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木から落ちた猿

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切り絵「Tales of peacock」

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by gatotkaca | 2012-12-28 00:53 | 切り絵 | Comments(0)

ニャイ・ロロ・キドゥル Nyi Roro Kidul の伝説

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 先日あるTV番組でジョクジャカルタの海岸で緑色の水着をつけて泳ぐと、ニャイ・ロロ・キドゥルにさらわれるという話を紹介していた。南海の女王ニャイ・ロロ・キドゥルは緑色がお好きで、緑のものを身につけていると、召使いと間違われて連れて行かれてしまうという話である。というわけで今回はニャイ・ロロ・キドゥルの伝説に関してである。

元の記事はここ


ニャイ・ロロ・キドゥルの伝説


 ニャイ・ロロ・キドゥル Nyi Roro Kidul の伝説はとても有名で、ジョクジャカルタやスラカルタに限らず、中部ジャワ、西部ジャワ、東部ジャワといった、ジャワ島全土の人々に知られています。ジョクジャカルタ地域ではニャイ・ロロ・キドゥルの物語はマタラム王家にまつわるものと考えられています。
 また東部ジャワ、特にマラン・スラタン Malang Selatan のグリイェップ Ngliyep 海岸では、ニャイ・ロロ・キドゥルはカンジェン・ラトゥ・キドゥル Kanjeng Ratu Kidul の称号で呼ばれています。

カンジェン・ラトゥ・キドゥル

 昔々、カディタ Kadita という名の美しい娘がおりました。その美しさから彼女はデウィ・スレゲンゲ Dewi Srengenge とも呼ばれていました。それは美しい太陽という意味です。デウィ・スレゲンゲはムンディン・ワンギ Munding Wangi 王の子でした。王には美しい娘がいるとはいえ、本当は男子を望んでいたのでいつも悲しんでいました。その後王はデウィ・ムティアラ Mutiara と結婚し、息子をもうけました。王は幸せでした。

 デウィ・ムティアラは自分の息子に王位を継がせたいと望んでいました。その望みをいつか叶えたいと願っていたのです。ある時、デウィ・ムティアラは王の前にまかり出て、王に娘を追放するようにと願い出たのです。もちろん王は断りました。『何とばかばかしいことだ。誰あろうと、我が娘を蔑ろにすることは許さぬ。』ムンディン・ワンギ王は言いました。その答えを聞いて、デウィ・ムティアラは微笑み、甘い言葉をかけて、王の怒りをなだめました。とはいえ、彼女はまだあきらめたわけではなかったのです。

 ある朝、まだ陽が登らぬうちに、デウィ・ムティアラは召使いを送ってドゥクン〈魔術師〉を呼びました。彼女はドゥクンに義理の娘カディタを呪ってもらおうと考えたのです。『あの女の体中に、かゆいかゆいおできだらけにおくれ。成功したら、想像もできないほどの褒美をあげよう。』ドゥクンはお妃に従いました。夜になると、カディタの体中にかゆいおできができていました。彼女が目を覚ますと体中のおできから臭い膿が出ていました。美しい娘は泣き出し、どうしたらいいのか分かりませんでした。

 王は知らせを聞いてとても悲しみ、娘を治すため、おおぜいの医者を招きました。彼女はこれがふつうの病気でない事に気付きました。誰かに呪われて、魔法にかけられているに違いありません。さらに悪い事に、デウィ・ムティアラ妃が彼女を追放するようにとせまって来たのです。『あの娘は国に災いを招くでしょう。』デウィ・ムティアラは言いました。王は娘のようすが国中のうわさになるのを恐れて、ついにムティアラ妃の言葉に従わざるをえなくなりました。

 かわいそうな王女は、ひとりで国を出ることになりました。行くあてもありません。でも、彼女はもう泣いていませんでした。彼女は気高い心を持っていたのです。継母への恨みもいだきませんでした。苦しみの中に身をおくことで、神さまがいつもそばにいてくださるように、と望むばかりでした。

 七日七夜歩き続け、彼女はとうとう南海の岸につきました。そしてその海を眺めました。他の海の水が青や緑なのとちがって、この海は透明で澄んでいました。彼女は海に飛び込み、泳ぎ始めました。彼女の肌が南海の水にふれると、奇跡が起こったのです。彼女のおできはすっかり消え失せてあとかたも無くなりました。そして彼女は前にもまして美しくなっていたのです。さらに彼女には南海のすべてを支配する力がそなわったのでした。そして彼女は南海の女王ニャイ・ロロ・キドゥルとして今も生きているのです。

カンジェン・ラトゥ・キドゥル=ラトゥノ・スウィド Ratna Suwida

 ババッド・タナ・ジャウィ Babad Tanah Jawi (19世紀〈ジャワの歴史書〉)によれば、パジャジャラン Pajajaran 王国の王子、ジョコ・スル Joko Suruh がひとりの苦行者と出会い、東部ジャワにモジョパイト(マジャパヒト) Majapahit 王国を建てるようにと指示された。その苦行者は若く美しい女であった。ジョコ・スルは彼女に恋をした。しかし、その女性はジョコ・スルの叔母、ラトノ・スウィド Ratna Suwida であり、彼の想いは拒まれた。若き日に、ラトノ・スウィドは山に入って隠遁し瞑想の日々を送っていたのである。その後彼女はジャワの南海の岸に赴き、そこの霊的支配者となったのであった。彼女は王子に言った。王子の後裔がムラピ山 Gunung Merapi 近辺の王国の支配者となったあかつきには、その代々の王と彼女は結婚するであろう、と。

 時移り、新マタラム王国を建国したパヌムバハン・セノパティ Panembahan Senopati は、南海に後退し全勢力を結集して北方の国々に対する戦闘準備を整えようとしていた。そして瞑想の中にカンジェン・ラトゥ・キドゥルと会い、彼女は手助けを約束した。三日三晩にわたり、彼は兵法と帝王学の要諦を学び、水面下での王宮の権謀術数を学んだのである。そしてパランクスモ Parangkusumo の海岸、現在のジョクジャカルタ南部から出立したのである。それ以来、ラトゥ・キドゥルはセノパティ王の子孫たちと深く関わっていると伝えられ、ソロとジョクジャの王家は、毎年彼女に供物を捧げ、祈るのである。

 カンジェン・ラトゥ・キドゥル、またニャイ・ロロ・キドゥル、南海の女王についての二つの物語・伝説はこのようなものです。最初の物語はジョクジャカルタの民話で、二つめは『ババッド・タナ・ジャウィ』に見られるものです。ふたつの物語は異なっているけれど、戸惑うことはありません。選ぶまでもなく、どちらも正しいのですから。物語はこれだけではありません。つづけましょう。

カンジェン・ラトゥ・キドゥルとジョクジャカルタ王宮

 あなたはカンジェン・ラトゥ・キドゥル、ニャイ・ロロ・キドゥル、南海の女王の物語を信じますか?『いいえ』と言う人もいるでしょう。でも昔からジョクジャカルタの王宮のあたりに住んでいる人たちに尋ねてみてください。彼らはこの物語を本当に信じているのです。カンジェン・ラトゥ・キドゥルの物語が本当なのかどうかは、まださまざまに取り沙汰されています。色々な意見がありますが、実際に起こる現象があるのです。それはジョクジャカルタ王宮の存立と関わるラトゥ・キドゥルの神話です。カンジェン・ラトゥ・キドゥルとジョクジャカルタ王家の関わりは、ババッド・タナ・ジャウィに書かれていました(上記、第二の物語)。両者の間にはどんな関係があるのでしょうか?

 Y・アルゴ・トゥウィクロモ Y.Argo Twikromo は『ラトゥ・キドゥル』と題する本の中でこのように述べています。社会とは伝統的コミュニティであり、それは生活上のハーモニー、調和、そしてバランスを重視するものである。そこでの人生は環境と密接に関連し、そこでの行為は環境への機能・目的が重要視される、と。

 環境との相関関係は、ジャワ社会では特に強い影響力を持っており、トゥウィクロモは、そこではしばしばシムボルが用いられると言っています。精霊との関係は、ジャワの伝統においては、ムラピ山の主(ぬし)、ラウ Lawu 山の主、デルピンの天界 kayangan nDelpin そして南海の女王などに見られます。南海の女王こそ、ジャワでカンジェン・ラトゥ・キドゥルと呼ばれているものなのです。さきほど挙げた四人の精霊の主はジョクジャカルタをかこむ形になっています。社会のハーモニー、調和、バランスを護るために、王はそれらの『精霊の王』たちと交信する必要があるのです。

 トゥウィクロモによれば、王がラトゥ・キドゥルと交信することは、国家の管理における、内面の強靭さを表象するものなのです。不可視の力(目に見えない力)としてのカンジェン・ラトゥ・キドゥルは平和と安寧をまもるため、日々の生活において崇拝されなければならないのです。

