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木から落ちた猿

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ガトコチョは誰がために死す?(その2)

( 前回からのつづき)


牙を抜かれるアリムビ

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Dewi Arimbi

 2.で挙げたアリムボ征伐、ビモとアリムビの結婚のエピソードで、アリムボはビモおよびパンダワ一族を父の仇として認識している。インド版マハーバーラタにおけるヒディムバ、ヒディンバーきょうだいは森に住むラークシャサたちの頭領であるが、特に彼らが王国を持っているとは語られない。インド版では彼らはあくまで通りすがりのラークシャサであり、パーンダヴァを狙うのも特別な動機を付与されているわけではない。だが、ジャワではアリムボがビモを殺そうとすることには、敵討ちという明確な理由がある。パンダワがプリンゴダニ先代トルムボコ王の仇であり、さらにはアリムボの仇ともなることは、ガトコチョ誕生後のエピソードにも深い関わりを持ってくることになる。

 このエピソードでアリムビは、ビモに求婚し一旦は拒否されるのだが、パンダワの母クンティのとりなしでビモに受け入れられることになる。この時、クンティの言葉が発する超能力で、彼女のラクササの風貌は一変し、アリムビは美しい女になる。一説では、アリムビは美女に変わるが、ラクササであったなごりとして背が高いと語られることもある。生身の役者たちが演ずるワヤン・オラン Wayang Orang では、アリムビ役の役者には背の高い女性が選ばれるとも言われている。しかし、いずれにしてもこのエピソード以降のアリムビは人の姿としてワヤンに登場することになる。インド版マハーバーラタのヒディムバーにはこのような変貌はみられず、彼女はラークシャサのままビーマと結ばれる。もっともラークシャサの変身能力で美しい姿をとることにはなっているが、彼女の本質には変化が生じない。ジャワ版でのアリムビの変化は、たんなる外見上の変化というよりは、内面のラクササ性の剥奪を意味すると考えられる。この場面はパンダワ側からのアリムビのスポイルであると看做すことができるだろう。これ以後、アリムビはパンダワにとって無害の存在となり、彼女の役割はガトコチョの善き母以上のものではなくなるのである。このスポイルがアリムボ殺害の直前に行われることも注目しておきたい。反パンダワの態度を崩さないアリムボはビモに殺害されるが、すでにスポイルされているアリムビは兄の死に異議を申し立てることはない。この時点でアリムビはプリンゴダニからパンダワの側にその属性を移してしまっているのである。そしてプリンゴダニの王権はパンダワに帰属したアリムビの手に委ねられる。

 「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」に紹介されている東部ジャワのワヤンでの展開はこれとは異なる。ここではプラブ・トルムボコはプラブ・コロ・ボコ Prabu Kala Baka と呼ばれる。アリムビは彼の三番目の子であり、きょうだい中で唯一の女である。二人の兄の名はコロ・アルムボ Kala Arumba とコロ・アリムボ Kala Arimba であり、弟たちはコロ・プロボケソ Kala Prabakesa とコロ・ブンドノ Kala Bendana という。アリムビは父に最も愛され、幼少より王位継承者とされていた。

 父とは異なり、コロ・アルムボとコロ・アリムボは人食いであった。父は人食いを禁じたが、二人はそれを無視していた。怒りと失望で、父王はサユムボロ sayembara 〈婿取りの協議〉を開催し、二人の反抗的な息子たちを殺し得た者は誰あろうとアリムビと結婚し、プリンゴダニ国の王位継承者となると宣言した。そしてプジョセノ Pujasena (東部ジャワでポピュラーなビモの名)という立派なクサトリアが勝利した。コロ・アルムボとコロ・アリムボの二人は、互いの頭を鉢合わせにされ、同時に弊されたのである(ジャワ語でディアドゥ・クムボ diadu kumba という)。

 しかしプジョセノは褒美を受け取らなかった。プリンゴダニ国の王位を拒み、彼は二包みの飯のみを所望した。ラスクシ raseksi 〈女羅刹〉であるデウィ・アリムビとの結婚を断ったのである。

 プントデウォ Puntadewa 〈パンダワ五王子の長兄〉と共にデウィ・クンティが現れ、ラスクシであったアリムビの姿を美しい女の姿に変えた。こうしてビモは彼女を妻にすることに同意し、プリンゴダニの王位は生まれてくる子供に与えられることになった〈「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」第一巻、136~137頁〉。

