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木から落ちた猿

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ワヤンと宮廷文化 スモディニングラト その1

 「ワヤン藝術の価値」Nlai-nilai Seni Pewayangan :Dahara Prize Semarang 1993 という本を読んでいます。その中からグナワン・スモディニングラト氏の論文「ワヤンと宮廷文化ーー民衆の豊穣な生活を実現させる倫理」を拙訳でご紹介いたします。結構長いのと、ジャワ語の専門用語(?)が頻繁に出るので、でちょっとずつ紹介します。


ワヤンと宮廷文化
民衆の豊穣な生活を実現させる倫理

グナワン・スモディニングラト

「まずは、ドゥウォロワティの宮殿は壮麗なる門に囲まれてあることが語られる。かの国は威厳あたりに周知にして、高貴なる重みを持ち、大海を擁し、山々を背負い、肥沃にして富豊か、平和にして安寧なり。ドゥウォロワティの王はタンウイトとして拝跪される臣民の守護者である。サマイトとは国の安寧の護り手なること。ダルモイトとは宗教の護り手なること。ソロイトは王宮を守護する兵の護り手なることである。

 王の善行のゆえに、つねに貧しい者は援助を与えられ、悲しみは喜びにかわり、病は癒され、怒りもまた遠ざけられ、高位に昇って行く。

 聖なる王は思索を続け、その思考は内心(kawula alit)に停めおく。未だドゥウォロワティ国で主君の前に進み出る者はない。」
(原文ジャワ語)
 

Ⅰ.はじめに

 ワヤンの物語の場面、第一のジェントゥラン、ドゥウォロワティ(ドロワティ)国の宮廷の場を抜粋した。人々の憧れる国の様子が描かれる。人間の生活の器としての国である。国は肥沃で、活気があり、豊かである。それは民衆の利益を護り、精神と肉体に指針を与え、すべての人々に安寧を保証する、賢明なるひとりの「王」によって導かれている。王はカウロ・アリット Kawula alit (小さき自分自身)の重要性を理解し、不滅の世界に平和をもたらす正義のあり方、ハムマユ・アユニン・バウォノ Hamemayu Hayuning Bawono* までも熟知している。

{*訳注:Memayu Hayuning Bawono
 Memayuは、美しさ、美麗、幸福を意味するHayuの語から派生した言葉で、接頭辞Maが付いて、Mamayuとなり、美しくする、装飾する、安寧を保つといった意味となる。この語はしばしばムマユ Memayuと発音される。
 Hayuningの語はhayuから派生した語であり、ning(〜nya)がついて所有代名詞となる。よってMemayu hayuning は、その美しさ、その美麗さ、その幸福・安寧となり、意訳すれば、安寧・幸福・繁栄させる、ことを意味する。
 Bawonoの語は、魂や精神的世界を意味する。また外面的、身体的意味合いではブウォノBuwonoの語が用いられる。バウォノは三種の意味からなる。

●バウォノ・アリット Bawono Alit(小さい):個人と家族を意味する。
●バウォノ・アグン Bawono Agung(大きい):共同体、民族、国家、国際社会(グローバル)を意味する。
●バウォノ・ラングン Bawono Langgeng(永遠)は死後の世界である。

 よってムマユ・アユニン・バウォノを意訳すれば、生・世界の幸福・喜び・安寧が保たれる、ということになる。
 ムマユ・アユニン・バウォノをこのように理解することも出来る。すべての人間の魂と肉体は、宇宙のエネルギーのバランスによって、相互に関連・影響し合う。それは我々の魂に欲望としてのエネルギーを与える。そしてそれらは分つことが出来ないのである。}

 ワヤンは人間の生の絵解きとなる。それは個人のみならず、人のモラルを良質な方法で集合・集積し、人間の生にとって安寧と平穏をもたらす、形式、比喩(sanepa)、教育(piwulang)そして指針(pituduh)における基準となる。

 ワヤンは、ラマヤナとマハバラタの時代からジャワ王国、そして独立革命の時代にいたるまで、人間の生そして文明と一体化して進化した。また、インドネシアでは(ジャワ以外)でもワヤンは、物語の内容と表現方法を各地域の状況に合わせて発展して来た。

 ワヤンの物語は人間が生きるための全ての要素を内包する。それは生の必要性を満たすための、個人(ミクロ)と集団(マクロ、国家,国際的)の行動であり、情報選択、生産活動の管理、利益の分配から、一国家における情報管理ならびに国家の指導部の特性、さらに高度なレベルでは「トゥハン・ヤン・マハ・エサ(唯一神)」に関することも含まれる。ゆえにワヤンは、「生の倫理」として看做されるのである。その「生の倫理」は、高度な価値を伴って文化の指針となるのである。

 「生の倫理」としてのワヤンは王の文化でもある。王とは民族の指導者であり、国家の指導者である。一方、カラトゥアン karatuan はワヤン文化の源である。ワヤン文化の源、中心としてのカラトゥアンの維持は、即ち高レベルの生の倫理の維持という意味合いを持つこととなる。とはいえ、このようなワヤン文化の維持は、真実なる生の倫理、指針としてのワヤンの性質、意味に対する共通の理解が必要とされるのである。
(つづく)
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by gatotkaca | 2011-09-30 01:50 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

切り絵 芭蕉2

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芭蕉 2(2011.9.16 W70mm H75mm)
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by gatotkaca | 2011-09-20 00:32 | 切り絵 | Comments(0)

バトロ・コロとは何者か? その2

 バトロ・コロの名、Kalaはサンスクリット語のカーラ Kāla に由来する。この語は本来「時間」を意味する言葉であるが、後に死を司るヤマの別名ともなった。これがジャワに伝わり、「死をもたらす者=カラ」が「人を食う魔神=ラクササ神=バトロ・コロ」へと発展した可能性はある。
 サンティコ論文に基づけば、バトロ・コロの名が現れる最初期の文学作品は「カカウィン・スタソマ」144編:6である。これはモジョパイトのアヤム・ウルク Hayam Wuruk王の時代、ムプ・タントゥラル mpu Tantular によって著されたとされる。14世紀後半(1365〜1389年)である。スタソマは仏教説話として成立した物語であるが、現在のワヤンでも演目として存在する(ジャワ,バリ共にある)。ここでは、コロが既にラクササ姿であること、彼の前身がイスロウォ(イシュヴァラ=シヴァ)であることが注目される。
 その後、いくつかのカカウィンやキタブにおいてラクササ姿の人物の名に「Kala」の語を冠する例があらわれる。コロケヨ Kalakeyo、カリコ Kalika、カラントコ Kalantaka 等である。現在のジャワ・ワヤンの人物には、カラ=コロ〜、もしくは〜コロという名のラクササが多数登場する。コロ・マリチョ、コロカルノ、カラントコ、カランジョヨ、コロ・スキプ、ワフムコロ等々。コロ(カラ)がワヤンの世界では、ラクササの代名詞ともなっているようである。ちなみに、ラクササそのものを意味する語は、ディティヨ(インドでのダイティヤ)、ブト(ブータ)、デノウォ(ダーナヴァ)等があり、これらはインド・サンスクリットにおいても魔物(巨人族)の類いを示す語であり、魔物が殆どラクササ(ラークシャサ)に統合されているジャワでは、これらの語がラクササを示すことには何ら違和感はない。
 ドゥルゴに関する諸論文で見たように、ジャワでは、ドゥルガー像の変容と重なって、ラクササ姿が邪悪な、罪を負った存在のシムボルとして認識されるようになった。しかし、本来コロKala はラクササとは無関係の語である。この語がラクササと関連することなった理由は何だろうか?
 ジャワでのドゥルガー像の変容は、ドゥルゴ=ラスクシ(ラクササ)という設定を生み出した。インドでは、ドゥルガーのさらなる憤怒相として、カーリー Kālī 女神がある。カーリーがジャワに入った際、ラクササと考えられた可能性は高い。しかし、ジャワではカリー女神信仰はドゥルゴ信仰のように顕在化した様子はみられない。「スドモロ」に登場するドゥルゴの弟子カリカが多分カーリーの変容ではないかと考えられる程度である。では、その男性形カーラがバトロ・コロなのか?
 モジョパイト以前13世紀のシンゴサリ王朝期に築かれたチャンディ・シンゴサリにはシヴァの憤怒相バイラヴァBhairawa の彫像があり、モジョパイト以前からモジョパイト中期にかけてバイラヴァ信仰が盛んであった痕跡をみることができる。
 バイラヴァ Bhairava は「恐ろしい者」の意で、シヴァの別名である。シヴァ神にはウグラあるいはゴーラと呼ばれる恐ろしい面を表す八つの形態、即ちアシターンガ(黒い肢体を持つ者)、サンハーラ(破壊)、ルル(犬)カーラ(黒)、クローダ(怒り)、タームラチューダー(赤い冠毛を持つ者)、チャンドラチューダー(月の冠毛を持つ者)、マハーン(偉大な者)がある(「インド神話伝説辞典」 菅沼晃 1985年 東京堂出版)。シヴァの破壊的側面を顕現したバイラヴァの別名にカーラが見られる。モジョパイト期におけるシヴァ信仰は、ウォロ・ワルヤンディニ論文やサンティコ論文(チュムポロ「ビモ特集」)に見られるように、ビモの造形と結びつく。シヴァの「救済者」としての側面は「ルワットする高位者」としてのビモ像を形成した(サンティコ「モジョパイト時代のビーマ ヒンドゥー・シヴァ教における仲介者としての姿」)。一方、「破壊者・殺戮者」としてのシヴァの側面は「バイラワ・マハカラ Bhairawa Mahakala 」として発展し、カラ kala の語は「脅威をもたらす者=ラクササ」と結びつき、幾多のカカウィンやキタブでのラクササの名称にも取り入れられた。そしてシヴァのラクササ的側面(バイラワ)は独立の神格「バトロ・コロ」を生み出すに至ったのではないだろうか。
 バリ島にもワヤンのラコンとして「ムルウォコロ」が存在することを考慮すれば、「コモ・サラ」の物語の成立自体は、デマク王国成立の1478年より以前、ジャワとバリのワヤンが分化する以前に遡れると思われる。多分モジョパイト時代末期には、成立していたのではないだろうか。しかし、「RUWATAN MURWAKALA Suatu Peodoman」に紹介されている「コモ・サラ」の物語は、「キタブ・マニクモヨ Kitab Manikmaya 」や「スラット・パロモヨゴ Kitab Paramayoga」などいずれも19世紀に成立した書によるものである。それ以前の宮廷文化圏における「コモ・サラ」物語の資料は、現時点では筆者は知らない。「コモ・サラ」説話の成立は、宮廷外の民間信仰の中で醸成され、一般化した後、宮廷文化にも取り入れられたと見るのが妥当ではあるまいか。現在みられるスクルタの規定も、瀟酒な宮廷文化よりも、農耕に携わる民衆文化とのつながりを感じさせることからも、「コモ・サラ、バトロ・コロ」の造形は民間で形成されたと考える方が自然に思える。
 「ラクササ姿のバトロ・コロはバトロ・グルのコモ・サラ(誤った精液)から生まれた。バイラワ・マハカラもラクササ姿で、シワ神の化身である。であるから、バトロ・コロは、シワ神と同一視できるバイラワ・マハカラとしてのバトロ・グルと同一の存在と看做してよいのではないだろうか。とすれば、コロとドゥルゴの間には「誤った結婚」の問題は生じない。というのもコロとドゥルゴは、すなわちバトロ・グルとバタリ・ウマなのだから(ルワタン 哲学と教育界の視点から」)」と、スナルト・ティムール氏は指摘する。ドゥルゴの項で考察したように、同一の神が多様な形態で同時存在するインド的感性は、ジャワの民間信仰では成立しにくい。シンゴサリ以来宮廷文化圏で受け入れられたシヴァの一側面としてのバイラヴァは、民間信仰においては、ドゥルゴの場合と同様に独立の神格・キャラクターとして認識されたのだろう。しかしドゥルゴの場合と異なり、天界の至高神たるバトロ・グル(シヴァ)はウモのように不在/魂の入れ替えといった処置は許されない。ゆえに、バトロ・グルと分化したバトロ・コロは、彼の息子という地位を占めることとなったのである。
(了)
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by gatotkaca | 2011-09-14 16:25 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

