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木から落ちた猿

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双子の兄弟ナクロとサデウォに違いはあるのか? その2

(前回からのつづき)

スドモロ物語の構造とサデウォの役割

 以下では三機能体系説を援用して、スドモロ物語の構造を考えてみたい。
 物語はバトロ・グルの呪詛によってデウィ・ウモがバタリ・ドゥルゴに変身させられることから始まる。バトロ・グルはジャワにおけるシヴァ神の呼び名である。インドにおけるトゥリムールティ Trimurti 神学はジャワでは展開しなかったようで、ここでもグル(シヴァ)は単に天界の主権者として設定されており、インドのような複雑多岐に渡る複合的性格は付されていない〈ジャワにおけるグル=シヴァの変容は、松本亮「ジャワ影絵芝居考」誠文図書、1982を参照〉。三機能体系に当てはめれば、少なくともこの物語においては、第一機能に属すると看做してよいだろう。一方のドゥルゴもインドでのドゥルガーと異なる性格付けがされており、ジャワではグルの妃ウモが呪われてラクササに身を堕した存在とされている。ラクササとはインドのラークシャサのことであるが、ジャワにおけるラクササはインドのアスラ、ダーナヴァ、ラークシャサ、ブータといった魔物の系列すべてを含む。つまりドゥルゴは神に敵対する魔物の一員とされているのである。〈ジャワにおけるドゥルガー女神の変容については、当ブログで〈ドゥルガー〉タグを付した記事で論じた。〉沖田瑞穂氏の指摘にあるようにアスラは第三機能の性格を持つ。スドモロにおけるドゥルゴ・プロットは第一機能たるグルの呪いによって第三機能に属することとなったウモ(ドゥルゴ)がサデウォの手助けを得て、第一機能に復帰する物語であるといえる。
 一方、サデウォ自身もまたこの物語の中で、クンティーによって一旦すてられ、試練の後にパンダワに復帰する。また、天界の住人であったチトロセノとチトランゴドもグルの呪いでラクササに身を堕し、ナクロとサデウォに殺されることで、ビダドロに復帰する。
 つまりスドモロ物語はドゥルゴ、サデウォ、チトロセノ・チトランゴドの三組の第三機能と、グル、パンダワの第一機能との対立と和解の物語である。これは先述したインド・ヨーロッパ語族の神話における第一機能と第三機能の対立とその後の合流という話形に対応している。ただ、インド・ヨーロッパ語族の話形では第三機能は最初の段階では異物として存在し、事件後に体系に組み込まれるのに対し、スドモロにおいては、最初は一体であった者たちが、対立し、その後に和解するという形に変容している。これは、この物語の主題がルワットであり、物語成立当時のルワットの対象が王族・国家であったことに起因するのではないかと考えられる。聖なる存在として生まれた王族が、ある事件によって汚れをおび、試練を経て再び浄化される、というのが初期ルワットの概念であったからではないだろうか。モジョパイト時代に成立したルワットの物語はほとんどが、王族の『魔除けの書』として成立したものであり、そこでは聖なる存在が汚れをおび、再び浄化されるというプロットが採用されている。後代に成立したと思われるムルウォコロ Murwakala の物語では、グルの息子であり食人の魔王バトロ・コロの餌食として設定される者たちは、スクルタ Sukerta と呼ばれ、そのカテゴリーには一人っ子、五人兄弟など、出生にともなう汚れが現れてくる。これはルワットの対象が一般庶民におりてきたことから生じたと思われるのである。