 ラトゥ・キドゥルに対する信仰は十分に現実味を帯びたものと言えるでしょう。海岸での儀式としては、たとえばジャワ宮廷の伝統儀式として、毎年サカ歴(釈迦暦;ジャワの暦)に合わせてスリ・スルタン・ハマンクブウォノ Sri Sultan Hamengkubuwono がジョクジャカルタの海岸に参拝します。この儀式はジョクジャカルタの王と民衆の安寧を護るために行われるのです。

 またカンジェン・ラトゥ・キドゥルに対する信仰として、ブドヨ・ラムバンサリ Bedaya Lambangsari とブドヨ・スマン Bedaya Semang という踊りがサン・ラトゥを讃え、祝福するために催されます。他にもその信仰の証拠として、タマン・サリ Taman Sari (水の宮殿)複合建築も造営されました。この建物は、ガヨクヤカルト・ハディニングラト Ngayogyakarta Hadiningrat 宮殿の西方1kmのあたりに建てられ、スムル・グムリン Sumur Gumuling と名付けられました。この場所は、スルタンと南海の女王が出会った場所と考えられています。

 カンジェン・ラトゥ・キドゥルの神話は、王宮の人々だけでなく、王国地域の一般の人々にも信じられているのです。その証拠に、パラントゥリティス Parangtritis 海岸で人が行方不明になった時は、人々はサン・ラトゥに『捕われた』からだと言うのです。

 ガヨクヤカルト・ハディニングラト王家だけでなく、その兄弟たち、スロカルト・ハディニングラト Surakarta Hadiningrat 王家でもカンジェン・ラトゥ・キドゥルは信じられています。ババッド・タナ・ジャウィの中で、カンジェン・ラトゥ・キドゥルはマタラム王国の始祖パヌムバハン・セノパティにマタラム王家とスルタンたち、王家の一族そしてその民衆を災厄から護ることを約束しました。二つの王家(ヨグヤカルトとスロカルト)はその出自は一つです(マタラム王国)。ですから、ヨグヤカルト王家だけでなく、スロカルト王家もまたカンジェン・ラトゥ・キドゥルへの信仰をさまざまな形で示しています。そのひとつに、宮廷で最も神聖な踊りとされるブドヨ・クタワンBedoyo Ketawan があります。これは年一度、王の戴冠式の記念日に踊られるものです。ジャワの伝統的な花嫁衣装を着た九人の踊り手たちが、ススフナン(王)と結婚するためにやって来るラトゥ・キドゥルを招く踊りです。そして光り輝く十人目の踊り手として、サン・ラトゥが神秘の姿を現すと言われます。

 ラトゥ・キドゥルに対する信仰は西部ジャワにも広がりました。サムドラ・ビーチ・ホテル Samdera Beach Hotel の最上階にの特別室(308号室)は、プラブハン・ラトゥ Pelabuhan Ratu〈女王の港〉と呼ばれ 、ラトゥ・キドゥルのための部屋であるという話を、あなたもきっときいた事があるでしょう。女王に会いたいなら、誰でもこの部屋に入る事は出来ますが、そのためにはまず、仲介者を立てて、サン・ラトゥに供物を捧げなければなりません。この特別室は『神秘』のシムボルとして、スカルノ前大統領も使用しました。

 おおいに近代化された現在においてもなお、カンジェン・ラトゥ・キドゥル、またニャイ・ロロ・キドゥル、南海の女王の伝説は最も荘厳なものとされています。この物語を読んだあなたも、そしてインドネシアや他の国々のおおくの人たちも、ジャワの伝統衣装を着た美しい妖精の女王に会いたいと思ったでしょう。伝えられるところによれば、インドネシアの大画家、故アファンディ Affandi はサン・ラトゥを目撃した一人だと言われています。彼はその経験を作品に注いだと言われています。

(おわり)
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by gatotkaca | 2012-12-19 22:10 | 切り絵 | Comments(0)

アンデ・アンデ・ルムトの物語 Ande-ande Lumut

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 この物語もパンジ物語のひとつとして有名なものである。我が師、松本亮の『悲しい魔女 インドネシアの物語』(1986年筑摩書房刊)でも紹介されているから、ご存知の方もあるかと思うが、というよりそちらを読んで頂くのがすじなのだが、この本は現在絶版らしいので、一応このブログでも紹介しておく。興味のわいた方はぜひ『悲しい魔女』を読んで頂きたい。子ども向けの体裁をとってはいるが、インドネシア全般の民話とワヤンの物語を紹介し、なおかつインドネシア文化の内奥を記した名著である。

 ここではResourceful-Parentingというサイトで紹介されていたものを訳す。
 元の記事はこちら


アンデ・アンデ・ルムトの物語(東部ジャワの民話)

 昔々、クディリKediriとジュンガラ Jenggala というふたつの王国がありました。ふたつの王国はもともとはカウリパン Kahuripan というひとつの国だったのです。アイルランガ Erlangga 王が自分の息子たちが、兄弟同士争うのをさけるため、その国を二つに分けたのです。けれどもアイルランガ王は亡くなる前に、ふたつの国は、いずれひとつに戻らなければいけない、と言い残しました。

 それで二人の王たちは、王国を一つに戻すため、話し合い、ジュンガラ国の王子ラデン・パンジ・アスモロバグン Raden Panji Asmarabangun とクディリ国の王女デウィ・スカルタジ Dewi Sekartaji を結婚させることにしたのです。

 クディリ王の側室である、スカルタジの継母はスカルタジとラデン・パンジの結婚を望んでいませんでした。というのも、彼女は自分の実の娘をジュンガラ国の王妃にしたいと考えていたからです。そこで彼女はスカルタジとその母を捕まえて閉じ込めてしまいました。

 スカルタジとの結婚のために、ラデン・パンジがやって来た時には、王女はすでに行方不明になっていたのです。ラデン・パンジはとてもがっかりしました。継母がスカルタジの代りに、自分の娘を王子に薦めましたが、ラデン・パンジは断りました。

 そのあと、ラデン・パンジは放浪の旅に出てしまいました。名前もアンデ・アンデ・ルムトと変えました。ある日、彼はダダパンという村に着きました。そしてボ・ランド・ダダパン Mbok Randa Dadapan という夫を亡くした女の人と知り合いました。ボ・ランドは彼のお母さんになり、二人は一緒に暮らしたのです。

 そのあと、アンデ・アンデ・ルムトはお母さんに頼んで花嫁候補を探していることを皆に知らせてもらいました。するとダダパンのまわりの村々から娘たちがぞくぞくとやって来てアンデ・アンデ・ルムトに結婚を申し込みました。でも彼のお嫁さんとして認められる人は誰もいませんでした。

 さて、スカルタジの方は継母から逃れることが出来ました。彼女はラデン・パンジに会いたいと思っていました。彼女はさまよい歩いて、ある夫を亡くした女の人の家に辿り着きました。その人には三人の娘がおり、娘たちの名は、クレティン・アバン Klething Abang (赤いクレティン)、クレティン・イジョ Klething Ijo (緑のクレティン)、クレティン・ビル Klething Biru (青いクレティン)といいました。彼女はスカルタジを子どもとして迎え入れ、クレティン・クニン Klething Kuning (黄色いクレティン)と名付けました。

 クレティン・クニンは毎日家の掃除や、着物の洗濯、台所の食器洗いなどをさせられました。ある日、クレティン・クニンが疲れ果てて泣いていると、一羽の大きなコウノトリが飛んで来ました。クレティン・クニンが怖くなって逃げ出そうとすると、コウノトリは言いました。『怖がらなくても良いんですよ。私はあなたの手助けに来たのです。』

 コウノトリが羽ばたくと、クレティン・クニンが洗おうとしていた着物がすっかりきれいになっていました。台所の食器もきれいになっていました。こうしてコウノトリは帰っていきました。

 コウノトリは毎日クレティン・クニンの手伝いに来てくれました。ある日、コウノトリはクレティン・クニンにアンデ・アンデ・ルムトのことを話し、結婚の申込みに出掛けるように、と言いました。

 クレティン・クニンはあっかさんにダダパンへ行くお許しをもらおうとしました。おっかさんは仕事がすべて終わったら、と言いました。彼女はクレティン・クニンがやりきれないほどの着物を洗うようにといいつけました。

 そのいっぽうで、おっかさんは自分の三人の娘をアンデ・アンデ・ルムトの花嫁候補として出掛けさせました。途中に大きな川がありました。渡ろうにも橋も舟もありません。娘たちが困り果てていると、彼女たちに近寄って来る大きなラクササ(怪物)のカニがいました。

 『俺の名はユユ・カンカン Yuyu Kangkang 。あんたたちは向こう岸に渡りたいのかね?』

 彼女たちはもちろん渡りたかったのです。

 『それなら、何かご褒美をおくれ。』

 『お金が欲しいのかい?いくらだね?』おっかさんが尋ねました。

 『お金なんかいらないよ。あんたの娘たちはとってもきれいだ。娘さんたちにキスしてほしいんだ。』

 娘たちはユユ・カンカンの言葉にびっくりしましたが、他に方法はありません。しかたなく承知しました。ラクササガニは娘をひとりづつ背に乗せて川を渡ると、お礼にキスしてもらいました。

