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木から落ちた猿

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東部ジャワ・スタイルのワヤンにおけるスマル、バゴン その6

 以上がラコン「トゥムルニン・ワフユ・プルボニングワト」の概略である。このラコンにおけるスマルの位置と機能を考察してみよう。このラコンでは、ポノカワンとしてのスマルはトゴ、ビルンと関係を持たないが、パティ・ジョヨワセソに従うポノカワンとしてパ・ムンドゥとパ・ムジェニが登場する。スマルとアルジュノ、クレスノとの関係を見る前に、彼らについて述べる。ポノカワンとしてのパ・ムンドゥとパ・ムジェニの役割は、ブラハムの子孫たち、つまりアンコロ・ムルコ(強欲)の子孫たち、またアルンコの子孫たちの従者としてのトゴ、ビルンがしばしば置かれるポジションにいる。このラコンにおけるパ・ムンドゥとパ・ムジェニはサブラン(海外)の国の人物の従者であり、その国は何処にあり、どんな国なのかは不明である。パ・ムンドゥとパ・ムジェニは東部ジャワのダラン界の伝統における特殊なポノカワンであり、他の地域には見られない。ふたりの人物の図像は、その横顔、服装が典型的ジャワ人とは異なる。
 スマルとバゴンは、このラコンにおいては主人に忠実な従者として明白に位置づけられている。その機能は護衛、治療、指導、ならびに主人たちが直面する問題に解決策を与えることである。スマルはアルジュノとクレスノに、プソコ・スムピンのあり場所を示す。そのスムピンは人間に姿を変えて混乱を生み出し、最後にはそれぞれの持ち主によって征服される。
 アルジュノが苦行中、スマルは待機して、起こりうる害から彼を見守る。アルジュノの身体が長時間空っぽになった時は、スマルは率先して彼を捜しに行く。スマルは、ブスットに見張りを命じ、それからバゴンがブスットに代る。バゴンは空っぽになったアルジュノの身体の安寧に責任を感じ、アルジュノの身体が傷まないようにその中に入り込む。別の場所でスマルも空っぽのクレスノの身体を見つける。スマルもバゴンと同様の目的で、それに入り込む。この場合、スマルとバゴンの役割は正確に同じであり、二人はクレスノとアルジュノの身体に配分される。神話学的に言えば、彼らは『二つにして一つ Dwi Tunggal 』の性質を持つ。これが意味するのはスマル・バゴンによって守られるものもまた『二つにして一つ』であるということだ。スマル・バゴンの二者同一性は以下のスロ Sulukan において明白に現れている。

 『Eee.....Kocap kacarita, Mangundiwwangsa nekep dhadhane, emut wejangane Ki Lurah Semar nlika mejang kaliyan Panembahan Kapiwara, ana kandha suksma Mayangkara. Kurangane napa Bagong karo Semar, sinebut Bladhu, wong siji dibelah dadi loro, nadyanta budhu-budhuwa Bagong, kedunungan ngerti.............』

 「エエエ……聞かれよ、マングンディウォンソはその胸に受け入れる。キ・ルラ・スマルがパヌンバハン・カピウォロに教えた英知を。スクスモ・マヤンコロの物語において。バゴンとスマルの間に足りぬものは何か。バルドゥと言われる。人は二つの面に分かれる。お馬鹿なバゴンにも分かること……」

 スマルがアルジュノを探している時、クレスノの空っぽになった身体を見つける。そのクレスノにスマルは言う。

 「Hemm, Janaka lunga tanpa paring paliwara, Kresnane minggat tanpa ana sing dikandhani. Raga dijarna gledhag, wee lha dalah...... Kresna! Janaka! Kowe tak goleki nang ngendi papan panggonmu!」

 「ヘム、ジャノコは言われもせずに行ってはならぬ、クレスノ、誰にも知らせないのはだめだ。体をほったらかしにしおって。ウェェ、ラ、ダラ……。クレスノ!ジャノコ!わしは、そなたらを探すぞ、どこにいようとな!」

 クサトリアたるアルジュノとクレスノに仕える者としてのスマルの地位は、『師』としての彼の機能を示し、二人が(身体を)空にした時、主人の魂と身体を守り、怒る。スマルは『ゴコ ngoko=目下の者に使用するジャワ語』でうなるのである。このジャワ語のゴコの使用は、スマルが普通の単なる召使いではなく、スマルは主人たちに対する「父親」として位置づけられていることを示す。このようなスマルの位置付けは、アルジュノが失われたプソコを見つけるためにスマルに助けを求めて声を押し殺す時にも見られる。

 「Kalang Semar, Kalang Semar, Tulungana aku Kkang Semar nggoleki sumpingku, Kakang Semar. Rika iki tak anggep wong tuwaku, wulu cumbu negara Nganarta, ya rika, punakawan jimat rika karo Bagong.」
 「Eh kula tuduhaken wonten pundi, sumping sampeyan wong loro.」

 「スマル兄よ、スマル兄、わたしはスマル兄にお願いしたい。我がスムピンを探してほしい、スマル兄よ。そなたは我が父とも思われるひと。アマルト国の愛されし召使い。おお、そなたこそ守り手なるポノカワン。そなた、そしてバゴンよ。」
 「エエ、私めはあなたさまのスムピン二つがどこにあるかお知らせしましょう。」

 はじめのスマルに対するアルジュノの言葉は、「父親」としても敬意を表される召使いとしてのスマルの地位を明らかにし、普通の人間の能力を超える力を持つ人物であることも示している。スマルは、地上に降りた神としての地位にあり、ひじょうに年老いた人物である。物語のはじめに次のように説明される。「Semar tegese Sem, peteng, Mar, padhang. Samaring samar wis kanggonan. Durung onok Bumi, Semar wis nandur jagung....... 」(スマルとは、セムであり、暗いことを意味する。マルとは明るいことである。彼の朧げなること朧げであった。大地にはとうもろこしの生える前から朧げなるものがあった。)
 ポノカワンたち、バゴン、ブスット、デウィ・ムレグと共にあるスマルの地位は、(バゴンに対しては)父として、(ブスットに対しては)祖父として、(デウィ・ムレグに対しては)義父としての地位にある。しかしバゴン、デウィ・ムレグ、ブスットはその身元を推し量れば、これらの人物はスマル自身から生まれたものである。このようにして、スマルの位置付けと機能は、その関係性から次のような像を見出すこととなる。
1. バゴン、デウィ・ムレグ、ブスットに関して。年長の血族;その機能は家族の『長老』であり、同時に親族の長たる『師』でもある。
2. スマルとバゴン、アルジュノとクレスノ、ならびにパンダワ一族に関して。召使い、里親、超能力の源であり、その機能は治療、指導、保護、指導の方向付けである。パンダワたちに対するスマルの機能は、守護の源であり、超能力の源でもある。であるから、アルジュノとクレスノにワフユ降下に向かう道すじを開いたのである。

結論

 以上の論説に基づき、東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリ上演におけるスマルの位置付けと機能の明白な像を下記のように見出すことができるだろう。
1. 東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリにおけるスマルの全体像は、ラコンにおける人生の神話の守護者である。
2. スマルは、自己を見出す試みの中で困難に遭遇している人間の守護の源としての機能を持つ。
3. スマルは、ポノカワンならびに、彼の指導と啓蒙の下にあるクサトリアにとっての父であり、同時に母でもある。
4. 通常のスマルの機能は、豊穣を管理し、人生の困難を分割する。
5. 物語において、スマルとバゴンはダランによってラコン化される物語の「劇中翻訳者Inside translator 」であり、ラコンにおけるスマルの実体はダラン自身である。これはスマルがバゴンにアノマンを探すよう命じ、アノマンにパティ・ジョヨワセソという名の侵入者を追い払わせようとした時や、スマルがジョヨワセソと一緒にプラブ・トゥジョクスモの仮面を剥ぐことにも見られる。スマルはすでにこの二人の人物がアルジュノとクレスノのプソコが形を変えたものであると知っていたと見える。この機能からスマルはラコンにおいて全能の権威と大いなる力を持つといえる。
6. 東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリにおけるスマルの機能は、簡略化すれば、儀式の管理者であり、宇宙の秩序なのである。

文献目録

Clara van Groenendael, Victoria M. 1987a. Dalang di balik Wayang. Jakarta : Grafiti Prea.
----------------. 1987b. Wayang theatre In Idonesia. An Annotated Bibliogtaphy. Dorrdrecht : Foris Publications.

Depertemen Pendidikan dan Kebudayaan Direktorat Jendral Kebudayaan, tt. Penulisan Lakon Pedalangan Gaya Jawa Timur. Taman Budaya Jawa Timur.

Kayam, umar. 2001. Kelir Tanpa Batas. Pusat Studi Kebudayaan UGM.

Keeler, Ward. 1987. Javanese Shadow Plays, Javanese Selves. New Jersy : Princenton University Press.

Martin, Wallace. 1986. Recent Theories of Narrative. London : Cornell University Press.

Ras, J.J. 1987. "De Clownfiguren in de Wayang". Bijdrage tot de Taal- , Land-, en Volkenkunde, 134, 1978, 4e Aflevering.

Siegel, James T. 1986. Solo in The New Order. Language and Hierarchy in an Indonesian City. New Jersey : Princenton University Press.

Suyanto. 2002. Wayang Malangan. Surakarta : Citra Etnika.

Timoer, Soenarto. 1988. Serat Wewaton Padhalangan Jawi Wetanan Jilid Ⅰ,Ⅱ. Jakarta : Balai Pustaka.

Data Rekaman Pergelaran
1. Pergelaran Lakon "Tumuruning Wahyu Purbaningrat" dalam rangka Upacara Sedekah Bumi di Desa Cemandi, Kabupaten Gresik, 31 Oktober 2001, oleh Dalang Ki Surwedi dari Kabupaten Sidoarjo.
2. Pergelaran Lakon "Wahyu Kembar" dalam rangka hajat khitan di Dusun Grogol, Lakarsantri, Kabupaten Gresik, 14 Juli 2002, oleh Ki Surwedi.
3. Pergelaran Lakon "Ricik-Ricik Gandabaya" dalam rangka hajat pernikahan di Desa Dawar Blandong, Kabupaten Mojokerto, 17 Juli 2002, oleh Ki Surwedi.
4. Pergelaran lakon "Rabine Sentanu" dalam ragka hajat pernikahan di Dudun Plumpung, Desa Bakong Pringgodani, Kecamatan Balongbendo, Kabupaten Sidoarjo, 15 November 2001, oleh Ki Surwedi.

(了)
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by gatotkaca | 2012-02-26 07:38 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

東部ジャワ・スタイルのワヤンにおけるスマル、バゴン その5

b. ラコンにおけるスマル

 ワヤン・クリ上演におけるスマルの役割と機能を理解するために、物語的研究の資料としてひとつのラコンをサムプルにする。この研究でサムプルとするラコンは、2001年10月31日、カブパテン(旧領主地区)・グルシクのチュマンディ Cemandi 村のアチャラ・スデカ・ブミ(Sedekah Bumi=地鎮祭)で記録されたものである。このアチャラ・スデカ・ブミでは、カブパテン・シドアルジョのダラン、キ・スルウェディ Ki Suewedi による『プルボニングラトの天啓 Tumuruning Wahyu Purbaningrat 』が上演された。下記にラコンの概略を示す。

ジェジェル・ドロワティ Jejer Dwarawati : パテット・10 (ドロワティ国の王の謁見所)

 クレスノ、ソムボ、スティヤキがドロワティの平穏を話す。
 来訪者:アルゴ・サマル Harga Samar 王宮のプラブ・トゥジョクスモ Tejakusma の使者、パティ・ジョヨワセソ Jayawasesa がクレスノに対し、ワフユ到来の説明を求める。アルゴ・サマル国は『疫病 Bebendu 』に苦しんでおり、疫病を克服するワフユ(天啓)の降下を必要としている。クレスノはワフユの降下に関して知らない。パティ・ジョヨワセソは怒る。クレスノはワフユのことで知らぬことはないはずだからである。ジョヨワセソはクレスノにプラブ・トゥジョクスモと会って、ワフユの説明をするよう強制する。
 クレスノはジョヨワセソに招かれて、スティヤキを伴ってパセワカン pasewakan (屋内)から出る。
 クレスノはウドウォに、これから起こる戦いに備えて兵たちを整えるよう命じる。ウドウォはスティヤキからの命令があるまで待機する。

ブバラン(王宮前広場)

 ジョヨワセソとポノカワン、パ・ムジェニ Pak Mujeni とパ・ムンドゥ Pak Mundhu は、クレスノがワフユのことをそれほど知らないのではないかと感じている。ジョヨワセソはクレスノを無理矢理アルゴ・サマル国へ招待したが、パ・ムジェニはクレスノを手荒く扱ってはならないと諭す。ジョヨワセソはクレスノへの無理強いを主張する。

プラン・ガガル1

 ジョヨワセソはスティヤキと対峙する。ジョヨワセソはクレスノに無理強いしようとし、スティヤキはクレスノを守ろうとする。それぞれの側が主張し合い、紛糾し殴り合いとなる。スティヤキはジョヨワセソの相手にならぬ。

リムブアン

場面
 バゴンはクレスノから、ジョヨワセソに当たらせるため、ブガワン・カピウォロ Begawan Kapiwara 、つまりアノマンを探す使いに出される。バゴンは広場のブリンギンの木の上のブガワン・カピウォロに会う。バゴンはブガワン・カピウォロに会いに来た理由を説明する。クレスノが、ドロワティの平和を乱すパティ・ジョヨワセソを追い払いたがっている、と。ブガワン・カピウォロ=アノマンは、すぐさま承知し、バゴンを連れてパティ・ジョヨワセソに対峙した。

プラン・ガガル2

 アノマンはジョヨワセソに向かって、クレスノへの無理強いをあきらめるよう頼む。ジョヨワセソは、彼の国の疫病を鎮めるため、クレスノがワフユを解明するよう主張する。アノマンはジョヨワセソを打ちのめし、ジョヨワセソは逃走する。

場面
 ジョヨワセソはプラブ・トゥジョクスモに、アノマンに敗れたことを報告する。プラブ・トゥジョクスモは、ジョヨワセソにクレスノをおびき寄せるため、アマルトで騒動を起こすよう命じる。

