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木から落ちた猿

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2013年 05月 17日 ( 1 )

ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第23章

23. デウィ・クンティはハイパーセックスなのか?

 1970年1月15日木曜付けのブリタ・ユダで、マハーバーラタからの一エピソードとして『デウィ・クンティはハイパーセックス haiperseks 』と題した興味深い記事があった。『要人』たる男女の性格を分析した記事に大いに興味を惹かれ、関心を持った。ここでは叙事詩マハーバーラタの主要人物クンティであったが、普通の読者が娯楽として読むなら、たとえばジャクリーン・オナシスと故ケネディ大統領、エリザベス・テイラーとリチャード・バートン、その他のスターたち、イランのシャー〈パーレビ国王〉とファラ・ディーバ(ファラ王妃)の人物像、また歴史的人物としてクレオパトラ、シーザー、マルクス・アントニウスのこと等々、こういった人々の記事に興味を惹かれるだろう。
 東洋にも偉大な興味深い人物があることを知らしめ、東洋に目を向け再発見を促すと良い。ワヤンならたとえば、 アルジュノ、クレスノ、デウィ・スバドゥラ Subadra〈スムボドロ Sumbadra〉、デウィ・スリカンディ、デウィ・クンティといったところだ。
 人は称賛を得た人物たちを自身に投影する傾向がある。記事に取り上げられた人物たちの性格や行動、習慣や性格を鏡、手本とするのだ。自身の人格形成、性格がまだ定まっていない若年層などはことさらであろう。
 教育的見地からみれば、これはポジティヴ、ネガティヴの両面を持つ。善良な人物を描く人物分析なら、ポジティヴな鏡、手本として受け取られ、読者をポジティヴな方向へ『自己投影』させるだろう。逆に人物のネガティヴな側面が強調されることもあるだろう。
 『ワリ・ソゴ Wali Sanga 』は元来(インド・ヒンドゥー)のマハーバーラタをワリ wali 〈布教活動〉に適応させた。ワヤンの物語おいて、我々は精神的・霊的要素を見ることができるし、イスラームの教義の核心を学ぶこともできる。クサトリア、プルウィロ perwira 〈貴族〉、女性たちの性格・キャラクター、特にパンダワの人物たちのそれが、若者たちにとっての手本となるように、ワリ・ソゴのスナン Sunan 〈伝道師〉たちの英知がこめられているのである。
 悪しき人物たちの中でもクロウォ一族の者たちは特に悪の人物とされ、反面教師として描かれている。
 ワリ・ソゴたちの英知によって、それらは我々の民族的個性に合致するよう造形されているのである。こうした観点から1月15日のクンティに関する記事を取り上げてみよう。

クンティの興味深い側面、ハイパーセックス
 『デウィ Dewi 』という聖なる『イメージ』を損ね、見識ある女性という概念から逸脱しかねない、『性の超越 hiperseks 』という問題を、ワリ・ソゴたちが我が民族の個性を形成するワヤン藝術においてどのように扱ったか?上品で高貴な地位にある女性として表現するにはどうしたら良いのか?
 デウィ・クンティは神々との間に子をもうけている。スルヨ神との間にアディパティ・カルノ)、ダルモ神によってプラブ・ユディスティロ、バユ神でウルクドロ、インドロ神でアルジュノをもうけた。それはプラブ・パンドゥデウォノト自身が妃に触れないことを誓ったからであり、このことをもってクンティが聖母であると結論づけることはできない。
 第一に、神とは人間のように血肉を持たないのだ。神々の存在を信じない者は、人間を超えた偉大で聖なる性質の象徴的表現と考えるだろう。信じる者にとっては、神々とはトゥハン・ヤン・マハ・エサによってachter〈語意不明〉や火といった、血肉を持たないものから創られた霊的な聖なる存在と捉えるだろう。
 デウィ・クンティとスルヨ、ダルモ、バユ、インドロといった神々との接触は創造、祈り、霊、精神的接触であり、物理的な行為、いわゆるセックスとは異なるものである。
 であるから『ハイパーセックス hiperseks 』という呼び方は適切ではないのだ。肉体の問題ではないのだから。ブガワン・ドゥルウォソの特別な呪文は、デウィ・クンティの超能力となり、それは『物理的接触』無しに子を産む力なのである。上記四神との親密な接触は多分あっただろう。しかしそれは創造の力においてである。デウィ・クンティの母性の問題を聖母マリアと比べてみても、それは別物なのである。聖母マリアがキリストを身籠ったのは、直接的なトゥハン・ヤン・マハ・エサの言葉によってであった。超能力のマントラ〈呪文〉や神々の介入(それがトゥハン・ヤン・マハ・エサの許しを得たものであったとしても)、援助を受けてのものではない。
 デウィ・クンティは、その時代の国家の偉大なる英雄たちの母となる、という『聖なる任務 Mission Saccre 』を担ったのである。かくて彼女は特殊な誕生を経た四人の息子を与えられた。彼らの父はふつうの人間ではなく、神々なのだ。こうして四人の神々の超能力と性質をそなえたクンティの四人の息子は誕生した。『聖なる任務』は四人の息子を得ることであり、それは一人の神からのものではない。四人の英雄たちはそれぞれ、バトロ・スルヨ、バトロ・ダルモ、バトロ・バユ、バトロ・インドロの生まれ変わりでなければならなかったのだ。
 このことが最終的にはバロトユドの勝利をもたらしたのだ。それは四人の神々から生まれた四人の息子それぞれの助けによるものであり、クンティ自身の希望ではなかった。パンダワがクロウォに勝利することは神の望みであり、それは英知と用心深さと明るさを与えられた善なる者が悪しき者に勝利することでもあった。『 ママユ・アユニン・バウォノ mamayu hayuning bawana 』(世界の安寧と平穏を守る)ことのできるように。それゆえ、クンティ自身の関心と希望は、国と民衆の公序良俗を害することではない。だからクンティを『ハイパーセックス』なデウィと呼ぶ事はできないのである。
 この宇宙時代の流れに合わせて、クンティの人生を現代的、合理的に論じてみた。
 近代的、開明的対応を試みたが、こういったことはすでに『ワリ・ソゴ』の祖先たちの目指した教育的側面の成果を筆者なりに適応してみたにすぎない。
 これからもマハーバーラタに取材した諸問題がブリタ・ユダの記事に取り上げられ、開明されていいくことを期待する。若い読者が、自己形成・探求の材料として、アメリカやヨーロッパの人物たちについて読むのとバランスがとれるように。

1970年1月22日 ブリタ・ユダ
スクモディヤニ Sukmadyani


訳者注:前回22章においては hiperseks〈hiper sex〉という語を「性の超越=聖母性」と解して訳した。文脈としてもそのように考えられたからである。が、今回23章においてスクモディヤニ氏はこの語 hiperseks を「奔放な性」と解しているように思える。つまりクンティが多数の男性(神)と性的関係をもった女であるという解釈である。この語は両義的意味合いを持つとも言えるので、受け取り方によっては、物議をかもすことになるだろう。もしかするとムルヨノ氏はそうしたこともみこしてあえてこの語をもちいたのかもしれない。
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by gatotkaca | 2013-05-17 06:00 | 影絵・ワヤン | Comments(0)