 ボ・ロンドの家に着くと、彼女たちはアンデ・アンデ・ルムトに会いたいと言いました。

 ボ・ロンドはアンデ・アンデ・ルムトの部屋をノックして言いました。『息子よ、見てごらん。きれいな娘さんたちが、あなたと結婚したいと言ってやって来たよ。どの子をお嫁さんにするか、選びなさいな。』

 『お母さん。』アンデ・アンデ・ルムトは言いました。『あの娘たちに言って下さい。私はユユ・カンカンのお手つきを、お嫁にする気はないよって。』

 おっかさんと三人の娘たちはアンデ・アンデ・ルムトの答えを聞いてびっくりしました。あの人はどうして、彼女たちがラクササガニと会ったことを知っていたのだろう?彼女たちはがっかりして帰りました。

 家では、クレティン・クニンはコウノトリの魔法の力をかりて、仕事を終えることができました。コウノトリは彼女に一本の杖をくれました。

 おっかさんはクレティン・クニンに、アンデ・アンデ・ルムトに会いにいくためのお許しをくれるよう頼みました。おっかさんはしかたなく許してくれましたが。クレティン・クニンの背中にニワトリの糞をなすりつけました。

 クレティン・クニンは出発しました。大きな川に着きました。ラクササガニは彼女を向こう岸に渡してやろうとやって来ました。

 『きれいな娘さん、向こう岸に渡りたいのかい?お手伝いしましょうか?』ユユ・カンカンが言いました。

 『けっこうですわ、ありがとう。』クレティン・クニンはそう言って、はなれていきました。

 『ちょっと待って、お金はいらないから、ちょっとキスして‥‥あ痛っ!』

 クレティン・クニンはコウノトリにもらった杖でユユ・カンカンを殴りつけました。ラクササガニは怖くなって逃げてい行きました。

 クレティン・クニンはまた川に近づくと、杖をもう一度ふりました。川の水がふたつに開いて、彼女は川をこえることができました。

 クレティン・クニンはボ・ロンドの家に着きました。ボ・ロンドは鼻をつまみました。といのも、クレティン・クニンの服からはニワトリの糞の臭いがしていたからです。娘を招き入れるとアンデ・アンデ・ルムトの部屋に行きました。

 『アンデ、息子よ。きれいな娘が来たけれど、あなたが見るまでもないわ。臭くって、ニワトリの糞の臭いがするの。帰ってもらいますから。』

 『お会いしましょう。お母さん。』アンデ・アンデ・ルムトは言いました。

 『でも‥あのこは‥。』ボ・ロンドが言いました。

 『あのこは、ユユ・カンカンの手を借りずに川を渡って来たただ一人のこです、お母さん。あのここそ、ずっと待っていた娘なのです。』

 ボ・ロンドはだまって、アンデ・アンデ・ルムトと娘に会いに行きました。

 クレティン・クニンはアンデ・アンデ・ルムトを見てびっくりしました。彼こそ婚約者のラデン・パンジ・アスモロバグンだったのです。

 『スカルタジ、とうとうまた会えたね。』ラデン・パンジは言いました。

 ラデン・パンジはこうして、スカルタジとボ・ロンド・ダダパンを連れて、ジュンガラ国へ帰りました。ラデン・パンジとデウィ・スカルタジは結婚し、クディリとジュンガラの二つの国はまたひとつになったのです。


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 この物語はアジアのシンデレラ物語類型のひとつとして、『シンデレラ 9世紀の中国から現代のディズニーまで』アラン・ダンダス編/池上嘉彦・山崎和恕・三宮郁子 訳(1991年紀伊国屋書店刊)でも紹介されている。そこで紹介されているヴァージョンではパンジ物語とはされておらず、ルムトと黄色のクレティンはパンジとスカルタジにはならないが、三人の色違いのクレティンやコウノトリ、怪物蟹のユユ・カンカンといった話素はすべて揃っている。この物語も、もともとは別のものだったのが、時代を下ってパンジ物語とされたという可能性もあるだろう。わざわざ『シンデレラ』などど比較せずとも、『パンジ物語』自体がさまざまなヴァージョンを有しているので、文化人類学、また比較文学的研究素材としても十分興味深い素材であるといえるだろう。
 とはいえ、西洋人が見ると『パンジ物語』もシンデレラになるのかと興味深くはある。私などがみると、『パンジ物語』はシンデレラというよりは『君恋し』なのだが。

(おわり)
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by gatotkaca | 2012-12-15 22:56 | 切り絵 | Comments(0)

ケオン・マス(黄金のカタツムリ)の伝説 その2

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‥‥さて、第三の物語はこのようなものです‥‥。

ケオン・マス

 物語はカウリパンKahuripan 王国のラデン・イヌ・クルトパティ Raden Inu kertapati がダハ Daha 王国の王女の一人に求婚しようとしたことから始まる。その時、ダハ国はクルタワルマ kertawarma 王の治世であった。クルタワルマ王には二人の娘がいた。上の娘はプトゥリ・チョンドロ・キロノ Putri Chandra Kirana といい、とても美しく、やさしい娘であった。下の娘の名はプトゥリ・ガル・アジュン Putri Galuh Ajeng といったが、甘やかされて育ったのでわがままな娘であった。ラデン・イヌ・クルトパティはどちらの娘を妃にするか迷って、二人をテストしようと考えた。そのテストとは、二つのゴレgolek 〈木偶〉人形の包みを送ることであった。一方の包みはぼろ切れで、もう一方は美しいカイン〈布〉で包まれていた。わがまま娘のガル・アジュンが最初に選び、美しいカインの方を取り、残った方をチョンドロ・キロノが取った。ガル・アジュンが包みを開くと、入っていたのは普通の人形で、彼女はがっかりした。チョンドロ・キロノの方には美しい人形が、ラデン・イヌ・クルトパティからのプレゼントと一緒に入っていた。

 ガル・アジュンの心は嫉妬と失望でいっぱいになったが、長老たちの前では表に出すことはできなかった。そこでガル・アジュンは裏から魔術を使ってチョンドロ・キロノを陥れようと考えた。チョンドロ・キロノがいつもの河でマンディ〈沐浴〉している時、ガル・アジュンはドゥクン dukun 〈魔術師〉の力を借りて、彼女をケオン・マス〈金色のカタツムリ〉の姿に変えてしまったのである。

 魔法をかけられたことに気付いたチョンドロ・キロノであったが、彼女に出来るのは昼となく夜となく、ただ祈ることだけであった。彼女は元の姿に戻ってラデン・イヌ・クルトパティと再会できるようにと祈った。彼女の祈りは神々の耳に届き、神々は彼女がラデン・イヌ・クルトパティと再会できれば元の姿に戻れるという恩寵を与えてくれた。それだけでなく、神々の助けでダダプ Dadap 村のロンド・ダダパン Randa Dadapan という老婆が招き寄せられたのである。彼女が洗濯をしているところにケオン・マスが現れ、彼女はそれを愛しく感じてケオン・マス(チョンドロ・キロノ)を飼う事にしたのであった。

 ロンド・ダダパンは善良に日々を暮らしていた。ロンド・ダダパンが毎日出掛ける度に、チョンドロ・キロノは人の姿に戻って家事をしてあげるのだった。ロンド・ダダパンは自分がいないうちに家の仕事が片付いているので不思議に思った。部屋は掃除されているし、料理も出来上がっている。そしてとうとうケオン・マスが家事をしているところを見つけた。彼女は自分が誰で、どうしてこのようになったのかを話した。

 場面変わって、ラデン・イヌ・クルトパティはチョンドロ・キロノがいなくなったことで心乱れていた。そこで彼は少数の部下を連れてチョンドロ・キロノを探しに出掛けたのであった。

 旅の途中で、彼はチョンドロ・キロノに呪いをかけたドゥクンに出会った。ドゥクンはラデン・イヌ・クルトパティの旅を邪魔立てしようとして、烈しい戦いとなった。如何なるときも真実は勝つ。かのドゥクンはラデン・イヌに斃されたのであった。

 チョンドロ・キロノの行方が分からず、絶望しかけた時、ラデン・イヌは飢えて弱っている老人と出会い、彼を助けた。その老人は神の化身であった。こうしてラデン・イヌはダダパン村を指差す像を賜った。すぐさまラデン・イヌはダダパン村を目指した。村に着くと、おいしそうな料理の香りがしてくる。彼はその香りに誘われて香りのする方へ向かった。香りに誘われて台所に入ると、そこにはランダ・ダダパンと共に、愛するチョンドロ・キロノが立っていたのである。離れて久しい恋人たちはこうして再会した。チョンドロ・キロノはダハ王国に帰還した。ガル・アジュンは驚きと恐怖と罪悪感で絶望し、崖から海に飛び込んで自殺してしまった。