 また、今日のワヤンの多くの演目に、同根発生→対立→犠牲の提供→和解・融合というプロットが見られることから、インド・ヨーロッパ語族ではないジャワ民族においては、上位二機能と第三機能の出自が異なるという概念がなく、すべての存在が同根発生したとする信仰があったのかもしれない。この物語に登場する道化役のスマルには、グルの兄であるという説話が存在する。スマルは民衆の代表者、肥沃の象徴とされ、明らかに第三機能を担う存在であるが、第一機能の代表者たるバトロ・グルと同根発生の存在とされているのである。このスマルの設定がスドモロ成立時にすでに存在したかどうかは不明だが、こういった設定をもうける素地がジャワ文化の中にあったことは明らかだろう。
 ドゥルゴは本来、第一機能に属するウモであったわけで、第三機能におとしめられた彼女の復帰の仲介者としては、第三機能に属し、第一機能との親和性の高いサデウォを必要としたのである。サデウォの行うルワットを補佐するのが、第一機能のグルと第三機能のスマルの二者であることも、その証左であろう。そしてサデウォ自身も、その過程において上位二機能と第三機能の対立と和解という説話形を反復することになる。ルワット執行者の候補としては、ビモをあげることもできる。モジョパイト時代にはビモ〈ビーマ〉によるルワットの物語『ビーマ・スワルガ』も存在する。そこではルワットを行う者がビモとなっているのである。ビモによるルワットは、地獄の火山に投げ込まれた父パンドゥ〈パーンドゥ〉と義母マドリム〈マードリー〉を追って、自らも地獄の劫火に飛び込み、彼らを救い出すというかたちで描かれている。もともと第二機能の肉体的強靭さを誇る戦士であるビモのルワットは、やはり彼の強靭な肉体の誇示を通して行われることになる。ジャワでのビモは、インドのビーマに対して、より第三機能的側面が追加されるかたちでの変容を生じているが、ビモの聖性・超越性の発現は、やはりその強靭な肉体の力を持ってして表現されるのである。しかしスドモロの物語におけるドゥルゴのルワットは力の誇示では果たし得ない。「スタソーマ」や「チャロナラン」でもそうであるように、魔物に身を堕した優しき女神〈かつての聖人〉のルワットを行う者は、誠実さと謙虚さを兼ね備えた賢者でなければならないのである。とすれば、パンダワのうちで第三機能に属し、なおかつ第一機能との親和性をもち、「世に賢者として知られる者」たるサデウォこそが相応しい。
 もう一方のルワットといえるチトロセノ、チトランゴドについては、カランジョヨ、カラントコというラクササとなり、彼らがパンダワの敵対者であるドゥルユドノ〈ドゥルヨーダナ〉に組する者となったことから、戦闘での敗北(死)を契機に行われることになる。この戦闘の段階でナクロが参加するのも、ナクロがサデウォと双子でありながらも、より第二機能・戦士機能との親和性が高い人物であることによると考えられよう。
 このように、マハーバーラタからの二次創作として、ジャワで独自に生まれた「スドモロ物語」においても、インド版「マハーバーラタ」に見られた三機能体系の要素が色濃く反映されていることがわかった。ナクロとサデウォという双子のあいだにある差異についても、少なくともスドモロ物語の成立時期までは継承されていたということができるだろう。

