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木から落ちた猿

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デウォブロト(ビスモ)の人物像 その(1)

 来たる2012年11月23日(金)に行われるスミヤント氏とランバンサリによるワヤン公演では、デウォブロトの物語が上演される。デウォブロトというのはビスモの若き日の名である。
 公演の詳細は下記にアクセスして下さい。
 ランバンサリHP
 スミリール〜ジャワの音楽・舞踊・影絵芝居Blog

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 ビスモはマハーバーラタの重要人物のひとりで、バラタ族の長老である。上の絵は若い頃の姿デウォブロトで、下が年取ってからの姿、ルシ・ビスモ。
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 今回はスミヤント氏への応援もかねて、『 ワヤン芸術の価値 Nilai-nilai Seni Pewayangan 』(1993:Dahara Prize, Semarang )に収録されているスグン・ヌグロホ氏の『ビスモ、ジレンマに満ちたブラフマチャーリンの人物像 』という文章を紹介する。

ビスモ、ジレンマに満ちたブラフマチャーリン * の人物像
BHISMA Profil Brahmacharin yang penuh Dilematis

* ブラフマチャーリン〈ブラフマチャーリー:世俗を捨てた禁欲者〉

スグン・ヌグロホ Sugeng Nugroho


1.はじめに
 ワヤン、より正確にはプワヤンガン Pewayangan 〈ワヤンに関する諸々〉は、文化、筆者は文化と呼ぼう、である。というのも、それは長い間人間の根幹(人間性の構築)として人々に知られてきたからである。先史時代において、ワヤンは祖先の霊に対する祈りの手段として知られ(ブランドン Brandon 1970;3)、先史時代からの遺産として今日も生きている。その証拠に今日でもワヤンはサドラナン sadranan* やルワタン ruwatan の儀式の手段として用いられている。始めはヒンドゥ教・仏教のもとで発展し、イスラム教では、ワヤンはダワー dakwah 〈イスラム布教〉のメディアとして用いられ、その後もワヤンは説教、教育、政治的プロパガンダその他の手段として用いられ続けてきた。その全ては時代の流れに沿ったワヤンの柔軟性のおかげである。それゆえこれから時代を経ていっても、ワヤンが消え去ることはないであろう。
 * 故人、祖先を供養するジャワの伝統的儀式。

 時代に即応する柔軟性のゆえに、ワヤンの可能性は『永遠』のものであり、そこには真に驚くべき内容が内包されている。ワヤンには叙事詩としての側面も見出すことが出来る。ワヤンを見る高齢者たちはそこに古の時を見るであろうし、若者たちはそこに青春を見出すであろう。そして年少の者たちは子供らしく見る。同様に哲学者たち、社会学者たち、人類学者たちや他の者たちはそれぞれの、知識の鍛錬を見出すであろう。
 歴史的、哲学的、社会学的、人類学的、文学的、その他の側面からのワヤンに対する議論が多くの者によって行われてきた。スリ・ムルヨノ Sri Mulyono の「ワヤン:その由来、哲学、そして未来 Wayan: Asal-usul, Filsafat, dan Masa Deoannya 」、「ワヤンとヌサンタラの哲学 Wayang dan Filsafat Nusantara 」、セノ・サストロアミジョヨ Seno Sastroamidjojo の「ワヤン・クリ上演に関する考察 Renungan tentang Pertunjukan Wayang Kulit 」、R・ストリスノ Soetrisno の「ワヤン世界と歴史の展望 Sekilas Dunia Wayang dan Sejarah 」、G・A・J・ハゼウ hazeu の「ジャワ社会の知識への貢献 Bijdrage tot de Kennid van het Javaansche Tooneel 」、R・O'G・アンダースン Anderson の「ジャワの神話と変容 Mythology and the tolerance of the Javanese 」、プルボチョロコ Poerbotjaroko の「スラット・パンジーの比較 Serat Panji dalam Perbandingan 」、スディロ・サトトSoediro Satoto の「ワヤン・クリ・プルウォ、意味と劇的構成 Wayang Kulit Pruwa : Makna dan Struktur Dramatiknya 」などである。
 それゆえ、それらを比較して、筆者は性格的側面から、ワヤンから一人の人物を取り上げることにする。筆者の選んだ人物は、ビスモ Bhisma である。彼はアスティノ Hastina 王国の王位継承者であったが、王になることではなくブラフマチャーリンの道を選んだ。またビスモの人物像に関する議論で興味深いのは、彼がバラタユダ Bharatayuda においてコラワ Korawa側、いわゆる偽善、強欲、悪の側に付いたことである。