場面
 ジョヨワセソを撃退したブガワン・カピウォロ(アノマン)は、バゴンと共にクレスノに報告に行く。バゴンの目的は、アルジュノが長い間、苦行にいそしんでおり、淋しいと訴えたかったのだ。しかし、クレスノは宮廷にはいなかった。彼はスティヤキとソムボを待たせて、苦行に入っていた。バゴンはスティヤキとソムボに、クレスノを苦行から起こすよう頼んだが、断られた。かくてバゴンは無謀にも壁を突き破ってクレスノの苦行部屋へ入ったが、中は空であった。スティヤキとソムボは大いに驚き、半信半疑であった。
 バゴンとアノマンはすぐに苦行中のアルジュノを探すため、インドロキロ山へ向かった。

ゴロ・ゴロ:パテット8〜パテット9

 スマルとブスットはミントロゴの洞穴で苦行するアルジュノを見守っていた。二人は会話しながら、彼らが長い間苦行するアルジュのを待っている、と説明する。それから、スマルはアルジュノがすでに長い間肉体から(魂が)出たままであることに気付き、怒って、悪いことがおこらぬよう、彼を捜そうとする。ブスットはアルジュノの身体を見守るよう頼まれる。スマルはアルジュノの魂を探しに行く。

場面
 マングンディウォンソ(バゴン)とブガワン・カピウォロ(アノマン)はインドロキロの苦行所に到着し、アルジュノの苦行所ミントロゴ洞穴に向かう。バゴンはブスットと会い、スマルはどこへ行ったのか尋ねる。ブスットはスマルがアルジュノを探しに行ってしまったので、はっきり答えることができない。アルジュノはまだ苦行所にいるからである。バゴンは苦行中のアルジュノの様子を見て、アルジュノは身体だけ残していることを知る。
 バゴンはブスットに、長い間ドゥスン・カランクルタ Dusun Kawangklethak に残っている母、デウィ・ムレグの元へ帰るよう命じ、バゴンはブスットに代ってアルジュノの身体を見守る。
 バゴンは空っぽになったアルジュノの身体がだんだん悪くなっていることに気付く。すぐさまバゴンは、アルジュノの身体が傷まないように身体の主権をとる。バゴンはスマルから与えられたマントラを唱え、魂を飛ばしてアルジュノの身体に入る。ブガワン・カピウォロとバゴンの入ったアルジュノの身体はアマルトへ向かう。
 アルジュノを探すスマルはクタルング Kutharunggu 山に至る。クタルングの門(Plawangan )に着くと、身体を出て瞑想するクレスノに会う。スマルは、空っぽになったクレスノの身体がすぐに傷んでしまうと怒る。スマルは傷まないようにと、クレスノの身体に入る。かくてスマルの入ったクレスノの身体はアマルトへ出立する。

場面
 ある所でスクモ・クレスノ(クレスノの魂)はスクモ・ラングン Sukma Langgeng (アルジュノの魂)と出会う。スクモ・ウィチョロ(クレスノの魂)はスクモ・ラングンに、身体を長い間空けて、どこへ行くのかと問う。スクモ・ラングンは、消えてしまったスンジョト(武器)、スムピン・ソレンパティ Sumping Sorengpati とスムピン・ジョヨムルヨ Jayamulya を探すためにカヤンガン・ランギット・インテン Kayangan Langit Inten へ行って来たばかりだと明かす。クレスノもプソコ(伝来の宝)、スムピン・スカル・ウィジョヨ・クスモ Sumping Sekar Wujaya Kusuma (ウィジョヨクスモ=月下美人の花)が無くなったと明かした。彼らがプソコを探す理由は、各々の手にプソコがあれば、ワフユを見出せるからである。
 二人はまだ無くしたプソコを見つけ出せずにいた。彼らは各々の身体に「帰る」ことで合意した。ふたりの魂は、身体に入ろうとして驚いた。クレスノとアルジュノの身体はもうそれぞれの所になかったのである。彼らはアマルトへ身体を探しに行くことにした。

ジェジェル・アマルト:パテット9

 アルジュノを除くパンダワ一族が、アマルトに集まっている。ウルクドロはアルジュノが王国をほったらかして苦行に行っていることを怒っている。

プラン・ブルブ:パテット9

 プラブ・トゥジョクスモとパティ・ジョヨワセソがアマルトへやって来て騒動を起こす。ガトコチョが二人のテロリストに対峙するよう命じられる。ガトコチョはパティ・ジョヨワセソを相手に戦うが敗れる。ガトコチョはビモに、自身の敗北を報告する。ウルクドロはすぐさまジョヨワセソに対する。
 ウルクドロとジョヨワセソの戦いが続く間に、アノマンと「アルジュノの身体」がやって来る。それから「クレスノの身体」も。「クレスノの身体」は「アルジュノの身体」と会い、二人が実はスマルとバゴンであることに気付く。
 スクモ・ラングンとスクモ・クレスノは、身体に誰かが入っていることを知る。クレスノが他の身体を探すと、スマルとバゴンの身体が見つかる。スクモ・ウィチョロ(クレスノの魂)はスマルの身体に入り、スクモ・ラングン(アルジュノの魂)はバゴンの身体に入る。ふたりはデウィ・ムレグとブスットに、スマルとバゴンがどこへ行ったのか聞く。ブスットは、スマルはアルジュノを探しに行き、バゴンはブスットと交代して苦行するアルジュノを見守っていると答える。「スマル(クレスノ)」と「バゴン(アルジュノ)」、デウィ・ムレグ、ブスットは一緒にクレスノとアルジュノの身体を探しに行く。

ジェジェル・パッテット・スラン

 スマル(クレスノ)とバゴン(アルジュノ)、デウィ・ムレグ、ブスットは「クレスノ(スマル)」と「アルジュノ(バゴン)」に出会い、それぞれの魂を交換して元の身体に戻る。
 クレスノとアルジュノはスマルに、プソコ・スムピンを無くしてまだ見つけられないことを話す。アルジュノは謙虚に、スマルに失ったプソコ・スムピンを見つけてくれるよう、お願いする。スマルは喜んで手助けしてくれることとなった。そして、彼らにウルクドロとジョヨワセソの戦っているところへ行くようにと言った。

プラン・バダル (Badhar=解除・発見)

 ウルクドロとジョヨワセソの戦いは激しく続いたが、ついにウルクドロはジョヨワセソに敗れた。アルジュノが到来し、パティ・ジョワセソに対峙した。ジョヨワセソは敗れ、姿が消えると、スムピン・ジョヨムルヨとスムピン・ソレンパティに変わった。所変わって、クレスノは、プラブ・トゥジョクスモを倒した。するとトゥジョクスモはスムピン・スカル・ウィジョヨクスモに変わった。
 スムピン・ジョヨムルヨとスムピン・ソレンパティはアルジュノの身体に入り、スムピン・スカル・ウィジョヨクスモはクレスノの身体に入った。神々が到来し、クレスノとアルジュノにワフユを授けた。クレスノはワフユ・プルボニングラト Wahyu Prbaningrat を、アルジュノはワフユ・スカルニングラトWahyu Aekarningrat を獲得した。

ジェジェル・パムンカス Pamungkas=終了

 ウルクドロ、アルジュノそしてクレスノは会して、ワフユ獲得の出来事を話した。彼らはアマルトでパンダワ一族と合流した。

タンチュプ・カヨン
(つづく)
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by gatotkaca | 2012-02-25 04:40 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

東部ジャワ・スタイルのワヤンにおけるスマル、バゴン その4

概略
1. サン・ヒャン・ソムボがプラブ・ジョマクジュジョとの戦いに臨む。
2. サン・ヒャン・ポンガトとサン・ヒャン・ウマルドもプラブ・ジョマクジュジョとの戦いに臨む
3. サン・ヒャン・ウマルドがサン・ヒャン・ソムボに女と間違えられる
4. サン・ヒャン・ウマルドが女となる
5. サン・ヒャン・ソムボの「精液」が30人の神の群れとなる
6. サン・ヒャン・プグがグヌン・ククサンを呑込む→トゴとなる
7. サン・ヒャン・プングンがグヌン・ウンカルを呑込む→スマルとなる
8. サン・ヒャン・ポンガトが押し縮められ、サン・ヒャン・ナロドとなる
9. スラロコはカヤンガン・スロロヨ宮殿となる

 この物語では、最初にスマルは、バトロ・グルとトゴとの三人兄弟であるが、地位と機能をそれぞれ違えることとなる。スマルは正なるクサトリアの保護者、随伴者となる。トゴは負なる性質の人物の保護者、随伴者となる。バトロ・グルはカヤンガン・スロロヨの支配者となる。
 人間界にそれぞれの仕事と役割を持って降り、スマルは自身の影から仲間をつくり、それはバゴンと名付けられる。一方トゴは、自分の力で仲間をつくり、それはビルンと名付けられる。物語の展開の中で、スマルに関する出来事として特筆すべきものがある。サン・ヒヤン・トゥンガルからスマルに与えられた武器が、バゴンに奪われ、彼らが引っ張り合うと形が変わる。その武器は人間となり、ソロゴンジョと呼ばれる。続いてスマルは屁(Kentut )を発する。バゴンがそれを嗅ぐと、屁は彼の行く所何処へでも付いて来る。バゴンにまとわりつく屁は最後には女の姿となり、デウィ・ムレグ Muleg と名付けられる。デウィ・ムレグはバゴンの妻として縁組みする。さらに、バゴンはスマルの糞(tinja)を踏む。踏まれた糞は人間となり、バゴンに付き従い、ブスット Besut と名付けられる。ブスットは最終的にはバゴンの子どもとして認知される。
 これらの出来事でスマルは、バゴン、ソロゴンジョ、デウィ・ムレグ、そしてブスットを仲間とする。彼らは後に「ポノカワン」と呼ばれる。東部ジャワのダラン界における「ポノカワン」という言葉の意味は、「ポノ」なる「カワン」、つまり完全なる知を有する仲間となり、彼らの経験と知識は、彼らが付き従い、守り、監視する人物たちにとって非常に有用となる。
 別の所では、トゴとビルンが「トゥダ・トゥルニン・ブラハム tedhak turuning Braham(強欲なる子孫たち)〈訳注:この語は、原文中BrahmaとBrahamが混在している。Brahma=ブラフマンの方が正しいと思われるが、ここでは原文表記のままとする〉、つまり負の特性を持つ、悪しき人物たちの守り手という役割を担う。トゴとビルンは、幅広い完全なる知識を有する召使いであり、その機能は、彼らが仕える人物たちが敵対する人物たちに対して、行動、あるいは画策を謀るときには、その情報源ともなる。召使いとしての地位においてトゴとビルンは、つねに主人に対し悪行を行わぬよう、正なる方向を示し、助言を与えるが、多くの場合その助言は功を奏することはない。他の物語では、トゴとビルンは「アルンコ」の子孫(この文脈においてはアルンコは、ラマヤナにおけるロモの子孫の敵対者である)たちの従者であり、このヴァージョン(シドアルジョの伝統)はラマヤナに続く叙事詩マハバラタにも見られる。この物語、シドアルジョとモジョケルトのダラン界の伝承のヴァージョンでは、しばしばクレスノの忠実な召し使いとして、強欲なる者と戦う、アノマンが現れる。このアノマンの役割と機能は、以下のように説明できるだろう。クレスノはロモの継承者と看做され、アノマンはつねに、アノマンによって山に押しつぶされたが、まだ生きているドソムコの子孫たちの攻撃の脅威を見張っているのである。
 これまでの説明に基づいてスマルとトゴの比較を示すと次のようになるであろう。
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 上記大系は、マルチョポド、人間界へ降りた時の、スマルとトゴの役割分担を簡素化したものであり、世界は正と負で説明される。スマル側は、内部的には彼自身の親族から構成され、具体的な人物は、バゴン、ソロゴンジョ、デウィ・ムレグ、そしてブスットとなる。トゴ側はビルンの他には増えた者はいない。というわけで、ラコン上演において活躍するポノカワンの人物たちは、スマル、バゴン、ブスット、そしてトゴ、ビルンとなる。ブスットはしばしば補完的人物としてスマル、バゴンの仲間として活躍する。

2 ラコン上演におけるスマルの役割と機能

a. ラコン上演の構造におけるスマル
 東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリ上演の構造は、一般的には以下のようなものである。
1. グンディン・ギロ Gendhing Giro(グンディン・スグ・タム Suguh Tamu )
2. タリ・グルモ Tari Ngrema(グロ・プトロ Ngrema Putra =男踊りとグロ・プトリ Putri=女踊り)
3. アヤ・スプル Ayak Sepuluh
4. パングンガン Panggungan(ワヤン上演)
 a. ジェジェル JejerⅠ:パテット・スプル Sepuluh (10)(王の謁見所の場)
 b. ブババラン Bubabaran (王宮前広場の場)
 c. リムブアン Rimbukan (リムブの場=後宮の場)
 d. プラン・ガガル Perang Gagal :パテット・ウォルWolu(8)(小競り合いの場)
 e. ゴロ・ゴロ:パテット・ウォルからパテット・ソゴ Sanga(9)
 f. ジェジェルⅡ:パテット・ソゴ
 g. プラン・ブルブ Perang Brubuh:パテット・スラン Serang (最後の戦いの場)
 h. ジェジェルⅢ
 i. タンチュプ・カヨン Tancep Kayon(終演)

