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木から落ちた猿

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ルワタンとコモ・サラの物語 その2

(つづき)

3.バトロ・コロあるいはコモ・サラ

 バトロ・コロとは何者か?バトロ・コロの誕生にはいくつかのヴァリエーションがある。古い物語ではコロという人物は明確ではない。コロ Kala という言葉のつく人物群は存在する。たとえば、モホコロ Mahakala 、コロクヨ Kalakeya 、カラントコKalantaka 、カランジョヨ Kalanjaya である。新らしいジャワのワヤンの物語においては、一般的にコロはバトロ・グルとドゥルゴの子どもであると言われる。ふつうはコモ・サラからコロが生まれたと語られる。

3.1.「キタブ・マニクモヨ Kitab Manikmaya 」(9〜10)の物語を以下に略記する。
 ヒワン・ギリノトは妻とともに世界を巡ることを欲した。彼らはルムブ・アンディニの背に乗って、天を飛んだ。彼らはジャワ島を巡り終え、海上を飛んだ。偶然日没の時となり、赤い太陽の光が海の水に輝き、海はとても美しく見えた。ヒワン・グルはこの海の美しさを見て、心乱れた。ウィスヌの誕生以来久しい愛欲がおこった。そのとき以来の妻と交わりたいとの切望がおこったのである。しかしながらバタリ・ウモは、彼に応じることはなかった。というのも、まだ交合したいという気持ちとはほど遠かったからである。サン・ヒワン・グルは強く求めた。聖なる妻はつかまれ、膝をつき、犯されようとした。バタリ・ウモははねつけ、嘲笑いながら荒い言葉を発した。ヒワン・グルはラクササのごとく野卑である、場所をわきまえずに事を為そうとする、牛の背の上で。
 聖なる妻はヒワン・グルにこらえるようにと願った。このとき、デウィ・ウモの言葉は、魔力をもった呪いとして発現し、ヒワン・グルにラクササのような牙が生えたのである。
 ヒワン・グルのコモ(精液)は海にこぼれ落ち、大音響が轟いた。海水ははげしく振動し、かき混ぜられたように泡立った。サン・ヒワン・グルの心には、恥辱と妻に対する怒りが入り混じった。すぐさま彼らはカヤンガン(天界)へ戻った。海水はいまだ激しく泡立ち、けたたましい音が鳴り渡り、神々に騒動が起こったのである。天の一部が揺れ動き、神々は原因を探るよう命じられた。すぐさま神々は出立した。騒動の出所に着き、熱線を吹き出しながら、太陽のような光が海底から発せられているのを見た。原因が解って、彼らは戻り報告した。この騒動は海底から起こっている。灼熱の熱線のため近づくことができない、と。サン・ヒワン・グルは、その輝く者はコモ・サラであろうと言った。神々は再び命を受け、戦いの準備を整え、出来る限り多くの武器を使って、大海に燃え上がるコモ・サラを殲滅するよう命じられた。神々は武器を手に取り、すぐさま出立した。燃え盛るところへ神々は一斉に、雨が降るように矢を放った。ゴド(棍棒)、ドゥンド、ブドモ、ガンディ、クント、チョクロ、チョンドロ、カパック、リムプン、モソロ、アルゴロ、などの武器が海中で燃え盛る光に向かって落とされた。大海はあたかも沸騰し攪拌されたようであった。
 矢と武器に埋め尽くされたコモ・サラは静まるどころか、さらに大きくなった。放たれていた熱線は消え、山のような巨大なラクササが現れた。すべての武器がコモ・サラの身体を作った。ドゥンドは頭となり、ゴドは首となり、リムプンは鼻、額、そしてこめかみとなる。チョクロは目となり、ビンディは腿、ヌンゴロは右肩、トゥリスロは左肩となった。ゴドは胸、すべての矢は髪の毛と歯になった。ふいにラクササは飛び上がり、海の上に山のように立ち上がった。身体をくねらせながら稲妻の轟のようなくしゃみをし、雷鳴の如く咳払いして海から出た。我が父は誰かとわめくように問いながら、神々に近づいてきた。神々は恐れおののき、ほうほうの体で逃げ出した。神々はヒワン・ギリノトの前に伺候し、土盛り口調でコモ・サラは武器よっては殲滅し得ず、山のような大きさのラクササとなったと伝えた。その姿は恐ろしく、大海より出て、稲妻のようにとどろくうめき声で父親が誰なのか、と叫んでいた。