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木から落ちた猿

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スリ・タンジュンの物語

 ● サデウォを主人公とした「スドモロ」には、続編ともいえる物語があり、「スリ・タンジュン Sri Tanjung 」という。東部ジャワの都、バニュワンギ Banyuwangi の名の由来となったとされる物語である。バニュワンギはインドネシア、東ジャワ州の同名県の県都。人口約8万。ジャワ語で〈バニュ〉は水、〈ワンギ〉は芳香を意味する。バニュワンギ県はジャワ島東端部に位置し、バリ海峡に面する。古くからバリ島との交流が盛んで、今日でもフェリーが県内のクタパン港から日に何本も往来している。バニュワンギをはじめとするジャワ島東端部は、かつてバランバンガンBalambanganの名で呼ばれる地方王朝の支配下にあり、さらに中部ジャワ,バリ,マドゥラの諸勢力が入りこみ、オランダ東インド会社をまじえて複雑な抗争を繰り返した歴史をもっている〈http://kotobank.jp/word/バニュワンギ〉。
 以下にその物語の概要を記す〈http://id.wikipedia.org/wiki/Sri_Tanjungによる〉。

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スリ・タンジュン
 スリ・タンジュン Sri tanjung はまたバニュワンギ Banyuwangi (芳香の川)の物語としても知られている。妻の夫に対する献身の物語としてジャワ文化の至宝たる伝説である。この物語はマジャパイト Majapahit 時代から著名である。物語は中世ジャワ語による文学作品としてしられ、歌であるトゥムバン tembang としてキドゥン Kidung の詩形式で構成されている。また、この物語はジャワの慣習におけるルワット Ruwat の儀式において用いられることでも知られている。スリ・タンジュンの名は香りたかい花、タンジュンの花によっている。
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〈タンジュンの花http://biojojo.blogspot.jp/2012/01/tanjung-mimusops-elengi-l.htmlから〉

起源
 この物語の起源、作者は不明であるが、東部ジャワ、バニュワンギが発祥の地と言われている。バニュワンギの街の名の由来の伝説だからである。この物語は13世紀初頭のマジャパイト王国の時代に著されたとされる。この説は考古学的証拠の他トゥムバンの形式からも推測されるものである。スリ・タンジュンの物語はチャンディ・パナタラン Candi Panataran 、ガプラ・バジャン・ラトゥ〈バジャン王宮の門〉 Gapra Bajang Ratu 、チャンディ・スラワナ Candi Surawana 、チャンディ・ジャブン Candi Jabung の壁面レリーフに取り入れられている。

物語
 物語は以下のようなものである(1)。物語はパンダワ Pandawa 一族の凛々しく強壮なクサトリア ksatria 〈王族〉であるラデン・シダパクサ Raden Sidapaksa に始まる。彼は、シンドゥルジョ Sindyreja 王国を統治するスラクラマ王 Sulakrama に仕えていた。彼は王の命で山中の苦行所に住まう祖父バガワン・タムバ・プトラ Bhagawan Tamba Petra のもとへ薬を探すために使者として赴いた。そこで彼はとても美しい娘、スリ・タンジュンと出会う。スリ・タンジュンはふつうの娘ではなく、その母は地上に降り、人の妻となった天界の妖精ビダダリ bidadari であった。それゆえスリ・タンジュンは類いない美しさをそなえていたのである。ラデン・シダパクサはスリ・タンジュンと恋に落ち、やがて結ばれた。妻となってのち、スリ・タンジュンはシンドゥルジョ国に住まうこととなった。スラクラマ王はスリ・タンジュンの美しさに魅了され、彼女を恋い焦がれた。王は夫の手からスリ・タンジュンを奪い取ろうと欲っし、シダパクサからスリ・タンジュンを引き離す計画を企てた。
 シダパクサはスラクラマ王に命じられ、スワルガロカ Swargaloka 〈天界〉へ書状を送る使者とされた。その書状には「この書状を運んできた者はスワルガロカを攻撃する」とあった。母の贈り物として父、ラデン・スダマラ Raden Sudamala から魔法のスレンダン selendang 〈スカーフ〉を譲り受けていたスリ・タンジュンの助けで、シダパクサはスワルガロカへ飛んで行くことができた。スワルガロカに到着したシダパクサは、いまだ書状の内容を知らぬまま、神々にそれを渡してしまったのである。そのため彼は神々から攻撃を受けることとなった。しかしついに、祖先であるパンダワを呼び、誤解を解くことができた。かくてラデン・シダパクサは解放され、神々から祝福を授かった。
 いっぽう地上では、シダパクサが出発したあと、スリ・タンジュンはスラクラマ王の誘惑を受けていた。スリ・タンジュンは拒んだが、スラクラマは無理強いした。スリ・タンジュンは抱きつかれ、犯されようとした。そこへシダパクサが現れ、王に抱きつかれている妻の姿を目撃した。心悪しく狡猾なスラクラマ王は、スリ・タンジュンの方から彼を姦淫に誘ったのだと彼女を中傷した。シダパクサは王の言葉を信じ、妻が浮気をしたと思い込み、怒りと嫉妬で燃え上がった。スリ・タンジュンは彼女の貞節と無実を信じてほしいと乞うた。悲しみに胸いっぱいになってスリ・タンジュンは言った。私が自決した時、血が流れず、香りたかい水が流れ出たなら私が無実である証です、と。暗く激しい目つきでスリ・タンジュンを刺すように見るシダパクサの前で、彼女はクリス〈短剣〉でその身を差し貫いて死んだ。奇蹟が起こった。スリ・タンジュンの誓いのとおり、彼女の刺し傷からは血ではなく、芳しい香りを放つ水が溢れ出たのである。ラデン・シダパクサは己の過ちに気付き、自らの行為を後悔した。スリ・タンジュンの魂 sukma はスワルガロカに飛び、デウィ・ドゥルガ Dewi Durga と出会った。スリ・タンジュンの身に降り掛かった不公正な出来事を知り、デウィ・ドゥルガと神々は彼女を生き返らせたのである。スリ・タンジュンは再び夫のもとへ帰った。神々はシダパクサにスラクラマ王の罪を罰するよう命じた。彼はスラクラマ王を決闘で殺し、復讐を果たした。この地には、香りたかい水にちなんだ名が与えられたと言う。かくてブラムバンガン Blambangan 国の都には、今にいたるもバニュワンギ Banyuwangi 、つまり「香りたかい水」という名が与えられたのである。