バトロ・コロとは何者か? その1

 バトロ・コロ Batara Kala は、ジャワ、ワヤンの世界では、人食いのラクササ(羅刹)姿の神である。ルワタンと呼ばれる一種の魔除けの儀式は、現在ジャワでは主に、このバトロ・コロを魔除けするために行われるというのが、一般的理解であろう。
 ルワットは、「浄化・解放」を意味する語である。これがインドの「浄・不浄 Pure & Inpure」の概念から来ているものなのかは不明だが、モジョパイト期のジャワにおいて、一定の行為・状況が『汚れ』を引き起こし、この『汚れ』から脱却・解放されることが、『救い』である、という概念が生じていたことは確かである。「浄化・解放」の儀式たるルワタンそのものは、その概念が、古代から現代にいたるまでにいささかの変容を経ている。先に紹介したサンティコ論文にそって、あらためて検証してみよう。
 サンティコ論文があげた四つの例はいずれもモジョパイト期におけるルワットの概念を示すものであるが、これらは全て『汚れ』を負った個人が、高徳の存在による仲介を得て『浄化』されるとういう構成を持つ。ここで『浄化』される個人は、もともとは「清らかな存在」であったものが、一定の行為・状況によって『汚れ』を帯びる。さらに『浄化』は『解脱 Moksa』と直結していることが特徴的である。ルワタンの儀式は『(元は清らかであった)個人の解脱』を促すための『浄化の儀式』として理解されている。
 これは、現在のルワタンにおいて、儀式の対象とされるスクルタの規定とは、いささか趣きが異なる。現在スクルタとして規定される個人は、二つの異なるカテゴリーから構成される。第一は、オンタン・アンティン (男でも女でも、一人っ子の子ども)、クドノ・クディニ(ひとりが男でもう一人が女の兄弟)、ウグル・ウグル・ラワン(男の二人兄弟)といった個人の生まれながらの状況によるもの。第二は、飯炊きの道具ダンダンをひっくり返した者、日干ししている植物の種をひっくり返した者、米を炊いている最中まだ炊きあがらないうちに出掛けた女、トゥトゥップ・ケオンなしの家を建てた人といったように、一定の規範を破った者である。
 「スクルタであるとされる人はルワットされなければモロプトコ Malapetaka に遭遇することになる、とジャワの民間では伝統的に信じられている。モロプトコ(災厄)とは悲惨さや困苦のことであり、「人生に多大にして重大な危険となるもの」である。モロ mala とは汚れ、不浄、汚濁、悪徳を意味し、プトコ petaka は落ちる、落下することを意味する。つまりモロプトコとは「不浄に陥る」ことを意味する。古代ジャワ説話において、ロロプトコ larapetaka としても見いだされる。例えば、 tan pegat ing lara petaka mangsa ta baya ruwat asue のように。lara petaka の語は多少とも困苦の悲しみもしくは困窮をも意味する。(「RUWATAN MURWAKALA Suatu Peodoman」序文 (Duta Wacana University Press, 1996) 」
 モジョパイト期の文学作品では、ルワットを必要とする『汚れ』はあくまで個人の自覚的行為の結果として生じる。呪いを受ける場合も、呪いの原因は個人の行為に基づくものである。これは現在のスクルタ・カテゴリーでは第二の部類に属するものである。扱われる行為は、現在の規定では卑近なものになっているとはいえ、自覚的行為であることにおいては同じであろう。この段階では、生まれながらにしてルワットを必要とする者は想定されていないと考えられる。これは、これらの文学作品が、王族を対象としたものであることに起因するのであろう。王族がその生まれを『汚れ』として表明することはあり得ぬことであろうからである。もっとも民間において、生まれそのものも『汚れ』として規定する概念があったかどうかは、分からない。民間信仰はこの段階では、文学作品やチャンディ(寺院)建設といった、歴史的証拠を遺していないからである。
 これらを個人のルワットとするならば、共同体のルワットという概念も存在する。「スラット・プストコ・ロジョ・プルウォ」によれば、グルワット・ヌゴロ(国家の厄除け)がスリマハプングン王によって行われた。そのとき彼の国は疫病にみまわれていたのである、(チュムポロ「ムルウォコロ特集」『古代のグルワット・ヌゴロ』)とあり、疫病等のモロプトコ(災厄)を除く儀式としてグルワット Nguruwat が規定されている。モジョパイト時代の遺跡であるチャンデ・スク、チャンディ・スロウォノはこのグルワットのモニュメントとして建設されたという説もある。このチャンディには、スドモロ説話のルワタンの場面が描かれたレリーフがある。デウィ・クンティの出発から始まり、サデウォがドゥルゴのルワットに成功し、スドモロ(病を癒す者)の異名を受けるまでである。
 スドモロ説話を伴ったチャンディは、国家安泰を願って建設された。スドモロ説話は、今にいたるもブルシ・デサ(村の大掃除)やブルシ・カディパテン(kadipaten は王制時代の貴族の領土に相当する行政区)の儀式において、ふつうに上演される。だから村やカディパテンの感謝祭の儀式において、ラコン「スドモロ」は最も選ばれることの多い演目とされる。ルワタンの目的は二種あって、それに伴う演目も、共同体全体のルワットでは「スドモロ」、個人のルワットでは「ムルウォコロ」ということになる。「スドモロ」については項をあらためて論ずる。
 ちなみに、近年盛んに行われるようになったいわゆる「共同ルワタン Ruwatan Bersama 」は、あくまで「ムルウォコロ」上演をともなう個人ルワタンを、経済的理由その他により共同で行うのであって、共同体そのもののルワットとは異なるといえる。
 以上まとめると、ルワタンは古代ジャワ(モジョパイト初期かそれ以前)で、王族のディクシャ儀礼の変容として始まった。当初はヒンドゥー・ブッダ信仰との関係から、個人の『汚れ 』を祓い、『解脱』へと導く儀式であった。この個人的・小乗的儀式は、やがてチャンディ建設などの国家的事業へと発展し、それに伴い共同体全体の『浄化』儀式としてのルワタンも発想されて行ったのである。
 興味深いのは、この段階まではバトロ・コロ(コモ・サラ)説話がまだ登場していないことである。この段階でのルワタン説話では、モロプトコに陥った個人そのものがラクササ化し、ルワタンの『浄化』によって元の姿、『解脱』へと導かれるという構成が主流である。その後共同体の『浄化』儀式への発展が、疫病等の「外部から来襲するモロプトコ(災厄)」という概念を形成した。これが後の「外部から来襲するモロプトコ(災厄)」=バトロ・コロ(災厄の神)の登場を準備したのではないだろうか。そして現在のルワタンは、バトロ・コロの脅威からスクルタ(モロプトコに陥った人)を守る儀式へと変容していったのである。
 では、災厄としての神=バトロ・コロとは何者なのか?
(つづく)
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by gatotkaca | 2011-09-13 16:42 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ムルウォコロの文学的重要性