それゆえ神々は恐れおののいて散り散りになった、と。神が語り終える前にコモ・サラが突如として現れた。神々はバトロ・グルの後ろに隠れた。コモ・サラが彼らを睨みつけた。ヒワン・グルは座ったままそこを動かなかった。コモ・サラは近づき、ヒワン・グルの前に至り腰を下ろすと、轟く声で尋ねた。ヒワン・グルは名を尋ねられた。ヒワン・グルは答えた。我は世界の王、あまねく衆生の守り手にして、サン・ヒワン・ジャガノトである、と。コモ・サラは、サン・ヒワン・ジャガノトが世界の守り手であるならば、彼を子に持った者、彼の父の居場所を知らなければならぬと言った。サン・ヒワン・ジャガノトはコモ・サラの尋ねたこと全てをしており、彼の父の居場所を教えることに同意した。その条件として、コモ・サラに彼の足に額ずき敬意を表することを求めた。コモ・サラは承知したが、彼が嘘をついたらきっと食ってやるといった。サン・ヒワン・ジャガノトは同意し、コモ・サラは彼に拝跪することを命じられた。コモ・サラがブトロ・グルの足もとに拝跪したとき、サン・ヒワン・ギリノトは、彼の左のこめかみの毛を引き抜いた。コモ・サラは抗って顔を上げた。サン・ヒワン・ギリノトはかまわず、彼の二本の牙を素早くつかんだ。その先端は切り落とされ、口から出たままの舌を押し付けられた。コモ・サラはなす術もなく遠くへ放り投げられて座り込んだ。牙の先端は、右がスンジョト・クントに、左はスンジョト・パソパティに作り代えられ、髪は弓弦となった。かくてサン・ヒワン・グルはその息子、コモ・サラに言葉を与えた。彼はバトロ・コロの名を与えられ、ジャワ島のすべての邪悪な怪物たち、ジン(精霊)を治めるため、ヌサカンバンガンへ赴くよう命じられた。
 コモ・サラはサン・ヒワン・グルの慈悲に感謝し、その命令を承諾した。そして彼は、食べ物を欲した。
 サン・ヒワン・グルは60種類の人間を獲物として許可し、その説明をした。60種類の人間,子どもたちはオラン・スクルタとなった。サン・ヒワン・グルによって述べられた種類の人間が彼の餌食であると聞き、バトロ・コロは満足した。自身の望みが約束されたのである。バトロ・コロは拝跪し、ヌサカンバンガンへ出発した。すべての怪物とジンも従った。バトロ・コロは彼らの王となったのである。バトロ・コロが去った後、サン・ヒワン・プラメスティは天界へ戻った。そしてデウィ・ウモへの怒りが再びわいてきた。妻の呪いで、サン・ヒワン・グルにラクササのような牙が生えたからである。
 サン・ヒワン・グルの怒りを計りかねたデウィ・ウモは、彼の前にやって来た。拝跪するやいなや、バトロ・グルは彼女の髪をつかみ、束ねた髪はほどけた。デウィ・ウモは、髪を押さえながら、激しく泣き叫んだ。それにかまわず、両の足もつかまれ、頭は地に押し付けられた。怒りながらサン・ヒワン・グルは言った。「きれいでかわいいそなた、デウィ・ウモよ。しかしその髪はラスクシのよう乱れ、ラスクシのような金切り声で泣き叫んでおる。」このとき、デウィ・ウモはラスクシに姿を変えたのである。
 デウィ・ウモは放された。泣きながらサン・ヒワン・グルに拝跪し、後悔し、許しを乞うのであった。サン・ヒワン・グルは心打たれ、哀れみの情を抱き、やさしく言った。「ウモよ、このような事になったのも、神の定めである。そなたの身体はラスクシとなったが、魂はデウィ・ウモである。ラスクシの身体はバトロ・コロの妻としよう。」
 サン・ヒワン・グルは超能力でデウィ・ウモの魂を、ジンの王ロモの息子、伯父であるルシ・チャトルコノコの妻、デウィ・ラクスミの身体に移した。デウィ・ウモの身体にはデウィ・ラクスミの魂が入った。彼女はデウィ・ウモと同じ美しさであった。デウィ・ラクスミの魂が入ったデウィ・ウモの身体はヌサカンバンガンのバトロ・コトに妻として与えられ、デウィ・ウモの魂が入ったデウィ・ラクスミの身体はバトロ・グルの妻となった。
 そのときまで、サン・ヒワン・グルと息子の神々は15年間ジャワ島を支配した。時至り、神々はジャワ島を去り、もといたヒンディ(インド)の地、トゥングル(ヒマラヤ)山頂へ帰った。かくてスロンの地に天界が建設された。ルシ・チャトゥルノコの妻、デウィ・ラクスミはバトロ・グルに与えられた宿命に伏するのみであった。