 上記の問題を喚起する背景として、筆者の論において興味を惹かれる問題を定義すると下記のようになるだろう。
1. なぜビスモはアスティノ王国の王位継承権をみたしていながら、王位よりもブラフマチャーリンの道を選んだのか?
2. なぜビスモはバラタユダにおいてコラワ側に味方したのか?
3. ラコン『ビスモの生涯 Banjaran Bhisma 』に内包される人間的価値観とは何か?

 上記の問題に答えるために、筆者は直接関係するものまた、間接的に参照する文献を精読してみたい。上記の問題を解明するための基礎的参考文献としてあげられるものは、(1)「ワヤンとその登場人物 Wayang dan Karakter Manusia シリーズ2、スリ・ムルヨノ著(1977)の特にビスモに関する記述、(2)「ワヤン・プルウォの物語に関する家系 Silsilah Wayang Purwa Mawa Carita 」第四巻(1984)と第七巻(1986)、S・パドモスコチョ Padmosoekotjo 著、(3)「マハバラタ、クルクセトラの激烈な戦い Mahabharata ; Sebuah Perang Dahsyat di Medan Kurukshetra 」(1981)、ニョマン・S・プンディト Nyoman S. Pendhit 、(4)「マハバラタ物語 Mahabarata Kawedar 」(1933)、RM・スタルト・ハルジョワホノ Soetarto Hardjowahono 、(5)「英雄ビスモ Wiratama Bhisma 」(1975)、ヘルスカルト Heroesoekarto 著、(6)「バラタユダの書 Serat Bharata Yuda 第一巻、第三巻」(1976)、スラムット・スタルソ Slamet Sutarsa 著、(7)「スマントの構成によるラコン・ビスモの戦死のパダット〈短時間構成のワヤン〉上演構成写本 Struktural Naskah Pakeliran Padat Lakon Bhisma Gugur Susunan Sumanto 」(台本、1992)、ジャルワディ Jarwadi 著、(8)「ハンダラン・バガヴァット・ギーター Handaran Bhagavad-Gita 」(1960)、クウィー・テック・ホアイ Kwee Tek Hoay 著、(9)「原典版バガヴァット・ギーター:全問題への回答 Bhagavat-gita Menurut Aslinya : Jawaban Segala Pertanyaan 」(1983)、オーム・ヴィシュヌパダ Om Visnuoada 著、(10)「ジャワの倫理:ジャワの生の英知に関する哲学的分析 Etika Jawa : Sebuah Analisa Falsafi tentang Kebijaksanaan Hidup Jawa 」(1988)、フランツ・マグニス=スセノ Franz Magnis-Suseno 著、(11)「ジャワの神話と変容 Mythology and the Tolerance of the Javanese 」(1965)R・O'G・アンダースン Anderson著、(12)「エチカ〈倫理〉;行為における哲学 Etika ; Filsafat Tingkat Laku 」(1982)L・R・プジョウィヤトノ Poedjawijatna 著である。
 この論説は主観的分析に近い方法を取る。それは、この論説の分析が筆者の仮説に基づいたものであることを意味する。というのも、『価値観』に対する議論は、『事実』に関する議論とは異なるからである。事実とは現実(具象)によって構成されるものであり、検証可能であり、ゆえに事実は五感で捉えることが出来る。いっぽう、価値観は観念(抽象)によって構成され、その存在を検証することはできず、価値観とは内在するのみの存在である。『ある感性とは考察に始まり、一定期間の熟考を得て達成される』(アブバカル・ブスロ Abubakar busro、1989:2)。
 それゆえ、文化(含む:芸術作品)を形成する人の価値観の認識の相違は自然のことであり、起こるべくして起こるのである。であるから、個々の観察は相対的であり、その能力、あるいは鋭敏さ、直感的推測に依存するのである。