「チュムポロ Cempala」のムルウォコロ・ルワタン特集号(1995)から『ルワタン 哲学と教育界の視点から』スナルト・ティムール Soenarto Timoer
1.ルワタンとムルウォコロ 2.ムルウォコロの文学的重要性 3.スクルタ一覧 の3項からなる内の「2.ムルウォコロの文学的重要性」の部分。

ムルウォコロの文学的重要性

スナルト・ティムール


 ラコン「ムルウォコロ」のすべての要素は、ルワタンの対象となる登場人物の名前にも見られるように、ジャワ起源であると考えられる。ジャトゥスマティ、ジョコ・ムルヨ、ジョコ・ソンダン、ロロ・プリムプン、ニャイ・ランダ・プリハティン、ニャイ・ランダ・スマムピル、ブユット・ワンケンその他。バトロ・ウィスヌまでも名をダラン・カンド・ブウォノと変えている。ナロドはグンダン(太鼓)奏者カルンルガン、ブロモはグンデル奏者サルニとして描かれ、皆そのようである。
 神々の人物像はむろんジャワ起源ではない。彼らはインドの叙事詩マハバラタから採られているが、すでにジャワ化している。たとえばバトロ・コロは「ムルウォコロ」において活躍するが、マハバラタには見いだせないし、ヒンドゥー神殿にこれと同一視できるものを見いだすのは困難である。しかしラコン「ムルウォコロ」では、夫のバトロ・グルの呪いでラサクシ・ドゥルゴと化したバタリ・ウモは、のちにバトロ・コロの妻となりる。このことは、より深く綿密な研究へと心をかきたてるものである。バトロ・グルの妻、バタリ・ウモの化身であるドゥルゴが、のちにバトロ・グルの追認でバトロ・コロの妻とされるのは、誤った結婚、反倫理的、家庭崩潰の烙印をバトロ・グルに押すものであり、またバトロ・グルの怪物の王に対する優位を象徴するものでもある。しかしこのことについて再考したい。その文学的側面から、ラコン「ムルウォコロ」をレヴューしながら。そこに内包される文学的価値には十分な重要性があるのか?
 我々があまり重視しない傾向にある、ラコン「ムルウォコロ」の物語の流れと様式の構造を観察すると、そこにどのようなものが見いだせるのか。ひじょうに平板で単一のトーン(モノトーン)である。そのような現象は多く、ジャワ文学,特に古典にみられるものである。しかし遂には、ともかくも問いが必要である。「文学」とは何か、どんなものなのか?と。ジャワのカウィ文学とは明白な表現から得られる知識だけではないものに基づく。他のもの、特に明白なものの裏に隠されたものに。言い換えれば、平坦でモノトーンに表現された物語を通じて、隠されたシンボルやパスモン pasemon (比喩)を読み取り、捉えるために、内的視点を研ぎすまさねばならないということだ。そこに強く安定して横たわる、ラコン「ムルウォコロ」の中の文学的重要性を正確に。
 ヒンドゥーの神殿にはバイラワ・マハカラ Bhairawa Mahakala の像を見いだせる。それはラクササの姿に化身したシワ神である。ワヤンにおいてシワ神はブトロ・グルである。ラクササ姿のバトロ・コロはバトロ・グルのコモ・サラ(誤った精液)から生まれた。バイラワ・マハカラもラクササ姿で、シワ神の化身である。であるから、バトロ・コロは、シワ神と同一視できるバイラワ・マハカラとしてのバトロ・グルと同一の存在と看做してよいのではないだろうか。とすれば、コロとドゥルゴの間には「誤った結婚」の問題は生じない。というのもコロとドゥルゴは、すなわちバトロ・グルとバタリ・ウマなのだから。
 同様に、ワヤンで語られる、バトロ・ブロモとバトロ・ウィスヌは、バトロ・グルの息子であるということも(ヒンドゥー神殿ではブラフマーウィスヌーシワは、最高神の三つの側面を表現する)、バトロ・グルとバトロ・コロがひとつのペルソナであること(=シワとバイラワ・マハカラ)と類似して、バトロ・グル、ブラフマ、そしてウィスヌもまた、明らかに一人の人物のペルソナであるのだ。「ムルウォコロ」において語られていることは、バトロ・グル(スクルタの原因)、スクルタたる人間の捕食者コロ(提起された結果)、そしてダラン・カンダ・ブウォノ(ルワタンする者)、これらは全て本質的には一人の人物のペルソナであるということなのだ。誰か?日々を生きる、我々人間そのものである。
a) スクルタの原因とは、個人の内にある破壊的力(低次元の欲望、貪欲)の影響を受けること。
b) その結果として、その者はバトロ・コロの餌食となる(自身の業=カルマゆえにスクルタ=汚れを纏う)
c) ルワット(浄化)する者もまた己自身である(ウィスヌ、ダラン・カンダ・ブウォノ=人間自身の内なる建設的力、気高さ、英知、美徳)。
d) ルワタンとは、トゥハンとの一体化を回復しようとする人間の、復元儀式である。
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by gatotkaca | 2011-09-11 07:36 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

演目「ムルウォコロ」のパクム その2

4.
 キ・ブユット・ワンケンは、夫の言うことをきかない娘と会っていた。夫の名はジョコ・ソンドン(トゴの人形を使う)、メダングロウォンの者であった。ブユット・ワンケンの娘は、名をロロ・プリムプン(やや顔を下げた形の、身体の太った女性の人形を使用する)という。彼女はジョコ・ソンドンと結婚したばかりだが、夫に仕えようとは思っていなかった。キ・ブユット・ワンケンはそれとなく、ロロ・プリムプンが夫に仕えるよう諭した。ロロ・プリムプンは同意したが、ワヤン・クリが見たいとねだった。キ・ブユット・ワンケンはそれを許した。ジョコ・ソンドンは命じられて、メダンカウィットのニャイ・ランダ・スマムピル(きれいな村の中年女の人形を使う)の家の小屋にいるダラン・カンドブウォノに会うことになった。ジョコ・ソンドン、またの名をブユット・グドゥワルはメダンカウィット村へ行った。

5. 
ダラン・カンドブウォノは、ニャイ・スルニ、キヤイ・カルンルンガンそして、ニャイ・ランダ・スマムピル(ニャイ・ランダ・アスムソレ)に対面していた。話し込んでいた彼らの中に、ジョコ・ソンドンがやって来て、自宅でワヤンを上演してほしいという、キヤイ・ブユット・ワンケンの願いをキヤイ・ダラン・カンドブウォノに申し述べた。
 キヤイ・ダランは承知した。キヤイ・カルンルンガンとニャイ・スルニはワヤン上演の支度を整えた。ジョコ・ソンドンはメダンタムトゥに戻った。キヤイ・ダラン・カンドブウォノ(バトロ・ウィスヌもしくはアルジュノの人形を使う)、キヤイ・カルンルンガン(スマルの人形を使う)、ニャイ・スルニ(デウィ・サラスワティのようなビダダリ=天界の妖精の人形を使う)はジョコ・ソンドンと共に出発した。

6.
 キヤイ・ダラン・カンドブウォノはワヤンを上演した。キタイ・カルンルンガンとニャイ・スルニはガムランを演奏した。ワヤン上演の途中、ジョコ・ジャトゥスマティが上演の中にやって来て、ガムラン奏者の間に隠れた。追いかけて来たバトロ・コロは庭で立ち止ま里,ワヤン会場へ入る勇気はなかった。ワヤン見物の人たちは怖がって、一人また一人と上演の場から遠ざかって行った。キヤイ・・ダラン・カンドブウォノはワヤンを中断した。
 バトロ・コロはキヤイ・ダラン・カンドブウォノにワヤンを続けるよう頼んだ。キヤイ・ダラン・カンドブウォノはバトロ・コロが持っている鉈(バドモ)を謝礼として渡すならば、ワヤンを続けよう、と言った。バトロ・コロは、上演が終わったら返すという約束で、鉈を渡した。バトロ・コロは上演会場の外に座った。
 キ・ダラン・カンドブウォノは上演を再開した。バトロ・コロは、生まれたての赤ん坊の匂いを嗅ぎ付け、探した。赤ん坊は取り上げられ、食われようとした。しかし、バトロ・グルの付けた条件によれば、スクルタの子を食いたければ、バトロ・コロが授かった鉈で殺してからでなければならない。バトロ・コロは命令に違反することは出来なかった。しかも鉈はキ・ダランの手の中にある。彼はキ・ダランがワヤンを終えて、はじめて鉈は戻ってくるのである。
 その間にジョコ・ジャトゥスマティは上演会場の外へ出た。彼は逃げたが、バトロ・コロに取り上げられ、がっちり捕まってしまった。バトロ・コロは赤ん坊を腰にはさみ、ジョコ・ジャトゥスマティを手につかんでいた。ふたりはキ・ダランのもとへ運ばれた。
 キヤイ・ダラン・カンドブウォノはワヤンを中断し、バトロ・コロは再開を望んだ。キ・ダラン・カンドブウォノは、鉈とつかんだ子どもと腰にぶら下げた赤ん坊を交換しようと申し出た。バトロ・コロは仕方なく、鉈と子ども,赤ん坊を交換した。彼らは話し合いを続けた。話の中心は、どちらがより立場(年令)が上かということだった。キヤイ・ダラン・カンドブウォノはバトロ・コロの物語についてのキドゥンを読み上げた。彼がバトロ・コロの物語のキドゥンを読み終えると、バトロ・コロは敗北を認めた。
 キヤイ・ダラン・カンドブウォノはまた、バトロ・コロの額、口蓋(上顎)、そして胸に書かれた文書を読み上げた。文書が読み上げられると、バトロ・コロはヒワン・ギリノトの命令を想起し、キヤイ・ダラン・カンドブウォノに降伏した。彼は年下(地位が下)であることを認め、キヤイ・カンドブウォノの子となった。キヤイ・ダラン・カンドブウォノはバトロ・コロにクルンドワホノに住まい、キ・ダランの子としてスクルタの子ども/人を苦しめることのないように、と頼まれた。
 バトロ・コロはクルンドワホノの森に住むことを承知し、サンティ・プジャ、また清めのマントラを祈ってくれるようにと願った。清めのマントラが唱えられた後、バトロ・コロは聖水(花を浮かべた水)でマンディできるよう頼んだ。