 東部ジャワのワヤン・クリは、中部ジャワの王宮の伝統から比較的自由なスタイルを展開させていることで知られている。ここではプリンゴダニ国の先代王の名に、先に紹介したプルタパアン・プリンゴダニの伝承に見られたプラブ・ボコが用いられている。プリンゴダニ先代王の名はプラブ・ボコとする伝承の方が古いのかもしれない。プラワンガンの伝承でも王の名は、ハリムボコあるいはトルムボコとなっており、ハリ+ ボコ Hari(m) + Baka であると考えられるからである。当初プリンゴダニ先代王の名にボコが採用されていたとすれば、4.、5.の説話に登場するブロジョドゥントという人物とプリンゴダニの関係も見えてくる。これについては後述する。


死を背負って生まれるガトコチョ


 3.に語られるガトコチョ誕生譚は、シムプルなインド版とは大きく異なり、ガトコチョの命を奪うことになるスンジョト・クントという神与の武器をめぐる物語として構成されている。インド版では、ビーマとヒディムバーが結ばれると間もなくガトートカチャが産まれ、彼の誕生にまつわる物語は特に設定されていない。インド版におけるガトートカチャの姿は「耳まで裂けた大きな口をし、耳は矢のように尖り、虎の牙のような歯をもち、大きな長い鼻、広い胸、子牛のような逞しさと力をひめた異常な子供であった。」〈「マハーバーラタ」第一巻、山際素男編訳:三一書房刊、1992年、215頁〉とされ、かれの急速な成長も「ラークシャサの女はみな身籠ったその日に出産する慣しであった。そして生まれた子供は、たちまち若者となり、人間の武器の使い方、武芸をあっという間に習得してしまうのである。」〈前掲書、同頁〉と語られている。ちなみに、ガトートカチャ Ghatotkacha という名は「水差し・瓶」を意味するサンスクリット ghat(tt)am と「頭」を意味する utkacha から成り、「水差しのような頭を持つ者」を意味している。彼の頭が水差し(ガト)のような形であることから名付けられた。水差しのような形の頭というのは、ちょっとイメージしにくいが、頭でっかちの不格好な姿なのであろうか。このようにインド版におけるガトートカチャは人間ばなれした魔物の要素の強い造形であり、ジャワのガトコチョが立派な若武者姿として描写されるのと対照的である。もっともジャワのワヤンでガトコチョの造形がクサトリア〈武将〉の姿に変わるのは19世紀からであり、それまではアリムビもガトコチョもラクササ姿の造形であったという〈「エンシクロペディア・ワヤン・インドネシア」第一巻、137頁〉。ガトコチョというキャラクターの人気が上昇してラクササ姿ではなくなったのだとすれば、彼が民間で人気者になったのも18~19世紀以後のことである可能性が高い。

 スンジョト・クントは、インド版マハーバーラタでカルナがインドラから手に入れる必殺必中の槍のジャワ版ということになる。インド版マハーバーラタの展開は次のようなものである。

 パーンダヴァたちが12年間の森への追放の期間を終え、13年目に入る頃にインドラがカルナの力を削ぐため、彼の耳飾りと黄金の鎧を奪おうとしてバラモンに変身し、カルナのもとを訪れる。耳飾りと鎧はカルナが誕生した時から身に着けていたもので、これがある限り彼は不死身であるとされていた。バラモンに化けたインドラは、施しの英雄として知られるカルナに耳飾りと黄金の鎧を施してくれるよう要求する。すでに父である太陽神スーリャからインドラの企みを聞かされていたカルナだが、あえてインドラの要求を受け入れる。カルナは不死身を捨てる代償としてインドラの持つ必中必殺の槍を求める。インドラは一度きりの使用を条件に、その槍を与える。従ってこの槍の獲得とガトートカチャには何の関わりも無い。ガトートカチャは、その戦闘能力の高さを買われてカルナの対抗馬として白羽の矢がたてられるのであり、ガトートカチャとカルナの槍には特別の因果関係があるわけではない。多少の因果関係を思わせる記述はあるが、それほど説得力も無く、ガトートカチャがカルナに槍を使用させるのは、あえていえば成り行きに過ぎないのである。

 いっぽうジャワではクントは鞘と抜き身に分かれ、抜き身はカルノの手中にあるが、鞘はガトコチョのへその緒を切るために用いられ、へその緒を切ると同時にガトコチョの体内に吸収される。ジャワでは、人の誕生は胎盤 ari-ari とへその緒が分かれた時に始まるとされている。いわばガトコチョはクントによってこの世に誕生するのである。鞘と抜き身に分かれたクントは、再び一体に戻ることが運命付けられており、鞘であるガトコチョが抜き身のクントと一体となる、すなわちクントによって死ぬこともまた不可避な運命として設定されている。ジャワではガトコチョとクントの関係は、インド版のそれよりもはるかに強い因果関係として設定され、ガトコチョはその誕生の時から死の影を背負った存在として現れることになる。