Ⅱ.ビスモの人生

人生の困難
 人生において、人は時折打ち破ることの困難なジレンマに遭遇する。彼はどちらかを選ばなければならなくなる。善か悪か、過ちか真実か、独善か賢明さか等々。そして人がひとつのものを選べない時もまた、それは選んだことになるのだ。『選ばない』ということを。ここに人間の抱えるある問題が始まる。とはいえ、人が困難も無く、善、真実、賢明さを選択したなら、それは相対的なものであることは明らかである。善、真実、賢明さ、正義と考えられているものは、すでに他の者によってそのようであると定められたことに従っているのである。実際はその逆であることもああり得るのだ。それゆえ、人生とは混迷した困難から自由であることはできない。迷路を歩くようなものであり、障害の無い道を通ることはできない。
 こういった問題は、ビスモが対峙した問題とかわらない。バラタ族のひとり、その名はビスモ、彼はワヤンの世界ではおなじみである。若き日の彼は悩ましい二択に直面しながらも『ブラフマチャーリン』を貫いた。彼は責任を放棄したとも言える。あるいは責任を全うするなら誓いを撤回しなければならなかったのだ。後に老年になってバラタユダが迫った時、彼はパンダワ Pandawa とコラワという、同じように深く愛する孫たち、二組のどちらかに味方することを選ばなければならなくなった。しかし、拒むことは許されない。彼は心の声に従って、一方を選ばなければならなかったのである。

ビスモの誕生
 ビスモはまたデウォブロト Dewabrata の名でも知られている。彼はデウィ・ゴンゴ Dewi Gangga〈ガンジス河の女神〉から生まれたワス・プラボソ Wasu Prabasa(ワス wasu =神族のひとつ)であったが、その傲慢さによってルシ・ワシスト Resi Wasista に呪われた。彼の妻が(ルシ・ワシストが飼っていた)ルムブ・ナンディニ Lembu Nandini の乳を欲しがった。その乳は若さを保ち、長寿を授けるといわれていたのである。妻に言われてワス・プラボソは兄弟たちと共にその牛を盗もうと謀った。しかしそれはルシ・ワシストの知るとこをとなり、彼らは、後に人間に生まれ変わらなければならないという呪いを受けたのである。プラボソはその悪事の首謀者であったから、他の七人の兄弟たちよりも長く地上にとどまり、苦しまなければならないとされたのである。
 このようなデウォブロトの出生の物語は、「業(カルマ karmapah)」の思想を想い起こさせる。罪が理由となり結果を決定するという、因果応報の思想は、東洋で今日も多くの人々に信じられている。つまり、かつて行われた善行あるいは悪行が、先の人生を決定するという考えである。それゆえデウォブロトの人生は、解決困難な問題と直面し続けることになることが不可避であったのだ。最初の難題は、彼が生まれてすぐに母、デウィ・ゴンゴが彼のもとを去っていったことである。こうして彼は一度も母の愛を受けることなく育った。父に深く愛された子であったが、それはわずかな間でしかなかった。まだ彼が幼いうちに父スンタヌ Santanu が再婚したからである。スンタヌの再婚はデウォブロトの終わり無き冒険の始まりであった。