 “このとき、スクルタの子ども/人は聖水(花を浮かべた水)を散布され、キ・ダランによってその髪が切られる”

 マンディが済むと、バトロ・コロは気持ちを改め、キドゥンを読み上げてくれるよう頼む。キヤイ・ダラン・カンドブウォノはキドゥン・プジャアン・コロを読み上げる。バトロ・コロは喜び、キヤイ・ダラン・カンドブウォノに認められた子孫たちの安寧を見守ることを約束した。キヤイ・ダラン・カンドブウォノはバトロ・コロの誓いに感謝した。バトロ・コロは暇を乞い、クルンドワホノへの道中の食料としてサジェン(供物)を願った。バトロ・コロは所望のサジェンを選び、キ・ダランが承認した。バトロ・コロはキヤイ・ダランの前に戻り、クルンドワホノへ出発した。

7.
 バトロ・コロが去った後の場面は
 (1)バタリ・ドゥルゴがキヤイ・ダラン・カンドブウォノのもとに現れ、お金やその他の女性の身にふさわしいサジェンを乞う。キ・ダランは承認する。
 (2)バトロ・プニャリアンはヤシの葉(ロンタル)と筆記用のナイフを乞い、見聞したことを記すことを願う。キ・ダランは許可した。
 (3)レバック・キユック(プラゴトの人形を使用する)がやって来て、雄鶏、雌鶏、トゥムペン(米を円錐上にかたどったもの)、ジュアダ(菓子)、クトゥパット(四角い握り飯)、レパット(ちまき)、さまざまな種類の菓子のサジェンを乞う。キ・ダラン・カンドブウォノは応え、全ては同意され持って行かれる。
 (4)クブラ・ドゥカカン(ドゥルソソノと似たワヤンを使用する)が来て、サジェンの米と副菜(ラウク・パウク)、各種の粥,その他を乞う。キ・ダランは承認する。
 (5)コロ・バンジャル(ラクササの人形を使う)が来て、庭のサジェン、花、香料を乞う。キ・ダランは許可する。
 (6)コロ・エンジェル(背の高いやせたラクササの人形を使う)が、四つ辻、道,井戸、池にあるサジェンを乞う。キ・ダランは許す。
 (7)コロ・ジャト(オントセノか類似の人形を使う)が来て、部屋の仕切りのあるサジェンを乞い、寝室の清掃をよく確かめるよう注意する。キ・ダランは約する。
 (8)コロ・イジェン(バトロ・サムブあるいは類似の人形を使う)が、キヤイ・ダランの子と子孫は毎年記念日にサジェンを捧げるよう願い、キ・ダランは了承する。
 (9)ヒワン・ブムブルックが、水牛,馬、ヤギ、農機具、鎌、鉈、剣、その他を乞い、キ・ダランは応ずる。
 (10)ニャイ・ワドン(老女の人形を使う)が、キャイ・ダラン・カンダブウォノの子や子孫が泣いたり、病気になったりした時のための、おんぶひもの材料としてカインのサジェンを求める。キヤイ・ダラン・カンドブウォノは許可する。

8.
 四人の盗賊、クティロ、ランキル、プントゥン・ルユン、ジュギル・アワル・アワルがキヤイ・ダラン・カンダブウォノの前に伺候し、許しを乞う。キヤイ・ダランは彼らに、悪事から足を洗うよう命じる。

9.
ジョコ・ジャトゥスマティは別れを告げ、メダンガティの母のもとへ帰る。キヤイ・ダランはジョコ・ジャトゥスマティにマンディすることを許し、ジョコ・ムルヨの名を与える。

10.
 ワヤンを見ていたキヤイ・ブユット・ワンケンは、キヤイ・ダラン・カンドブウォノの前に出てワヤン上演の終了を求める。キヤイ・ダラン・カンドブウォノは、スクルタの子どものマンディが終わったら、上演は終了であると答える。

11.
 キ・サプジャガッド(バトロ・バユの人形を使う)がキ・ダラン・カンドブウォノの前に伺候する。彼は、家とワヤン会場の庭、スクルタの子の住む部屋があらゆる邪悪な障害から解放されるよう、清める役目を与えられる。キ・サプジャガッドはイヤイ・ダラン・カンドブウォノの命を遂行する。彼はガンダルウォ、ジン、妖精・精霊、幽霊、その他を相手に戦い、すべては打ち負かされる。

タユガン(キ・サプジャガッドによる勝利の踊り)

12.
 サン・ヒワン・ウェナンが到来し、キヤイ・ダラン・カンドブウォノに、一行のすべての者はジュングリンサロコへ戻るよう告げる。キヤイ・ダラン・カンドブゥオノ、キヤイ・カルンルンガン、ニャイ・スルニ、そしてバトロ・プニャリアンはメダンタムトゥ村をあとにした。

13.
 バトロ・ナロド、バトロ・ウィスヌ、バトロ・ブロモ、バトロ・プニャリアンは、ジュングリンサロコでヒワン・ギリノトとデウィ・ウモに伺候した。かくて彼らにまかされ、請け負われた仕事は成功したのである。バトロ・プニャリアンは記した全てを読み上げ、特にバトロ・コロの脅威から解放されたスクルタの子の名前を読み上げる。ヒワン・ギリノトの心づくしを賜り、神々は宴に招かれるのである。

タンチュプ・カヨン(終劇)
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by gatotkaca | 2011-09-10 09:21 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

演目「ムルウォコロ」のパクム その1

 パクム Pakem というのは、ダランがワヤンを上演する際に参照する、各演目のあらすじをしるしたものである。主要プロットを大まかに記したごく簡単なものから、場面ごとのイリンガン(iringan=ガムランの楽曲指定)やスロ(Suluk=ダランが朗誦する場面の雰囲気作り・ガムランの調性指定のための短い唄)までも指定した詳細なものまで、多種ある。ロンゴワルシトの著した、「プストコ・ロジョ・プルウォ」などもパクムの一種として、参考にするダランも多い。
 下記に紹介するのは、「ルワタン・ムルウォコロ 手引き  RUWATAN MURWAKALA Suatu Peodoman」(Duta Wacana University Press, 1996) に掲載されていたパクムである。これは 松本亮著「ジャワ影絵芝居考」(誠文図書 1975)やセノ・サストロ・アミジョヨ著「ワヤンの基礎」(めこん 1982)に紹介されているものとほぼ同じ内容であるが、こちらの方が、より上演の次第に即した形となっている。

演目「ムルウォコロ」のパクム

1.
 ヒワン・ギリノトとデウィ・ウモは玉座にあり、バトロ・ナロド、バトロ・ブロモ、バトロ・プニャリアンら、神々に伺候されている。彼らは
巨大なラクササのことを相談し合っている。そいつは父親が誰なのか、その名は何なのかを問い、食べ物をほしがっている。ヒワン・ギリノトは驚き、バトロ・ナロドに尋ねた。バトロ・ナロドが答えるには、ヒワン・ギリノトがある夕暮れ、ルムブ・アンディニの背の上で妃と交合したことがあった。サン・ヒワン・グルはお忘れか。真実このようなのであり、それがあのラクササ、コモサラなのです。ヒワン・ギリノトは、妻との愛欲の行為を想い出した。かくて巨大なラクササは、その牙が抜かれることを条件に、息子とされたのである。巨大なラクササは、命に伏し、その牙が抜かれた。彼にはバトロ・コロの名が与えられた。バトロ・コロは息子として認められ、人間を食うことが許された。バトロ・ナロドは、バトロ・コロが誰かまわず人間を食うことがないよう、彼に約束させるよう提案した。もしおかまい無しにマルチョポド(地上)の人間を食えば、人間は全くいなくなってしまうだろう。
 ヒワン・ギリノトはバトロ・ナロドの願いに同意し、バトロ・コロが食ってよいのは、オラン・スクルタとされるものだけとなった。バトロ・コロは場を辞してマルチョポドへ降りた。ヒワン・ギリノトは、彼が人間を食う前に鉈(バドモ badama)の武器で切るように約束させ、斧を与えた。
 バトロ・コロが去ったのち、ヒワン・ギリノトは、バトロ・コロに約束した餌食のことを悔やんだ。かくてヒワン・ギリノトは、バトロ・ナロドにバトロ・ウィスヌと共にマルチョポドに降下し、バトロ・コロの脅威からスクルタの人々を守るように、と頼んだ。バトロ・ナロド、バトロ・ブロモ、バトロ・プニャリアンは辞し、ウトロロヨのバトロ・ウィスヌの宮殿へ向かった。