叛乱者ブロジョドゥント


 時が過ぎ、ガトコチョは成長する。彼の結婚とプリンゴダニ国の王位継承を巡る4.5.6.7.あたりの説話は異説も多く、その時間的構成もダランによって異なる。殊にガトコチョとアリムビの兄弟である彼の叔父たちとの確執に関する話には異説が多いが、ガトコチョの叔父たちで特に重要な役割を担うのがブロジョドゥントとコロ・ブンドノであることは共通している。ガトコチョの叔父たちで、文学史的に出自を辿れるのはブロジョドゥントだけで、他の弟たちの設定がどのような過程で成立したのかはまるで分からない。ただ、12世紀に成立した「カカウィン・ガトートカチャスラヤ」に登場する人物にバジュラダンタ Bajradanta の名が見える。バジュラとはサンスクリット語のvajraから由来し、雷を意味する語であり、ブロジョ braja と同義である。ちなみにドゥンタ(ドゥント) denta は永遠を意味する。よって、バジュラデゥンタは後世のブロジョデゥントのことであると考えて間違いなかろう。

 このカカウィンはアルジュナの息子アビマニュ Abimanyu とクリシュナの娘 シティ・スンダリ Siti Sundari の結婚を主要プロットとするもので、あらすじは以下のようなものである。


  物語はドゥウォロワティ Dwarawati 国に預けられたアルジュナの息子アビマニュから始まる。この時、パーンダヴァたちは12年間森へ追放されていた。アビマニュはクリシュナにたいへん愛され、クリシュナの娘シティ・スンダリとの結婚を望まれていた。シティ・スンダリは苦行者たちの生活にならい、森へ行こうとしていた。アビマニュも護衛の兵たちと共に同行した。彼ら二人はとうとう恋に落ちた。しかし彼らの関係は長く続かなかった。シティ・スンダリが、ドゥルユーダナ Duryudana の子ラクサナクマラ Laksanakumara の許嫁とされたからである。アビマニュは命を賭けてシティ・スンダリを守ろうと決意した。クリシュナの兄バラデワ Baladewa は二人の関係を聞いて激怒した。そしてクリシュナが宮廷に戻る前に、シティ・スンダリとラクサナクマラをすぐに結婚させようとした。アビマニュは瞑想し、神に恩寵を乞うた。その時、デウィ・ドゥルガーの家来、カララワルカ Karalawarka がアビマニュをデウィ・ドゥルガーに捧げるため捕らえた。アビマニュは超能力の呪文を唱え、デウィ・ドゥルガーは彼を食うことができなかった。アビマニュはクルバヤ Kurubaya のガトートコカチャに助けを求めた。続く物語でアビマニュはガトートコカチャの手助けを得てシティ・スンダリを奪う。ガトートコカチャはシティ・スンダリに化ける。これを知ったバジュラダンタ Bajradanta はすぐさまラクサナクマラに報告する。彼はビーマに殺されたラークシャサ、バカ Baka の息子で、復讐を企てていたのである。ガトートカチャとラクサナクマラに化けたバジュラダンタの烈しい戦いとなる。バジュラダンタは斃される。バジュラダンタの死を知ったドゥルヨーダナは激怒し、ドゥウォロワティを攻撃する。その意図はバラデワに阻止される。コラワ Korawa 軍はヤドゥ Yadu 〈クリシュナの一族〉たちを攻めるが、ガトートカチャとアビマニュが迎え撃つ。バラデワは恐ろしい姿のトゥリウィクラマ triwikrama になり、戦いを止めよるよう命じたが従う者はいなかった。怒りが交差する中、クリシュナが到来しなだめる。物語の最後はアビマニュとデウィ・ウタリ Dewi Utari 、シティ・スンダリの婚礼の宴となる。〈Perpustakaan Universitas Indonesia >> Naskah:Gatotkacasraya kakawin:Deskripsi Dokumen: http://lontar.ui.ac.id/opac/themes/libri2/detail.jsp?id=20187060&lokasi=lokalによる〉


