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木から落ちた猿

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ワヤン・クリの歴史 デマク〜現代 その1

 ワヤンの歴史は千年というのですが、影絵芝居ワヤン・クリそのもので現在確認できるものは、1478年に成立したデマク王国の時代以降のものです。それ以前のモジョパイト時代は多分、絵巻物のワヤン・ベベルであっただろうと思われます。以前載せたH・グリトノの論文よりもやや、細かい説明のある、「Mengnal Wayang Kulit Purwa oleh Soekatno,B.A. Aneka Ilmu ,Semarang 1992」の記載に基づいて、影絵芝居人形として成立したワヤン・クリ・プルウォの歴史を概括します。

ワヤン・クリ・プルウォの歴史

Ⅰ.デマク王国時代

 「現在」の形状の、中部ジャワ・スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ・プルウォの歴史は、デマク時代から始まる。

 1478年、モジョパイトが滅亡する。デマクが立国し、ラデン・パタが初代の王となった。その治世は1478年-1518年である。その後1520年-1521年にパンゲラン・サブランガンが代って王となった。

 ジャワ島の王やワリ(宗教指導者)たちは、この地の藝術を愛し、ワヤンも愛した。彼らは積極的にワヤンの完成度を高めた。チャンディのレリーフの中に描かれたワヤン・プルウォは、ワヤン・ベベルの形態をとり、形を変え、より完成度を高めた。この変化は、その形状、デザイン、そして上演形式、道具類、そして意味合いもモジョパイトのものから変化した。むろんイスラム教と衝突しないようにである。

 チャンディのレリーフに見られるワヤン・プルウォの形状の規範は、バリ島に受け継がれ、今に至っている。デマクのイスラムの人々、特に王やワリたちは下記のような変化を与えた。
1. 1520年以前、ワヤンは絵で描かれ(2次元)たが、斜めに描かれ、チャンディのレリーフとは異なる。
2. 材料はなめらかな水牛の皮で、上品な装飾が施されている。
3. ワヤンは二つの色で描かれている。それは、
 ー基本としての白,白色は焼いたりなめらかに砕いたりした骨から作られる。
 ー黒色で部分を描く、黒はオヤンOyan (ランプのすす)から作られる。
4. 斜めの顔で描かれ、胴体に付く手はまだ一本である。握りとしてのガピットが付き、穴の開いた木に刺すようになっていた。
5. 図像の規範は通常モジョパイトのワヤン・ベベルから採られている。各々の独自のパーソナリティが作られ、ダランの左右に並べられる。

Ⅱ.1521年

 ワヤンの形状は、ラマヤナ、マハバラタの物語の上演に合わせて人物の数が増やされた。上演は徹夜で行われた。ワヤン人形の人物は追加されていった。

 追加されたワヤンの種類は
1.ワヤン・リチカン、たとえばグヌンガン、プラムポガン、動物,猿。
2.上演用の道具・設備類も増えた。カイン(布)からクリル(スクリーン)が創られ、ワヤンの保管用にコタック(箱)が、人形を立てたり並べたりするためにはバナナの幹が使われるようになった。照明はブレンチョンが使われるようになった。ワヤンはクリルに、ダランの左右に並べられた。スロ(ダランの朗唱)やパテット(ガムランの旋法)も定められた。楽器はスレンドロ調のガムランが用いられた。
3.さらにデマク王国時代には、ワヤンに彩色と金箔が施された。

Ⅲ.パジャン王国時代
 1546年、ジョコ・ティンキルがパジャン王国のスルタンに即位した。崩潰しかかっていたデマクは征服された。ジョコ・ティンキルは1546-1586年(40年間)の間、王位にあった。
 1556年、芸術家たちを集めて、スルタン・パジャンはワヤンを製作した。それは、当時の他のワヤンよりも小ぶりのサイズのものであった。このワヤンには「ワヤン・キダン・クンチョノ wayang Kidang Kencana (黄金の鹿)」の名が与えられた。

 このワヤンには、以下のような発展がみられる。
1.王の人形たちはマフコタ(トポン・マフコタ 王冠)を着けている。
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2.クサトリア(武将)はその髪型がグルン gelung またンゴレ ngore で、ドドトとチェラナを着ける。(訳注:グルンはアルジュノのように巻き上げた髪型、ドドトは足下に靡かせたカイン、チュラナはズボン)a0203553_7314929.jpg
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3.矢やゴド(棍棒)、クリス(短剣)などの武器が作られた。

Ⅳ.マタラム(ストウィジョヨ)時代

 1582-1586年、マタラムのアディパティ(領主)・ストウィジョヨ Sutawijaya とスルタン・パジャンの間に戦いが起こり、ストウィジョヨが勝利した。ストウィジョヨはパヌンバハン・セノパティ Panembahan Senopati と名乗り、マタラムの王となった。1586-1601年(サカ暦1511-1526年)のことである。

 ワヤンの発展は
1.象やガルダといった、動物の人形が加えられた。
2.髪の透かし彫りが、細かい細工になった。

Ⅴ.マス・ジョラン(パンゲラン・セド・クラピヤ)統治時代

 1526-1838年/1601-1613年マタラムで、ワヤン・キダン・クンチョノを拡大するワヤンの製作があり、ウォンドも創られた。創られたウォンドは
a.アルジュノ、ウォンド・ジマット(jimat=azimat 聖性)。
b.ビモ、ウォンド・ミミス(mimis=弾丸=ハンサム=器用)
c.スユドノ(ドゥルユドノ)、ウォンド・ジャンクン(jangkung=守る)。
d.ラクササ・ラトン、ウォンド・バロン(barong=毛の長い獅子・バロン)。
e.ガピット(支え棒)の改良。
f.武器類の製作、矢、クリス、チョクロ、ゴドその他。

 製作後,記念のスンカラン Sengkalan がブト・チャキルの人形に与えられた。
タンガン・ヤクソ・タタニン・ジャルモ Tngan yaksa tataning jalma (ヤクソ=ラクササの手が人間を制する) tangan (手)=2 yaksa(ラクササ)=5 tataning(制御)=5 jalma(人間)=1 →サカ暦1552年。
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(つづく)
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by gatotkaca | 2011-08-31 07:35 | 影絵・ワヤン | Comments(1)