2.
 バトロ・ウィスヌとバタリ・スリは謁見所にあり、バトロ・ナロドとバトロ・ブロモ、バトロ・プニャリアンが訪れる。バトロ・ナロドは、バトロ・グルがバトロ・コロに約束した人間の餌食について語った。訪問の目的は、バトロ・コロの餌食とされた人間たちを助けるためにバトロ・ウィスヌに共にマルチョポドへ降下してもらうことだった。バトロ・ウィスヌは同意した。彼らはトロロヨを後にして、化身した。バトロ・ウィスヌはキヤイ・ダラン・カンドブウォノという名のダランに、バトロ・ナロドは太鼓奏者、カルンルンガンとなった。バトロ・ブロモはグンデル奏者、ニャイ・スルニとなった。彼らはマルチョポドのメダンカウィット村へ降下した。バトロ・プニャリアンは、マルチョポドで起こる全てのことを記録するため、彼らに付き従った。

3. 
バトロ・コロはカルンドワホノでバタリ・ドゥルゴに会い、ジュングリンサロコでの出来事、ヒワン・ギリノトから、餌食として人間を賜ったことを語った。バタリ・ドゥルゴは餌食となる人間を探しに行こうと誘われた。バタリ・ドゥルゴとバトロ・コロはクルンドワホノを出立した。
 (1)正午に、バトロ・コロは、ルムブ・アンディニの背に乗ったヒワン・ギリノトとデウィ・ウモに出会った。二人は変装していたので、バトロ・コロには分からなかった。バトロ・コロは二人を餌食にしようと考えた。ヒワン・ギリノトがウォン・カブル・カンギナン(普通の人)であると見て、彼とその連れはバトロ・コロの餌食と考えられたのだ。サン・ヒワン・ギリノトは言った。我らを餌食にしたいとあれば、バトロ・コロはなぞなぞに答えなければならない、と。バトロ・コロとヒワン・ギリノトは謎かけをした(ダランがなぞなぞとその答えを作る)。バトロ・コロはヒワン・ギリノトのなぞなぞに答えられなかった。正午(昼の12時)は過ぎてしまい、陽は西に傾いた。ヒワン・ギリノトはバトロ・コロの脅威から逃れたのである。バトロ・コロは負けを認め、ヒワン・ギリノトは彼に命じた。バトロ・コロの額、口蓋、胸、にある「チョロコバリックcaraka=使者 balik=後ろ」を読むことが出来た人、そして背中に書かれたコロの妻と兵隊の名をコロの身体のどこにあるか見つけることのできた人、その人は普通の人でなく神に属する。バトロ・コロはその者に服従しなければならない、と。そうしなければ、彼は神の一員たる資格を失うのだ。ヒワン・ギリノトとバトロ・コロは分かれた。
 (2)ニャイ・ランダ・プリハティンの息子、ジョコ・ジャトゥスマティはメダンガティ村に住んでいた(ジョコ・ジャトゥスマティ=ポンチョウォロの人形を使用・ニャイ・ランダ・プリハティン=ドゥルパディの人形を使用)。ジョコ・ジャトゥスマティは一人っ子であった。彼は母に食べ物をねだった。母は息子の好物を作っておいたが、ジョコ・ジャトゥスマティは、まず身を清めるためにマディルド池でマンディしてくるように命じられた。ジョコ・ジャトゥスマティは池へマンディしに行った。そのとき、バトロ・コロがマディルド池の水に入ってマンディしているところだった。ジョコ・ジャトゥスマティが彼に近づくと、名前、出身、兄弟のことを尋ねられた。ジコ・ジャトゥスマティは、彼がニャイ・ランダ・プリハティンの一人息子であると答えた。バトロ・コロはヒワン・ギリノトの条件を思い起こした。この子はスクルタである。かくてその子は食われようとした。ジョコ・ジャトゥスマティは池を後にして逃げ出し、バトロ・コロは追いかけた。
 ジョコ・ジャトゥスマティを追いかける中で、バトロ・コロは様々な障害に合う。
 (3)バトロ・コロは「ブムブム・ウンワン(竹筒)」を踏み、転んだ。かくて彼は「ブムブム・ウンワン」を道や庭に放り出しておく人を呪った。バトロ・コロは起き上がり、再びジョコ・ジャトゥスマティを追いかけた。
 (4)バトロ・コロはヒョウタンの蔓にもつれて、ずっこけた。バトロ・コロは、道や庭にヒョウタンなどを植える人を呪った。バトロ・コロは走り去り、ジョコ・ジャトゥスマティを追った。

 (5)ジョコ・ジャトゥスマティは建築中の家に逃げ込んだ。そこはまだ、柱がしっかり立っていなかった。足が柱にぶつかった。まだ屋根のついていない家は崩れ落ち、バトロ・コロに捕まったジョコ・ジャトゥスマティは、逃げることができた。バトロ・コロは、きちんと柱を立て、屋根を乗せずに家を放っておいた人を呪った。
 (6)ジョコ・ジャトゥスマティはさらに逃げ、空き家に入った。バトロ・コロも入ったが、石臼(ガンディク)が、摺台の石(ピピサン)から滑り落ちた。ジョコ・ジャトゥスマティはバトロ・コロの手から逃れた。コロは、石臼を床に放り出しておく人を呪った(一説では石臼を壊したとも語られる)。
 (7)ジョコ・ジャトゥスマティは逃げ続け、トゥトゥップ・ケオン(屋根の左右に置かれる)のない家に入った。バトロ・コロも入り、ジョコ・ジャトゥスマティに飛びかかった。しかい、ジョコは「トゥトゥップ・ケオン」のあるべき穴に飛び込んで、外へ逃げてしまった。バトロ・コロは怒り、トゥトゥップ・ケオンをつけずに家を建てた人を呪った。ジョコ・ジャトゥスマティは逃げ、バトロ・コロは追いかけた。
 (8)ジョコ・ジャトゥスマティは、飯炊き中の台所に入った。バトロ・コロは追いかけ、ジョコは飯炊きかまどの周りを逃げ回わった。バトロ・コロの足がダンダン(飯炊き釜)にぶつかった。ダンダンは壊れ、熱湯がバトロ・コロの足にかかった。バトロ・コロの超能力が逃げた。そして、彼は飯炊き釜を叩く人を呪った。ジョコ・ジャトゥスマティは逃げ続け、ある村に入った。バトロ・コロもそれを追った。
 (9)バトロ・コロは、椰子の皮をむく道具、スロ(スルムバット、リンギス)にぶつかった。スロの先端で足が傷つき、超能力が落ちた。ジョコ・ジャトゥスマティはバトロ・コロの追跡から逃れ、メダンカウィット村に入った。

(つづく)
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by gatotkaca | 2011-09-09 16:27 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ルワタンとコモ・サラの物語 その2

(つづき)

3.バトロ・コロあるいはコモ・サラ

 バトロ・コロとは何者か?バトロ・コロの誕生にはいくつかのヴァリエーションがある。古い物語ではコロという人物は明確ではない。コロ Kala という言葉のつく人物群は存在する。たとえば、モホコロ Mahakala 、コロクヨ Kalakeya 、カラントコKalantaka 、カランジョヨ Kalanjaya である。新らしいジャワのワヤンの物語においては、一般的にコロはバトロ・グルとドゥルゴの子どもであると言われる。ふつうはコモ・サラからコロが生まれたと語られる。