 ここでは、バジュラダンタはバカの息子として登場し、パーンダヴァへの復讐のためにガトートカチャと敵対する。彼は変身能力を有しており、インドのラークシャサ的要素を強く残しているようだ。この物語ではガトートーカチャも変身できるようで、やはりラークシャサ的である。バジュラダンタが他の者に化けて相手を翻弄するというプロットは、5.の演目に見られるように、現在のワヤンの演目内でも受け継がれている。

 4.、5.の演目は異説もあり、たとえば「ワヤン・ジャワ、語り修正ーマハーバーラタ編ー〈上〉」(松本亮編訳、八幡山書房、2009年)で紹介されている「ブロジョドゥントの叛乱 Brajadenta Mbalelo 」でのキ・ナルトサブド Ki Nartasabda の構成は以下のようなものである。


 プリンゴダニ国のブロジョドゥントは祖父、父の仇であるパンダワ一族の血を引くガトコチョを王として戴くことに不満をつのらせ、八ヶ月以上も臣下の礼をとることを拒んでいた。そしてついに彼はガトコチョ殺害を決意する。弟たちの反対を押し切ってプリンゴダニの王宮に乗り込むのである。王位にこだわらないガトコチョは叔父に王位を譲ろうとするが、戦いとなり、ガトコチョはブロジョドゥントの超能力の呪文アジ・グラプ・サユト Aji Gelap Sayut 〈百の雷〉に敗れる。

 レウォトコ Rewataka 山へ飛ばされたガトコチョは、かつて祖父パンドゥの大臣であったゴンドモノ Gandamana の霊と出会い、叔父ブロジョドゥントとブロジョムスティの間の因果を知らされる。彼らの父トルムボコはかつてパンドゥの弟子であった。トルムボコの献身に対し、パンドゥは二つの重代の宝を与えた。それがボロジョドゥントとブロジョムスティの護符であった。護符はトルムボコの左右の手のひらに宿り、やがて双子の息子となったのである。二つの護符はアスティノ国とプリンゴダニ国が一つになる時、パンドゥの子孫に戻されなければならない。つまりパンドゥの子孫であるガトコチョがプリンゴダニの王となる時、二人の叔父に姿を変えた護符は、ガトコチョの体内に帰る宿運を負っていたのだ。

 ブロジョドゥントは偽のガトコチョに変身しプリンゴダニの玉座にあった。生還したガトコチョとの戦いとなり、正体をあらわしたブロジョドゥントはブロジョムスティとの一騎打ちで相撃ちとなる。ガトコチョが二人の死骸に跪くと、死骸は消え失せ、ガトコチョの体内に入り彼の超能力を倍加させる。こうしてガトコチョの王位は確定するのである。


 ナルトサブドの構成では、ブロジョドゥントとブロジョムスティは、その誕生以前からあらかじめ死を予言された人物たちである。護符の生まれ変わりである彼らはガトコチョが一人前になると同時に、護符に戻り彼の体内に入る(パンダワに戻る)ことを運命付けられている。これはガトコチョが神与の武器クントによって誕生し、クントによる死を運命付けられているのと対応する。クントが神のもとに返還される時、ガトコチョもこの世から消滅する。ブロジョドゥント・ブロジョムスティの運命は、ガトコチョの運命の反復(予告)であり、彼らはガトコチョのドッペルゲンガーなのである。

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ガトコチョの叔父たち


 トルムボコ王の子供は八人ともいわれ、ガトコチョの叔父たちは六人が設定されている。以下に「エンシクロペディ・ワヤン・インドネシア」に記載されているガトコチョの叔父たちのプロフィールを示す。内容の重複もあるが、お許し願いたい。


ブロジョドゥント Brajadenta

 ブロジョドゥントはラクササ姿で、デウィ・アリムビの弟であり、ガトコチョの叔父でもある。父はプリンゴダニ国王プラブ・トルムボコであり、彼はプラブ・パンドゥ・デウォノトと戦って死んだ。長男のプラブ・アリムボは父王の仇を討とうとしてビモと戦い殺された。それゆえ、ブロジョドゥントは自身の甥、ガトコチョに対し密かに復讐心を抱いていたため、ガトコチョがプリンゴダニの王位を継承することを快く思わなかった。

 ブロジョドゥントはガトコチョを父の仇の子、祖父の仇の孫と看做していたのである。

 王位を簒奪するため、ブロジョドゥントは叛乱を企てた。目的達成のため、ブロジョドゥントはバタリ・ドゥルゴとコラワたちの助けを借りる。弟たちブロジョムスティ、ブロジョラマタン、プロボケサ、コロブンドノは彼に反対したが、ブロジョドゥントの意志は固かった。叛乱を押しとどめるため、ブロジョムスティは心ならずも兄と戦うこととなった。決闘は相撃ち sampyuh となり、二人は共に弊れた。