ワヤンのパクム〈演目のあらすじ〉に見いだせる双子の差異

 モジョパイト時代においては、ナクロとサデウォの差異があるていど意識されていたことが明らかになったと思うが、現在のワヤンではどうであろうか。彼らがワヤンで活躍する場面はめったになく、二人が共に登場するさいには、二人の間の差異はほとんど表現されない。ただ、数は少ないが、ナクロ、サデウォを単独で主人公とした演目もあることはあるのだ。ここでは、それらからいくつかの演目のプロットを提示して、双子に差異が存在するかを検討する。各演目のあらすじは、「エンシクロペディ・ワヤン Ensiklopedi Wayang Indonesia, SENA WANGI, Jakarta, 1999 」全六巻から適宜引用する。
 まず二人が共に活躍を見せる場を二つ紹介する。
 ひとつめは、演目「マルトの森を開く Babad Alas Wana Marta 」である。この演目で、ウィロト国の一角マルトの森(またの名ムルタニ Mertani )を与えられたパンダワたちは、魔物たちの棲むこの森を開拓し、自分たちの国アマルト Amarta 国を建国する。この時、森を支配していたチントコプロ Cintakapura 国のジン Jin〈精霊〉の五人兄弟がパンダワ五王子によって斃され、ジンたちの魂はそれぞれパンダワたちと一体化し、彼らの超能力を倍加させる。ナクロと共にサデウォは、サプジャガドSapujagad とサプレブSapulebuという名のラクササ・ガンダルウォを斃した。サプジャガッドの魂は、かくてナクロの体内に、一方サプレブの魂はサデウォの体内に入った。それゆえ、サプジャガドが所持していたアジ・プラノウォジャティAji Pranawajati がナクロに、サプレブが所持していたアジ・プルモノジャティ Aji Purnamajati という能力は、サデウォのものとなった。二つのアジ(呪文)の能力は、記憶力に優れ、事象や問題に対する正確な分析能力であるとされ、二人の能力に特に差異は設けられていない。
 もうひとつは、パンダワとコラワの最後の大戦争バラタユダの終盤にある。今は亡きマドリムの兄プラブ・サルヨ Salya 〈シャルヤ〉がコラワの司令官に任命されたとの知らせが広まった時、プラブ・クレスノ Kresna 〈クリシュナ〉はナクロとサデウォに、プラブ・サルヨのもとへ赴き、コラワ側についた彼らの伯父に命を差し出すよう命じた。愛する二人の甥の到来に、プラブ・サルヨはおおいに困惑した。ナクロとサデウォはこの時プラブ・サルヨに身も魂も差し出すと申し出た。モンドロコの王ははっとして、目の前にいる双子が身の置き所の無いさまになったことへの責任を果たさなければならないと感じた。バラタユダにおいてもしパンダワが敗れれば、プラブ・サルヨは、二人の甥の未来を破壊する罪を負うことになるのだと。ナクロとサデウォに対し、プラブ・サルヨは自身の弱点を教えた。彼を負かしうるのは、白い血をもつ者だけである、と。ゆえに二人の甥にプラブ・サルヨはバラタユダにおいてパンダワ方の司令官にプラブ・ユディスティロを立てるようにと教えたのである。バラタユダの舞台における役を果たして、ついにプラブ・サルヨはジャムス・カリモソドの書に当たって戦死した。
 ここでの双子の役割はバラタユダの帰趨に関わる重要なものではあるが、双子の機能に特に差異は無い。
 では、彼らそれぞれを主役とした演目においてはどうであろうか。

1.ナクロを主役とした演目

a. ナクロの結婚 Nakula Krama
 このラコンはラコン・スムパラン(sempalan)に含まれる。物語は、アウ・アウランギット王国のプラブ・クリダクロトの娘デウィ・ルトノ・サユティRetna Sayati のことが語られる。結婚候補者として定められるため、かくてサユムボロ・プラン(武闘大会)が催された。
 デウィ・サユティの兄インドロ・クロトを負かした者は誰であれ、サユティの夫として選ばれるのだ。サユムボロには他の者も参加した。カルトマルモ、ジョヨドロト、そしてアディパティ・カルノである。しかし、彼らには運がなかった。
 ナクロはインドロ・クロトを破り、デウィ・ルトノ・スヤティ(サユティ)と結婚する資格を得た。
 このラコン・パクムはあまり著名でないので上演は稀である。

