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木から落ちた猿

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ワヤン・クリの歴史 デマク〜現代 その1

 ワヤンの歴史は千年というのですが、影絵芝居ワヤン・クリそのもので現在確認できるものは、1478年に成立したデマク王国の時代以降のものです。それ以前のモジョパイト時代は多分、絵巻物のワヤン・ベベルであっただろうと思われます。以前載せたH・グリトノの論文よりもやや、細かい説明のある、「Mengnal Wayang Kulit Purwa oleh Soekatno,B.A. Aneka Ilmu ,Semarang 1992」の記載に基づいて、影絵芝居人形として成立したワヤン・クリ・プルウォの歴史を概括します。

ワヤン・クリ・プルウォの歴史

Ⅰ.デマク王国時代

 「現在」の形状の、中部ジャワ・スラカルタ・スタイルのワヤン・クリ・プルウォの歴史は、デマク時代から始まる。

 1478年、モジョパイトが滅亡する。デマクが立国し、ラデン・パタが初代の王となった。その治世は1478年-1518年である。その後1520年-1521年にパンゲラン・サブランガンが代って王となった。

 ジャワ島の王やワリ(宗教指導者)たちは、この地の藝術を愛し、ワヤンも愛した。彼らは積極的にワヤンの完成度を高めた。チャンディのレリーフの中に描かれたワヤン・プルウォは、ワヤン・ベベルの形態をとり、形を変え、より完成度を高めた。この変化は、その形状、デザイン、そして上演形式、道具類、そして意味合いもモジョパイトのものから変化した。むろんイスラム教と衝突しないようにである。

 チャンディのレリーフに見られるワヤン・プルウォの形状の規範は、バリ島に受け継がれ、今に至っている。デマクのイスラムの人々、特に王やワリたちは下記のような変化を与えた。
1. 1520年以前、ワヤンは絵で描かれ(2次元)たが、斜めに描かれ、チャンディのレリーフとは異なる。
2. 材料はなめらかな水牛の皮で、上品な装飾が施されている。
3. ワヤンは二つの色で描かれている。それは、
 ー基本としての白,白色は焼いたりなめらかに砕いたりした骨から作られる。
 ー黒色で部分を描く、黒はオヤンOyan (ランプのすす)から作られる。
4. 斜めの顔で描かれ、胴体に付く手はまだ一本である。握りとしてのガピットが付き、穴の開いた木に刺すようになっていた。
5. 図像の規範は通常モジョパイトのワヤン・ベベルから採られている。各々の独自のパーソナリティが作られ、ダランの左右に並べられる。

Ⅱ.1521年

 ワヤンの形状は、ラマヤナ、マハバラタの物語の上演に合わせて人物の数が増やされた。上演は徹夜で行われた。ワヤン人形の人物は追加されていった。

 追加されたワヤンの種類は
1.ワヤン・リチカン、たとえばグヌンガン、プラムポガン、動物,猿。
2.上演用の道具・設備類も増えた。カイン(布)からクリル(スクリーン)が創られ、ワヤンの保管用にコタック(箱)が、人形を立てたり並べたりするためにはバナナの幹が使われるようになった。照明はブレンチョンが使われるようになった。ワヤンはクリルに、ダランの左右に並べられた。スロ(ダランの朗唱)やパテット(ガムランの旋法)も定められた。楽器はスレンドロ調のガムランが用いられた。
3.さらにデマク王国時代には、ワヤンに彩色と金箔が施された。

Ⅲ.パジャン王国時代
 1546年、ジョコ・ティンキルがパジャン王国のスルタンに即位した。崩潰しかかっていたデマクは征服された。ジョコ・ティンキルは1546-1586年(40年間)の間、王位にあった。
 1556年、芸術家たちを集めて、スルタン・パジャンはワヤンを製作した。それは、当時の他のワヤンよりも小ぶりのサイズのものであった。このワヤンには「ワヤン・キダン・クンチョノ wayang Kidang Kencana (黄金の鹿)」の名が与えられた。

 このワヤンには、以下のような発展がみられる。
1.王の人形たちはマフコタ(トポン・マフコタ 王冠)を着けている。
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2.クサトリア(武将)はその髪型がグルン gelung またンゴレ ngore で、ドドトとチェラナを着ける。(訳注:グルンはアルジュノのように巻き上げた髪型、ドドトは足下に靡かせたカイン、チュラナはズボン)a0203553_7314929.jpg
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3.矢やゴド(棍棒)、クリス(短剣)などの武器が作られた。

Ⅳ.マタラム(ストウィジョヨ)時代

 1582-1586年、マタラムのアディパティ(領主)・ストウィジョヨ Sutawijaya とスルタン・パジャンの間に戦いが起こり、ストウィジョヨが勝利した。ストウィジョヨはパヌンバハン・セノパティ Panembahan Senopati と名乗り、マタラムの王となった。1586-1601年(サカ暦1511-1526年)のことである。

 ワヤンの発展は
1.象やガルダといった、動物の人形が加えられた。
2.髪の透かし彫りが、細かい細工になった。

Ⅴ.マス・ジョラン(パンゲラン・セド・クラピヤ)統治時代

 1526-1838年/1601-1613年マタラムで、ワヤン・キダン・クンチョノを拡大するワヤンの製作があり、ウォンドも創られた。創られたウォンドは
a.アルジュノ、ウォンド・ジマット(jimat=azimat 聖性)。
b.ビモ、ウォンド・ミミス(mimis=弾丸=ハンサム=器用)
c.スユドノ(ドゥルユドノ)、ウォンド・ジャンクン(jangkung=守る)。
d.ラクササ・ラトン、ウォンド・バロン(barong=毛の長い獅子・バロン)。
e.ガピット(支え棒)の改良。
f.武器類の製作、矢、クリス、チョクロ、ゴドその他。

 製作後,記念のスンカラン Sengkalan がブト・チャキルの人形に与えられた。
タンガン・ヤクソ・タタニン・ジャルモ Tngan yaksa tataning jalma (ヤクソ=ラクササの手が人間を制する) tangan (手)=2 yaksa(ラクササ)=5 tataning(制御)=5 jalma(人間)=1 →サカ暦1552年。
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(つづく)
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by gatotkaca | 2011-08-31 07:35 | 影絵・ワヤン | Comments(1)
Commented by genchi_dps at 2011-09-01 16:40
ふむふむ。。。勉強になります。
マデ(バリ島より)
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