ワヤンの顔の形状2

 前回に引き続いて、ワヤン人形の顔の構成パターンを紹介します。今回はお口です。

a0203553_733034.jpg1.は主に女の人、または上品な男の人です。プラブ・ロモウィジョヨ、プラブ・バスデウォなど。
2,3,4はアルヨ・スンクニ、プラブ・ボロデウォなど。また、大きめに作るとアルヨ・ガトコチョなどにも使います。
a0203553_7381834.jpg6.以降はムルット・グスンというパターンで、6.はパティ(大臣)やトゥムングン(司令官)に使います。
7.グスン・ブンコックで、6.に下への曲がりが入ったパターンで、パティ・スンクニなど、性格の悪い人用。
8.ムルット・グスン・ブンデル、サトリヨや王、若い王に使います。
9.は歯茎が大きくむき出された形。荒っぽい人物やラクササ用。ワヤン”ブロカン brokan(叫ぶ)”と呼ばれます。
10.は歯茎むき出しで、ややへこんだ形。タナ・サブラン(海の向こうの)国のパティ用。
11.グスンに長い牙がついたもの。ラウォノがこれ。
12.これもグスンに長い牙。アルヨ.インドラジト(ラウォノの息子)など。
13.グスン+2本の牙。ラデン・マルト、コンソデウォ(クレスノの敵役)用。
14.広めのグスンで牙あり。ラクササ王用。
15.これもグスンとよびますが、スマルさん用の口です。
a0203553_733822.jpg16.グスン。ノロ・ガレン(スマルの息子、ポノカワンのひとり)の口。
17.ペトル(スマルの息子、ポノカワンのひとり)用グスン。
18.バゴン(スマルの息子、ポノカワンのひとり)用グスン。
19.グスン。トゴ(スマルの兄、悪玉のおつき)の口。
20.グスン。ソロウィト(ビルン、トゴの子分)の口。
21.グスン。ラクササのお口。
22.グスン。これもラクササですが、目が二つ描かれる場合。
23.グスン。お猿さん用(お猿はラマヤナにたくさん出てきます)。
24.グスン。チャキルという特別なラクササ用。

 口の形状は、目や鼻ほどはパターン化が進んおらず、けっこう個性的にヴァリエーションがあります。1.のようなおちょぼ口は上品(気の強いのもいっぱいいるけど)。2〜5.は意志の強いのから怒りっぽいのまでいますが、どちらかというと力自慢系。6.以降の歯茎むき出しは、気の荒いやつ満載。15〜19.は道化たち。後は、お猿とラクササです。
 ワヤンも人形ですから、「顔が命」なところがあります。基本的には、その人物の性格や、徳の高さなどは、顔の造形にも反映するようになっています。とはいえ、ラクササやお猿さんでも徳の高い良識のある人物もいれば、上品な男前の王様が、めちゃくちゃ性格が悪かったりするのもまたワヤンのおもしろさです。
(了)
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by gatotkaca | 2011-08-30 08:26 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

ワヤンの顔の形状1

 「TUNTUNAN KETRAMPILAN TATAH SUNGGING WAYANG KULIT ワヤン・クリの装飾技法指南
   Ki Marwaoto Panenggak Widodo
   CV"CITRA JAYA" SURABAYA 1984」というワヤン人形の彫り方と彩色技法の解説書に、ワヤンのこまかい形状のきまりが概説されていますので、一部ご紹介します。まずは目の形状について。a0203553_12215615.jpg 
上からmata gabahan、
mata kedelai、
mata kedondon、
mata bulat、
mata bulat besar、
mata penanggalan、
mata kolik または kelipan、
mata sipit besar といいます。
mata gabahanはアルジュノやプントデウォといった、上品なサトリヨ(武将・王)に使用される形です。切れ長のイケメン用の目です。女の人もたいがいはこの手の目をしています。顔が下を向いている場合は、謙虚な性格、上を向いている場合はプライドが高くて高慢ちきな人物です。
 mata kedelaiは、やはり身分のある武将などに使われますが、ボロデウォやスティアキなどの、やや感情的な、怒りっぽい人などに使います。mata kedondonも同じような感じですが、こちらはカルトマルモなどのようにもう少しずるいところがある人物に使います。パティ・トゥホヨトのように下を向いている場合は、頭のいい参謀といった感じになります。
 mata bulat、この目でやや下向きの顔は、我らのビモやガトコチョなど、大丈夫がこの目です。顔が上をむいている場合は、プラブ・ボモノロカスロのような、かなりの乱暴者でやはりプライドの高い人物です。
 mata bulat besarは、たいがいのラクササはこの目です。激高し易い、荒々しさが表現されています。
 mata penanggalanはドゥルノ、チャキルがこの目です。ややずる賢い人物、けれど主役たちをある意味導く役柄です。
 mata kolik ・ kelipanはスコスロノ、コロ・ブンドノ、そしてスマルの目です。いまは醜いすがただけれど、高貴で純粋な内心をもっている人物に用います。
 mata sipit besarはプラブ・ニウォトカウォチョです。上目づかいの人物は、高貴なものに憧れをもっている人物であることが多いのです。ワヤン最高の演目のひとつ、「アルジュノの響宴」の敵役である彼も内心は高貴な男なのです。
 それぞれを顔に組み込むとこんな感じです。目の種類と顔の傾きで、その人物の性格が表現されます。
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 こうして並べてみると結構種類がありますねぇ。
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by gatotkaca | 2011-08-28 13:01 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

花 三態

 細君の誕生日に、いつも彼女が使っている化粧品のインターネットショップから送られて来た薔薇。到着した時は蕾だったのだが、結構豪華に咲いてくれた。
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 こちらは、下の娘(小学三年生)が学校で育てていた おくら。夏休みで我が家においてあったのだが、花を咲かせた。おくらの花もなかなか可愛いものである。
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 これはお隣さんの庭に咲いた睡蓮。睡蓮はとてもすきな花なのである。
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by gatotkaca | 2011-08-27 09:33 | 雑記 | Comments(0)

スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォ 造形の側面からのレヴュー その4

 これで、この項は終わりです。ワヤンの登場人物の身分による服装・装飾の違いなどは、項をあらためて、図解入りで記事をのせたいと思います。また、クリスやバティックに関する部分は僕は詳しくないのですが、できるだけ調べて、記事にしたいと思います。
 最後に著者が述べている、伝統の形骸化の問題、ニュー・ウェーブの抱える困難などは、僕ら「日本ワヤン協会」にとっても他人事ではない問題でもあり、考えさせられるものがありました。

Ⅳ.ワヤン・プルウォ造形美術と他の伝統的ジャワ藝術との関連

 ジャワの伝統的藝術において、二者あるいはそれ以上の他の伝統的藝術分野との間には多くのつながり、あるいは接点が見いだせる。その接点は水準/重要性を形成し、単なる用語上の関連から始まって、ある藝術分野に対して他の藝術分野のコンセプトが表明され、レベルを上げるまでに至る。同様に、ある藝術分野の用語に隠された哲学的エッセンスが、他の藝術分野に再び見いだされる可能性も大きい。ひとつの理由として、特定の藝術分野の用語/概念に内包される理念は、他の藝術分野を通じて表現を成長させようとするからである。たとえば、バティック藝術において有名なリマル・クタンギ(花)の装飾パターンは、ワヤン・プルウォ造形の世界では、アルジュノのワヤンにも描かれている。クリス(ジャワの小刀)の世界では、ジャラック(動物)図像のクリスの型があるが、ワヤンではそのクリスはアディパティ・カルノのプソコ(伝来の宝物)のひとつに数えられる。その他にも例はたくさんある。

 伝統的藝術分野が誕生し発展した、農耕と封建制の古き時代の生活の背景を思い起こせば、その藝術の中に農耕や封建制の性質が含まれ、反映された価値観が見いだされることは、珍しいことではない。農耕の世界は、大地たる惑星とこの宇宙にとても近いものなのだ(森/花と動物たち、山、海、雲、天空、太陽、月、星その他)。人間の考え出した機構としての封建制も、明らかに人間の思考パターンの一つであり、それ自身が文化・藝術を作り出したのである。宇宙で展開する形状が、永遠に信じられている形であり、王は外観、性質、生活態度、そして、理念的/完全性たる真実の台座たるシステムの形成に従う。

 ワヤン・プルウォ造形美術と他の分野の藝術との接点と考えられる相互関係を、農耕世界、封建制制度、クリス、バティックとの関係で概括してみた。

1.農耕世界とワヤン・プルウォ藝術との接点
 ワヤン・クリ・プルウォの服装の透かし彫り装飾のパターンは農耕の現象に基づいたものである。グヌンガン/カヨンのワヤンは、(ガルダ、市松文様、その他を除く)ほとんど全てが、花、動物、その同類(樹、猿、鳥、水牛、虎、ラクササ)の連続する形状で描かれている。装飾に使用される色も、農耕の世界に現れる現象に従う。例えば、グダン・マテン(熟したバナナ=黄色)、ウング・テロン(なす=紫)、ビル・ニロ(インディゴ・ブルー)、パレ・アノム(黄緑)、ガドゥン・ムラティ(白)、パンダン・ビネトット(緑)、アバン・ロムボ(緑の唐辛子)、イジョウ・ププス(緑のププス=果物の一種)、その他。

2.ワヤン・プルウォ藝術と封建制度の接点
 当初もたらされた物語(マハーバーラタ、ラーマーヤナ)は、封建制とロマンティシズムの性質を持っていたから、ワヤンの人物像は、封建的倫理と美意識に基づく装飾や属性に従ってなされた。いくつか例を揚げよう。
a. 神々やブラフマナ(バラモン、僧侶)
 装飾、属性は以下のようなものである。
 クトゥ(頭巾)、サムピル(スレンダン・肩掛け)、ジュバ(上着)、スパトゥ(靴)、時にはマフコタ(王冠)とプロボ(光背)、それぞれのヴァリエーションがある。
b. 王族と武将
 装飾、属性は以下のようなものである。
 マクト(マフコタ=王冠)、ジャマン・ススン・ティガ(三重の王冠)(特に王)、 スムピン(耳飾り)、スウン(イヤリング)、いかり肩、指輪、ウンチャル(光背)、ドドト(
長尺のカイン)、その他それぞれのヴァリエーションがある。
c. 召使い、プノカワン
 クトゥ(頭巾)、クチル(豚の尻尾のように後ろ髪を伸ばした髪型)、スウン(イヤリング)、カルン(ネックレス)、サルン(腰巻き)など。それぞれのヴァリエーションがある。
さらに、各々の人物の社会的ステータスを描き分けられるように意図されたそれぞれの属性が表現される。

3.クリスとワヤン・プルウォ藝術の接点
 クリスの世界の価値観でワヤン・プルウォに表現されるのは、演じられるワヤンの人物の実行性と信頼性を完全にするために、クリス界でも著名な「スンジョト・プソコ(重代の武器)」がある。例として
a. クリス・キャイ・ブロジョル:プラブ・クレスノのプソコ
b. エンチス・キヤイ・チュンドマニ:プンデト・ドゥルノのプソコ
c. クリス・キヤイ・ティラム・ウピ/ティラム・サリ:プラブ・ユディスティロのプソコ
d. クリス・キヤイ・ジャラック:アディパティ・カルノのプソコ
e. クリス・キヤイ・プラングニ:ラデン・アルジュノのプソコ
f. クリス・キヤイ・コロミサニ:ラデン・サデウォのプソコ(ラデン・ガトコチョに渡る)
g. クリス・キヤイ・ジャラック・ゴチェ:ブト・チャキルのプソコ