デウォブロトの献身
 人間として、デウォブロトは利己的なタイプの人ではなかった。彼は自分自身よりも他人のことを重く考える人であった。その証拠に、父スンタヌがデウィ・ドゥルガンディニDewi Durgandini への恋に落ちた時、デウォブロトは彼女の要求に応じたのである。サン・デウィの望みが何であれ、デウォブロトはそれを受け入れることを厭わなかった。『父プラブ・スンタヌと義母デウィ・ドゥルガンディニの幸福のために、私は王位継承権を放棄し、義母ドゥルガンディニから生まれた弟に王位継承権を譲るでありましょう。アスティノの王権は永遠に弟の子孫たちの手に委ねられる。そのために私は生涯妻帯しないことを誓います。』と。デウォブロトの誓いを聞き、大地は震動し、世界は唖然として揺れ動き、狼狽した。かくて全世界が彼に恩寵としてビスモの名を与えた。「ビスモ〈ビーシュマ〉」とは、凄まじき者、恐るべき者を意味する(パドモスコチョ Padmosoekotjo、1984:Ⅶ:56)。これほど魔術的・宗教的出来事を経験した者は(ワヤンの世界では)かつてなかった。かくてビスモのその全能の誓いに対して、スンタヌは『アジ・スウォチャンドモロノノAji Swachandamaranana』の護符を与えた。それは不死の力を持ち、ビスモ自身が望む時まで、決して彼は死ぬことがない、というものであった(パドモスコチョ、1984:Ⅳ:57)。
 デウォブロトのこの行動は、ある意味クシャトリアとしての責任を放棄するものと言える。王位継承権を弟に譲るということは、デウォブロトがアスティノ王国内の苦楽に対する負担を負わないことを意味するのである。彼は真のクシャトリアとは言えない。というのも、国家の運営者としての負担の一切を負う責任を手放し、自身の生活のみに専念することになるからである。「不婚の誓い」をたてるというようなことは、彼が国家や世界に新しい頁を紡ぐ〈子孫を残す〉べき人間としての責任をとらないことを意味する。言い換えれば、こういった行為は、命をつないでいくという生き物の役割(mbuntoni tumangkaring wiji )を拒否することを意味するのである。
 しかし、別の観点から見れば、精神・魂の重要性をひたすらに追求する生き方ということもできる。他者の苦しみを自身の苦しみとすることでもあり、それは他者の幸福を自身の幸福とすることでもある。
 デウォブロトは全ての権利を捨てさり、ブラフマチャーリンとして生きた。それは父プラブ・スンタヌへの敬意と愛の故である。スンタヌが深く愛する継母の重大な望みに対して父を失望させたくなかったのである。だから、彼は王位継承権を持つスンタヌの息子として、正義と英知と責任をもって、他の者に権利を譲ったのである。

ビスモの最初の試練
 ビスモは義理の弟たち、チトロゴド Citragada とウィチトロウィルヨ Wicitrawirya を自分自身以上に愛した。カシ国でデウィ・オムボ Dewi Amba 、アムビコ Ambika 、アムバリコ Ambalika を賭けたサユムボロ・ピリ Sayembara pilih (1)が催されると聞き、デウォブロトは参加を望んだ。デウォブロトのサユムボロへの参加は自身のためではなく、愛する二人の弟のためであった。
 (1)このカシ国のサユムボロはダランによればサユムボロ・ピリsayembara pilihではなくサユムボロ・プラン sayembara perang (強者、超能力者の戦い)であり、ワフムコ、アルティムコを倒した者は誰あろうと、カシ国の三王女を得ることができるというものであった。
 * サユムボロとは嫁取り競技のこと。サユムボロ・ピリは王女自身が婿に相応しい者を選ぶ形式を取り、サユムボロ・プランは武芸大会の勝利者が王女を獲得する。

 カシ国の三王女、オムボ、アムビコ、アムバリコ(ヘルスカルト、1975:40-44)は、コロ・ワフムコKala Wahmuka 、コロ・ハリムコ Kala Harimuka 、サルポクノコ Sarpakenaka と呼ばれることもあり、またデウィ・アムビコ Dewi Ambika 、アムビキ Ambiki 、アムバヒニ Ambihiniと呼ばれることもある(スタルソ、1976;Ⅰ:15)。

