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木から落ちた猿

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ロロ・ジョングランとタンクバン・プラウの伝説

FaceBookで下記のような記事がシェアされていたのだが、ピンとこなかったので、話題にのぼっている二つの伝説について調べてみました。わりと有名な話らしいので知っている人も多いかもしれませんが。

〈元ネタはこちら http://bit.ly/1su2Smu

「ロロ・ジョングランがタンクバン・プラウを作る」というジョーク、ツイッターまとめ


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ツイッター上に流れるメメのひとつ『兄(けい)よ、私たちはチャンディ 〈祠堂〉とタンクバン・プラウ、どっちを作ればいいのかしら?」



トリビューンニュース・ドット・コム、ジャカルタ tribunnews.com, jakarta


 福祉正義党 Partai Keadilan Sejahtera (PKS) のタウフィク・リドー Taufik Ridho 事務総長は、あるマスメディアに、ロロ・ジョングラン Roro Jonggrang が、タンクバン・プラウ Tankuban Perahu を作るには時間がかかる、というたとえ話をした。この声明がツイッター上で炎上した。タウフィック・リドーのたとえ話は、憲法裁判所(Mahkamah Konstitusi (MK))における、プラボウォ・スビアント Prabowo Subianto とハッタ・ラジャサ Hatta Rajasa の訴訟に関する不正疑惑の証拠が集められた件に関してのことである。

 「すでにデータがあるなら、問題はC1から、D1、DBからデータをとるなら、すべてのデータに選別から漏れたものがあることになる。」タウフィックは最近、東部ジャカルタのルマ・ポロニア Rumah Polonia で語った。

 とはいえ、タウフィックは彼の言葉について説明した。「これは、ロロ・ジョングランをたてるように(たった一晩では)できることではなく、タンクバン・プラフを作ることなのだ。」タウフィックは続けた。

 この話は、ロロ・ジョングランに関するインドネシアの伝説に基づいている。バンドゥン・ボンドウォソ Bandung Bondowoso は、愛するロロ・ジョングランに、一晩でチャンディ〈祠堂〉を建設してほしいとせがまれた。いっぽうタンクバン・プラフの方は西ジャワの伝説である。その物語では、サンクリアン Sangkuriang という名の人物が、ダヤン・スムビ Dayang Sumbi にふられて、船を蹴るーーそれが今のタンクバン・プラウになったという。

 まさしく、この記事がツイッター界でジョークにされているのだ。コメントだけでなく、ツイッター内の人々の間では、メメ meme と呼ばれる画像があげられている。〈訳注;メメ meme :もともとはおもしろおかしい顔を描く一コマ漫画。ひろく一コマ漫画を指すようになりつつあるようだ。〉

 ツイッター・アカウント@jokoanwarのジョコ・アンワル Joko Anwar からのコメント。「ティムセス・プラボウォ Tmses Prabowo は、ロロ・ジョングランがタンクバン・プラウを作ったと言うが、これは伝説を貶めるものだ。」

 アーティストのブテット・クルタルジャサ Butet Kertaredjasa も @masbutet のアカウントでツイートしており、さらに #LAWYERmendongengのハッシュタグも作っている。

 「とうとうジョコ・タルブ Jaka Tarub も一夫多妻になってしまった。ダヤン・スムビ、ロロ・ジョングランともプラムバナン山で結婚した。 #LAWYERmendongeng 」ブテットはツイートした。

 アカウント@ndorokakung 氏のコメントもある。「ブラック・キャンペーンを張るのはジョコウィ Jokowi だけじゃない。ロロ・ジョングランもか、やれやれ。」

 他にもツイートがあり、 @senirupaのアカウントでツイートを始めた、アミル・シッダルタ Amir Sidharta もコメントしている。「ロロ・ジョングランがタンクバン・プラウ山を作ったと非難されては、バンドゥン・ボンドウォソも怒るだろう。」