 1、2、3、4の要素は、東部ジャワの伝統でのワヤン・クリ(ワヤン・プルウォ)のひとつの上演では一かたまりに連続している。上演の次第は、一つの屋根(テロプ terop )の下にある幕(クリル Kelir )が建てられ、そこにワヤンが一列に並べられ、クリルの前にワヤンの箱(コタク kotak)とスレンドロ音階のガムラン・セットが広げられる。続いて上演準備の合間にタリ・グルモ〈踊りの一種〉が行われる(上演場所となる庭の広さに応じて、ガムランの前方、あるいは左右どちらかで行われる)。上演の表と裏には外からの一般観客の見物場がおかれる。
 ラコン上演の最重要な場としてのクリル(幕)の構造は、一般のワヤン・クリ上演と同様で、クリルの左右にワヤン人形が並べられ、中央の白く空いた所がラコン上演の舞台となる。左右に並んだワヤン人形の構成で、中部ジャワと東部ジャワの伝統での相違点は、特に東部ジャワの伝統では、バナナの幹のグドボに立てられたワヤン人形たちの上に、とりわけ目立つようにバトロ・グルとブタリ・ドゥルゴの人形が配置されることである。その他に特筆すべきは、上演開始前にグヌンガンの間に、スマルとバゴンがクリル中央に向かい合って立てられることである。スマルの位置はダラン側のクリルから見て左、バゴンは右である。この配置はクリルの裏の観客から見れば、スマルは右、バゴンは左となる。
 スマルとバゴンは本質的にはひとつのものであり、東部ジャワのワヤン・クリ上演においては重要な役割を担う。バゴンが、歴史的(物語的)にはスマルの影から生まれたことは、人生における人間の共同体と神の共同体との象徴として解釈することができる。スマルは、クサトリア・カスタパン(苦行者的クサトリア)つまり苦行にいそしみ、人徳を有し、健全な精神と肉体を持つクサトリアたちの従者、守護者、師としての役割を持つ。それゆえスマルとバゴンは人間の人生(の象徴)たるラコン上演の開始と終演に象徴的に現れるのである。ラコンは人間世界(マルチョポド)の人生であり、またカヤンガン(天界)との関係を確立する神話的表出でもある。スマルの地位は各ラコンでの役割と人物たちの関係性を、その機能の中でより鮮明にしていくのである。同時にスマルは、彼の付き従う人物たちにとって、肥沃と超能力の象徴でもあり、ゆえにスマル自身の身体からバゴン、デウィ・ムレグ、そしてブスットを生み出し、スマルの超能力の顕現として武器を命あるものに変換してソロゴンジョを生み出した。
 東部ジャワのワヤン・クリ上演の構造は、マルチョポドにおける全世界の神話的レベルの出来事の投影である。それは世界のカオス(混沌)状態を表すと考えられるグンディン・ギロ 、またグンディン・スグで表現される。人々はぶらぶらして、挨拶を交わし、まだイベントの雰囲気はもりあがっておらず、雑然としている。それからタリ・グルモ・プトロとプトリが続き、生命の誕生と生命が溢れて行く過程が表現され、その後、人間の誕生を伴う宇宙の秩序がわき上がって来る。生ある人間はラコンの生命をそれぞれに受け取らねばならない。ラコンの命はダイナミックで、関係性、相互関係性に満ち、そこからさまざまなロマンティックなニュアンスが生まれる。そうしてラコンの命を受け取る時、連れ添ってくれる者が必要となる。それは師の資質を持つ者であり、いつもそばにいて、人生を肯定する内面的強さを与えてくれる者である。スマルはこの機能においてラコンの物語を説明する。スマルの別名、スマル・バドロノヨ Semar Badranaya は、暗闇に朧げに見えるもの、あるいは満月のような姿の光を意味する。またボゴサムピル Bagasampir という別名もある。ボゴとはカウィKawi(古代ジャワ語)で「子宮」を意味し、サムピルはスレンダン selendang(型掛けの細長い布)を意味する。しかしダラン界ではサムピルの語は、リンガ lingga(男根)の機能を意味し、ボゴはヨニYoni(女性器)を意味する。古代ジャワ語において、バガ(ボゴ Baga )の語はバーガヴィシャヤ Bhagawisaya 、つまりヨニと関係する。一方、バーガ bhaga は「女性器」を意味する。この語の意味から、スマルは『慈悲 kerahiman 』〈訳注:原文 kerahiman 、文脈的に飛躍があるように思われる。klelamin (生殖)の誤植の可能性も考え得るか?〉の象徴であると解釈できる。生命、人生、生物を形成する中心、生命を維持する機能を持つところ、マルチョポドにおける人間の生に伴い、それを構築するところである。
 生命の豊穣と増加を表現するタリ・グロモは、タユブ Tayub またタンダ Tandhak 藝術の形成と関連する。一般的には、東部ジャワ社会の共同体の祝賀の集まりにおける、ワヤンの催しは夕方前から始まり、始まりの合図 (タンダカン tandhakan )としてのプログラム、タリ・タユブ Tayub が始まる。これは地域のリーダーや特別ゲストも参加して踊られ、椰子酒トゥアク tuak を飲んで盛り上がる。タンダカンの雰囲気は、豊穣の儀式における男女のロマンチックな交わりの象徴である。またタリ・グロモ・プトラとタリ・グロモ・プトリは、ラコンの核に表される神話的生のモデルを形成する豊穣の儀式を表現して象徴性をより滑らかに浸透させる。その後のラコン上演の文脈において、スマルとバゴンは人間の師として、マルチョポド世界のシムボルとしてのクリルを守る
り、英知と英知の働きを人生に受け入れさせるのである。そして語り部として、スマルとバゴンならびに他のポノカワンたちはラコンの中に生きて、人生における紛争の表出を彩るジェジェルⅠとジェジェルⅡの間の、ゴロゴロの時に現れる。ジェジェルⅠの中で起こる紛争は、ある王国に客が到来したときに初めて現れ、問題はプラン・ガガルの場面で表面化する。それから問題はゴロゴロを挿んで、その後紛争はジェジェルⅡでさらに発展し、続くプラン・ブルブで頂点に達すると同時に収束する。
(つづく)
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by gatotkaca | 2012-02-24 07:12 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

東部ジャワ・スタイルのワヤンにおけるスマル、バゴン その3

論説
1. スマルとバゴンの物語


 ジャワで流通するスマルの出自に関する神話では、スマルは神であり、同腹の兄弟にトゴとバトロ・グルを持つ。中部ジャワ版の物語では、彼らはひとつの卵から三つに分かれた。卵の黄身はバトロ・グルに、白身がスマルに、そして殻はトゴになった。バタック・トバでは、彼らはウラムブジャティ・ナボロン Hulambujati Nabolon という鳥から生まれた三つの卵から生まれた。東部ジャワのダラン界の伝統ではどうか?その物語は大いに異なる。東部ジャワ(スラバヤ、グルシク、シドアルジョ、モジョケルト、ラモンガン、そしてパスルアン)とマランガンの伝統的物語では、卵の話が大きく違う。下記に簡略化したスマルと兄弟たちの物語を記す。

ジェジェル・カヤンガン・プスポ・インテン
Ⅰ. カヤンガン・プスポ・インテン Puspa Inten の会議の場

 サン・ヒャン・トゥンガル Tunggal は息子たちに対峙している。息子たちはサン・ヒャン・プグ Puguh、サン・ヒャン・プングン Punggung 、サン・ヒャン・ソムボ Sambaである。彼らは神々の場としてのカヤンガン・スロロヨの拡大計画を議論している。議論の最中に、神々の王としてスロロヨを支配したい望むジャバルカト国のジンの王、プラブ・ジョマクジュジョJomakjujo が現れる。
 サン・ヒャン・トゥンガルは息子たちに、プラブ・ジョマクジュジョを撃退し得た者は誰であろうと神々の王に挙げられる、と告げる。サン・ヒャン・プグとサン・ヒャン・プングンは臆したが、サン・ヒャン・ソムボはプラブ・ジョマクジュジョ撃退を承諾し、出発した。
 そこへカヤンガン・ジャガト・スニャ・ルティ Jagay Sunya Ruri からサン・ヒャン・バニジャン Banijan (サン・ヒャン・ジャン・バニジャン Jan Banijan )の二人の息子、サン・ヒャン・ポンガト Pongat とサン・ヒャン・ウマルド Umarda が到来した。サン・ヒャン・ポンガトとサン・ヒャン・ウマルドはサン・ヒャントゥンガルに、彼らが神々の王になる許しを得て、プラブ・ジョマクジュジョ討伐を承知した。サン・ヒャン・トゥンガルは約束し、彼らは出発した。

宮廷の場
Ⅱ. 屋外会議

 サン・ヒャン・ポンガトとサン・ヒャン・ウマルドはその時プラブ・ジョマクジュジョの休んでいる所へ向かった。カヤンガン・プスポ・インテンから降りているサン・ヒャン・ソムボは、サン・ヒャン・プグとサン・ヒャン・プングンに、超能力のプラブ・ジョマクジュジョを攻め、投獄するつもりであることを盗み聞きされる。彼ら争論は戦いへと発展し、サン・ヒャン・プグとサン・ヒャン・プングンは敗れた。サン・ヒャン・ソムボはすぐさまプラブ・ジョマクジュジョのいる所へ向かった。アルン・アルン・ルパット・クパネサン Alun-alun Repat Keoanesan (神々の所有する広場)に着くと、サン・ヒャン・ソムボは女のような姿のサン・ヒャン・ウマルドを見た(そして恋に落ちた)。サン・ヒャン・ウマルドはプラブ・ジョマクジュジョに掴まれ、投げられて、サン・ヒャン・ソムボの前にどたんと落ちた。
 サン・ヒャン・ウマルドはサン・ヒャン・ソムボに掴まれ、愛撫され、キスされた。彼はサン・ヒャン・ウマルドと結婚したいと考えていたのである。サン・ヒャン・ウマルドは断った。サン・ヒャン・ソムボを恐れて、サン・ヒャン・ウマルドは逃げ去った。サン・ヒャン・ソムボはサン・ヒャン・ウマルドを追い続けた。グヌン・グニまで、それから他の山々まで……。着物の裾がはだけ、ふくらはぎがさらけ出された。サン・ヒャン・ソムボは『精液』を所かまわず垂れ流し、山々の頂きにまで流れた。垂れ流された精液に、宇宙の光 Sinar jagat が降り注ぎ、かくてサン・ヒャン・チャロコ Caraka(サン・ヒャン・ジャン・バヌジャン)の言葉で三十人の神となった……。
 サン・ヒャン・ソムボの願いが語られる。それは四つの腕を持つことであった。サン・ヒャン・ウマルドは追いつかれ、その性器は押しつぶされ、雲の尻尾のようになる。性器は押しつぶされ粉々となり、血がほとばしる。サン・ヒャン・ウマルドは泣き叫ぶ。サン・ヒャン・ソムボは血で喉仏を詰まらせ、さらに血は胸が腫れるほど溜まって、乳房となった。さらに薬指で引っ掻かれ、血がまた降り注いだ。そして喉仏にかたまったのである。
 話を聞いたサン・ヒャン・トゥンガルがやって来てサン・ヒャン・ソムボを叱りつけ、サン・ヒャン・ウマルドは慈悲を受けた。そしてサン・ヒャン・ウマルドは女になるよう告げられた。サ・ヒャン・トゥンガルはサン・ヒャン・ソムボに怒った。サン・ヒャン・ソムボはただちにプラブ・ジョマクジュジョとの戦いに赴いた。サン・ヒャンン・ソムボは敗れた。かくてサン・ヒャン・トゥンガルは、プラブ・ジョマクジュジョが動けないように、椰子の木の太さの鉄の格子を作った。プラブ・ジョマクジュジョは鉄格子を齧り髪の毛ほどの細さにしてしまった。しかし、雄鶏の無く声が聞こえると、鉄格子はまた椰子の木の太さに戻った。それからプラブ・ジョマジュジョと鉄格子はサン・ヒャン・トゥンガルにはじき飛ばされ、西の地へ放り出された。
 話を聞いたサン・ヒャン・プグとサン・ヒャン・プングンは喜ばなかった。というのも、サン・ヒャン・ソムボがプラブ・ジョマクジュジョを倒した者として神々の王とされたからである。倒したのはサン・ヒャン・ソムボではなく、サン・ヒャン・トゥンガルであるのに。サン・ヒャン・トゥンガルはサン・ヒャン・プグに霊峰グヌン・ククサン Gunung Kukusan を呑込むよう、命じた。サン・ヒャン・プグは呑込み事が出来ず、口が裂け、歯は一本を残して抜け落ちた。そしてトゴとなったのである。
 サン・ヒャン・プングンは霊峰グヌン・ウンカル Gunung Ungkal を呑込むよう命じられたが、呑込み事が出来ず、ついに口が裂け、歯は一本を残して抜け落ちた。そしてスマルとなったのである。
 トゴはグラガ・アヤンガン Glagah Ayangan へ送られ、ブラフマ Brahma の子孫たち(アンカラ=強欲の子孫)の導き手となった。トゴはマルチョポド Marcapada (地上)へ降りようとしたが、仲間を欲しがった。サン・ヒャン・トゥンガルは、トゴにグヌン・ククサンのちぎったひと固まりで作るよう命じ、それがビルン Bilung(トゴの仲間)となった。かくて彼らは一緒に降りて行ったのである。
 スマルはサン・ヒャン・トゥンガルにクリン Keling へ行き、パングルワタン Pangruwatan の子孫たちを導くよう命じられた。スマルは仲間を与えられるよう乞うた。自分自身の影をとるよう命じられ、かくてスマルの影がバゴンとなった。彼らはひとつの武器を与えられた。しかし、二人はその武器をめぐって争い、引っ張られてそれは人間となり、ソロゴンジョ Sorogonjo と名付けられ、スマルの仲間となった。
 兄弟が女にされたと聞いたサン・ヒャン・ポンガットは納得しなかった。かくてサン・ヒャン・ソムボと戦いとなった。サン・ヒャン・ポンガトの身体はサン・ヒャン・ソムボの力で押しつぶされて縮まり、その顔は醜く変わり、彼はナロド Narodo と名付けられた。それからカヤンガン・スロロヨはサン・ヒャン・トゥンガルの命令で、完璧な宮廷にされ、テジョモヨ Tejamaya と呼ばれた。サン・ヒャン・ソムボは神々の王に推挙され、ラトゥニン・ラト・ニョウォ・スカリル・ヨ・サン・ヒャン・プラメスティ・ブトロ・グル Ratuning Rat Nyawa Sekalir ya Sang Hiyang Pramesth Bathara Guru と称した。
 続いてサン・ヒャン・ソムボがサン・ヒャン・ウマルドを追いかけた時の三十人の神々、サン・ヒャン・ソムボの息子たちがやって来た。息子たちにはドゥランドロ Durandara の戦士(神の戦士)として住処が与えられた。
 ブトロ・ナロドはスロロヨの通訳 juru bicara となり、ブトロ・グルにサン・ヒャン・ウェナンから、卵が与えられた。それらはブトロ・グルの祈りで三人の息子に変わった。(1)ひとりの男の子はバトロ・バスキ Basuki と名付けられた。(2)男の子のひとりは、バトロ・ウィスヌ Wisnu と名付けられた。(3)ひとりの女の子はデウィ・スリ Sri(ブタリ・ウィドワティ)と名付けられた(キ・ダラン・スルウェディによる。Depaikbud Dirjen Kebudayaan, Taman Budaya Jawa Timurから出版。『東部ジャワ・スタイルのダラン用ラコンの書 Penulisan Lakon Pedalangan Gaya Jawa Timur』から)。
 キ・スルウェディ版のあらすじから見て取れるのは、東部ジャワの伝統における独自の神、女神たちの創造である。スマルはサン・ヒャン・プングン、トゴはサン・ヒャン・プグ、トゴの仲間のビルンは、トゴの力でグヌン・ククサンの一塊からつくられる。いっぽう、スマルの仲間のバゴンはスマル自身の影からつくられる。
 サン・ヒャン・ソムボ神は最後に、クラトン・テジョモヨと名付けられたカヤンガン・スロロヨの王となり、サン・ヒャン・ソムボの名はサン・ヒャン・プラメスティ・バトロ・グルとなる。また、サン・ヒャン・ポンガトはサン・ヒャン・ソムボによって醜い姿に変えられ、バトロ・ナロドになる。バトロ・ナロドは最後にスロロヨの通訳となる。バトロ・グルはサン・ヒャン・ウェナンから与えれた卵でさらに神をつくる。卵から生まれたのは、バトロ・バスキ、バトロ・ウィスヌ、そしてデウィ・スリの三人の神、女神である。
 スロロヨに起こった物語で他に重要な出来事は、バトロ・コロという名のラクササの誕生である。バトロ・コロは、サン・バトロ・グルがバタリ・ウマイ(サン・ヒャン・ウマルドの変身)対して欲情した時に漏らした精液から生まれた。この怪物はのちに、バトロ・グルとデウィ・ウマイによって定められた幾つかのカテゴリーの人間を食料とするという、彼自身に関するラコンのもととなる。
 以下に先の物語に基づいた人物たちの系図と出生地を示す。