 最終的に三人の王女はアスティノ国へ連れて来られることとなったが、三人の王女のひとりデウィ・オムボは途中で、ビスモに自分を自由にして欲しいと乞うた。というのも彼女にはすでに愛するサルウォ Salwa 王との約束があるというのである。愛情というものを敬意をもって護る人として、ビスモも礼をもってデウィ・オムボを喜んで解放した。しかし何が起こったか?サルウォ王はオムボに対して心を閉ざしたのである。というもの、彼はすでに彼女を妻にする権利を持たないというのである。恋人から拒否されオムボの心は衝撃を受けた。彼女はおおいなる辱めを受けてビスモのもとへ戻って来た。
 オムボが戻って来たことでビスモの心は波立った。愛情を重んじる彼が、ここにいたって彼女を傷つけたことになってしまったのである。愛する人の抱擁を望んだオムボをプラブ・サルウォはもはや受け入れなかった。ビスモは罪の意識を感じた。
 オムボがその命をビスモに委ねたことは、彼をさらに苦しめた。ここにおいてビスモは重大な選択を迫られたのである。感情と忠節、責任と信頼の二つにひとつである。『私がオムボを受け入れれば信頼を損ね、自分の理想が破れることになり、世の人は私を笑うだろう。私は自身の忠節の誓いを守れなかった者となる。しかし私が誓いを守れば、世の人は私を憎むであろう。私は責任を投げ出した者と言われるであろう。今はただ、自分の心に従うのみだ。』
 「シマラカマSimalakama の実」を食べる * ように、母の死を呑込むか、父の死を呑込むかのようにビスモは苦悩した。しかし彼はどちらかを決断しなければならなかったのだ。問題から逃げれば世の人から卑怯者と嘲笑われるだろう。かくて彼は最終決断として、自身の誓いを遵守することに決めた。ビスモの最終決断はオムボをさらに苦しめることとなった。千の希望が潰えたのだ。苦悩のうちに生きるよりは死んだ方がましだ。その運命が決せられる前に、突然ロモパラス Ramaparasu ** が手助けに現れた。彼はビスモに対しブラフマチャーリンの誓いを棄て、オムボと結婚するよう説得した。しかしビスモの言葉は?

 * makan simalakakama ジャワの諺。その実を食べれば父が死に、食べなければ母が死ぬ、という回避−回避型葛藤を伴う二者択一のこと。
 ** ロモパラスはウィスヌ神の化身のひとつ。バラモンに生まれ、復讐のためクシャトリアを21回殲滅した。デウォブロトの武芸の師でもある。


 『おお、我が師よ。師の命令といえども私にはできません。死ねとおしゃれば、我が誠実をもって死にもしましょう。されどこの今の師の命令に服することはできません。あなたと言えど愛情を強いることはできず、あなたであっても他人をその信念に背かせることはできないのです。あなたが何とおっしゃられようと、私は我が信念を守る。我が道は自分の心に従って決めるでありましょう。放っておいてください。』
 ビスモの剛情はロモパラスを怒らせ、戦いとなった。ビスモは師との戦いを望んだわけではなかったが、他人に強制されることも望まなかったのである。ロモパラスは敗れ、オムボの心は癒し得ないほど粉々となった。彼女は彷徨い歩き、バラタユダの戦場でビスモを斃し得る者を探し続けたのである。(2)

 (2)ダランによっては別のヴァージョンもあり、オムボの死はビスモに矢で脅され、誤って射放たれた矢にあたってオムボは斃れる。オムボの魂はビスモに復讐の呪いをかける。彼女はビスモと共にでなければ天界に登らない、と(スタルソ Sutarsa :1976;Ⅰ:17-18)。

 ロモパラスが敗れ、オムボが去り、ビスモの思いは千路に乱れた。というのも、彼は聖なる道をもとめてきたのにもかかわらず、大きな罪を犯すこととなってしまった。かくて彼は今一度誓いをたてたのである。女を決して害することはしない、と。もし戦場で女と対峙したなら、彼は殺されるであろう。誠実さをもって彼の魂は肉体を手放すであろう、と。
 ビスモのブラフマチャーリンの誓いに対する試練はこれで終わりではなかった。二人の弟たちが死に(3)、ビスモは再び不婚の誓いに対する試練を受けることとなった。彼は、誓いを棄てアスティノ国の王位に就き、二人の未亡人たちと結婚するようドゥガンディニに乞われたのである。しかしビスモの答えは?

 (3)チトロゴドは病死、ウィチトロウィルヨは戦場に斃れた。

 『お許し下さい、母上。二人の弟たちが後継者を残さずに死んだからといって、アスティノの王位に就くことは出来ません。私の誓いを破ることは出来ないのです。母上自身のお子であるアビヨソ Abyasa に委ねられる方が良いと存じます。彼ならばきっと国家の体制を護ることが出来ると私は信じます。』
 それからアステノ国の政は、ドゥルガンディニとポロソロ Parasara の息子アビヨソによって執られた。このようにして、バラタ族の子孫の物語を意味することとなったのである。というのも、バラタ王国の唯一の相続人たるビスモはブラフマチャーリンの誓いを遵守したからである。ビスモの信頼を受けて『連れて来られた』者には彼の魂が刻み込まれているのである。

