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木から落ちた猿

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試訳「スマルとは何者か?」 第2章 その6

マハパティ・サンジャヤ Mahapatih Sanjaya としてのスマル

 ワルシト・S Warsit S. 博士は「クバティナン周辺 Di Sekitar Kebatinan 」と題する書の17頁で述べている。
 「ホノチョロコの詩 syair Hanacaraka を創作したのは生粋のジャワ人で学者となり、小乗仏教 Buddha Hinayana の僧侶となったジナノバドロであり、彼はアシン・アルヨ Asing Arya の血筋でアガスティヤのヒンドゥーのマハラジャ、サンジャヤ(723〜744)の時代『エムバン・トゥワンゴノ Emban Twanggana またマハパティ・マンクブミ Mahapatih Mangkubumi 』としての職にあった」
 ジナノバドロまたの名、ダヤン・スマラソントはキヤイ・ルラ・スマルに他ならない。
 ジナノバドロとスマルは本当に同じなのか?もっと掘り下げてみよう。

スマルはジナノバドロであるが、ジナノバドロはスマルではない

ジナノバドロはインドネシア人の学者である

 N・J・クロム N.J. Krom 博士の「ジャワ・ヒンドゥーの歴史 Hindoe Javaansche Seschiedenis 」の103、107頁と、スチプト Sucipto 博士の「ディエン高原のチャンディ Candi Dieng 」の6頁に、以下のようにある。
 「中部ジャワではヒンドゥー教と仏教とが同時に発展し、衝突することがなかった。中国の記録によると、ホ・リン Ho-ling (Hēlíng =訶陵)で、7世紀の仏教文化の中心にあったのは、中流階級の人々であったという。664年〜665年、フイ・ニン Heui-ning(hui-ning=会寧)という僧が3年間滞在した。その仏教僧はインドネシアの大僧正のひとりと共に務めをはたした。中国語でその人物の名は、ジョ・ナ・プ・トロと記されている。つまりジナノバドロである。宗教の諸経典、特にニルワナ(涅槃)とブッダの火葬について翻訳した。
この記録は、中部ジャワがすでにヒンドゥー・ブッダの中心地となっていたこと、そしてインドネシア現地人の学者によって率いられていたことを明らかにする。7世紀の中部ジャワはすでに小乗仏教とヒンドゥー教の中心地となっていた。さらに驚くべきは、8世紀にはすでに長期にわたる発展を経た高度なレベルの建築群が見られることである。」

ジナノバドロはスマルと同一視できない

 現時点での問題は、ジナノバドロとスマルは同じであるのか?ということである。答えは「否」である。スマルはジナノバドロであるが、ジナノバドロはスマルと同一視できるのだろうか? まず証明しなければならないことがある。それはこのようなことだ。虎は動物であるが、動物は虎でなければならないわけではない。
 スマルとジナノバドロは語源解釈のみで決めることはできず、その意味付けは状況によって変化するのである。その理由は、用語が正しく定まり変化しないといえども、年月を経たダラン間における状況において、そこで認識される新しい解釈が現れるからである。スルヤント Soeryanto 博士が引用する「verba valent usu (言葉は使うことができる)」というラテン語のことわざは、用語は状況によって新しい解釈を生み出すという意味である。この問題に答えるために、我々は二つの意見を検討してみたい。N・J・クロム博士の意見と、キヤイ・R・Ng・ロンゴワルシト Kiyai R.Ng.Ranggawarsita の意見である。
 N・J・クロム博士は、西暦664年、インドネシア人学者、ジョ・ナポ・トロつまり「ジナノバドロ」にホリンで3年間「涅槃の諸」の翻訳と理解の教えを受けたフウ・ニンという僧について語っている。
 一方、キヤイ・R・Ng・ロンゴワルシトは、「キタブ・ロジョ・ワトロ kitab Raja Watra 」の14頁において、チョンドロ・スンコロ candra sengkala 「 putra tiga nata barakan (同胞の王の三人の息子)」の示す、ジャワ歴531年、西暦609年に、ジャンガン・スマラソントつまりスマルが、ルシ・マヌモノソ、そしてプトゥット・スパロウォ Putut Supalawa と共に、サプト・アルゴ/チャンディ・ディエンまたウレタウ Wretawu を建設したと述べている。
 このイタブ・ロジョ・プルウォまたロジョ・プルウォはプルボチャロコ Purbacaraka 教授によって、R・Ng・ロンゴワルシト自身の単なるオモン・コソン omog-kosong 、つまり根拠の無い世迷い言にすぎないと断じられ、事実ではないと考えられている。12)(一般的に受け入れられ得る)科学的には、根拠の無いものである。であるから、(ディエンにいた人間としての)スマル自体は存在しなかったということである。
 また、N・J・クロム博士の意見にも、L・C・ダマイス L.C.Damais によって真実性に反論が出ている。バンコクで第九回太平洋学術会議 Pasific Science Conggress が開催された際、ホ・リンは、N・J・クロム博士によって示されたカ・リンとは異なるものであろうとされた。

