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木から落ちた猿

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クリスマス会のお知らせを作りました

 子ども会「クリスマス会」のお知らせを作りました。下は原画の切り絵。
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 こちらは別件のチラシ用切り絵。
 「百花繚乱」
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by gatotkaca | 2011-11-24 04:09 | こども会 | Comments(0)

ふたたび、スマントリは見苦しい男か、それとも手本となる男か?

 スリ・ムルヨノ著「ワヤンの人物たち」("WAYANG DAN KARAKTER MANUSIA" oleh Sri Mulyono, PT GUNUN AGUNG-Jakarta, 1979)から。読者の意見に応えるムルヨノ氏。

ふたたび、スマントリは見苦しい男か、それとも手本となる男か?

 まずはトゥハン・ヤン・マハ・エサの恩寵に感謝と祝福を申し上げます。Alhamdulilah。今や実際にコタクとクリルでのダランを頼まれることがなくとも、リド ridho (神から与えられる愛・幸福)のおかげで、ペンと紙で「ダラン」をすることを許されたのですから。ブアナ・ミングや、毎週月曜夜のラジオ・サファリで、私はたくさんのお便りを頂きます。反対意見だけでなく、かつて私が受けたことが無い程の賞賛の文で「お褒め(mengalembana)」もいただき、ダランと観客のような筆者と読者の間の双方向の交流を得ました。
 このすべてのなりゆきに、本当に幸せを感じております。

 私の書いたことは、必ずしも受け入れられる必要はありません。不適切なこともあるでしょう。読者の皆さんには、記名でも匿名でも結構ですから、筆者個人宛でなく、直接ブアナ・ミング編集部へむけてお書きになることをお願いいたします。聖書にもあるように「人はみな違うから知恵がもたらされる」のですから。

 さて、スマントリについて。彼は見苦しい男か、それとも手本とされる人間かどうかということですが、ダランの行動規範として、ダランは「こうだと決めてはならない」のです。上演の最後にダランは木彫り人形の「ゴレ」を舞わせます。これは、観客に「ゴレコノ golekana 」つまり自分で意味を探すこと、を促すためです。

 存在論・形而上学的側面からの見地では、生きているものの存在は彼らが「偉大なる存在」によって創造されたと理解されなければならない。最高位の「存在」(causaprima)、それはそれが存在する以前に存在するものはなく、人間や他の全ての「クムリプKeumerip=小さな輝き」とつねに一対である。
(訳注:prima causa とはアリストテレスが提唱した【第一原因】のこと。事物生成の根本原因。自らは不動にして他を動かす「不動の動者」で、これが神であるとする。)

 悪と善、短いことと長いこと、昼と夜、過去と未来、男と女など。

 「偉大なる存在」には相反する全ての力が含まれており、包括され、調和と秩序が与えられている。その「部分」は対立し、相違し、無力である(「ワヤン、その起源、哲学、そして未来 Wayang, Asal-Usul, Filsafat dan Masa Depan 」255〜307頁をお読み下さい)。

 さて、スマントリについてはどうであろうか?

 スマントリに関しては、その存在に対する存在論的受容を明らかに否定し、拒んでいる。彼はスコスロノという名の彼の弟(アリ ari =救世主)を受け入れず、随行することも拒んだ。スコスロノは彼の地上での真のパートナーたる存在であり、スコスロノを失うことは、スマントリの存在もまた失われることを意味する。というのも、本質的に彼らはひとつであり、共にニルワナ(涅槃)に入ることが望まれているのである。

 倫理、道徳的見地から見れば、家を出立して以来、その心のうちでスマントリは、彼の武器と超能力の強さを誇示することを強く望んでいた。彼は、その超能力を打ち負かし得る者に仕えようとしていた。しかしスマントリを打ち破った者は、本当は彼自身の兄弟(弟)であった。つまり、森の中で困窮した時、そしてタマン・スリウェダリを建てた時である。けれど、彼を手助けしたスコスロノは、スマントリの手によって死に至った。どんな口実をつけようが、殺しは殺しである(ngunduh wohing panggawe 実った果実は採られる)。サルヨとバガスパティ、ガトゥコチョとコロブンドノのように。

 ウェドトモ Wedhatama を想起すれば、「生きている人はそんなことをしてはならない(Aja kaya mangkono wong urip)」のである。
(訳注:ウェドトモ 『スラット・ウェドトモ Serat Wedhatama』はマンクヌゴロ四世作とされる、モチョパット(詩形式の一種)の書。現在にいたるまでジャワ人の行動様式に影響を与え続ける書といわれる。ガムランなどでもよく唄われる。)