 他にワヤンの本体と別の/分離した「スンジョト・プソコ」が作られた。鞘に納められたクリス一式を腰に差したワヤンの図像もある。例えば、パクアラマン・スタイルのワヤンである。また、クリス造形の側面でワヤン・プルウォ藝術に関連する用語もある。例をあげる。
a. クリスの形状の用語:スマル・ティナンドゥ(真直ぐなクリス)、スマル・プタック(真直ぐなクリス)、カルノ・ティナンディン(真直ぐなクリス)、アノマン(五カ所曲がったもの)、ブト・イジ(9カ所、13カ所曲がったもの)、ビモ・クルド(15カ所曲がったもの)、トゥリシラ(19回曲がったもの)、インドラジット(21曲がり)その他
b. 彫刻のウォンドの用語(高級クリス):ソムボ・クプラユ、ロジョモロ、ガトコチョ・スバ、ナロド・カンダ、ブタリ・ドゥルゴ。
c. クリスの刃のコンディションの用語:パンチャル・パモンとプガット・ウォジョはプノカワンのひとり、ガレンの別名である。その他の名は、キ・ルラ・ノロ・ガレン、チョクロワンソ、マングン・オネン、カダル・プドットである。クリスの刃は時にはバトロ・コロの牙と呼ばれる。

4.バティック藝術とワヤン・プルウォ藝術との接点
 ワヤン・クリ・プルウォの透かし彫り/装飾の服飾部(例;ジュバ、カイン)には明らかにバティック藝術におけるパターン/モチーフが参照されている。逆にワヤンの要素を取り入れたバティックのパターンの名もある。例としては、スマル・ムセム、サトリヨ・マナ/マンサ、コクロソノ、ビモ・クルド、スメン・ロモ、その他である。(スロボガン)

Ⅴ.結び

 前述のように、スラカルタでのワヤン・クリ・プルウォ造形美術の黄金時代は、一世紀にわたった。以来、今日に至るまでワヤンは既存のパターンを踏襲して作られて来た。ワヤン・クリ・プルウォの作成は経済的には見通しが有望ではない。それにもかかわらず事実スラカルタとその周辺地域(スコハルジョ、ウォノギリ)ではワヤンの製作がつづけられている。検討する必要があるのは、すでに確立された伝統的価値観に頼ったその活動の範囲がどこまでなのか?ということである。この疑問は十分妥当なものであり、実際問題、今日の大部分のワヤン・クリ・プルウォの制作者たちは、ワヤンの人物造形への取り組みの表現力をほとんど忘れ/知らないでいる。特にウォンドについては。ワヤン藝術の愛好家(ワヤンの観客もふくむ)たちの間でも同様である。さらに皮肉なことに、これは(意識的か否か)ワヤン・クリ・プルウォのダランの大部分においても起こっている。彼らにとってより重要なのは、チュプンガン=人形の持ち方(上演/行為の感覚的効果)なのだ。良いワヤンは操作し易いワヤンなのだ。個人としてのダランは、真に高貴な上演を可能にする、アドゥガン(場面)/ラコン(演目)に合致した美しいワヤン人形たちで、興味深い上演を演出できるような側面を多く望む。チュプガン(人形の取り扱い)は操作(サブタン)の要件となった場合には最重要である。各々のウォンドの創意に合わせた十分なチュプガンをそなえなければならないのではないか?

 今日の新しいワヤンの創作は、実際には非伝統的/現代的指向でなされる(ワヤンの造形のみならず物語も)。ワヤン・プルウォの造形も現代的様式で作成されるが、いまだ伝統的価値観も参照される。Sdr.アジャル・サトト(スラカルタ)やSdr.スカスマン(ヨグタカルタ)のように。そのような作品は、尊敬に値する。ワヤン造形界のレパートリーを増すし、今も古典/近代から現代へと通じるワヤン造形美術が発展している証拠でもある。しかし、これらの作品が上演に使用される場合、それを支える環境を整える必要がある(物語、語り手、ガムラン音楽、演出家、その他)。そこで幾つかの段階の試行がなされる。とはいえ、未来の展望は明らかには読み取れない。伝統的規範の資産を見つめながら、我々はあらゆる方向からの、新しい価値観の情報の洪水の中にある。流れに逆らって泳ぐのか、また河口に漂うのが我らの喜びなのか?

ジャカルタ 1992年 8月7日
ハルヨノ・H・グリトノ

(了)
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by gatotkaca | 2011-08-26 03:22 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォ 造形の側面からのレヴュー その3

 前回の続き。その3です。専門用語?が大量にでてきます。調べられたものは、回を改めて解説します(調べきれないものも多々ありそうですが……)。内容的には、それほどすごいことを言っているわけではないので、専門用語はあまり気にしなくても良いのではないでしょうか。

Ⅲ.ワヤン・プルウォ造形美術のコンセプトの発現

 ワヤン・クリ・プルウォ造形の要素は、素材(水牛の皮)、寸法、透かし彫り、装飾そしてガピット(支え棒)である。スラカルタにおいては、これらの要素で注目に値するものが多く数えられる。透かし彫りは完璧で、技巧と特徴的な美に満ちた装飾が加えられている(パダン=清潔、ウィジャン=助言、ングクル=巻き、レシック=清らか、スム=明らか、ウルット=厳格)。このような装飾は新たに考案され、確定した基準が備えられている。ワヤン・クリ・プルウォの造形美術の要素としてなされる全てを装飾で満たす試みは、物語に合致する人物像の外面/ヴィジュアルを生み出し、上演される物語の中でその人物に対する/内面の断片的雰囲気をも形成する。

 人間にのような状態/雰囲気が一つのワヤンの物語において生じ、またそれを経験するワヤンの人物像に対しても影響を与える。ポチョパン(ダランの語り)の声、クピヤ、ドドガン、スロ(スルク=ダランによる朗唱)、ガムランのグンディン(ガムラン音楽の形式の一つ)演奏を通して雰囲気が作られるとき、人物の内面の応答/態度がその状態/雰囲気に対応し、ワヤンの身体、手、顔の表情にリアリティが生まれる。ワヤンの身体と手の動き、顔の表情はワヤン造形美術の成果として生まれる。身体と手の動きは、そのように動かせば足るが、顔の表情はそうはいかない。それは、倫理的・審美的方法で、期待される雰囲気を真につくりだせるような特定の正確性が要求されるのである(訳注:ウド・ヌゴロとウド・ワドノ=Uda:水、Negara:国、状態、Wadana:顔 air muka:容貌・物腰。雰囲気、物腰といった意味なのであろうか?)。