(訳注:以下引用文献のみ記して詳細は略す)
3.2.キヤイ・ドゥマン・ラディタノヨ Kyai Demang Raditanaya 著「パクム・ムルウォコロ Pakem Murwakala 」によるバトロ・コロの物語。

3.3.M.プリジョフトモ博士「javansh Lesboek」中の「マニクモヨ」と題したバトロ・コロの物語

3.4.S.パドモスコジョの「サラシラ・ワヤン・プルウォ」(PT Citra Aksara , Surabaya出版)

3.5.R.Ng.ロンゴワルシト著「スラット・パロモヨゴ」

4.子を遺すためのサンガマ(交合)

 先に五つの引用を示した、コモ・サラあるいはバトロ・コロの物語はヴァリエーションはあっても、その内容に大きな違いはない。大筋は同じで、時と場所をわきまえないバトロ・グルの愛欲の行為がことの始まりであり、時と場所を誤った交合として結論づけることができる。抑えきれない欲望にしたがって、はげしい色欲を恣にすることである。時と場所を誤ったことが、コモ・サラの誕生という災厄の理由とされているのである。

 ジャワの教義に従えば、交合は欲望の発露として行われてはならない。交合の目的とは、聖なる義務、すなわち生の歴史を繋ぐ子どもを遺すことにある。RMH・スゴンドの著した「スラット・ニティ・マニ Niti-mani」(1919年 Albert Rusche , Surakarta 出版)において、説かれているところに従えば、
 「ゆえに交合 bersangama はアジ・アスモロゴノ Aji Asmoragama であると推定される。それは尊厳と賞賛をもって行われなければならない、その意味は、交合とは、嗜好、遊戯としてなされてはならず、ふざけたり、笑ったししながらしてもならない……」

 他のジャワの教義でも、交合はウィジ・アジ wiji-aji 、つまり優秀な萌芽を遺すためのものである。ゆえに、それが行われるとき、心を整える、断食(昼)する、夕食は控える、我慢する、その他を行ってからである。交合の前に夫婦は沐浴で身を清め、トゥハンの恩恵として、良識をもち、父母、家族、そして社会の役に立つ立派な子どもが授かるよう願いをかける。

 ジャワ古典の書、またプリムボン Primbon の教義では、交合に良い、または悪い、曜日、日付、そして時間についての規範が与えられている。「スラット・チュンティニ Centhini (ラテン語版、Yayasan Centhini Yogyakarta 第2刷)」の手引き34では、
 「直射日光が当たる場所で交合してはならない。そこで得られた子どもは、幸福からとおのくであろう。」とある。

 これは、黄昏時にバトロ・グルによってデウィ・ウモに強いられた交合に照らし合わせることができるだろう。

 その他にも禁止事項はある。たとえば、暗闇での交合で子を得ると、その子は石頭で馬鹿な子になる。夜明けの交合は、知恵の足りない子を生む。イスラム歴の休日は、愛欲にとらわれてはならない、こうして生まれた子は父母に反抗的になる。立ったまま交合すると、その子は小便たれになる。

 通説では、これらのタブーは予言者ムハムマドが法として、シャイディナ・アリに説いたとされる。この説教は悪習慣に対する禁止の強化として考えられる。そのような教義は、その他の多くのものと同様に、イスラムをジャワの教義の目録に浸透させるためであった。

5.隠された教義
 コモ・サラ、あるいはバトロ・コロの誕生の物語の意味は以下のように分析できるだろう。

1.ブルサンガマ(交合)、交合による夫婦の一体化は、家族,社会、人類のために役立つ子どもを賜る、ウジ・アジ、優秀な萌芽を獲得するための聖性と高貴なる理想をもった職務を内包する。

2.トゥハン・ヤン・マハ・エサの恩恵としての種子は行為(精神集中、夕食を減らす、意識を持つ、その他)によって獲得される。

3.意識の根底には「クワジバン・スチ kewajiban suci =内心を清めること」があり、サンガマを実行する前に、夫婦は沐浴して身を清め、社会に役立つ良識ある立派な子どもを賜るよう、トゥハン・マハ・プンチプタに祈りを捧げる。

4.「高貴な理想」に達するための「クワジバン・スチ」の実行があれば、時と場所をわきまえぬ気ままな、目の前にある快楽と満足のためだけに行われる交合には至らない。そのような行いは、家族と人間の生に災厄をもたらすコモ・サラを遺すこととなるだろう。

 これこそがコモ・サラまた、バトロ・コロの誕生の物語に内包されるジャワの教義である。

(了)
by gatotkaca | 2011-09-08 15:34 | 影絵・ワヤン
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