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(つづく)
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by gatotkaca | 2012-02-23 00:16 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

東部ジャワ・スタイルのワヤンにおけるスマル、バゴン その2

論理的基盤

 調査は地域のデータを収集し整理するための機材を準備してなされた現地調査に基づいている。さらに現地データとデータ整理の成果は、東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリの諸演目に一貫する人物の設定と機能を見るために物語構造の研究に基づき質の高い分析がなされるであろう。演目の構造と物語の話素の様態の分析は、幾層もの事件と多面的時空に位置する人物の造形、諸演目の話素の編成と東部ジャワに参照される文化コードとの関係を理解する取り組みとなる。
 物語、この研究においてはラコンを理解するために、またラコンから理解を授けられ、楽しみを得るために(マーティン Martin 1986,29)。さらに、あるラコンの物語を享受する過程において、ラコンの享受者は、それぞれの共同体の文化の文脈を背景とした理解が当然であるということが明らかになる。歴史的な共同体の変動はラコンの重要な解釈に影響していると思われるが、ラコンの変動の歴史は社会・政治の歴史に編み込まれない別の発展をしてきた。さらにマーティンは物語の理論から歴史描写の統括がどのようになされるかを図式して以下のように示した(1986)。
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  人物と機能の観点を扱う物語研究は、プロップ Propp の説話研究に始まり、ローランド・バルテス Roland Barthes による総体的テーマレベルでの人物の役割と行動、関係性の考察よっても確認されている(マーティン、1986)。ワヤンの演目の中に見られるスマルの役割と機能の研究においては、物語のテキストが、コミュニケーションテキストを形成するという見解が、十分に有用な物語の基本理論である。コミュニケーションのモデルとしてのテキスト考察は、ウェイン・ブース Wayne Booth の『説話の修辞学 Rhetoric of Fiction 』で、バクティン Bakhtin が先駆者として認められている(マーティン、1986、29)。コミュニケーション・モデルにおいて、話者の役割は二つに分けられる。真の話者と見かけ上の話者である(テキスト内では異なる)。二者は話者と類似した、つまり明白な観衆と見かけ上の観衆からなる、観衆(読者、視聴者)に対峙する(マーティン。1986、29、参照)。このようにして東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリにおけるスマルとバゴンの役割と機能を考察するこの取り組みでは、ラコンの構造とその内部における人物間の関係性の様態を見る必要があるだろう。

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-02-22 06:07 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

東部ジャワ・スタイルのワヤンにおけるスマル、バゴン その1

 これは、本格的な論文。東部ジャワのワヤン・クリに関しては知識が無かったので、読んでます。
こちらからダウンロードできます。おもしろいですが、やや難しいので、のんびり訳していきます。

PERAN DAN FUNGSI TOKOH SEMAR-BAGONG DALAM PERGLARAN LAKON WAYANG KULIT GAYA JAWA TIMURAN
東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリの演目におけるスマル、バゴンの役割と機能(※ Dana Masyarakat(民間基金)2002での研究報告)

ウィスモ・ヌグロホ・クリスティアント・R (※Wisma Nugraha Christianto R. / Doctorandus, Magiseter Humaniora, Staf Pengajar Jurusan Sastra Daerah, Fakultas Ilumu Budaya, Universitas Gadja Mada, Yogyakarta.)

導入

 東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリは、ラマヤナやマハバラタといった叙事詩の物語である、いくつもの演目を上演する芸能のひとつであり、他の地域(中部ジャワ、特にジョクジャカルタその他の地域)のワヤン・クリ上演藝術と同様のものである。地理学的には東部ジャワのダラン界の伝統は、スラバヤ地区北周辺、シドアルジョ、グルシク、モジョケルト、カブパテン・ロモンガン地区の一部、カブパテン・パスルアン地域の一部からなる東部ジャワ州のものである。マラン地域にも、東部ジャワの伝統に類似したダランの伝統が見られ、マランの地域社会と東部ジャワ地域社会は合わせてマランガン(の伝統)と称される。
 東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリ藝術界に対して、インドネシアの文学、藝術研究者たちは無関心であった。というのも、海岸地域の藝術は、宮廷文化(ヨグヤカルタとスラカルタ)の範囲とは看做されなかったからである。東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリ藝術は、社会的、政治的、文化的側面でも、他の実際的側面からも宮廷文化の積極的介入をあまり見出せない、庶民の世界の芸能とされたのである。その成長と継承は、ダイナミクスと知識レベルで統合された伝統の保持者としての村落に担われて来た。
 東部ジャワスタイルのワヤン・クリ藝術におけるスマルは、中部ジャワやヨグヤカルタのワヤン世界と比較して、別の重要性を持つ。スマルの人物像を通して、ひとつの演目の構成の様態を理解し、演目に付与される公的な目的とコミュニケーションの供給、そして逆に、スマルを通じて演目のメッセージが公的に認識され、受容される様態を考察する。
 ジェイムス・T・シーゲル James. T. Siegel は『新体制の中のソロ Solo in New Order 』(1986)と題する著作で、社会秩序、文化、そして変動するジャワ社会の政治の研究材料としてスラカルタ・スタイルのワヤン・クリの世界を観察した。また、ワード・キーラー Ward Keeler は『ジャワの影絵芝居、ジャワ人自身 Javanese Shadow Play, Javanese Selves 』(1987)において、スラカルタとヨグヤカルタのワヤン・クリの世界がジャワの村落でワヤン・プルウォ上演の実際における解釈の様態の観察結果を示した。クララ・ファン・グルーネンディール Clara Van Groenendael も、スラカルタ地域のワヤン・クリ藝術の実態を人類学的見地から理解するために、ワヤン・クリ上演におけるダランの役割とダランの社会における日常生活を観察した。東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリの世界に対する観察は、東部ジャワのワヤン・クリ上演における規範を論説したスナルト・ティムル Soenarto Timoer の著作(1988)を通しても見ることができる。他にもウマル・カヤム Umar Kayam の『無限の白布 Kelir Tanpa Batas 』(2001)と題した本においても、一般的な東部ジャワのワヤン・クリ藝術世界の概要の様態が若干扱われている。『マランのワヤン Wayang Malangan 』(2002)と題した本でスヤント Suyanto は、東部ジャワ・スタイルの伝統の一部として、マラン地域のワヤン・クリ・クルトゥル Wayang kulit kultur の上演法のダイナミックな特性をマクロ的に探索した。上に挙げた幾つかの書から、東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリ研究は、中部ジャワの伝統的ワヤン・クリ上演藝術と同様の真摯な研究にはまだ至っていないことが分かる。
 スラバヤ、グルシク、シドアルジョ、モジョケルト、ラモンガン、そしてパスルアン周辺の市街で息づく東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリ上演は、日常のライフサイクルの中で継承され、その上演は常に祝祭儀礼と関係している。それゆえ、東部ジャワのワヤン・クリの演目上演に対する研究は、研究者がワヤン・クリ上演を伴う祝祭をコミュニティが催す時期を追跡し、注目すれば、常に開かれていると言える。
 東部ジャワ・スタイルのワヤン・クリの諸演目の上演で特徴的な目印は、シムピンガン(幕に並べられた人形/geber)の並べ方である。バトロ・グルとバタリ・ドゥルゴが、他の人形たちの上に掲げられている。ダランに対してバトロ・グルは右、バタリ・ドゥルゴは左に置かれる。幕の反対側の観客には逆に見えることになる。さらに特徴的なのは、上演の始まりと終わりの合図として、幕の中央に三枚のグヌンガンの間にスマルとバゴンが並べられることである。東部ジャワのワヤン上演のその他の特徴としては、カラウィタン(ガムラン)のグンディン(曲)がガムラン・スレンドロ(スレンドロ音階のガムラン)で構成されることもある。イラマ(調)はクチュレ Kecrek 、ドド dhodhog であり、クンダン(太鼓)がひじょうに目立ってダイナミックであり、東部ジャワのワヤン・クリ上演の曲の調性(イラマ・イリンガン)は中部ジャワやヨグヤカルタのガムランのイラマとはひじょうに異なる。
 スマルとバゴンの目立った役割を見て最初に判断できるのは、彼らが演目上演の開始と終了の合図に随伴するのは、この二人の人物が語り部として重要な役割と機能を担うことを示しているということである。この二人の人物の役割は演目の開始を知らせることにあり、さらに言えば、この二人に関する物語やその他の諸演目のおいても、スマルとバゴンの果たす役割がどのようなものであるかをしましている。
 演目上演における、スマルの役割と機能に関する研究課題は次のようなものである。
1. ポノカワンの人物たちとスマルの関係はどのようなものであるか?
2. 彼に伴う人物たちとスマルの関係はどのようなものであるか?
3. 東部ジャワのワヤン・クリ上演全体におけるスマルの役割とはどのようなものか?
 神話学的には、スマルは一般のジャワの社会生活において、重要な役割を持つと考えられている。しかし、ジャワ文化圏の各地域での、スマルとバゴンに関する受容の形態と変容はそれぞれである。
 クララ・ファン・グルーネンディール Clara Van Groenendael はインドネシアのワヤン上演に関する注釈付きの文献目録を出版し(1987a,)、ワヤン・プルウォにおけるスマルの役割に関する研究者たちの成果の幾つかを断片的に採り上げている。C・P・エプスカム Epskamp (1976)、Th・P・ガレスティン Galestin (1959)、R・A・ケルン Kern (1930)、フランツ・マグニス、スセノ Franz Magnis-Suseno (1981)、H・マインハルト Meinhard (1939)、そしてJ・J・ラス Ras (1978)などである。
 エプスカムは(グルーネンディールの著書から 、1987a)ワヤン・プルウォにおいてスマルが曖昧な役割を担うこと、つまり、大衆の一員でありながら、神秘的レベルで上級神格をも同時に持つことを明らかにしている。スマルとは、社会的レベルにおいて、大衆と権力者の仲介者としてのダランの位置に相当する人物なのである。ガレスティンは、ライデン大学の東南アジア・北アジア考古学・古代史教授の就任演説で、チャンディの浮き彫りのデータを用いて、ワヤンのポノカワンとしての図像を説明した。一方、ケルンは世界の支配権において、より有力なのは、スマルとトゴのどちらであるかという問題のみ提出した。マグニス、スセノは、討論形式でスマルにアプローチし、ジャワの知恵と倫理の問題を論じた。彼らは、スマルはジャワの倫理で中心的役割を担う。彼の行為と外観はアルス alus (滑らかさ)とカサクテン Kasakten (超越性=クサクティアン)という概念、またプリヤイ Priyayi (王統)と大衆の関係に関連を持っているからである。儀式において、スマルは豊穣のシムボルであり、それはインドの影絵におけるファリック Phallic (男根〈リンガ〉)のシムボルと同等のものである、と論じた(マインヘルト、1939『ジャワのワヤンとインドの原型 The Javanese Wajang and Its Indian Prototype 』ラスの著書から、1978)。マインヘルトの論を受けて、J・J・ラスの討論(1978)では、スマルは守護神でありグル(師)であると同時に、豊穣の神としての位置も占めると論じられた。このラスの結論は、スマルの持つさまざまな関連事項の比較に基づいている。スマル、ノロガレン、ペトルとスマルとバゴン。神格を有するものとしてのスマルの地位に関連するもの。スマルとワヤン・ゲド Gedog のポノカワン(プラソント Prasanta /ジャティ・ピトゥル Jati-Pituturとサドゥルルム Sadulurmu /ピトゥトゥル・ジャティ Pitutur Jati )との関係。スマルとガトロチョ Gatholoco との関係。そしてスマルとタユブの踊り手 Penari Tayub 、チャンタン・バルン Cantang Balung との関係などである。
 以前の研究者たちの地域調査は中部ジャワ周辺(ヨグヤ、ソロ、マニュマスとその周辺)のワヤン・プルウォに集中しているようである。そこでは、スマルにはジャワの他の種類のワヤン(ワヤン・ゲド、ベベルなど)、インドの影絵芝居やチャンディの浮き彫りに現れる、類似した役割と機能を持つ他の人物たちとの関連が見られる。そこではスマルの役割と機能が、クサトリアたちを導く人物として表されている。

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-02-21 00:35 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

『スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ上演におけるスマルの役割』その2

ワヤンの演目でのスマルの護持者としての役割

 ジャワのワヤン・クリ・プルウォで上演される殆ど全ての演目にゴロゴロの場面はある。大戦争バラタユダを扱う一連のシリーズでは、ゴロゴロは通常短くされ、観客と関わるユーモアある対話
もなくなる。これは、通常の演目とは異なる。通常の上演では、現在のゴロゴロは急速な発展を遂げており、観客との即興的対話を散りばめ、芸人を舞台にあげ、さまざまな歌を採り上げる。
 ゴロゴロに、時として観客を満足させるために一時間以上も時間をかけることもある。スマルが、主役を含む重要な役割を担う演目でも、ゴロゴロの場面は上演される。スマルを中心に採り上げる演目として、『キラット・ブウォノ』、『タリ・ロソ、ロソ・タリとタリ・ブウォノ』『ガトコチョ・スンギン』、『スマル・グガ』、『スマル・ミンタ・バグス』、『バトロ・ウィスヌ・クロモ』、『スマル・タムバ』、『マヌモヨソ・ラビ』、『パンドゥ・ラヒル』、『パンドゥ・クロモ』、『ミントロゴ』、『スマル・クニン/バドロヨノ』、『スマル・ムバングン・クランピス・イルン』、『スマル・ムバングン・カヤンガン』、『スマル・ムバラン・ジャントゥル』などがある。これら以外の演目でも、スマルは主要な役割を担うが、ユーモラスな部分に比べてポピュラーではない傾向がある。
 しばしば上演される演目での民衆に対するスマルの役割は次のように分類することができよう。(1)スマルは、マニクモヨつまりグル・デウォ、ワヤンではしばしばバトロ・グルと呼ばれる神を含む神々よりも力を持つ。スマルは見識無く、過った行為をした彼らに怒る。(2)スマルはクサトリアたちが重要なものを見失った時、方向を真直ぐに直し良い方向へ仕向けるために、高位の場としてのカラン・ケドゥムプル Karang Kedempel へ去る。そして三つ目として、スマルは召使い/師として、重要な導き手たる人物なのである。
 これに関わる演目は次のようなものである。

ラコン(演目)『キラット・ブウォノ Kilat Bhuana 』
 このラコンでは、バトロ・グル(グル・デウォ)が、アスティノ国で、キラット・ブウォノという名のパンディト(僧)となる。グル・デウォは、バラタユダを失敗させようと画策する。アスティノへ来たキラット・ブウォノはドゥルユドノと会い、パンダワを招待する。キラット・ブウォノの言うには、二つの兄弟たちの争いは、みっともない、両者は和解すべきであるというのだ。平和を達成するために、キラット・ブウォノはボゴ・サムピル Baga sampir (生贄)を捧げ、犠牲とする必要があると説く。ボゴ・サムピルとなるのは、スマルに他ならなかった。アルジュノに、スマルの犠牲を用意する役が与えられた。スマルはグル・デウォの悪意を知って怒り、イスモヨの化身たる、チャハヤ・ブウォノという美しい武将に変身した。スマル殺害は果たされず、キラット・ブウォノは正体(badar ujudnya)を表し、グル・デウォとなったが、チャハヤ・ブウォノ(スマル)に敗れた。

ラコン『ガトコチョ・スンギン Gatotkaca Sungging 』
 ラコン『ガトコチョ・スンギン』において、ブトロ・グルは、ガトコチョがカヤンガンにそっくりなプリンゴダニという国を建国したことに怒った。怒りをはらすために、グル・デウォはブガワン・ニロヤクソ Nilayaksa というラクササ姿のプンデトに変身した。グル・デウォはガトコチョを殺そうとして、マンドロ・ユド Mandala Yudha という武道会を催した。超能力のガトコチョは彼を殺しうる武器が無いことで恐れられていた。グル・デウォは、ガトコチョを助けるスマルも殺そうとした。
 戦いにおいてはほとんどのパンダワたちも彼に勝てなかった。状況は緊迫したが、幸いクレスノは何がおこったのか理解し、スマルに戦いへの参加を命じた。スマルはグル・デウォがバラタユダでコラワ側に味方しようとしていることに大いに怒り、彼と戦い勝利した。コラワに組するニロヤクソはスマル相手に戦い、スマル・バドロヨノに敗れ、ついに仮面を剥がされたグル・デウォとなった。

ラコン『タリ・ロソ、ロソ・タリとタリ・ブウォノ Tali Rasa-Rasa Tali dan Tali Buana 』
 このラコンでグル・デウォとナロドは、地上でロソ・タリとタリ・ロソという者になる。ふたりのクサトリアはサムボ Samba のように美しかった。ふたりは、アスティノ国へ向かい、レスモノワティ Lesmanawati をからかった。コラワは怒り、二人に対したが、倒すことができなかった。スンクニは、策略を用いて、アルジュノがアスティノでレスモノワティと関係したという報告をパンダワに送った。アルジュノはスンクニの報告を聞き、それがスンクニによるものであるから、知らぬふりしていた。スマルはアルジュノにクサトリアの使命を認識させようとしたが、スマルはアルジュノによってガレン、ペトルと共に追放されてしまった。
 ある洞穴で、ガレンとペトルはグル・デウォとナロドの衣類を見つけた。ガレンとペトルは、神に変装した。スマルはふたりの神の服を見て(真相に)気付き、美しい武将、タリ・ブウォノに変身した。タリ・ブウォノは懸命に(ngrame)苦行し、困窮にある者への助けを求めた。己の過ちを感じたアルジュノだったが、ロソ・タリとタリ・ロソを撃退することはできなかった。二人は、スマルが変じたタリ・ブウォノに敗れ、グル・デウォとナロドの正体を現した。過ちを認めたグル・デウォはスマルに謝罪し、二人はカヤンガンへ帰るよう命じられた。天界に戻ったグル・デウォは驚いた。というのも、すでに偽のグル・デウォとナロドがいたからである。スマルの助けで、二人の神は敗れ、ガレンとペトルの正体を現した。

ラコン『マクト・ロモ Mahuta Rama 』
 このラコンでは、ブトロ・グルはアルジュノを殺そうとする。ブトロ・グルは、ブガワン・キソウォデシから、アルジュノにワフユ・マクト・ロモ(ロモの王位の天啓)が降りることを妨害しようとする。このブトロ・グルの善からぬ企みはスマルの知るところとなり、ブトロ・グルは叱責され、敗れる。

『スマル・ミンタ・バグス』
 この物語で、スマルはアマルト国を去る。アルジュノによって軽んじられ、侮蔑されたからである。アルジュノは無謀にも彼の訪問に唾したのである。アルジュノはその行為がスマルの心を傷つけるとは自覚していなかった。
 なんと、傷心したことであろう。スマルは、親として幼少からアルジュノを育て上げ、不足のないサトリヨとなれるように導いて来た。それが今や価値の無い奴隷として扱われたのだ。スマルはすぐさまサプトアルゴのブガワン・アビヨソに不満をぶちまけた。ブガワン・アビヨソも悲しみ、アルジュノの過ちを許してくれるよう頼んでみた。スマルはまだ屈辱を感じたままで、彼がクサトリアたちを超える力を持つことを証明し返そうと望んだ。アビヨソはスマルがアマルト国から出奔することを恐れていた。スマルの導き無しでは、アマルト国は崩壊してしまうからである。スマルの出発を止めようとするアビヨソの努力は不成功に終わった。
 怒りに満ちたスマルは、直ちにかやんがんへ向かい、地上で経験した運命に不服を申し立てた。スマルは昔のように立派な姿に戻してほしいと、グル・デウォに訴えた。グルや他の神々はスマルの心を目覚めさせることが出来なかった。無理も無いことだったからである。それ故、スマルの心を満足させようにも、一時しのぎにしかならなかった。
 スマルはかくて美しく、立派な武将に変身し、バムバン・デウォ・ルノロと名乗った。一方、息子のバゴンはバムバン・ルンコロとなった。バムバン・デウォ・ルノロとバムバン・ルンコロはすぐさま地上に戻り、プラブ・スティヨウィジョヨを征服してプダ・セテグル国の王となり、プラブ・スティヨウィジョヨと宰相のドソポドに、スラット・ジマット・カリモソドを盗むように命じた。
 その超能力で、パティ・ドソポドはスリ・クレスノに変身してジマット・カリモソドを盗むことに成功した。しかしその詐術はスリ・クレスノの知るところとなった。スリ・クレスノに教えられて、パンダワたちはプダ・セテゲル国へ向かい、スマル自身に他ならない、バムバン・デウォ・ルロノに対面し、ジマット・カリモソドの返還を願った。
 バムバン・デウォ・ルノロはスマルに戻り、喜んでジマット・カリモソドをパンダワたちに返した。パンダワたちは、スマルの庇護がなければアマルト国が崩壊するであろうことを自覚した。

『スマル・ポポ』
 演目『スマル・ポポ』で、アビマニュは偽のアビヨソから、アマルト国が災厄(マラ・プタカ)から免れるため、スマルを殺すよう命じられる。パンダワたちはアビヨソの命令を聞き、困惑し悲しんだ。そうするしか選択の余地がないからである。命令はオンコウィジョヨ(アビマニュ)によって実行されることとなった。
 オンコウィジョヨは自身の師を殺すことを悲しんだ。スマルは神の化身であり、スマルはサン・ヒワン・イスモヨである。スマルはすべてのことに迷いも疑いも持たなかった。涼しげに笑ってスマルはオンコウィジョヨに、自身を焼いて殺すように、と命じた。
 スマルを焼くと同時に、パンダワはサプト・アルゴの祀堂がセトロゴンドマイトのラクササたちに破壊されたという知らせを受けた。パンダワたちは直ちにサプトアルゴを救うために赴いた。パンダワの武将は全員失敗した。勇猛で知られるビモは、ラクササ・シルマン(目に見えないラクササ=セトロゴンドマイトのラクササ)のコロ・ジョロメアとジュルメアの変身したチャントリック(僧の従者)と戦い、敗れた。ビモは泥の沼に投げ込まれ、溺れかけた。ビモはうめき声を上げた。スマルの超能力がビモを死の淵から救った。その時、サプトアルゴから駆けつけたパンダワたちも、ビモを助けたスマルと出会った。彼らは、スマルがまだ生きていたことをひじょうに喜んだ。スマルはパンダワの武将たちと共に、サプトアルゴをラクササ・シルマンから解放するために向かった。
 スマルの助けでシルマンたちは敗れた。アビヨソの偽者はスマルに敗れ、正体を現し、ドゥルゴとなった。にせのブガワンの正体はドゥルゴだったのである。この演目の一連の物語は、クサトリアたちに警告と注意を思い起こさせる。召使いでありながら師であるスマルは、クサトリアに必須の知恵と英知を持っているのである。

演目『スマル・ムングガ』
 アスティノ国は、ルシ・ウィスノとデウォ・ウィスノという貪欲な二人の支配者の到来で混乱した。スマルはカラン・クドゥペウルへ去り、パンダワの武将たちは不安をおぼえていた。スマルはカヤンガンへ赴き、サンヒワン・ウェナンに訴えた。無謀にもアスティノに害を為すのは何者なのか、と。サンヒワン・ウェナンは、アスティノを安寧たらしめ得る者はスマルである、と教えた。明かならぬ妨害に備えて、スマルはブガワン・モヨルントというプンデトに変身した。モヨルントは、助けを求めるクサトリアたちを救うため、激しい苦行(tapa ngrame )をしなければならなかった。
 途中で、モヨルントはアビヨソ、ガレン、ペトル、クレスノと出会った。クレスノは、災厄の中にあるパンダワたちを助けてくれるようにモヨルントに頼んだ。パンダワたちは説教を受ける前に森の中で自身の血でマンディ(沐浴)するよう命じられたのであった。マンディが終わってすぐに、ルシ・ウィスノはトゥリスロ(武器)を突き付けようとしている。トゥリスロが刺さる前に、スマルは戻り、ルシ・ウィスノとデウォ・ウィスノに挑戦した。ルシ・ウィスノは正体を現し、グル・デウォに、デウォ・ウィスノはジョロメヨになった。グル・デウォがモヨルントにトゥリスロを打ちつけると、正体が現れスマルとなった。スマルとグル・デウォの戦いはサンヒワン・ウェナンによって引き離された。グル・デウォはスマルに許しを乞うた。この演目において、スマルは正しい行為の規範となるべきグル・デウォが、ルール違反を為したことを訴えるのである。

演目『スマル・ムバラン・ジャントゥル』
 スマル・ムバラン・ジャントゥル(スマル大道芸をする)は、歌手(芸人)としてのスマルを描く。この演目の中でスマルは歌手になる。モンドロコ国のプラブ・サルヨの娘、デウィ・イロワティ Irawati がティルトカンダサン国の王、カルトピヨゴに誘拐されたのである。
 若かりしアルジュノはポノカワン、スマル、ガレン、ペトルと共に、イロワティ捜索を手助けしようとする。しかし、プラブ・サルヨによって催されたサユムボロ(花嫁獲得競技)には参加するつもりはなかった。アルジュノはバヌワティの美しさを見て、デウィ・イロワティ捜索の途中であるにもかかわらず、心を動かされ、誘惑された。アルジュノの恋煩いは、バヌワティの姉スルティカンティからバヌワティのことを教えられたからであった。彼の行動に苦しめられたスルティカンティに、アルジュノは呪いを受けた。アルジュノはあとで堪え難い空腹と喉の渇きを覚えるだろう、と。
 アルジュノが森の中で倒れた時、それがスルティカンティの呪いにようものだと解った。アルジュノの餓えを満たすため、スマル、ガレン、ペトルはウィドロカンダン村へジャントゥル/大道芸をしにいくよう頼まれた。ウィドロカンダンには、ワシ・ジョロドロという名のプンデトが、妹のブロトウィジョヨと共に住んでいた。
 大道芸のおひねりとして、スマル、パエトル、ガレンは、ナシ・トゥムペン(ご飯を円錐状に固めたもの)と市場の軽食を求めた。おひねりが用意され、スマル、ガレン、ペトルは芸を披露した。上演が終わり、スマルは報酬を持ち帰るために、ナシ・トゥムペンと市場の軽食を一つにまとめて持っていった。おひねりはアルジュノに与えられた。空腹のあまりアルジュノはすぐさまおひねりの包みを開けた。アルジュノは怒ってウィドロカンダンへ向かったが、ワシ・ジョロドロに会い、おとなしくなった。互いに名乗り合い、兄弟であることが解ったからである。すべてはスマルの思惑どおりであった。
 この演目では、スマルは後で説明する。まず、彼(アルジュノ)の行為の過ちについて。第二にアルジュノにイロワティ捜索の仕事を思い出させ、あたりかまわず食事をとることは許されない、と教える。第三に、バヌワティは彼の妻となるべき人ではないことを。かくてアルジュノはワシ・ジョロドロに、盗人にさらわれたデウィ・イロワテイの捜索の手助けを願う。その超能力でワシ・ジョロドロは再び現れた盗人を捕らえた。ジョロドロはカルトピヨゴを殺す。この演目においてスマルはクサトリアにその職務を想起させ、魅惑的な女性の誘惑に惑わされないようにする役割を持つ。

