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木から落ちた猿

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ワヤンとその登場人物〜ハルジュノソスロとラマヤナ 第18章

18. ディレンマを克服して賢者となったウィビソノ

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 ウィビソノは、神秘主義者によってグナワンであるとされている。グナワンとは賢者のレベルに達した者、またマーリファ makrifat〈体験的知識〉を得た者のことである。ワヤンではウィビソノの歩みは、グナワン・アリフ gunawan arif〈賢者〉の段階に到達した(マーリファ)聖者に憧れ、真の正義(ロモ)と一体となろうとする。その物語はとても興味深いものである。ウィビソノがアンコロ・ムルコ〈災厄・強欲〉からその身を遠ざけようとするさまを詳しく見てみよう。
 「おお、兄上、偉大なる王ラウォノ兄よ。」ウィビソノはこのように意見を述べた。「スリ・ロモと戦おうとする兄上の決心を真剣に考え直していただきたい。というのも、今回の戦いは、私見によりますれば単なる女の奪い合いにすぎません。この戦いはまさしく災厄をもたらし、アルンコの子孫、血族を絶やすことになります。この戦いにはいったい何の益がありましょうや?スリ・ロモは超能力にして、勇猛、高貴なる魂を持つ誠実なる人です。
 思い出してください。兄上の師であるルシ・スバリ Subali は彼によって斃れたのです。かつてアルゴソコ argasoka は我らの祖先の苦行所であり瞑想の場でした。その聖性のゆえに、雲に覆われることなく、その上を飛ぼうとする無謀な鳥は地に落ち、血を流したのです。ところが今はどうです?今やスリ・ロモの使者の一匹の猿〈アノマンのこと〉に壊され、焼かれ、容易く破壊されてしまったではありませんか。スリ・ロモだけを見ても、彼は強欲を討ち滅ぼす武器、グウォウィジョヨを持っているのです。」
 ウィビソノはさらに言葉を続ける。
 「彼はウィスヌの化身であり、ウィスヌ神は生命の源です。生命は聖なるものです。生命は公正なるものです。公正とはすなわち正義です。そのようなるサトリアだけが勝利する。兄上は敗れる。すべての人は陛下の行為を呪っています。民衆は陛下を見捨てるでありましょう。獣すらも敵となる。
 おお、兄上、大いなる敬意と謙譲の心を持って申し上げます。どうか国と民と、そして陛下自身の安寧のために、シントをスリ・ロモにお返しくださいますよう。」
 ラウォノは堪えきれなくなり、飛び上がってウィビソノを罵った。「野蛮人め、黙れ!戦いを恐れる戦士、とっとと逃げ失せるが良い!」
 ウィビソノはこれ以上続けては危険だと悟った。そこで上手く危険を避けてアルンコ国を去り、スリ・ロモと合流したのである。
 ここでウィビソノは、『王の守護』よりも絶対的正義を選んだ。ウィビソノの選択は二つの主な動機の対立から生じた。つまり『絶対的正義を選ぶか、王国の守護を選ぶか』である。同じ比重で拮抗する二つのものの葛藤である。
 国を護ることは正義を裏切り強欲に従うことを意味し、正義を守ることは王国/国家を裏切ることを意味する。それゆえ、ワヤンではこの時ウィビソノは左足でマンリアワン Mangliawan 〈ロモの陣営〉の地を踏み、右足はアルンコの大地を踏んでいる。彼はそのまま静止し、ダランは次のように語るのである。
 『Mandeg greg kadyo tugu sinungkarta Raden Wibisana oneng jironing penggalih, jagad mendung pada sasalika, manuk-manuk kang pada mabur pada nyalorot ing lemah pating ketotor wulune, mino-mino kang ana jroning telaga pada ngambang minggir ing gisiking telaga bebasan godongan tan ora obah, labet samirana datan lumampah.』
 『ウィビソノは心を決めかね、服を着た彫像のよう、じっと立ち尽くしていた。世界はこの時真っ暗になり、飛んでいた鳥たちは羽をばたつかせて大地を叩く。湖の魚たちも寄りかたまって、風のないときの木の葉のよう、その動きを止めるのである。』

 この地語り pocapan は『シ・モロコモ simalakama の実を食べること。食べれば母が死に、食べなければ父が死ぬ。進めば傷つき、退けば腐り落ちる。』のたとえのような道徳的ディレンマ、また内心の葛藤を表現している。
 ウィビソノの内心の葛藤の烈しさに、世界 jagad samapta bhawana は、しばし動きを止めた。それはサントソSantoso 教授が『ノー・コメント No Comment 』と説明し、哲学や神秘学では『ミステリウム・トレメンドゥム・エ・ファッシノスム mysterium tremendum et 〈原文at となっているが et の誤り〉fascinosum 〈戦慄と魅惑の神秘〉』と呼ばれるものである。ウェドトモ Wedatama では、この状態を『momor pamoring sawujud, yen wis ilang mamang sumelang ing kalbu 』と呼ぶ。
 迷いと疑いが心の内から滅失すれば、光り輝く姿とひとつになる。という意味である。
 それこそが生命である。ディレンマと迷いを経験しない人生はない。魂の不変と内心の平静のみが、人間を本当の真実と出会わせてくれるのである。

1976年5月16日 ブアナ・ミング
by gatotkaca | 2013-04-10 00:06 | 影絵・ワヤン
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