3.1.「キタブ・マニクモヨ Kitab Manikmaya 」(9〜10)の物語を以下に略記する。
 ヒワン・ギリノトは妻とともに世界を巡ることを欲した。彼らはルムブ・アンディニの背に乗って、天を飛んだ。彼らはジャワ島を巡り終え、海上を飛んだ。偶然日没の時となり、赤い太陽の光が海の水に輝き、海はとても美しく見えた。ヒワン・グルはこの海の美しさを見て、心乱れた。ウィスヌの誕生以来久しい愛欲がおこった。そのとき以来の妻と交わりたいとの切望がおこったのである。しかしながらバタリ・ウモは、彼に応じることはなかった。というのも、まだ交合したいという気持ちとはほど遠かったからである。サン・ヒワン・グルは強く求めた。聖なる妻はつかまれ、膝をつき、犯されようとした。バタリ・ウモははねつけ、嘲笑いながら荒い言葉を発した。ヒワン・グルはラクササのごとく野卑である、場所をわきまえずに事を為そうとする、牛の背の上で。
 聖なる妻はヒワン・グルにこらえるようにと願った。このとき、デウィ・ウモの言葉は、魔力をもった呪いとして発現し、ヒワン・グルにラクササのような牙が生えたのである。
 ヒワン・グルのコモ(精液)は海にこぼれ落ち、大音響が轟いた。海水ははげしく振動し、かき混ぜられたように泡立った。サン・ヒワン・グルの心には、恥辱と妻に対する怒りが入り混じった。すぐさま彼らはカヤンガン(天界)へ戻った。海水はいまだ激しく泡立ち、けたたましい音が鳴り渡り、神々に騒動が起こったのである。天の一部が揺れ動き、神々は原因を探るよう命じられた。すぐさま神々は出立した。騒動の出所に着き、熱線を吹き出しながら、太陽のような光が海底から発せられているのを見た。原因が解って、彼らは戻り報告した。この騒動は海底から起こっている。灼熱の熱線のため近づくことができない、と。サン・ヒワン・グルは、その輝く者はコモ・サラであろうと言った。神々は再び命を受け、戦いの準備を整え、出来る限り多くの武器を使って、大海に燃え上がるコモ・サラを殲滅するよう命じられた。神々は武器を手に取り、すぐさま出立した。燃え盛るところへ神々は一斉に、雨が降るように矢を放った。ゴド(棍棒)、ドゥンド、ブドモ、ガンディ、クント、チョクロ、チョンドロ、カパック、リムプン、モソロ、アルゴロ、などの武器が海中で燃え盛る光に向かって落とされた。大海はあたかも沸騰し攪拌されたようであった。
 矢と武器に埋め尽くされたコモ・サラは静まるどころか、さらに大きくなった。放たれていた熱線は消え、山のような巨大なラクササが現れた。すべての武器がコモ・サラの身体を作った。ドゥンドは頭となり、ゴドは首となり、リムプンは鼻、額、そしてこめかみとなる。チョクロは目となり、ビンディは腿、ヌンゴロは右肩、トゥリスロは左肩となった。ゴドは胸、すべての矢は髪の毛と歯になった。ふいにラクササは飛び上がり、海の上に山のように立ち上がった。身体をくねらせながら稲妻の轟のようなくしゃみをし、雷鳴の如く咳払いして海から出た。我が父は誰かとわめくように問いながら、神々に近づいてきた。神々は恐れおののき、ほうほうの体で逃げ出した。神々はヒワン・ギリノトの前に伺候し、土盛り口調でコモ・サラは武器よっては殲滅し得ず、山のような大きさのラクササとなったと伝えた。その姿は恐ろしく、大海より出て、稲妻のようにとどろくうめき声で父親が誰なのか、と叫んでいた。それゆえ神々は恐れおののいて散り散りになった、と。神が語り終える前にコモ・サラが突如として現れた。神々はバトロ・グルの後ろに隠れた。コモ・サラが彼らを睨みつけた。ヒワン・グルは座ったままそこを動かなかった。コモ・サラは近づき、ヒワン・グルの前に至り腰を下ろすと、轟く声で尋ねた。ヒワン・グルは名を尋ねられた。ヒワン・グルは答えた。我は世界の王、あまねく衆生の守り手にして、サン・ヒワン・ジャガノトである、と。コモ・サラは、サン・ヒワン・ジャガノトが世界の守り手であるならば、彼を子に持った者、彼の父の居場所を知らなければならぬと言った。サン・ヒワン・ジャガノトはコモ・サラの尋ねたこと全てをしており、彼の父の居場所を教えることに同意した。その条件として、コモ・サラに彼の足に額ずき敬意を表することを求めた。コモ・サラは承知したが、彼が嘘をついたらきっと食ってやるといった。サン・ヒワン・ジャガノトは同意し、コモ・サラは彼に拝跪することを命じられた。コモ・サラがブトロ・グルの足もとに拝跪したとき、サン・ヒワン・ギリノトは、彼の左のこめかみの毛を引き抜いた。コモ・サラは抗って顔を上げた。サン・ヒワン・ギリノトはかまわず、彼の二本の牙を素早くつかんだ。その先端は切り落とされ、口から出たままの舌を押し付けられた。コモ・サラはなす術もなく遠くへ放り投げられて座り込んだ。牙の先端は、右がスンジョト・クントに、左はスンジョト・パソパティに作り代えられ、髪は弓弦となった。かくてサン・ヒワン・グルはその息子、コモ・サラに言葉を与えた。彼はバトロ・コロの名を与えられ、ジャワ島のすべての邪悪な怪物たち、ジン(精霊)を治めるため、ヌサカンバンガンへ赴くよう命じられた。
 コモ・サラはサン・ヒワン・グルの慈悲に感謝し、その命令を承諾した。そして彼は、食べ物を欲した。
 サン・ヒワン・グルは60種類の人間を獲物として許可し、その説明をした。60種類の人間,子どもたちはオラン・スクルタとなった。サン・ヒワン・グルによって述べられた種類の人間が彼の餌食であると聞き、バトロ・コロは満足した。自身の望みが約束されたのである。バトロ・コロは拝跪し、ヌサカンバンガンへ出発した。すべての怪物とジンも従った。バトロ・コロは彼らの王となったのである。バトロ・コロが去った後、サン・ヒワン・プラメスティは天界へ戻った。そしてデウィ・ウモへの怒りが再びわいてきた。妻の呪いで、サン・ヒワン・グルにラクササのような牙が生えたからである。
 サン・ヒワン・グルの怒りを計りかねたデウィ・ウモは、彼の前にやって来た。拝跪するやいなや、バトロ・グルは彼女の髪をつかみ、束ねた髪はほどけた。デウィ・ウモは、髪を押さえながら、激しく泣き叫んだ。それにかまわず、両の足もつかまれ、頭は地に押し付けられた。怒りながらサン・ヒワン・グルは言った。「きれいでかわいいそなた、デウィ・ウモよ。しかしその髪はラスクシのよう乱れ、ラスクシのような金切り声で泣き叫んでおる。」このとき、デウィ・ウモはラスクシに姿を変えたのである。
 デウィ・ウモは放された。泣きながらサン・ヒワン・グルに拝跪し、後悔し、許しを乞うのであった。サン・ヒワン・グルは心打たれ、哀れみの情を抱き、やさしく言った。「ウモよ、このような事になったのも、神の定めである。そなたの身体はラスクシとなったが、魂はデウィ・ウモである。ラスクシの身体はバトロ・コロの妻としよう。」
 サン・ヒワン・グルは超能力でデウィ・ウモの魂を、ジンの王ロモの息子、伯父であるルシ・チャトルコノコの妻、デウィ・ラクスミの身体に移した。デウィ・ウモの身体にはデウィ・ラクスミの魂が入った。彼女はデウィ・ウモと同じ美しさであった。デウィ・ラクスミの魂が入ったデウィ・ウモの身体はヌサカンバンガンのバトロ・コトに妻として与えられ、デウィ・ウモの魂が入ったデウィ・ラクスミの身体はバトロ・グルの妻となった。
 そのときまで、サン・ヒワン・グルと息子の神々は15年間ジャワ島を支配した。時至り、神々はジャワ島を去り、もといたヒンディ(インド)の地、トゥングル(ヒマラヤ)山頂へ帰った。かくてスロンの地に天界が建設された。ルシ・チャトゥルノコの妻、デウィ・ラクスミはバトロ・グルに与えられた宿命に伏するのみであった。

(訳注:以下引用文献のみ記して詳細は略す)
3.2.キヤイ・ドゥマン・ラディタノヨ Kyai Demang Raditanaya 著「パクム・ムルウォコロ Pakem Murwakala 」によるバトロ・コロの物語。

3.3.M.プリジョフトモ博士「javansh Lesboek」中の「マニクモヨ」と題したバトロ・コロの物語

3.4.S.パドモスコジョの「サラシラ・ワヤン・プルウォ」(PT Citra Aksara , Surabaya出版)

3.5.R.Ng.ロンゴワルシト著「スラット・パロモヨゴ」

4.子を遺すためのサンガマ(交合)

 先に五つの引用を示した、コモ・サラあるいはバトロ・コロの物語はヴァリエーションはあっても、その内容に大きな違いはない。大筋は同じで、時と場所をわきまえないバトロ・グルの愛欲の行為がことの始まりであり、時と場所を誤った交合として結論づけることができる。抑えきれない欲望にしたがって、はげしい色欲を恣にすることである。時と場所を誤ったことが、コモ・サラの誕生という災厄の理由とされているのである。

 ジャワの教義に従えば、交合は欲望の発露として行われてはならない。交合の目的とは、聖なる義務、すなわち生の歴史を繋ぐ子どもを遺すことにある。RMH・スゴンドの著した「スラット・ニティ・マニ Niti-mani」(1919年 Albert Rusche , Surakarta 出版)において、説かれているところに従えば、
 「ゆえに交合 bersangama はアジ・アスモロゴノ Aji Asmoragama であると推定される。それは尊厳と賞賛をもって行われなければならない、その意味は、交合とは、嗜好、遊戯としてなされてはならず、ふざけたり、笑ったししながらしてもならない……」

 他のジャワの教義でも、交合はウィジ・アジ wiji-aji 、つまり優秀な萌芽を遺すためのものである。ゆえに、それが行われるとき、心を整える、断食(昼)する、夕食は控える、我慢する、その他を行ってからである。交合の前に夫婦は沐浴で身を清め、トゥハンの恩恵として、良識をもち、父母、家族、そして社会の役に立つ立派な子どもが授かるよう願いをかける。

 ジャワ古典の書、またプリムボン Primbon の教義では、交合に良い、または悪い、曜日、日付、そして時間についての規範が与えられている。「スラット・チュンティニ Centhini (ラテン語版、Yayasan Centhini Yogyakarta 第2刷)」の手引き34では、
 「直射日光が当たる場所で交合してはならない。そこで得られた子どもは、幸福からとおのくであろう。」とある。