 ワヤン・プルウォ造形における容姿のコンセプトはウォンドと呼ばれる用語で知られる。言い換えれば、ウォンドとは、ひとつのワヤンの人物の容貌のヴィジュアルのヴァリエーション(種類)であり、プルジュンガン(容姿に基づくキャラクターのヴジュアル)で示される。ある状態を特定し、その経験しているものを特定する(若さ、老い、怒り、寂しさ、喜び、安堵など)。スラカルタで注意深くなされたワヤン・プルウォ造形の生命力が、ワヤンの諸人物に定められたウォンドのヴァリエーションを作り出した。ワヤン上演におけるウォンドの創作と特定は、雰囲気をつくりだす真の助けとなり、人間の行為(素人の観客、造形美術による行為、上演者自身の技術)であることをまさにほとんど忘れるにいたることを明らかに否定できない。それによって、ウォンドに関して、スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォの造形美術の創意の一要素として、またその他の地域(ヨグヤカルタ、クドゥ、バニュマス他)のワヤン・プルウォの造形美術の成果を合わせることも忘れずに手短に再見してみよう。

 全てのワヤン・プルウォの造形にウォンドが考案されているわけではない。十数年にわたる造形美術製作の世界での格闘が、ウォンドの創案にたどり着いた。また「エムプ・ワヤン(ワヤン・マスター)」に属する者のみがワヤン・プルウォ造形美術に命を与える社会によって創意の成果が認識され得たのである。ク・エムプ・アンの語は、知識と行為のレベルの高さによるもの以外でなく、時には宮廷内での一族のメンバーのステイタスをも含む。希望が見い出されるのは封建的社会背景において、宮廷/王のサークルを指向する真の価値感を探索することにある。彼らが考案した作品に明らかなのは、大衆間におけるワヤン・プルウォ造形美術の担い手の作品の模範となることを意識している。

 ある種のウォンド考案はいくつかの要請によって生じる。たとえば
1.審美的課題
2.ある演目、あるいは特殊な場面との合致(新作の演目)
3.インスピレーション/シンボリズムの表明
4.ニティマンサ・日付/スンカラン・年号/クロノグラム
5.ワヤンのある「ひとり」の人物への贔屓
6.メディア批判や風刺(pasemon)

1.審美的課題
 この要請は外部(売り手)に由来するか、ワヤン造型師の個人的欲望による。その美的本能の感性によって既存のものから新しい創案が浮かび上がる。例として著者はかつてブン・カルノのために、ジャンカハン(バンバンガン)の足=開いた足のノロヨノを製作した。

2.特定のラコンへの合致
 当初ひとつのワヤン・クリのコタック(箱)にはアルジュノのワヤンはひとつであった。新しいラコン(演目)が追加されて(バク、チャランガン、チャランガン・ビナングン)、上演のラコン/場面に合致するようにアルジュノのワヤンの新ウォンドが作られた。例えば、ラコン「スサジ・ロジョスヨ」にはアルジュノのウォンド・マングが使われる。ラコン「イラワンの結婚」ではアルジュノはウォンド・ジマットが使用され、ラコン「バラタユダ」ではウォンド・キナンティのアルジュノが使用される。

3.インスピレーション/シンボリズムの表明
 あるワヤン製作のマスターがある人物のウォンドに新しいインスピレーションを得たとする。ただちにそのインスピレーションはスケッチ(チョレカン)で記録され、そしてワヤンの造形がなされるであろう。そのインスピレーションの刻まれた作品は、上演でそのワヤンが現れたとき、適切か否かが示される。買い手/パトロンに、新しいラコンや特殊な場面のために考案された、彼の見いだしたインスピレーションに基づいて作られた新しいウォンドが受け入れられるかも同様である。

4.日付/年号/クロノグラム
 ワヤンのウォンド作成や全体の造形は時々、ひとりの人生において重要と看做される出来事への注意を喚起するための崇高な日付を目的として作られる。例として、マタラム・セノパテンの時代サカ歴1541年に作られた、ルムブ・アンデニの図像をもたないブトロ・グルのウォンド・アルチャがある。その武器はシス型(Z型)で大地に雨を降らせる(パレマハン)。そのワヤンの造形はスンカラン・ムムットに語句が対応する。デウォ・ダディ・グチス・ブミ(訳注:1451、ひっくり返って1541年・サカ歴)である。別の例では、1552年に製作された、スナン・ハニャクワティ(セラ・クラピャック)財団のブト・チャキルがある。これは、タンガン・ヤクソ・サタニン・ジャルモ(訳注:各単語が一定の数字を示す。これで2551。ひっくり返してジャワの暦、サカ暦1552年を意味する。こういう表記の仕方をスンカラン Sengkalan という)である。等々。

5.贔屓
 ワヤン愛好家たちには、おおむね強烈に普通でなく贔屓のワヤンを持たなければ満足しない。であるから、お気に入りの人物のために幾種類ものウォンドを考案する。たとえば、ガトコチョ(ウォンド・グントゥル、w.グラップ、w.キラット、w.タティット)。ブン・カルノによって加えられたウォンドはw.グントゥル、グニ、w.グントゥル・プラホロ、そしてw.グントゥル・サムドロである。アルジュノ(w.ルントゥン、w.ムラシ、w.カニュット、w.マング、w.ジマット、w.キナンティ)。またプルマディはw.プガンテン、w.パチェル、w.プガウェがある。

