているということを意味し、これらが別れた時が死であり、残されるものがバタンゴ Bathanga 、つまり死体 bangkai であるということを意味する。

 上記はOAMによって得られるさまざまな哲学的アプローチのうちの二つであり、長く支持されてきたものである。そしてこれこそがジャワ人のOAM的思考であり、論理でもあるのだ。だが、だからといってOAMがネガティブなものだと言えるだろうか?否である。というのもこの思考法はいささか科学的ではないとはいえ、直感的思考法の一つであることは否定できないからである。OAMはある仮説を形成した後に真実を探求するという、人間の思考法の源流のひとつである。OAM的分析法とは、多岐にわたる事象、暗示され、象徴され、また他の事象とも関連するすべてのものに関心を向けることであり、そうすることで、OAM分析は多くの事象の真実を明らかにするのである。

 OAM式伝統的思考は、多くの科学者の偉大な発見の過程にも見出せる。想像してみるが良い、電気にもコンパス(方位磁針)の針を動かす磁気作用があるというエルステッド Oersted の発見に『刺激』されなかったら、ファラデー Faraday は発電機の原理を生み出すことが出来ただろうか?彼、ファラデーの発明は、ある推測から出発したのだ。ここでは、OAM分析が思考を刺激するのに大いに貢献したのである。他にも数々の偉大な発見には、その始まりにOAM的思考と分析の過程があることが見出せるだろう。

 しかしいずれにせよ、OAMの伝統は実証的段階では致命的結果を招く可能性があるから継続されず、テイクン・フォー・グランテッド teken for granted (明白)な思考となり、実際には純粋に理論的なものに置き換えられることになる。言い換えるなら、発想だけが継続されることはなく、それは理論的証明の段階へと継承されるのである。スリ・ハメンクブウォノ Sri Hamengkubuwono のメッセージのように「OAMの伝統は有効であり、それで良い。しかし変化を予期し得る『新しい精神 ruh baru 』が生み出される方向付けがなされなければならない」のである。であるならば、OAMの伝統は、ジャワ文化が開放系の性質を持つものになる機会を与えるものであるということだ。その開放とは理論的事象に縛られたものではなく、任意的、しかし建設的な何かを目指す、あらゆる面で新たな発見につながるようなものでなければならない。

 オタッ=アティッ・ガトゥッ Othak-athik gathuk (切断すること)ではなく、『重要なパス』、つまり『重要な繋がり』へと至る可能性としての、OAMつまりオタッ=アティッ・マトゥッ Othak-Athik Mathuk は我々にとって関心を持つべきものであり、さもなくば我々は整合性と理論によって得られる結果の代りに、発想との関連、合致を失ってしまうだろう。マトゥ mathuk とガトゥ gathuk はジャワ語においては「同じ」であるが、異なっている。OAMは我々に科学的妥当性、あるいは自己洞察力を要求するのである。

 OAMの伝統は、洞察という宝を手放すこと無く、自己の視野を広げ、OAM分析は思考のプロセスにおいて適切に働くのである。というのも熟考して問題を解決するために検索する思考の糧を増やすことが出来るからである。大まかな枠組みとして、科学は三つの段階からなる。

OAM > 証明 > 理論/発見

 上記のプロセスに見られるように、OAMは科学的フォーメーションにおいて、最初のシーケンスを占める。なぜOAMが?なぜなら、すでに述べたように、OAMはあらゆる科学的創造の初期段階で、熟考の瞬間に働いていたのである。哲学であれば、いわゆる黄金の椅子の占める場所をである。

 であるから、実際には我々はOAM的思考の段階に留まっていることは出来ない。それは実際には天才と呼ばれる人々の思考形態であり、そこには全てにおいて活き活きとした熟考があり、そこでは想像力が最も実現可能性を獲得し、全てのイデアが探索される準備を整えて仮説の萌芽として芽吹いている。OAMはオタッ=アティッ・ガトゥッ(バラバラなもの)として捉えられてはならず、オタッ=アティッ・マトゥッなるもの、つまり高い英知の段階を持った科学的方法への基盤として受け取られなければならないのである。

 スワルディ・エンドラスワラ の書いた『ジャワの人生哲学 』と題した良書を読んで得た知識を少し説明してみた。誤り等があればご批判いただき、不足があればアドバイスをいただきたく存じます。ありがとう、また次回の記事でお会いしましょう。

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*最初に出て来る『ホワイト・SEO戦術とブラック・SEO戦術』というのは本文とは関係ないのだが、一応解説。

SEO

「検索エンジン最適化(Search Engine Optimization)」のこと。ここでいう最適化とは、簡単にいうと検索エンジンにひっかかりやすくすることと、特定のキーワードで検索した際に自分のページがなるべく検索結果の上位に表示されるようにすることを言う。

インターネットユーザーの多くはYahoo!やgoogleなどの検索エンジンを使うことで、目的の情報を探そうとする。しかし一般的なキーワードで検索を行った場合には大量のページが検索結果に表示されてしまうため、その中でもなるべく上位に表示されなければ、その検索結果からのアクセスは期待できない。つまり検索結果の上位に表示されることはアクセスアップや売り上げにつながる、という考え方にもとづき、検索エンジンのためにHTMLを改良したり、リンクを増やしたりすることを指す。

検索エンジンの上位に表示されることは、広告を出す以上の効果が得られると現在言われており、SEOサービスを行っている会社も多数できている。また最近では書籍などの発売も相次いでおり、今後ますます盛んになっていくだろう。

また、検索エンジンを利用してマーケティングを行うことをSEM(Search Engine Marketing)と言う。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/SEO

SEOにはホワイトハットとかブラックハットと言われる手法があります。

ホワイトハットは、
Googleのガイドラインに沿ってサイトを作り、良質なコンテンツを提供し続けて
オーガニックリンクなどを獲得し上位表示を狙うSEOの手法。
王道の方法で、リスクはありませんが、時間的、人的なコストがかかります。

ブラックハットは
Googleのアルゴリズムの隙をつき、有料リンクなどを利用して検索順位を操作する手法です。
一気に順位が上昇する事もありますが、
逆にペナルティ判定を受けてインデックス削除されるなどのリスクも伴います。

http://holy-seo.net/blog/seo/seo-white-and-black/


 
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by gatotkaca | 2013-02-04 00:02 | 影絵・ワヤン | Comments(0)