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上記の記事でとりあげられているロロ・ジョングランとタンクバン・プラウの伝説についての記事を紹介します。

まずはロロ・ジョングラン

〈元ネタはこちら http://mengerjakantugas.blogspot.jp/2009/06/legend-of-princess-loro-jonggrang.html 〉


ロロ・ジョングラン王女の伝説


その昔、ジャワ島のプラムバナン Prambanan というところにふたつのヒンドゥー教の王国があった。それらはプンギン Penggin とクラトン・ボコ Kraton Boko といった。プンギン王国は賢王プラブ・ダマル・モヨ Prabu Damar Moyo に率いられ、豊かに繁栄していた。王にはラデン・バンドゥン・ボンドウォソ Raden Bandung Bondowoso という名の息子がいた。

 クラトン・ボコはプンギン王国の領地の一部にあったが、そこを治める王は人ではなく、人食いの巨人〈ラクササ〉で、名をプラブ・ボコ Prabu Boko といった。しかし、プラブ・ボコにはとても美しい娘がいた。彼女の名はロロ・ジョングラン Loro Jonggrang であった。プラブ・ボコにはパティ・グポロ Patih Gupolo という大臣もついており、彼もまたラクササであった。プラブ・ボコは叛乱を起こし、プンギン王国を乗っ取ろうと望んでいた。そこでパティとボコは協力して、街の人間を兵として訓練し、税として様々なものを徴収していた。

 準備が整い、プラブ・ボコは全軍を率いてプンギン王国に叛乱した。プンギン王国内でプンギンとボコ軍の戦闘が始まった。両軍に多くの死者が出た。プンギンの人々は貧困に陥り、飢餓に喘いだ。

 多くの兵たちが死に、人々がくるしんでいることを知ったプラブ・ダマル・モヨは息子を送り、ラデン・バンドゥン・ボンドウォソがボコと戦った。ラデン・バンドゥン・ボンドウォソと戦い、プラブ・ボコは激怒した。

 ラデン・バンドゥン・ボンドウォソの力はプラブ・ボコをしのぎ、彼は死んだ。パティ・グポロは王が死んだのを見て、戦場から逃げ出した。ラデン・バンドゥン・ボンドウォソは、クラトン・ボコへ彼を追いかけて行った。

 クラトン・ボコに着くと、パティ・グポロはロロ・ジョングランに父王の死を報告し、殺したのがプンギンの戦士、ラデン・バンドゥン・ボンドウォソであることを伝えた。王女は涙し、父の死を嘆いた。

 ラデン・バンドゥン・ボンドウォソもクラトン・ボコに着いた。彼はロロ・ジョングラン王女の美しさを見て驚き、妻になってほしいとプロポーズした。しかし、ロロ・ジョングラン王女は、父を殺したラデン・バンドゥン・ボンドウォソとの結婚を望まなかった。彼を拒むため、ロロ・ジョングラン王女は一計を案じた。

 彼女はラデン・バンドゥン・ボンドウォソが、彼女の二つの願いを聞き入れてくれたなら結婚に同意すると言った。まず第一に、ジョロトゥンド Jalatunda の井戸を作ること。そして千の寺院を一夜で作ることである。

 ラデン・バンドゥン・ボンドウォソは彼女の要求を受け入れた。すぐにジョロトゥンドの井戸を作り始め、ロロ・ジョングラン王女に見てくれるよう言った。ロロ・ジョングラン王女はラデン・バンドゥン・ボンドウォソに井戸の中に入るよう頼んだ。それからパティ・グポロに命じて石を積み上げ、井戸を井戸を塞いでしまった。

 ロロ・ジョングラン王女とパティ・グポロの二人はラデン・バンドゥン・ボンドウォソが井戸の中で死んだと思った。しかし、ラデン・バンドゥン・ボンドウォソは生きていた。彼は瞑想し、井戸から無事に脱出した。