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 スリタンジュン物語に関するブログ記事を見つけたので下記に訳す〈http://sritanjungarti.blogspot.jp/2008/12/sepintas-tentang-cerita-sri-tanjung_27.html〉。

スリ・タンジュン物語総覧

 スリ・タンジュン Sri Tanjung の物語は17世紀にバニュワンギ Banyuwangi で書かれた文学作品である。当時のバニュワンギは東部ジャワ最後の王国、バランバンガン Balambangan 王国の一部であった。オランダのジャワ文学研究者であるテオドール・ゴーティール・トーマス・ピゴー Theodoor Gatier Thomas Pigeaud は、この物語を『古代ジャワとジャワ・バリ魔除けの物語の起源とbellstric〈語意不明〉形式文学への関連性 Original Old Javanese and Javanese-Balinese exorcist tales and related literature in a bellestric form 』と題する書に収録した。ピゴーが『ジャワ・バリ』としたのは、これらの中世ジャワ語で書かれた文学が、マジャパイトに至る東部ジャワ諸王国の文学活動を源泉とし、後にバリ島で、ワトゥ・レンゴン Watu Renggong 統治下のゲルゲル Gelgel 王国(一部の地域を除く)において発展したものだからである。これらは「チャロナラン Calon Arang 」、「スダマラ Sudamala 」、「ワルガサリ Wargasari 」、「ナワ・ルチ Nawa Ruci 」、「スブラタ Subrata 」、「サティヤワン Satyawan 」といった一群の文学作品たちである。

 スリ・タンジュンの物語は13世紀初頭、東部ジャワで生まれ、後に口承文学として伝えられたと思われる。その過程でこの物語はジャワ・ヒンドゥー文化に統合され、ナクラ Nakula とサハデワ Sahadewa の後裔としてヒンドゥーの物語の主要人物の中に取り込まれた。たとえばブリタール Blitar のチャンディ・パナタラン Candi Panataran のバトゥル・プンドポ Batur Pendopo 〈謁見所〉のレリーフにはスリ・タンジュンの他、サン・スティヤワン Sang Swtyawan もが描かれている。同様にクディリ Kediri のバトゥル・チャンディ・スワワナ Batur Candi Surawana にはブドゥ・サとガガン・アキン Bubuk Sah-Gagang Aking という人物も見出せる。これらのレリーフは生の完全性を求めるという主題を持った物語である。

 スリ・タンジュンの物語で重要な点は、ルワタン ruwatan の要素が見出せることである。これはバリ語でパングルカタン panglukatan もしくはパニュパタン Panyupatan 、パバユハン Pabayuhan とも呼ばれるもので、自己の内にあるネガティヴな事柄を溶解し、より強靭で聖なる状態を保持するための儀式である。このパングルカタンの要素は、クディリ、プラマハン Plamahan のチャンディ・ティゴワンギ Candi Tirowangi (1358年)、中部ジャワ、ラウ Lawu 山のチャンディ・スク Candi Sukuh (1439年)、チャンディ・チェト Candi Ceto のように、他のいくつかの祀堂でも重要な主題となっている。この三つのチャンディにはスドモロ物語のレリーフがある。この物語はスリ・タンジュン物語と密接な関係にあり、現在でもバリ島ではパングルカタンの儀式を催す際に語られるものである。