演目『スマル・クニン』
 演目『スマル・クニン』では、スマルはティダルの丘で苦行し、黄色の光(チャハヤ・クニン)を放つ。物語の始めはこのようである。スマルはクサトリアたちや神々が『トゥハンの徳 paugeraning (pangeranin) keutaaan 』をないがしろにしている様を見て、傷心した。スマルはアビマニュが、彼のクンチュンガン(冠毛)を握って侮蔑したことに、心が傷ついたのである。スバドゥラ(スムボドロ)は、ガレン、ペトル、バゴンと共に、アルディ・アルジュノ山に苦行に赴きアルジュノ・ジャルルと名乗った。間もなくクレスノがやって来て、ガトゥコチョに頼んだ。アスティノを支配するグントゥル・ワセソ、グントゥル・ダホノ、グントゥル・マルトを撃退するように、と。ウジュン・ティリス国の大王アジ・ギヌンと大臣クンディトミマンの支援によって彼らはアスティノに現れたのである。アスティノの全軍は敗れ、追い出されてしまった。この戦いで、アルジュノ・ジャルルは敗れ、スバドゥラの正体を明かした。クレスノは困惑し、ついにティダル山へ赴き、スマル・クニンに助けを求めた。スマルはすぐアスティノへは向かわず、ティリス国へ赴いた。その支配者アジギヌンとテジョラクの正体はナロドであった。スマル・クニンはかくてアスティの国へ向かい、グントゥル・ワセソ、グントゥル・ダホノ、グントゥル・マルトを撃退した。すべて神々の化身であったのだ。グントゥル・ワセソはインドロ、グントゥル・ダホノはブロモ、グントゥル・マルトはバユ、そしてグントゥル・クトゥックはサムブであった。スマル・クニンは最後にスマルとなった。スマルは世界を破壊から守る守護者なのである。

結論
 スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ上演における、マハバラタ演目群でのスマルは、重要な役割を担っている。スマルの役割はクサトリアたちの召使い/師(abdi/pamomong)であり、徳の胚芽を育て、人間と神々の全世界との関係のあり方を調和させ、統合し、調整する監視者でもある。スマルは混乱、困惑の状況たるゴロゴロ(騒動)の事態や世界を破壊しようとする地上の人物による世界の動揺に対して行動を起こす人物であると言える。スマルの関与によって、演目は正常に戻り、良好な終演に向かうのである。ワヤンにおいて、スマルは(世界を)維持する重要なキャラクターとしての役割を担っている。スマルがいなければ安寧は無く、災厄が起こるのである。スマルは全てが謎に包まれている。彼は自身の利益を求めない。クサトリアとしてのスマルは真に重要で、幸福をもたらし、誠実さと自己犠牲の人である。スマルが怒れば、グル・デウォを含むすべての人物はスマルに敗れる。スマルの怒りは世界を正常に回復させるためにある。スマルは演目のすべての時代に生き、観衆に多大な影響を与える人物なのである。

参考文献
Bastomi, Sueaji. 1995. Gemar Wayang.
Semarang: Dahara Prize.
Branen, Julia. 2002. Memadu Metode
Penelitian Kualitatif dan Kuantitatif.
Yogyakarta: PustakaPelajar.
Budi Prasetya, Hanggar. 2005. Konsep
Badar dalam lakon Carangan
Pewayangan Tradisi Yogyakarta
dalam Harmonia Jurnal Pengetahuan
dan Pemikiran Seni.
Semarang: UNNES.
Kodiron, 1967. Serat Pakem Pedalangan.
Solo: Pelajar.
Padmosoekotjo. 1986. Silsilah Wayang
Purwa Mawa Carita. Surabaya: BP
Balai Pustaka.
Masinambow, E.K.M dan Rahayu S.
Hidayat. 2001. Semiotik Mengkaji
Tanda dalam Artifak. Jakarta:
Balai Pustaka.
Mulyono, Sri. 1982. Apa dan Siapa Semar.
Jakarta: Gunung Agung.
1979. Simbiolisme dan
Mistikisme dalam Wayang. Jakarta:
Gunung Agung.
Santosa. 2004. Mencermati Seni Pertunjukan
II Perspektif Pariwisata,
Lingkungan dan kajian Seni
Pertunjukkan. Surakarta: The Ford
Foundation dan Program Pasca
Sarjana STSI.

(おわり)
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by gatotkaca | 2012-02-20 04:19 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

『スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ上演におけるスマルの役割』その1

 ネット上で見つけた論文?。2009年付けになっているもので、『PERAN SEMAR DALAM PERTUNJUKAN KULIT JAWA GAYA SURAKARTA / Randyo
/ Institut Seni Indonesia Surakarta 』と題されている。新しめの情報だと思って訳してみた(わたしは訳さないと内容がわからないので)。学生さんの論文なんでしょうか?文章表現もわかりにくいし、内容もいまひとつ、というかムルヨノ氏の見解をそのまま踏襲したものである。選定したラコンもムルヨノ本と殆どだぶっているし。やや損をした気分だが、多少新しい情報も入っているので、せっかくだから紹介しておく。nstitut Seni Indonesia Surakartaでは評価されたのだろうか。一定の評価をうけているのであれば、ムルヨノ見解は、20年以上経た現在でもアドバンテージがある、ということになる。
 最後に付いている参考文献は研究者にとっては情報になるかもしれない。

スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ上演におけるスマルの役割

ランディヨ
インドネシア・スラカルタ藝術学院(Harmonia Volume 9 No 2 2009)


要約(原文英語)
 スマルは謎めいた人形のキャラクターであり、曖昧な存在である。スマルは影絵芝居のあらゆるヴァージョンに現れる。影絵芝居の物語において、スマルは主に二つの役割を持って現れる。ひとつは、上演における最重要の役割を担う人物たちの基盤を支え得る人物として、つまり物語の進行を決定する素因よりも、彼の存在が先行するということである。二つ目は、物語自体に直接的利害関係を持つ場合である。例えば、『キラット・ブウォノ』『スマル・クニン』、『スマル・ポポ』、『スマル・ムバラン・ジャントゥル』などである。スマルはスードラ階級(カーストにおける第三階級)の人物であり、一般人として表される。人生哲学を『含む lebet 』影絵芝居において、スマルの存在は(物語の中の)事件よりも先行する、いわば、特別な事件なのである。影絵芝居の中でのゴロゴロは、人形のキャラクターの多様さによって、宇宙の出来事の主要なものとして注目される。それは、スマルの出現によって鎮められる。調和の雰囲気がスマルの所作によって醸し出され、彼の説く様々な説明で威厳を備えるのである。スマルはその意図に基づいて、物語に『調和 mulih 』を達成させ、物語の調和を回復するのである。全てが通常に戻ると、スマルは時として、他のポノカワンたちと共に新鮮な息吹とユーモラスな味付けを運び込む。それは観衆との信頼関係を確立する。スマルは世界の調和を生み出す戦いへの純正なる魂を持つ、騎士たるキャラクターを象徴するのである。

前書き(以下原文インドネシア語)

 スマルという名称は、いくつかの地域で、ジャワの民衆の生活におけるシムボルの対象として見出すことが出来る。スラカルタでは、スマルはバティック・スマルというバティック製作所の名前にもなっている。ウォノギリにはワヤンのスマルの姿と似た丸い形の丘が、スマルという名で多くの人々に知られている。カランガニャルにも瞑想の場としてスマルの像が立てられている。スマルという人物からお恵み/アンサル angsar のあるようにと、スマルの名を用いるのである。ジャワ社会に伝わる文献が少ないため、スマルという名(の由来)を追うことは困難である。ジャワの伝承は通常、口承伝承であり、口から口へと伝えられるうちに、メッセージの受け手の印象で、たやすく変化してしまう。スマルという名称の意味の混乱は、多くの変容と、さまざまな見解を生み出し、哲学的文脈において、より詳細なレパートリーと意味の広がりを増加させることを止めなかった。ジャワのワヤン・クリ上演において、スマルという人物の名は時代を超えて存在し、生き残ってきた。ジャワのワヤンにおけるスマルは、ジャワ文学に採り上げられたスマルでもあると言えよう。ジャワのワヤン・クリでのアルジュノ・ソスロの物語でも、スマルはスマントリの守護者として付き従う。スマントリは、国への忠誠によって、後にマエスパティ国で大臣スウォンドとなる。スマルはスウォンドに最後まで付き従うのである。
 ラマヤナの演目では、スマルはいつも、超能力を持ち、賢いセノパティ(司令官)、アンジャニの息子のアノマンに従う。アノマンは、最後までスリ・ロモウィジョヨに仕えた。
 マハバラタの演目では、スマルはウィロトの子孫、マヌモヨソに仕えた。マヌモヨソの亡くなった後、スマルはアスティノ王、パンデゥデウォノトに仕えた。パンドゥが亡くなった後は彼の子孫、アルジュノに、そしてその子のオンコウィジョヨ、またの名アビマニュ、そしてパリクナンまで仕えた。
 スマルの仕えた系譜を見ると、すべての演目に渡る。スマルはつねに公正なるサトリヨに仕えることを望み、献身に満ちて、地上の調和を見張り続けるのである。スマルの人物像にはいくつかの変容と謎めいた造形を見出せる。ワヤンの演目のいくつかのヴァージョンから、スマルの人物像の、より完全で的確な意味を探ってみたい。インド起源の文学作品としてのマハバラタの物語には、実際スマルという人物像は存在しない。であるから、スマルはジャワ文化に起源を有する人物であると解釈できるだろう。

スマルの起源とワヤンのウォンド wondo

ジャワのワヤン・クリ・プルウォ上演におけるスマルの起源

 ワヤンのスマル像もまたその誕生については不確定である。文学作品におけるスマル像の誕生はワヤンにおけるスマルの起源とは異なる。同様に、アルジュノソスロ、ラマヤナ演目ヴァージョンのワヤンでのスマルの起源もまたマハバラタの演目での起源とは異なる。
 2003年、ダヤン・マヤクを讃える儀式のためのスラン suran としてのワヤン・クリ上演が、スラカルタのゲムプラク Ngemplak 市場で催された。演目は『トゥリマディヨ・ドヨの天啓 Turunnya Wahyu Trimadya Daya 』で、ドゥブガン・モジョソゴ Debegan Mojosongo のキ・ジョコ・サントサ Ki Joko Santosa によって上演された。スマルとハヌマンの間の会話で、ハヌマンはスマルに、その誕生について質問した。スマルは答えた。彼自身は、ジャワ島がまだ形を成す前に生まれた。スマルは黍の時代以前、つまりヌサンタラの島々よりも前からいたという。スマルは『ジャルモ・タン・クノ・ゴポ Jalma tan kena ngapa 』、つまり考えようのないもの、謎である。
 2009年3月、スラカルタの宮廷(クラトン)でキ・プルボ・アスモロ Ki Purba Asmara によって上演された、スマル誕生の演目では、スマルはサンヒワン・トゥンガルとレコトワティの結婚で生まれ、それは卵であった。サンヒワン・トゥンガルによって卵は親であるサン・ヒワン・ウェナンに託された。サン・ヒワン・ウェナンの前での、サンヒワン・トゥンガルの祈りによって、卵は割れて三つの部分、殻、白身、黄身となった。
 三つの部分から、トゥジョマントリ Tejamantri/アントゴ Antaga、イスモヨ Ismaya 、そしてマニクモヨ Manikmaya が生まれた。三人は世界の支配者となるために争った。サンヒワン・ウェナンは三人の孫に競技させることにした。マハメル Mahameru 山を呑込み、再び吐き出すことが出来た者が、トリロコ Triloka(三界)の支配者として承認される、というのである。トリロコとは、人間界アルチョポド arcapada 、ジン(精霊)の世界モヨポド mayapada 、そしてカヤンガンkahyangan(天界)である。卵の殻から生まれたトゥジョマントリは、最初にマハメル山を呑込もうとした。アントゴは口に入れたが、無理だった。口は裂けて大きく開いたままとなった。二番目の挑戦者、イスモヨはマハメル山を呑込むことに成功したが、吐き出せなかった。彼の身体は山のようになってしまった。
最後のマニクモヨはマハメル山を呑込み、吐き出すことができた。だから彼のワヤンの姿は頭から足まですっきりしているのである。マニクモヨはトリロコ、つまり、アルチョポド、モヨポド、そしてカヤンガンの支配者となった。カルトスロ Katasura のダラン、キ・スラトノ Ki Suratna によればスマルは、大地のシムボルである卵の殻から生まれたという。スマルは世界の秩序が乱れた時、調和を回復させる。世界は彼に呑込まれてひとつになるのである。( 2009年4月21日、インタビュー)
 ワヤンのスマルには神秘主義的要素が含まれている。彼の精神はイスモヨ神であり、クサトリアたちを支援するために地上に降り、ウィロト国の召使い、バドロヨノ Badrayana の身体を借りていると言われる。
 スマルの登場は、ウィロトの始祖 cikal bakal 、マヌモヨソと同時である。演目『スマルの結婚』において、スマル・バドロヨノはある時、二頭の白虎に追いかけられる。恐ろしさで、超能力の苦行者マヌモヨソに助けを求めるのである。矢を射かけられた二頭の白虎は、二人のビダダリに姿を変えた。カニララス Kaniraras とカネストリ Kanestri またの名をカネストレン Kanestren である。デウィ・カネストレンはかくてスマルの妻となり、カニララスはマニモヨソの妻となった。それ以来、スマル・バドロヨノはマヌモヨソ一族の末代までのポノカワンとなったのである(1999:1171)。