 チョンドロ・キロノとラデン・パンジ・イヌ・クルトパティは結婚し、幸福に暮らした。

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 第四の物語。

ケオン・マス

 クルトマルトkertamarta 王はダハ国の王様です。王様には二人の娘がおりました。その名はデウィ・ガル Dewi Galuh とチョンドロ・キロノ Candra Kirana といいました。二人ともとても美しく良い娘でした。チョンドロ・キロノはカウリパン国の皇太子、ラデン・イヌ・クルトパティと婚約していました。ラデン・イヌ・クルトパティは賢くて良い心をもった人でした。

 けれどチョンドロ・キロノの姉妹のガル・アジュンはチョンドロ・キロノを妬み、ラデン・イヌの気を魅こうとしていました。それで、ガル・アジュンはチョンドロ・キロノに呪いをかけるため、魔術師のおばあさんのところへ行きました。ガル・アジェンがチョンドロ・キロノの悪口を言い立てたので チョンドロ・キロノは宮殿から追い出される事になってしまいました。チョンドロ・キロノが海岸を歩いていると、魔術師のあばあさんが現れ、彼女をケオン・マスに変えて海に投げ込みました。ケオン・マスは、彼女が婚約者と再会できた時、その魔法が解けるのです。

 ある日、ひとりのおばあさんが網で魚穫りをしていた時、ケオン・マスが網にかかりました。おばあさんはケオン・マスを持ち帰り、水瓶に入れました。その翌日、おばあさんはまた魚釣りに出掛けましたが、一匹の魚も穫れませんでした。けれど彼女が小屋に戻ると、おいしそうなお料理が並んでいたのでびっくりしました。おばあさんは誰がこの料理を用意してくれたのか、と不思議でなりませんでした。

 次の日もおばあさんが出掛けて帰ってくると同じ事がおこっていました。次の朝、おばあさんは出掛けるふりをして、何が起こっているのか覗いてみました。するとケオン・マスが美しい娘に姿を変え、料理を始めました。おばあさんは尋ねました。『きれいな娘さん、あんたは一体誰だね?』『私はダハ王国の王女です。私を妬んだ姉のために、呪われてケオン・マスになっているのです。』とケオン・マスは言いました。そしてチョンドロ・キロノはまたケオン・マスの姿に戻ってしまいました。おばあさんはそれを見てとてもおどろきました。

 いっぽう、イヌ・クルトパティ王子はチョンドロ・キロノが姿を消してしまったので、じっとしていられませんでした。彼も庶民に変装して彼女を探しに出掛けたのです。魔術師のおばあさんはそれを知ってカラスに変身してラデン・イヌ・クルトパティの邪魔をしようと考えました。ラデン・イヌ・クルトパティはカラスが言葉を話し、彼の目的も知っていたので驚きました。超能力のカラスだと思い、その言葉に従いましたが、実は間違った方角を教えられていたのです。ラデン・イヌが旅を続けると、お腹をすかせて弱っているおじいさんと出会いました。このおじいさんは良い人で超能力もありました。そしてラデン・イヌをカラスから助けてくれたのです。

 おじいさんが杖でカラスを打つと、カラスは煙になってしまいました。おじいさんに教えられて、ラデン・イヌはチョンドロ・キロノの居場所を知る事が出来ました。ラデンはダダパン村へ向かいました。何日も歩いてダダパン村に着くと、持っていた水が無くなってしまったので、とある小屋の近くに行き、水を一杯もらおうとしました。そして窓から中を見るととても驚きました。なんとそこで、彼の婚約者が料理をしているではありませんか。とうとう魔法が解けました。ラデン・イヌと再会できたからです。そこへ小屋の主人であるおばあさんがやって来ました。チョンドロ・キロノはラデン・イヌにおばあさんを紹介しました。ラデン・イヌは婚約者を王宮につれて帰りました。そしてチョンドロ・キロノは、ガル・アジュンの行いをクルトマルト王に話しました。

 王様はチョンドロ・キロノに詫びました。ガル・アジュンは罪を問われました。怖くなったガル・アジュンは森に逃げ、谷にすべって落ちてしまいました。間もなくチョンドロ・キロノとラデン・イヌ・クルトパティの結婚式が行われました。良い心を持ったダダパンのおばあさんは王宮に招かれ、彼らは幸せに暮らしました。

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 害虫としてのケオン・マスから、ケオン・マスの伝説をいくつか紹介してみましたが、社会の発展の構造がつかめましたか?まだ読んでいないなら、また読んで下さいね。へへへ‥‥。良い読書を‥‥。


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 ということで、ケオン・マスの物語が四つ紹介されていたのだが、細かいところの異なるヴァージョンは他にもあるようで、ケオン・マスだけでもさまざまであることが分かる。第一の物語は、パンジ物語ではないヴァージョンで、この説話に類するものが、もしかしたらケオン・マス説話の原型に近いのかもしれないが、断定はできない。第三、第四の説話では、パンジ物語の主要な敵役であるガル・アジュンが登場し、第三の物語では、有名な『ゴレ・クンチョノ(Golek Kencana 〈黄金の人形〉』も挿話として取り入れられている。ガル・アジュンは他のパンジ物語でも登場して憎らしい役を与えられており、『パンジ・スミラン』などは特に有名である。
 パンジ物語はケオン・マス以外にもまったくストーリーの異なる物語が多種存在し、マレーシア、スマトラ、ジャワその他の地域に広範に広がっている。ジャワ王家のワヤン・ゲド Wayang Gedog でもパンジ物語が題材とされている。パンジ物語のさまざまなヴァージョンに関してはジャワの碩学プロボチョロコが『パンジ物語比較論 Cerita Panji dalam Perbandingan, oleh Dr. Poerbatjaraka. 1968. Gunung Agung 』という著作をあらわしている。筆者はまだ手に入れていないのだが、読んでみたい本である。
 ところで本物(生き物)のケオン・マスであるが、この記事を見る限りでは1980年代に入ってからジャワ島で大繁殖したとのことである。伝説のケオン・マスと今ケオン・マスと呼ばれているゴールデン・アップル・スネイルは別物ということであろう。あとから来た外来種が金色っぽかったので、ケオン・マスと呼ばれるようになったということか。それと、ケオンはよくカタツムリと訳されるのだが、生態を見ると水性の巻貝(たとえばタニシとか)の仲間なのではないかと思われる。まあ、keong という語が両方を含む概念なのかもしれないが。物語の中のケオンも、ひろったおばあさんが水瓶の中で飼うとあるから、「カタツムリ枝を這い」の方ではなくて、タニシの類いではないかと思われるのだが、どうであろうか。

(この項おわり)
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by gatotkaca | 2012-12-13 17:44 | 切り絵 | Comments(0)

ケオン・マス(黄金のカタツムリ)の伝説 その1

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 ケオン・マス(黄金のカタツムリ)という話はインドネシアではわりと有名で、ジャカルタのタマン・ミニ・インダ*にあるIMAXシアターは、カタツムリの形状でその名を『ケオン・マス』という。
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 中では3D映画を見られるそうである。私は建物の前までは行ったのだが、中に入ったことはない。
 ケオン・マスのお話は、ワヤン協会のインドネシア語勉強会で、テキストになったので知っていたのだが、ケオン・マスと呼ばれるカタツムリそのものについては知らなかった。
 今回は、本物の(生きている)ケオン・マスのこと、そしてケオン・マスの物語の異説を4ヴァージョン紹介してくれているブログを紹介する(元の記事はここ)。

 *インドネシアの島々を縮尺したものや、27州を代表する民族調のパビリオンが並ぶミニチュア・テーマパーク。各パビリオン内部では、昔の王族の生活を再現したり、工芸品・服飾などインドネシア各地の伝統と文化が紹介されている。


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伝説と日常の間に

 ケオン・マス〈Keong Mas:黄金のカタツムリ〉、この物語を聞いた事のある人は多いだろう‥‥、けれど、この物語(ケオン・マスの童話)にいくつかのヴァージョンがあることをご存知であろうか?(害虫としての)ケオン・マスについてはいささかご存知であろうが…、我々の想像力を刺激するケオン・マスの伝説の背景についてはどうです?‥。

ケオン・マス『のろまさん〈Si Lelet〉』、稲の害虫
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 ケオン・マス(Pomasia canaliculata Lamarck)、またGAS(ゴールデン・アップル・スネイル)として知られるこの生き物は、稲の害虫とされている。ケオン・マスは軟体動物の一種である。稲の害虫とはいえ、ケオン・マスは様々な分野で活用でき、経済効果へのポテンシャルを持ってもいる。

 このカタツムリは、ブラジル、スリナム、グアテマラといった南アメリカの沼地を発祥の地としている。当初ケオン・マスは1980年代頃に台湾からもたらされた。1981年、この生き物はヨグヤカルタ〈ジョクジャカルタ〉の水族館に導入され、1985〜1987年の間に急速にインドネシア全土に広がった。

生態
 この軟体動物は澄んだ水に棲息し、豊富な水性植物と泥を生活の基盤とする。水流がゆるやかで、水の溜まった湿った場所に棲息する。ケオン・マスは旱魃が生じても、6ヶ月ほども生き延びる事が出来る。この生物はpH5〜8、摂氏18°〜28°の範囲の水中で生活する事ができる。温度が高ければ、ケオン・マスは動きも、成長も速くなり、摂食量も増える。温度が下がると泥の中に入って休眠状態となる。摂氏32°を超えると高い確立で死亡する。