フウ・ニン Hwu-Ning が瞑想してジナノバドロを見る

 L・C・ダマイスの説が正しければ、N・J・クロム博士の説は誤りであることになる。ジナのバドロ自体はインドネシアに存在しなかった。そうであるならば、ジナノバドロとスマルは同一のものであるが、実在の人物としてインドネシアには存在しなかったということになる。
 この考えによれば、フウ・ニンもまた瞑想を行い(象徴的に)、ジナノバドロ(英知の光)を見出したということになるだろう。これは次のように説かれている。
 「そのとき彼は、手を胸の前で組み、足をまっすぐ伸ばして瞑想に入った。気の九孔を閉ざし、五感を集中して鼻先を見つめた。四元(物質世界)は遠ざけられ、心の内のすべては神に捧げられた。フウ・ニンはあらゆる行為を統制した。誠実に琢磨された最上の魂に育まれ(守られ)た最上の祈願に、自身の全てが捧げられた。かくて彼は秘密の扉を開くことが可能となった。その『望み』において彼は『世界を統べる』秘密を知り、秘密の『光』を見る力を得たのである。ついにフウ・ニンは英知の光、すなわちジナノバドロ、涅槃の輝きを見ることのできる力を得ることに成功したのである。」

ジナノバドロの実態

 先の話、また瞑想、沈思の各々の行為から、祈願する人間は英知の光、すなわち輝く光を受け、遭遇する力をもつということが言える。ゆえにフウ・ニンは仏説を理解し、涅槃経を翻訳しているということは、我々がジナノバドロの実態を探求し、大乗仏教の教典,例えばサン・ヒワン・コモハヤニカン Kamahayanikan を調べる際、重要な関連を持つ。
【訳注】:Sang Hyang Kamahayanikan は散文形式の文学作品である。背面に東部ジャワの王、ムプ・センドック Mpu Sendok (西暦959〜947年)の名が記されている。内容は大乗仏教の仏説および瞑想の方法など。:
 先の書によれば、ジナノ Jnana とは英知また仏陀の身体を意味し(135頁)、バドロ bhadra とは月、光、または光線を意味する。であるからジナノバドロとは英知の光を意味するのである。
 サン・ヒワン・コモハヤニカン教典の90段には以下のように説かれている。
 「これは、その名がヨーガダーラ Yogadhara (ヨーガ教典)のひとつにあり、三つの文字と三つの実態が示されている。アドワヤAdwaya には諸相がある。その名はアドワヤ、そしてアドワヤ・ジナナ Adwaya-Jnana である。アドワヤの名を持つものは、アマ Amah である。アドワヤ・ジナナと名付けられるものは、「存在するが不存在であり、存在と不存在の関係に影響されないものであり、それは具体化し得ないものに収束する。」感覚によって在るとされるものが存在、また感覚によって無いとされるものが不存在であるが、存在と不存在の間に感覚では不存在であるものがある。それは汝が想像力で感じる存在であり、汝の感覚がそのようであれば、それは存在するといえるのである。アドワヤ・ジナナを『存在する』と言うのに迷うことはないのである。」
 上記の段は以下のような図式で結論づけられている。
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 一方91段では以下のように述べられている。
 「アム・アー Am Ah の語には二つの解釈があり、一つは仏陀(その英知)の誕生に由来する。アム・アーとは父であり、一方アドワヤジナナ Adwayajnana はカウンターパート(対概念)としてのバラリ・プラジナ・パラミタ Bharali Prajna-Paramita であり、これは母として考えられている。13)
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 サン・ヒワン・コモハヤニカン教典によって説かれるのは、英知の光とは、仏陀、またディワルパ Diwarupa と呼ばれるものの一相であり、機能であり、また名の顕現に他ならない、ということである。他方、サマル、ガイブつまり謎とは『彼』それ自身の相、機能、あるいは名の顕現である。そうするとまた、93段で述べられている点についても、考察することとなる。
 「ジナナとは仏陀の身体である。その名サン・ヒワン・ディワルパ diwarupa と呼ばれる、アム・アーの音と共に平静を得る力を見出す教義の本質である。14)」
 であるから、ジナナが仏陀の身体であるなら、ジナノバドロとはシナル・バダン・ブッダ Sinar Badan Buddha (仏陀の身体=実態の光)であり、日々の言葉で我々が聖なる光( sinar Illahi )と呼ぶものである。

(つづく)
by gatotkaca | 2012-01-31 00:06 | 影絵・ワヤン
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