 現代においてもスリ・タンジュンの物語はバニュワンギ周辺の大衆の間で、「バニュワンギ」の名(香りたかい水の意)の由来を物語る伝説として生きづいている。

 バリ島において、スリ・タンジュンの物語は1970年代に人気の絶頂にあったアルジャ Arja の舞踊劇の演目として著名であった。1980年代においても、バリ島のいくつかの地域で、この物語はパングリカタンの儀式のためのワヤンの演目としてとりあげられていた。

 現在、この物語はバリ島の人々にほとんど忘れ去られたかのようである。噂では、バリ島のある村ではスリ・タンジュンの物語を語ることはタブーとされているという。理由はわからない。確かなことは、この物語には何らかの強い力が内包されているのだと想像できるだけである……。

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 もともとバニュワンギの地名に関する由来譚であったのだろうが、ドゥルゴ女神との関係から、サデウォとの関連が生じたのではないかと思われる。上記ブログ記事にもあるように、ルワタン説話の一種と理解されているようだが、妻が貞節の証に自決し、神の恩寵で再生するというプロットは、ラーマーヤナにおいてシーターが純血を証明するために火に入る場面を連想させ、むしろサティヤ Satya 〈インドでのサティー〉の一変形ではないかという気もする。
 妻を信じきれないシダパクサのダメさ加減や、王様のいやらしいところなど、個人的にはお気に入りの物語である。
 さて、ワヤンにもデウィ・スリタンジュンは登場するが、こちらでは話がだいぶ違っている。ワヤンではよくある父探しの話のヴァリエーションになっていて、あまり面白くない。スリタンジュンが水と関連する出自であることや、命の水/バニュ・パングリパンを持っているといった点に、元話の面影が見受けられる〈http://indonesiawayang.com/galeri-wayang/tokoh-mahabarata/mahabarata-wayang-s/sritanjung-dewi/〉。

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 デウィ・スリタンジュン Dewi Sritanjung はアマルト国のクサトリアン・サウォジャジャル Kesatrian Sawojajar 〈クサトリアンはクシャトリアの居住区〉のナクロとデウィ・スレンゴノワティ Dewi Srengganawati の娘である。スレンゴノワティはナルマダ・ワリウ narmada Waliu 川に住まうラクササ亀、ルシ・ボドワノゴロ Resi Badawanangala の娘である(プルウォチャリト Purwacarita によれば、ボドワノゴロはギシクサモドロ Gisiksamodra /エコプラトロ Ekapratala 国の王として知られている)。彼女にはデウィ・サヤティ Dewi Sayati を母とする、二人の異母きょうだいがあり、それぞれの名はバムバン・プラムシント Bambang Pramusinta とデウィ・プラムワティ Dewi Pramuwati という。
 デウィ・スリタンジュンはとても美しく、教養高く、機智に富み、柔軟な思考を持ったひとである。彼女はまた超能力のタフな女戦士でもある。さらに母から与えられた小箱 cupu を持つ。この中には「命の水/バニュ・パングリパン Banyu Panguripan 」が入っている。そして祖父から与えられた呪文、アジ・プンガシハン Aji Pengasihan を持つ。
 デウィ・スリタンジュンは幼い時から、祖父ルシ・バドワナゴロと共にワリウの苦行所で暮らしていた。大戦争バラタユダ Bharatayuda が終わった時、デウィ・スリタンジュンは父を求めてアスティノ国に向かった。その途中、彼女はトゥンゴロノ Tunggarana の森にあるゴワシルマン Gowasiluman 国のラクササ王、プラブ・アジバラン Prabu Ajibarang と出会い、だまされて彼と一緒にアスティノ国に攻め上った。
 アスティノ国でデウィ・スリタンジュンは、サハデウォ Sahadewa〈サデウォ〉とデウィ・スレンゴノワティ Dewi Srengganawati の息子で、彼女のいとこであるバムバン・ウィドパクソ Bambang Widapaksa と出会った。かくて二人は力を合わせてプラブ・アジバランを斃した。彼らの父たち、ナクロとサハデウォによって、デウィ・スリタンジュンとバムバン・ウィドパクソは妻合わされ、プラブ・パリクシト Prabu Pariksit の治めるアスティノ国の軍司令官に任命されたのであった。

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 スリ・タンジュンと夫となるウィドパクソ(シドパクソ)の母の名がどちらもスレンゴノワティなのが気になるが(これではいとこでなく、異父きょうだいになってしまうから、結婚できないだろう)、「エンシクロペディ・ワヤン」でも双方ともスレンゴノワティとなっているので、典拠の記載に混乱があるのかもしれない。
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by gatotkaca | 2014-03-05 00:13 | 影絵・ワヤン | Comments(0)
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