 これには異説もある。ブロジョドゥントは演目「ガトコチョ・クムバル Gatotkaca kembar (瓜二つのガトコチョ)」では、ガトコチョの手にかかって死ぬ。この演目で、ブロジョドゥントはガトコチョに化け、デウィ・バヌワティを誘惑する。

 ブロジョムスティは死の際で、兄の罪を暴き、罰を与えることができた。兄弟の魂は甥の体に入った。ブロジョムスティの魂はガトコチョの左手に、いっぽうブロジョドゥントの魂はガトコチョの右手に宿ることとなったのである。

 二人のラクササの魂が手のひらに宿り、ガトコチョの超能力は倍加する。キ・ダランによっては、ガトコチョがラクササたちの頭を衝突させて粉砕したと語る。


ブロジョムスティ Brajamusti

 ブロジョムスティはガトコチョの叔父のひとりで、デウィ・アリムビの弟である。彼は、プリンゴダニ国王で、プラブ・パンドゥ・デウォノトに斃されたプラブ・トルムボコの四番目の子である。長男のアリムボはビモに殺された。きょうだいの二番目であり、ビモの妃であるデウィ・アリムビがプリンゴダニ国の王位を継いだ。きょうだいの三番目、ブロジョドゥントは、デウィ・アリムビが王位をガトコチョに継がせようとした際、叛乱を起こした。

 ブロジョムスティはブロジョドゥントの叛乱に賛同せず、彼と対決した。かくて二人は相撃ちとなって果てたのである。しかし死の際に、ブロジョムスティは兄を改心させ、二人の魂はガトコチョの体に入った。ブロジョドゥントはガトコチョの左手に、ブロジョムスティは右手に宿ったのである。


ブロジョラマタン Brajalamatan

 ブロジョラマタンはブロジョムスティの弟である。他の兄弟と同様に、ラクササ姿である。ブロジョドゥントとブロジョムスティの相撃ち sampyuh の後、ブロジョラマタンは弟のプロボケサと共にプリンゴダニ国の戦闘指揮官セノパティ senapati に推挙された。

 ブロジョラマタンは長寿を全うした。ブロジョドゥントの叛乱の際にも、彼はニュートラルな態度を守った。彼はバラタユダ後も生き、ガトコチョの子どもたちを育て、戦略知識を教えた。ブロジョラマタンの教えのおかげで、ガトコチョの息子たちは、プラブ・パリクシト治世のアスティノ国でセノパティとなることができたのである。

 しかし、一部のダランは、ブロジョラマタンはブロジョドゥントの叛乱に加担し、ガトコチョに殺されたと語る。


ブロジョウィカルポ Brajawikalpa

 ブロジョウィカルポはプラブ・トルムボコの六番目の子で、ガトコチョの叔父である。影響を受けやすく、煽動されやすい性格で、ブロジョドゥントの叛乱に加担し、ガトコチョに斃された。


プロボケソ Prabakesa

 ラクササ姿で、ガトコチョの叔父のひとり。ブロジョドゥントの叛乱のあと、プリンゴダニ国の大臣 patih を務めた。

 プリンゴダニ国の大臣を務めるにあたって、プロボケソは誠実であったので、国は安寧、豊かであった。国政に従事するいっぽう、プルボケソはつねにガトコチョに対して父のように接した。

 プルボケソはバラタユダの15日目に戦死した。ガトコチョの戦死の直前であった。


コロ・ブンドノ Kala Bendana

 コロ・ブンドノはラクササ姿のガトコチョの叔父である。父はトルムボコ、長兄はアリムボである。

 コロ・ブンドノは甥のガトコチョを深く愛した。ガトコチョは幼少からこの叔父の愛を一身に受けて育てられ、指導された。彼はガトコチョにプリンゴダニの王位を継承させるというデウィ・アリムビの考えに賛同していた。兄のブロジョドゥントの叛乱を起こそうとしたときも、コロ・ブンドノは反対した。ついにブロジョドゥントはブロジョムスティと相撃ちとなり、他の兄たちも死んだ。

 ブロジョドゥントの叛乱事件以来、彼のガトコチョに対する愛情はより深まった。しかし、コロ・ブンドノの愛情も、運命のねじれを変えることはできなかった。彼は愛する甥の手にかかって死ぬこととなるのである。