 カタツムリは雌雄同体である。交尾は四季を通じて行われる。ケオン・マスは毎月1,000〜1,200、毎週200〜300個の卵を産む事ができる。ケオン・マスの最も有害な成長段階は、10mm(トウモロコシの粒ほど)から40mm(ピンポン玉ていど)の大きさの頃である。

 この成長段階に入ると、ケオン・マスは夜間に水田や畑の水や小枝といった物に産卵し、卵は7日〜14日で孵化する。スサント Susanto の調査によれば(1995年)、幼態のケオン・マスは水中で貝殻が1.7〜2.2mmの大きさにいたると孵化する。二日程度で貝殻は堅くなる。

 2〜5mmの若いケオン・マスは藻類や植物の柔らかい部分を食べる。成長の初期段階は15〜25日間である。26〜59日の間はひじょうに貪欲に摂食する。60日齢に達すると繁殖可能となる。ケオン・マスは年間を通じて水気のある場所で3〜4時間かけて交尾を行う。

 成体は4センチほどの貝殻径で、10〜20グラムくらいになる。貝殻の成長は、形成栄養素としてのカルシウムの摂取量による。また周囲で摂取できる栄養素豊富であれば、殻は大きく固くなる。2〜6年生き、繁殖力も高い生物である。

有力な稲の害虫
 この生き物は水田の若い稲や苗床を害する。一平方メートルあたり10〜15匹に密集して、ケオン・マスは水田の稲を3日程度で全滅させてしまう。水田の水を濁らせ、その被害は水田に大きな損害を与える(イスモン Ismon 2006年)。農家たちはしばしば種を全滅させられ、植え直さなければならなくなる。

 ケオン・マスは昔は人々に愛されていたが、長期間放置されてきたので、今や稲の主要な害虫となってしまった。1986年にはフィリピンで、灌漑稲作の約300ヘクタールが損害を受けた。1987年には9,000ヘクタールに、1990年の1月には、その被害は350,000ヘクタールにも及んだ。フィリピンの水田3万ヘクタールの内、1万2千から1万6千ヘクタールにこのカタツムリの被害は及んだのである。1990年には2億120万ペソがこの害虫を駆除するために費やされた。

 1989年、国際連合食糧農業機関( Food and Agriculture Organization、FAO)によれば、フィリピンの作付け面積の10〜40パーセントがこの害虫の被害を受け、生産に相当の損失を与えていると推定している。我が国でも、スマトラ、ジャワ、スラウェシからパプアにいたるほぼ全州で被害が発生している。

 インドネシアでは特に南ラムプン州〈Kabupaten Lampung Selatan〉で1992年6月までに、ケオン・マスの被害は4,500ヘクタールに及び、その棲息の人口密度は一平方メートルあたり2〜23匹に達した事が報告されている。スサントによれば、ケオン・マスの繁殖は1987年から始まり、1990年頃の〈行政の〉調査によれば八つの県〈provinsi〉がケオン・マスに汚染されたと言う(1995年)。これらの地域は北スマトラ、西ジャワ、中部ジャワ、ジョクジャカルタ、東部ジャワである。近年はカリマンタン、スラウェシといった他の地域にも広く分布して来ている。ケオン・マスは苗や種子を食べてしまうので、農地を害する害虫としてその被害が懸念されている。

代替タンパク源として
 ケオン・マスの人口管理において注目すべき二つの事柄がある。稲の重大な害虫であることと、タンパク源としての潜在的可能性である。鶏、魚、カニ、エビの飼料になるし、味も良く高タンパクであるから食品に加工することもかのうであり、民間の資金源として有効活用できるのである。スダルト Sudarto の意見では(1991年)、ケオン・マスは高タンパクの生物であるから、フィリピンで人間、家畜が消費するための動物として開発されているいるのも頷ける、と言う。ケオン・マスの肉の割合は、生体の総量の18パーセントに過ぎない。ケオン・マスの肉のタンパク質含有量は(乾燥重量の)54パーセントであり、直接魚に与えることも出来るが、事前に魚粉製品の処理を行う事で高濃度にする事も出来る。ボムベオ-トゥルバン Bombeo-Turubanのエビに関する実験(1995年)で、エビ肉の必須アミノ酸指数とケオン・マスのそれを比較した結果、ケオン・マスの必須アミノ酸指数(EAAI)は0.84程度であることが分かった。水産養殖の効率はアミノ酸含有度に依存するが、ケオン・マスと魚を与える場合とが同等であることが分かったのである。

 家畜資料、魚の養殖、さらに食品、医薬品その他の経済的有用性といった分野で、ケオン・マスは大規模かつ継続的に活用可能である。というのもこれらを満たす生物学的要件のほとんど全てを満たす生き物だからである。ケオン・マスは一般的な水辺で生活可能であり、成長も速く、繁殖力も高いので、池などでの養殖も比較的簡単にできる。

 イル・スリスティオノ博士 Dr. Ir. Sulistiono
 ボゴール農業大学 Institut Pertanian Bogor (FPIK-IPB)、水産資源管理学科 Departemen Manajemen Sumberdaya Perairan 主任研究員。

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 さてこれから、ガラッと変わって最初に言った『ケオン・マス』伝説になります。昔話しの始まり始まり‥‥。

ケオン・マス

 昔々、ガロラン Galoran という若者がいました。彼の両親は身分が高く裕福でしたので、彼は大事にされていました。でもガロランはとても怠け者だったのです。毎日両親の財産を無駄遣いするばかり、両親が亡くなった後もさらに無駄遣いが多くなるばかりです。だから両親の残してくれた財産も日が経つにつれて減っていくばかりでした。けれどガロランはそんなことにはおかまい無しで、のんびり散歩をして過ごしていました。村人たちはそんな彼をあわれんでいました。彼に仕事をくれる人があっても、ガロランは何もしないで食べて寝るだけだったのです。ガロランは裕福な未亡人と一緒になりました。ガロランは大変喜んで『愛の芽とおかずがやって来た』と思っていました。

 その未亡人にはジャムベアン Jambean という名の娘が降り、彼女はとても賢く、機織りが上手でした。ジャムベアンの織物が素晴らしい事は、村中に知れ渡っていました。でもガロランはこの継子を嫌っていました。いつも怠けている彼はしょっちゅうジャムベアンに諭されていたからです。

 ガロランの憎しみは深まり、彼は継子を殺そうとたくらみました。彼は妻に険しい口調で言いました。『おい、お前、ジャムベアンは俺に逆らってばかりだ。親に意見するなどもってのほかだ!一体どういう事だ?』『こらえて下さい、あなた。ジャムベアンはあなたのためを思っていっているのです。』妻は彼をなだめた。『これ以上俺に無礼を働くようなら、俺は家を出て行く!』彼は目をむいて怒鳴った。『そんなことは駄目よ、あなた。ジャムベアンはただ、あなたに働いてもらいたいと思っているだけなのよ。』妻は夫の怒りを和らげようとした。『けっ、くだらねえ。お前は俺か、娘かどっちかを選ぶんだ!』こう言ってガロランは脅した。

 ジャムベアンの母は悲しみにくれました。心乱れて母は昼も夜も泣き続けました。彼女は泣きながら、『お父様は、ジャムベアンを苦しめようとなさっている。私の娘、ジャムベアン、こちらにいらっしゃい。』泣きながらやさしく言いました。『ちょっと待って、お母様。織物が少し残っているの』ジャムベアンは答えました。『さあ終わったわ。』ジャムベアンは悲しいんでいる母のそばにとん行きました。『お母様、何を悲しんでいらっしゃるの?』やさしく尋ねました。母はジャムベアンの父が、彼女を殺そうと考えていることを話しました。ジャムベアンは悲しげに言いました。『お母様、もう悲しむことはありません。私はお父様のお望みにしたがいます。私の幸せは、お母様が幸せになることなのです。』と。『でもひとつ、お母様にお願いがあります。私がお父様に殺されたあと、私の体を埋めないで、堤に投げ入れてください。』彼女はそう言うのでした。深い悲しみのうちに母は頷きました。とうとうジャムベアンは継父に殺されてしまいましたが、母はジャムベアンの願いの通りに彼女の体を堤に投げ込んだのです。すると、不思議なことにジャムベアンの頭と体はエビとカタツムリに変わったのでした(ジャワの言葉でケオン keong と言います)。

