夜、近所の自販機に飲み物を買いにいく途中、ふいに強烈な花の香りにむせった。ご近所さんが庭に植えているジャスミンの花であった。昼間もその家の前はよく通るので、花が満開なのは気付いていた。けれど昼間の喧噪の中では、ジャスミンの香りは特に感覚にのぼっていなかった。
いや、それとも、ジャスミンは夜にこそ、その芳香をより強くふりまくのであろうか。
長女の名にこの花の名、茉莉花をもらった。その子が保育園を卒園するとき、記念の写真集に自らの名の由来を、親に書いてもらえとの要請があった。そのとき僕はこのようなことを書いたのだった。
「あなたにはジャスミンの花の名をつけました。ジャスミンは日本と支那では茉莉花と呼ばれます。夏に生まれたあなたには、南国で咲き、愛される花の名をもらったのです。インドネシアのジャワ島では、神様にお願いをするとき、この花をささげます。ジャスミンは人々の切ない願いを神様のもとへとどけるお使いをしてくれる花なのです。あなたも、自分のためだけにアタフタと生きるより、あなたをとりまく人たちの願いを神様にとどける、このジャスミンの花のように生きてくださいますように。」
ジャスミンが自らのためだけに生きない花であるならば、その香りもひっそりと、誰のためでもなく夜のしじまに漂うほうがふさわしいのではあるまいか。