6.メディア批判や風刺(pasemon)
 批判や風刺もまたワヤン・プルウォの造形美術に注ぎ込まれる。全体の造形においてもそのウォンド表現にもよく現れる。ペトル・ダディ・ラトゥ(王になったペトル)は王冠をかぶり、靴を履き、チンデ織りのズボンをはき、ドドトを巻き、鼻に指輪をつける。汚職官僚たちに対する、突然裕福になった者は、いつでもどこでもその腐りきった富をみせびらかすものであるという風刺である。1975年ジャカルタのワヤン博物館の入り口のマークにするため、著者はイッピー(反体制)気取りで将来を考えない若者たちに対する風刺として、バゴンのワヤンのウォンド・ブローンを考案した。

 あるタイプのウォンドの考案は一定の調整(構成)を組み込んで確定される。ワヤン・クリ・プルウォの造形美術において、あるワヤンの人物に基づく外形やキャラクターはいくつかのヴァリエーションを持った身体部位の形状や色で描かれる。例をあげてみよう。

a.目の形状
 ープレンガン、トゥンガ/クムバル……ラクササ(羅刹)
 ーテレンガン…………サトリヨ(武将)・ドゥガンガン/ガガハン(さっそうとした)
 ークデレン……………サトリヨ・グタパン(神経質・怒りっぽい)
 ークドンドンガン……ダグラン/コミカル
 ーガバハン/リイェパン……サトリヨ・アルサン(上品な)
 ートゥルバギ・ラギ・ムンジャディ(細め)………直線、葉のような、引っ掻き線、その他

b.鼻の形状
 ーニャンティック・プラウ(舟形)……ラクササ
 ーパンゴタン…………サトリヨ・ガガ
 ーワリ・ミリン………サトリヨ・アルサン
 ーネロン・グラティック……ノロ・ガレン
 ーニャムパラック……ペトル
 その他

c.唇の形状
 ーゲケット、ームレングス、ーンドンゴス、ーダミス、ーグサン、その他
(訳注:この辺りは、回を改めて図解をしめすつもりです。)

 その他、キャラクターを特定するもの
 ークミリンガン・プンダック(肩の傾斜角度)、ーブントゥック・プルット(腹の形状)、ージャンカハン・カキ(脚の開き)、ーブントゥック・トゥラパック・タンガン(手の形)、ー肩と首の位置、ー身体の太り/やせ具合、ー顔の色、その他

 各々のワヤンの人物には基本となるひとつの性格がある。この性格に基づいて、各種のウォンドが作られ、状況に応じた精神的コンディション(悲しみ、寂しさ、安堵、自立、恋、その他)、物理的コンディション(老い、若さ、病、その他)に合わせて用いられる。ウォンド考案のために「スブトゥル」(仔細な)変形が施される。目に、鼻に、唇に、肩その他に、しかしキャラクターの卵焼きにはならぬように。顔の彩色のニュアンスは特にあるタイプのウォンドを作る際におおいに助けとなる。また、服の色は望まれるウォンドにサジェスションを加えるだろう。実際のウォンドの作成処理はその理論を書面で記すことは困難である。内面的取り組み、成熟度、藝術的才能/感性、技術と運命、それらが重要な要因となって、調和したひとつのウォンドの創造に影響を与えるのである。これはウォンド作成が感性の問題であることを意味する。感性は、各々の個性に従って相対的/主観的なものを作る。とりあえずこのページに示した図を例にとって、幾何学的測定法の助けを借りてウォンド作成の解説を試みてみたい。

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ワヤン・ウルクドロ・ウォンド:グルナットのスケッチ

 ウォンド・グルナットのウルクドロのワヤンのスケッチに中線/シンメトリー線を胴体から各部位へ引く(頭、首、肩、胸、臀部、前後の脚)。10本の直線(AB、BC、CD、DE、EF、FG、DH、HI、IJ、GJ)と10の角度(B、C1、C2、D1、D2、E、F、H、I、J)が得られる。特定の角度を拡張/縮小する、あるいは特定の線を伸張/短縮すると、特定の新しい印象を得ることが出来る。

 例えば、ウォンド・リンタン(若い)のウルクドロのワヤンのスケッチを、先のスケッチ(グルナット=老い、寂しさ)から作るには、頭の位置を保ったまま角度Bを広げ、肩の傾きを少し減らしてみる。同様に線HIを特定の境界線まで伸ばし、後ろの脚を伸ばす(逃げるときのような印象に)。そのようにして、目指した印象が得られるまで続けるのである。ウルクドロのワヤンには五つのタイプのウォンドが知られている。すなわち、1).w.リンドゥ(颯爽としているとき、元気なとき)、2).w.グルナット(老いたとき、寂しげなとき)、3)w.リンタン(若いとき、行動的なとき)、4).w.ミミス(旅にあるとき)5)w.バムバンガン(成人したばかり、ブロトセノの時が終わったとき)である。ウォンド・リンタン、ミミスとバムバンガンでは、時々身体の色が黒く塗られる。

(つづく:次回で終わります)
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by gatotkaca | 2011-08-25 00:48 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォ 造形の側面からのレヴュー その2

 前回からのつづきです。ワヤン・クリ発展の歴史的沿革がまとめられているので、参考になりました。新規の情報はそれほどありません。

(つづき)