 「カカウィン・ガトートカチャスラヤ」でガトートカチャの敵役として創作されたバカ王の息子ブラジャダンタは、その後プリンゴダニ国の王子のひとりに再設定された。これは彼の父とされたバカ王の名が、民間伝承でプリンゴダニの王とされたことに影響されたのだろう。そしてプリンゴダニ伝承は、アリムボ、アリムビのきょうだいも取り込んだ。ワヤンではプリンゴダニ国王バカの名はその後、エコチョクロ王ボコ Baka との混同を裂けるため、アリムボコあるいはトルムボコに変化した。ブラジャダンタがガトートカチャの敵対者であった設定は引き継がれ、ブロジョドゥントがプリンゴダニ国で叛乱を起こすというプロットに再構成されたと思われる。

 ブロジョムスティは、『チュムポロ』の記事ではブロジョドゥントの同盟者、キ・ナルトサブドの解釈ではブロジョドゥントが負の側面、ブロジョムスティが正の側面を担った双子とされているが、いずれにしてもブロジョドゥントから派生したキャラクターと言える。ジョクジャ・スタイルのワヤンには、ブロジョムスティはスンジョト・クントがガトコチョのへそに吸収されるさい、一緒に吸収され、ガトコチョが死んだとき、彼の遺体を護る役を担っていたという説もある〈「マハーバーラタの陰に」松本亮、八幡山書房、1981年、230頁〉。

 ブロジョラマタン、ブロジョウィカルポは、その名を見てもブロジョドゥントからの派生キャラクターであると思われる。「チュムポロ:ガトコチョ特集号」には『ガトコチョの持つ護符』が紹介されているが、ブロジョドゥント、ブロジョムスティ、ブロジョラマタン、ブロジョウィカルポの四人が死後ガトコチョの体内に宿り、彼の護符となったと記されている。つまり、ブロジョドゥントがらみの人物たちはすべてガトコチョに吸収されてしまうのである。ガトコチョは、ブロジョドゥントに代表されるプリンゴダニの叛乱分子を一身に吸収してプリンゴダニ国の王となる。プリンゴダニ叛乱分子は、ラクササと人の混血という両義的人物ガトコチョのラクササ的側面の分身であるとも言えるだろう。ガトコチョはみずからのラクササ的要素を抑制・統御することでプリンゴダニ王としての地位を確立する。これもまたパンダワ側からのプリンゴダニ(ラクササ)へのスポイルの一環として捉えることができよう。

 ブロジョドゥントの物語はプリンゴダニ国内に、大国(パンダワ)支配への抵抗が根強く残っていたことを明らかにする。ガトコチョは身内である叔父たちを供犠として差し出すことで、パンダワへの忠誠を示さなければならなかったのである。



コロ・ブンドノ

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Kala Bendana

 コロ・ブンドノという人物がいつ頃現れたのかは不明である。しかし彼を巡るプロットは安定しているところから、かなり早い時期から設定されていた可能性が高い。彼はガトコチョの叔父の中でも最もガトコチョとの親和性が高く、ガトコトチョからの信頼も厚い。ラクササ姿であってもパンダワへの帰属性の高い人物である。その彼がアビマニュの結婚を巡る行き違いからガトコチョの手にかかって死に、ガトコチョの死の原因の一つとなる。アビマニュはウィロト国王マツウォパティの娘デウィ・ウタリとの結婚に際して、自身がまだ独身であるとウタリに嘘をつく。ガトコチョはアビマニュの嘘に加担し、デウィ・シティ・スンダリとデウィ・ウタリを欺こうとするが、コロ・ブンドノはこれに同意せず、嘘をつくことを拒否する。融通のきかぬ叔父に腹を立てたガトコチョは、怒りのあまりコロ・ブンドノを殴りつけ殺してしまう。いささか唐突で、理不尽とも言えるコロ・ブンドノの死は、最も親和的である彼さえも差し出す、ガトコチョのパンダワに対する忠誠心の表明であり、支配者が被支配者に課す要求が、いかに過酷で理不尽なものであるかを炙り出す。