b. チョンドログニ Candrageni
 ある日ナクロはトゥランチャン・グリビグの王に身をやつし、プラブ・チョンドログニと称した。彼はプラブ・アノム・ドゥルユドノ、プラブ・ボロデウォ、そしてアディパティ・カルノに挑戦状を送った。
 三人の王は挑戦状を受け取った。かくてすぐさま戦いとなったが、三人とも敗れ、その妃たち、バヌワティ、スルティカンティと共にトゥランチャン・グリビグに捕らえられてしまった。
 いっぽうプラブ・ユディスティロと弟たちは、五年間も何の音沙汰もなく失踪したナクロを、おおいに心配した。ブガエアン・アビヨソの指示により、彼らはドロワティ国に赴き、スリ・クレスノに会見した。
 プラブ・ユディスティロからの知らせを聞いたクレスノは、トゥランチャン・グリビグ攻撃を命じた。まずアルジュノがポノカワンたちと共に先行した。王国に到着するとアルジュノはすぐさまプラブ・ドゥルユドノ、プラブ・ボロデウォ、アディパティ・カルノとデウィ・バヌワティ、スルティカンティを、プラブ・チョンドログニと妃のデウィ・スティヨ・プルノモにも知られることなく解放した。
 その後、ガトゥコチョとアビマニュがチョンドログニに対し書状を届けた。その内容はアマルト国王は彼の国を攻撃するというものだった。戦いが勃発した。パンダワの武将、王族たちはことごとくチョンドログニの超能力に拮抗し得なかった。ついにクレスノがサデウォに一騎打ちを頼み、チョンドログニはサデウォとの一騎打ちで元のナクロの姿に戻り、再び兄弟たちの下へ参じた。
 このラコンはチャランガンに含まれ、しばしば上演される。

2.サデウォを主役とした演目

a. サデウォの結婚 Sadewa Krama
 これについては二つの物語がある。
  ギシサモドロGisiksamodra 国で、プラブ・ボドワンゴノロBadawanganala の娘、デウィ・スレンゴノワティSrengganawati 争奪のサユムボロ(嫁取り競技)が行われた時、サデウウォが赴いた。そのサユムボロでは、「スジャティニン・ラナン・ラン・スジャティニン・ワドン Sejatining lanang lan sejatining wadon(真実の男と真実の女)」を説くことが出来た者は誰でも王の娘と結婚できる、ということであった。サデウォはそのサユムボロに勝利した。
 サデウォはスラミラSelamirah国のプラブ・ラサデウォ王の娘、デウィ・ラサウランRasawulanと結婚する。デウィ・ラサウランはドゥルソソノとアルジュノに求婚されていた。というのも、ウィクwiku(比丘)・プンデト(僧侶)たちによれば、デウィ・ラサウランを妻にし得た者はバラタユダに勝利するであろうとのことであったからである。この婚姻申込で、コラワに従ってドゥルソソノに随行していたカルノと、アルジュノに付き従ったオントルジョとアビマニュの間に争いが起った。しかし、デウィ・ラサウランは、彼女が問う謎掛けに回答することが出来た者を夫に選ぶと言う。その問題は簡単であった。つまり、愛情の真実の意味は何か、とういうことであった。しかし、デウィ・ラサウランは、その答えには漏れの無い十全なものを求めた。ドゥルソソノとアルジュノは答えることが出来なかった。プラブ・クレスノの提案で、サデウォが答えることを命じられ、彼の答えは成功をもたらした。

b. ワヒュウ・シ・ヌグロホ Wahyu Sih Nugraha
 ラコン・チャランガンに属す。サデウォが失踪し、パンダワたちは悲しみに包まれていた。プラブ・クレスノは慰めながら、パンダワたちにガルボルチ国へ行けば、サデウォにまた会える希望があると示唆した。
 その頃、ガルボルチのプラブ・ガルボスモンドは、ジウォンドノを呼び、指導者としての教えを与え、王位をジウォンドノに譲る事にした。だが、国の安寧のため、パンダワの武将サデウォを生贄として探しだすことが条件であった。
 一方サデウォは、スマル、ガレン、ペトル、バゴンと共に森にいた。彼はワヒュウ・シ・ヌゴロホを得たいと願っていた。道中、その望みを失敗させようとするバトロ・コロとバタリ・ドゥルゴの妨害をうけた。かくてサデウォはジワンドノの差し向けたヘスティピングルに拉致された。ガルボルチ王国で、サデウォは殺されず、訓戒を受けた。ジウォンドノはワヒュウ・シ・ヌグロホの化身だったのだ。かくてジウォンドノはサデウォの体内に入った。
 パンダワたちがガルボルチ国に到着し、神よりの恩恵を授かったサデウォと再会した。