Ⅱ.歴史的概略

 最古のワヤン・プルウォのひとつは、中部ジャワのプラムバナン寺院の壁面レリーフに見られる(9-10世紀)が、ワヤンの物語(マハバラタ、ラマヤナ)は、さらに幾世紀か以前に神話化していた。その時代には、中部ジャワから東部ジャワへと人口が移行して(多分自然災害:洪水、火山の噴火、天災、飢饉その他によって)、権力・文化の中心は(10世紀には)東部ジャワに移行していたと考えられる。東部ジャワのチャンディ・パナタランやチャンディ・スク(14-15世紀)には証拠が残されている。そこには壁面レリーフとしてスドモロの物語が描かれている。バリに見られるワヤンの造形は、東部ジャワのそれと似ており、これは東部ジャワ王朝とバリ王朝が親族関係にあることによると思われる。東部ジャワに見られた造形がバリのそれに主要なインスピレーションを与えたことは多いに考えられる。
 既存の説によれば、ワヤン・ベベルはモジョパイト時代に創られ、上演されたのが最初である。これは定説といってよいが、疑問が残るところもある。今日見ることのできるワヤン・ベベルの造形はモジョパイト時代のワヤンの造形と比較してより新しいものであるといえる。ワヤン・ベベルが創られた時代は、モジョパイト王権(16世紀初頭)より下って、その文化的中心はデマク(中部ジャワ、1522年前後)に設定した方がふさわしいようである。知られているようにこの時代にはイスラム教がジャワ島北海岸の地方に広まり始めた。当初その時代の中部ジャワでは、ヒンドゥー教が大きな勢力を占めていた。中部ジャワのイスラム導入時代はヒンドゥーからイスラムへ信仰が移行する時代であり、ヒンドゥーとイスラムの価値観の衝突を回避するための妥協が必要とされた。ワヤン・プルウォ藝術にとってはことさら、この妥協はワヤン・クリ・プルウォの造形創作で行われ、イスラムの教義との衝突を避けるため、リアルな人間の絵姿は正当化されなかった。

 デマク王権末期(1478−1548)には、小さなサイズのワヤンが創られた。そのワヤンはキダン・クンチョノ(黄金の鹿)と呼ばれる。今日にいたるも、サイズの小さなワヤンは、キダン・クンチョノと呼ばれる。デマクの後、パジャン王国(1568-1586)の時代となり、間を置かず第二マタラム王朝(P.セノパティ)が立つ。おそらくこれが、ワヤン・パジャンとしてカテゴライズできる特別のものが見いだせない理由のひとつであろう。デマク-パジャン時代と同時期に、チレボンでもワヤン・プルウォが知られ始める(スナン・グヌンジャティの時代以来)。チレボンでのワヤン・プルウォのさらなる発展がどのようであったかは明らかではないが、ワヤン・チレボンの遺産は1セット存在する(おおよそ1世紀の間に)。そのワヤンの造形はデマクから(クドゥのように)直接枝分かれして形成され、スラカルタとヨグヤカルタの様式に影響を与えたといえる。

 パジャンから第二マタラムに政権が移り(1586-1680年、P.セノパティからスナン・アマンクラット2世まで)、ワヤン・クル・プルウォ製作に多くの発展がもたらされた。続いてカルトスロ(1680)への移行期にワヤン造形の改修と標準化の過程があり、キヤイ・プラムカ(1723-1730年前後)のようなワヤンの製作が行われた。この発展、変容、標準化は、カルトスロからスロカルト政権(1744年)、すなわちスナン・パクブウォノ2世(1727-1749年)への移行期まで続き、スナン・パクブウォノ4世(1788-1820年)の時代に頂点に達した。この時代にはいくつものワヤンが知られている。キヤイ・マング(1753年前後)、キヤイ・ジマット(1798-1816年)、そしてキヤイ・カドゥン(1799-1817年)である。キヤイ・カドゥンはワヤン・ジュジュタン(大きいワヤン)であり、今日に至るまで十分に神聖視されている。他にも1807-1817年にはキヤイ・デウォ・カトンと名付けられたワヤン・ゲドも製作されている。

 ワヤン・プルウォの造形が高い完成度で頂点に達したのは、S.パクブウォノ9世(1861-1893年)の治世もそうである。それは一人の貴族にしてワヤンに関する文化人でもあったG.P.H.スモディロゴの指揮によるものであった。この時代には「サストロミルド」と題する本も書かれ、ワヤン・プルウォの造形美術に関する質疑応答が記されている。これと同時期にK.G.P.A.A.マンクヌゴロ4世が、ワヤン・クリ・プルウォ造形美の傑作であるサトゥ・コタ(一箱=ワンセット)のワヤン・クリ・プルウォ、キヤイ・セブ(1850-1865年)を製作した。このワヤン製作の目的は、操作(ニャブット=ワヤンの操作、サブットから派生した語である)のし易さにあった。これにより、キヤイ・セブは後のワヤン・クリ・プルウォ造形の規範となったのである。

 周知のようにスナン・パクブウォノ2世の時代、1755年にスラカルタ王家の分家として(1755年ギヤンティ条約の帰結として)ヨグヤカルタ王家が成立した(ハマンクブウォノ1世)。政権の分立と新規の領土設定で、そのアイデンティティ確立のために新たな美術文化の形成が必要と認識された。かくてクドゥの様式を参照して、ヨグヤカルタ様式のワヤンが創られた。その発展は十分意識的に加速され、およそ19世紀末にはスラカルタ・スタイルと拮抗する、ヨグヤカルタ・スタイルのワヤン造形が成立した。ヨグヤカルタ王家の関与は相当に真摯なものであり、通説では王自身が製作したワヤンも存在するとされる。たとえば、キヤイ・ジョヨニンルム(ジャノコ)、キヤイ・グンドゥレ(クレスノ)、ならびにキヤイ・バユクスモ(ウルクドロ)である。ヨグヤカルタの貴族のひとり、G.P.テジョクスモは、20世紀初頭のワヤン・プルウォの造形美術、踊り、伝統音楽(カラウィタン)の設立者として著名である。

 日本の植民地時代(1942-1945年)の間はワヤン・プルウォの造形に新たな展開や創造はなかった。インドネシア独立後、ワヤン造形の新創作がいくつか起こり、それは物語や上演目的にまで及んだ。ワヤン・スル・パンチャシラ(1947年前後)、ワヤン・ワフユ、ワヤン・ゴレ・ローカル、ワヤン・スジャティ、ワヤン・ボネカ・パ・カスル、ワヤン・クルアルガ・ブルンチャナ、ワヤン・ウクル(スカスマン)、ワヤン・ゴレ・モデルン・ジャワ・バラット、ワヤン・ゴレ・メダンその他、これらすべてはワヤン・コンテンポラリー(現代ワヤン)の範疇に含まれる。