 ワダグ・ラヒラン wadag-lahiran (wadhag-lahiran =肉体・外面)的に見れば、彼は兵士であり、その職務の遂行に成功しなければならなかった。兵士にとって完璧なる死に様とは、戦いの中で英雄として死ぬことである。スマントリの成功は、スマントリ一人の成功ではなく、マエスパティの兵士や司令官たちと共同のものである。しかし、彼は勝利の後「突然」、超能力を競い合うために上司、国の首長に挑戦した。そしてその強力な武器、チョクロで「殺そう」とまでしたのである。一番「馬鹿げて」いるのは、「素早く ngglendem」、「不相応に lulu 」、ハルジュノ・ソスロバウによって王の衣装を与えられたことである。もし現在の司令官でこんなやつがいたら「反逆者」以外の何者でもないだろう。あるいは少なくともこうである。ウェドトモによると……。

" ........sumungah sesongaran yen mangkono kena ingaran katungkul, karem ing reh kaprawiran, Nora enak iku kaki."

"Kekerane ngelmu karang, kakarangan saking bangsaning gaib, Iku boreh paminipun. Tan rumasuk ing jasad, Amung sanjabaning daging kulup, Yen kepengkok pancabaya, Ubyane mbalenjani. " (pangkur 8 dan 9).

 意味は

 「自慢、自信過剰、心の猛りや超能力に夢中になって、用心を失えば、その旨味はなくなるよ、ンゲル (ngger=子どもへの呼びかけ)。」
 「信頼されるのは、珊瑚の知識と魔法の知識、それはちょうど白粉のようなもの、ただの粉、たんなるクリーム、身体の中に染み込むことはない。単に肉の外にはり付くだけ。おお、ンゲル、大きな危険にあったときは、それはそんなもの。信頼されず、約束を果たすこともできないよ。」

 ウェドトモは言う。"nulada laku utama, wong agung ing Ngeksi Ganda Panembahan Senapati, Kapati amarsudi, sudanen hawa lan nespu, pinesu tapa brata, tanapihing siang ratri, amemangun karyugyun, heninging tyas, memangun marta martini, susila hanuraga, wignya tyasing sesami."

 手短に言うと、「欲望を抑え、禁欲し、修行して、隣人の心を満たし、隣人を愛し、心の平安を愛し、平和と静けさを保ち、その言葉は穏やかで優しい、謙虚で、隣人やそのほかの人たちの心を慰めるのがうまい。」
 ウェドトモが言うのは主にこういう人のことである。

 さて、あらためてスマントリを、頭の中にある目で見てみよう。外側から見て悪いとか見苦しいとかを決めてしまう前に、彼の内面の悪、見苦しさはどうか。

 彼はまだ、その心の目で見ることができない(tan kawasa hanandukake jatining pandulu)。

 心の目でみることができるようになるために、ウェドトモによれば、:Hamung nyenyuda hardanig kalbu, pambukane tata-titi ngati-ngati, atetap telaten atul, tuladan marang wspaos,とある。その意味はこうである。「心の中の強欲・利己主義を減らしていくことだけ。はじめは定期的に、几帳面に、注意をはらって、勤勉に、怠けずに、そして安易さに誘惑されずに。それこそが賢い賢者の性質というものです。」

nuwun dan sumangga.
1976年6月9日、ブアナ・ミング

……………………………………………………………………………………………………………

 Lahir-Batin(肉体と精神)論に対しては、存在論(Ontology)、トリポモに対してはウェドトモ(共にマンクヌゴロ四世作)を対抗させるところが、心憎い。
 ダランは良い悪いは決めないものだ、と宣言しておきながらも、存在論だのウェドトモだのと言いつつ、なんだかんだいっても結局ムルヨノ氏はスマントリがお嫌いのようにしか思えないところが、とてもほほえましい。
 この本でのスマントリ論争はここでひとまず終わるのだが、ムルヨノ氏はこのあと、「トリポモ」に関する本も書いており、スマントリは再びそこでも採り上げられることとなる。
 ムルヨノ氏の言う通り、スマントリとスコスロノの物語に限らず、ワヤンの物語は結局、観た人自身がその意味を探ろうと努めることにこそ意味がある、というものなのだろう。まあ、どんなものでも出来の良いものはそうだけれど。
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by gatotkaca | 2011-11-02 11:09 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

デウィ・チトロワティは夫候補の選択に慎重であった

 スリ・ムルヨノ著「ワヤンの人物たち」("WAYANG DAN KARAKTER MANUSIA" oleh Sri Mulyono, PT GUNUN AGUNG-Jakarta, 1979)から。さらに読者の意見。当時はもりあがったようです。


読者の意見

デウィ・チトロワティは夫候補の選択に慎重であった

 多くの点で彼(彼女?)はいつもその考えを検討してバランスをとっています。
 (訳注:この文は唐突で意味不明。ムルヨノ氏のことなのか、本文にあるチトロワティのことなのか、判然としない)