 これは、黄昏時にバトロ・グルによってデウィ・ウモに強いられた交合に照らし合わせることができるだろう。

 その他にも禁止事項はある。たとえば、暗闇での交合で子を得ると、その子は石頭で馬鹿な子になる。夜明けの交合は、知恵の足りない子を生む。イスラム歴の休日は、愛欲にとらわれてはならない、こうして生まれた子は父母に反抗的になる。立ったまま交合すると、その子は小便たれになる。

 通説では、これらのタブーは予言者ムハムマドが法として、シャイディナ・アリに説いたとされる。この説教は悪習慣に対する禁止の強化として考えられる。そのような教義は、その他の多くのものと同様に、イスラムをジャワの教義の目録に浸透させるためであった。

5.隠された教義
 コモ・サラ、あるいはバトロ・コロの誕生の物語の意味は以下のように分析できるだろう。

1.ブルサンガマ(交合)、交合による夫婦の一体化は、家族,社会、人類のために役立つ子どもを賜る、ウジ・アジ、優秀な萌芽を獲得するための聖性と高貴なる理想をもった職務を内包する。

2.トゥハン・ヤン・マハ・エサの恩恵としての種子は行為(精神集中、夕食を減らす、意識を持つ、その他)によって獲得される。

3.意識の根底には「クワジバン・スチ kewajiban suci =内心を清めること」があり、サンガマを実行する前に、夫婦は沐浴して身を清め、社会に役立つ良識ある立派な子どもを賜るよう、トゥハン・マハ・プンチプタに祈りを捧げる。

4.「高貴な理想」に達するための「クワジバン・スチ」の実行があれば、時と場所をわきまえぬ気ままな、目の前にある快楽と満足のためだけに行われる交合には至らない。そのような行いは、家族と人間の生に災厄をもたらすコモ・サラを遺すこととなるだろう。

 これこそがコモ・サラまた、バトロ・コロの誕生の物語に内包されるジャワの教義である。

(了)
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by gatotkaca | 2011-09-08 15:34 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ルワタンとコモ・サラの物語 その1

 「ルワタン・ムルウォコロ 手引き  RUWATAN MURWAKALA Suatu Peodoman」
  (Duta Wacana University Press, 1996)
 「イルムの知識と合一文化財団ジャワ学機構 Lembaga Javanologi Yayasan Ilmu Pengetahuan dan Kebudayaan Panunggalan 」は、ヨグヤカルタ州政府歴史部門研究庁と共同して、1990年9月日にルワタン・セミナーを、その後1991年6月15日にルワタン・ワークショップを開催した。そのセミナーでの講演をまとめ、加筆したのが上記の書。ルワタンに関する諸問題が検討されていてたいへん興味深く、勉強になる。今回は、そこからコモ・サラ物語の歴史的形成と、そのあらまし、現代的な意味を論説した部分をご紹介する。4項からなるが、第3項の途中引用される5つのコモ・サラ説話は、ほとんど内容的に同じであるので、最初の一つのみご紹介し、あとは割愛させていただく。その後の第4項での考察にも影響はないと判断した。ご海容を乞う。
 このあと、同書にあるワヤン「ムルウォコロ」の上演用あらすじ(パクムという)を紹介し、さらにチュムポロ「ルワタン特集号」のスナルト・ティムールの論考「ルワタン 哲学と教育界の視点から」の一部をご紹介する。そののち、これらの論考を踏まえて、バトロ・コロとは何者か?について考えてみたい。
 まずは、「ルワタン・ムルウォコロ 手引き」第2章 ルワタンとコモ・サラの物語。

ルワタンとコモ・サラの物語


 ルワタンに含まれ、関連する言葉のいくつかを明らかにしておく必要があるので、以下に記す。

1.ルワタン

 ルワタンの語は、ルワット ruwat からきており、ルワットは、「自由・解放」を意味する。マングルワットmangurat またはグルワットnguruwat は「解放する・自由にする」を意味する。長い伝統、又古代において、ルワットされるものとは、気高く、幸福なる生き物であり、後に卑しきもの、苦しみ、となった。それで、苦しみや卑しさの生がルワットされなければならないとされ、「苦しい生からの解放・自由」を意味することとなった。ジャワ古語において、ルワットは「分割」、そしてルムワット rumuwat の語は「浄化・解放」を意味する。

 いくつかの物語において、解放されるものとは、神の呪いを受けた苦しみ、汚濁、困苦、悪事の罪その他である。WJS プルウォドルミント Poerwadarminta はバウサストロ・ジャワ Baoesastra Djawa において、占い、誤れる姿となる呪いからの解放、神に科せられた罰からの解放、 diruwatの意味は「〜からの解放」であると説明する。

 インドネシア語大辞典によるとルワットの意味は、
1.(呪詛,その他で怪物になった人が)原初の状態を回復すること。
2.陥るべき悪運(信仰に従う人にとって一人っ子などのような良くない運命に陥る)から解放(分離)されること。
である。

2.ルワタンの物語

 ジャワ古語の物語には多くのルワタンの物語がみられる。ルワットされるものの多くは、呪いを受けた神であり、人生での卑しい行為によって、動物の生、ラクササ、醜い悪辣な姿になったものである。

 ジャワ古語、ワヤンのパクムにおけるバトロ・コロの出る物語は以下のようである。
1.カカウィン・パルトヤジノ Kakawin Partayajna (三十二章)の物語ドゥルゴの子ラクササのノロモロは、ドゥルゴが以前ガネシャとして産んだものが堕ちたのである。アルジュノと戦ったとき、ノロモロは自身の姿がコロに見えた。アルジュノはシヴァと一体となるため瞑想し、彼は額から閃光を発した。ラクササ・コロは恐れをなして逃走し、カーリの時代に、パンダワの兄弟たちを殺すため、怪物姿の三人の兄弟、コロケヨが現れるだろうと言った。
2.スドモロ(三〜四章)の物語。ドゥルゴの子、その名をカラントコ、カランジョノというものが現れた。二人は元々はチトロゴドとチトロセノという神であったが、ブトロ・グルの呪いを受けたのである。カラントコとカランジョノはコワラに味方し、パンダワを殲滅しようとした。しかし彼らはのちにサデウォによってルワットされ、元の神に戻った。スドモロの物語にもカリコという人物が語られるが、これはバタリ・ドゥルゴの召使いである。
3.ムプ・ダルモジョ著、スモロダホノ Smaragahana の物語(24〜28章)。シワは神の身体に象の頭をもつゴノをもうけた。この物語においてはナンディスウォロ Nandiswara またモホコロ Mahakala の名でも呼ばれるが、彼らは苦行中のシワの守護者とされている。マハコロはシワの息子ではない。
4.PJ ズートムルデルの著書、「キタブ・カランワン Kitab Kalangwan 」にあるクレスノカラントコ Krsnakalantaka の物語(9〜124章)では、ドゥルゴによって超能力を賜ったラクササ王、カラントコという人物が語られる。彼はパンダワの仲間を殺そうとして、ドゥルユドノを手助けした。そのとき、パンダワと和平を保つようにとビスモに忠告され、ドゥルユドノは断り、ドゥルゴに援助を求めようとした。ドゥルユドノはドゥルゴを探しに森に入り、ダスウォント Daswanta と出会った。ドゥルゴは彼を手助けするようにとカラントコに命じた。
5.「パクム・カンダニン・リンギト・プルウォ Pakem Kandhaning Ringgit Purwa 」(写本 Leiden UBLOV 639 Ⅱ、39-44ページ Djambatan 出版、ジャカルタ)では、ヒワン・グルがデウィ・ガリティとデウィ・ウモを娶ったことを物語っている。デウィ・ガリティはふたりの子、バトロ・ブロモ Brama とバトロ・チョクロ Cakra をもうけた。バトロ・ブロモは毛深く、その骨が赤かった。一方、バトロ・チョクロは脚がびっこだった。デウィ・ウモも二人もうけた。一人目はバトロ・ウィスヌで色が真っ黒だった。ふたり目はバトロ・バスキで真っ白であった。その後デウィ・ウモはさらに三人の子をもうけた。ヨモディパティ Yamadipati 、ゴノ Gana 、そしてシワ Siwah である。彼らはストロ・ゴンドマユSetra Gandamayu に置かれた。ヨモディパティは恐ろしげなラクササの容貌であり、ゴノは頭が象で大食漢、シワはその身体の半分が白、もう半分が黒い色をしていた。バトロ・ゴノはビダダリたちを困らせるのが好きであった。かくてヒワン・グルはヒワン・ナロドにバトロ・ゴノをマルチョポド marcapada (地上)へ追放するよう命じた。バトロ・ゴノはマルチョポドのプルウォコンド Purwakanda の森に住み、ラクササの兵士たちを支配した。

 これら古代の物語において、彼らは人生に置ける困苦、汚れ、卑しさ、その他の状態から解放される。解放される者の数は一人、二人、また五人を数える。彼らは神のような幸福から、悲惨な人生をおくる怪物になる運命となる。であるから、彼らは悲惨な人生からルワットされ、解放される。ルワットされる者は神、あるいは神の子孫である。彼らは、サン・ヒワン・グル、クレスノ、アルジュノ、そしてサデウォのルワットを受けなければならない。