 ダダパン Dadapan 村に、ボ・ロンド・サムベガ Mbok Rondo Sambega とボ・ロンド・スムバディル Mbok Rondo Sembadil という後家さんの姉妹がおりました。二人の後家さんはとても貧しくて。薪を拾い、タロイモの葉を拾って、ようやく暮らしておりました。ある日、二人はタロイモの葉を探すため堤を閉じました。すると金色に輝くエビとカタツムリがいたので、二人はとても驚きました。『なんて素晴らしいエビとカタツムリなんでしょう。』ボ・ロンド・サムベガが叫びました。『この色を見て、金色よ。飼ってみたいわ。』『まあ、なんて美しいのかしら。このエビとカタツムリを持って帰りましょう』ボ・ロンド・スムバディルは答えました。そしてエビとカタツムリを拾うと家に持ち帰りました。二人はエビとカタツムリを土の瓶に入れました。金のエビとカタツムリを飼うようになってからというもの、二人の生活が変わったのです。二人が仕事から帰ると、台所におかずが用意してありました。そして家の中もとてもきれいに片付いていたのです。ボ・ロンド・サムベガとボ・ロンド・スムバディルはとても驚きました。ある日、二人は誰がこんなことをしてくれているのか調べようと考えました。

 ある日、二人はいつものように薪とタロイモの葉を探しに出掛けるふりをして、外に出るとすぐに戻って来て台所を見張りました。台所から音がするので二人が覗くと、二人の飼っているエビとケオン・マスのいる土瓶の中から美しい娘が現れたのです。『きっとあれは金色のエビとケオン・マスの化身よ。』ボ・ロンド・サムベガはボ・ロンド・スムバディルに囁きました。『さあ、エビとケオン・マスに戻ってしまう前につかまえましょう。』とボ・ロンド・スムバディルに囁きました。二人はそっと台所に入って、料理をしている娘を捕まえたのです。『さあ、早く言いなさい。あんたはこの世の人なの?』ボ・ロンド・サムベガは言いました。『それともビダダリ〈天界の妖精〉かい?』。『いいえ、私はふつうの人間です。両親に殺され捨てられて、エビとカタツムリに姿を変えていたのです。』ジャムベアンはやさしく答えました。話を聞いた二人は心動かされ、ケオン・マスは二人の養子になりました。それ以来、ケオン・マスは織物をして姉妹の暮らしを助けました。その織物は素晴らしく美しいので、国中で評判になりました。そして二人の後家さん姉妹は裕福になったのです。

 その織物は王国の都にも届きました。若い王様は、織物を作ったケオン・マスに心を魅かれました。王はその織物の作り手を探そうと、自ら織物商人に変装して王宮を出ました。とうとう王様はケオン・マスを見つけました。そして彼女の美しさと織物の腕前に心魅かれたのです。王様は後家さん姉妹にケオン・マス、つまりジャムベアンをもらいたいと願いました。王宮に入って、妃に向かえたいと言うのです。後家さん姉妹の何と幸せだったことでしょう。

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 二つめの物語はこのようなものです‥‥。

ケオン・ウマスの伝説

 ケオン・ウマス Keong Emas 〈emas=mas〉はパンジ物語のひとつである。パンジ物語は東部ジャワ、中部ジャワの地域で良く知られた物語である。ケオン・ウマス以外にもパンジ物語としてアンデ-アンデ・ルムト Ande-Ande Lumut やゴレ・クンチョノ Golek Kencono 〈黄金の人形〉といった話が著名である。これらの物語は何世紀にもわたって生き続けている。

 ケオン・ウマスにも二人の恋人たちが現れる。ジュンガラ Jenggala 国の王女、プトリ・ガル・チョンドロ・キロノ Putri Galuh Condro Kirono とダハ Daha 国の王子、ラデン・パンジ・イヌ・クルトパティ Raden Panji Inu Kertapati である。二人の幸福は、プトリ・ガルを無理強いして娶ろうとするアンタ・ブランタ Antah Berantah 国の王の登場で乱されることになる。王女はその王の求婚を避けて出奔し、名をデウィ・スカルタジ Dewi Sekartaji と変えた。

 デウィ・スカルタジの災難は、天界の支配者たちの知るところとなった。バトロ・ナロドは超能力で、逃げていたデウィ・スカルタジを助けるために、彼女をケオン・ウマスに変身させたのである。神の御心により、ケオン・ウマスの放浪が始まった。疲れを知らず、河を渡り谷をたどった。ケオン・ウマスの輝きに心魅かれ、ある老いた未亡人が手にとり、愛でた。その未亡人は、ボ・ロンド・ダダパン Mbok Rondo Dadapan といい、ケオン・ウマスを飼うことにした。ケオン・ウマスは水瓶の中で飼われることになったのである。

 次の日、いつものようにボ・ロンド・ダダパンは魚を捕りに河へ行った。家に帰って彼女はとても驚いた。家の中がきちんと整理され掃除されているではないか。それにテーブルの上にはおいしそうな料理まで並べてあった。一体誰がこんな親切を施してくれたのであろうか?ボ・ロンド・ダダパンにはケオン・ウマスが彼女をねぎらってくれていることなど知る由もなかった。

 そんな奇妙な出来事が数日続いた。ボ・ロンド・ダダパンはもう好奇心を抑えられなくなり、とうとう調べてみる事にした。家を出てしばらくしてから、彼女はまた戻って来たのである。彼女は入り口の扉につま先立って家の中を覗いていた。とつぜん、水瓶の中からとても美しい娘が現れた。娘は手早く家の仕事をこなすと、あっという間にまた水瓶の中に消えてしまった。ボ・ロンド・ダダパンは急いで水瓶の中を覗いてみたが、そこにはケオン・ウマスしかいなかったのである。

 翌日、ボ・ロンド・ダダパンはまた家を出たふりをして、外から家の様子を覗いていた。外から家の中の様子を覗いていると、あの美しい娘が現れたので、すぐにボ・ダダパンは家に飛び入った。そしてケオン・ウマスの貝殻を取ると粉々に割ってしまったのである。それを見て美しい娘は驚いた。ケオン・ウマスの旅は終わったのである。快く、その娘、実はデウィ・スカルタジは、ボ・ロンド・ダダパンの養女となった。デウィ・スカルタジの美しさはダダパンの村の遠くまで評判となった。

 デウィ・ガル・チョンドロ・キロノがいなくなってからというもの、ラデン・パンジ・イヌ・クルトパティは心落ち着かず、宮殿を出た。そして彼は最愛の妻を捜すため、彷徨っていた。放浪の間、ラデンはその名をラデン・パンジ・アスモロバグン Raden Panji Asmorobangun と変えていた。ダダパン村の美しい娘の噂は、ラデン・パンジ・アスモロバグンの耳にも届いた。その娘に会ってみたいと心魅かれたのも、ダダパン村で彼らを引き合わせようとの神の御心であったのだ。

 彼らの放浪の旅は、幸せの涙で終わりを告げた。ダダパン村で数日くつろいだ後、ラデン・パンジ・イヌ・クルトパティとプトゥリ・ガル・チョンドロ・キロノは王国へ帰還した。そしてケオン・ウマスの面倒を見てくれたボ・ロンド・ダダパンを伴う事も忘れなかったのである。

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(つづく)
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by gatotkaca | 2012-12-12 16:30 | 切り絵 | Comments(0)

パムクソ〈パムソ Pamuksa〉(パンドゥの戦死)

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 パンドゥはマハーバーラタの主役パンダワ五王子の父である。今回はパンドゥをめぐる物語について下記のブログを紹介する。

 Radio Nusantara; Pamuksa ( Pandu Gugur)

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パムクソ〈パムソ Pamuksa〉(パンドゥの戦死)

 パンドゥ(サンスクリット語ではपाण्‍डु:Pāṇḍu パーンドゥ)は叙事詩マハーバーラタに登場する人物のひとりで、パンダワ Pandawa 五王子の父である。パンドゥは三人兄弟の次男であったが、クル族の王位継承者であり、ハスティナプラの王位を継承するはずの、長男ドゥレストロスト〈 Dretarasta ダストロストロ:ドリタラーシュトラ〉が盲目であったため、王位はパンドゥに継承された。パンドゥは超能力のイルム〈教義〉、英知に長けていたが、とりわけ政治的資質に恵まれていたからである。
 パンドゥは二人の妃をもった。クンティ Kunti とマドリ Madri 〈マドリム〉である。パンドゥ・デウォノト Pandu Dewanata 〈パンドゥの別名〉は、ひとりのルシ resi 〈僧侶〉に呪われ、子をつくることが出来なくなった。そのルシが鹿に変身して愛の営みを為している際に、パンドゥが射殺してしまったからである。パンドゥ・デウォノトの二人の妃は神に願って子を授かることになる。その後、パンドゥ・デウォノトは、かけられた呪いによって死んだ。マドリは炎に身を焼き、夫の後を追った。
 彼の名パーンドゥとは、サンスクリット語で青白いことを意味する。彼の肌が青白かったためである。そのわけは、母(アムバリカー Ambalika )が子をもうける際のプトロトパダナ Putrotpadana の儀式の時、顔を青ざめさせたからと言われる。
 ジャワ文化圏(古代ジャワ、スンダ)では、パンドゥはワンドゥ Wandu 、すなわち男でも女でも半陰陽でもない者から生まれたとされる。つまり sajeroning lanang ana wadon, sajeroning wadon ana lanang 、すなわち自身の内に両性を持つ者である。これはグスティ〈Gusti=主〉と僕(しもべ)がつねに信仰において一体であることを意味する。
 マハーバーラタによれば、ヴィチタラーヴィルヤ Wicitrawirya 〈ウィチトロウィルヨ〉はパンドゥの血を分けた父ではない。アムバリカーは子を得るためにビヤーサ Byasa 〈アビヨソ〉に委ねられるのである。アムバリカーはサティヤワティー Satyawati の命令で、ビヤーサの家を訪ね、恩寵を賜る。彼女は身を委ねようとした時、目を見開いていた。アムビカ Ambika 〈アムビコ〉の時、彼女が目を閉じたために生まれた子が盲目の子(ドリタラーシュトラ)となったからである。アムバリカーは目を開けたままでいたが、サン・ブガワン(ビヤーサ)の容貌魁偉なのを見て、その顔が青ざめた。こうして(彼女の子)パーンドゥは青白い姿で生まれたのである。