 アビマニュの嘘にはさしたる必然性も無く、嘘はたんなる彼の見栄にすぎない。パンダワの嫡子たる彼はこのとき傲岸(ヒュブリス)の罪を犯していると言えるだろう。彼は嘘がばれることを恐れ、「小さくは私がかつてウタリ以外の女と同席、大きくはすでに妻をもっているとあれば、いつの日か、私はバラタユダの戦いにおいて、コラワたちのあまたの武器を射込まれ、死にいたろうものを」〈「ワヤン・ジャワ、語り修正ーマハーバーラタ編ー〈上〉」427頁〉と、いらぬ誓いまでたて、後日その言葉通りに死ぬのである。アビマニュの嘘に加担するガトコチョもまた、このときヒュブリスの罪を犯していると言えよう。コロ・ブンドノはこれを容認しない。ここではパンダワ側の傲岸をプリンゴダニのラクササが糾弾するという、ある種の逆転が生じており、神意の正当性はコロ・ブンドノの側に仮託されている。ガトコチョは暴力によってこの正当性を破棄し、その報いとしてコロ・ブンドノはガトコチョの死に対する決定権を持つことになる。

 このときガトコチョは、コロ・ブンドノの担う正当性よりも、不当であってもアビマニュに象徴されるパンダワへの帰属を選ぶ。ガトコチョは本来プリンゴダニ(ラクササ)とパンダワ(人)の中間に位置する存在である。しかし彼のアイデンティティーの表明は、つねにパンダワの一員であることに注がれる。ガトコチョのこのスタンスは、プリンゴダニ国が本来有していたラクササ性を順次排除し続け、プリンゴダニのアイデンティティーを崩壊させていくのだ。

 ワヤンの語りでは、バラタユダでのカルノとガトコチョの戦いにおいて、スンジョト・クントが放たれたのを見たガトコチョは天空高く飛び、雲の中に隠れる。さすがのクントもガトコチョを追いきれず、失速しようとする。そのときコロ・ブンドノの霊が現れる。クントを掴み、アリムビの声色をまねるコロ・ブンドノの前にガトコチョは姿を現し、クントはあやまたずガトコチョのへそに収まる。ここでは、ガトコチョの死の決定権はクントよりもむしろ、コロ・ブンドノの手に委ねられているといった方が良いだろう。クントは無敵のガトコチョを死なしめる唯一の武器であるが、それをガトコチョに届かせるのはコロ・ブンドノなのだ。ワヤンでのガトコチョの死は、その誕生とともに運命付けられていたクントによる彼の無敵性の無効化と、コロ・ブンドノによるヒュブリス(ここではクントという死の運命を回避し得るとの傲慢)の指弾という二段階をもって完遂される。プリンゴダニの内部にあって、プリンゴダニの消滅を遂行し続けたガトコチョは、その最後にプリンゴダニ旧勢力の愛憎すべてを一身に引き受けて戦場に果てる。こうしてコロ・ブンドノの魂はガトコチョと手を取り合って天界へ昇るのである。

 ガトコチョの死を追ってアリムビも炎に入り、この世を去る。このプロットは「カカウィン・バーラタユダ」で創作され、以後受け継がれている。「カカウィン・バーラタユダ」でのヒディムビーの殉死は、サティーの一変形と言えるだろう。サティーとは厳密には夫の死にさいして妻が殉死する習俗を指し、「カカウィン・バーラタユダ」ではアビマニュの妻シティ・スンダリ、シャリヤ Salya 王の妃スティヤワティ Stetyawati らのサティー(殉死)が歌われており、ヒディムビーの死もその流れのひとつとして描かれる。ヒディムビーはガトートカチャの母であり、彼女の殉死がサティーと言えるかどうか疑問もあるが、「カカウィン・バーラユダ」成立時にはまだガトートカチャの配偶者の設定は生まれておらず、彼に殉死する者として母であるヒディムバーが選ばれたのであろう。現在のワヤンでもアリムビはガトコチョに殉じるとする解釈が受け継がれており、結婚の演目も用意されているガトコチョの妻プルギウォについては語られることはない。

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Raden Sasikirana


ガトコチョは誰がために死す?


 ガトコチョはかつてプリンゴダニ国の叛乱分子をその体内に取り込み、自らの超能力とした。彼の死は叛乱し吸収された叔父たちの真の死を意味すると言えるだろう。叛乱に加担しなかったプロボケソはガトコチョ戦死の直前にガトコチョの先陣として散った。ガトコチョを愛したコロ・ブンドノはガトコチョと共に昇天し、アリムビも殉死する。かくてラクササ(元ラクササ)であるプリンゴダニ国の旧支配勢力は、ガトコチョもろとも一機に消滅する。