ビスモの最後の試練
 幼少よりビスモは、その魂に試練を受け続けたことで強くなり、人生の意味を意識し、理解する者となった。それゆえ彼はつねに世界の平和と安寧を切望した。孫たちパンダワとコラワに良かれと、助言し長老として振る舞った。貪欲、独善、嫉妬、強欲から離れるようにと教育してきたのである。アスティノ国の一部である、インドロプラスト Indraprasta の地に対する争いがあった時もビスモは平和的解決を求めた。
 しかし、さらなる運命のいたずらか、幾度も交渉がもたれたが、実を結ぶこと無く、争いはより烈しくなっていった。コラワはインドロプラスト国の一片の土地さえもパンダワに返さないと主張した。こうして大戦争(バラタユダ)は避けられぬものとなっていったのである。
 この時、ビスモの心は再びジレンマに襲われた。彼はどちらに味方するべきなのか。パンダワかコラワか、双方とも彼の愛する孫たちであるのに?彼がコラワを選べば、彼は独善的な者たちに味方することになり、徳と真実に敵対することになる。つねに徳と真実を高め、敬意を示して来た彼の心情としてはこれは避けたいことである。しかし彼がパンダワに味方するなら、世の人は彼を責任を放棄したブラフマンとして非難するであろう。
 それゆえ一人の賢者として、ビスモは迷い無く態度を決めたのである。彼はコラワについた。というのもコラワに味方することは、ビスモがコラワを真実の道へ導くため、ブラフマンのダルマ〈運命〉に身を捧げることを意味するからである。しかし最終的にはその努力は報われなかった。
 これは、かつて過ちを犯した者として、ビスモがつねに罪の意識に苦しめられていたからであり、パンダワこそが、彼に死をもたらしうる者であったからである。それゆえ、彼がパンダワの女戦士スリカンディに対峙した時、その身体から超能力が消え去り、オムボを苦しめた痛みの影だけが残ったのである。対峙する敵であるスリカンディの顔を見詰めて、オムボを助けられなかった苦しみがはじけ、彼は罪をあがなう時が来たことを悟ったのである。

死に臨んでのビスモの苦しみ
 ビスモの白昼夢に現れたオムボの影が消え失せ、この賢者たる老雄はもはや力なく、スリカンディの矢はビスモの心臓を貫いた。死を悟った者として、スリカンディを受け入れ、ビスモの心は笑みを浮かべていた。長らえた死の到来に、彼はおおいに喜んだ。しかし天界へ向かう前に、彼の身体は何千という矢に貫かれ、倒れても身体は浮いていた。ただ頭だけが垂れ下がり、台座が無かった。
 それほどの状態になっても、ビスモの心はまだ満たされなかった。パンダワとコラワたちに囲まれた時、ビスモの五感はまだはっきりしていた。彼は願った。頭をのせる台と飲み物を。また、パンダワとコラワたちにダルマ〈運命〉、カルマ〈業〉、サムサーラ〈輪廻〉に関する教えを説いた。ビスモはまだ世俗の欲望にとらわれ、生の完全性にいたることが出来なかったのである。

(つづく)
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by gatotkaca | 2012-11-21 16:05 | 影絵・ワヤン | Comments(2)
Commented by 冨岡三智 at 2012-11-21 17:17 x
はじめに の第3段落に出てくる人名の「プルボチャロコ」ですが、プルボチョロコと読むのが正しいと思います。
まだ隅々まで目を通していないので(いつも大量に訳されてますね…)
、他の箇所は分かりませんが、そこだけ、目に飛び込んできました(笑) 。
Commented by gatotkaca at 2012-11-22 06:37
冨岡さん、いつもありがとうございます!Poerbotjaroko(R.M.Ng.Poerbatjaraka)のことは、かなり以前から(20年位?)プロボチャロコと読み癖がついてましたorz。11/22付けで修正しました。
が、以前に訳した本でけっこうPoerbatjarakaは登場するんですよねぇ。ぼちぼち直していきたいと思います。
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