スマル人形のウォンド

 通常ワヤンの一箱(ワンセット)には二、三体のスマルのワヤンが用意されている。二つ目、また三つ目のワヤンはふつうワヤンが壊れた時、あるいは『クムバル kembar(そっくりさん)』ものの演目に使われる。たとえば、三人のスマルが登場する『スマル・クニン Semar Kuning 』などである。複数のスマル人形は時折、キャラクターの印象にわずかな相違を持つ。異なるスマル人形はしばしばスマル人形のウォンド wondo と称される。
 ワヤン界ではスマルは多くのウォンドを持つ。いくつかのウォンドとしては、スマル・ウォンド・ギヌ wondo Ginuk 、ドゥム Dumuk 、ブルブス Brebes 、ミリン Miing がスラカルタ・スタイルにある(エンシクロペディ・ワヤン3巻 1999:1176)。これら四つのウォンドの他、ヨグヤカルタ形式においてはウォンド・ドゥクン wondo dukun がある。ウォンド・ミリン、ブルブスは通常ジェジェル(会議の場面)に、ウォンド・ドゥクンはウェジャンガン Wejangan (説教)の場に、ドゥム Dumuk はスマルが敵と戦う時に使用される。ウォンドの特性はダランの意図に依って使い分けられ、ウォンドの作成はワヤンが壊れた時や、古いデザイン対して、新しいスマル人形の変更/型を加えたいという要望があった時、また印象を少し変えたいという注文に応じてなされる。

ゴロゴロにおけるスマルの役割

 ゴロゴロとは騒動、動揺、混乱を意味する(Poerwadarminta, 1968:289)。ワヤン上演におけるゴロゴロでは場面転換の印として、通常パテット・ソゴとなる。徹夜のワヤン上演は七時間以上となり、普通は夜九時から始まり、朝四時までを要する。ゴロゴロは演目の真ん中、夜中の一時頃から三時間ほどで、これが終わると演目は終焉に向かい、後三時間ほどで終わる。一晩の上演は三つの部分に分けられる。パテット・ヌム(6)、パテット・ソゴ(9)、パテット・マニュロである。ゴロゴロはパテット・ソゴの終わりにある。ゴロゴロは演目が核心に向かう変化を示す。それまでの導入部から、パテット・ソゴで核心となる展開を、パテット・マニュロで演目の終焉を迎えるのである。これは人間の一生の展開と本質のアナロジーであり、誕生、成長、死を表す。ゴロゴロは人生の成人の時期に当たるのである。その時期の人生においては、しばしば通過儀礼と呼ばれる出来事が起こる。干渉を受け易く、定まった方向付けが必要とされるのである。
ゴロゴロの始まる前には、特別な合図がある。カヨン(グヌンガン)がバナナの幹のグドボの中央に立てられ、かくてダランはゴロゴロをポチョパン(地語り)を話し始めるのである。ポチョパンが終わると、カヨンが抜かれ、ひっくり返されて、赤く塗られた面がダラン側に向けられる。通常、伴奏のグンディン(ガムランの曲)はよりダイナミックニなり、ポノカワンたち、ガレン、ペトル、バゴンが現れる。三人の人物たちは観衆に自分たちを紹介し、体験談、清談、社会批判などを繰り広げる(Anom Sukatno 1996:24-31)。この時ワヤンの人物と観衆の間に会話が成立する。ダランと観衆のコミュニケーションと相互作用が起こるのである。通常ここでの対話は啓蒙、社会批判、お気に入りの歌についてなどである。
 ゴロゴロはスマルの登場で止まる。スリ・ムルヨノの引用ではこのようである。(1982:89-91)
 『ワヤンでは、スマルが現れたなら、真夜中であると言うことができる。キヤイ・ルラ・スマルは、本当は人間に変身した神である。スマルはヒワン・イスモヨなのだ。またヒワン・アスモロソントともいう。人間の姿をした神は、この地上でブラフマンとウィスヌの子孫たちの師となる。スマルは見た目は醜く、形を成さないが、ほんとうは神を超える。スマルはまさしく師であり、その内面で世界の全てを守護する。正しいクサトリアを守護する。公正と誠実さと自己犠牲で。』
 スマルの登場でゴロゴロは止み、演目は再び調和を目指して進行する。真実、公正の勝利へ。そして自己犠牲を伴って。スラカルタ・スタイルでのワヤン・クリ上演において、スマルはアマルトの武将たちに仕える。

(つづく)
一回で全部載せてしまいたかったのだが、エキサイト・ブログに文字数制限が出来たらしく、入りきらなかった。あと1682文字減らせというメッセージが出た!不本意ながら二回に分けて載せます。というわけで、次回につづく。
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by gatotkaca | 2012-02-18 21:36 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 補遺 ホ・リン、フイ・ニン、ジナノバドロ、サン・ヒワン・コモハヤニカン

 第2章の『スマルはジナノバドロであるが、ジナノバドロはスマルではない』の項に出て来る、歴史的背景と固有名詞に関して、N・J・クロム、『インドネシア古代史』(有吉巌 編訳 天理教道友社刊 1985年)での記載を引用しまとめておく。(先の試訳段階では、〈N.J. Krom 博士の「ジャワ・ヒンドゥーの歴史 Hindoe Javaansche Seschiedenis 」〉としておいたが、日本語訳が出ていたのでこちらで参照する。ちなみに、編集、訳、注も含めて日本版が大変優れた版になっている。インドネシア語板よりずっと親切、良心的である。ヒンドゥー・ブッダ期のインドネシア史を勉強したい人は必携であろう。)
 まず、ホ・リン(Ho-ling)というのは、『新唐書』(支那の唐王朝の史書である)にある『訶陵』と記載された国名であり、クロムの推察では七世紀頃、中部ジャワにあった王国の名である。クロムはこのホ・リンをアレキサンドリアの地理学者プロテマエウス Claudius Ptolemaeus の著した『地理学 Geographike Hyphegesis 』(165年以前の成立)に記載のあるカリン Kaling カリンガ Kalinga に同定している。『アパ・ダン・シアパ・スマル』に引くダマイスによる反論とは、このホリン、カリンの同定に対する批判であるようだ(私はダマイス説に関しては、まだ資料を入手していないので詳細は不明)。
 フイ・ニンジナノバドロに関しては、義浄(七世紀末の巡礼僧)の『大唐西域求法高僧伝』にある記録として、下記のような記載がある。
 「最初はある仏僧が偶然の機会に、(中略)法顕の如く暴風のためジャワと考えられる島に漂着しているが、その後においては自らの意思をもってこの地に来訪している。その中でも会寧(Hwui-ning)の如きは六六四ー五年から三年間滞在し、その後においても中国僧の来訪が続き、この地で病死した僧もいる[Chavannes 1894:29]。会寧は滞在中、サンスクリット名をジュニャーナバドラ(Jnanabhadra)という訶陵の高僧若那跋陀羅の強力のもとに、ブッダのニルヴァーナ(nirvana)[涅槃]およびその遺体の火葬と遺灰についてのサンスクリット語のアーガマ経典の涅槃経の一部(小乗仏教の経典)を中国語に翻訳している。この作業を終えた後会寧はこの訳書を一人の青年僧、運期(Yun-k'i)に託して中国に送った。この青年僧がジュニャーナバドラに謝意を表し、会寧に合流するためこの地に再び来訪した時、会寧は既に西に向かって旅立っていた。しかしこの後義浄はこの仏僧の行方を見失っている[Chavannes 1894:60-62]。こうしたことから、当時のジャワが小乗仏教の中心地であったことが明らかである。」
 クロムはこのジュニャーナバドラを実在の人物としているが、ムルヨノ氏の考察では、この人物の実在性は疑わしいということになる。まあ、実在の人物がその後伝説化したにせよ、始めから伝説上の人物であったにせよ、論説展開に支障はないように思えるが。
 なお、試訳段階では、Jinanabhadra をジナノバドロと現代ジャワ語風の発音にしたが、サンスクリット音を重視すれば、当然ジュナーナバドラとする方がよかろうと思う。ただ、現代普通のインドネシア人であれば、このつづりは、ジナナバダラと読むであろう。またSang Hyang Kamahayanikan についてもサン・ヒワン・コモハヤニカンとしたが、サンスクリット音で読めば、サンヒャン・カマハーヤーニカンとなるだろう(『インドネシア古代史』有吉巌 編訳 天理教道友社刊 1985年 ではこの表記である)。
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by gatotkaca | 2012-02-16 00:30 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

試訳「スマルとは何者か?」 補遺 ボチャ・アンゴンその3

 引き続いてボチャ・アンゴン。もとネタはここ。『MENELUSURI BOCAH ANGON (SANG PENGGEMBALA) CIKAL BAKAL NARAYANA PEMIMPIN-PEMIMPIN NUSANTARA JAYA』
 『ウゴ・ワンシット・シリワンギ』に記された暗喩を解読しようと言う論考である。途中にでてくるジョヨボヨ王の詩は、関連する161と169だけ載せておきます。

ジョヨボヨの最後の預言詩 Bait Terakhir Ramalan Jayabaya

161
dunungane ana sikil redi Lawu sisih wetan

wetane bengawan banyu

andhedukuh pindha Raden Gatotkaca

arupa pagupon dara tundha tiga

kaya manungsa angleledha

生まれは、東のかたラウ山のふもと
川の東がわ
ラデン・ガトコチョのような家を持つ
それは三階建ての鳩小屋のよう
侮られる人に似て

169
sirik den wenehi

ati malati bisa kesiku

senenge anggodha anjejaluk cara nistha

ngertiyo yen iku coba

aja kaino

ana beja-bejane sing den pundhuti

ateges jantrane kaemong sira sebrayat

禁止が与えられた時
死んだ心が呪いをうける
からかいを好み、屈辱をもとめる
それはただの試練にすぎないと知っている
侮蔑してはならない
求められるものには利益がある
それは、そなたの一族が守られていることを意味する


祖国の勝利(ヌサンタラ・ジャヤ)の指導者、ノロヨノ(ナーラーヤナ)の祖先、ボチャ・アンゴン(羊飼い)

ボチャ・アンゴン/聖なる羊飼いの概念


 スナン・カリジョゴの『リル・イリル Lir-Ilir 』の詩において比喩的に表現されているボチャ・アンゴンは、国の民を育て、指導する役割を担った、『国に仕える者・アブディ・ネガラ Abdi Negara 』である。それは一定の機関と結びつくこと無く、しかし様々な機関と横断的に関わりを持っている。このことはLINMAS『民衆の庇護者』という言葉にも見ることができる。どういうわけか、今日、毎週火曜日を対象としていたLINMASの着物はもう着られていないが。ドドトのことは、単に陰部を覆う衣類であるから問題ないが……民衆の聖なる師たる魂は、いまだ『アブディ・ヌガラ』の魂に植え付けられている。
この国にはボチャ・アンゴンについての予言がたくさんある。様々な視点からそれらの違いを比較し、見てみよう。
ワンシット・シリワンギの視点から。

ーー助けを求める声
ウゴ・ワンシット・シリワンギにおいて『いつの日か、真夜中にハリムン Halimun 山から助けを求める声が聞こえる。ああ、それが合図だ。すべての子孫たちが、結婚をのぞむ者に、チャウェネ Cawenw の谷へ呼ばれているのだ。』『助けを求める声』はウンカパン・ジョヨボヨ(ジョボヨ王の予言詩)の169番の詩句で詠われているのと同じであった。『からかいを好み、屈辱をもとめる/それはただの試練にすぎないと知っている/侮蔑してはならない/求められるものには利益がある/それは、そなたの一族が守られていることを意味する』

ボチャ・アンゴンは現れるとすぐに、彼が来たことを知らせるために、あることをする。そのひとつが、ハリムン山のまわりの人々に助けを求めることだ。彼が他の人に助けを求めたのは、困っていたのか必要があったのか、なぜかははっきり解らない。たしかなのは、彼が現れた印としてそのようなことをするということである。

ジョヨボヨの予言の169詩句に関連して、ボチャ・アンゴンは言う。『試練として、侮蔑を好む』。この章句の示しているところは、助けをもとめることは、助けを求められた者に限った試練であるということだ。何の試練か?ボチャ・アンゴンが人に何をしようとしているのかは、まだ分からない。何が起こるのか待つしかない。

ーー戦いながら探し、笑いながら戦う
ウゴ・ワンシット・シリワンギでは『すぐにたくさんのことに出会うことになる。ばらばらに。交代した指導者は、禁じるだろうから!勇気をもって探し続け、禁じられてることなど忘れて、戦いながら探し、笑いながら戦う。彼こそアナ・グムバラ(羊飼いの少年)だ。』何が禁止されているのか?事実を明らかにすることか、歴史に従うことか?解釈は色々ある。

ボチャ・アンゴンはたしかに、指導者の禁止を気にかけない。禁止を守らないだけでなく、ボチャ・アンゴンは、禁止する指導者と笑いながら敵対する。笑いながら対抗されたときの指導者の気持ちは想像できない。ボチャ・アンゴンはいつも交代したリーダーに対抗して働くので、危険に曝されるばあいもある。

ーー彼は枯れた葉のついた木の枝や、切り取った樹の杖を持つ羊飼いである
ウゴ・ワンシット・シリワンギは言う。『彼は何の番人なのか?水牛ではない。羊でもない。虎でもなく、牛でもない。しかし枯れ葉のついた枝と、切りとった木を持っている。彼は探し続ける。そして出会ったものすべてを集める。たくさんの歴史/出来事と遭遇する。ひとつの時代が終わり、新しい歴史/出来事が訪れる。それぞれの時代が歴史を紡いでいく。それが繰り返されていくのだ。』

ボチャ・アンゴンは葉っぱや小枝を集めるのをつねとしている。葉っぱ(daun)と小枝(ranting)の語は、ウゴ・ワンシット・シリワンギによれば、スンダ語『カラカイ・ジェウン・トゥトゥングル Kalakay jeung Tutunggul』に起源を持つ。カラカイとは古代の人々が記録用にそのシートを用いた、ロンタル椰子の葉である。トゥトゥングルとは古代において記載用のペンとして使用された小枝のことである。であるから、カラカイとトゥトゥングルは紙とペンを意味する。