 総論として手短にまとめると、ワヤン・プルウォの造形美術の展開はいくつかの要素によって推進された。
1.時代から時代への美学的価値観の自然な展開
2.ヒンドゥーからイスラムへ=アニミスムからダイナミズムへの価値観の移行(多神教から一神教)
3.その他の目的。例えばスンカラン(年号を読み込む詩形式)、(王の)命令、その他。
4.ワヤン・プルウォ藝術の行為者と巷間(ダラン、見物人、パトロン、計画する者、権力者)からの影響。

 これらはスラカルタ地方やその周辺でのみ生じたわけではなく、程度の差はあっても他の地域でも生じた。とはいえ、比較的、ワヤン・クリ・プルウォの造形美術の創意においてはスラカルタが最も強く、ワヤン・クリ・プルウォの造形美術のコンセプトには全体としてスラカルタ・スタイルの影響が見いだせるであろう。

(つづく)
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by gatotkaca | 2011-08-24 00:40 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォ 造形の側面からのレヴュー その1

 「ワヤン藝術の価値」Nlai-nilai Seni Pewayangan :Dahara Prize Semarang 1993 という本を読んでいます。その中からハルヨノ・H・グリトノ氏の論文「スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォーー
造形の側面からのレヴュー」を拙訳でご紹介いたします。結構長いです。

スラカルタ・スタイルのワヤン・プルウォ
造形の側面からのレヴュー


ハルヨノ・H・グリトノ

Ⅰ.序

 インドネシア国家の文化には各々の地域のさまざまな藝術文化が見られる。ジャワの藝術文化はそのひとつである。ジャワ藝術を知ることには、古来からのジャワの社会生活の背景を認識する試みもまた含まれている。生計、思考のパターン、生活態度といったものも取り上げるのがよいだろう。
 ジャワの社会生活には古来、ひじょうに顕著な二つの特徴が見られる。それは、農耕と封建制である。農耕の特徴は、その時代の農業で生計をたてる文化に現れ、一方、封建制の価値は、王を中心とする政府の権力/秩序のシステムによって生み出される。であるから、藝術を形作るのは、農業と封建制を考案した思考なのである。ジャワ人の生活と精神のほとんど全てが、しばしば農耕的価値観と秩序でなされ、同様にジャワの藝術文化の発展はプリミティヴな思考(それはつねに崇拝対象、神、精神、精霊等々への関心を伴う)から生じ、特定の人間(王)に対する崇拝にまで及ぶ。この過程を経ることは、ジャワ藝術の表現、装飾、伝統そしてシムボリズムに至るまで見いだすことが出来る。

 農耕と封建制の価値を内包する、ジャワ藝術の分野は、音響藝術、舞踊、古典音楽藝術、クリス、バティック、建築、インテリア、そしてワヤンがある。これらの性質の顕在化は、時々ジャワ藝術の各分野に同時に/連携して現れ、ジャワ藝術各分野間の関連性を示している。ひとつの藝術分野は、他のいくつかの藝術分野からのサポートを必要とし、連携し合って形成される(例えば、ワヤンの上演では、カラウィタン=伝統音楽・声楽・satra 武道(sastra 文芸の誤植か?)・ワヤン人形美術である)。

 伝統的ジャワ藝術分野の一つとして、ワヤンはジャワの民衆に愛されるのみならず、とりわけその上演形式の故に、海外においてもひじょうにポピュラーである。ワヤン形式で最も発展し、高い完成度に到達しているのは、ワヤン・クリ・プルウォである。このワヤン・クリ・プルウォの上演の高貴さと魅惑は、扱う物語(ラマヤナ、マハバラタ)によるだけでなく、内包する哲学、カラウィタンと歌、文学性はもちろん、物としてのワヤン・クリ人形もふくむ、その芸術形式全体の要素によるものである。寸法、姿勢、姿、表情、体に纏う着物や装飾の種類、その他諸々の造形の要素がワヤン・クリ・プルウォのヴィジュアルを完璧にし、ワヤン・クリ・プルウォの上演全体の高い完成度の達成に資するものとなっている。この意識から出発し、思考を維持して、再評価されるべきワヤン・クリ・プルウォの造形美術に対する理解を深め、鑑賞する。
 ワヤン・クリ・プルウォ以外にも、西部ジャワ(スンダ)で創られ、ポピュラーになったワヤン・ゴレ・プルウォがある。ワヤン・クリ・プルウォは中部ジャワ、東部ジャワ、そしてバリで発展し、19世紀末頃にスラカルタとその周辺地域で頂点に達した。他のいくつかの地域、たとえばチレボン、バニュマス、クドゥ、そしてヨグヤカルタもそれぞれの地域の高い創造性と鑑賞力で、ワヤン・クリ・プルウォの造形美術を発展させた。それゆえ今日、ワヤン・クリ・プルウォの形・ヴィジュアルにはさまざまなガヤ(ガグラック/ヴァージョン)=地域スタイルがある。たとえばスラカルタ・スタイル、ンガヨグヤカルタ、クドゥ、バニュマス、チレボンその他。上演を補佐・支援する他の藝術分野(カラウィタン、声楽、文学その他)でも同様に、各々の地域のヴァージョンが成立した。ワヤン・クリの造形美術発展の頂点であるスラカルタ・スタイルの断片的事象を掲げることで、他の地域の発展も考慮しつつ、この小論ではスラカルタ・スタイルのワヤン・クリ造形美術について、できるだけ多くのことを再考してみたい。

(つづく)
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by gatotkaca | 2011-08-23 06:08 | 影絵・ワヤン | Comments(0)

切り絵 「女 5」

 今日も切ってみました。
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「女 5 」 size H 320mm W160mm 2011.8.16
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by gatotkaca | 2011-08-16 17:04 | 切り絵 | Comments(0)

久しぶりに切り絵しました

 7月は全く切り絵を作れませんでした。理由はありません。先日、白イタチの影絵人形を作ったので、また切ってみたくなりました。ホームページは今月お休みにしてしまったので、ここに載せておきます。題はつけていません。仮に”女 4”としておきます。
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「女 4 」 size H 190mm W140mm 2011.8.15
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by gatotkaca | 2011-08-16 02:45 | 切り絵 | Comments(0)