 パーンドゥは弓矢の技に優れていた。彼はドリタラーシュトラの軍を率い、彼のために王国を治めた。パーンドゥはダサルナ Dasarna 、カーシー Kashi 、アンガ Anga 、ヴァンガ Wanga 、カリンガ Kalinga 、マガダ Magadha 、その他の国々を征服した。パーンドゥはワンサ・ウレスニ Wangsa Wresni のクンティボジャーKuntibhoja 王の娘、クンティーとマドゥラ Madra 王の娘、マドリーと結婚した。森へ狩りに出掛けたとき、パンドゥは過って、妻と愛の営みをしている最中のルシを矢で射てしまった。サン・ルシはパーンドゥに、妻と交われば死ぬという呪いをかけた。失意のパーンドゥは森に入り、妻たちと共に苦行者のように暮らした。森の中でクンティーは彼女のもつ秘密の呪文を使って三人の神々を呼んだ。ヤーマ、ヴァーユ、そしてインドラである。三人の神々からそれぞれ息子を授かった。三人の息子とは、ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナである。〈一般にはクンティーが呼び出すのはダルマ、ヴァーユ、インドラの三神である。〉クンティーはマドリーにも神を呼び出す呪文を貸し与え、マドリーはアシュヴィン双神を呼んだ。この神からマドリーは双子を授かり、彼らはナクラ、サハデーヴァと名付けられた。
 彼らが森に暮らして15年たった。クンティーと五人の息子たちが離れている時に、パーンドゥはマドリーと交合しようとした。これによって、パーンドゥはかつてかけられたルシの呪いを受けて死にいたった。マドリーはナクラとサハデーヴァの双子に祝福を与え、クンティーに委ねると、自ら身を焼いて冥界へ旅立った夫の後を追ったのである。
 ワヤンではパーンドゥ(ジャワ語でパンドゥ Pandhu)はアビヨソ(ビヤーサ)とウィチトロウィルヨの未亡人アムバリコとの間の子である。さらにアビヨソはパンドゥ・デウォノトが成人するまでアスティノ王国の王位を継承する。
 パンドゥは美丈夫であったが、首が曲がっていたとされる。母がアビヨソを見た時、顔を背けたからであるとされる。ダラン〈ワヤンの上演者〉たちはマハーバーラタでは簡潔に描かれる若き日のパンドゥの物語を発展させた。
 たとえば、マトゥロ Mathura の従兄弟たちの結婚を手助けするなど、パンドゥが積極的に活躍する物語が展開する。パンドゥは神々に求められて、グオバロン Goabarong 国の蛇の化身たるラクササ王、プラブ・ノゴポヨ Nagapaya を倒す。その功績により、パンドゥはミニャ・トロ minyak Tala の香油という宝具 Pusaka を手に入れるのである。
 その後、パンドゥはマトゥロ国のサユムボロ〈嫁取り競技〉に勝利してクンティと結婚する。さらにサルヨ Salya 王を破り、その妹マドリムを獲得する。その帰途で、プロソジュナル Plasajenar 国のプラブ・グンドロ Gendara を負かして妹のグンダリ Gendari も手に入れる。このグンダリは、パンドゥの兄ダストロストロに委ねられることとなる。
 パンドゥはアビヨソに代って王位に就き、『プラブ・パンドゥ・デウォノト』また『プラブ・ゴンドワストロ Gandawakstra 』と称した。彼はポンチョロ Panchala 国の王子ゴンドモノ Gandamana を大臣として共に国を治めた。このゴンドモノという人物は、後にグンダリの弟でずる賢いスンクニ Sangkuni (Sengkuni)によって追い落とされることになる。
 二人の妃とパンドゥから、パンダワと呼ばれる五人の息子たちが生まれる。マハバラタの書によれば、この五人はパンドゥ実の子であり、神から授かった子ではない。神々は彼らの誕生を手助けしただけであると語られる。たとえば、バトロ・ダルモ Dharma はユディスティロの誕生を、バトロ・バユはビモの誕生を手助けするのである。パンドゥの五人の息子たちは〈インド版〉マハーバーラタに語られるように、森の中で生まれるのではなく、すべてアスティノ国で生まれる。
 ワヤンにおけるパンドゥの死は、マドリムとの交合ではなく、自身の弟子であるプラブ・トルムボコ Trembokoとの戦いによるものである。

 その物語によれば、あるとき、マドリムがバトロ・グルの乗用獣であるルムブ・アンディニ牛に乗って遊興したいと望んだ。パンドゥは妃の望みを叶えるため天界に願い出た。寿命を縮められ、地獄 neraka に落とされることを条件として、バトロ・グルは許しを与えた。パンドゥとマドリムはルムブ・アンディニの背に乗って遊興に出掛けた。彼らは満足して、牛をバトロ・グルに返した。幾月か後にマドリムはナクロとサデウォの双子を生んだ。
 こうしてパンドゥの短命は運命づけられたのである。スンクニの煽動によって、パンドゥは自身の弟子であるプリンゴダニ国のラクササ王トルムボコとの戦いに巻き込まれた。この戦いはパモクソ〈パムソ Pamoksa、Pamuksa〉の名で知られる。この戦いでトルムボコはパンドゥの矢に斃れたが、パンドゥも敵のクリス(短剣)『キヤイ・コロナダ Kyai Kalanadah 』で傷を負った。この傷が原因でパンドゥは病に伏せた。彼が亡くなったので、アスティノ国は、パンダワたちが成長するまで、デストロストロの手に委ねられたのである。パンドゥとトルムボコの息子と娘は後の日に結婚することになる。ビモとヒディムビ Hidimbi (アリムビ)である。彼らの間にラクササと人間の血を引く混血のクサトリア、ガトコチョが生まれることになる。

Prabu Tremboko
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 パンドゥの死の物語を指すパムクソという語は、ヒンドゥー教のモクシャ moksa という語に由来すると思われる。『パムクソ』において、パンドゥの肉体は滅んだが、その魂は地獄に落とされた。その救済は、後の日における彼の次男、ビモの奮闘による。数年の後、パンドゥは天界 surga 〈ショルガ〉に入ることを許されるのである。よりドラマティックな別のヴァージョンもある。そこでは、パンドゥとマドリムは神との約束を違えず地獄にとどまる。彼らが地獄にとどまることで息子たちが地上で成功を得ることができるなら、自分たちのことは問題ない、というのである。息子たちパンダワの献身を目の当たりにして、すでに彼は天界をその身に感じていたのである。

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 このラコン(演目)名『Pamuksa』の語は、先に紹介した"Perang Kritik Pamuksa; Rohmad Hadiwijoyo "の記事ではpamuk(英雄)+sa(同等の)からなる語との説をとっていたが、こちらでは名詞形を作る接頭辞 Pa+muksa (moksya)=解脱ではないか、との説である。
 しかし、このラコンの中でパンドゥは死ぬが、まだ天界には入らない。バトロ・グルとの約定によって地獄 Naraka もしくは天界の火山チョンドロディムコの火口に落とされるのである。通常の解釈では、彼が昇天するのは、ラコン『ビモ・スワルゴ Bima Swarga 』もしくは『パンドゥ・ポポ Pandhu Papa 』〈近年の変容では『プンドウォ・ピトゥ Pandawa Pitu』〉において、ビモを始めとする息子たちパンダワ五王子からの救済を得た後である。パンドゥ戦死を扱うこのラコンでは、彼と匹敵しうる強敵トルムボコとの戦いが描かれるわけだから、Pamuk+sa 説の方が理論整合性は高いのではないかと思われるが、正確なところは、現段階ではわからない。
 ラクササの国プリンゴダニは、マハバラタ演目群の人気者、ガトコチョの故国として著名だが、インド版マハーバーラタには存在しない。ジャワでもカカウィンの時代にはまだ設定が無い。中世以降の変容の中で生まれた設定のようである。プリンゴダニとガトコチョの話はそのうち項を改めて話したいと思っている。今回はここまで。
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by gatotkaca | 2012-12-05 00:13 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