 ラデン・バンドゥン・ボンドウォソはロロ・ジョングラン王女に怒りを燃やした。しかし、彼女の美しさに、すぐ怒りを忘れてしまった。そのあと、ロロ・ジョングラン王女は千の寺院を一夜で作ることを要求した。ラデン・バンドゥン・ボンドウォソはジン〈jin=精霊〉を使って瞬く間に寺院を作りはじめた。しかし、ロロ・ジョングラン王女は、寺院作りを妨害しようと謀った。わらを叩き、燃やすよう女たちに命じたのだ。かくて空は夜明けのように明るくなり、ニワトリが鬨の声をあげた。

 ニワトリが鬨の声をあげ、人々が籾をつく音が聞こえ、東の空が明るくなって来た。ジンは寺院を作るのをやめた。ジンはラデン・バンドゥン・ボンドウォソに、朝が来たので寺院作りを続けることができないと告げた。ラデン・バンドゥン・ボンドウォソはまだ朝になっていないと気づいていた。彼はロロ・ジョングラン王女に寺院の数を数えるよう言った。999の寺院が建っていた。あと一つ足りない。

 ロロ・ジョングラン王女はラデン・バンドゥン・ボンドウォソとの結婚を断った。欺かれたと感じ、ラデン・バンドゥン・ボンドウォソは大いに怒って彼女を呪った。「ロロ・ジョングランよ、残りの寺院はあと一つ。そなたがそれになることで完成だ。」呪が実現し、ロロ・ジョングラン王女は石像と化した。

 今日にいたるまで、ロロ・ジョングランの石像はチャンディ・プラムバナン Candi Prambanan の中にある。そしてラデン・バンドゥン・ボンドウォソはプラムバナン周辺の女たちに、処女のまま老いるようにとの呪いをかけた。ロロ・ジョングラン王女の侍女となるためである。そういうわけで、プラムバナンでデートするカップルは別れることになると、昔から信じられている。

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ロロ・ジョングランが変身させられたという彫像。ほんとはマヒシャースラマルディニーと呼ばれるドゥルガー女神の像である。



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つづいてタンクバン・プラウの伝説


〈元ネタはこちら http://dongeng.org/cerita-rakyat/nusantara/asal-usul-gunung-tangkuban-perahu.html


タンクバン・プラウ Tangkuban Perahu 山の由来

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 西部ジャワ、カブパテン・バンドゥン Kabupaten Bandung 〈カブパテンは県に相当する行政区分〉にとても美しい保養地がある。それはタンクバン・プラウ山だ。タンクバン・プラウとは「ひっくり返った船」という意味である。こんな名がついたのは、むろんその形がひっくり返った船のようだからだ。パラヤンガン Parahyangan の民話によれば、その山は本当に船がひっくり返って出来たものだという。それはこのような物語である。


 スンギン・プルバンカラ Sungging Perbangkara 王が狩りに出かけた。森の中でサン・ラジャ〈王〉は小便をし、それが生い茂った葉(タロイモの森だった)にかかった。人間になろうとして苦行していた、ワユンヤン Wayungyang という名の一匹の雌イノシシがそれを飲んでしまった。ワユンヤンは妊娠し、美しい赤ん坊を産んだ。美しい赤ん坊は父のもとへ届けられ、ダヤン・スムビ Dayang Sumbi 、またの名ララサティ Rarasati と名付けられた。


 ダヤン・スムビはとても美しく聡明だったので、多くの王たちが彼女と結婚したがった。しかしだれ一人受け入れられる者はいなかった。ついに王たちはお互いに

争い始めた。ダヤン・スムビは自分が原因で騒動が起こったのを見て困り果てた。ダヤン・スムビは自ら願い出て、シ・トゥマン Si Tumang という一匹の雄犬を連れてある丘の上に身を避けた。機織りにいそしんでいる時、カインを織るために使っていたトロポン toropong (トラク trak = 杼〈ひ〉=製織に際し,経糸(たていと)の間に緯(よこ)糸を通す織機部品。舟形で,中央に緯糸を巻いた木管をおさめている。)が下に落ちてしまった。ダヤン・スムビは面倒になり、落ちたトラクを拾ってくれた者は誰でも、それが男なら夫にすると口走ってしまった。シ・トゥマンがトラクを拾ってダヤン・スムビに渡した。