c. ワヒュウ・カユ・マニ・イマンドコ Wahyu Kayu Manik Iandaka
 ラコン・チャランガンに含まれる。このワヒュウはサデウォのおかげでパンダワに与えられた。最初このワヒュウはグオ・コリソンゴのブガワン・スクモニングラトが所有していた。このワヒュウ・カユ・マニ・イマンドコの意味を説き明かした者は誰あろうと、これを所有するブガワン・スクモニングラトから与えられるのだ。
 最初にボモノロカスロが来てワヒュウを乞うたが、その意味を説き明かすことができなかった。無理矢理奪おうとサン・ブガワンを殺そうとしたが、スクモニングラトの超能力で、苦行所から放り出された。
 続いてサデウォがやって来てワヒュウの意味を説き明かし、これを得る事に成功した。カユ kayu(木)は生命の象徴、マニ manik(ダイヤモンド) は権力の象徴である。その意味するところは、人生の目的は memaniking dunia(地上のダイイヤモンド)となることであるというものだ。これは信仰に基づいて得られるものである。またグオ・クリソゴ Guwa Krisanga (九つの門を意味する)とは、人間の持つ九つの孔に入ることである。
 ブガワン・スクモニングラトの承認を得てワヒュウは与えられ、彼はサン・ヤン・ウェナンの姿に戻った。
 このラコンはあまり著名でない。

 まず1-a.と2-a.を比較してみよう。それぞれの結婚を扱う演目であるが、ナクロがサユムボロ・プランでの戦闘の勝利によって妃を獲得するのに対して、サデウォはイルム(英知)の開示によって嫁取りに成功する。これは戦士機能と親和性を持つナクラ、賢者としてのサハデーヴァという、ウィカンデル・デュメジルが提示した双子の特性の相違にぴったり適合している。
 1-b. は第三機能と上位機能との対立・和解説話のヴァリエーションといえるだろう。ここでナクロは主に武力を用いて上位機能と敵対し、ナクロの戦士性が強調されている。そしてナクロと対抗できるのは同じ第三機能のサデウォだけである。興味深いのはこれと同工異曲のプロットがスマルの息子とされるポノカワン Ponokawan たちを主人公にした演目でも見られるということである。この第三機能の優位性が高いプロットに関しては、ポノカワンの問題もかかわるので、別の機会に取り上げたい。
 2-b. c. においてサデウォは武力ではなく、英知によって成果を得る。ちなみにワヒュウ wahyu とは天啓のことである。ここにおいてもデュメジル・ウィカンデル説におけるサハデーヴァの賢者性が反映されていると考えられる。
 以上のように、ワヤンの演目においても、ナクロは戦士的特性を、サデウォは賢者的特性を維持しているといえよう。これらの演目の上演はまれであり、ワヤンの観客たちにとりたてて注目されることは少ないとはいえ、少なくとも演目を構成する側にある、一定の素養を有した者たちは、意識的かどうかは別としてもナクロとサデウォに一定の差異を認めているということになるだろう。インド・ヨーロッパ語族の三機能体系に基づくナクラ、サハデーヴァの差異は、マハーバーラタの物語がジャワに渡り、幾多の変容を受けた後もナクロとサデウォの扱いの中で通奏低音のように鳴り響き続けているのである。

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 といった小難しい話は抜きにして、現地のワヤン好きに聞くと、ナクロとサデウォの最大の違いはおでこだ、という。
 ソロ・スタイルのワヤン・クリの造形では、おでこの出ているのがナクロ、おでこが髪で隠れているのがサデウォだそうである。小さくて見にくいかもしれないが、下図をとくと眺めてくださればお分かりいただけるだろう。

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 これも、無理矢理三機能体系説にあてはめれば、ナクロはおでこを出して(顔のすべてを露出して)己の美しさを誇示しているのに対し、サデウォはひかえめに隠している、ということになろうか。
 とはいえ、一般的には「おでこ」が双子の最大の違いということになるだろう。

(了)
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by gatotkaca | 2014-03-03 05:00 | 影絵・ワヤン | Comments(0)
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