 ジャワの新しい物語では、ルワットされる者はバトロ・コロの餌食となるべき者たちである。バトロ・コロはサン・ヒワン・グルの「コモ・サラ」から生まれた子どもである。バトロ・コロの餌食となる者たちは悲惨な運命にあるとみなされ、悲惨さから解放されなければならないのである。

(つづく)
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by gatotkaca | 2011-09-07 22:19 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

古代ジャワ社会でのルワットの概念

「チュムポロ Cempala」のムルウォコロ・ルワタン特集号(1995)から

古代ジャワ社会でのルワットの概念

ハリアニ・サンティコ

 近頃はしばしば、一家族によるものではなくいくつかの家族が共同で、ルワタンの儀式を行うのが良いということを耳にする。今の時代のルワットの儀式について議論されるのは、ルワットの概念の始まり、ルワットされるのがどのような者たちなのか、ならびにその儀式はどのようであったのかということである。
 ルワットの儀式は古くから行われてきたが、少なくとも証拠が残っているのはモジョパイト時代である。しかし古代ジャワ社会でのルワット(likat)の概念と目的がどのようであったかについては、古代ジャワと中世ジャワの書物を参照するのが良かろう。モジョパイト成立期とモジョパイト崩潰後のものとして、「カカウィン・スタソマ Sutasoma」、「チャロナラン Calon Arang 」、「キドゥン・スドモロ Sudamala 」そして「コロワスロモ Korawasrama 」がある。それらの書のにおけるルワット(lukat)の物語を、例をあげて略記してみよう。
 1.「カカウィン・スタソマ」144編:6
 バトロ・コロがスタソマ(ブッダ)にルワット(linukat)を乞い、“イスロウォ Israwa の姿”に戻してほしいと願う。これは、人間をCaru(犠牲)とした、ダルマに沿わない(adharmmapataka)行為をなした、つまり罪を犯したと感じたからである。
 2.「チャロナラン」物語
 未亡人チャロナランは、ツマ・トリスの墓地に住まう、超能力のプンデト、ムプ・バラダにルワットされる。このルワットの物語は次のようなものである。
 ムプ・バラダは初め、疫病を蔓延させて、数千の人を殺した罪を犯したチャロナランをルワットすることを拒んだ。チャロナランは怒り,戦いとなり、ついにチャロナランは殺された。チャロナランが死んで、バラダはその未亡人をルワットしてやらなかったことを後悔した。チャロナランは蘇生させられた。彼女はおおいに怒り、バラダは説明した。「おお、母よ、そなたを蘇らせた我が目的は、そなたに生の完全性(kalepasanta)について教えておらなかった故じゃ。そなたが、そなたの天界( tumuduhing Swargganta)へ向かい、そなたの罪を消滅させる( kalawan manghianganig)ために。」バラダの答えを聞き、チャロナランは歓喜し。ルワットを受けた。そして完全なる死( mati linukat)
を迎えたのである。 
 3.「キドゥン・スドモロ」
 デウィ・ウモはブラフマ神と戯れ、呪われてラサクシとなり、ドゥルゴ・ラニニの名が与えられた。彼女はクブラン(墓)・クセトラ・ゴンドマユに12年間の追放を命じられた。12年の後、シワ(バトロ・グル)は、サデウォの身体を“借りて”ドゥルゴをルワットしに来る。その儀式においてバトロ・グルはサデウォの身体に“入魂”し、ドゥルゴは一本足で立つよう命じられた。フンコロ hungkala (オーム)が唱えられ、サデウォは黄色の米を撒き、ドゥルゴ・ラニニの頭に花を乗せた。かくてラスクシは、美しいデウィ・ウモの姿に戻り、その罪は消え去ったのである。
 4.「コロワスロモ」には二つのルワットの物語が見られる。
 ひとつめは、ラスクシ姿のバタリ・ドゥルゴが、トリプルシ tripurusi(バタリ・サウィトリ、バタリ・サラスワティ、バタリ・スリ)の助けを借りたヒワン・ゴノ(ガネシャ)によってルワットされる。バタリ・スリはドゥルゴの手足に、バタリ・サラスワティは心臓と心に、バタリ・サウィトリは身体と最後に鼻に降りた。そしてバトロ・ゴノが、定められた手印(ムードラ)を結んでマントラ(呪文)を唱えた。ドゥルゴは白い水差しに入れられた聖水をかけられた。かくてドゥルゴは姿を変え、ウモに戻ったのである。
 ふたつめのルワットの物語は、バタリ・ドゥルゴとバトロ・コロがサン・ヒワン・トゥンガルによってルワットされる。トゥンガルは彼らの罪を消滅させ、ウモとシワ(バトロ・グル)の姿に戻したのである。
 上記の引用から明らかになるのは、先の諸文学作品でのルワット(lukat)とは、単に邪悪な影響と力から個人を解放するだけでなく、「内心に付着する個人の罪(mala、klesa、wighna の語で語られる)を清め、モクシャ moksa =解脱、つまり完全性に到達できるようにする試み」の形式であるということである。
 ヒンドゥー教の教義では一般的に、自身が誰なのかを「知る」ことなしにモクシャに到達することはできない。目的を知らない、彼自身(アートマン)はブラフマンではない。無知から生じる行為(カルマ)は、罪(マラ、クレサ、ウィグナ)を内包する。クレサは魂(身体にあるアートマン)に手錠をかけ、ディクシャ diksa の儀式でのみ、消滅させることができる。ディクシャの儀式は数種類あり、儀式の進行を知る人と合一することで賜る。タントラの書のひとつ「クラナヴァ・タントラ」によれば、高位の聖なる知識を得た真摯な弟子に規則に則って行われた時、罪は、どれほどおおきな罪であっても消滅するとされる。ジャワでは、ディクシャの目的に関する説明は「キタブ・アガスティヤパルウォ Agastyaparwa 」において次のように説かれる。
 「……プラタマ・グル Prathamaguru 、マディヤマ・グルMadhyamaguru 、そしてウッタマグル Uttamaguru と同様にして、そなたディクシャを為す者として行え、出生から解放され、神となることを望む人間として。そなたによってディクシャが(得られた)のち、すべてのクレソが消滅する。」

 上記のディクシャの儀式の目的で注目すべきは、特に神聖で高位の知識の段階にある弟子/個人にとって、モクシャ(解脱=神となる)到達を早める要素であるということである。筆者は古代ジャワ・中世ジャワ文学作品におけるルワット( lukat)とは、ディクシャの儀式であると考えたい。この見解は以下の事項で強化され得るだろう。
 1.「コロワスロモ」において、ルワットの儀式は明らかにディクシャの儀式として語られている。
 2.「チャロナラン」において、ルワット(lukat)は marawah kalespasa, tumuduh ing swarga kalawan manghilanganing wignah(完全性/解脱 moksa に関する教義は、天界を目指し、障害/罪を消滅させることである)と語られる。
 3.「カカウィン・スタソマ」と「キドゥン・スタソマ」おいて、悪魔的(デモーニック)な人物は“神になる”ことを望む。バトロ・コロはイスロウォに、バタリ・ドゥルゴ・ラニニはウモになりたいと願う。
 4.注目すべきは、ルカットの儀式を進行する人物たちが、高位の聖なる知識を獲得した者たちであることだ。バタリ・ドゥルゴ・ラニニとバトロ・コロは実のところ刑を受けている神/女神であり、一方、チャロナランはタントラ教義における女性グルである。
 さらにカレパサン(解放)とルワット(浄化)の物語は、しばしばチャンディ寺院の装飾にも起用され、それを見ることができる。たとえば、スドモロの物語はチャンディ・トゥガワンギ Tegawangi(パレ)、チャンディ・スク Sukuh (ラウ山)の壁に、スリ・タンジュンの物語はチャンディ・ジャブンJabung (クラクサアン付近)、チャンディ・グリムビ Ngrinbi (ジョムバン付近)に、アルジュノ・ウィウォホはチャンディ・ジャゴ Jago (マラン、トウムパン)といったように。どういった理由からであろうか?
 チャンディは王個人とその一族のプンダルマアン pendharmaan (運命の場所)である。世を去る個人の目指すところは、そのダルマと“合一”することであり、(チャンデイ建設などで)自らの守護神をつねに共にあることが出来るよう(ista-dewata-nya)にと願い、その神を自身の姿で彫刻する。たとえばシワやウィスヌに。ひとつのチャンディに一人のダルマを表現することを目的とするのであるから、チャンディの壁面にルカット(浄化)とカレパサン(解放)の物語を見いだせるのも驚くにはあたらない。そこに刻まれた物語は、この世を去り、チャンディでダルマを完結させる精神をモクシャ(解脱・完全性)へ到達させるのに十分なだけ“促す”よう望まれている。
 以上の見解は「キドゥン・スドモロ」の巻末部の説に基づいている。そのキタブの終わりに言う、「この物語を読み、また聞いた者は誰あろうと、その災厄(mala)は浄化(linukat)されるであろう」と。直ちに解脱に至ることのできるよう、スドモロの物語が、ブレ・ラスム(Bhre Lasem)の夫にしてハヤム・ウルク(Hayam Wuruk)の従兄弟であるマタフン王(Bhre Matahun)のダルマ完結の場である、チャンディ・トゥガワンギの壁に見られるのは驚くにはあたらないだろう。
(了)
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by gatotkaca | 2011-09-04 22:26 | 影絵・ワヤン | Comments(0)