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木から落ちた猿

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ワヤンとその登場人物〜マハバラタ 第19章

19. パンドゥ、愛の行為を妨げ、ルシ・キミンドノに呪われる

 ウィヨソ〈アビヨソ〉の三人の息子たち、デストロストロ、パンドゥ、ヨモウィドロはビスモによって最上のサトリアとなるため育てられ、クサトリアたる教育を施された。デストロストロが盲目であったため、パンドゥが王位を継承し、アスティノ、クルジョンゴロ Kurujanggala 、またの名ガジャ・オヨ Gajah Oya 、リマンブナウィ Limanbenawi 国の王となった。称号は『パンドゥデウォノト・ビナトロ・ニャクトワティ・モホディニングラト PANDUDEWANATA BINATARA NYAKRAWATI MAHADININGRAT 』である。
 さて、マンドゥロ Mandura 国では、プラブ・クンティボジョ Kuntiboja がサユムボロ・ピリ〈王女自身が婿を選ぶ婿取り〉が催され、誰でも参加が許された。この発表はワヤンにおける民主主義的『催し』という政治的価値を持つ。王、セノパティ〈司令官〉、兵士また庶民にいたるまで、デウィ・クンティに選ばれれば彼女の夫となる資格を得る。男が嫁を選ぶのではなく、女が夫を選ぶのだ。
 デウィ・クンティは美しい王女で、偉大な王の娘であるから、多くの者が『あきらめた judeg 』のも無理はない。しかし実際はデウィ・クンティは選者ではないのだ。死も、伴侶も、名誉も、すべては人間の決めることではなく、神の意志に委ねられている。このサユムボロもまた定められた二人が出会うきっかけでしかない。彼らはパンダワ兄弟という歴史に残る偉大なサトリアの父母として運命づけられていたのである。
 麗しく光り輝くデウィ・プリト Purita 〈クンティ〉はパンドゥによってアスティノ国へと誘われた。美しいふたりの婚礼は『芽吹いた ngejawantah 』サン・ヒワン・ナカワット Sang Hyang Nakawat 神とバタリ・ポルミ Batari Polumi 女神のようであった。
 パンドゥがサユムボロに勝利した時、ノロソモ Narasoma という若者が『熱くなって brangsan 』現れた。彼は妹のデウィ・マドリム Dewi Madrim を連れていた。ノロソモはサユムボロに参加するつもりだったのだが、遅れてしまったのだ。ノロソモは頭に血が昇り、パンドゥに『決闘』を申し込んだ。彼の超能力とアジ・チョンドロビロウォaji Candrabirawa 〈無数の魔物を召喚できる呪文〉があれば、パンドゥに勝てると思っていたのだ。さてどうなったか?
 『暗喩 karang 』の教えによれば超常の力は単なる『粉飾 boreh 』にすぎない。災厄に遭遇した時には信頼に足らぬものである(kepentoking pancabaya ubyane mbalenjani )。虚栄心や己惚れを満たすために用いれば(sumungah sesongaran, karem reh kaprawiran, hdigan-hadigung-hadiguna )、手にするのは失望だけである。だから高貴なる魂を武器とするパンドゥには対抗し得なかったのだ。
 これこそ『スロディロ・ジャヤニカナングラト・スウ・ブラスト・テカピン・ウラ・ダルマストスティ suradira Jayanikanangrat swuh brasta tekaping ulah Dharmastuti 〈悪しき欲望は正しい心によって滅せられる〉』と呼ばれるものである。
 いかなるスロ sura 、サクティsakti〈超能力〉といえども、それが邪なる目的、虚栄心や己惚れで用いられるなら、かならずや安寧を目指す魂 budi rahayu によって滅せられる lebur のである。とうとうノロソモはデウィ・クンティを手に入れることができず、デウィ・マドリムをパンドゥに差し出すこととなった。かくてパンドゥはアスティノ国の王となり、二人の妃を迎えることとなった。美しく母性にあふれ、慎重で注意深いデウィ・クンティと、魅力的な美女デウィ・マドリムである。
 ある日、パンドゥは森の中で狩りをして『ウィーク・エンド』を楽しんでいた。二人の妃も同行していた。パンドゥは二頭の鹿が『愛し合って』交合しているのを見た。弓を引き絞り矢を放つと、牡鹿に命中した。鹿は倒れ伏し死んで動かなくなった。するととつぜん鹿の姿は消え、ひとりのブガワンが現れた。それはルシ・キミンドノ Resi Kimindana という人であった。サン・ルシの呪いの声が天に響き渡った。
 「プラブ・パンドゥよ、そなたは人でなしの王だ。礼儀を知らぬ。他人の安寧を妨げることを喜ぶ。よくよく気を付けるが良い。そなたが妃を愛でようとする時、そなたの運命は尽きる。憶えておけ、パンドゥよ。その時が、罪無きブラフマンを殺した報いを受ける時だ。」
 ルシ・キミンドノの呪いを耳にして、パンドゥは膝を着き、全身の力が抜けた。はっとしてパンドゥは言った。
 「おお、おお、愛するクンティ、マドリムよ。不注意とはこのことだ。欲望が不注意を引き寄せるのだ。不注意は災厄を呼ぶ。私は罪を負ってしまった。今からはブラフマチャリヤ〈女性に触れられぬ身〉となった。いかなる女にも触れることができなくなってしまった。」
 二人の妃はパンドゥを思いとどまらせようと慰めたが、無駄であった。これらの出来事の意味するところは何か?ちょっと話を中断して考えてみよう。この物語ではっきり分かるのは、ワヤンでは他人の楽しみを妨げてはならないということを教えているということだ。愛や楽しみを満喫している人は実存としてそうしているのである。パンドゥのラコンが示しているように、人はいつも強欲を抑え、注意を払ってそれらを妨げることのないように心得なければならないのだ。パンドゥが鹿を殺した事件は、一部の人々が菜食主義をとって肉を食べないのと同じように、自身の強欲を抑え減らすことの必要性を説いているのである。

1976年9月19日 ブアナ・ミング
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by gatotkaca | 2013-05-13 00:40 | 影絵・ワヤン | Comments(0)
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