プラン・パムソ Perang Pamuksa

 幾百のラコン(演目)を通じてのワヤンの大河ドラマ的主題は、大戦争ということになるだろう。ラマヤナのプラン・ブブル・アルンコもそうだが、マハバラタでは通常四つ(一説では三つ)の大戦争が描かれている。下記に紹介するのは、ワヤンの大戦争のひとつと、(インドネシアの)民主党 Partai Demokrat 内の紛争をからめて論説した記事。2012年の7月だから、ちょいと古いけれど、政治記事とワヤンの物語の絡みが興味深かったのと、マハバラタの四大戦争のひとつ、プラン・パム(ク)ソを明解に説明してくれているので紹介する。
 元ネタはここ
Perang Kritik Pamuksa
Rohmad Hadiwijoyo ; Dalang dan CEO RMI Group
MEDIA INDONESIA, 30 Juni 2012

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両雄批判合戦 Perang Kritik Pamuksa
ロフマド・ハディウィジョヨ Rohmad Hadiwijoyo (ダラン、RMI〈Resources Jaya Teknik Management Indonesia〉グループCEO )
2012年7月30日メディア・インドネシア


 しばらく前に、スシロ・バムバン・ユドヨノ民主党理事長とアナス民主党会長との間の批判合戦が加熱した。きっかけは党の支持率の低下を巡っての当選可能性 elektabilitas への疑念からであった。

 SBY〈ユドヨノ〉は民主党外部から切望されている、政治的慣習の一掃を民主党幹部で実行できる者は誰もいない、と声高に宣言した。その理由として、〈政治の清浄化は〉民主党の目にはさらなる浸食の原因としてしか映らないであろうというのである。
 アナスは民主党の当選可能性は、政府の動向と切り離せない関係にある、したがって、大衆の信頼を獲得するためには、SBY政権はリーダーシップを示し、懸命に働かなければならない、と述べた。

 確執が続けば、民主党自体のみならず、国家、民間への悪影響も懸念されることになる。これは大統領としてのSBYの立場にも係って来る。

 一方、事実はインドネシアの国家としての失速を示している。非営利研究機関ファンド・フォー・ピース The Fund for Peace と、雑誌フォーリン・ポリシー Foreign Policy 誌の報道によれば、インドネシアは国家の失速により危険状態に向かっている178ヶ国中63位にランクされたというのである。

 ファンド・フォー・ピースはインドネシアの経済成長と政治改革の成果を認めたが、いまだ汚職、暴力、教育、健康、環境といった重要な問題が未解決のままであることも指摘したのである。

知恵を絞れ Kearifan lokal

 SBYとアナスは寛大さを示し、互いのエゴを棄て、結束を固め直す以外に道はない。すべての建設的批判を受け止めることが、前進することであり、それが国民と民主党双方のためでもある。

 アスティノ国のプラブ・パンドゥ・デウォノト Pandu Dewanata とプリンゴダニ国のプラブ・トルムボコ Tremboko の決闘を見てみるがいい。この戦いで恩恵を受けたのは、戦いを煽ったアルヨ・スマン Harya Suman 〈スンクニ〉とコラワたちだけだったでなないか。

 昔々の話、ワヤンの物語の中には、四つの大戦争が語られている。プラン・パムソ Perang Pamuksa 、グントロヨノ Guntarayana 、ゴジャリスト Gojalisuta 、そしてバロトユド Baratayuda である。

 プラン・パムソはパンドゥとトルムボコの戦い、グントロヨノはニウォトカウォチョ Niwatakawaca とブガワン・チプトニン Begawan Ciptaning 〈アルジュノ〉の戦い、ゴジャリストの戦いとは、父であるドロワティ国王プラブ・クレスノとその息子プラブ・ボモ・ノロカスロ Boma Narakasura との戦い、そして最後のバロトユドはパンダワとコラワの戦争である。

 パンドゥとトルムボコの紛争は、誤解が生んだものである。ことが大きくなったのは、パンドゥの政敵であるスマンのようなオポチュニストたちが、二人の王の関係を悪化させようと謀って挑発、中傷を為したからである。

 パンドゥとトルムボコは最初は師と弟子の関係であり、二人は非常に協調していたのである。ラクササ〈羅刹〉姿のトルムボコは、パンドゥの超能力を高く評価しており、パンドゥから卓越したイルム〈教義〉と超能力の護符を学んでいたのである。

 二人の争いは、互いの個人的問題で多忙になったことから始まった。パンドゥは妊娠中の妻〈第二夫人〉のデウィ・マドリムの願いに悩んでいた。マドリムはグル神の所有するアンディニ牛に乗りたいと切望したのである。

 それゆえパンドゥは国を護るための集中力と注意が散漫になっていた。
 同様にトルムボコも双子の子の誕生をむかえていた。師への敬意を表するため、トルムボコはパンドゥに双子、つまりブロジョドゥント Brajadenta とブロジョムスティ Brajamusti の名付け親となってもらおうと考えていた。

 同盟国として、トルムボコは毎月アスティノ国へピソワナン Pisowanan 〈表敬訪問〉を行っていた。しかし、今回は双子の誕生で多忙なため、トルムボコはアスティノへ訪問 sowan 出来なかった。そのためトルムボコはパンドゥへ書簡を送ったのである。
 しかし書状がパンドゥの手元に届く前に、コラワの叔父、スマンが内容を書き換えてしまった。許しを乞う手紙が宣戦布告に変えられてしまったのである。
 スマンの動機は、パティ・ゴンドモノ Gandamana に代ってアスティノの大臣になることを画策していたのである。

 パンドゥは手紙を手にしたが、その内容を完全に信じ込んだわけではなかった。
 それゆえ、パンドゥはトルムボコに確認するため、パティ・ゴンドモノを使節として派遣した。
 パンドゥの思惑を知ったスマンは、先にトルムボコへ偽の手紙を送った。その偽書にはパンドゥがプリンゴダニを滅するためにゴンドモノを送ったと記されてあった。

 スマンの戦略は抜け目無かった。プリンゴダニへ向かうゴンドモノを、国境線でトルムボコの軍が待ち伏せしていたのである。
 ゴンドモノはスマンの用意していた井戸に落ち、閉じ込められてしまった。井戸に落とし、プリンゴダニのラクササ軍が石、土をかけ、生き埋めにしてしまった。スマンはゴンドモノは死んだと思いこんだ。

 パンドゥはプリンゴダニへ派遣したゴンドモノが何日たっても戻らないので思い悩んだ。かくてパンドゥ自身がプリンゴダニを訪問することにしたのである。

 パンドゥの計画を知ったスマンは、先にプリンゴダニに向かい、トルムボコを煽ってパンドゥを襲わせた。アスティノ王に歯向かったことになるトルムボコには他の選択肢は無かった。ついに師と弟子の一騎打ちとなってしまった。二人の偉大な王の戦いはプラン・パムソと名付けられた。〈Pamuksa:pamuk=英雄、sa=同じ(力の)〉

共倒れ

 両雄の力は拮抗していた。パンドゥがクリス〈短剣〉・プラングニ Pulanggeni を抜き放てば、トルムボコはクリス・コロナダ Kalanadah を抜く。一瞬のつばぜり合いのうち、プラングニにその胸を貫かれ、トルムボコは斃れた。

 パンドゥがトルムボコの死を確認しようと近づいたとき、パンドゥはまだトルムボコの手にあるコロナダを踏んだ。パンドゥはコロナダの毒で斃れた。

 物語の意図するところは明らかであろう。如何なる戦いといえども、エレガントな戦いなどというものは無いのである。プラン・パムソも然り、SBYとアナスの批判合戦もまた同じである。

 民主党には、党内部の紛争を終わらせて結束を修正するための時間がまだ一年半ほど残っている。SBYとアナスは現在の不利な状況とコミュニケーションを改善するために協力する事ができるはずである。

 今こそ二人は力を合わせて、失速する国と党の安定を図るため、エネルギーを集中させなければならない。真摯な誠意をもってすれば、必ずや社会の広がりを感じ取ることができるだろう。そして大衆は必ずや支持するはずである。二人が犠牲となるプラン・パムソの轍を踏んではならない。徳をするのはスマンと扇動者たちだけなのだから。

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 というわけで、現代の政治状況とワヤンの話を絡めて語るのがジャワの人たちはお好きのようである。私はパルタイ・デモクラットのその後はよく知らないが、ワヤンの物語の方は、この後アルヨ・スマンは復活したゴンドモノにとっちめられて散々殴られ、きれいな武将の姿が、醜いスンクニの姿になったということになっている。パンドゥがプリンゴダニ絡みで死ぬというプロットは比較的最近のものではないかと思われるが、私が1998年頃に見たキ・マンタプ・スダルソノの上演した『スンクニの生涯 Banjaran Sengkuni 』ではこのプラン・パムソのヴァージョンが用いられていていきなり冒頭で、パンドゥとトルムボコが一騎打ちを始めたのでびっくりした憶えがある。ということで、次回はパンドゥのお話をします。
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by gatotkaca | 2012-12-01 02:22 | 影絵・ワヤン | Comments(0)