 ダヤン・スムビはシ・トゥマンと結婚し、男の子に恵まれた。その子はサンクリアン Sangkuraing と名付けられた。サンクリアンは父のように超能力の持ち主であった。成長し、サンクリアンはいつもシ・トマンと遊んでいた。彼はシ・トゥマンを忠実な犬と思っていて、彼が父親だとは知らなかった。サンクリアンはハンサムな偉丈夫に育った。


 ある日サンクリアンは森に狩りに出かけ、シ・トゥマンにワユンヤンという名の雌イノシシを追いかけるよう命じた。シ・トゥマンが従わなかったので、サンクリアンは怒り、シ・トゥマンを殺してしまった。サンクリアンは、シ・トゥマンの肉をダヤン・スムビに与え、料理して食べてしまった。ダヤン・スムビは後になってシ・トゥマンを料理してしまったことを知り、とても怒った。怒りのあまりサンクリアンの頭をヤシの殻から作ったスプーンで殴りつけた。サンクリアンは頭に傷を負い、追い出された。


 サンクリアンは世界中を旅して回った。ずっと東の方角を旅していたが、最後に西に向かい、無意識のうちに母ダヤン・スムビのいるところへ戻って来た。サンクリアンは目の前にいる美しい娘が母ダヤン・スムビであることに気づかなかった。彼女もまた彼が息子であることに気づかなかった。二人は愛し合った。ある時ふと彼の頭の傷を見たダヤン・スムビは、彼が息子のサンクリアンであることを知った。


 ダヤン・スムビは二人の関係を説明しようとした。それでもサンクリアンは彼女との結婚をあきらめなかった。ダヤン・スムビは、サンクリアンに一晩で、舟を作り、チタルム Citarum 川をせき止めて湖を作ってほしいと頼んだ。サンクリアンは承知した。


 そこで東の方角にある木で舟を作った。その切り株はタングル Tanggul 山になった。切り落とされ西に積み重ねられた小枝はブランラン Burangrang 山となった。人々の知恵を借りて、ため池もほとんど出来上がろうとしていた。ダヤン・スムビはサン・ヒワン・トゥンガル〈至高の神〉に祈った。サンクリアンの仕事が出来上がらないようにと。ダヤン・スムビはララン rarang (彼女が織った白い布)を切って広げた。それは東の地平線に夜明けが来たように見えた。サンクリアンは焦った。怒りに血が上って、サン・ヒワン・ティコロ Sang Hyang Tikoroのおわす堰を壊してしまった。チタルム川の堰は東に放り出され、マンラヤン Manglayang 山となった。

タラガ・バンドゥンTalaga Bandung の水も水位が戻ってしまった。苦労して作った舟も北に蹴り飛ばされ、それがタンクバン・プラウ山になったのである。


 サンクリアンは、とつぜんプトリ Putri 山に消え、ウンガ・ジャクシ unga jaksi の小枝に姿を変えたダヤン・スムビを追いかけ続けた。あるいは、サンクリアンはウジュン・ブルン Ujung Berung と呼ばれる場所で、神秘の世界(ガイヤン ngahiyang )に消え失せたとも言う。


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 二つとも結婚をせまられた女が、男に無理難題をふっかけたあげく、女のほうもろくな目に遭わないというひどい話だが、日本の手児奈(てこな)とか、菟原処女(うないおとめ)などに通じる話素があるように思う。いつの時代もわりを食うのは実は女のほうなのである。


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by gatotkaca | 2014-08-07 13:20 | 影絵・ワヤン | Comments(0)
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