シ・ボチャ・アンゴンは紙とペンで羊飼いをするのを好む。彼はずっと集め続けていた二つの品で羊飼いをする。彼がなぜ紙とペンで羊飼いをするのかは分かっていない。紙とペンはひとつではなく、好むままにたくさんあり、集めているとしか言いようが無い。

続けて言う。『彼は探し、出会ったものすべてを集め続ける。たくさんの歴史/出来事と出会うのだ。』これらの章句の意味するのは、ボチャ・アンゴンは、歴史と出来事に出会うために、紙とペンで羊飼いをするということである。彼が集めたものが歴史と出来事であるかどうか。だが、ヌサンタラの歴史の多くが変容されたものであり、それらが合理化された歴史と関連がある可能性がある。

彼は主要な歴史と出来事を集め続け、ヌサンタラの問題を解決しようとしているのだ。歴史の公正さを探すのは、問題を解決するためであるから、歴史の原因を知ることは必要ない。紙とペンを注ぎ込んで歴史と出来事を検索することに熱中し、かくてヌサンタラの問題は簡単に対処されるであろう。そう願う。

ーー彼の家は川のほとりにあり、その戸は石の高さである
ウゴ・ワンシット・シリワンギは言う。『かくて彼らは羊飼いの少年を探した。その家は川のほとりにあり、戸は石の高さであった。』川のほとり(終わり)とは、ボチャ・アンゴンの家は川の源泉にあったことを示している。シリワンギは家と川の間の距離については記していない。川から数メートルかもしれないし、数十メートルかもしれない。

シリワンギも、川の名については言及しなかったから、川の位置の決定は困難である。ジャワでは多くの川が北から南へと伸びている。そして平均して川のほとりには住民たちの家がたくさん建っている。これではシリワンギの言う川の位置を定めるのは、たしかにむずかしい。とはいえ、ボチャ・アンゴンの家は川の近くであり、ボチャ・アンゴンとおぼしき者がいても、その家が川から遠ければ、ウゴ・ワンシット・シリワンギには合っていないといえる。

それから、石の高さの扉という言葉には疑問がある。家の屋根が石で作られているということなのか?それとも家の扉が石で作られているということなのか?昔の我々の祖先たちの家のように。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

この章句は、ボチャ・アンゴンの家の床はひとつだけの平屋なのだと解釈するべきなのか。これはウンカパン・ジョヨボヨの161番の詩によって補える。『ラデン・ガトコチョのような家。三階建ての鳩の家』。ウンカパン・ジョヨボヨでは、ボチャ・アンゴンの家は三階建てと記されている。たしかに普通の家ではない。中流家庭の家なのか、ボチャ・アンゴンは裕福な一族の出身なのか?まだ確定はできない。

固い石になるセメント製の二階建ての家を建てているということか。それなら、石の高さの扉というのも理解できる(セメントキャスト製の二階の床の高さ)。確かに上流階級の家の多くは、扉が二階の床まで届いている。先の石というのはセメントのことなのだ。というわけで、ボチャ・アンゴンの家は二階まで届く扉のある、家であると結論づけることができる。

ーーハンデウレウムとハンジュアンの木で覆われている
ウゴ・ワンシット・シリワンギには『川のほとりに彼の家はあり、扉は石の高さ、ハンデレウムとハンジュアンの木で青々としている』とある。ハンデレウムとハンジュアンの木で青々としているという言葉は、ボチャ・アンゴンの家の前には二本の木があることを意味し、とても豊で彼の家の特徴になっているということである。ここでは二本の木についてだけ語られている。家の前に二本の木があるということで他の家と区別できるのである。

その二種類の木はインドネシア語ではまだ名前がないものである。二つの単語はシリワンギのいたスンダ地方の古語である。今日では、その木の種類を知っている者はいない。スンダ出身の人々も二種類の木については知らないという。解るときを待つしかない。

シムボルとしてのハンデウレウムとハンジュアンという語の意味するものを解釈してみよう。二つの木は本当に地面に生えている木のことなのか、それとも単なるシムボルなのか?シリワンギの言う「若き牧者」についての『彼は何の牧者なのか?水牛ではなく、羊でもなく、虎でもなく、牛でもない。しかし枯れ葉のついた枝と木切れを持っている』をもう一度見てみよう。

若き牧者はシリワンギではシムボルとされている。この後、動物を放牧するのではないが、葉っぱと枝を持つ、ということのシムボルは明らかにされている。一方ハンデウレウムとハンジュアンの語は、章句に説明が無い。二つの語は地面に生える二本の木ではあるのだが、シリワンギで示されているのが、シムボルであることは確かである。

ーーあご髭をはやした若者と共に行く
ウゴ・ワンシット・シリワンギは言う。『皆が生贄を探しているが、若き牧者はもういない。あご髭をはやした若者と一緒にもう行ってしまった。チャウェネの谷で新しい土地を開拓しに行ってしまった!』あご髭の若者とは誰か?このあご髭の若者というのはまだ解っていない。その若者はシ・ボチャ・アンゴンの親戚なのか、家族なのか、はたまた乳母や爺やなのか?いまだ明らかになってはいない。というのもウゴ・ワンシット・シリワンギにはこれに関する言及が無いからである。

他の古書写本では、ラトゥ・アディルにはサブド・パロンというお付きの者がいる、と言う。あご髭の若者とはサブド・パロンなのか?どうやら違うようだ。というのもサブド・パロンというのはジン(精霊)の人物なのだが、あご髭の若者というのは人間である。だから、あご髭の若者はサブド・パロンではない。

この謎は真実をあきらかにすることは難しい。ボチャ・アンゴンは今だ謎の人物であり、同様にあご髭の若者の正体も謎のままである。とはいえ、その若者があご髭をはやしているのが確かなら、いつの日かボチャ・アンゴンが現れた時には知ることができるだろう。

チャウェネの谷へ新しい土地を開拓に行く
ウゴ・ワンシット・シリワンギに言う。『皆が生贄を探しているが、若き牧者はもういない。あご髭をはやした若者と一緒にもう行ってしまった。チャウェネの谷で新しい土地を開拓しに行ってしまった!』ボチャ・アンゴンは、彼が現れるまでは見つけられない。人々が川のほとりに彼の家を見つけた時には、彼はすでにあご髭の若者と一緒にチャウェネの谷へ行ってしまっていた。

シリワンギは、人々が家で彼を見つけることができなかった後、チャウェネ渓谷でボチャ・アンゴンを見つけられたかどうかは言及していない。ウゴ・ワンシット・シリワンギにはその章句はない。それについて触れていないのは、家とチャウェネ渓谷は近くなく、多分遠く離れているからだと結論付けられるだろう。

シリワンギはチャウェネ渓谷へ行ったあと、ボチャ・アンゴンが家へ帰ったかどうかも触れていない。川のほとりの家を捨てて、ボチャ・アンゴンはチャウェネ渓谷を新しい住処としたという章句も無いからである。川のほとりの家に帰ったなら、シリワンギは彼の家で会うことができたはずである。確かなのは、彼の家を見つけたら、帰ってくるまで待っているだろうということだ。しかしウゴ・ワンシット・シリワンギにはそんな章句は無い。

今日に至るまで、チャウェネ渓谷がどこにあるのかは解っていない。ジャワの地図さらにインドネシアの地図においても、チャウェネ渓谷と名付けられた地域は存在しない。それゆえ、海外であると言う説も含めてさまざまな解釈が試みられている。

ーー枯れ枝に止まって鳴く鴉
ウゴ・ワンシット・シリワンギに言う。『皆は生贄を探すが、もういない。髭の若者と一緒に行ってしまったチャウェネ渓谷へ新しい土地を開拓しに行ってしまったのだ!見つけたのは枯れ枝に止まって鳴く鴉だけだった』鳴く鴉、という語は、むろん歌うのが好きな鴉鳥というだけでなく、シムボルをも表している。

鳴く鴉については多様な解釈ができよう。ロンゴワルシトやジョヨボヨといった写本では、ラトゥ・アディルとなる以前のボチャ・アンゴンは、しばしば人から馬鹿にされる。これと関連して、鴉とはボチャ・アンゴンを侮蔑する人々を意味するとも考えられよう。

いつも人から馬鹿にされて生きていたから、ついにボチャ・アンゴンはその家を捨てて行ってしまったのである。それから彼はあご髭の若者と共に、新しい土地を開拓するためにチャウェネ渓谷を目指した。皆は生贄を探し、情報を探したが、すでにボチャ・アンゴンはいなかった。鳴いている鴉たちから情報を得ることもできなかったのである。

ーー真のラトゥ・アディル
ウゴ・ワンシット・シリワンギに言う。『全ては再び良くなる。国はまたひとつになる。祖国は再び勝利する。ラトゥ・アディルが立ち上がるから。本物のラトゥ・アディルが。だがその王は誰か?サン・ラトゥの出身は?いつの日かそなたらは知るだろう。今は、若き牧者を探せ。』シリワンギは命ずる。ボチャ・アンゴンを探せ、と。いつの日か、彼こそが真のラトゥ・アディルとなるだろうから。

そのようにシリワンギは言い、ボチャ・アンゴンを探すには、注意を払えと命じた。ジャワの地にボチャ・アンゴンの偽物が横行するからである。他の人の支援で、むりやりボチャ・アンゴンに仕立て上げられた者もあるかもしれないが、追い立てられているうちに自分でもボチャ・アンゴンだと思い込むようになるから、偽ボチャ・アンゴンが現れるのである。

今まで、ジャワの西から東まで、ラトゥ・アディルと信じられた人々が現れたという話はたくさん聞かれる。自分こそラトゥ・アディルだという者が、そこかしこで現れたのである。それらの人々は、証拠を求められると、人を説得するために、写本と自分を合わせるようにする。実際全てが適合することはないが。

真実のラトゥ・アディルを探すように、とシリワンギは命じた。たくさんいる偽のラトゥ・アディルの中で、真実のラトゥ・アディルはただ一人であるから。とはいえ、偽のラトゥアディルは本物の出現を変えることはできない。本物が現れたときは、どれが本物でどれが偽物か皆に証明されるだろう。シリワンギの言葉と合わせて。『だがその王は誰か?サン・ラトゥの出身は?いつの日かそなたらは知るだろう。今は、若き牧者を探せ』

ウゴ・ワンシット・シリワンギ写本において述べられているボチャ・アンゴンに関することはこのようである。シリワンギはその写本の中で、意図的にボチャ・アンゴンをはっきり説明しないから、彼を見つけるのは容易ではない。さまざまな理由でラトゥ・アディルの出現を妨げようとする者たちも多いからである。

シリワンギからは得られないボチャ・アンゴンの明確な描写がある。同時にボチャ・アンゴンを探すことを命じられた我々は、皆が探偵となり、インテリにならなければならない。いつの日かきっと、彼が現れた時には、偽のラトゥ・アディルと、真実のラトゥ・アディルを見分けなければならないのだから。待って、探すのが良い。できるかできないか。時はすぐにやって来る。

さて今再びカンジェン・スナン・カリジョゴのキドウン『リル・イリル』の詩句を研究してみよう。
ボチャ・アンゴンの種は今日もたくさんいて、ヌサンタラの若者たちの鋭く革新的思想として現れ始めた。また負けず劣らず、教育機関からも生まれて来ている。チャンダラディムカ(Akabri=Akademi Angkatan Bersenjata Republik Indonesia インドネシア共和国軍アカデミー、アアウ、AAL、AKMIL、AAKPOL)から生まれたパラ・サトリア・ムダ・ヌガラもまた王朝に関わる軍事的教育施設であり、財政、その他の技術(STAN、STP、BPLP、その他)分野の良民も採り上げ、大学いじょうの可能性を広げ、軍事的のみならず半軍事的教育システムにより開かれ、透明性の高い教育をめざす。この教育機関は二つの異なる側面をもち、ひとつはボチャ・アンゴンの育成であり、教育を終えてすぐさま国家公務員(アブディ・ヌガラ)として国に仕えることの出来る者を供給することと、永続的に戦闘を続けるため、勝利のために1000の訴えを1となす国家公務員となる者の育成であり、また、資本と権力をつないで、全面的な戦闘を容易にするという目的もある。ここでは基本として、真実のボチャ・アンゴンが大勢、毎年国家、州政府、地方自治体から揚げられるCPNSとして存在する。真正のボチャ・アンゴンとは、純粋な力で戦うか、特定の資本と権力を連携してすべての敵と戦う者である。

アブディ・ヌガラとなった後も、ボチャ・アンゴンは国家の奉仕者としてさまざまな試練に会い、奉仕に置けるさまざまな性質の課題を負う。:大志を抱き、研究心旺盛で、有能な人材で、愚かな者もいる。それがアブディ・ヌガラたる人の重要な資質である。世界は自身の法則を持っている。ボチャ・アンゴンを探す努力は、実際にはさほど他の状況ほど、気にすることは無いのである。民衆は変化を切望している……。

Sepenggal Bait “Lir-Ilir” dariSunan Kalijaga

Lir-ilir, lir-ilir
tandure wis sumilir
Tak ijo royo-royo tak senggo temanten anyar
Cah angon-cah angon penekno blimbing kuwi
Lunyu-lunyu yo penekno kanggo mbasuh dodotiro
Dodotiro-dodotiro kumitir bedhah ing pinggir
Dondomono jlumatono kanggo sebo mengko sore
Mumpung padhang rembulane mumpung jembar kalangane
Yo surako… surak hiyo… 
 
『リル・イリル』 スナン・カリジョゴ

(眠りから)ゆっくり、ゆっくり目を覚ませ
木は花をつけ始めている
青々として、結婚したての夫婦のように情熱的だ
羊飼いの子どもよ、ブリムビンの木に祈ってくれないか?
滑りやすくて(難しいけれど)登りつづけておくれ、着物を洗うために
破れた(傷んだ)服はわきに除けて
縫い付け、直しておくれ、夕方までに
今は明るい月の下、今は自由な時間がたくさんある
さあ叫ぼう、アヨー……

 ラトゥ・アディル問題は、深入りすると切りがなさそうであるし、私もまだ知らないことが多いので、一旦ここまでで、ボチャ・アンゴンについては終わりにする。
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by gatotkaca | 2012-02-15 00:11 | 影絵・ワヤン | Comments(0)