 ジャワのガトコチョ説話におけるガトコチョの死は、カルノへのカウンターであると同時に、プリンゴダニのラクササ要素の消滅を意味している。ラクササと人(パンダワ)の中間に位置するガトコチョは、出自の両義性のゆえに、その英雄的死をもってプリンゴダニ旧勢力を消滅させるためのスケープゴートとして機能するのである。そしてプリンゴダニ国はアルジュノの血を引くサシキロノの手に委ねられる。

 アルジュノの血統は、アビマニュの息子パリクシト Pariksit がアスティノ国の王位を継承することに見られるように、パンダワの王権を受け継ぐ血筋である。また演目「ガトコチョの結婚」(「チュムポロ」版)に見られる、アルジュノから提示される結婚の条件は、かつてアルジュノ自身がスムボドロ Sumbadra との結婚において自身に課せられた条件とそっくりである。ここではガトコチョの結婚がアルジュノの結婚と同定され、パンダワ側からの正当性が付与されることになる。従ってこの結婚により生まれるサシキロノの存在には、パンダワ側からの正当性の付与がはじめから用意されているのである。かくてプリンゴダニの王位はビモの血にアルジュノの血が加えられ、完全にパンダワに帰属する存在として確定することになる。サシキロノへの継承によってプリンゴダニ国はその独立性を完全に抹消され、アスティノ国の属領と化す。そして、その後のワヤンの世界で、サシキロノはアスティノ国の戦闘指揮官 senapati として活躍することになる。

 ガトコチョはまさしくその身を切ることで、自らの国を大国(パンダワ=アスティノ国)に受け渡す。次第に支配されていく小国の愛憎すべてを一身に引き受け、ガトコチョは戦場で果てる。プリンゴダニ側の独立性の破棄の代価として、パンダワ側からはガトコチョというスケープゴートが提供されるのだ。双方の犠牲の提供によってパンダワとプリンゴダニには和解が成立する。こうして神からその正当性を認知される理想国家アスティノは、いにしえの世界の支配者を、自らの支配のもとに属領化することに成功するのである。

 ガトコチョとプリンゴダニを巡る説話は、一つの国が大国に吸収されていく歴史的過程の説話化として読むことができよう。ジャワの人々はガトコチョとプリンゴダニ国の物語に、征服されゆく小国のゆらぎと締念、憎悪と悲しみを託した。そして征服者と非征服者双方にまたがる両義的存在であるガトコチョという人物の戦死の英雄性を讃えることで、かつて無念のうちに支配されていったあまたの小国への鎮魂の歌としたのである。

 ガトコチョとプリンゴダニの物語を、正当王権に征服された小国たちへの鎮魂として捧げたジャワは、その後の歴史のうちに自らが支配される側に貶められることとなる。オランダによる植民地支配である。マタラム王国崩壊から王家の分割へといたるオランダからの圧力は、ジャワの正当王権を支配される側の立場に追い込んだ。ここにおいてプリンゴダニ国とガトコチョの物語は、ジャワにとって自らの物語として捉え直されたのではないだろうか。ガトコチョへのシムパシーの高まりと共に彼の姿もラクササからクサトリアへと変わり、彼をめぐる演目もその数を増した。ガトコチョの叔父のひとりブロジョラマタンが生き残り、サシキロノの養育にあたるとする説も、こうしたプリンゴダニへのシムパシーの高まりと共に生まれたのではないかと考えられる。

 今のジャワでワヤン通を自認するような人と、ワヤンの人物で誰が一番好きか?といった話をするとコロ・ブンドノを挙げる人が結構いる。その話を聞くと、ガトコチョが好きな人はふつうのワヤン好きで、ワヤンを深く知る人はコロ・ブンドノやスコスロノ Sukasrana といった人物を愛するのだという。しかしコロ・ブンドノを愛するということは、畢竟ガトコチョとプリンゴダニの物語を愛しているということであろう。これなども今のジャワの人々が抑圧される側に高いシムパシーを感じる一例であろうと思う。かくてラークシャサの息子、超能力の戦士ガトートカチャは、ジャワにおいて滅びの悲しみを知り、身内の無念を一身に引き受け、祖国に身を捧げた英雄ガトコチョとして生まれ変わったのである。

 そして独立後のインドネシアで、空飛ぶクサトリア・夜戦のスペシャリストとしてのガトコチョは政治家・軍人からも人気を得た。インドネシア共和国初代大統領スカルノ Sukarna は、1960年代にガトコチョの新しいウォンド wanda 〈人形の意匠〉を三種作らせたという。現代のカルノもまたガトコチョを深く愛したのである。



(おわり)


by gatotkaca | 2014-03-31 07:08 | 影絵・ワヤン
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