 1976年4月18日付けブアナ・ミングにおいて、ヘルダラン・スリ・ムルヨノ氏は「ワヤンの人物たち」というコラムでバムバン・スマントリについてお書きになりました。その後、匿名のブ・デという人からの反論を受けました。お二人はバムバン・スマントリのネガティヴな面とポジティヴな面を強調されました。

 スリ・ムルヨノ氏は、この人物がもっぱら地位と階級を求めて徳を忘れるにいたったことを強調していました。一方ブ・デさんはバムバン・スマントリは「ガチョ・ウントゥル Gaco Untur」の引き手ではないことを示しました。彼は「ボチャ・ングヌン Bocah Nggunung (大山となる子)」としての指導者であるというポジティヴな面を示しまいた。その言によれば、スマントリは責任感あるパティ(首相)であるということです。一人で、彼は勇敢に敵に対峙したのだから。

 上記の主題に沿って、私も物語の主要人物のひとりで、上記お二人が触れなかった人物についてお話したいと思います。

 私の意見は、我が家でワヤンを上演されたダラン氏、名はG・C(故人)の物語に基づいています。十年来、私は彼のワヤン上演を楽しんできました。G・C氏は創造的で生産的なダランでした。
 たとえば、彼はひと所でダランをすると、他の所では異なるやり方をしました。ラコンが同じであっても。なぜ彼はそうしたのでしょう?

 そのわけは、彼は観客たちに直面することを望んだからです。言い換えれば、彼は観客たちがいまだかつて見たことも無いような場面を表すことができたのです。

 Bさんの所でのやり方では、彼はバムバン・スマントリのネガティヴとポジティヴな性質を示しました。Cさんの所では、デウィ・チトロワティの役所は、バムバン・スマントリにあれこれ泣き言を言う、といったように。そう、売れっ子で、退屈させないダランになりたければ、このようでなければなりません。

 スマントリはデウィ・チトロワティを妻にしたいと望む王たちを敗り、ファースト・レディとしてプラブ・ハルジュノ・ソスロバウに差し出すため、つれて帰ることに成功しました。彼女の望みはまだ会ったことも無い王に差し出されることであったでしょうか?たぶん、彼女は夫候補に対する戸惑いがあったでしょう。王宮の門の前で、彼女はバムバン・スマントリに交渉します。王様が私を妻として迎える前に、まずはバムバン・スマントリを相手に一ラウンド戦ってみてからにしてほしい、と。サン・デウィの願いに、王宮の方から「OK」の答えが返ってきます。一目見て王さまは、このふたりの若い男女が、共謀して王宮に害をなそうとしていると考えたのです。

 「ヘイ、スマントリ、お前の企みは知っているぞ。」Dak umpamaake wong ngemut gula krasa legi tangeh yen den lepeha(蜜を吸って甘さを知った者はもう吐き出せない、のたとえだな。)」

 一騎打ちがはじまり、最初はおふざけだったのが、次第に本気になり、ついにスマントリは敗れました。

 デウィ・チトロワティはようやく、王さまこそがバトロ・ウィスヌの化身であるということを知ることができました。こうして、それこそが最後の人、クティバン「サムプル」ketiban "Sampur" (注1)であり、彼が彼女の夫となったのです。

 はじめは、スマントリこそがバトロ・ウィスヌの化身であると思っていました。彼はチョクロ・バスコロという武器(ウィスヌの武器)を持っていたからです。でも彼女は、すぐにスマントリを選んだりはしませんでした。なぜなら彼女は、真実のバトロ・ウィスヌの化身がどこにいるのか、まだ知らなかったからです。それを確信するために、彼女は上記の一騎打ちを願ったのです。

 このように、デウィ・チトロワティは、感情に流されず、知性によって深く考えることのできる女性の手本となる人なのです。他の女たち、デウィ・スケシなどとは違うのです。(訳注:デウィ・スケシは、息子の名代で来たルシ・ウィスロウォと感情に溺れて結婚し、魔王ラウォノを含む、男三人女一人のきょうだいを産む)

1976年4月26日、ジャカルタ
Drs. A・S・ライス

注1.クティバン・サムプル Ketiban Sampur
 サムプルとはスキランsekilan(手のひらを広げた親指と小指の間の距離)幅の長い布(カイン・パンジャンの一種)で、ステージにいるダンサーが、観客にこの布を渡すと、渡された観客はステージに上がって踊らなければならない。ひるがえって「予期せぬ仕事・出来事」を意味する。
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by gatotkaca | 2011-11-01 01:13 | 影絵・ワヤン | Comments(0)